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検索対象: 現代日本の文学13:佐藤春夫 集
135件見つかりました。

1. 現代日本の文学13:佐藤春夫 集

つかっかまえただけであった。 実のところ僕は、採集にはほとんど興味もおこらなかっ 夏休みの間にと父から課せられた昆虫採集は、はじめ思た。それにもかかわらず、僕が毎日出かけたのは、夏の自 いっこう 然のなかをとびまわるのが楽しかったのと、かえり路で崎 ったほど面白くはなく、一向に成績もあがらなかった。 「あの網は子供が振りまわすには、あまり大きすぎてだめ山の姉さんと話をするのがうれしかったからである。 姉さんはその家の前に僕の通るのを見つけると、 なのでしよう」 と母は僕のためにそういいわけをしてくれたし、父も僕「今日は何かっかまって ? 」 とか何とか必ず声をかけた。僕がいっか、毎日、蝶やト をなぐさめ顔に、 「お前の追っかけまわしてつかまらなかったアオスジアゲンポを追っかけまわしているといったからである。 ちょう ハとかいうのは、はしつこくて、なかなかっかまらない蝶向うから声をかけられない日は、こちらから話しかける ようになった。 だとさ、それ、本にもここにそう書いてあるよ」 しよう 姉さんは名を昌といって、年は栄より一つだけ上という とか、または、 から僕よりは三つ上なわけ、かぞえ年でことし十三という 「何もらしいものや美しいものばかりを集めないでも、 ことであった。 はじめのうちは何でもかでも、手あたりにたくさんっ 僕は、つまり昆虫採集に飽きないのではなく、お昌ちゃ かまえればいいのじゃ」 などと、僕をはげまして採集をやめさせないようにしんと話してお昌ちゃんについて知ることに飽きないのであ た。後に思えば、こんなことから僕を科学の世界へ、気った。 それであまりいい採集場ではないと知りながらも、お城 ながに・ほっ・ほっと導いて行こうとしたものであったろ のからめ手の杉林の方へ、あそこはすずしいからと自分に 、わけしながら、毎日出かけたものであった。そうして しかし僕は同じ昆虫でも珍らしいものや、美しくなくていし たぐい はつまらないと思った。だがそれはなかなか見つからず、かぶと虫の類は林のなかの栗の木のうろで見つけたのだ ノタの類は、虫なら何でもいいという僕の話に、 つかまらなかった。僕はただ申しわけ程度にいろいろなトし、・、ツ 「こんなのでも、 しい ? きのうの晩、山からわたしのラン ンポやせみ、それに木のうろから見つけ出したかぶと虫、 かみきり虫、玉虫、・ハッタの類などを休み中に、ほんの幾プに来たのよ」

