のうらさびしさよ、 地面には春が疱瘡のやうにむつくりと吹き出して居る。 力をこめて引きはなされた二つの影は、糸のやうにもつれ あかりまど あひつつ、ほのぐらき明窓のあたりをさまようた。 おれはいちらしくも雲雀の卵を拾ひあげた。 人は自分の頭のうへに、それらの悲しい幽霊の通りゆく姿 をみた。 おとな 笛 大人は恐ろしさに息をひそめながら祈をはじめた 「神よ、ふたつの心をひとつにすることなからしめたまへ」 とびら 子供は笛が欲しかった。 けれどもながいあひだ、幽霊は扉のかげを出入りした。 その時子供のお父さんは書きものをして居るらしく思はれ扉のかげにはさくらの花のにほひがした。 そこには青白い顔をした病身のかれの子供が立って居た。 子供はお父さんの部屋をのそぎに行った。 子供は笛が欲しかったのである。 とびら 子供はひっそりと扉のかげに立ってゐた。 扉のかげにはさくらの花のにほひがする。 子供は扉をひらいて部屋の一隅に立ってゐた。 子供は窓際のですくに突っ伏したおほいなる父の頭脳をみ そのとき室内で大人はかんがへこんでゐた、 大人の思想がくるくるとまきをした、ある混み入った思その頭脳のあたりは世しい陰影になってゐた。 ひきつけ 想のちれんまが大人の心を痙攣させた。 子供の視線が蠅のやうにその場所にとまってゐた。 みれば、ですくの上に突っ伏した大人の額を、いつのまに子供のわびしい心がなにものかにひきつけられてゐたの へび か蛇がぎりぎりとまきつけてゐた。 それは春らしい今朝の出来事が、そのひとの心を憂はしくしだいに子供の心が力をかんじはじめた、 したのである。 子供は実に、はっきりとした声で叫んだ。 みればそこには笛がおいてあったのだ。 本能と良心と、 子供が欲しいと思ってゐた紫いろの小さい笛があったの おとな わかちがたき一つの心をふたつにわかたんとする大人の心 こ 0 おとな うれ 」 0 こ 0
325 夏花 ろくぐわっよ わづかにおのれがためにこそ 六月の夜と昼のあはひに みづか 深く、美しき木蔭をつくれ。 万象のこれは自ら光る明るさの時刻。 ひと われも亦、 遂ひ逢はざりし人の面影 いつけい あふひ 一茎の葵の花の前に立て。 せつげん するちゅ , くわ 雪原に倒れふし、飢ゑにかげりて へがたければわれ空に投げうつ水中花。 おほか きんぎよ 青みし狼の目を、 金魚の影もそこに閃きつ。 しばし夢みむ。 すべてのものは吾にむかひて 死ねといふ、 みなづき わが水無月のなどかくはうつくしぎ。 水中花 すゐちゅうくわ 自然に、充分自然に 水中花と言って夏の夜店に子供達のために売る品がある。 木のうすい / 、削片を細く圧搾してつくったものだ。その まゝでは何の変哲もないのだが、一度水中に投ずればそれ草むらに子供は蹴く小鳥を見つけた。 は赤青紫、色うつくしいさまざまの花の姿にひらいて、哀子供はのがしはしなかった。 ひんし れに華やいでコップの水のなかなどに凝としづまってゐけれど何か瀕死に傷いた小鳥の方でも る。都会そだちの人のなかには瓦斯燈に照しだされたあのはげしくその手の指に噛みついた。 人工の花の印象をわすれずにゐるひともあるだらう。 子供はハットその愛撫を裏切られて ことし * みなづき 今歳水無月のなどかくは美しき。 小鳥をカまかせに投げつけた。 のきば いぶき 軒端を見れば息吹のごとく 小鳥は奇妙につよくをり つり ひるがヘ 萠えいでにける釣しのぶ。 翻り自然にかたへの枝をえらんだ。 しの 忍ぶべき昔はなくて われ 何をか吾の嘆きてあらむ。 自然に ? 左様充分自然にー はな また じっ ひらめ
