見る - みる会図書館


検索対象: 現代日本の文学 17 萩原朔太郎 中原中也 伊東静雄 立原道造集
459件見つかりました。

1. 現代日本の文学 17 萩原朔太郎 中原中也 伊東静雄 立原道造集

僕はそのあと大きなまちがひをするだらう。今までのまち いつの日も、さうしてノヴァリスをひさぎ、リルケ がひがそのためにすっかり消える。 を売るのであらう。さうして一日がをはると、あのタ焼の 人は誰でもがいつもよい大人になるとは限らないのだ。娘は : : : 私の空想はかたい酸い果実のやうだ。 美しかったすべてを花びらに埋めつくして、霧に溶けて。 らふそく 私はあの娘にただ燃えっきなかった蠍燭を用意しよう。 ーーー夏の終り、古い城の 旅の思ひ出の失はれないために。 さやうなら。 ある町で、私は、そのひとから、この歌の本をうけとった と、私はまた旅をつづけたと。 旅の手帖 その日、生田勉に 夏の旅 その町の、とある本屋の店先でーー・、私は、やさしい土耳 古娘の声を聞いた。私は、そのひとから赤いきれいな表紙 —村はづれの歌 の歌の本をうけとった。幼い人たちのうたふやうな。 咲いてゐるのはみやこぐさと 指に摘んで光にすかして教へてくれた また幾たびか私はを傾けて、空を見た。一面の天空で 他 はかり知れない程高かった。しづかな雨の日右は越後へ行く北の道 」はあったが、 なかせんだう 左は木曾へ行く中仙道 せであった。 寄 私たちはきれいな雨あがりの夕方に・ほんやり空をめて たたず 風誰かれが若い旅人にささやいてゐた。おまへはここで何を佇んでゐた さうしてタやけを背にしてまっすぐと行けば私のみす 見たか。 ぼらしい故里の町 さう、私は土耳古娘を見た。あれから公園で、あれからう ばとうくわんおんくさむら 馬頭観世音の叢に私たちは生れてはじめて言葉をなく すやみの町のはづれで。 ゑちご

2. 現代日本の文学 17 萩原朔太郎 中原中也 伊東静雄 立原道造集

涙と徴笑とを浮べながら、聖人たちの古い言葉を。 倦怠 そして今猶走り廻る若者達を見る時に、 忌はしくも忌はしい気持に浸ることだらう、 倦怠の谷間に落つる この真ッ白い光は、 嗚呼ーその時に、人よ苦しいよ、絶えいるばかり、 私の心を悲しませ、 人よ、苦しいよ、絶えいるばかり : ・ 私の心を苦しくする。 真ッ白い光は、沢山の 夕暮が来て、空気が冷える、 物音が徴妙にいりまじって、しかもその一つ一つが聞え倦怠の呟きを掻消してしまひ、 倦怠は、やがて憎怨となる やくわん うな かの無言なる惨ましき憎怨 : ・ お茶を注ぐ、煙草を吹かす、薬鑵が物憂い唸りをあげる。 床や壁や柱が目に入ゑそしてそれだけだ、それだけだ。 たちま 忽ちにそれは心を石と化し ただいま 神様、これが私の只今でございます。 人はただ寝転ぶより仕方もないのだ 薔薇と金毛とは、もはや煙のやうに空にゆきました。 同時に、果されずに過ぎる義務の数々を しいえ、もはやそれのあったことさへが信じきれないで、悔いながらにかぞへなければならないのだ。 私は疑ひぶかくなりました。 はては世の中が偶然ばかりとみえてきて、 ねぎにら 萎れた葱か韮のやうに、ああ神様、 人はただ、絶えず慄へる、木の葉のやうに 私は疑ひのために死ぬるでございませう。 午睡から覚めたばかりのやうに うち ばうん 呆然たる意識の裡に、眼光らせ死んでゆくのだ しを っふや かきけ まなこ