2. 現代日本の文学13:佐藤春夫 集

ばえ みの間から、富士山がその真白な頭だけを現して、タ映の 夫、その夫を妻が頼み少く思うことは是非ない事である。 彼の女は、時々こんな山里へ来るようになった自分を、そなかでくつきり光って居た。俗悪なまで有名なこの山は、 めぐら の短い過去を、運命を、夢のように思い廻しても見た。さただそのごく小部分しか見えないということに依って、そ て、今でもまだ舞台生活をして居る彼の女の技芸上の競争れの本来の美を保ち得て居た。この間うちまでは重なり合 ったタ雲のかげになって、それらの雲の一部か或は山かと 者達を、 ( 彼の女はもと女優であった。 ) 今の自分にひきく ・ : z という山の怪しまれた西方の地平に連る灰黒色な一列は、今見れば、 らべて華やかに想望するこ・ともあった。・ 中の小さな停車場まで二里、馬車のあるところまで一里何処か遠くの連山であることが確かになった。今日も亦無 たび 半、そのれに依っても、それから再び鉄道院の電車を一駄に費したという平凡な悔恨が、毎日このタ映を仰ぐ度ご とに、彼にははげしく瞬間的に湧き上るのであった。多 時間、真直ぐの里程にすれば六七里でも、その東京までは 半日がかりだ : : : それにしても、どんな大理想があるかは分、色彩というものが誘う感激が、彼の病的になっている しげき 知らないが、こんなへ住むと言い出した夫を、又それ心をそういう風に刺戟したのであったろう。地の上の足も みぞ をうかうかと賛成した彼の女自身を、わけても前者を彼のとを見ると、彼の足場である土橋の下を、渠の水がタ映の 女は最も非難せずには居られなかった。遠い東京 : : : 近い空を反映して太い朱線になって光り、流れて居た。 田の面には、風が自分の姿を、そこに渚のような曲線で 東京 : : : 近い東京 : : : 遠い東京 : : : その東京の街々が、ア んどう アクライトや、ショウウインドウや、おいおいとシイズン描き出しながら、ゆるやかに蠕動して進んで居た。それは になってくる劇場の廊下や、楽屋や、それらが眠ろうとし涼しいタ風であった。稲田はまだ黄ばむというほどではな て居る彼の女の目の前をゆっくり通り過ぎた。 かったけれども、花は既に実になって居た。そうして蝗が それらの少しうな垂れた穂の間で、少しずつ生れ初めて居 た。端という赤い丸い草の実のころが 0 て居る田の畦に 空のタ焼けが毎日つづいた。けれどもそれはつい二三週は、彼の足もとから蝗が時折飛び跳ねた。すると彼の散歩 ひき 間前までのような灼け爛れた真赤な空ではなかった。底にの供をして居る二疋の大は、より早くそれを見出すや否 そこ は深く快活な黄色を匿してうわべだけが紅であった。明日や、彼等の前足でそれを押し圧えると、其処に半死半生で ゅう の暑さで威嚇するタ焼ではなく、明日の快晴を約束するタ横わって居る蝗を甘そうに食ってしまった。彼等の一疋は 映であった。西北の空にあたって、ごく近くの或る丘の凹それを見出す点で、他の一疋よりも敏捷であった。併し、 ただ すで おさ びんしよう なぎさ しか

3. 現代日本の文学13:佐藤春夫 集

小浜の上流で御殿の下、城山うらの川岸のいっか昌栄丸の庭は葉桜から毛虫のふんが道に黒く落ちていた。 がけ 1 が船がかりしていたあたりの崖ぶちの道で、暑中休暇課題「須藤、おれは、このごろ毎日のようにあそこへ行って、 の鉱物採集をしていた。 あそこの道路や家の並び方などを実地に見ているのじゃ」 崎山が出て来て、標本に拾ったその石を、石灰を焼くた と崎山が肩越しに指したのは新宮の西南部と熊野地との めに昌栄丸が底荷に積んで来ておいてあったものだと取上中間を区切って南北へ長く延びた永山という丘陵で、この げた。なるほど附近に石灰工場はあった。しかし学校へ標丘の秋は櫨のタもみじがはなやかであったが、そこには おろ しいた 本に持って行きたいと言うと、崎山の態度はたちまち一変愚かな因習のため理由なく虐げられた一団の人々が代々の せんぎよう して振り上げていたげんこつをおろし、それならばと僕の賤業に世をわびて住む暗い一部落が細々とかまどの煙を上 ために重い石を彼の家の附近まで運んで来て僕に与えたもげていた。 のであった。 「調べてどうするのだ ? 」 今度は何のために立ち現われたかは知らないが、何しろ「君もお・ほえているだろう。小 川先生の手つだいで僕らの くかく 思いがけないので驚いた。崎山はこの台地の道の下から僕作った町の地図にあの一区劃の抜けていたのを」 に声をかけて、だんだん上半身を現わして僕のそばに寄り「うん、それで ? 」 そい 「おれはそれに気がついて、せつかくこしらえた町の地図 「君はこんな道をとおって学校へ通うのか」 に永山の入 0 ていないのは不完全、不缶ではありません 「うん、面白い道だから時々は通ってみるよ」 かと先生に言うと、先生は、あそこは新宮と熊野地との中 「うそっけ、毎日ここをとおってるじゃないか。おれは見 間にあって、どちらにもっかぬ地域になっているし、通学 て知ってら。だからここで待っていたのだ」 者も級中に無いので省略したと言うが、そんな理由にな 「じゃ、君も毎日このあたりをうろついているのだね。何らぬ理由であそこを除外するのは悪いではありませんか、 か用か。また戦争のことでも ? 」 町の一部には相違ないのですから、僕はいやです、あそこ 「いいや、ちょっと変った相談があるのじゃ」 をかき入れさせてもらいます。須藤だってきっと同感で 「相談 ? では歩きながら聞こう。今日は急がなくちや学す ( 僕は「うん」とうなずいた ) と言うと、先生はしばら 校の間にあわないから」 く黙っていたが、でも、あそこの様子はだれもよくは知ら 僕らは久しぶりに肩をならべて歩き出した。山際のお寺ないではないか。だからこそ・せひかき入れなければならな やまざわ いんしゅう

