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検索対象: 現代日本の文学13:佐藤春夫 集
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1. 現代日本の文学13:佐藤春夫 集

・こつ、つ : カ・ も、夢のつづぎではないのか : : : ふと、そう疑われた。 「おい、夢ではないんだね。」 「尤も、俺は今この女を殺そうとして居るわけではないの だが」 「何がです。あなた寝・ほけて居らっしやるのね。」 おどろ 彼は思わず小声でそう言った。自分自身の愕くべき妄想蠍燭は彼の妻の手に持たれて、月の光を上から浴びせか に対して、慌てて言いわけしたのである。 けられて、ほんのりと赤くそれ自身の光を失った。光の穂 「そこでと : : : 俺は今何のためにこんなことをして居たのは風に吹かれて消えそうになびいたが、彼の妻の袖屏飃の だっけな。」 蔭で、ゆらゆらと大きく揺れた。風は何時の間にかおだや すさま いきおい 彼は気がついて急に妻を揺り起した。 かになって居たが、雲は妻じい勢で南の方へ押奔って居 夜中である。 た。小雨を降らせて通り過ぎる真黒な雲のばっくりと開け おお さけめ 妻はやっと目を覚したが、眩しそうに、揺れて居る蠍燭た巨きな口のファンタスティックな裂目から、月は彼等を の光を避けて、目をそむけた。そうして未だ十分に目の覚冷え冷えと照して居た。 めて居ない人がよくする通りに口をもがもがと動かして、 彼は手を洗うことを忘れて、珍らしいその月を見上げ 半ばロのなかで、 た。それは奇妙な月であった。日の月であるか、円いけ とじま 「また戸締りですか、大丈夫よ。」 れども下の方が半分だけ淡くかすれて消え失せそうになっ そう言って、寝返りをした。 て居た。し、上半は、黒雲と黒雲との間の深い空の中底 「いいや。便所へ行くんだ。ちょっとついて行ってくれ。」に、研ぎすましたように冴え冴えとして、くつぎりと浮び かわや 厠から出て来た彼は、手を洗おうとして戸を半分ばかり出して居た。その上半のくつきりした円さが、何かにひど すきま ずがいこつろちょう 繰った。すると、今開けた戸の透間から、不意に月の光がく似て居ると、彼は思った。然うだ。それは頭蓋骨の顱頂 ゆが 鬱流れ込んだ。月はまともに縁側に当って、歪んだ長方形でのまるさに似て居る。そう言えば、その月の全体の形も頭 ある、 しろがね の板の上に光った。不思議なことには、彼はこれと同じよう蓋骨に似て居る。白銀の頭蓋骨だ。研ぎすました、或に今 田 に、全く同じように月の差込んで居る縁側をちょうど今の鎔炉からとり出したばかりの白銀の頭蓋骨だ。彼のの さっき夢に見て、目がさめたところであった。何という妙作用は、ふと海賊船というようなものの事を思い出させ な暗合であろう。彼には先ずそれが怪奇でならなかった。 た。「神聖な海賊船」どういうわけかそんな言葉を思浮べ そうして、今、自分達がこうして此処に立って居ることた。彼は青い月を飽かずに眺めた。ああ、これと同じ事 もっと あわ まふ

2. 現代日本の文学13:佐藤春夫 集

ー当 1 プ と、前に春夫夫妻も一ど泊ったことがあるとのことで あった。 旅館の一室に落着き、暫く話し合ってから、久保さ んは私を街 ~ 連れ出し、春夫の ~ 案内した。その み筆塚は私が先刻その前を往復した、本町通の公民館の 家広い庭の奥まった一角にあった。私はこの町のどこか の に春夫の筆塚があることは前から聞いていたが、それ 市 宮 を見るのはこんどが始めてだった。碑面の文字は春夫 の生涯の親友であった堀ロ大学さんの筆であった。 も亥もよくできて立派であった。碑 ( 塚 ) の後ろには かんつばき 寒椿らしいのが二、三株植えられて、見事な花を咲か せていた。 春夫は花痴を以って自任していたが、なか でも椿は好きな花の一つであったようだ。 公民館の隣りに小学校かあることは前にも書いたカ やはりそれは幼時の春夫や久保さんが一緒に学んだ小 学校であったが、久保さんの話によると、当時その月 学校の位置は今とは違い、 本町通を隔てて今の向側に あったということである。春夫は『わんばく時代』の なかで小学校の太鼓部屋のことを書いているが、その 太鼓部屋にあった太鼓が今もそのまま学校に残ってい るとのことで、久保さんは私を誘ってそれを見せにい いって見るとその太鼓は、学校の玄関を入った正面 いっしょ

