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検索対象: 現代日本の文学 17 萩原朔太郎 中原中也 伊東静雄 立原道造集
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1. 現代日本の文学 17 萩原朔太郎 中原中也 伊東静雄 立原道造集

夜汽車 ありあけ 有明のうすらあかりは 1 戸に指のあとつめたく ほの白みゆく山の端は みづがねのごとくにしめやかなれども まだ旅びとのねむりさめやらねば つかれたる電燈のためいきばかりこちたしゃ。 あまたるきにすのにほひも そこはかとなきはまきたばこの烟さへ わび 夜汽車にてあれたる舌には佗しきを いかばかり人妻は身にひきつめて嘆くらむ。 * やましな 集まだ山科は過ぎずや 空気まくらのをゆるめて 純そっと息をぬいてみる女ごころ ふと二人かなしさに身をすりよせ そと しののめちかき汽車の窓より外をながむれば ところもしらぬ山里に 愛憐詩篇 けむり こころをばなににたとへん こころはあぢさゐの花 ももいろに咲く日はあれど うすむらさきの思ひ出ばかりはせんなくて。 そのふ こころはまたタ闇の園生のふきあげ 音なき音のあゆむひびきに こころはひとつによりて悲しめども かなしめどもあるかひなしゃ ああこのこころをばなににたとへん。 こころは一一人の旅びと されど道づれのたえて物言ふことなければ わがこころはいつもかくさびしきなり。 女よ うすくれなゐにくちびるはいろどられ さも白く咲きてゐたるをだまきの花。 ころ こ

2. 現代日本の文学 17 萩原朔太郎 中原中也 伊東静雄 立原道造集

見よ 来る 遠くよりして疾行するものは銀の狼 その毛には電光を植ゑ きばと むいちねん牙を研ぎ 夢 遠くよりしも疾行す。 蝶ああ狼のきたるにより われはいたく怖れかなしむ われはわれの肉身の裂かれ鑄となる薄暮をおそる せんさうじ きけ浅草寺の鐘いんいんと鳴りやまず したい そそろにわれは畜生の肢体をおそる 松葉に光る詩集後篇 怖れつねにかくるるにより なんびとも素足をみず この章に集めた詩は、「月に吠える」の前半にあるされば都にわれの過ぎ来し方を知らず 「天上縊死」「竹と哀傷」等の作と同時代のもので、私 かくしもおとろへしけふの姿にも の詩風としては極めて初期のものに属する。す・〈て狼は飢ゑ矛をとぎて来れるなり。 「月に吠える」前派の傾向と見られたい。但し内八篇 ああわれはおそれかなしむ * こんたう は同じ詩集から再録した。 まことに混鬧の都にありて 「月に吠える」に収められた八篇は、重複を避けるためここ すさまじき金属の には省略した。 ( 編集部註 ) あのと 疾行する狼の跫音をおそる。 松葉に光る 燃えあがる 燃えあがる あるみにうむのもえあがる 雪ふるな・ヘにもえあがる 松葉に光る いし 縊死の屍体のもえあがる いみじき炎もえあがる。 狼 おかみ したい

3. 現代日本の文学 17 萩原朔太郎 中原中也 伊東静雄 立原道造集

たいそううららかな春の空気をすひこんで 暮れゆくたましひの日かげをみつめる そのためいきはさびしくして 小鳥たちが喰べものをたべるやうに 愉快でロをひらいてかはゆらしく とどまる蠅のやうに力がない どんなにいのちの芽生たちが伸びてゆくことか。 しづかに暮れてゆく春の夕日の中を 草木は草木でいっさいに 私のいのちはカなくさまよひあるき ああどんなにぐんぐんと伸びてゆくことか。 私のいのちは窓の硝子にとどまりて ひろびろとした野原にねころんで たよりなき子供等のすすりなく唱歌をきいた。 まことに愉快な夢をみつづけた。 恐ろしく憂鬱なる 蠅の唱歌 こんもりとした森の木立のなかで 春はどこまできたか いちめんに白い蝶類が飛んでゐる むらがるむらがりて飛びめぐる 春はそこまできて桜の匂ひをかぐはせた 子供たちのさけびは野に山に てふてふてふてふてふてふてふ すぎま はるやま見れば白い浮雲がながれてゐる。 みどりの葉のあっ・ほったい隙間から つばさ さうして私の心はなみだをお・ほえる びかびかびかびかと光るそのちひさな鋭どい翼 いつもおとなしくひとりで遊んでゐる私のこころだ いつばいに群がってとびめぐるてふてふてふてふ 猫この心はさびしい てふてふてふてふてふてふてふてふ い第ノ′っ この心はわかき少年の昔より私のいのちに日影をおとしああこれはなんといふ憂鬱な幻だ このおもたい手足おもたい心臓 しだいにおほきくなる孤独の日かげ かぎりなくなやましい物質と物質との重なり おそろしい憂鬱の日かげはひろがる。 ああこれはなんといふ美しい病気だらう いま室内にひとりで坐って つかれはてたる神経のなまめかしいたそがれどきに いううつ にほ てふるゐ がらす