4. 現代日本の文学13:佐藤春夫 集

彼はそれらの問に、何一つ答えることが出来なかった。 で理由も判明しないうちに同じような症状で瞬間に死んだ そうしてそんなむずかしい問い を発する者は誰だと言ってものが、この半日にすでに九百何人に及んだ。この新奇な うわさひろ 反問すると、相手は言うのであった。 噂が拡がるとともにその強烈な新種の戦慄を一刻も早く実 「私はお前の祖先だ。千八百年代の薔薇だ」 感してみたいというので、かくも騒々しく婦人たちはこの さっとう そう答えて、その頃の花の生活というものを語り出し芸術家の店に殺到したのだ。けれども、さすがに有名な肉 た。ーー夢がさめて薔薇は慄いをした。日光は消えてし体実感の製作家たるこの店の主人もこの異常に新奇な感じ によじっ まって彼はガラスの箱のなかへ運び込まれた。空気は生気を如実に表現する製作は無論持ち合せていなかったのだ。 がなかった。人々は楽しい夏の熱さをいやがって、このい彼はその名声を失墜させないために店を閉じたのだが、こ い季節にアルプス山頂の空気を毎日幾リットルだか混和しの奇病が世界に全く始めてのものである以上、これは要求 てしまったのだ。薔薇は夢のなかの祖先の言葉を思い出者の方が無理と言わなければならない。 し、彼の身辺を見まわして自分を囚人だと感じ出した。そ夜になって薔薇は窓の外に睡っていた。と、不意にどこ ひなた たんそく の夢は彼が毎日、三十分間日向に置かれる度ごとに現われか近いところで、人間の歎息を聞いたが、その次には多少 あざわら なま た , ーーさめてから後に彼の現実を嘲笑うために。花はどれ人間の訛りのあるアクセントのややちがった植物語で、 ああ あざむ もこれも三分の一だけ開いてしなびた。ー噫、病気だ。 「全くわれわれは欺かれた」 と言っているものがあるのに気づいた。薔薇は目をあけ あたり 新らしき恐怖 て四辺を見た。姿はどこにもなかった。 ある 録或日、一群の女たちが興奮しながら我勝ちに店のなかへ「誰です、僕に話かけたのは」 しなぎれ 入込んで来た。主人も二人の店の女たちも口々に品切だとすると声はごく近くの壁のあたりで答えた。 ら言ってあやまりながら、熱心なたくさんの客たちをかえし「一たい君は誰だ」 した。そうしててて店を閉じ、本日休業の札をかかげた。 「僕は薔薇科に属する植物だ」 ろうばい 「それではお前も、近ごろ人間から変形したひとなのだ の店の者たち、特に主人は狼狽してふさぎ込んでしまった。 薔薇にはこの一場の異様な光景の意味がよくわからなかつね」 たが、聞くところを適当につぎ合せるとこうである。その 「そうです」 世界に不思議な恐ろしい病気がこの都市で発生し、若い女「そうして一たいお前さんは幸福か」 たび しつつい せんりつ

