つも赤座をあんな人だからあんな人と思うてつき合って下 水深一杯にしずみ込んでゆき、さらに五寸ばかり突然にぐ うそ いと突きこまれたなと見ると、嘘つきのような口をあけたされ、いくらそとから言ったってだめだから聞きたくない ぎちぎちした鱒のあたまの深緑色が、美ごとな三本の逆さことは聞かなくともよいからと、てんで赤座をあたまごな さ、 0 鉾の形をしたヤスの尖をゆすぶりながら刺されていた。そしに説きふせているが、赤座はりきにかまいつけないで、 へんじ しま たた の尾のさきで腕ッ腹を叩かれたらしびれて了うといわれたふんとか、うんとか、それだけ言葉みじかに返辞をするだ めず かわら こぶし 川鱒も、赤座の拳でがんと一つ張られると、鱒は女の足のけだった。銭勘定は磧仕事には稀らしいくらいきれいに支 うけおし けらはし けず 払われ、吝な端たを削ることなそしなかった。りきが請負 ようにべっとりと動かなくなるのであった。 ごまか 人夫だちは川底の仕事ですら胡魔化しが利かずに、赤座の後払いを先に廻すことに人気を得て、勘定日にせんべい の眼ンの中で水をくぐり呼吸を吐きに浮び、また水の中にやおやの包みを持って土手のうえに姿をあらわすと人夫た ちはみんな手を振って迎えた。お茶の三時にはりきを取り もぐって行った。若葉の季節は水の底もそのように新しい あお わかあゆ 若鮎やはぜや、石まで蒼む快いしゅんであったから、赤座かこんで荒男たちが元気にべちゃくちゃしゃべり、りきの もら かわら てぬぐい はかんしやくを起すと自分も飛び込んで行って、人夫のか手から貰う金を着物に入れたり手拭につつんだりして、磧 にぎお らだを小づいたり頭を一つひつばたいたりして瀬すじを絶が一杯に声をそろえて、賑うてくるのであった。赤座はり まか そこだた っ工事に一番かんじんな底畳みに大きな石を沈ませるのできから報告をきくだけで金のことは永い間の習慣で、委せ しやがれごえや あった。水の中ですら赤座の嗄声が歇まずにどなり散らさきりであった。赤座は仕事だけをしに来ているようで、用 れた。どんな速い底水のある淵でも赤座はひらめのように事のない三時にも磧と磧を一一分している流れとを、見つめ からだを薄くして沈んで行き、水中の息の永い事は人夫達ているにすぎなかった。日光の中で仕事をしつづけている ぎようそう も及ばなかった。人夫たちは水の中で怒った形相をこわが人間は、眼の中にまで日焼けがしているごとく赤座の眼も つ、げん うったが、水の中からあがると何時も機嫌がよかった。川のそのようであった。そのような眠はただ川仕事をするだけ , も ぬしであるよりも、自分でつくった池くらいにしか、川のに生れついているようであり、雨つづきの出水の日にもわ ざわざ出堺まで行って、濁ってぶつぶつ泥を煮ている川水 事を考えていなかった。 あ ぜにかんじよう 小屋掛けに月に一一度の銭勘定の日には、赤座の妻のりきを眺めていた。そんな時に濁った赤座の眼は悲しそうにし * かかばとけ ばんで、濁流のなかに注ぎ込まれているようであった。繋 がたずねて来たが、これはみんなから嬶仏といわれるほ にゆうわ いである舟は岸とすれすれに波に押し上げられ、小屋はき ど、ゆったりと物わかりのよい柔和な女だった。りきはい つな
多分、子供の始末をつけに来たんでしよう。まだ、 は睡足りたということもないほど顔が真青になるまで睡て くたび いた。りきはそんな草臥れがよく解る気持がし、兄の伊之子供が生きているとでも考えているのじゃないか知ら。 ぶっとお すれた男に見えるか。 が外泊りでかえってくると、やはり終日打通しでからだに まるで坊ちゃんです。 穴の開くほど睡ていた。かれら兄妹は起きると、目をほそ だる 赤座は小畑と対き合うたが、赤座の体質風貌の島で小 め未だ草臥れののこる懶いからだを片手でささえながら、 母親の手まめにうごく姿を珍らしくもなく眺めるだけであ畑はすぐものがいえない風であった。