おびや と、また庵主がいったので、その声に脅かされて二人の私にいうと、亀のようにかがんで、あきもしないで仕事 00 こぞう 小尼はちちみあがりました。私もたまりかねて、そっと庵をつづけて居るのです。私はこの人があの有名な銭五のお めかけ 主のそばへ立って行ったが、うすい月光にてらされた高い妾さんだったのかと、秋の日のしずかな光と関連されたよ 雑草のあたりにも、立木の暗い陰にも別に人かげらしいもうなこの老尼をつくづく眺めていました。時々クイイ、ク つぐみ のが見えなかったのでした。間もなく庵主は席へかえるイイと鶫や、ひょどりが矢のように走ってきては、桜の枯 と、 れ葉の間をかさこそと虫をあさっているのも、穏やかな気 「誰もいないようでしたが、女ばかりだと思ってよく夜中をおこさせました。 私はいっか寺へきた町の老人が、此処の隠居さんも昔は に戸をたたいたりしにくる悪者がいるんですよ。」 いつも ~ / 、 と低い声で言った。 島田に結って、町の一廓にぜいたくに住んでいたころは、 「じや私があとで庭をひと廻りしましよう。」と言い終らせいも高く美しかったと言っていたことを思い出して、 ないうちに、こんどは明かに人間の馳け出す音が、おびたま、こうした静かな余生を送っているのを夢のように眺め しわ かつつやつや だしい雑草を分ける音とともにしました。私はすぐ出て庭ていました。その皺のよった手が曾て艶々しかったこと をあちこちしらべてみましたが、人影もありませんでしは、まるで夢想もできないほどでした。しかも彼女は上品 た。波の音ばかりが空をつたって、こほう、こほうとしてな、あまり口出しをしない隠居でした。 いました。 日がだんだん移って、ずっと庫裡の米俵のおいてある土 間にまで流れるように射すころに、庵主、丹嶺、順道が托 鉢から帰って来ました。隠居は、 托鉢日の留守番は、いつも隠居さんが静かに縁側へ出「ご苦労さま。さあ、お茶でもあがりなさい。」 て、莢豆をしきりにしごいては、からからになった豆つぶ と言って、くたくたに煮えたお茶を、みんなが洗足に行 かごと が、莢からはじき出すのを丁寧に籠に採っては入れているっている間に酌いで置くのです。それがいかにも働きに出 のが、静かに柿や桜の落葉の上に散らばった秋の日光ととた人々を迎える温かな情愛のこもったようにです。みんな もに、穏やかな平和な光景をしみじみと私の目にうっさせは茶の間へあがると、お茶をのんで、 て来ました。 「あ。疲れました。みんなも足をらくにして休みなさい。」 庵主がいうと、小尼たちも女らしい、しかも強い脛をの 「結構なお天気でございます。」 たくはっ きやまめ さや ていねい かめ すね
都に帰り来て 眠ることなかれ ひとみ つねに冴えたる瞳をもて 都会のはてをうち眺め どよみの中に投げ入れよ つつしみ深く流れ行け こんしん みなぎる渾身の力をもて あなたに現れ あらぬ方に輝きつつ 輝ける街路のかたに 集眼もくらやみ並木にすがり 曲 みやこの海をわたり行け 情 はつなっ 近ロ いよいよ青き世界となり われものを食まず終日は みやこの街をさまよひぬ みやこの街はかぎりなく いよいよ悲し世界となり いよいよ青き世界となり なっはみどりのきぬ着けて 君のころもにきぬ着けて いよいよ青き世界となり 蝉頃 いづことしなく しいいとせみの啼きけり はや蝉頃となりしか せみの子をとらへむとして 熱き夏の砂地をふみし子は けふいづこにありや なつのあはれに いのちみじかく みやこの街の遠くより 空と屋根とのあなたより せみ