5. 現代日本の文学13:佐藤春夫 集

ていたが、その自殺者として彼は、適当な処置によって、 この老人は実に不思議千万であった。どうしてこんな所 交通整理車に連搬され、地下道に掃き捨てられたに違いな にたったひとりで生きているのか、それが第一に判らなか っこ 0 、刀十ー った。その上にこの人は何事でも知っていた。彼等は次の 「わたしもその一人なのだ」老人は言った。「今日の社会のような問答をした 状態では有料散歩道以外のところを乗物に乗らないで歩行「お前のいたところは真暗だったかい」 するぐらいな人間は、自殺志望者と見做されているよ。無「いし 、え。少しは明るかったの、・ほんやりと」 理もない事だ。あの道路を、どんな注意を払ったとしても「お前は婦人というものを見たことがあったかい」 車に轢かれずに三メートルと歩行出来る筈はない。それを「婦人って、どんなもの ? 小 父さん」 承知しながら、そこに出ているということは、その決心の「知らないのか。それじや見たことが無いのだろう。お母 有無にかかわらず自殺志願者に違いないわけだ。そうしてさんも無論知らないのだね。婦人はどんな人だって地下の いわゆる すいころ・ ここへは毎日無数の所謂自殺遂行者たちが連ばれて来る十階以下には決して住んではいないよ。ーーー特別にいい職 き娶っ くだ よ。そのなかに無論お前のように単に気絶したにすぎない業があるからね。それでお前、何かい。空気は管から毎日 たんねん だけの人も随分あるのだ。わたしも丹念にそれを拾い上げ吸ったかい ? 」 ては助けてみる。しかし誰も満足には回復しない。もう今「ううん。時々なの , ー、・随分おいしかったの」 までにさんざん衰弱し切っている連中ばかりだからね。こ 「うむ。するといろいろ考え合せて、お前の住んでいたの こにいる人たちもせつかく拾い上げてはみたけれど、もうは多分地下の三十階附近だったらしい。わたしは地上の一 録みんな駄目なのだ」 階から十九階までは知らないけれどもその外ならば知らな いところは無いのだからね。 言いながらその老人は、彼を抱き上げて、それを片隅に ら置き直し、それからこれは彼にも以前味ったような気のす老人はどうしてだか知らないけれども大声でながい間ひと しる食用瓦期の。 ( イプを彼のロに当てか . った。そうして老人り笑った。それから「それにしてもお前はきっと随分とい い生れなのだね。実際、出産税はおそろしく高い。それを のは彼以外の人間を抱いて、ひとりびとり下の方へ投げた。 その度に、ものを吸込むらしいゴオというすさまじい音が満足に払えるのは地階の二十階までがせいぜいだ。その外 四地の下の方でうなった。眠っている者と思った人たちは、 の階級ではただ社会税を支払って捨子をするより仕方のな みんな死人であったと見える。 い世の中だからね。地下三十階に捨子をするために支払う たび あじわ

