「殿を待っそれぞれの女心は、わたくしには余りにわかり今日はいずれにとも、その言葉をいうのさえ控えられた。 鄒過ぎていますれば、そうして頂かねばわたくしだけが善い町の小路の女のことがつい話にまじると、兼家は決して素 じよう はず しつ ことをしている気羞かしさで堪えきれませぬ、わたくしは性の悪い女どころか、女という自分自身をあの位確かりと 勝とうという気は持って居りません。」 考え込んでいる人を、私はいままでに見たことがないと言 「敗けてもよいのか。」 、貧しさという事がどんなに厳しく人間を作り変えてい 「敗けるもとを持っ女は、いつも、敗けているより外に何るかが、よく解るといい、彼女のいままでに生きて覚えた も持ちょうはございません。わたくしは敗けてじっとしてことが、一々意味ふかく平常の動作にあらわれているとも いるあいだ程、わたくし自身をうつくしいと思うことがな言った。紫苑の上や時姫にない人間としての値さえ、別様 いのですもの、くちなわの姫はまことはくちなわでも何でに私は考えていると兼家は物語った。 しおんうえ もございません、なにとそ、明日は紫苑の上様におこしくその話のあいだ時姫は聴き入るふうでもあるが、聴いて きしよく すさ ださいませ。」 いないふうでもあった。それが兼家の気色を悪くし、隙さ かえ 「私が訪ねて喜んで迎えてくれる者は、いまはただ、そなえあれば還って来たばかりなのに、もう直ぐに出掛けよう た一人なのだ。」 という気合を見せた。何よりもそうせずにいられぬ兼家の さっき 「殿、おくるまの、みすが先刻から上りつづけて居りま身になって考えるよりも、何時も余りに不しあわせな時間 むご ばかりを置いて去る男の、酷たらしい仕打が憎みたかっ 「ふうむ、では冴野、」 た。それよりも一層、町の小路の女をひと眼見たかった。 「おつつがなく : ・ あれ程の、紫苑の上への愛情をも、ぶすっと切り放った兼 もた かれら一一人は、くるまの上の人を見上げ、また、くるま家の眼に、その女がどんなにたわやかに靠れているかが見 の中の人は門のべに見送る一人に、笑みと敬まいの礼をあさだめたかった。男というものの心が一一人の女を置去りに らわして去って行った。 し、さらにべつの女に向いてゆくところに、何が咲きほこ っているかが知りたいのだ、それはただ、ひと言でいえよ 五、山もしずまる歌 う、そなた達とは、もっと美しさがあるからだ、美しさの せんど うずま 時姫は時も兼家が還る時刻には、いろいろな思いにさ鮮度が肉体の渦を捲いている中で、いちど陥ち入ったら永 かわよど いなまれ、疲れていた。供の声に立って迎えて見たものの いめまいを催して来る。川淀のあの渦を言うのだ。美しさ かえ うや ほか きび びか
上に位した総ての点に優越した勝利者になって見かえして私がもっと成人して全世界を向うに廻しても、私の母の悲 しみ苦しみを弔うためには、私は身を粉にしても関わない やろうと考えていた。 私はあの意地のわるい学友らは、もはや私の問題ではなとさえ思っていた。私は母を追い出したという父の弟らし けんか こぜりあい くなっていた。全然、あの喧嘩や小競争が馬鹿馬鹿しいのい人に裏町であったとき、私は一種の狂気的な深い怨恨の おど みならず、その対手をしていることが最早私に不愉快であために跳りかかろうとさえ思ったのであった。私があのと き、その弟の人を殺そうとさえ日夜空想したことは、決し にら うそ て嘘ではなかった。私はただかれを睨んだ。その中に私は 明治三十三年の夏、私は十一歳になっていた。 のろ 凡ての複雑な感情の激怒によって、呪わるべく値せられた 下卑な人間を憎悪した。 私の母が父の死後、なぜしい追放のために行方不明私があのいたみ易い目をして、どんなに母の容貎を描い そのゆくえ になったのか。しかも誰一人として其行方を知るものがなてそれと語ることと空想することを楽しみにしていたか ! かったのかと言うことは、私には三年後にはもう解ってい私は人のない庭や町中で、小声で母の名を呼ぶことさえあ た。あの越中から越してきた父の弟なる人が、私の母が単 0 た。