空の青も涙にうるんでゐる ポプラがヒラヒラヒラヒラしてゐて せんこく 子供等は先刻昇天した ひなた もはや地上には日向・ほっこをしてゐる 月給取の妻君とデーデー屋さん以外にゐない デーデー屋さんの叩くの音が ただひと 明るい廃墟を唯独りで讃美し廻ってゐる あゝ、誰か来て僕を助けて呉れ ヂオゲネスの頃には小鳥くらゐ啼いたらうが けふびは雀も啼いてはをらぬ 地上に落ちた物影でさへ、はや余りに淡い どこ るなか さるにても田舎のお嬢さんは何処に去ったか おしばな その紫の押花はもうにじまないのか 草の上には陽は照らぬのか 昇天の幻想だにもはやないのか ? の し僕は何を云ってゐるのか かす 在如何なる錯乱に掠められてゐるのか 蝶々はどっちへとんでいったか 今は春でなくて、秋であったか あは ではあゝ、濃いシロップでも飲まう 冷たくして、いスト。ーで飲まう とろとろと、脇見もしないで飲まう 何にも、何にも、求めまいー 朝鮮女 朝鮮女の服の紐 秋の風にや縒れたらん 街道を往くをりをりは 子供の手をば無理に引き 額めし汝が面そ しやくどうひもの 肌赤銅の乾物にて なにを思へるその顔ぞ まことやわれもうらぶれし ほう こころに呆け見ゐたりけむ われを打見ていぶかりて 子供うながし去りゆけり : : : ほこり 軽く立ちたる埃かも 何をかわれに思へとや 軽く立ちたる埃かも 何をかわれに思へとや : ・ をんな おも
心の奥に望みはそんなにしづまる : ・ しあはせは五月のたのしみのなかに湧き それは僕のねがひ それは大きい Ⅲ りんご お・ほえてゐるかしらーーーお前に僕は林擒を持って行って あげたお前の髪の毛に手をいれしづかにやさしく撫でた 知ってゐるかしらーーその頃は僕はたのしかった お前はほんの子供だった 心のなかに若い望みと老いたかなしみが燃えてゐた : 僕はお前のにくちづけし お前の眼は見ひらいてよろこばしげに僕を見た 日曜日だったとほい鐘が鳴ってゐた 光は森に満ちてゐた Ⅳ 他 せ僕ら一一人はってゐた考〈こんで ぶだう 寄葡萄の葉のかげにお前と僕と 風頭の上ににほひのよい蔓のなかに はち どこかで蜂がぶんぶん唸ってゐた 五色の輪がきらりと かね お前の髪にちょっとの間やすんだ : 僕は何も言はなかったただ一遍しづかに 「何といふうつくしい眼を お前は持ってゐるんだらう」 夜は銀の火花のついた着物を着て 一撼みの夢を播き散らす すると僕は深い心の奥まで うっとりと酔ったやうだ 子供らがクリスマスを見るやうに ああそれは、かがやきと金のはしばみ 僕は見てゐるお前が五月の夜を通って行くのを お前が花たちにくちづけるのを ひとっか もししづかに鐘のやうに澄んだお前の 笑ひ声ばかりが僕にひびくならば もしそのとき子供らしい大きな驚きに いっぺん
378 るなか 田舎の人は言ってゐる。稲妻多い夏の夜は、 授う娶う みの 豊饒な秋の実りの予告だと。 子供はそれを、きっと然うだと思ふ。 そして、凝と地平を視つめる。 お娶いそこ 大勢其処には子供らが集ってゐて、 盛んにおほ声で笑ひこけながら いたづら こんなに賑やかな、にぎやかな悪戯を、 してゐるのではないか ? 往還の、強く涼しい風にも冷えて、 そんなふうに子供は楽しく考へる。 ひるま 昼間見なれぬ遠い部落々々 ぎら 川の帯の煌めきや不思議な大ぎい雲の印象が、 一時にはっとするほど瞳の底に閃いては、 あと 後は、一層暗いくらい闇。 その小気味よい光と闇の鬼遊びー こきみ じっ ひとみ おにあそ 柳 かき いくか やま吹の咲きゐる垣ねのヘに、やなぎは幾日 ちりにし穂状花そ。 