6. 現代日本の文学13:佐藤春夫 集

いかだ乗りなど危険千万な労働者を利用して営利をほしい 聞けば崎山は水の手の岸まで舟で行って、あとは河原を走 ままにするのは不当であると考えて、材木などはどんどんって往復し、水の手河原に引上げて置いた・ハッテラでまた 切って川のなかへ流し込めば、自然とどこか川岸になり海かえって来たのだろうと成石さんは言う。 岸になり流れつくものだから、それを勝手に拾わせ使わせ僕はその着物をひっかけて、夕日をまぶしがりながらタ とな かんどう たがいい、という説を唱えたため、家から勘当を受けたと飯前に家へ帰った。 いう話で、その事は今、沖野さんが小説に書いていると聞その夜、三年と四年の生徒が三、四人こっそり来て、五 もとの同級 いているが、ドクトルさんの社会主義にはその兄さんの志年生が休校に加盟しないため効果が挙らない。 を継ぐようなものもあるのであろう、と言う。 生のなじみもあり、五年生の加盟を僕に勧誘説得せよと言 あやっ 木馬乗りとは切り出した材木の上に乗って木馬道を操りうが、僕は五年生のめいわくを思い、謹慎中同盟休校には ながら川まで運び出す間に、木馬から落ちて脚を折ったり 一切関係したくない、 とはっきり断わった。 腰を砕いたりした半死半生の怪我人がよく父の病院にかっ ぎ込まれるのは、僕も見て知っていると言うと、成石さん 校舎炎上 ( 三一 はさらにいかだ乗りの話をつづけて、 「いかだ乗りも命がけの仕事で、若いうちはまだいいが、 かばかりの日当のその日暮しで年を取ってはリュウマチ などが起ってとても一生働ける仕事ではない。い わば毎日 命をけずり元手をすりへらしながらの仕事で、まあ、あら謹慎中の僕は、同盟休校に関与しないと言ったのを学校 かんこく ゆる労働者の気の毒さのいいひながたみたいなものです。を怖れての態度と見たか、もう一度同じ勧告に来て、人々 ろうきゅう 代 たす そうごふじよ むく 時それでそういう老朽のいかだ乗りを援けるための相互扶助の同情に対して、酬いるところが足らないと言うから、僕 ばのような組合も考えてみているのですが」 はだれにも同情してもらいたくないのだと言わざるを得な ん などと話しているところへ、崎山が・ハッテラを漕ぎ寄せかった。 ながら、 毎日の退屈のあまり、いっ解けるとも知れないこの休学 中に、家から脱出して、いっそ東京へでも行きたいと思っ 「着物はこれだろう」 たびたび ていたところへ、この度々の同盟休校からの交渉のわずら と、白がすりをふりかざして見せる。それに違いない。 けが おそ ( 121 ) かんよ ー一二四 ) あが

7. 現代日本の文学13:佐藤春夫 集

つじつじ から、町の辻々に文芸講演会の宣伝ビラが大きくはられ横町河原に仕立てられていた舟は、客を迎え入れると、 おとも て、 三だん帆をあげ、海からの風を受けて乙基の瀬まで一気に 川をさかのぼり、そこで帆をおろして御舟島まで来て島か 裸体画を論ず 石井柏亭 げに船を寄せた。 生田長江 文壇の近況を この島は十一月十六日に速玉神社のご神体が一時ここに 新しい詩歌に就て与謝野寛 とぎよ そうもろてぶね という演題と講演者の名とが墨汁の色あざやかに見られ渡御あるのを祭って、町の若者らが十艘の諸手舟でこの島 きようそう の周囲を三度漕ぎまわって後、川口へ競漕すると案内役が 島の名の由来を説明し、ポートレースというよりはいっそ 舟合戦にも似たこの珍らしい舟祭のありさまなどを語って たんたん 勝浦港から新宮まで一一十キロの人力車による道は、坦々 とっくられた県道であったが、山坂が多くて車夫を悩まし少しく川を漕ぎ下って亀島の影の淵になって水の清らか たから、車夫たちはみな大を先引きに使って、やっと労をに風の涼しいあたりで食事をとった。 ふなだ 補っていた。 ( この大車は後に地方の事情に通じない知事食後、すぐ近くにあった支流の鮒田川にさおさして少し ぎやくたいめいぎ によって、動物虐待の名義で禁止された ) 車夫の労苦は多くのぼってみたが途中からすぐひきかえして中州の河原の かった。しかし道は多く山の中腹を縫って走り、白菊浜附うらを成川の岸に沿うて、柏亭の画材をさがすにまかせて 近の波と岩とに変化の多い海岸を見おろして、車上の客にしばらく舟を流していたが、柏亭は思わしい場所を見つけ は飽きないながめであった。 なかったものか、舟をしばらく岸につながせて、歌を案ず あさすず たいじん 代朝涼のうちに旅館に入った東京からの三人の旅人は、正る与謝野大人や、案内の青年と談論を戦わしている長江に 時午に近づくにしたがって追々とはげしくなる南国の屋内のはかまわないで、柏亭はひとり、舟ばたによりかかる美妓 たえ ゆかた そっきようてき せんす ・ほたんの浴衣すがたを即興的に水彩画で写生していた。 ば暑さに堪えないのか、扇子を持った手の休むひまもなく、 日ざしもややうすらいで、夕日が城壁の西側を赤くそめ わ絶えず額の汗をぬぐう有様に注目した講演会の主催者は、 たんかくじようし 三人の講師のために、宿に命じて昼の食事を川舟に積み込た丹鶴城址を見ながら、半日の舟遊びに、今日の暑さと連 ゅうげしたく ませ、町の美妓ぼたんと言うのを給仕人にして、三人の先日の旅の疲れとを忘れた講師の先生たちは、タ餉の支度の 生がたを水の上に誘った。 待っている宿に帰った。 こ 0 ぼくじゅう