「あんなに瘠せていてはだめね、皆そろって行ったものだ当な人はいなかった。 から喜んでいたわ。話をすることもないし山ちんも疲れる「だから引き受けて来たのよ、それでなくともお通夜には 、らっしやるつもりでしよう。」 だろうと思ってしばらくいてかえった。」 「では行こう。」 「そんなことが、もう死ぬ人と生きる人のわかれめ見たい たの 甚吉は愉しいもののような気が妙にこんな一瞬間にかん なものだね。」 「ひょっとしたら今夜か明日あたりですって。ちっとも食じるものだが、いま、それが感じられた。実に妙に明るい ものだった。 べものが喉にとおらないそうなのよ。」 「品川のホームに七時にみんなが待ち合しているの。」 「五人とも行った ? 」 「では、すぐご飯だ。」 「え、せのちん、とこ、くり子、たな、それにわたくし。」 甚吉の妻のうめは、山ちんを可愛がっていた関係から、 「山ちんだけかけるかな。」 むか 、つ甚吉に対って言った。 翌日、山ちんはお昼頃亡くなった。学校に電話がかカ て来て、五人とも教室のすみ 0 こでしばらく泣くより「わたくしの分のお焼香もおたのみしますわ。いつも、お ばさま早くなおって頂戴ていってくれたんですもの。」 に、しかたもなかった。今夜お通夜にゆくのだが、皆のい くや うのでは、お通夜に行ってもどんなことをお悼みの言葉と「君の分もしてくるよ。」 中気のうめは、二年と少し経っても、まだ、一人では歩 して言っていいか分らないし、どういうふうにして坐って いたらいいかも分らないから、甚吉に一緒について来てもけなかった。感傷的になると悪いと思い、甚吉は元気そう らえないだろうかと、皆がそういうの、と、君子は言っに振舞った。 た。それに甚吉以外の家庭の父親達は誰一人として山ちん「山ちん、こちらにいらっしゃいというと傍に来ていつま なつつ でもじっとしているような人懐こい子でしたがね。」 を知らないし、甚吉だけがしたしくしていたから、是非つい て来てほしい、山ちんも喜ぶだろうというのであった。そうめは、君子の友達のなかでも、山ちんに一等したしみ 蝶ういえば五人の娘だちとはそれぞれに軽井沢の家で一緒にを感じていた。 「ゆっくりしたようなところがあったな、あれで怒ったこ くらしていたから、甚吉とは、妙な知合だったのである。 ほかの娘達の父だちはまるで皆と没交渉だ 0 たし、したしとがあ 0 たか知ら ? 」 みもなかったから、甚吉が一緒に行かないかぎり、誰も適「あれで怒ると一生懸命になって怒り出すわよ。」 のど かわい
ぬ。あの方はそれを殿にお匿しになっていて、恐らくお別 りませぬ。」 「実はゆうべ、眠られぬままに一つのゆめを見た、そのれにな 0 てから烈しい勢いで毎日何かを記していらっしゃ 折、冴野は私に長歌の一章を示して見せてくれた、いまもるのかも知れませぬと、紫苑の上はさすがに同じみちにい る人を見抜かずに置かぬ気配で、何度も相逢わずば何のい それが、墨くろぐろと頭に記されている。」 のちそというその長歌のこころを解いて見せた。その感動 お逢いしたいばかりに は素直で、直接に長歌の内容から紫苑の上の顔色に、現わ わたくしはまだ死にきれないで たか れて来た昻ぶりであった。或いは私なその及ばぬ一連の長 山の端にかかる雲を眺めて居りまする。 紫苑の上はいま一度お聴かせをといい、兼家はさらにそ歌が、冴野によってひそかに作られているかも判らない おそ の長歌を口ずさんだ。そなたは何処かでまだ生きているだと、紫苑の上はいくらか粛やかに、また、いくらかの惧れ ろうかという兼家の問いに答えて、お逢いしたいはカりを見せて言った。 に、私はまだ死ねないでいるという返しであるようだっ 十一「再会 こ 0 、しよう さいしよう その夜、兼家は衣裳を脱ぐ紫苑の上に手を藉し、仕えの 紫苑の上は再誦していった。 「あの方は作歌をなされぬと、聞き及んでいましたが。」女を退けた。寝の具の整うた時、枕二つを手ずからならべ 「あの人は歌は作らなかった。だから、私はゆめというもたが、直ぐは臥すことをしないで、香を焚いた。そしてな ぎようぜん しとね お褥にはいろうとはしていない、その折、紫苑の上は凝然 のの不思議さを感じている。」 うつわ おだや 紫苑の上は物穏かに言った。殿の思いが殿ご自身の中とありえない顔色を見付けた。それは香の器のヘりを撫で で、そのような長歌の一章になって現われたのでございまている兼家に、寝るための羞らいが見えたからであった。 