しかも永久に会うことのできない母の名を に小間使であ 0 たという理由から、んど一枚の着物も持私は「然うだ。人間は決して二人の母を持っ理由はな い。」と考えていた。そんなとき、現在の母を引々しく冷 ちものも与えずに追放してしまったのであった。この惨め な心でどうして私に会うことができたろうか。彼女はもはたく憎んだ。私は一方には済まないと思いながら、それら の思念に領されるとき、私は理由なく母に冷たい瞳を交し や最愛の私にもあわないで、しかも誰人にも知らさずに、 たのであった。 しかもその生死さえも解らなかったのである。 こんりゆケ 私は母を求めた。私があの小さな寺院建立の実行や決心「姉さん。僕の母はーー。」 と私は時々言ったものだ。姉は思いやりの深い目で、そ や仕事のひまひまには、いつも行方のしれない母のため やさ に、「どうか幸福で健康でいらっしゃいますように。」と祈んなとき、いつもするように私を優しく抱きながら、 「どこかで仕合せになっていらっしゃいますよ。そんなこ ったのであった。この全世界にとっては宿のなかったあの ちょうだい 悲しい母の昨日にくらべて変り果てた姿は、どんなに苦しとをこれから言わないで頂戴。」 と言ってくれた。 かっただろうと、私はじっと空をみつめては泣いていた。
もくめ 私はたえず不安な、胸の酸くなるような気で学課のはてたされる柱の木目がいくつあるかということ、ポールドに るのを待った。それは先生が私の読み方一つが異っていて いくつの節穴があるかということを知っていた。私はしま がわら も、他のものが間違っていては然うではなかったが、私だ いには窓から見える人家の屋根瓦が何十枚あって、はすか けはいつも居残りを命ぜられたからであった。「今日もや いに何枚ならんでいるかということ、はすかいの起点から られるかなあ。」と考えていると、きっと、 下の方の起点が決して枚数を同じくしない点からして、殆 そら 「室生、かえってはいけない。」 んど四角な屋根が、決して四角でないことなどを諳んじて と居残りの命令にあった。 けんか 私のちょいとした読みちがいでも然うだ。ことに喧嘩か沢山の生徒の前で、 ら疑われて一週間も教室に残されたことは、州んどいつも「お前は居残りだ。」 いとま のことであった。私の犯さない罪はいつも私の弁解する暇と先生から宣言されると、沢山の生徒らにたいして私は なく私の上に加わっていた。私は誰にも言いたいだけの弁わざと「居残りなんそは決して恐くない。」ということを 解ができなんだ。 示すために、し 、つも寂しく微笑した。心はあの禁足的な絶 ふた かか 私は教室の寂しいがらんとした室内に、一時間も一一時間望に蓋せられているに関わらず、私はいつも微笑せずには も先生がやって来て「かえれ」というまで立って居なけれいられなかった。 ばならなかった。学友の帰って行く勇ましい群が、そこの 「なにがおかしいのだ。馬鹿。」 窓から町の一角まで眺められた。みな愉快な、喜ばしげと、私はよく怒叫られた。そんなとき、私は私自らの心 な、温かい家庭をさして行った。かれらの帰って行くとこ がどれだけ酷く揺れ悲しんだかということを知っていた。 むく いしゃ かめ ろに彼等の一日の勉学を酬ゆるための美しい幸福と慰藉とおさない私の心にあの酷い荒れようが、ひびの入った甕の が、その広い温かい翼をひろげているようにさえ思われように深く刻まれていた。私はときどき、あの先生は私の た。私はそとの緑樹や、家にいる姉の優しい針仕事のそばように子供の時代がなかったのか、あの先生のいまの心 で話しする愉快を考えて、たえず兎のように耳を立て、今と、私のおさな心とがどうして合うものかとさえ思った。 にも先生が来てかえしてくれるかと、それを一心に待って しかし私は先生に憎まれているという、心理上の根本を 見るほど私はおとなではなかった。私は憎まれていた。 私は教室の硝子が何枚あるかということ、いつも私の立 私は、先生のためならば何んでもしてあげたいと思っ イラス すつば やさ ひど
