自然 - みる会図書館


検索対象: 現代日本の文学13:佐藤春夫 集
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1. 現代日本の文学13:佐藤春夫 集

鏡をかけて見れば、あの校長ねずみの歌 ( 町では近ごろ子りまで、人目につかないところばかりを、僕は孤独な心情 なぐさ しよう娶ん 供まで面白がって歌っている ) だって、何びとが作ったかを抱いて慰むすべもなく悄然と歩きまわっていた。 知らないが、それも僕の作らしく見えるに違いない。 掀呼しく晩夏の野山には花も、常緑樹の若葉の香気もな 面と向っては学校にめいわくをかけて、すまなかったと かったが、風だけはすがすがしく涼しく、ダンはいつも僕 わびておきながら、かげではこういう騒動をたくらんでいの声からは離れず、与えるものもない僕の愛撫を喜んだ。 しんしよう たと思われるのでは学校の心証も悪かろうが、僕だって心 また自然は人間の孤独をなぐさめて余りあるもので、お 外である。しかしそういう誤解も起りそうないまいましい昌ちゃんのおもかげは行くさきざきの自然のなかにさまざ 事態になっていた。 まな形で在った。例えばあの瞳の黒さで小石がぬれたなぎ ストライキは思想の擁護か、それとも僕に対する同情のさに落ちているのが見られたし、そのささやきは林間の露 つもりかとも思われるが、生徒にとっては面白ずくのわる草に埋もれた流れのせせらぎの奥に聞かれた。 ふざけで、僕にはまことに有難めいわくなヒイキの引き倒今になって思えば、僕があの時ひとり歩きまわったのが しみたいな次第であった。 自然のなかだからよかったようなもののもし都会の映画館 教頭はまた皮肉らしく、まあ面白い文学書でも読んで、 などであったとしたら、そこらに同類がいて、僕はきっ きんしん 家で謹慎していたまえと言っていたが、家にある限りの面と、いつの間にか不良少年の仲間になっていたであろう。 白そうな本はみな読み尽して、身辺には一冊もない。新たこれを思えば、こんな場合自然のなかに没入していた僕は に買い入れることは不可能である。 幸福であった。 町の中を歩きまわれば、人々が非難がましい眼を僕に向 しかし自然がどんなによくとも、人間にはやはり人間の けているような気がするし、学校でも不謹慎と言うに違い友達の声が必要だから、僕は「はまゆふ」の歌会にだけは 時ない。 こっそり出席して、みんなに珍しがられ、そうして、 ・ま 思ふこと少し教へにたがふらんふるさと人らわれ こういう退屈はやがて不平に変質するのである。 を鞭うつ わ僕は所在なさに、ダンをつれてうら山から以前の戦争地 区一帯を散歩しまわって、憂さはらしにし、だんだん範囲 などと詠んだ。その帰り路を、崎山に会いたくて仲 / 町 をひろげて行って熊野地の田ん・ほ、王子ケ浜、坊主山附近に出て縦覧所に立寄ったが縦覧室の灯は消えていた。二階 きゅうりようひろつの 一帯の丘陵、広角、三輪崎に通ずる御手洗海岸の旧道あたを大声で呼んでみたが、崎山は留守なのか、返事はなかっ みたらい むち ひとみ