ためら しよう。あの方は恐らくお仕合せで物静かに、何処かにおこの人とはじめて会った時にも、躊躇いが今夜の一刻のそ 住いになられ、悔のない毎日の愉しさをお送りになっておれのように、物腰にいしくも現われて眼にのこっていた。 られるのでございましよう。私もつらい事ばかりでした男というものは、期くもうとうとと永い間、しかも女渡 りを続けた人に、このように困ったような羞らいが心身に が、あの方はもっと切ない事を綴り合せて、そのためにこ そ生きていられるのでしよう。これほどの長歌をお作りにふかく、たくわえられているものとは、思いがけぬことで もはや なる程の方が、和歌のたしなみがないなどとは思われませあった。紫苑の上自身には最早兼家の前では、体を見られ たの つづ しん しめ かく ある
191 海の僧院 い濃厚な娘が住んでいた。彼女は五兵衛が今の砂丘のふも順道は、 かく とから毎晩のように来るのを、いつも村はずれのかげに匿「くさいお仕事ね。いまにたくさん遣りましようよ。」 れていて、そうしてあいびきを続けていた。 その娘は 皆は茶の間へあがりました。順道に包みをひらかせなが しまいに五兵衛が富豪となったとき、手あつい情愛に保護ら、 めかけ されていて妾となっていました。それがこの隠居さんであ「きようはあなたのお好きなものを購ってまいりましたか ったことを考えた。しかも五兵衛の伀一つを持って、永ら、お茶でものみましよう。」 し間贅をつくして作った着物などはみな人に呉れてやっ と言っているうちに、もう隠居はみんなにお茶をくばり いおり て、この淋しい庵を結んだ彼女が、こうして私と一しょに ました。隠居は、ことに番茶を中々よく出頃につぐことが はしばし 今しずかに畑仕事をしていることが、その因縁の端々に触上手でした。隠居は歯がないので、もぐもぐとから額ま れたような私自身をさえ何んだかゆめのように思われてくで動かしながら菓子をたべると、順道は、くすくす笑って るのでした。 いました。 * さいもん 「どうも御苦労様でした。春になると楽しみです。」 「今夜から町のお地蔵さんのお祭りなんです。落語や祭文 と言って、腰をぼんぼん自分で打ちました。そこへ庵主があるんで、小屋がけをしてわいわい言って騒いでいまし が町から帰って来ました。 たよ。」 もめん 黒い木綿の法衣を肩から着ながして、すっきりとなりの庵主がいうと、 高い姿が木戸から庫裡へあらわれ、手に珍らしい町から買「今夜連れて行って下さい。」 って来た草花をもち、順道は、町でなければ売っていない と順道がせびりました。 菓子や買物の包みをさげて、にこにこしながら入ってき「行きましよう。あなたもいかがです。途中が暗いもので ました。 すから、一しょにいらしって下さると大変気丈夫なんです 「お手伝いして下すったのですか。 まあ、隠居さんもけれど。」 ずいぶんまめですね。」 「じゃ、行って見てきましよう。面白いんですか。」 規則正しくならんだ大根の本葉立ちの畝を見ました。 「人が沢山あつまるだけなんです。」と言って夜を待っこ 「順道や、おまえ肥料をやらなければ : ・ ・。」と庵主がい とにしました。 いっき う・と、 この金石という海岸の町の四辻や、町はすれには一基ず かないわ よっつじ
「いらっしゃいまし、よくこそ。」 とお玉さんは、なめらかな言葉で言った。しばらく見な私は表とお玉さんの交情が、あたかも美しい物語りめい たもののような気がして、私の表に対する懐しい友愛は、 い間に余計に美しく冴えた顔をしていた。 「表はとうとう床につきました。きよう寄ってきたんですとりもなおさずお玉さんを愛する情愛になるような気がす がーー・そう言っておいてくれとのことでした。しかし大しるのであった。二人をならべて見るとき、私のかたよった そろ 情熱はいつもこの二人をとり揃えて眺めることに、より劇 たことはないんです。」 なめ しい滑らかな愛をかんじるのであった。 と私は言った。 「まあ。わたしもそんな気がしておりましたの。