抒情小曲集 価できないものだ。これらの詩がどれほどハアトの奥の奥 に深徹しているかについて、今私は何もいえないけれど、 人々はきっとよき徴笑と親密とを心に用意して読んでくれ るだろうと思う。むずかしい批評や議論ぬきの「優しい 心」で味ってくれるだろうと思う。それでこそ私がこの本 を世に送り出した甲のあることを感じるのだ。 一月に『愛の詩集』を出してからもう一年に近くなる。 「愛の詩集』まで歩んだ自分を知るにはどうしても此の「抒 情詩時代」の自分をも知ってほしくおもう。自分にもなお 美しい恋を恋したり、甘美な女性的なリズムを愛したりし その一 た時代のあったことを物語りたいのである。ほんとはこの しらうを あわ 「抒情小曲集』は『愛の詩集』と併せて読んで、徒の心持白魚はさびしゃ ひとみ のたてとよこに縒れ込んだリズムをほぐして見てほしいの そのくろき瞳はなんといふ だ。よく読んでくれる人々は、この小曲集の終りのペエジ なんといふしをらしさぞよ に近づいてゆくごとに、だんだんに人間の感情がひびれた そとにひる餉をしたたむる わがよそよそしさと り、優しく荒れて行ったりしていることを考えてくれるだ かなしさと ろう。風にいためられた生活の花と実とを今まとめて見る うれ すずめ ことを嬉しく悲しく思う。 ききともなやな雀しば啼けり 千九百十八年七月十三日 郊外田端にて その二 ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの よしゃ 室生犀星 小景異情
八歳になっていたが、つやつやしい皮膚の明りはもってい こうまん たけれど、高慢とも、あざけりとも見えるかおっきは深ま る一方で、それは消えがたいものになっていた。これが平 安のたおやめの一条件どころか、姫達の顔にそういう弾く たかぶりを見ることが、色ごのみの喜ぶいかっさであっ げんかく た。もっとも美しいものにその反対の厳格がほしかった 、そ ぎんこく し、それを踏み越える惨酷をかれらは竸うて眺めた。そん な意味で紫苑は人の眼を惹いていたし、男に飢えを与え な た。幼少の頃からあまかずら ( 甘味 ) を舐めるのにも、紫 * めのと 苑は誰知らぬ間にそれを舐め、湯あみするときにも乳人 すみ に、からだを隙見はさせなかった。自然なおこないに不自 一、花やぐひと 然に成長してゆく自分を、遠いものに見ていたかった。女 彼女の人眼を惹いているわけは、見るとすぐにひやりとである初見の日はこの若い姫の眼に、けがらわしさを自ら かえり っ させる顔の冷たい美しさであった。それにも増して時もに省みたほどであった。なにゆえにそうならなければなら きようじ 容易には笑わない子で、ただ、眠をチラつかせるだけで、 ないかが、紫苑をくるしめた。矜持とか見識、護り、身分 それで言葉のかわりになり、笑いの意味をも、ったえた。 というものとは別個なこのいざないを、女はなぜに避けら あ * つきやま 文 品とか位とかいうものを生れながらに持った女と見てよれぬかも或る日の永い不快さだった。彼女は築山とか池と もろもろ い、品と位のある顔はもう十七歳になっていても、こ・ほれかの、諸々の草木を眺める間にも、その日の眼のけがれを 日 しりぞ のる色気を斥けていると言ってよかった。雪のふる日にも簾感じた程だ、それも十八歳では次第に慣れては来た思いだ ムさわ しろあやかさね ろ・つとろ・ ろをあげて庭を見守る日常には、その景色に相応しい顔だちったが、白綾の襲を着ぬ日は鬱陶しく、みきらう日のう と見るほかはなかった。余りに品の隆い顔というものにちでも、この日のつづくことは、木々の上にも、人のけが おお は、人の心を容れないあざけりが含まれている、こうごうれを蔽うようなとがめを感じた。 じよじようとほ 5 しいという感覚には抒情が乏しいものなのだ。 或る夜、紫苑はこの事を乳人に打開けようか、それとも * しおんうえ てんりやく かげろう日記の筆者である紫苑の上は、天暦七年には十以前のままで過ごして置こうかと、その夜もまどい続け かげろうの日記遺文 みす な じ