3. 現代日本の文学13:佐藤春夫 集

ものになったおかげで、いつも金が無いばかりか、暇さえおの矢竹を争ったあたり城山の二の丸にはホテルが経営さ ゅうゆう もなかったからである。これでは悠々自適の語には顔向けれ、僕の家の前にあったお堀の池は埋められて町となり、 もならない。、 しゃ僕ばかりではない、現代の人間生活は、坊主山が会社の社宅地になった外、太鼓部屋のあった母校 過去を清算したり将来を設計したりする暇もなく、常に現は位置を変えて改築され、僕が自転車を乗り回した運動場 在に押し流されていなければならないからである。 も町となり、八幡山のわが古戦場には町の公会堂が建つな 僕はむなしく、まだ見ぬ「草深い田舎寺」とは言うがど、星移り物変って、僕のわんばく時代の土地も今はおお 「裕福な立派な寺」で、不自由なく草や木を多く植えて楽かた僕の胸中にあるだけの風景となった。ただ小浜越えの * じん娶ん やまみち あた しんでいるであろうお昌ちゃんの生活を想像しながら荏苒山径がもとのままだが、これも峠の家の辺りは見違えるほ と歳月を経た。お昌ちゃんは今もなお健在である。僕の心ど立派になったらしい。 には今なお十七、八で生きているお昌ちゃんも、現実では児童公園もない町の子供たちは今どこで何をして遊ぶの もう七十に手のとどくお婆さんのはずである。 であろうか。僕は故郷の地に帰って、いずれの場所にお昌 すで この小娘婆さんが既に半世紀前の事どもをどれぐらいおちゃんの思い出のかずかずを求めようか。 ぼえているやら、思えばおばっかないものである。いや、 物語はこれで終る。もしお昌婆さんがこれを読んで、そ はいきょ ひとごとではない。僕自身とても記憶の廃墟をたどりたどそろに昔をしのび、ともに語ろうと言うなら、今度こそも とうてい り、この物語を草した。到底事実そのままを伝え得られるのぐさな僕も尾張半田ぐらいは遠しとはしない。命あって おきなおうな はずもない。 白髪の翁と嫗とが遠いむかしのほの・ほのとした恋心を思い はじめこの物語を草するに当って、年久しくそむいてい 出に語るのもまた、人生の楽事と思う僕だから。 る故郷の地のむかしの遊び場を思い出す資料にと、町の写 わずら 真師で中学時代の親友君を煩わして、僕はむかしの土地 を二十ヶ所ばかりも指定して撮影してもらった。ほぼその 事は知らないでもなかったが、町は市となって年々の発展 のうえ、戦火は免れながら戦後、地震による大火などで全 へんぼう く変貌してむかしのおもかげは見られなかった。 僕の育った家はわずかに残っているが、僕らが栄と旗ざ たいこ