そしてひ「あなたは本当に表を愛しているのでしようね。」 と私は思わず言った。そしてお玉さんが顔を赤めたと どいことはないんでしようかしら。」 き、言わなくともよいことを言ったと思った。 「え。しかしだいぶ痩せました。」 しばら 「ええ。」 私どもは暫く黙っていた。突然お玉さんが言った。 と、お玉さんは低い声ではあったが、心持のよい声で言 「やつばりあの病気でしようか。あの病気は仲々なおらな った。そして、 いそうですってね。」 「十に九までは駄目だと言いますね。しかし表君はまだそ「うちのものがうすうす知っていて、ずいぶんなことを言 いますけれど : : : 。」 れほど心配するほどでもありませんよ。」 しめ お玉さんの目ははや湿っていた。生一本な娘らしい涙を私は力をこめて、 ためた美しい目は、私の感じ易い心を惹いた。そして女は「表はいい人です。永くつきあってあげて下さい。」 涙をためたりする時に、へいぜいより濃い美しさをもつも「ありがとうございます。」 と涙ぐんだ。 のだという事を感じた。 私は間もなく別れを告げた。藤棚の下の坂道を下りかけ 「こんど何時いらっしゃいますの。」 ことづけ ると、見送っていたお玉さんがいそいで走って来て、そし 「明日もゆきます。お言伝があったら言って下さい。」 てもしもじし・ら、 お玉さんは稍々ためらっていたが、 「どうそね。おだいじになすって下さいと言って下さいま「あのーーわたしお願いがございますの。」 なお と低い声で言った。 し。わたしもお癒りになることをお祈りしておりますか ら。」 ムじだな あから
まえた ときがあるにちがいない。それも近いうちにあるにちがい んはメリンスの前垂れをしめていて、表とはいつのまにか ないという観念をもった。そしてなおっくづくと父の顔を深い交際をしていた。 眺め悲しんだ。 よく表と二人で散歩のときによると、 あじわ 父の立てた茶は温和にしっとりした味いと湯加減の適度「きようはお母さんが留守なんですから、ゆっくりしてい とをもって、いつも美しい緑のかぐわしさを湛えていた。 らっしゃいましな。」 やさ それは父の優しい性格がそのまま味い沁みて匂うているよ などと言った。表はそういうとき、 さ、りさ * ろすけ うなものであった。 「然う、では露助にもらった史紗を君に見せてあげなさ あかがねびん 父はいつも朱銅の瓶かけを炉の外にも用意してあった。 。君はあんな布類が大変すきなんだから。」 大きさから重さから言っても実に立派なものであった。父「そうですか。ではお見せしますわ。」 はいつも、 と言って、いろいろな布類のはいった交ぜ張りの、いか 「わしが死んだらお前にこの瓶かけを上げよう。」 にも娘のもつらしい箱をもって来たりした。ちょうど露西 ぞうきん どうみが と言っていた。そして時おり絹雑巾で朱銅の胴を磨いて亜の捕虜がいるころで、みんなこの茶店へ三時の散歩には いた。私もほしいと思っていた。 ( 父の死後、私はこの瓶やって来たもので、なかにひどくなれこんでいるのもい 掛を貰った。いまはこの郊外の家の私の机のそばにある。 ) 「これなんそ随分きれいでしよう。」 それは真正のロシア更紗で、一面の真紅な地に白の水玉 ししゅう ほどこ 表の評判は悪かった。表が劇場や縁日を夜歩きをするが染め抜かれてあった。なかにはこまかな刺繍を施した布 と、町の娘らは道を譲るように彼を避けるほどになってい面に高まりを見せた高価な ( ンカチなどがあった。それか て、みな、うしろから指をさしながら、この優しい不良少ら古い銀の十字架細工のビンなど、実に立派なものが多か 年を恐がった。女学校などでもたいがい表の名前が知れてった。 、こらしかった。 表はそんなとき、 そのころ、表は公園のお玉さんという、掛茶屋の娘と仲「戦争にゆくのによくこんな ( ンカチなぞ持っていたもの こぎれ、 よくしていた。藤棚のある小綺畆な、噴水の池が窓から眺だね。やつばり露西亜人はのんびりしているね。」 められる茶店で、私もよく表につれられて行った。お玉さ と言った。私は、 ほか たた にお ほんと