4. 現代日本の文学 17 萩原朔太郎 中原中也 伊東静雄 立原道造集

132 ひそかに音もなくしのんでくるひとつの青ざめたふしぎ運命の暗い月夜を翔けさり の情慾 夜浪によごれた腐肉をついばみ泣きゐたりしが ひしゃう そはむしかへす麝香になやみ ああ遠く飛翔し去ってかへらず。 くるしくはづかしくなまめかしき思ひのかぎりをし 眺望 ああいま春の夜の灯かげにちかく しらふ 旅の記念として、室生犀星に うれしくも死蠍のからだを嗅ぎてもてあそぶ やさしいくちびるに油をぬりつけすべす・ヘとした白い肢 体をもてあそぶ。 さうさうたる高原である そはひとつのさびしい青猫 友よこの高きに立って眺望しよう。 君よ夢魔におびえてこのかなしい戯れをとがめたまふ僕らの人生について思惟することは すで ひさしく既に転変の憂苦をまなんだ さうくわい ここには爽快な自然があり 風は全景にながれてゐる。 瞳をひらけば じゃうし 瞳は追憶の情侈になづんで濡れるやうだ。 友よここに来れ ここには高原の植物が生育し 日向に快適の思想はあたたまる。 ああ君よ かうした情歓もひさしぶりだ。 海鳥 ある夜ふけの遠い空に らんぶ 洋燈のあかり白白ともれてくるやうにしる かなしくなりて家家の乾場をめぐり あるひは海岸にうろっき行き なみ くらい夜浪のよびあける響をきいてる。 しとしととふる雨にぬれて さびしい心臓はロをひらいた ああかの海鳥はどこへ行ったか。 じやかう ほしば たはむ め

5. 現代日本の文学 17 萩原朔太郎 中原中也 伊東静雄 立原道造集

142 懺悔のひとの姿あり。 夜の酒場 夜の酒場の 暗緑の壁に 穴がある。 かなしい聖母の額 額の裏に 穴がある。 ちつ。ほけな こがわむし 黄金虫のやうな 秘密の 魔術の・ほたんだ。 眼をあてて のそ そこから覗く 遠くの異様な世界は 妙なわけだが だれも知らない。 よしんば 酔っぱらっても えうくわいさかづき 青白い妖怪の酒盃は、 「未知」を語らない。 夜の酒場の壁に 穴がある。 月夜 へんてこの月夜の晩に ゆがんだ建築の夢と しるくはっと 酔っぱらひの円筒帽子。 見えない兇賊 両手に兇器 ふくめんの兇賊 往来にのさばりかへって 木の葉のやうに ふるヘてゐる奴。 いっしよけんめいでみつめてゐる みつめてゐるなにものかを だがかわいさうに うしろ 奴め背後に気がっかない、

6. 現代日本の文学 17 萩原朔太郎 中原中也 伊東静雄 立原道造集

君が「神軍」と題する詩をよめば 神人が虚空にひかり 見しといふ みんなみのいくさ 君もみにゆく うたげ 詩 神にささげてのむ御酒に 拾われら酔ひたり 二めぐり三めぐり いくさだち 軍立すがしき友をみてのめば ゆたけくもはや しんじん わがうたのふしに われうみぬ わがうたに みづからうみて みちのべに たれにかはきかせむ 送別 われら酔ひにけり 座にありし老叟のひとりの わが友の肩をいだきて こと ゑみこ・ほれいふ言は 「かくもよき たのもしき漢子に あなあはれ あなあはれうつくしき妻も得させで : : : 」 われら皆共にわらへば みづか わが友も自ら手拍ち うたひ出しふる歌ひとっ 「ますらをの あらの 曻むす荒野らに 咲きこそにほへ やまとなでしこ」 さはやけき心かよひの またひとしきりわらひさざめき のむ神酒や かなとで 門出をうながす声を きくまでは みき で をのこ