赤座は端的に用件を った。伊之はこの母親が死んだらこの家には居られないと手早く言っていただきましようと言ったきり、むつつりと 思うときだけ、りきが働きつめで打倒れでもしなければよ黙り込んでしまった。小畑は今まで打っちゃっておいて上 いがと、母親の顔をちょっとの間身にしみて見るのであつれた義理ではないが、国の親父に禁足同様にされていて抜 すき た。だが、そんなことはその間だけですぐ忘れてしまつけ出す隙がなかったのだと言った。こんど上京していろい こ 0 ろの費用を負担させて貰い、それを自分だけの良心のつぐ かんじん もんはこんなことを言ってそれが一番かんじんなことでないにしたいと言ったが、肝心のもんと一緒になるとか、 もんに逢わせてくれとかいうことを一言もいわなかった。 あるように、 かえ 却ってもんがいないのがこの男に都合のよいごたごたを避 お金の心配だけはさせないわ。 けさせているように、赤座はすぐ見ぬいて了った。も一つ と、母親にいうのであった。 ようす 漸と一年も経って学生であった小畑が赤座の家にたずね弱そうな学生あがりに見えるこの青年の実直そうな容子と て来た時は、もんは五反田の何処かに勤めていたが、例には反対にこういう男だから一年の間どんな手紙をやって へんじ よって所番地は知らないので尋ねようがなかった。その代も、返辞一本出さずにいる根気よさと、つッ放しの腰をす あおじろ と えることができたのだと、蒼白い顔にりこうそうに覚悟を うり月にいちどは帰宅するからというのだ。りき一人でこの ~ 2 レあい 、も 問題の解決のしようがなく磧の出堺に行って赤座にこの話きめてしゃべっている小畑を、こいっ馬鹿でない掛合をも って来たと思った。 をした。赤座はだまって小屋から出ると、りきと一しょに あ 子供は死産でした。もんはあれから、やぶれかぶれ 土手の上に登り、土手づたいに近い自宅へいそいだが、り あいて です。 きは対手が若い学生のことであるから手荒なことをしない でいてくれるように言った。 赤座はこれだけいうと、驚いて眼をきよとんとさせた小 たんてき
その時分、赤座は七杯の川舟をつらね、上流から積んで 来た石の重みで水面とすれすれになった舟の上で、あと幾 日とない入梅時の川の手入れを気短にいそいでいた。この 仕事をやって退ければ梅雨のあいだは休めるのだ。休むこ と うとの嫌いな彼は引きつづいて仕事を夏までのべでつづけよ , も う、その気持のあるものは働けとどなっていた。 ーーー仕事につくものは手を上げろ。 あ 舟がせぎについた時に赤座は七杯の舟に乗っている裸の 7 仲間に、元気のよい声で呶鳴って見せた。そういう時の赤 込げん 座は上機嫌だった。みんな手を挙げて次の仕事に廻ること 顔つきをしてりきに言った。 を賛成した。ようし、そのつもりでミッチリと働いて暑い あたし妙になったのかも知れないわ。からだがだる土用に日乾しにならないようにするんだと、赤座はもう次 こうてつ くて。 に石を下ろすことを手早く命令した。鋼鉄のような川石は じやかご まさかお前またあれじゃないだろうね。 人夫の手からどんどん蛇籠のなかに投込まれ、荒い瀬すじ ふさ まあ、 が見るうちに塞がれ停められて行った。川水は勢いを削が しばらよど と、もんは笑って了った。わざとらしい笑い様がりきのれどんよりと悲しんでいるように暫く澱んで見せるが、少 心をしめつけた。そんなことだったら家へなんかかえってしの水の捌け口があると、そこへ怒りをふくんで激しく流 来ないわ、あたしこれでも母さんの顔が見たくなってくるれ込んだ。赤座はそこへ石の投げ入れを命じ大声でわめき のよ、悪いことをしても善いことをしてもやはり変に来た立てた。そんなときの赤座の胸毛は逆立って銅像のような くなるわ、あんな、いやな兄さんにだってちょっと顔が見からだが撥ち切れるように、舟の上で鯱立って見えた。 ほ・ん」ら - たくなることがあるんですものと、もんはそれを本統の気 持から言った。 しゃちほこだ