216 げんこっ いっぴ ーーもっと撲ちゃがれ、女一疋が手前なんその拳骨でど 撲れ、さあころせとわめき立てて動かなかった。 もらろん 勿論、りきとさんは伊之を止めたが、それでも伊之はこう気持が変ると思うのは大間違いだ、そんなことあ昔のこ どじよう いなか ん畜生このまま置くとくせになると勢い立ったが、気の弱とさ、泥鰌くさい田舎をうろついているお前なんそにあた あ、ら いさんが泣き出したので伊之はそれ以上殴ることを諦めてしが何をしているか分るものか。 伊之はもう一度飛びかかろうとしたが、りきに止められ しまった。 もんは聞かなかった。 て仕事の時間に気づくと 、、い加減に失せやがれとどなり お前のように小便くさい女を引っかけて歩いている散らして出て行った。 ちが 奴と、はばかりながらもんは異った女なんだ、お前のごた伊之が外に出ると同時にもんは欷き出した。りきはもん いんば、 すさま くどおりにいうならもんは淫売同様の、飲んだくれの堕落のたんかの切りようが凄じいのでもんがどういう外の生活 をしているのかが、想像すると末恐ろしい気がした。 女だ、人様にこのままでは嫁には行けない・ハクレン者だ、 くず お前は大変な女におなりだね。 親に所もあかせない成下りの女の屑なんだ、だけれど一度 りきの声はきゅうに衰えているようで、もんの耳にはっ 宥した男を手出しのできない破目と弱みにつけこんで半殺 しにするような奴は、兄さんであろうが誰であろうが黙っらく聞えた。 て聞いていられないんだ、やい石屋の小僧、それでもお前 そうでもないのよ母さん心配しなくともいいわ。 は男か、よくも、もんの男を撲ちゃがった、もんの兄キが でも、あれだけ言える女なんてわたし始めてさ。後 おくめん そんな男であることを臆面もなくさらけ出して、もんに恥生だから堅気な暮らしをしてもっと女らしくおなり、まる でお前あれでは兄さん以上じゃないか。 をかかせやがった、畜生、極道野郎 ! あたし、母さんの考えているほど、ひどい女になっ もんはそういうと今度はひいひいという声で欷き出して しまった。りきはこんどはもんに向い女だてらに何というていないわ、だけどあたしもうだめな女よ。 りきは小畑からの名刺を出して見せたが、しばらく見詰 ロの利きようをするのか、もっと、気をつけないと隣近所 もあるじゃないかというと、もんは、母さんは黙っていてめたあと、こんなもの、あたしに用はないわといい細かく おくれ、こんな弱い者いじめの兄さんだと思わなかったの静かに裂いてしまった。そしてうっ向いてしくしく欷き出 した。すっかり欷いてしまうと元のままのもんになり、横 だ、こんな奴に兄ヅラをされてたまるものかと言った。 坐りをして自分で自分を邪魔者にするような、だるそうな まだ撲たれ足りないのか、じごくめ。 なぐ なぐ
八歳になっていたが、つやつやしい皮膚の明りはもってい こうまん たけれど、高慢とも、あざけりとも見えるかおっきは深ま る一方で、それは消えがたいものになっていた。これが平 安のたおやめの一条件どころか、姫達の顔にそういう弾く たかぶりを見ることが、色ごのみの喜ぶいかっさであっ げんかく た。もっとも美しいものにその反対の厳格がほしかった 、そ ぎんこく し、それを踏み越える惨酷をかれらは竸うて眺めた。そん な意味で紫苑は人の眼を惹いていたし、男に飢えを与え な た。幼少の頃からあまかずら ( 甘味 ) を舐めるのにも、紫 * めのと 苑は誰知らぬ間にそれを舐め、湯あみするときにも乳人 すみ に、からだを隙見はさせなかった。自然なおこないに不自 一、花やぐひと 然に成長してゆく自分を、遠いものに見ていたかった。女 彼女の人眼を惹いているわけは、見るとすぐにひやりとである初見の日はこの若い姫の眼に、けがらわしさを自ら かえり っ させる顔の冷たい美しさであった。それにも増して時もに省みたほどであった。