7. 現代日本の文学 17 萩原朔太郎 中原中也 伊東静雄 立原道造集

すべて幽霊のかたちで視える、 かってわたくしが視たところのものを、 はっきりと汝にもきかせたい およそこの類のものは、 さかんに装束せる、 光れる、 おほいなるかくしどころをもった神の半身であった。 陽春 ああ、春は遠くからけぶって来る、 ・ほっくりふくらんだ柳の芽のしたに、 やさしいくちびるをさしよせ、 をとめのくちづけを吸ひこみたさに、 春は遠くからごむ輪のくるまにのって来る。 ・ほんやりした景色のなかで、 白いくるまやさんの足はいそげども、 ゆくゆく車輪がさかさにまはり、 る かちぼう えしだいに梶棒が地面をはなれ出し、 におまけにお客さまの腰がへんにふらふらとして、 月 これではとてもあぶなさうなと、 とんでもない時に春がまっしろの欠伸をする。 くさった蛤 半身は砂のなかにうもれてゐて、 それで居てべろべろ舌を出して居る。 この軟体動物のあたまの上には、 砂利や潮みづが、ざら、ざら、ざら、ざら流れてゐる、 ながれてゐる、 ああ夢のやうにしづかにもながれてゐる。 すきま ながれてゆく砂と砂との隙間から、 はまぐり 蛤はまた舌べろをちらちらと赤くもえいづる、 この蛤は非常に憔悴れてゐるのである。 みればぐにやぐにやした内臓がくさりかかって居るらしい それゆゑ哀しげな晩かたになると、 青ざめた海岸に坐ってゐて、 ちら、ちら、ちら、ちらとくさった息をするのですよ。 春の実体 かずかぎりもしれぬ虫けらの卵にて、 春がみっちりとふくれてしまった、 しは

8. 現代日本の文学 17 萩原朔太郎 中原中也 伊東静雄 立原道造集

うらがなしい春の日のたそがれどき このひとびとの群は建築と建築との軒をおよいで 群集の中を求めて歩く どこへどうしてながれ行かうとするのか い′ら・つ 私のかなしい憂鬱をつつんでゐるひとつのおほきな地上 私はいつも都会をもとめる の日影 ただよふ無心の浪のながれ 都会のにぎやかな群集の中にることをもとめる 群集はおほきな感情をもった浪のやうなものだ ああどこまでもどこまでもこの群集の浪の中をもま どこへでも流れてゆくひとつのさかんな意志と愛欲とのぐ れて行きたい るうぶだ 浪の行方は地平にけむる ああものがなしき春のたそがれどき ひとつのただひとつの「方角」ばかりさしてながれ行か うよ 0 都会の入り混みたる建築と建築との日影をもとめ おほぎな群集の中にもまれてゆくのはどんなに楽しいこと ・カ その手は菓子である みよこの群集のながれてゆくありさまを ひとつの浪はひとつの浪の上にかさなり ぐあひ 浪はかずかぎりなき日影をつくり日影はゆるぎつつひろそのじつにかはゆらしいむつくりとしたエ合はどうだ がりすすむ そのまるまるとして菓子のやうにふくらんだ工合はどうだ うれ 人のひとりひとりにもっ憂ひと悲しみとみなそこの日影指なんかはまことにほっそりとしてしながよく に消えてあとかたもない まるでちひさな青い魚類のやうで ああなんといふやすらかな心で私はこの道をも歩いてやさしくそよそよとうごいてゐる様子はたまらない ああその手の上に接吻がしたい ああこのおほいなる愛と無心のたのしき日影 そっくりと口にあてて喰べてしまひたい たのしき浪のあなたにつれられて行く心もちは涙ぐましく なんといふすっきりとした指先のまるみだらう なるやうだ。 指と指との谷間に咲くこのふしぎなる花の風情はどうだ こ