葉をもるしろきひかりに交はりて、 わが取りおとす、駐へごころひとに知られず。 春をよろこぶものの目に、朝かげと タ陽のひかり目立たぬ季節なれ、 山吹はいっか移りし、卯のはなのいましろぎ垣べを 柳はおのれさ揺れつつ、青くかすかに照らすなり。 かかるとき、かかるこころの、玉ゆらの青きかげに 言れか驚きて見入らざらん。 * なりはひ ながぎとし月、過計の心われより奪ひにし かの奇しくあかるきおもかげぞそこに立てれば。 みちのべに ゅふひ かなしみふりぬ こころのくま すもじゃうくわ 友来りこのごろ歌なきをわれに責む
420 私はもう次の木に行かう それがお前にそっくりだったら 私は身を投げる光りながら揺れるものに ここには扉もなく姿もない しづかに暗がりがのこりはじめる 風のうたった歌 その一 一日草はしやべるだけ 一日空は騒ぐだけ 日なたへ日かげへ過ぎて行くと ああ花色とにほひとかがやきと むかしむかしそのむかし 子供は花のなかにゐた しあはせばかり歌ばかり 子供はとほく旅に出た かすかに揺れる木のなかへ 忘れてしまった木のなかへ やさしくやさしく笑ひながら そよぎながらためらひながら ひねもす梢を移るだけ ひねもす空に消えるだけ その一一 森は不意にかげりだすそれは知らない夢のやうに 水や梢はかげりだす私がひとり笑はうとする くさむら くらく遠くの叢に そのあとちひさな光がもれ葉は一面に顫へだす 森は風を待ってゐる私は黙って目をとちる わたぐも 私は逃げるうすい綿雲を見ないため 空に大きな光が溢れ私はだんだん笑ひだす その三 いつまでも動いてゐたらかなしかった うたは消えて行った きはおんなじ言葉をくりかへし
なにかの夢魔におびやかされ Ⅱかなしく青ざめて吠えてゐます。 のをああるとをああるやわあ もろこしの葉は風に吹かれて さわさわと闇に鳴ってる。 お聴きーしづかにして 道路の向うで吠えてゐる とほぼえ あれは大の遠吠だよ。 のをああるとをああるやわあ 大は飢ゑてゐるのです。」 遠くの空の微光の方から ふるヘる物象のかげの方から なが 大はかれらの敵を眺めた 遺伝の本能のふるいふるい記憶のはてに あはれな先祖のすがたをかんじた。 大のこころは恐れに青ざめ 夜陰の道路にながく吠える。 のをああるとをああるのをああるやわああ 「犬は病んでゐるの ? お母あさん。」 「いいえ子供 「犬は病んでゐるの ? お母あさん。」 「いいえ子供 犬は飢ゑてゐるのですよ。」 ねぼけた桜の咲くころ 白い・ほんやりした顔がうかんで 窓で見てゐる。 ふるいふるい記憶のかげで どこかの波止場で逢ったやうだが には すみれ 菫の病鬱の匂ひがする 外光のきらきらする子窓から ああ遠く消えてしまった虹のやうに。 私はひとつの憂ひを知る 生涯のうす暗い隅を通って ふたたび永遠にかへって来ない。 白い牡鶏 るなかにはとり わたしは田舎の鶏です らいふ すみ にじ
新しい信条は左の通りである。 泥棒市が、泥棒市でなかったら どんなに魅力がないことだらう。 いつはからくり 私たちは商人の詐りの機に 謝せねばならぬ。 私に欠けてゐるすべてのものを 盗まれたと、思ひこむのは これは、私のこの上なく楽しい権利。 市中の或る一家 馬用水の傍で彼は歌ふ 何かそれで買ふことの出来るものを どうしても思ひ出せない、 一つの小さい銀貨と 恐ろしく永い退屈な時間が私にある。 詩 木々は銅像よりももっとよごれてゐて、その下の 拾馬用水の所に馬が行きっき よろ / \ と其処からのむ。 