なにゆえにそうならなければなら きようじ 容易には笑わない子で、ただ、眠をチラつかせるだけで、 ないかが、紫苑をくるしめた。矜持とか見識、護り、身分 それで言葉のかわりになり、笑いの意味をも、ったえた。 というものとは別個なこのいざないを、女はなぜに避けら あ * つきやま 文 品とか位とかいうものを生れながらに持った女と見てよれぬかも或る日の永い不快さだった。彼女は築山とか池と もろもろ い、品と位のある顔はもう十七歳になっていても、こ・ほれかの、諸々の草木を眺める間にも、その日の眼のけがれを 日 しりぞ のる色気を斥けていると言ってよかった。雪のふる日にも簾感じた程だ、それも十八歳では次第に慣れては来た思いだ ムさわ しろあやかさね ろ・つとろ・ ろをあげて庭を見守る日常には、その景色に相応しい顔だちったが、白綾の襲を着ぬ日は鬱陶しく、みきらう日のう と見るほかはなかった。余りに品の隆い顔というものにちでも、この日のつづくことは、木々の上にも、人のけが おお は、人の心を容れないあざけりが含まれている、こうごうれを蔽うようなとがめを感じた。 じよじようとほ 5 しいという感覚には抒情が乏しいものなのだ。 或る夜、紫苑はこの事を乳人に打開けようか、それとも * しおんうえ てんりやく かげろう日記の筆者である紫苑の上は、天暦七年には十以前のままで過ごして置こうかと、その夜もまどい続け かげろうの日記遺文 みす な じ
ゃないのというと、そお、おかしいわねというの。」 た、つぎの一人が酒のつまみものを膳の上に加えてゆくと にぎ いう賑やかなものであった。誰かが置いて行った皿の絵の たながとこの眼を見て、一一人ともおなじゅめを見るのは ふしぎだと言った。その時、くり子がとても不思議ね、わ向きが反対についているのを八百善の娘であるくり子が指 たくしもゆうべゅめ見たのよと言った。山ちんがいつも有に反りを打たせて、皿の向きをなおして行った。 楽町の・ハスで別れるでしよう。だのに、ずっと四丁目まで食後はきまって町に散歩にでかけた。ひとしきり鏡台の ついてくるの。だから山ちんどうかしているわねきよう前に折りかさなって顔をなおし、いくらか白いものも夜は は、まつつぐ行けば築地じゃないのというと、そお、どうつけるらしかった。町に出ると何でも欲しい盛りである彼 かしているわねと同じことを言って、くるっとうしろを向女らは、装身具のある店では永い間動かなかった。そして いて行ってしまったの。ゅめって変なものね。」 お汁粉屋の前では、いま食事がんだあとなのに、何かお 「じゃ、今夜あたりはわたくしの見る順番かも知れない 互にささやき合って立ちどまった。立ち停ってお汁粉に思 わ、こわいな。」 いをやるときの皆の顔は、そのままでも愛すべき子供だち せのちんがそういうと、たなは、怖いことなんかちっとたった もないといった。 「歩けないのか。」 「とてもさつばりした感じがするわ。ゅめって責任がなく「ええ、とおりすぎは出来ないわ。」 ていいわ。」 君子がうごかずそれをきツかけに皆は頑として歩かなか 甚吉は三人ともおなじ友の夢を見たということで、そのった。誰かがぶっと噴き出し、誰かが笑い声をはね飛ばす はたち 友情のようなものが友情的な本物で決して一一十を越したらように一声高くあげた。 「ではお汁粉にしよう。」 見られるゆめでないと思った。 この四人の娘達に山ちんを加えて、去夏、軽井沢で生活「理解があるわ。」 ぜん した時、甚吉は一人だけ縁側にお膳をすえて食事をし、娘お汁粉屋でも、はいって了えば甚吉はいつも存在が認め 蝶達は座敷の真中にぐるっと食卓をとりまいていた。料理をられず、例によって仲間外れだった。彼女らはお茶をかえ するのを娘達はそれそれにはこんで行き、甚吉のお膳にもて喫んだ。 さら さしみ つぎからひと皿すっ置いて行った。一人が刺身をもって来山ちんはこちらに来てから食欲が出たといっていたが、 やきざかな うす てくれれば、つぎの一人が焼肴をはこんで来てくれ、まみんなの半分しか食べなかった。皆が碓氷峠に登ったとき こわ