東京・浜町公園にて ( 昭和年春 ) 「四季」立原道造追悼號 ( 右 ) とそ の目次 ( 昭和Ⅱ年・ 5 月発行 ) 季上 ) 月立盟造坦料水 を立康第第 一 : 詩人てす朝立い第ま強イ ー第驫第物 : ー朝・」本も 室第こ当 : " 、こ第年 に村つを第第をを、 ( 幸を第を常れ子 物驪て・三・を 3 を 村 - 第冬 ーを 4 物 立第第物 : 上東京・数寄屋橋ミュンヘンに て ( 昭和 13 年 ) 左勤務先の建築 事務所にて ( 昭和 13 年 )
89 月に吠える 田中恭吉挿画「悔恨」 「月に吠える」初版本に収載。
185 純情小曲集 捧けたく思ふ私である事は、世の多くの読者とまたすこしも変らな いのである。 大正十三年初秋 萩原恭次郎
うなものの類ひが今光の方面を向いてゐる。光の方へ。それこそ彼ゐた。そこへは私は行かうとして行けなかったところだ。 跖の求めてゐる一切である。彼の詩のあやしさはポオでもポドレ = ル兄の健康は今兄の手にもどらうとしてゐる。兄はこれからも変化 でもなかった。それはとうてい病んだものでなければ窺知することするだらう。兄のあつい愛は兄の詩をますます砥ぎすました者にす のできない特種な世界であった。彼は祈った。かれの祈疇は詩の形るであらう。兄にとって病多い人生がカラリと晴れ上って兄の肉体 あたた 式であり懺悔の器でもあった。 を温めるであらう。私は兄を福祉する。兄のためにこの人類のすべ てが最っと健康な幸福を与へてくれるであらう。そして兄が此の悩 天上の松を恋ふるより、 ましくも美しい一巻を抱いて街頭に立っとしたらば、これを読むも 祈れるさまに吊されぬ のはどれだけ兄が苦しんだかを理解するやうになる。此の数多い詩 わか 篇をほんとに解るものは、兄の苦しんだものを又必然苦しまねばな さら・まく といふ天上縊死の一章を見ても、どれだけ彼が苦しんだことかがらぬ。そして皆は兄の蒼な手をとって親しく微笑して更らに健康 わか 判る。かれの詩は子供がははおやの白い大きい胸にすがるやうにすと勇気と光との世界を求めるやうになるであらう。更らにこれらの そり なっか きは なほな極めて懐しいものも其疾患の絶え間絶え間に物語られた。 詩篇によって物語られた特異な世界と、人間の感覚を極度までに繊 萩原君。 細に鋭どく働かしてそこに神経ばかりの仮令へば歯痛のごとき苦悶 私はここまで書いて此の物語が以前に送った跋文にくら・ヘて、どを最も新らしい表現と形式によったことを皆は認めるであらう。 こか物足りなさを感じた。君がふとしたことから跋文を紛失したと も一歩進んで言へば君ほど日本語にかげと深さを注意したものは 青い顔をして来たときに思った。あれは再度かけるものではない。 私の知るかぎりでは今までには無かった。君は言葉よりもそのかげ かけても其書いてゐたときの熱情と韻律とが二度と浮んでこないこと量と深さとを音楽的な才分とで創造した。君は楽器で表現できな とを苦しんだ。けれどもペンをとると一気に十枚ばかり書いた。け いリズムに注意深い耳をもってゐた。君自らが音楽家であったとい 、、、、、、けんばん れどもこれ以上書けよ、。 オしこれだけでは兄の詩集をけがすに過ぎふ事実をよそにしても、いろはにほへを鍵盤にした最も進んだ詩人 ぬ。一つは兄が私の跋文を紛失させた罪もあるが。 の一人であった。 唯私はこの二度目の此の文章をかいて知ったことは、兄の詩を余ああ君の魂に祝福あれ。 りに愛し過ぎ、兄の生活をあまりに知り過ぎてゐるために、私に批大声でしかも地響のする声量で私は呼ぶ。健康なれ ! おお健康 評が出来ないやうな気がすることだ。思へば私どもの交ってからもなれ ! と。 う五六年になるが、兄は私にとっていつもよい刺戟と鞭撻を与へて 千九百十六年十二月十五日深更 くれた。あの奇怪な『猫』の表現の透徹した心持は、幾度となく私 東京郊外田端にて の模倣したものであったが物にならなかった。兄の繊細な恐ろしい 室生犀星 過敏な神経質なものの見かたは、い つもサイコロジカルに滲透して ただ ばつぶん べんたっ たと