4. 現代日本の文学13:佐藤春夫 集

りくっ 段がある。その間ロ二間ほどの石段の両側に、二本の円柱またそんな理窟よりも彼は今のさっき古図を披いてしみじ ツアウべラウ おうじ があって、それが二階の走馬楼を支えているのだが、このみと見入っているうちに、このあたりの往時の有様を脳裡 円柱は、 : どうも少し遠すぎてはっきりとはわからない に描いていたのであろう。「港」の一語は私に対して一種 けれども、普通の外の柱よりも壮麗である。上の方には何霊感的なものであった。今まで死んでいたこの廃屋がやっ やらごちやごちゃと彫刻でもしてあるらしい。その根元にと霊を得たのを私は感じた。泥水の濠ではないのだ。この はいきょ ひた あたるあたり、地上にはやはり石の細工で出来た大きな水廃渠こそむかし、朝夕の満潮があの石段をひたひたと浸し ツンメトリイ ツアウ・ヘラウ ひら 盤らしいのが、左右相対をして据えつけてある。 これた。走馬楼はきららかに波の光る港に面して展かれてあっ し らの事物がこの正面を特別に堂々たるものにしているのが た。そうして海を玄関にしてこの家は在ったのか。 ひ 私の注意を惹いた。私には、そこがこの家の玄関口ではなてみれば、何をする家だかは知らないけれども、この家こ いかと思われて来た。 そ盛時の安平の絶好な片果ではなかったか。私はこの家の そこで私は自分の疑問を世外民に話した 大きさと古さと美しさとだけを見て、その意味を今まで全 「このうちは、君、ここが正面、ーーー玄関だろうかね」 く気づかずにいたのだ。 「そうだろうよ」 今まで気づかなか 0 ただけに、私の興味と好奇とが たかま 「濠の方に向いて ? 」 れて一時に昻った。 この港へ面してね」 「這ってみようじゃよ、 オし力。ーー・・・誰も住んではいないの 世外民の「港」という一言が自分を ( ッと思わせた。そだろう」私は息込んでそう言ったものの、濠を距てまた高 クッタウカン クッタウカン めぐら うして私はロのなかで禿頭港と呼んでみた。私は禿頭港を い石囲いを繞しているこの屋敷へはどこから k れるのだ 見に来ていながら、ここが港であったことは、いつの間に か、ちょっと見当がっかなかったーーー道ばたの廃屋なら、 ぼうきやく 譚やらつい忘却していたのである。一つには私は、この目のさっき安平でやったようについ、 つかっかと入り込んでみ 扇前の数奇な廃屋に見とれていたのと、もう一つにはあたり たいのだが。後に考え合せた事だが、入口が直ぐにわから なごりさー のの変遷にどこにも海のような、港のような名残を携し出すないというこの同じ理由が、この廃屋を、そ・の情趣の上で ことが出来なかったからである。この点に、、ては世外民も事実の上でも、陰気な別天地として保存するのに有力で こと 期は、殊に私とは異っている。彼はこの港と興を共にしたあったのであろう。 ストレンジャア 種族でこの土地にとっては私のような無関心者ではなく、 その家のなかへ這入ってみたいという考えが、世外民に へだ のうり

5. 現代日本の文学13:佐藤春夫 集

118 僕はそのまま運動場へ突ぎ入ると、いつものように広さ ところがあいにくなことに、この日八幡山のとりでは危 一ばいの大ぎな円をえがいて四、五回もそこをとばしまわ険にさらされていた。敵はその二日ほど前から祠の下の石 った。敵に勢いを示す気と、あんな激突で、もしやフォー 垣に気がついたらしく、そこの雑草やシダなどももぎ取っ こくめ、 クでもゆがみはしないかと乗り心地でためしていたのであて、克明にさがしはじめているという報告であった。 まだネッキに気がついたわけではないが、それをさがし 出すためにやっきになっている。今に気がつくだろうと言 うのである。 苦しまぎれに ( 五七ー六〇 ) まだすぐ見つかるとも限らないし、見つかっても、そう 手軽には抜き取れないはずである。少しも気をもむことは しかし敵が石垣さがしに熱中している時や、ネッキを抜 電柱に思いきりぶつつかった自転車は乗り心地から見てき取ろうとあせっている時こそ、こちらの攻撃の好機会な 幸いに何らの破傷もない様子であったし、家にかえって仔のである。彼等をかたつばしからとりこにすることもでき 細にしらべてみても外見ではどこも変ったところはなかつる。僕はわが部隊を指揮するために、是非とも八幡山の戦 たから、いつものように車部屋の岸隅に立てかけて置い線に向わなければならない。 どうせ戦場では自転車に乗っているわけではない。ただ ところが翌日、乗ろうと思って行ってみると、前輪のタ自転車があったら、山の下の連動場わきにでもころがして イヤがペちゃんこに空気が抜けてしまって、リムがじかに置けば、いざという時の間に合うのだが、無いならば無い と出かけた P 地面についている。ポンプを出して空気を入れようとしてでもよい も、どうしても入らない。チュープが破れたらしいのであ土曜日の午後であった。敵はほとんど全員をあげて、戦 る。チュープの破れたのは今までに、もう何ペんも手がけっている。こちらも全部隊が活動している。崎山の指揮で て自分で直すこともでぎる。きのうこれに気がついていた代る代る石垣のぐるりをまわっている。こちらが一ところ をゆっくり見ていられないように、敵を追いまわすからで ら、夜のうちにでも直したろうに、今では間に合わない。 ある。敵と味方が入りみだれて祠を中心に、つむじ風のよ 今日一日は自転車なしである。 はしよう かたすみ ほこら