210 おうよう えなかった。りきにしても赤座の応待があんまり鷹揚すぎ だから、そっと帰してしまった方がいいように思われた。 かえ このまま もんはあんたに逢いたくもなかろうから此儘引き取るのと、却って赤座自身が早くこの問題から考えをもぎ取 りたいとあせっていることさえ、察せられたのであった。 って貰いましよう。 赤座はこういうと仕事中だからと、もう立ち上って土間あの人もよほど善くなり物わかりがよくなったと、りきは ありがた に降りて行った。そしてもう一度小畑の方を見ると、赤座ちょっと有難い気持にさえなったのだ。手の早い赤座は話 は半分しょ・ほしょぼな顔つきになって、考えていることのの半分から殴ることしか考えなかった。殴ることがしゃべ 、きめ る十倍の利目があるということを、自然に一つの法則のよ 半分もいえないような声で言った。 うにしている赤座はりきにものを言うのに、少しの廻りく 小畑さん、もうこんなつみつくりは止めたほうがい どさがあるとすぐに殴ることしかしらなかった。りきは殴 いぜ、こんどはあんたの勝ちだったがね。 こわ られ通しだったがそれの数がすくなくなり、殴られると怖 赤座は自分で言った言葉にすっかり参った気持になり、 いそという感覚がりきの頭にかげをひそめてから、だいぶ いそいで土手の上にあが 0 て行「た。晴れつづきの飃、 うれ 真白に光っているところと、雑草にヘり取られた磧の隔れ年月が経っていた。小畑にそうしなかったのがりきには嬉 隔れになったところと、さらにべっとりと湿った洲の美ししく、小畑は憎み足りなかったけれど何の考えもなくやっ こうまう あめ 、飴いろの肌をひろげたところと、それらの広とした景たことを、りきは、もんも悪いし小畑もわるいと考えてい はや 色は光った部分から先に眼にはいって行き、迅い流れをつた。その考えの底を掻ッさらってみるとどうにかした縁の ちょう づる七杯の仕事船が蝶の羽のように白く見えた。もんも伊まわりあわせで、もんと小畑とが一緒になれないものかと 之も、そしてさんもみんな舟仕事のあがりで育てられた。そんなことも考えてみたが、もんはもうじだらくな、誰も やさ とりつきようのない女になっていたから小畑にそのことを もんや、さんの生れがけの時分はりきは若くて先の優しい ひか とがりを持った乳ぶさを持っていて、弁当のときにはその説くにも、小畑があんまり温和しすぎるので控えられた。 から 空をもってかえるまで乳ぶさをふくませ、摘んで食える茎りきは小畑を愛したもんの気持がだんだんわかって来るよ を抜いていたりしていたのも、そんなに遠いこととは思えうな気がし、小畑がかえって行くのが惜しいような気がし なかった。だのに娘はこどもを生み落すようになりその男た。 どな こんど宿さがりをして来ましたら、あなたがおたず と対き合っても正直に怒鳴る気さえ起らなかったのは、よ ほど赤座の心がこういう問題に弱りを見せているとしか思ね下すったことをもんにそう言いつけます。 おとな
かわら れいに流されてしまった泥波の立った磧は、赤座なんその男の伊之は一一十八になり石屋に年季を入れ一人前になって なまけもの いたが、怠者のうえに何処でどう関係をつけるか、しよっ カ羽いても、 2 ちからや命令がどんなに仲間のあいだにはば・、 ごたごた かな 出水の勢いには叶わなかった。七つの時から磧で育ち、十ちゅう女のことで紛紜が絶えなかった。渡りの利く石職工 じやかご 五で一人前の石追いができ、蛇籠の竹のささくれで足を血でも伊之は墓碑の文刻に腕が冴えていたから、克明にさえ だらけにして育った赤座は、出水の泥濁りを見るたびにお働けば金になったが、一週間か十日間も働きつめるとその そろしいもんだなあと思うが、どうしてそんな出水が恐ろ金を持ったきり、二三日は帰って来なかった。