話七デーデー屋下駄なおし屋のこと。 極端な反抗を試みる芸術上の一主義。第一次世界大戦の末期 に、スイスで起ったのがはじまりで、たちまち全ヨーロッパに 話七ヂオゲネス Diogenes ギリシャの人名で、この名を持っ 波及、ついでわが国にも移入された。音楽・美術・文学・舞踊など た大儒学者や哲学者などがいる。 あたらよ の限界を意識的に破壊することに全的エネルギーを導入した。 一一咒良夜「あたら」は、惜しむべき、の意。月が出ていつまで 一呻吟作品などを生み出そうとして、うめき苦しむこと。 も眺めていたい夜。 一一耄絶えざる苛責中原の詩を理解するためのキーワードのびと 一五 0 竦然「悚然」と同じ。怖れてぞっとすること。 つ。過去を顧み、海と苛責にさいなまれた。 一五一とちれてゐるせりふなど、まごまごして間違えること。と ちる。 毛六倦怠中原の詩は、いわば「倦怠の美学」とでもいうべきも のであった。 一一五一一すだく虫が草原で集まって鳴くこと。 一一五五大高源吾赤穂浪士のひとり ( 一 672 ~ 】 703 ) 。榎本其角につ毛八擢歌歌と同じ。擢をさしながら舟人が歌う歌。 『在りし日の歌』のなかの「骨」に通うニ 一穴一俺の全身よ : ・ いて俳諧もたしなみ、吉良討入に際して功績の多かった人。 ヒリズムの詩情がここにもある。 一一丑わが半生傷ついたわが半生を顧みる詩が中原には多い 一五六大原女京都の北の大原の里より黒木を頭にのせて京の町に丞一けざやかにもはっきりとあざやかに。 c u ( フランス語 ) 妻を寝とられた男のこと。文 一穴三コキュー ものを売りにくる女。 学作品の主要なテーマによくなっている。 一メルヘン Märchen ( ドイツ語 ) 童話。 フィトル 一穴三コンテ con 氤クレョンの一種。フランス人コンテが発明し 一一六 0 号笛 whistel 普通は、「ホイスル」といっている。 たもの。デッサンによく用いる。 一一六一一チルシス羊飼いで、ヴェルギュウスの詩に出てくる。 一穴三池上の本門寺東京池上にある日蓮宗の寺。ここで毎年秋行 一一六一一アマントヴェルレーヌの詩に出てくる牧人。 なわれる日蓮上人の忌辰法会を「お会式」と称し、盛大で有名。 一一六四長門峡中原の故郷山口市の北方にある。 ll<k 水無河原水無川 ( 山口市の北方の小さな川 ) の河原。 一盍腓ふくらはぎ。 天八ヂレンマ dilemma ぬきさしならぬ羽目に陥ること。 解一一六五サイレン当時は正午を知らすのにサイレンがよく鳴った。 明治時代は「号砲」。 芸術論覚え書 一一奕麦稈真田夏の帽子などに用いる。麦藁が材料になってい 注 る。 一一九六名辞概念を「ことば」で表示したもの。文法的にいう「名 詞」とは異なり、多くの語の集合でもよい。また、形容詞など 未刊詩篇 で主語となるものでもよい。 一禿ダダダダイズム dadaism の略。伝統的な形式美を破壊し、一一九七モディフイケ 1 シ直ン modification 修飾、修正、加減。
310 あの朝鮮の役目をしたことを激しく後悔した 一一人の同窓はめい / \ の家の方へ わざとしばらくは徒歩でゆきながら あはれ 旧友を憐むことで久しぶりに元気になるのを感じた 田舎道にて 日光はいやに明に おれの行く田舎道のうへにふる そして自然がぐるりに おれにてんで見覚えの無いのはなぜだらう ひと 死んだ女はあっちで ずっとおれより賑やかなのだ でないとおれの胸がこんなに しんちゅうかご 真鍮の籠のやうなのはなぜだらう 其れで遊んだことのない おもちゃ おれの玩具の単調な音がする そしておれの冒険ののち や 名前ない体験のなり止まぬのはなぜだらう 真昼の休息 木柵の蔭に眠れる やすらひ 牧人は深き休息・ : 太陽の追ふにまかせて 1 らかの遠き泉に就きぬ われもまたかくて坐れり 二番花しく咲ける窓辺に 土の呼吸に徐々に後れつ 牧人はねむり覚まし 己が太陽とけものに出会ふ 約束の道へ去りぬ : ・ 一一番花乏しく咲ける窓辺に われはなほかくて坐れり 帰郷者 自然は限りなく美しく永久に住民は 貧窮してゐた はげ 幾度もいくども烈しくくり返し