3. 現代日本の文学 17 萩原朔太郎 中原中也 伊東静雄 立原道造集

返って考へてみれば、さういふことが流行してゐる今だとれど、もともと東洋で精神は未だ優遇されたことはない。 て、さういふことを口にしてゐる人は、現実感を以て云っ てゐる筈はない。もともと木に竹を接げると思ってゐられ 一、生命が豊富であるとは、物事の実現が豊富であると むし る程の馬鹿でなければ、芸術に指導原理だのといふことを いふことと寧ろ反対であると解する方がよい。何故なら実 云へるものではない。而も彼等を黙させるに到るものは、現された事物はもはや物であって生命ではない。生命の豊 多分良い作品の誕生が盛んになって来ることのほかにはな富とはこれから新規に実現する可能の豊富でありそれは謂 。面白い物が現前しはじめると、漸く実感は立ち返るも はば現識の豊富のことである。現識の豊富といふことがと のだ。それからは彼等だとて全然の空言は吐かぬゃうにな かく閑却され勝な所に日本の世間の稀薄性が存する。とま るものだ。 れ現識の豊富なことは世間では、殊に日本の世間では、鈍 重とのみ見られ易い 一、何故我が国に批評精神は発達しないか。 名辞以安。ヒカ物の方が通りがよいといふことはかにかくに人生 が幸福であることではない。価値意識の乏しい所は混雑が 後の世界が名辞以前の世界より甚だしく多いからである。 万葉以後、我が国は平面的である。名辞以後、名辞と名辞支配することとなる。混雑は結局価値乏しい人々をも幸福 にはしない。 の交渉の範囲にだけ大部分の生活があり、名辞の内包、即 ちゃがて新しき名辞とならんものが著しく貧弱である。従 って実質よりも名義が何時ものさばる。而して批評精神と 一、幸福は事物の中にはない。事物を観たり扱ったりす いふものは名義に就いてではなく実質に就いて活動するもる人の精神の中にある。精神が尊重されないといふこと たま のだから、批評精神といふものが発達しゃうはない。 ( 偶は、やがて事物も尊重されないことになる。精神尊重を口 偶批評が盛んなやうでも、少し意地悪く云ってみるならばマンチックだとて嗤ふ心ほどロマンチックなものはない。 それは評定根性である。 ) 之を心理的に見ても、物だけで結構なそといってる時人は つまり、物質的傾向のある所には批評精神はない。東洋言葉に響きを持ってゐようことはない。それは自然法則と が神秘的だなそといふのはあまりに無邪気な言辞に過ぎ共に事実である。 おさ ぬ。「物質的」に「精神的」は圧へられてゐるので、精神 はスキマからチョッビリくから神秘的に見えたりするけ 一、芸術作品といふものは、断じて人と合議の上で出来 わら

4. 現代日本の文学 17 萩原朔太郎 中原中也 伊東静雄 立原道造集

見よ 来る 遠くよりして疾行するものは銀の狼 その毛には電光を植ゑ きばと むいちねん牙を研ぎ 夢 遠くよりしも疾行す。 蝶ああ狼のきたるにより われはいたく怖れかなしむ われはわれの肉身の裂かれ鑄となる薄暮をおそる せんさうじ きけ浅草寺の鐘いんいんと鳴りやまず したい そそろにわれは畜生の肢体をおそる 松葉に光る詩集後篇 怖れつねにかくるるにより なんびとも素足をみず この章に集めた詩は、「月に吠える」の前半にあるされば都にわれの過ぎ来し方を知らず 「天上縊死」「竹と哀傷」等の作と同時代のもので、私 かくしもおとろへしけふの姿にも の詩風としては極めて初期のものに属する。す・〈て狼は飢ゑ矛をとぎて来れるなり。 「月に吠える」前派の傾向と見られたい。但し内八篇 ああわれはおそれかなしむ * こんたう は同じ詩集から再録した。 まことに混鬧の都にありて 「月に吠える」に収められた八篇は、重複を避けるためここ すさまじき金属の には省略した。 ( 編集部註 ) あのと 疾行する狼の跫音をおそる。 松葉に光る 燃えあがる 燃えあがる あるみにうむのもえあがる 雪ふるな・ヘにもえあがる 松葉に光る いし 縊死の屍体のもえあがる いみじき炎もえあがる。 狼 おかみ したい