2. 現代日本の文学13:佐藤春夫 集

万やむを得ない場合は何かしゃ・ヘってもよい気になったと しかし、この一場の駄弁がはしなくも町を意外な大動乱 見て取ったものか、苦しまぎれの幹事は、そのまますたすに導き入れるロ火を切ったような結果になってしまった。 たと壇上に登って行くと、 「 : : : 東京からの先生方は、途中ご休息のゆとりもない強 とっぺん 行軍のお疲れを回復のため、来場が今しばらくおくれる。 僕の訥弁のせいもあったろうが、それよりも聞いたやっ その間を番外に臨時の少年弁士として皆さんもご承知のの頭の程度の方がも 0 と疑わしか 0 た。僕がわざわざ自然 主義文学の解題と断っておいたにもかかわらず、それを僕 と僕の名前が発表されてしまったのであった。今度のお自身の信条であると聞き取ったばかりか、そのころは一般 座なりの拍手は僕を迎えるものである。 にかなり広く使われていた虚無的という言葉の意味も知ら こう追い込まれては是非もない。何しろ僕は数え歳十ずに、それをロシャの虚無党まがいの過激な破壊主義と解 六、七の無分別、ナマイキざかりであったし、折から父の釈したのだからかなわない。そればかりか、そんな過激な きつもん 不在に羽根をのばしていたうえ、全然不可能ときまってい思想の学生を養成した学校長の責任を問うと詰問状を学校 ない限りは、何事にもぶつつかってみるという積極的な性に寄せた一聴衆があったというので、学校は僕に無期停学 どきよう 分で、いざとなると我ながら割合にいい度胸であった。 の処分をした。 たんどく ( しかし進んで登壇したというのはでたらめである ) 僕は学校が禁止している文学書を耽読した証言のような けんせき 満場の人にも気おくれせず、そのころ、世上一般の誤解講演をする以上、学校の譴責ぐらいは覚悟して、むしろ学 の種になっていた自然主義文学に対する解説を今までの義校の無理解に反抗の気分もあったのだが、無期停学と聞い 代理人情や表面的な世相を美しい文章で書くだけでは満足せては抗議せざるを得ない。僕の話が故にか偶然にか聞き きよぎ 時ず、一切の社会制度の虚偽から人間を解放し、百般の因習ひがめて伝えられたのを講しく説明すると学校もそれはわ ふけ ばと世俗的な権威を無視した無に立って、天真のままの かったというが、かねがね禁止の文学書に読み耽るばかり んせきらら けいそっ わ赤裸々な人間性と人間生活を探求するこの文学は、単に文 か、軽率にもそんな誤解されやすい題目を、学校の許可も 学というより真実を求める一つの新思潮である。 なく公開の演説をして学校に迷惑を及ぼした罪は免れま と、生わかりなお談義を、それでも二十分あまりしゃ・ヘ い、と無期停学は依然として改めてくれない。 りつづけて講師が来るまでの穴ふさぎの目的は果した。 しかし、聞けば、その場の行きがかりでしでかした事情 べんし

3. 現代日本の文学13:佐藤春夫 集

囲三、四百メートルの広さ一ばいに浮んだいかだの上をは 隷属する土地となってしまった。 すきま 新宮は信仰の時代には信仰の中心に、武家の時代には武ねまわったり、その隙間を泳いだり、下に潜むは・せや手長 そうくっ 家の巣窟に、商業の時代には商家の市街にと、自然に転々えびを釣ったり、子供には変化に富むこの上なく楽しい水 と変って行った幸運に対して、熊野地はどこまでも自然の上公園である。 飃にしつっその支配下にある古風な人里のままで残 0 坊主山もまた下熊野地の一角にある田畑につづく芝山 こふん で、もと砂丘の変化したものか、あるいは古墳でもある たのである。 一方はおさむらいとだんな衆の町なら、こちらは農家やか、ひさごなりをした丘のなだらかな斜面の谷は、芝スキ 漁家 ( どちらもささやかなもの ) それに働き人の住む土地ーにおあつらえ向であったから、若草のもえそめる早春の がっぺい になって、たまたま隣り合せて合併されているため、相互ころから、子供が最も喜ぶ天然の遊園地であった。 関係はさらに複雑である。都会人が田舎者を軽んじるよう繁な新宮の町なかとは違って熊野地には自然がまだ豊 に、また田舎人が都会人を憎むような感情が、いっしかおかに残されていて、四季ともに子供の遊び場がこのように 多かったから、新宮の子供らも群れ争って熊野地に遊びに 互いに意識の下深く潜んでいた。 明治十年前後の封建的気分のまだ抜けきらない当時、五出た。 つの小学校を三つからさらに一つまで切りつめた時にもこ崎山栄が新宮の子供らの我もの顔なのを追い退けて熊野 こに特に分校を設けたのも、両地の物秕しない感情をみて地の子供のために遊び場を守 0 たのも、第冖小学校の児童 と 0 ての処置であったろう。分校を独立校にしたのも、分らが第二から転校の崎山を疎外したのも、れも地域的な 校では満足しない熊野地の感情を尊重したものに相違な小感情による冷たい戦争 ( 世界の大国もすなる ) であっ 時熊野地は新宮と大差ない、あるいはそれ以上の広さを持 つにかかわらず、田園や川に近い湿地などのため人家はま - 」すう なお当時の学制は小学校を尋常と高等の二科に分ってそ んばらで、戸数も少なく小家がちである。 ちょぼく 木場は川口に近く、製材工場に隣している。その貯木はれぞれ四年制で、科別に学校を設け、高等小学は卒業せず しゅうりよう ぐら いわば工場の材木蔵であり、また上流から来たいかだの港ともその二学年を修了すれば、五年制の中学校へ入学の でもある。やっといかだを浮べるだけの深さ三、四尺、周資格は得られたものであった。それで、業なども高等小学 、 0 ひそ そうご 」 0 まん、