6. 現代日本の文学13:佐藤春夫 集

そこから始めてあの廃屋を注視したその同じ場所に、老婆「おおー」 台湾人の古い人には男にも女にも、欧州人などと同じく がひとり立って、じっと我々がしたと同じように濠を越し てあの廃屋をもの珍しげに見入っているのであった。それ演劇的な誇張の巧みな表情術がある。その老婆は今それを が、近づくに従 0 て、今のさ 0 き世外民に裏門〈の道を教見せているが、彼女のそれはただの振りではなく真情が えた同じ老婆だということが分った。 溢れ出ている。恐怖に似た目つきになり、気のせいか顔色 ふあいそう ふき むし 「お婆さん」その前まで来た時に世外民は無愛想に呼びかまで青くなった。この突然な変化が寧ろ私たちの方を不気 うそ 味にした位である。彼女はその感動が少しまるのを待ち けた。「嘘を教えてくれましたね」 ぎようし 「道はわかりませんでしたか」 でもするように沈黙して、しかし私たちに注いだ凝視をつ でも、人が住んでいるじゃありませんか」づけながら、最後に言った えんぎ 「人が ? へえ ? どんな人が ? 見ましたか ? 」 貴方がたは、貴 「早く縁起直しをしておいでなさい。 . しりト - ろ′ この老婆は、我々も意外に思うほど熱心な目つきで私た方がたは死霊の声を聞いたのです」 ちの返事を待つらしい。 三戦慄 「見やしませんよ。這入って行こうとしたら二階から声を かけられたのさ」 老婆は改めてやっと語り出した、初めはひとり言めいた くちょう 「どんな声 ? 女ですか ? 」 口調で : 「女だよ」 「 : : : そういう導は長いこと聞いてはいました。けれども 「泉州言葉で ? 」 その声を本当に、自分が本当に聞いたという人をーーー貴方 「そうだ ! どうして ? 」 がたのような人を見るのは始めてです。若い男の人たち 「まあー何と言ったのです」 は、一たいそこへ近づいてはいけなかったのです。貴方が 「よくわからないのだが、『なぜもっと早く来ないのだ ? 』たは最初、私にその裏口をおききになった時に、私はほん と言ったと思うのです」 とうはお留めしたいと思ったのですが、それには長い話が あなた 「本当ですか ? 本当ですかー本当に、貴方がた、お聞いるし、また昔ものが何をいうかとお笑いになると思った それに今はもう月日も経ったことでは きになったのですかー泉州言葉で、『な・せもっと早く来ものですから : ・ ないのだ』って」 あり、私もまさかそんなことがあろうと信じなかったもの 、、 0 こちょうたく うわさ