5. 現代日本の文学 17 萩原朔太郎 中原中也 伊東静雄 立原道造集

203 山羊の歌 窓 あ 月 山 か 光 び 埋 の の 希す * 樹こ 砂中 : 夢し 蕃さみ祖ろ 紅さし先き のき 望ゞ 々と のけ のに 色は裡 3 木 はろよも 花ん犬は胸 土て 面も失 あな 色のあの せさな工 はな は神 春に何ンらビ らるにし るはるの ず物か の湧わ処くずア 絹や隊み 附写し 黒 : ノ 衣か商 、のみと 夜きに 。ものの やいか親鳴 さ音ね立も 子ろ そ てにちな 消け る は おの ぼ足 ま は ろ並 れ た も か 懺え のほ の 悔げ も み あ ゆ れ ら ず 朝の歌 あか 天井に朱きいろいで すき 戸の隙を洩れ入る光、 鄙びたる軍楽の憶ひ 手にてなすなにごともなし。 小鳥らのうたはきこえず 空は今日はなだ色らし、 倦んじてし人のこころを めするなにものもなし。 じゅし 樹脂の香に朝は悩まし うしなひしさまざまのゆめ、 森並は風に鳴るかな ひろごりてたひらかの空、 土手づたひきえてゆくかな うつくしきさまざまの夢。 ひな

6. 現代日本の文学 17 萩原朔太郎 中原中也 伊東静雄 立原道造集

7 絶えざるといふものが、それが どんなに辛いものかが分るか ? 詩 おまへの愚かな精力が尽きるまで、 刊 未恐らくそれはおまへに分りはしない。 けれどもいづれおまへにも分る時は来るわけなのだが、 その時に辛からうよ、おまへ、辛からうよ、 ちゃうど そしてそれが恰度私に似てをります、 どんらん 貪婪の限りに夢をみながら 絶えざる苛責といふものが、それが せうしゃ 一番分りのいい俗な瀟洒の中を泳ぎながら、 どんなに辛いか、もう既に辛い私を わく 今にも天に昇りさうな、枠のやうな胸で思ひあがってをり ます。 おまへ、見るがいい よく見るがいし ろくろく笑へもしない私を見るがいいー 伸びたいだけ伸んで、拡がりたいだけ拡がって、 恰度紫の朝顔の花かなんそのやうに、 まぎ 朝は露に沾ひ、朝日のもとに笑をひろげ、 人には自分を紛らはす力があるので、 人はまづみんな幸福さうに見えるのだが、 タは泣くのでございます、獣のやうに。 しよく 獣のやうに嗜慾のうごめくまゝにうごいて、 人には早晩紛らはせない悲しみがくるのだ。 その末は泣くのでございます、肉の痛みをだけ感じなが悲しみが自分で、自分が悲しみの時がくるのだ。 ら。 ものう 長い懶い、それかといって自減することも出来ない、 さういふ惨しい時が来るのだ。 悲しみは執ッ固くてなほも悲しみ尽さうとするから、 悲しみに入ったら最後む時がないー 理由がどうであれ、人がなんと謂へ、 悲しみが自分であり、自分が悲しみとなった時、 人は思ひだすだらう、その白けた面の上に うるに すで

7. 現代日本の文学 17 萩原朔太郎 中原中也 伊東静雄 立原道造集

387 日曜日 貧乏な天使が小鳥に変装する 枝に来てそれはうたふ うた わざとたのしい唄を すると庭がだまされて小さい薔薇の花をつける 名前のかげで暦は時々ずるをする けれど人はそれを信用する 愛情 郵便切手をしゃれたものに考へだす 帽子 学校の帽子をかぶった僕と黒いソフトをかぶ った友だちが歩いてゐると、それを見たもう 一人の友だちが後になってあのときかぶって ゐたソフトは君に似あふといひだす。僕はン フトなんかかぶってゐなかったのに、何度い っても、あのとき黒いソフトをかぶってゐた といふ。 ばっ チュウリツ・フは咲いたが 彼女は笑ってゐない 風俗のおかしみ 《花笑ふ》と 僕は紙に書きつける 畢