4. 現代日本の文学13:佐藤春夫 集

むし のづら 志が、自然の力を左右したようにも考えた。寧ろ、自然の純な鳴りものの一生懸命な響きが、夜更けまで、野面を伝 すいこう 意志を人間である彼が代って遂行したようにも自負した。 うて彼の窓へ伝わって来た。この村に帰省していた女学 そこ 藤蔓が其処に生えて居た事は、自然にとって何の不都合で生、それは >A 市の師範学校の生徒で、この村で唯一の女学 もなかったであろうに。とにかく、最初に人間の手が造っ生は、夏の終りに、彼の妻と友達になったが、間もなく喜 た庭は、最後まで人間の手が必要なのだ。彼は漫然そんなばしそうにその学校のある都会へ彼の妻をとり残して帰っ て行った。 ことを思って見た。 それにしても、あの薔薇は、どう変って来るであろう彼の狂暴ないら立たしい心持は、この家へ移って来て後 ようや か。花は咲くか知ら ? それを待ち楽しむ心から、彼は立は、慚く、彼から去ったようであった。そうして秋近くな おのすか 上って歩いて行った。薔薇を見るためにである。それの上った今日では、彼の気分も自ら平静であった。彼は、ち にはただ太陽が明るく頼もしげに照しているほか、別に未ようど草や木や風や雲のように、それほど敏感に、自然の はず だ何の変りもないのは、今朝もよく見て知って居る筈だっ 影響を身に感得して居ることを知るのが、一種の愉快で誇 ともしび たのに。 りかにさえ思われた。この夜ごろの燈は懐しいものの一 こうして幾日かはすぎた。薔薇のことは忘れられた。そっである。それは心身ともに疲れた彼のような人々の目に ゆか うしてまた幾日かはすぎた。 は、柔かな床しい光を与えるランプの光であった。彼はそ のランプを、この地方へ来た行商人から二十幾銭かで買っ た。その紙で出来た笠は一銭であった。けれどもそのラン -1 はくかたまり 自然の景物は、夏から秋へ、静かに変って行った。それプのガラスの壺は、石油を透して琥珀の塊のように美しか いちはや むらさきすいしよう を、彼ははっきりと見ることが出来た。夜は逸早くも秋に った。或る時には、薄い紫になって、紫水晶のことを思 こおろぎ くつわむし 鬱なって居た。轡虫だの、蝋だの、秋の先駆であるさまざわせた。その燈の下で、彼は、最初、聖フランシスの伝記 と - 」 åまの虫が、或は草原で、或は彼の机の前で、或は彼の牀のを愛読しようとした。けれども彼は直ぐに飽きた。根気と すん・こう 下で鳴き初めた。楽しい田園の新秋の予感が、村人の心を いうものは、彼の体には、今は寸毫も残されては居なかっ 田 浮き立たせた。村の若者達は娘を捜すために、二里三里をた。そうしてどの本を読みかけても、一切の書物はどれも 涼しい夜風に吹かれながら、その逞しい歩みで歩いた。或これも、皆、一様に彼にはつまらなく感じられた。それば る者は、又、村祭の用意に太鼓の稽古をして居た。その単かりか、そんな退屈な書物が、世の中で立派に満足されて よふ