7. 現代日本の文学13:佐藤春夫 集

高い木立の下を、路がぐっと大ぎく曲った時に、 「ああやっと来ましたよ。」 と言いながら、彼等の案内者である赭毛の太っちょの女 てぬぐい が、片手で日にやけた額から滴り落ちる汗を、汚れた手拭 で拭いながら、別の片手では、彼等の行く手の方を指し示 さき ひとみ した。男のように太いその指の尖を伝うて、彼等の瞳の落 めまぐる ちたところには、黒っぽい深緑のなかに埋もれて、目眩し にびいろ いそわそわした夏の朝の光のなかで、鈍色にどっしりと或 かやふき る落着きをもって光って居るささやかな萱葺の屋根があっ 一 dwelt 0 一 0 コの それが彼のこの家を見た最初の機会であった。彼と彼の 一コ 0 WO 「 ld 0 「ヨ 00 コ、 妻とは、その時、各々この草屋機の上にさまようて居た彼 And ョ y SOUI was 0 s 一 ag コ 0 tide 、 等の瞳を、亟相手のそれの上に向けて、瞳と瞳とで会話 Edga 「 A = 0 コ Poe. をした しんぎん 私は、呻吟の世界で 「いい家のような予覚がある。」 ひとりで住んで居た。 「ええ私もそう思うの。」 うしお 私の霊は澱み腐れた潮であった。 その草屋根を見つめながら歩いた。この家ならば、日 まぼろし エドガアアランポオ か遠い以前にでも、夢にであるか、幻にであるか、それと しっそう も疾走する汽車の窓からででもあったか、何かで一度見た のその家が、今、彼の目の前へ現れて来た。 ことがあるようにも彼は思った。その草屋根を焦点として どこ 田初めのうちは、大変な元気で砂・ほこりを上げながら、主の視野は、実際、何処ででも見出されそうな、平凡な田舎 人の後になり前になりして、飛びまわり纏わりついて居たの横顔であった。も、それが却 0 て今の彼の心をひきっ * ひき あこが 彼の二疋の大が、ようよう柔順になって、彼のうしろに、けた。今の彼の憧れがそんなところにあったからである。 えら ニ疋並んで、そろそろ随いて来るようになった頃である。 そうして、彼がこの地方を自分の住家に択んだのも、亦こ 田園の憂鬱 あるい そ ) び 或は病める薔薇 や よど こ 0 おのおの ひたい したた あかげ しようてん また

8. 現代日本の文学13:佐藤春夫 集

ら昌栄丸が迎えに来てるのよ」 「だれもいないから家のなかへお入りなさい。あたしさび 「明日にでも ? 」僕は驚き、うろたえ、そうしてだれに対しいのですもの」 してともなく腹立たしい気がした。 と言ったが、僕は夜の家のなかでお昌ちゃんと二人きり 時は暮れ行く春よりも でいるのがこわいような気がしたので手をはなしてしまっ また短かきはなかるらん て、 恨は友の別れより 「さびしいのなら、僕、ここで見ていてあげるよ」 さらに長きはなかるらん と家には入らずそれかといってそのまま立ち去りもし 僕はお昌ちゃんに手をとられながら、心に藤村の詩句をないで、戸口からお昌ちゃんがつりランプに燈をともすう 思い浮べて、その実感を味いながら歩いていると知るや、 しろ向きの立姿をじっと見ていた。僕がすなおに家のなか じゃしん 知らずや、お昌ちゃんは言い出した。 へ入らなかったのは、今思えば何か邪心があったせいのよ 「坊っちゃんは今に院長さんになるのでしよう」 うである。 「いや、僕は医者なんかにはならない」 この山かげの家の前にも月がさすようになってから、僕 「そう、つまらないわ。あたし坊っちゃんが院長さんになは大きなかさをきたお・ほろ月の下をお昌ちゃんに言えなか ったら診てもらおうと思って、たのしみにしていたのに。 づた一言を考えながら家へかえった。 でもここにいなくなれば同じことね。院長さんにならない その翌日ひるの登校の道を女子高等小学校の運動場の前 で何におなりなの ? 」 から学校とは反対の方向へ、日和山を越えて井才田をポッ 「僕、僕は詩人になるのだ」 ツリ山の東ふもとから小浜越えの峠の家へ出た。学校の体 「詩人 ? 詩人って、なあに ? 」 操の時間をサポってお昌ちゃんの様子を見に行ったのであ っちいばん 時「歌や詩をつくる人さ。さっきの春高楼の歌だって土井晩る。 ば翠という詩人のつくったものだよ」 栄のお母さんは僕を見るなり、 しいわねー」 「お昌は今のさっき栄に送られて船に行ったところで」 わ「そう ? あんな歌を書く人になるの、 そんなたわいもないことを話しているうちに、林間の道と言ったから、僕は黙って一礼したまま小浜へ急いだ。 を出て峠の家の前に来ていた。お昌ちゃんは僕の手をひっ途中向うから来た栄に出会うと栄は、息をはずませなが ばって、 ら、