さっきから私の前を往ったり来たりすゑ巡査は そば 次の、或はその次の電車で 私の思ひもかけないものが来るだらうといふ遊戯を 私に許してゐる。 換軌夫は鉄の棒を突っこみながら 交代の時間をはかるために胸のかくしに左手をやる。 残された夫 私はまだ床の中にゐるうちに妻は出て行った。 貧乏学校の子供らに不良な日曜を与へてはならぬ。 彼らは紙屑や襤褸の散らばった臭いにほひのする広場に集 められて 彼第の図でお遊戯やお相撲をしてゐることだらう。 だんだってする事がないからぐるっと彼らを取巻いて、 飃ろ、燥いでゐる彼をにや / \ 眺めてゐることだらう。 匿名の慈善家は今日もそれらの哀れな子供らに、 彙の手から食・ヘ物の袋を配らせるだらうか。 かみくづぼろ
おお、もちろん、わたくしの腰から下ならば、 そのへんがはっきりしないといふのならば、 いくらか馬鹿げた疑問であるが、 もちろん、つまり、この青白い窓の壁にそうて、 家の内部に立ってゐるわけです。 内部に居る人が畸形な病人に見える理由 椅子 わたしは窓かけのれいすのかげに立って居ります、 それがわたくしの顔をうすぼんやりと見せる理由です。 椅子の下にねむれるひとは、 わたしは手に遠めがねをもって居ります、 おほいなる家をつくれるひとの子供らか。 それでわたくしは、ずっと遠いところを見て居ります、 につける製の犬だの羊だの、 春夜 あたまのはげた子供たちの歩いてゐる林をみて居ります、 それらがわたくしの瞳を、いくらかかすんでみせる理由で * あさり す。 浅蜊のやうなもの、 さらた わたくしはけさきや・ヘつの皿を喰・ヘすぎました、 蛤のやうなもの、 みちんこのやうなもの、 そのうへこの窓硝子は非常に粗製です、 はなは からだ それがわたくしの顔をこんなに甚だしく歪んで見せる理由それら生物の身体は砂にうもれ、 どこからともなく、 です。 絹いとのやうな手が無数に生え、 じっさいのところを言へば、 手のほそい毛が浪のまにまにうごいてゐる。 わたくしは健康すぎるぐらゐなものです、 あはれこの生あたたかい春の夜に、 それだのに、なんだって君は、そこで私をみつめてゐる。 そよそよと潮みづながれ、 なんだってそんなに薄気味わるく笑ってゐる。 はまぐり くさった蛤 なやましき春夜の感覚とその疾患 ガラス め
228 おもはく なんぢ 思惑よ、汝古く暗き気体よ、 わが裡より去れよかし ! われはや単純と静けき呟きと、 せいそ とまれ、清楚のほかを希はず。 羊の歌 羊の歌 安原喜弘に 死の時には私が仰向かんことをー あご この小さな顎が、小さい上にも小さくならんことをー それよ、私は私が感じ得なかったことのために、 罰されて、死は来たるものと思ふゅゑ。 あゝ、その時私の仰向かんことをー せめてその時、私も、すべてを感ずる者であらんことをー っふや わか をじよく 交際よ、汝陰鬱なる汚濁の許容よ、 あらた 更めてわれを目覚ますことなかれー こじゃく われはや孤寂に耐へんとす、 わが腕は既に無用の有に似たり。 まなこ 汝、疑ひとともに見開く眼よ 見開きたるまゝに暫しは動かぬ眼よ、 おのれ ああ、己の外をあまりに信ずる心よ、 それよ思惑、汝古く暗き空気よ、 わが裡より去れよかし去れよかし ! われはや、貧しきわが夢のほかに興・せず Ⅲ 九歳の子供がありました 女の子供でありました 世界の空気が、彼女の有であるやうに またそれは、凭つかかられるもののやうに くび 彼女は頸をかしげるのでした 私と話してゐる時に。 我が生は恐ろしい嵐のやうであった、 其処此処に時々陽の光も落ちたとはいへ。 ホードレール もの