5. 現代日本の文学13:佐藤春夫 集

1- 上堀ロ , 大学 ( 左 ) の還暦祝いの時 左孫長男 ( 7 歳 ) とともに ( 昭和 28 年夏 ) 心境派の人々の灰色な単調さと正反対に、近代芸術家 の感受性の多様と、ニヒルの底にある絶望的な美への 憧れとに満ちたものである。此の性格はも早や単に生 たんび れ乍らの耽美精神や何かでなく、近代文芸の教養と共 感に浸された所の、従来のものとは種類の違ったもの である。そういう意味で『田園の憂鬱』と『都会の憂 鬱』の出現の意味は大きい」 「田園の憂鬱」が最初に構想された大正五 5 六年頃と いえば、それまで文壇で勢威をふるっていた自然主義 の傾向があきられ、新しく技巧や心理や耽美的なもの へ傾斜した時期にあたる。南国の風土に培われた佐藤 春夫の詩魂は浪曼的な抒情へむかい、反自然主義的な 傾向を内包していたが、「田園の憂鬱」によって、そ けんげん の求める美を顕現したといえる。「愚者の死」を書い て深く沈潜した作者は、「田園の憂鬱」において生き る目的を見出すことのできない倦怠がどこからくるか という問題を、論理の外におくことによって、妖しい おび ほどの心奧の保えをとらえたのだった。彼はその姉妹 編である「都会の憂鬱」では自然から人間へ、つまり 現実の諸問題へたちもどり、大都会の陽のあたらない 片隅に無為の生活を送る文学青年と、無名の女優との ざせつ 人間関係を、挫折した文学者と対応させてあっかって 5 きんみつ いる。「田園の憂鬱」がもっ散文詩的な緊密さは失わ あや

6. 現代日本の文学13:佐藤春夫 集

花 「みな黙りなさい。先生はよいと思うようにします。お前 この尾山瑞枝さんに対抗するほど美しいと見られていた さしす もう一人は、丹鶴城主水野氏の一族でその家老職から後にがたの指図は受けない」 とうどり 町の主な銀行頭取になった人のむすめで、これは尾山家の ほうえん むすめの豊艶型とは反対に楚とでもいうのか、同じ色白 でも大形ではなく中背のやせ形、骨組もきやしやで腰細の , 北先生は小事件のあったその日、放課と同時に、児童 なっとく タイ。フ。かれをあでやかな春の花と見るならこれはゆかしたちを一応納得させるつもりで、崎山を教員室へしよびい てんけい よろん い秋草ともいうべき美人の二つの典型と見るべきもので、 て行ったが、児童らの輿論がもう十分崎山を罰している。 ちょうかい 今になってこれを思い出すと、子供もまた異性の美に関しあの社会的制裁を感じないほどなら懲戒を加えてみてもむ かんしきがんそな しんみよう ては相当な鑑識眼を具えて、決して・ハ力にはならないもの だだ、と考えていたところへ、崎山が神妙に、 のように思われる。 「先生すみません。わたくしの不注意のため全級をさわが こういうわけで素しているものを、暴漢によ 0 てせてしまいました。しかしわたくしはほんとうに何も気が ぶじよく いきどお 侮辱されたというような許しがたい憤りが全級の児童に湧つかないでしたことでした。尾山さんの入るところを見す きみなぎって、 ましていたなどとは、まるつぎりのうそです。わたくしは うそは決していいません。だから他人のうそも許せません」 「先生、崎山を太鼓部屋へ入れて下さいー」 というのを聞いて先生はしつかりうなずき、 という声が口々に叫ばれた。その間に崎山は最初偶然で せつかち 「うそと本当とは時がたてば、自然とはっきりする。性急 すと一言いったきり、後は一言もいわなかったし、女児た とうわ ~ 、 に争ってはならない」 ちはみな当惑けな中でも当の問題の主は、先生から、 さと とまずそう論し、それから言葉やわらかに一時間あまり 「尾山さんは、崎山がわざとしたと思いますか。それとも かくべっ じちょう 崎山の自尊心に訴えて自重をうながしただけで、格別しか 偶然でしようか」 しゅうし といわれても返事もなく、ただ顔をあからめ、終始うつりもしないで、家に帰したと、僕は後日崎山から聞いた。 その日お堀の水をながめていた僕は、家の窓の下を、タ むいて、美しい眼にたもとをあてていたのを、僕はふり向 日に長い自分の影をふみつつ、しょんぼりとひとり、戸坂 いてちらと見た。 口々に叫ぶ児童たちに対して川北先生はついに声を高くを登って行く崎山のうしろ姿を見つけたものであった。 その翌朝、崎山はきっとタ方おそくまで、太鼓部屋に残 していい放った。