8. 現代日本の文学13:佐藤春夫 集

とな 猫は毎日毎日外へ出て歩いて、濡れた体と泥だらけの足散に吐鳴り立てた。その声が自分の家のなかで坐って居る かえる とで家中を横行した。そればかりか、この猫は或る日、蛙彼の耳にまで聞えて来た。この中老の婦人はこの大どもの くわ を咥えて家のなかへ運び込んでからは、寒さで動作ののろ主人が、他の村人のように彼の女に対して尊敬を払わぬと かねがね くなって居る蛙を、毎日毎日、幾つも幾つも咥えて来た。 いって、兼々非常に不愉快に思って居たからであった。最 妻はおおぎように叫び立てて逃げまわった。いかに叱っても奇妙なことには、彼の女は彼等夫婦が何も野良仕事をし も、猫はそれを運ぶことをやめなかった。妻も叫び立てるないという事実に就ての彼の女自身の単純な解釈から、彼 娶いたく ことをやめなかった。生白い腹を見せて、蛙は座敷のなかの女の新しい隣人が何か非常に贅沢な生活でもして居るも で、よく死んで居た。猫は家のなかを荒野と同じように考のと推察して居たものと見える。こういうわけで、発育盛 ひき くさりつな えている。そうして家のなかは荒野と全く同じであった。 りの若い二疋の大は、毎日鎖で繋がれねばならなかった。 ひき 或る日。彼の二疋の大は、隣家の難を捕えて食って居る彼は始めの数日は自分で自分の大を連動に連れて行った。 さくだい ところを、その家の作代に見つかって、散々打たれて帰っ二疋の犬を一人で牽くのは仲々にむずかしかった。それに て来た。その隣家へ、彼の妻がそれの詫びに行ったところ傘をもささねばならなかった。道は非常に濘って居た。ど なかだいじん ひまじん が、円滑な言葉というものを学ばなかった計舎大尽の老妻うせ遊んで居る閑人だ、運動なら自分で連れて歩け・ : : ・と つな 君は、案外な不機嫌であった。犬は以後一切繋いで置いて言った言葉を思い出すと、彼は歩きながら悲しげに苦笑を とう 貰いたい。運動させなければならぬならば、どうせ遊んで洩した。若い大きな大どもは五町や六町位の運動では、到 居られる方ばかりだから自分達で連れて歩けばいい。庭の民満足しなかった。それに彼等は普通の道路を冊うて、そ おういっ あみち なかへ這入っては糞をしちらかす。田や畑は荒す。夜は吠のなかへ足を踏み込むと露で脛まで濡れる畦道の方へ横溢 えてやかましい。そのために子供が目をさます。その上にした活気でもって、その鎖を強く引っ張りながら、よろめ つい一週間ほど前から卵を産み始めたばかりのいい難などく彼を引き込んで行った。わけても闘犬の性質を持った一 を食われてたまるものではない。 まるで狼のような大だ。 疋は非常な力であった。それらの様子を、隣家の老妻君は 若し以後、庭のなかへ這入るような事があったならば、遠家のなかから見て居そうに、彼は思った。実際そんな時も たくさん かんしやく 慮はして居られないから打ちのめす、家には外にも沢山のあった。運動不足で癇癪を起して居る犬どもは、繋がれな げつこう 難があるのだから。と何か別の事で非常に激昻して居るらがら、夕方になると、与えた飯を一口だけで見むきもせず おび しい心を、彼の犬の方へうっして、ヒステリカルな声で散に、ものに怯えて、淋しい長い声で何かを訴えて吠え立て にわとり おおかみ さび すね ぬか