112 て、ひどく陰気になっていた。父は、 十 「顔のいろがよくないが、どうかしたのかな。」 まっかさ 「いえ。何でもないんです。」 秋になると柵の実が、まるで松笠のように枝の間に拠ま と、私はやはり「ほんとの姉弟でない。」ことを考え込れて出来た。だんだん熟れると丁度鳶の立っているように んでいた。一つ一つの話の端にも、私はいつも心を刺されなって、一枚一枚風に吹かれるのであった。遠くは四五町 ひどめ るものを感じる弱さを持っていたために、ときどき酷く減も飛び吹かれた。 ゆくえ り込むのであった。心はまたあの行方不明にな 0 た母をそれを拾うとまるで鳶の形した、乾いた茜いろした面白 さぐ 捜りはじめた。「いっ会えるだろうか。」「とても会えない いものであった。私もよく庭へ出て拾ったものだ。秋にな かわら だろうか。」というむは、いつも「きっと会うときがあるるとすぐに解るのは、上流の磧の草むらが茜に焦げ出し はくさん にちがいない。」というはかない望みを持つようになるのて、北方の白山山脈がすぐに白くなって見えた。 であった。 寺の庭には湧くようなこおろぎが、どうかすると午後に この寺にきてから、私は自分の心が次第に父の愛や、寺でも啼いていた。ある日、私は本堂の階段に腰かけてぼん 院という全精神の清浄さによって、寂しかったけれど、私やり虫をきいていた。門から姉がはいってきた。 の本当の心に触れ慰めてくれるものがあった。 「なにしているの。・ほんやりして。」 あげく こうふん 私はよく深く考え込んだ挙句、人の見ない時、父にかく姉はいそいそしていた。何か昻奮しているらしかった。 れて本堂に上ってゆくのであった。暗い内陣は金や銀をち「何だか寂しくなってぼんやりしているんだ。ほら、ひい りばめた仏像が暗い内部のあかりに、または、かすかなおひいと虫がないているだろう。」 おごそ 燈明の光に厳かに照らされてあるのを見た。そして私は永「そうね。虫はおひるまでも啼くんだね。」 がっしよう と姉も階段にこしをかけた。 い間合掌して祈願していた。「もし母が生きているならば 幸福で居るように。」と祈っていた。・、 カらんとして大きな ふいとおしろいの匂いがした。いつも、おしろいなどっ いっぴきあり 圧しつけて来るような本堂の一隅に、私はまるで一疋の蟻けない姉には珍らしいことだと思った。 のように小さく坐って合掌していた。私は人々の遊びざか「あたしね。またおよめにゆくかもしれないの。」 りの少年期を期うした悲しみに閉されながら、一日一日と私はびつくりした。 送っていた。 「どこへゆくんです。」 とざ とが にお とび あかね
りようかい っそりと必要以上に諒解されるためには、あまりに温和し しか 第十一章 い義理固い歳月を閲していたのである。併しながらはっえ の月を越え日を新たにする若々しい、遣り切れない、・ とこ若葉の匂うタ暮、はっえは小鳥小屋の方に廻ろうとする たたず か一個処にうずきを感じさせる美貌には、避けても避けがと、ふしぎに武彦がぶらりと佇んでいた。何時ものくせで しかしながら たいものがあった。併乍、それは形の上に現われる機会が顔色を赧らめて通り過ぎようとすると、はっえの頭の上の びつくり なかった。 方で声がした。それは何の遠慮もなくはっえを吃驚させる はっえは伴と話をしているところを見られてから、今まような質問であった。 「あれはお前の父親ですか。」 で一度も身寄りの者の来なかったことで信用されていたの 「はい。」 に、きよう武彦にすっかり身元を読まれたごとく何か悪い 事をした後の気持がしてならなかった。はっえは出来るだ「時々来るのか。」 ほとん 「いえ、こちらに参ってから初めて会ったのでございま け武彦の眼から遁れようとして、殆ど、隠れるように家の うち 中をこそこそ行き来していた。「あんな事をお糘の方におす。」 話なさらないか知ら ? お話になったらどうお返辞してい 「すると三年振りになるんだね。」武彦は又何やら眼で思 いか分らないわ。」けれども、はっえは又何か自信ありげい出そうとした。「もう一人お前の妹分はどうしているの。 こましやくれた妹分 ! 」武彦はここで可笑し な気持で、武彦は自分の味方以上の人物であることを直覚ちいちゃい、 していた。この屋敷に来てから皆がよくしてくれるのも、そうに笑って見せた。 