7. 現代日本の文学13:佐藤春夫 集

240 ばかりに有用なものになって、薔薇はこうしてまでその生げ吸い込んで・ーー・それらの美しい文字の幻を己の背後に輝 存を未だつづけて居なければならなかった。 かせて、その為めに枝もたわわになるように思えるほどで 薔薇は、彼の深くも愛したものの一つであった。そうしある。それがその花から一しおの美を彼に感得させるので むしはなは て時には「自分の花」とまで呼んだ。何故かというに、 こあった。幸であるか、いや寧ろ甚だしい不幸であろう。彼 の花に就ては一つの忘れ難い、慰めに満ちた詩句を、ゲエの性格のなかにはこうした一般の芸術的因襲が非常に根深 そうび テが彼に遺して置いてくれたではないかーーー「薔薇ならばく心に根を張って居るのであった。彼が自分の事業として りくっ 花開かん」と。又、ただそんな理窟ばった因縁ばかりでは芸術を択ぶようになったのもこの心からであろう。彼の芸 うじよう なく、彼は心からこの花を愛するように思った。その豊饒術的な才分はこんな因襲から生れて、非常に早く目覚めて こと さかすき な、杯から溢れ出すほどの過剰的な美は、殊にその紅色居た。・ ・ : それ等の事が、やがて無意識のうちに、彼をし めくるめ の花にあって彼の心をひきつけた。その眩量くばかりの重てかくまで薔薇を愛させるようにしたのであろう。自然そ い香は、彼には最初の接吻の甘美を思い起させるものであのものから、真に清新な美と喜びとを直接に摘み取ること った。そうして彼がそれを然う感ずる為めにとて、古来を知り得なかった頃から、それら芸術の因襲を通して、彼 多の詩人が幾多の美しい詩をこの花に寄せて居るのであっはこの花にのみはこうして深い愛を捧げて来て居た。馬鹿 た。西欧の文字は古来この花の為めに王冠を編んで贈っ馬鹿しいことのようではあるが、彼は「薔薇」という文字 もっ た。支那の詩人も亦あの絵模様のような文字を以てその花そのものにさえ愛を感じた。 * タアジこく の光輝を歌うことを見逃さなかった。彼等も亦、大食国の それにしても、今、彼の目の前にあるところのこの花の * そうびろ * かんこっこう ひなた 「薔薇露」を珍重し、この「換骨香」を得るために「海外木の見す・ほらしさよ ! 彼は、鸙て、非常に温い日向にあ そうびのみすちゅうしゅういまだほうをえす 薔薇水中州未得方」と嘆じさせた。それ等の詩句の言 った為めに寒中に莟んだところの薔薇を、故郷の家の庭で 葉は、この花の為めに詩の領国内に、貴金属の鉱脈のよう見た事もあった。それは淡紅色な大輪の花であったが、太 っぽみ な一脈の伝統をーー今ではすでに因襲になったほどまで陽の不自然な温さに誘われて莟になって見たけれども、朝 を、ようこ に、鞏固に形造って居るのである。一度詩の国に足を踏みタの日かげのない時には、南国とても寒中は薔薇に寒すぎ うわさ つぼみ いたすら 入れるものは、誰しも到るところで薔薇の噂を聞くほど。 たに違いない。莟は日を経ても徒に固く閉じて、それのみ とげ そうして、薔薇の色と香と、さては葉も刺も、それらの優か白いうちにほのい花片の最も外側なものは、日々に不 おのれ 秀な無数の詩句の一つ一つを肥料として己のなかに汲み上思議なことにも緑色の細い線が出来て来て、葉に近い性質、 のこ また かんび えら はなびら