420 私はもう次の木に行かう それがお前にそっくりだったら 私は身を投げる光りながら揺れるものに ここには扉もなく姿もない しづかに暗がりがのこりはじめる 風のうたった歌 その一 一日草はしやべるだけ 一日空は騒ぐだけ 日なたへ日かげへ過ぎて行くと ああ花色とにほひとかがやきと むかしむかしそのむかし 子供は花のなかにゐた しあはせばかり歌ばかり 子供はとほく旅に出た かすかに揺れる木のなかへ 忘れてしまった木のなかへ やさしくやさしく笑ひながら そよぎながらためらひながら ひねもす梢を移るだけ ひねもす空に消えるだけ その一一 森は不意にかげりだすそれは知らない夢のやうに 水や梢はかげりだす私がひとり笑はうとする くさむら くらく遠くの叢に そのあとちひさな光がもれ葉は一面に顫へだす 森は風を待ってゐる私は黙って目をとちる わたぐも 私は逃げるうすい綿雲を見ないため 空に大きな光が溢れ私はだんだん笑ひだす その三 いつまでも動いてゐたらかなしかった うたは消えて行った きはおんなじ言葉をくりかへし
280 ( 孤児の肌に唾吐きかけて ) はだへつば 孤児の肌に唾吐きかけて、 あとで泣いたるわたくしは 滅法界の大馬鹿者で、 今、タ陽のその中を きり、し 断崖に沿うて歩みゆき、 声の限りに笑はんものと またも愚かな願ひを抱き あとで泣くかや、わが心。 Qu'est ・ ce que c'est que n10 一 ~ 私のなかで舞ってるものは、 こほろぎでもない 秋の夜でもない。 南洋の夜風でもない、 やしじゅ 椰子樹でもない それの葉に吹く風でもない こずゑ それの梢と、すれすれにゆく雲でない月光でもない。 つまり、その : サムシング。 だが、なアんだその、サムシングかとは、 決して云ってはもらひますまい。 ( 火く風を心の友と ) 吹く風を心の友と ロ笛に心まぎらはし 私がげんげ田を歩いてゐた十五の春は 煙のやうに、野羊のやうに、パルプのやうに、 とんで行って、もう今頃は、 どこか遠い別の世界で花咲いてゐるであらうか 耳を澄ますと げんげの色のやうにはちらひながら遠くに聞こえる あれは、十五の春の遠い音信なのだらうか 滲むやうに、日が暮れても空のどこかに あの日の昼のまゝに あの時が、あの時の物音が経過しつつあるやうに思はれる
まだ猟せざる山の夢 ねむ 彼方に昼は睡りこみ けたい 懈怠はつづき夜が来る この国の夜のならはし 野づらを覆ひ 絶え間なく こよひ 稲妻は今宵もわが窓を射る その十の鋭矢が 小舎の内外を十倍に ふかむる闇の恐ろしさ 待ちまうけたるその楽しさ めくら わが眩みの底に この世ならぬ山に あゝ鹿が飛ぶ 鹿が飛ぶ その四つの脚は 詩 無限に地を蹴ず - 遺はがね 拾刃金よりもなほ薄く 尚蒼白い尾根を飛ぶ かなた 拒絶 荒れにし寺井のほとり 白き石の上に坐り 多くの時をわれは消しぬ 意味ありげなる雲浮び 草は茎高く黙し : またも夏の来れるさまを見たり わが胸を通らずなりしのち なは しかく尚わが目にうつり 四季のめぐり至るは何ゅゑそ 万物よはやわれに関はるなかれ * こもりゐゐみづ 隠井の井水はあへて 汝らを歌ふことはあらじ さる人に 曾てわれ等そのほとりに生ひ立ちし川の上に みづか 汝はいま自ら宵の金星と輝く 朝に太陽のりしとき けいめい われはわが鶏鳴をこそ信じたりしか かっ
166 ー ~ をい 散歩者のうろうろと歩いてゐる 十八世紀頃の物わびしい裏町の 図通りがあるではないか 青や赤や黄色の旗がびらび 之らして 街むかしの出窓に・フリキの帽子が 並んでゐる。 どうしてこんな情感の深い市 街があるのだらう。 ーーー荒寥地方ーーー