9. 現代日本の文学13:佐藤春夫 集

送ったものであった。 前には門下の三人の若い歌人をつれて来た与謝野氏は今 その年 ( というのは僕の中学五年 ) の夏のはじめ、「は度も三人づれというが、ともに新詩社の同人で、一人は当 まゆふ」同人の大人たちが新聞雑誌縦覧所を後援として、時、を望されていた洋画家の石井、もう一人は めいしゅよさのかん 新詩社の盟主与謝野寛氏に頼んで、町で文芸講演会を催す新進の評論家として売れ出しはじめていた若い文学士の たちょうこう 田長江であった。 ことになった 0 はっきにん 本来なら、こういう催しにはいつも僕の父なども発起人町ではこの三人を講師に文芸講演会を一タ催して、お礼 どろ には瀞八丁や木の本海岸の鬼ケ城など郷土人自慢の名勝を に加わるのであるが、この時、父は北海道の土地管理人が んごさく 心ゆくまで見物してもらおうというのであった。 山林を勝手に伐って売り払った事件の善後策のため町には 、よ、つこ 0 し十 / 、刀ー この二年ほど後、僕の毎日見飽きていたお域山の本丸か 与謝野氏はその = 一年ほど前にも一度、熊野に来遊した事ら川口を遠望して、可神社の森につづく蓬山を前景に があって、この近世の大歌人は、 池田や小浜あたりに林立していた和船の帆柱が柏亭の筆に 写された「滞船」が、その年の秋の文部省展覧会の入賞作 丹塗舟錨帆の綱、ふかのひれ、にほふ浜・ヘに、は まゆふの咲く 品となって、今までは一部の識者だけが注意していた石井 その風物とこの郷土の歴史とを愛して再遊の約があった柏亭の名は、一時に一般の人々に知られるようになった。 そのころも、まだ汽車のなかった熊野へは大阪の天保山 ため、この講演会の企てになったのである。 そのはじめの時は、僕の中学二年の秋であったが、僕がから毎日午後四時ごろに出る五百トンほどの汽船が急行船 たなべ みさき と称して、和歌浦と田辺とにだけ寄港して、日の岬、潮の 登校してたまたま校門に入ろうとした時、新聞で知ってい たその人々らしい洋服の四人づれの様子に気づいて、僕は岬など動揺のはげしい海上の一夜の後に、勝浦港には朝早 急いでもう一度校門に出て、通りすぎたばかりの人々の、 く着いて、港の入口のまだ進行中の船の甲板上からは那智 一人は特に長身な先生のあとに従ってやや小柄な三人 ( この滝が、杉木立にみどりの黒い山中に一本の白く光る棒の ちのしようしよう れが吉井勇と北原白秋に茅野蕭々という三人の門弟と聞ように見えるのが、旅人の目ざめたばかりの新鮮な眼をた いていた ) の、菜の花畑に沿うたまっ直ぐな道をだんだんのしませるのであった。 遠ざかって行くうしろ姿を道が曲って見えなくなるまで見町では三人の講師の到着を待ちかねて、その前日あたり にぬり もよお うら、