8. 現代日本の文学13:佐藤春夫 集

なつめなり 去ることは出来なかった。例えば、もとはこんもりと棗形故人の遺志を、偉大なそれであるからして時には残忍に あすなろう しらふ も思える自然と運命との力が、どんな風にぐんぐん破壊し に刈り込まれてあろうと思える白斑入りの羅漢柏である。 それは門から玄関への途中にある。それから又、座敷から去ったかを見よ。それ等の遺された木は、庭は、自然の らっ 剌たる野蛮な力でもなく、また人工のアアティフィシャル 厠を隠した山茶花がある。それの下かげの灑がある。 鉢をふせたような形に造 0 た霧島躑躅の幾株かがある。大な形式でもなか 0 た。反 0 て、この両様の無な不統一 しな しお きな葉が暑さのために萎れ、その蔭に大輪の花が枯れ萎びな混合であった。そうしてそのなかには醜さというよりも て居る年経た紫陽花がある。それらのものは巨人が激怒に寧ろ故もなく磁たるものがあ 0 た。、この家の新らしい主 たたす 任せて投げつけたような乱雑な庭のところどころにあつ人は、木の蔭に佇んで、この廃園の夏に見入った。さて何 たまっ ! きしゅうかいどう ふよう もくれん て、白木蓮、沈丁花、玉椿、秋海棠、梅、芙蓉、古木のかに怯かされているのを感じた。瞬間的な或る恐怖がふと はぎらん やまき 野槇、山茶花、萩、蘭の鉢、大きな自然石、むくむくと盛彼の裡に過ぎたように思う。さてそれが何であったかは彼 すみや とら ひま あお・こけしだれざくら とこなっはなざくろ 上った青苔、枝垂桜、黒竹、常夏、花柘榴の大木、それに自身でも知らない。それを捉える間もないほどそれは速か あんばい ひらめ いちはっそのた 水の駈くには鳶尾、其他のものが、程よく按排され、人のに閃き過ぎたからである。けれどもそれが不思議にも、精 手で愛まれて居たその当時の夢を、北方の蛮人よりもも神的というよりも寧ろ官能的な、動物の抱くであろうよう じゅうりん かえりみ っと乱暴な自然の蹂躙に任されて顧る人とてもない今日な恐怖であったと思えた。 すさ しばら に、その夢を未だ見果てずに居るかと思えるのである。ま彼は、その日、暫く、新らしい住家のこの凄まじく哀れ どこすみ た仮りに、庭の何処の隅にもそんなものの一株もなかったな庭の中を木かげを伝うて、歩き廻って見た。 あり しろがし ひともと としたところカド冫 ・、、ロこかぶさりかかった一幹の松の枝ぶ家の側面にある白樫の下には、蟻が、黒い長い一列にな りからでも、それが今日でこそ徒らに硬く太く長い針の葉って進軍して居るのであった。彼等の或るものは大きな家 かっ ねんごろ 鬱をぎっしりと身に着けて居ながらも、曾ては人の手が、懇宝である食糧を担いで居た。少し大きな形の蟻がそこらに そろ のにその枝を労わり葉を揃え、幹を撫でたものであったことまくばられて居て、彼等に命令して居るようにも見える。 うわさ えしやく 園 は、誰も容易に承認するのであろう。実は、それの持主で彼等は出会うときには、会釈をするように、或は噂をし合 田 たちどま ことづてたく ある小学校長は、この次にはその松を売ろうと考えて、このうように、或は言伝を托し居るように両方から立停って頭 松だけはこん度の借家人が植木屋を呼ぶときには、根まわをつき合せて居る。これはよくある蟻の転宅であった。彼 ぎようし うずく りもさせ鬼葉もとらせて置こうと思って居るのであった。 は蹲まって、小さい隊商を凝視した。そうして暫くの間、 おびや うち かっ のこ はっ

9. 現代日本の文学13:佐藤春夫 集

か、、 - う にもまして、そこに息づいている佐藤春夫の文学を感 佐藤春夫は満十八歳のときに家郷をあとに上京した ば - フきよう しることだろう。言いかえれば佐藤春夫の作品をとお が、七十歳を越えて筆にした「望郷の賦」では、冬ごと かんつばき して熊野路の自然にふれ、旅情をいやし、そこにひと に南国の故園の日だまりの恋しさがつのり、寒椿に来 - つぐいす みぎわ つの詩情を感得するのだ。自然が先か作品が先か、自て鳴く鶯や初冬の汀に咲く水仙の花を夢にみることが 然が先であることは知りながら、私たちは作品の行文あったと告白しているくらいだ。 彼が晩年ゆかし潟の いんせい をとおして自然を見る目をあらわれる。私は何度か熊 ほとりに草舎をむすび、隠棲したいともらしていたの 野路を訪ねたが、それもっきつめてゆけば佐藤春夫のも、望郷の念がいわせた言葉だったろうか。「熊野路」 薈・うしゆく 作品のふるさとを知りたいという願いからだった。旅一編の紀行は、その故園をしたう心が凝縮したみごと っちか するごとに、作者みすからの望景詩でもあるいくつか さをもつ。そこには父祖九代にわたって培われた風土 はう ~ - うふ の詩篇を読みかえし、「日本の風景」「望郷の賦」「わ感と詩情が脈うっており、作者の心象にうっしかえら んばく時代」「青春期の自画像」などを読みかえした れた郷土望景の素材をなすものであろう。 てんえんゅううつ ものだ。 「田園の憂鬱」のなかにある「すっと南方の或る半島 むろ とったん 紀の南牟婁の郡は の突端に生れた彼は、荒い海と嶮しい山とが激しく咬 黒潮のただよふ渚 み合って、その間で、人間が微小にしかし賢明に生き かたわら 貝からに市兀かがよひ て居る一小市街の傍を、大きな急流の川が、その上に 筏を長々と浮べさせて押合いながら荒々しい海の方へ すいせん 冬知らぬ浦の水仙 犇き合って流れてゆく彼の故郷のクライマックスの多 初春の風にかをりて い戯曲的な風景にくらべて、この丘つづき、空と、雑 ひばワ むらさきに海ぞ煙れる 木原と、田と、畑と、雲雀との村は、実に小さな散文 ( 略 ) 詩であった」という文章は、作者の心象のなかに息づ ふるさとの初春恋し いている熊野路の姿をそのままにものがたったものだ。 若き日の夢のかけらか 作者みずからその一節を紀行文のなかにひいているこ 熊野路の花や貝がら とでも、そのことは裏づけられる。 ぞう