9. 現代日本の文学 17 萩原朔太郎 中原中也 伊東静雄 立原道造集

わたしの心は恐れにふるえる、せつない、せつない、熱情 なにかの影のやうに薄く写ってゐた。 のうるみに燃えるやうだ。 おれのくびから上だけが、 ああいっかも、私は高い山の上へ登って行った、 おいらん草のやうにふるヘてゐた。 けはしい坂路をあふぎながら、虫けらのやうにあこがれて 登って行った、 さびしい人格 山の絶頂に立ったとき、虫けらはさびしい涙をながした。 あふげば、・ほう・ほうたる草むらの山頂で、おほきな白っ・ほ い雲がながれてゐた。 さびしい人格が私の友を呼ぶ、 わが見知らぬ友よ、早くきたれ、 ここの古い子に腰をかけて、二人でしづかに話してゐよ自然はどこでも私を苦しくする、 そして人情は私を陰鬱にする、 なにも悲しむことなく、きみと私でしづかな幸福な日をくむしろ私はにぎやかな都会の公園を歩きっかれて、 らさう、 とある寂しい木蔭に椅子をみつけるのが好きだ、 ぼんやりした心で空を見てゐるのが好ぎだ、 遠い公園のしづかな噴水の音をきいて居よう、 しづかに、しづかに、二人でかうして抱き合って居よう、 ああ、都会の空をとほく悲しくながれてゆく煤煙、 母にも父にも兄弟にも遠くはなれて、 またその建築の屋根をこえて、はるかに小さくつばめの飛 母にも父にも知らない孤児の心をむすび合はさう、 んで行く姿を見るのが好きだ。 ありとあらゆる人間の生活の中で、 おまへと私だけの生活について話し合はう、 ょにもさびしい私の人格が、 る えまづしいたよりない、一一人だけの秘密の生活について、 おほきな声で見知らぬ友をよんで居る、 ひざ にああ、その言葉は秋の落葉のやうに、そうそうとして膝のわたしの卑屈な不思議な人格が、 からす 月 上にも散ってくるではないか。 鴉のやうなみすぼらしい様子をして、 かたすみ ひとけ 人気のない冬枯れの椅子の片隅にふるえて居る。 わたしの胸は、かよわい病気したをさな児の胸のやうだ。 いんうつ ばいえん

10. 現代日本の文学 17 萩原朔太郎 中原中也 伊東静雄 立原道造集

来にかかわっているかもしれないし、彼が夭折しなか歳の夏に追分に静養しに行ったときであった。 ったら、その後にありえたのではないかと仮定してみ 彼は自分の健康のことをよく考えす、その後、東北 たくなる本格的な散文の仕事にも、かかわっているか関西、山陰、九州を旅行して、喀血のため入院した。 もしれない とにかく、それは、彼のポエジーの本質東京に戻ってきて絶対安静ののち、小康を保ったこと きれ が一種の綺ごとにあると見てはいけないということ もあったが、結局、次の年の春にこの世を去った。 を、暗示しているだろう。 立原道造のこのように短いが、しかしきわめて充実 あえて言えば、彼は魂の中の無残なものをも、たと した生涯については、萩原朔太郎の次の言葉がその核 えば「午後に」におけるよ、つに、そのソネットの美的 心をついているだろう。「不思議なことは、彼の肉体 秩序にさりげなく組み入れていたのであった。 の亡びた後でも、彼の抒情詩のエスプリだけが、不易 あしびやうし さびしい足拍手を踏んで に実在している」 山羊はしづかに草を食べてゐる 彼の抒情詩のエスプリが不易に実在するのは、それ あの緑の食物は私らのそれにまして が恵まれた青春のかぎりなく甘美な悲しみであるとと どんなにか美しい食事だらうー もに、夭折によって不意に氷結されたからである。腐 敗する瞬間もない永久化であり、そのことが、もとも 私の餓はしかしあれに と音楽的あるいは建築的な技術の粋によって、抒情が たどりつくことは出来ない 見事に構成されていたことを、さらに一層魅惑的なも ふるヘてゐる 私の、いはもっとさひしく のとして浮かびあがらせるのである。 私のをかしたあやまちといつはりのために 立原道造は、中原中也とともに、日本の現代詩にお 彼は建築事務所で知りあった女性、水戸部アサイと いて、天使のイメージに最も近い存在であろう。 愛しあうようになるが、彼女はやがて彼の結核におか された絶望的な病状を最後まで献身的に看護するよう 写真・資料に関しましては、萩原家、中原家、伊 になる 東家、立原家、および日本近代文学館の御協力を 得ました。写真の著作権は極力調査に当りました。 彼が次の詩集『優しき歌』を構想したのは、二十四