妹のもんの しい百数十本のせぎの蛇籠を押し流してしまうかが分らな言いぐさではないが浅草あたりの電車や自動車がごうと鳴 かった。二十ころから一本立になっても蛇籠のこしらえはって聞えるのでしようと言っていた。三日も経ってかえる 一年ともたないで流されてしまうが、やっと川底の分だけと又仕事を始めその金が手にはいると、またすぐ出掛けて こごと はいつも残っていてそれだけでも仲間では「赤座の蛇籠」了うのであった。りきの叱言なぞてんで耳に入れず、赤座 としてほめられていた。 は日が暮れなければ仕事からかえらないので、晩は旨く親 かんじよう 父と顔を合すことを避けて外に出ていた。 赤座はりきが勘定をすましてかえろうとすると、 、みんなから愛 もんちは帰って来たか。 伊之の下に妹が二人いて姉はもんといし と、感情をあらわさないで、なんでもないことをそうい称をもんちと言われていたが、下谷の檀塔寺に奉公してい うように聞いた。 るうちに学生と出来てしまい、その子供をはらむと、学生 かえってこないんです。 は国にかえってしまい文通はなかった。ぐれ出したもんは 伊之助は仕事に出たか。 奉公先で次から次と男がでぎ、こんどは小料理や酒場をそ あれきりふて寝しているの。 れからそれと渡り歩いて半年も帰って来なかった。帰って * だらし もう用はないよ。 来ると乱次なく寝そべって何かだるそうに喘いでいるよう くちこごと 赤座はそうりきにいうと、持場についた人夫だちのほう な息づかいで、りきをあごで使っていた。りきはロ叱言を に向いて歩き出した。肥った赤座は肥った人がどっしりと いいながらも、この子はつまらないことで苦労している たくま 歩くくせがあるように、磧の上に逞しいからだを搬んで行が、いい加減にしないかといい、半分は顔を見るのも厭そ っこ 0 うにしながら、半分はきつく憐れがって食べたいものを作 赤座には三人の子供があった。子供は子供であるが、長ってやり、睡れるだけ睡らして置くのだった。実際、もん はたち 人と はこ ねむ あえ や
も、大、流失されることがなかった。石積舟の上で投げ 込む蛇籠の石を見張りしている彼は蛇籠の底ほど大きい石 すきま で固め、あいだに小型の石を投げ込ませ、隙間もなくたた み込むように命令した。 投げ込む石はちから一杯にやれ、石よりも石を畳むこち らの気合だと思え、ヘタ張るならいまから襯衣を干してか えれ、赤座はこんな調子を舟の上からどなりちらしてい ふんどし た。てめえの褌は乾いているではねえか、そんな褌の乾 いている渡世をした覚えはないおれだから、そんな奴はお なまけぎ れの手では使えない、赤座はそんなふうで人夫たちの怠気 かわら を見せる奴をどんどん解雇した。朝日が磧の石をまだ白く 赤座は年中裸で磧で暮らした。 つもその日の人夫だちの出足を検べ八時が 人夫頭である関係から冬でも川場に出張っていて、小屋しない前に、い 掛けの中で秩父の山が見えなくなるまで仕事をした。まん五分遅れていても、 はっと たきび なあ、おれにもお法度があるというものじゃないか。 中に石でヘり取った炉をこしらえ、焚火で、寒の内は旨い わりあて ふなみそしる そういうと仕事の割宛をしないで、その日はそんな人夫 鮒の味噌汁をつくった。春になると、からだに朱の線をひ じやかご いた石斑無をひと網打って、それを蛇籠の残り竹の串に刺を使おうとしなかった。道具をかついで人夫は磧から土手 あぶ してじいじい炙った。お腹は子を持って擬ちきれそうな奴へ、土手からいま出て来たばかりの家へもどらねばならな しゃぶ を、赤座は骨ごと舐っていた。人夫たちは減多に分けて貰かった。そんな奴をふりかえりもしないで、七杯の舟に石 えなかったが、そんなに食いたかったらてめえだちも一網積みの手分けをし、蛇籠止の棒樶を打つものを裸で水の中 しら とあみ しやく 打ったらどうだと、投網をあごで掬って見せるきりだっへ追い込み磧では蛇籠を編む仕事をひと廻り査べると舟を 淵の上にとめて水深に割宛てられる蛇籠の数をよんでいた 赤座は蛇籠でせぎをつくるのに、蛇籠に詰める石の見張りした。