8. 現代日本の文学 17 萩原朔太郎 中原中也 伊東静雄 立原道造集

赤松の林をこえて、 くらきおほなみはとほく光ってゐた、 ゑちご このさびしき越後の海岸、 しばしはなにを祈るこころそ、 ゅふげ ひとりタ餉ををはりて、 海水旅館の居間に灯を点ず。 孤独 ~ の白っ・ほい道ばたで、 つかれた馬のこころが、 ひなた ひからびた日向の草をみつめてゐる、 ななめに、しのしのとほそくもえる、 ふるヘるさびしい草をみつめる。 田舎のさびしい日向に立って、 おまへはなにを視てゐるのか、 ふるヘる、わたしの孤独のたましひょ。 このほこりつ。ほい風景の顔に、 うすく涙がながれてゐる。 白い共同椅子 森の中の小径にそうて、 まっ白い共同椅子がならんでゐる、 くぢら浪海岸にてそこらはさむしい山の中で、 たいそう緑のかげがふかい、 あちらの森をすかしてみると、 そこにもさみしい木立がみえて、 上品な、まっしろな椅子の足がそろってゐる。 田舎を恐る ゐなか わたしは田舎をおそれる、 ひとけ 田舎の人気のない水田の中にふるヘて、 ほそながくのびる苗の列をおそれる。 くらい家屋の中に住むまづしい人間のむれをおそれる。 田舎のあぜみちに坐ってゐると、 おほなみのやうな土壌の重みが、わたしの心をくらくす る、 土壌のくさったにほひが私の皮膚をくろずませる、 冬枯れのさびしい自然が私の生活をくるしくする。 なみ こみち す

9. 現代日本の文学 17 萩原朔太郎 中原中也 伊東静雄 立原道造集

342 おれはなにか詩のやうなものを 書きたく思ひ 紙をのべると 水のやうに平明な幾行もが出て来た そして おれは書かれたものをまへにして 不意にそれとはまるで異様な 娶んしゃう 一種前生のおもひと めま はきけ かすかな暈ひをともなふ吐気とで 殫をきいてゐた 春浅き あゝ暗とまみひそめ をさなきものの 室に入りくる いっ暮れし 机のほとり ひちつきてわれ幾刻をありけむ ひとりして摘みけりと ほこりがほ子が差しいだす あはれ野の草の一握り その花の名をいへといふなり わが子よかの野の上は なほひかりありしゃ 目とむれば げに花ともいへぬ っ 花著けり 春浅き雑草の 固くいとちさき 実ににたる花の数なり 名をいへと汝はせがめど いかにせむ ちちは知らざり すべなしゃ わが子よさなりこは しろ花黄い花とそいふ うなづ そをきぎて点頭ける をさなきものの なれ かす

10. 現代日本の文学 17 萩原朔太郎 中原中也 伊東静雄 立原道造集

410 死ぬ朝は、母が彼のためにうたってきかせた。目をとぢて 病室にあかりのまだっかないタ暮れ、母の顔の上に西洋のきいてゐた、古びたうたを。これは病気になるすこし前に 絵の女が映った。母が見知らない人に盗まれる。その不思出来た歌だったが、その繰返しを彼はいちばんすきだった 議を彼はどうしたらよいかわからなかった。 のだらうか。 母が、うたひやめたとぎ、窓かけが風に揺れてゐた。少年 は死んでゐた。 黒い森にはつぐみがゐた こみちゅり 小径に百合の日が待ってゐた もや 枝のひとりがうたってゐた ガラス窓に灯がはいる、乾いた靄の夕方。 〈何と世の中はたのしいのだらう ちひさな花がきらきらしてる 墓に花がすくなくなり、粉雪が降った。時をり訪れる母 子供はだれも足踏みしてゐた は、しづかな顔をして、祈った。 のばと 鰯の雲と野鳩の雲とそれを見てゐた 村では泉がうたってゐた 小さな墓の上に 〈何と世の中はたのしいのだらう ちひさな花がきらきらしてる 失ふといふことがはじめて人にその意味をほんたうに知 らせたなら。 家を通って向うに行くと空のあぶくが光ってゐた 野原と畑と川があった それから世界中の人がうたってゐた その頃、僕には死と朝とがいちばんかがやかしかった。 〈何と世の中はたのしいのだらう そのどれも贋の姿をしか見せなかったから。朝は飽いた水 ひつぎ ちひさな花がきらきらしてる 蒸気の色のかげに、死は飾られた花たちの柩のなかに、し あしぶ にせ かわ ルプラン