9. 現代日本の文学13:佐藤春夫 集

′一うこよう ま◆ 崎山の眉の太い強情げな顔つぎとで、彼を乱暴者ときめて校へ来たばかりで、ネコをかぶっているが、今に正体を現 かかっているのではあるまいか。それでは崎山が気の毒でわすに違いない」 ある。 「正体はもうわか 0 ている。以前はいつもや坊主山に しようえいまる 家は熊野地でも小浜も池田の渡し附近だとか、昌栄丸とおおぜいの手下をつれて来て陣取り、新宮の子供たちが行 せんごくね くと、だれかれとなく片っ端から意地悪く追っぱらってい いう新しい千石船は彼の家の物だとか、崎山は問わず語り にさまざまなことを話すが、彼のいう「姉さんみたいなるのを、わあぎも見たことがあるげの」 人」や、両親のことなどに関してはどういうわけだか、あ「またいつでも新宮の熊野地寄りのところどころへ乗り出 して、・ハイごま ( というのはタニシ形の海の貝をこまにし まりいいたがらない。それを知りたいような気がするが、 僕は彼がそれを語り出すまでは、聞いては悪いような気がて勝負する遊び ) に割り込んでは、気に入った・ハイを見つ して、今にわかるだろうと、今はわざと黙っていたものでけると勝ち負けによらず取上げてふところへねじこんで帰 ったガキだわ」 あった。 ポンチャンのぐるりにいたのがかわるがわるいうと、ま たポンチャンが、 ところがいい友だちになりかかっていたわが崎山栄君「そんな手におえないやつだから第二でもてあまして追い が、不意に、にも困ったやつが来たと思われはじめた。 出して来たのじゃとさ。今にそんなけぶりでも見せて見 たいじ ぞうちょう ある日の昼休みに、僕はポンチャンらの仲間から、こつろ、増長しないうちに退治してくれなきゃならないからの」 そり運動場へ呼び出された。ポンチャンたちのいう運動場とポンチャンは僕の顔をのぞきこんで相談するようにそ みぞはし とは、僕がいつも飛び越す溝の端の柳の木のぐるりのことんなことをいうから、僕は、 「悪いことをすれば先生がしかるじやろ。何もしないうち 時で、彼等のいつもたむろするところなのである。 ま、せき 南国の春はわずかに十日ばかりで、いよいよ老いて、みから、そんなふうに毛ぎらいして斥するもんじゃない」 どりこまやかに枝を垂れた柳の影の濃いなかに立っていた「毛ぎらいじゃない」 ポンチャンは、僕の近づくのを見るなり、あたりを見まわとポンチャンら一同は声をそろえていう。 し、しばらく考えていたが、声をひそめていいだした。 「第二を退校されてここへ来たというのは何か証拠がある 「あの崎山というやつのことじゃがの、今でこそ新しい学のか」 しょ ) こ

10. 現代日本の文学13:佐藤春夫 集

393 殉情詩集 秘曲ひとふしあり。 しんじっこひしきものならば、つまも子もあるものか、と もおぼすらめども、おもへども、わりなさよえにしたたれ かたみ ず、切なしゃゆるさせたまへ、なわすれそ、互に、けふ を。と、なけばぜひもなしや、しんじっこひしきものゆゑ に血をながしてもともおもへども、おもへども。あぎらめ てさても得わすれで、おもかげ。ゅめに見てゆめさめて、 あなわが身、わが世、憂き世。 昼の月 はてゑんじゅ 野路の果、遠樹の上、 空澄みて昼の月かかる。 あざやかに且つは仄か おごそ 消ぬがに、しかも厳か。 見かへればわが心の青空、 おお、初恋の記憶かかる。 そらす せつ か さまよへるシオンの娘を 遣しめよ。 「主よ、わが心の為めに つかは 心の廃墟 さるを今君ここにおはさず、 むな われは今空しくも 遠き君がこころに語を寄するのみ、 われにはや歌っくる力はあらず、 われわが為めに口ずさめども 君の聞き給はぬ歌を如何でわれつくるを得んや ! ルネ・ヂォルジャン「水辺悲歌」堀ロ大学訳 し市 心の廃墟 その恋人の中にはこれを慰むるものひとりだに 無くその朋はこれに背きて仇となれり 耶利米亜哀歌 そむ あだ