あるいは武彦が何となく皆を引き立てている様な気がして「ずっと会ったことがございません。」はっえも何やら解 きゅうくっ いたからであった。「あの方が伴のおじさんのことなんか、けた心持の窮屈さがその頬に笑顔をつくって行った。 ーっと 図屹度、お話にならないに定っているわ。わたしを悪いよう「お前はいっか僕とあの時のことを話す時があると、考え はす おっしゃ たことがあるかね。」 のにお考えなさらないあの方がそんなこと仰有る筈はない はっえは赧くなって二秒ばかり物がいえなかった。 女わ。いえ、屹度だまっていて下さるにちがいないわ。」は っえは間違いなく武彦が自分の味方であることや、伴のお「はい。」 5 じさんとの邂逅はそのまま武彦の胸から外に話されること「そこできみと三年間も鼎み合っていた訳になるんだね。 その間に君はすっかり女になって了った。」武彦の言葉が は先ずないであろうと思われた。 のが や ほか おとな あか にお ほお
根で覆ったりしてあるのが、いかにも晩秋らしく眺められ「しかし、どうにもならないんでしよう。もう決まったん ました。 じゃないんですか。」 、ま あるいは海鳥のあしあとや、いろいろなゴミくたの打ち「え。昨日決定ったんですの。」 上げられたのなども、温かい日光を背中にうけながらも寒「じゃ、行ったらいいでしよう。向うだって慣れれば訳は さをかんじる風とともに、きようは殊に寂しく思われましありません。」 「でも : : : 。」 た。姉弟子が黙っているので順道もいつになく静かに歩い て - い 4 」・カ と彼女は黙り込んで、うっ向いていました。それが、い 「きようはいつになく黙っていますね。庵主さんに叱られかにも弱々しく傷々しげに見えました。私たちは船小屋の むしろ でもしたんですか。」 日あたりのよいところへくると、順道がいきなり蓆を一枚 じようだん と、わざと戯談のように言うと、丹嶺はやや軽い笑顔に小屋のなかから引ずり出して、にこにこしながら、そこへ なって、 長く敷きつめました。そうして、 「ここで坐りましよう。」 と言って「気がふさいで仕様がありません。」とも言っ と言って自分が、一番さきに坐ったが、皆もそこに腰を た。よこから順道が、 下しました。そこは小高くなっていて、沖から波打際にゆ 「丹嶺さんはこんど新しく庵主さんになって、よそのお寺らゆらしている様々な形の波が、一つ一つ穂がしらが白い へ行くんで、ふさいでいるんです。わたしなら喜んで行く日に光っているのが、ちらちらと眩しいくらいに眺められ んだけれど。」 ました。 と言った。私も多分そんなことであろうと考えていた。 「庵主さんにまだしつかり返事しないんですの。なぜか、 「そうですか。じゃ丹嶺さん。行ったらいいじゃありませ いやでしようがないんです。」 んか。出世するんじゃありませんか。」 丹嶺は心からいやそうに言ったが、私は、 と言うと、おちついた声で、 「きよう帰ったら返事してあげたらいいでしよう。儺もあ 「でも、わたし行きたくないんですの。知らないところへ たまも大分よくなったから、冬までに市街へかえります。」 行くよりか、此処はどんなにいいか知れません。」 重く悩ましかった頭のほうの病気もよくなったので、冬 丹嶺がいう。 までには帰ろうと思っていた。 おお まぶ
思ほえぬかきほにをれば撫子の 三、真菰草 花にそ露はたまらざりける つごもり 晦日の日もお見えにならないで、十月になって了った。 見ているのはただの撫子という花にすぎないものが、ど「今朝からはしぐれ差しこみ、どうして一日を過ごしてい うして期様に美しい皺をわたくしに寄せてくるのか、花と いやらと、思いなやんで居ります。全くしぐれの季節はい いうものに、人間の心がすがることの果てしのないのが感やでございます。」 じられます。あなた様へのわたくしという者が、思いがけと、紫苑の上は自分で筆を走らせながら、此処まで惹き こ ない一つの不自然な取り合せではございますまいか こまれている自分の弱さに、茫乎として雨あしを眺め、こ たず ういう問ね方も、間だるい気がして紫苑の上はこの歌を渡の雨も兼家の邸のまわりにそそいでいることを、心に置い すまいと、再度机のうえにおさえて見たが、ついにこの た。