そういう赤座の持舟のなかに長い竹の柄のついた しんます あしはや りが利いていて、赤座の蛇籠といえば雪解時の脚の迅い出ャスが一本用意されてあって、新鱒が泳ぎ澄んでいて、水 水や、つゆ時の腰の強い増水が毎日続いて川底をさらってとおなじ色をしているのを目にいれると、そのヤスの柄が あにいもうと こ 0 ちらぶ かん ら ンヤッ しら
へそ 畑につつみ切れない面倒くささから脱けたほっとした気持て、子供時分のよだれをもう一遍垂らしやがったので、臍 を感じることができ、赤座にはそれがすぐ分 0 て野郎旨くの上がせり出したのだろう。狎だか椋鳥だかわけの分らな わ・こら・ ものをへり出す前に、何とか、悧巧にかたをつけたほう 、遠、多摩まで足を搬んだ甲蛩があつい やりやがったと思い、し * らしゃ たろうと、そう彼はだぶだぶの腹の中で思った。おもんさがいい、羅紗くさい書生っぽのヒイヒイ泣きやがるガキの よなき んはいま何処にいるのでしよう、よかったら居所を知らし卵の夜啼なんぞ聞くのはまッ平だと、頭痛で氷でひやして たくさん いる枕上でどなるので、りきはわざわざ伊之にあんまり口 ていただけないでしようか。僕はあやまりたいことも沢山 こつら たまっているので、それをあやまってさつばりした気持にがすぎるよ、お前の知ったことじゃないから此方に来てい こうムん なりたいのですと、勢いを得た妙な昻奮した語勢で小畑はてくれと言っても、近頃外の女との間のうまく行かない伊 言ったが、赤座はこの青一一才いい気にな 0 ていると、見え之は何の腹いせだか、怒叫ることを止めなかった。親身の たた あんど 透いた彼の安堵した気持が、頭をあおって来た。もんの腹兄妹のにくみ合う気持はこんなに突ッ込んで悪たれ口を叩 あき に子供があるとりきから聞いた塒のぐらぐらした冊な気持くものかと、母親は憫れてものがいえないくらいだ 0 た。 をもてあっかったあの時分の、礎仕事の出場の不機を伊之は続けさまにその顔つきでいちゃっきやがったかと思 あいて こぶしほおう 散らすことができずに、どれだけ小者人夫に拳や頬打ちをうと、おら、へどものだ、しかも対手の野郎はてめえより しゃぶ ・、ら 食わしたか分らなかった。赤座は狂れているのじゃないか十倍がたりこうと来ているから、舐ってしまったらあとに * ずいとくじ たた と陰口を叩かれるほど、そこらに気持をおちつけるところ用のない女と随徳寺をきめこんだ、全く年中そのつらを見 ・、よ、つこ 0 ている奴もたまらないからなあ、名前もいわなければ国の もんは奥の間で寝たきりであった。娘がハッキリと誰かところもいわず野郎は野郎でうんともすうとも言ってこな いじゃないか。そんな野郎をかばいやがっていとしがるな におもちゃにされ負けて帰って来たと、考えると、負けた ことのない赤座はもんの顔を見たくもなかった。道楽者のんてこん畜生ア、まったく惚れたんだか抜けやがったんだ ほうず 伊之はああなることは始めから分り切っていることだ、だか知らないが方図のないあまッちよさ、腹ん中の餓鬼がど んどんふとりやがって図に乗ってぼんと飛び出した日に からおれは家から女を放すことは危ないと言ったのだと、 りきを瑕さえあればいじめた。りきはいじめられたきりでや、世間じゃ誰あって対手にしてくれるものはなしさ、餓 黙っていたが、伊之が時々汚ない物をひっくり返すように鬼をつれて土手から乗合に乗って東京のまン中へでも行っ て、どこかに蛙のようにつぶれてしまうかしなければおさ もんの寝床に立ち上ったまま、大方、にやけ野郎にペタつい つか こ かえる がき