10. 現代日本の文学13:佐藤春夫 集

こそ、未開の山も野も開墾出来るのだ。草創時代の植民地るつもりではなかったつけな : : : 」 はそういう人間を必要としたのだ。役人たちの目の利しナ ド、こ私はいつの間にかひどく酔って来て、舌も縺れては来る ものは、彼の事業を、政府自身の為めに楽しみにしていたし、段々冴えて来ると己惚れていた頭がへんにとりとめが みのが かも知れないのだ。その報酬に悪徳を見逃すばかりか、暗なくなり、ふとロ走った・ーーー「花嫁の姿をして腐っていた には奨励していたかも知れないのだ。その男はちゃんとそって ? よくある奴さ。花嫁の姿をして死ぬ。それがだん れを心得ていた。その遺言が更に面白いではないか。『三だん腐ってくる、か。生きている奴で冷たくなって、だん きんさん 十年すれば』いかに植眠地政治でもだんだん行届いて整 0 だん腐 0 てくるのもある。金簪で飾 0 てさ、ウム」 て来た挙句には、彼が折角開拓した広大な土地を、今度は世外民はこれも亦いつもの癖で、深淵のように沈黙した とが にうぎやく 彼よりももっと大きい暴虐者が出て左右することを見抜いまま、私のおかしな言葉などは聞き咎めるどころか、てん しきけん ていたのだ。何と怖ろしい識見ではないかーー彼は政治とで耳に入らぬらしく、老酒の盃を持ち上げたままで中空を ぎようし いうものの根本義を、まるで社会学者みたいに知っていて、凝視していた。 りやくだっ それを利用したのだ。人のものを掠奪してそれへすっかり「世外民、世外民。この男の盃を持っているところには少 めつき 仕上げをかけて、やれ田だの畑だのと鍍金をするさ、そいっ少魔気があるて」 を売払って金に代える。それから商売をするんだね。全く 商売というものは世が開化した後の唯一の戦争だからね。 もとで 世外民という風変りな名を、私はこの話の当初から何の しかも安全な戦争だーー元手の多い奴ほど勝つに決ってい る。彼は自分の子孫たちに必勝の戦術を伝授して置いたの説明もなしに連発していることに気がついたが、これは私 の台湾時代の殆んど唯一の友人である。この妙な名前はも さ。奴の仕事は何もかも生きる力に満ちている。万歳だ。 譚ところでさ、そのような先見のある男でも、自然が不意にとより匿名である。彼のペンネームである。彼の投稿した さいろく はんも 扇何をするかは知らなかったのが、人間の浅ましさだ。繁茂ものを見て私はそれを新聞に採録した。私は彼の詩ーー無 女していた自然を永い間かか 0 て斬り苛んだ結果に贏ち得た論、漢詩であるが、その文才を十分解したというわけでは はやて ないが、寧ろその反抗の気概を喜んだのである。しかし、 富を、一晩の颶風でやつばりもとの自然に返上したという ざま のだから好いな。態を見やがれさ。ーーするとやつばり因その詩は一度採録したきりだった。当局から注意があっ 果応報ということになるのかな。僕はそんなことを説教すて、私は呼び出されて統治上有害だと言うのでその非常識 せんけん でんじゅ し」 / 、めい さ うぬ ラウチュウ もっ