10. 現代日本の文学13:佐藤春夫 集

した。そうして明日は何かよい木を捜し出さねばと、毎日た。住む人が無ければ、家は荒するばかりである。たと ぼたん 毎日、土いじりに寧日がなかった。春には牡丹があった。 い二円でも一円五十銭でも、家賃をとって損になることは すいせん 夏には朝顔があった。秋には菊があった。冬には水仙があない、と校長先生の考は極く明瞭である。ところが、田舎 めかけ のきば った。そうして、彼の逃げて仕舞った妾の代りに、二人のでは大抵の人は自分自身の家を持って居る。たとい軒端が あおごけ くずれて、朽ち腐った藁屋根にむつくりと青苔が生えて居 十と七つとの孫娘を、自分の左右に眠らせた牀のなかで、 ふけ あばらや この花つくりの翁は眠り難かった。彼は月並の俳諧に耽りるような破家なりとも、親から子に伝え子から孫に伝える 出した。 自分の家を持って居た。どんな立派な家にしろ、借家をし ちょうど 隠居は死んだ、それから丁度一年経った後に。彼は、こて住まねばならないような百姓は、最後の最後に自分の屋 わず うして集めた花の木のそれぞれの花を僅かばかり楽しんだ敷を抵当流れにしてしまった最も貧しい人々に決って居 ばかりであった。そうしてその家は、彼の末の娘と共に村た。かくて、あの隠居が愛する女のために、又自分の老後 の小学校長のものになった。村の校長はこの隠居の養子だの楽しみにと建てたこの家は実に貧しい貧しい百姓の家に ちゃがま ぬけめ ったからである。すると抜目のない植木屋があって、算術化してしまったのである。隠居が茶の間の茶釜をかけた炉 には、大きないぶり勝ちな松薪が、めちやめちゃに投込ま てんじようじゃま の四則には長けて居り、それをの算盤に応用することに も巧ではあったけれども、美にては姆何なる種類のそれれて、その煙は田舎家には無駄な天井に邪魔されて、家か にも一向無頓着な、当主の小学校長をたぶらかして、目・ほら外へ抜けて行く路もなかった。そうして部屋を形造った もくれんたまつばき しい庭の飾りは皆引抜いて行った。大木の白木蓮、玉椿、壁、障子、天井、畳は直ぐに煤びて来た。気の毒な百姓の たてこも かえ はなさくろ きようちくとう まきかいどう 一家は立籠った煙などを苦にしては居られない。反ってそ 槇、海棠、黒竹、れ桜、大きな花柘榴、梅、夾竹桃、 れから来る温さに感謝して、秋の、冬の長い夜な夜なを、 いろいろな種類の蘭の鉢。そうしてそれ等の不幸な木はか わらじ くも忙しくその居所を変えなければならなかった。土に慣繩を綯うたり、草鞋を編んだりして、夜を更かさねばなら とどこお つき れ親しむ暇もなかった。こうしてそれ等のうちの或るものなかった。屋賃は四月目五月目位から滞り出した。畳は こんせき た すり切れた。柱へはいろいろな場合のいろいろな痕跡がい は、為めに枯れたかも知れない。 しもごえ 小学校長は、ちょうど新築の出来上った校舎の一部へ住ろいろの形に刻みつけられた。「せめては下肥位はたまる かか んだ。自分の貰ったこの家は空家にして置いた。そうしてだろう」と校長先生が考えたにも拘わらず、校長先生の作 居るうちにこの家を借り手があれば貸したいと考え出し男が下肥を汲みに行く朝は、其処は時もからっぽだっ た ねいじっ らんはち た そろばん とこ わら