一しょになる気か。 抜け、いくらかの気恥かしい気持で自分のしたことが頭に こた そうなるかも知れません。 応えて来てならなかった。 嘘つきやがれ。 それではきみはもう帰れ。おれはもんの兄なんだ、 ほお 伊之はカッとして小畑の頬を平手で撲ちそのはずみに土きみも妹をもっていたならおれのしたことくらいはわかる はず 手の上に蹴飛ばした。そんな乱暴なことをしないでロでい筈だ。 では。 えば解るではないかという小畑を、伊之はちからに委せて 小畑はいま伊之の言ったことばがよく解るような気が 一層烈しく頬打をくわした。てめえのような奴は此処でど ろく さっき んな酷い目に遭ったって一生碌なことをしないことはわかし、先刻とくらべると伊之の顔が穏やかになっているの っているが、これくらいのことは、もんのことを考えたらを、ひどい目に遭ったこととまるで反対な好感をもって見 我慢していろ。もんはもう一人前の女にはならずに客にもることが出来た。 棒にもかからない女になって了ったのだ。けれどもてめえ伊之は何やら言いたいふうをしたが、小畑はそれが伊之 のような野郎と一緒になろうとは考えないだろう、そんな自身のしたことで宥しを乞うものに考えられてならなかっ 話を持ち込んだってもんは突ッ放してしまうだろう、もんた。伊之はとうとう言った。 じだらく しつかり のりあい はからだは自堕落になっているが気持は以前よりか確乎し 町に出ると乗合がある。四辻で待てばいいのだ。 ているのだ。てめえが口説き落した生娘らしいものはもん の何処をさがしても捜しきれないだろうし、もんはそんな てめえ 処女らしいものはすっかり無くしているのだ、それは手前 一週間の後もんはふらりと帰って来たが、折よく末の妹 がみんなそうさせたのだ、手前さえ手出しをしないでいたのさんも宿下りをして二人は赤座の小屋に弁当を持って行 と うら、あいつはあんな女にならなかったのだ。 ったが、赤座は二人の姿を見たきり何ともいわなかった。 も ーーーもう再度と来るな、そしてあいつを泣かせたりもう珍らしい姉妹が同時にかえって来ても一言もくちを利かな 一遍だましたりおもちゃにしないことを約東しろ。 かった。姉妹が土手の上をかえって行くのを二人が気のつ あ しばらく 全く僕が悪いのです。何と言われても仕方がないの かないうちに、赤座は少時見つめていた。 です。 りきがこの間小畑がたずねて来たことを話したが、もん 伊之は起ちあがると、対手があまり従順なので張合いが はその話をゆっくり聞いて別に驚くふうも見せなかった に のら ゆる よっつじ
か。「私の生涯は原稿料との格闘の歴史だった」と言っづくところあたりに、おもんの小畑に対する愛情があ たのは、たしか犀星だったように記憶している。萩原らわれておりおもしろいのである。犀星ごのみの凶暴 な一家、理性や知性がもはやどんな力をも失い、原始 朔太郎は「所得人室生犀星」 ( 昭和十年「文芸」六月号 ) なるエッセイで、″物質上にも精神上にも巧みにその最的欲情のみが動いている赤座一家のなかにも、おもん 高能率を利用して、人生をもっとも有意義に処世するの持っ女性の真実が出ており、発表当時から、犀星文 「所得人型」犀星にはかなわん。それを経済学的観念で学の傑作といわれている。「続あにいもうと」は「神々 するのではなく、天性のうまれついた本能から、すな のへど」として発表されており、おもんが二人の母親 になり、むすこにも亭主にも、きくにたえない無道、 わち無意識な動物的叡智でやっている。そんな点では 無類の人生の幸福人だ″という意味のことを述べてい 冷酷な言葉を棹丈高に叫ぶ悪たれ女として描かれてい さよほうへん る。この続編は毀誉褒貶あいなかばしたが、正宗白鳥 その動物的叡智が、もっとも典型的にあらわれてい は、「おもんを理想化していないで、いやな女として描 いている」のがおもしろいという批評をしている。 るのが、市井鬼ものとよばれ、市井無頼の徒を描いた 「チンドン世界」「女の図」「神かおんなか」である。