この手紙の返事はすぐに来た。「あなたの眺める侘し 朝、渡してしまったのである。 い雨も、私の眼界では一層さびしく降りそそいでいる、思 やしき 間もなく自分の邸にかえった紫苑の上は、毎夜、兼家の いは、雨を間に置いて同じさびしさを繰り返しているので 熱心で忠実な通いをむかえた。或る夜は紫苑の上を失うまよよ、、。 冫オし力」と書かれてあった。 いとっとめる彼と、またの或る夜は紫苑の上にとり入るた紫苑の上がその返事を書こうとしていると、突然に雨を めに熱を加える彼を見たが、そのにも浮いた下心が見衝いて兼家がや 0 て来た。そしてこんな雨の日は人の心も え、紫苑の上の触りはやはりつめたか 0 た。あせる兼家の沈みがちなものだと言い、手をとられた。雨ほど気を重く 熱情の当が外れると、兼家も次第につかれて往 0 た。そのするものはないといい、紫苑の上は消えるように身をちち 日 挙句、兼家は或る一夜は通いを停め、次の夜もまた通うてめ、抱かれるまま言いたいことも言わずにいたが、するこ の来ることをしなか 0 た。三日の夜離れが四日になり、それとをするとまた、少し用向きがあるからと曖昧な顔つき ろに対き合う紫苑の上は自分の向いているところに、不思議で、立って了った。その日から訪問は二日も一一一日も絶え、 おもて ながあめまえじ げ・せきばくかん カ な寂寞感が立ちけぶるのを見た。こんなはずがないと面を永雨の前報らせのように梢は濡れ、は庭の処々に光っ かえしてみても、さみしさは女の肌身を刺して来るのを、 て見えた。紫苑の上は筆をとると、あなたにお逢い出来な 意外にも眺め入っただけなのだ。 い毎夜はどのように、雨は、あなたの前を通りすぎるので しようか。移り気なあなたのその移り気さえも、決してそ = ロ なでしこ ま こ・もぐさ ばうつ まった わび
「あかしかいじんは一生懸命でしよう。ですけれどこの も、山ちんは山道がの・ほれないので一人で留守をしてい た。書斎にいる甚吉は山ちんがいるのかいないのか、分ら人、早ロで、どこかいじわるに見えるわ。」 「男からいうとまさにいじわるだ。」 ないくらい温和しく静かだった。 茶の間に出てゆくと山ちんは、何かの本をよみつづけて「みんな感じていることを先に書いただけよ。」 「山ちんは批評家だね。」 「まあ、いや。」 「それ何の本 ? 」 山ちんはどうやら読書家で、ちょっとした批評的ないい 「これ、きまりが悪いわ。」 山ちんはいままで読みふけっていたらしい頭の・ほやけてところもあった。そして物の見方にも、人とは、さきに感 はや いるような眼付をして、それでも、素直に本の表紙を返しじる迅さがあった。 て見せた。 「何処を見ても夜明けみたいね。」 或る日、そとを歩きながら、若い林の枝々を透く空のあ 「大迫倫子の本か、面白い ? 」 「まだ読みかけなのよ。ちょっと面白いところもあるけまりに明るいそれを、こんなにうまくいうのだった。 お昼はいつもパンをたべるが、山ちんは焼くには焼くが ど。」 甚吉はばらばらっと頁をめくって読み、はなはだ随筆的うまく焦がすことを知らなかった。 なものであるらしく、こういう女の人と話をすることが控「牛乳は薄皮のこない時がいいのよ。」 えられるような、物の見方が甚吉とははんたいな人のよう「へえ、僕はまた薄皮ができるころがいいのかと思った。」 「皮がきたらいけないわ。」 に思われた。 甚吉は牛乳をおろした。永い間、牛乳に皮が漲るのを甚 「大迫というひとは女学生に人気があるの。」 吉はいいのだと考えていた。しかし、これほど穿ったこと 「歯ぎれのいいところがみんな好きなんです。」 、さゆうわ・ をいう山ちんは胡瓜をあえることも、パンを柔かくこがす 「それ買ったの。」 ことも知らなかった。甚吉は山ちんばかりでなく、娘達は 「たなから借りましたのよ。」 かえ 何をどうこさえることさえ知らないのを却って娘らしく感 「いっかの明石海人とはどう ? 」 じた。 「まるでちがいますわ。」 甚吉は勢い胡瓜を一寸くらいの長さに切り、さっと洗っ 「たとえばどんなところが違う ? 」 おとな