こ 昭和十年には「復讐の文学」というわずか五べージほ こに収録されている「あにいもうと」も、この系統の作どだが有名なエッセイを書いている。そのなかの一節 品である。人夫頭の川師赤座には、女ぐせのわるい長男に " 軍人には立派な鑷鑑された武器があり、それぞれ の伊之と妺のおもんがいるのだが、おもんは学生小畑の学者には学説という楯や弓矢があるように、我々の とできてしまい、子供をはらみ、家に帰ってきている あさる人生にも休まずに精悍な武器をとり、仮借なく そんなとき文通のとだえていた小畑が突然おもんの家もっとあばくものはあばき、最後の一人も残さずに、 へやってくる。おもんは留守。実直そうな学生の小畑それの人生を裁かねばならないのであるみと書いてあ は、もんの母で気のよいりきに金をおいて帰ろうとする それに対して広津和郎から「犀星の暫定的リアリズ るが、兄の伊之につかまり、妹をおもちゃにしたとい ム」という好意的な反論があり、斬りこむ情熱にみす って蹴飛ばされる。それを帰ってきて聞いたおもんは、 伊之を「極道兄キ、豚、道楽者め」とののしる。この毒から酔うに止まらすして斬り込む目標をはっきり見つ
りきは母親らしくそんな柔しい言葉さえつい出してしま おもんさんに渡しておいて下さい 小畑はそういうと胼道を土手の方へ、何度もあいさっ そして所を聞いておいて下さい をしながら若いせいの高いからだを第んで行った。りきは ばん 小畑は金の包みを取り出し無理にりきの手におさめさせ茫やり見送っていた。悪い時には悪いもので二三日顔を見 た。りきは小畑を送って出て、この人には一生会えないだせなかった伊之がふらふら帰って来て、限を細めて小畑を ろうと考えた。小畑も母親らしいりきに親しむことが快く見ていたがもんの男であることを知ると、ひどく疲れて青 感じられたので、ぐずついて直ぐに前庭から通りへ出よう くなっている顔にかんしやくをむらむらとあらわした。そ ばしよう としなかった。りきが培うた夏菊とか芭蕉とかあやめとか して小畑が家を出て田圃道から土手へあがると、りきに見 を見ていて、夏咲く菊はどんな色ですかと尋ねたりしてい られないように小畑のあとに跟いて行った。小畑も直覚的 なっ て、変な懐かしさから別れられなそうに見えた。 にもんの兄たなと感じ、その感じが急激に恐怖の情に変っ りきは思わず尋ねてみるのであった。 てしまった。伊之はだまって一町ばかりついてゆき、軈て しゅうねん あなたはおいくつになるんですか。 追いついてもきゅうに声をかけずに執念ぶかく、小畑と肩 * に 僕ですか、僕は一一十四になったところです。 をすれすれに歩いて行った。赤座に肖た伊之の顔は明るい 色が白くて神経質な小畑は年よりも若く見えた。もんと動物的なかんしやくで揉みくちゃになり、小畑は時伊之 出来たのは二十三の春になる、もんと一つちがいにしかなが飛びかかってくるか分らない汗あぶらをにちゃっかす、 らないと、りきは考えた。りきが赤座のところに来たのは底恐ろしさに足がすくんでしまった。早く声をかけてくれ けんお 一一十一一の時で、あの時分まるきり女としての赤ン坊としかればよいと、考えても、意地悪な重なる嫌悪に気を奪られ せつば 思えないほど、何も彼もわからなかった。小畑が一年経った伊之は自分でもすぐに声の懸けられないほど切羽詰っ たず うても尋ねて来たのは誠意があるからであって、その誠意にて、耳のあたりがぶんぶん鳴ってくるほどの腹立しさであ うかっ っこ 0 気のつかなかった先刻からの自分が迂濶に思われ出した。 きみ、ちょっと。 まったくの悪い人間ならいまになってたすねて来るなどと あ とんま いう頓馬な真似はしないであろう。 伊之の声はこれだけであったが、呼ばれたので小畑は助 じゅうじゅん 小畑は万年筆で名刺に所番地をこまかく書き入れ、それかったと思い、出来るだけ従順にこたえた。 が自分の住所だからと言った。 つらこ やが