遠く - みる会図書館


検索対象: 現代日本の文学 17 萩原朔太郎 中原中也 伊東静雄 立原道造集
361件見つかりました。

1. 現代日本の文学 17 萩原朔太郎 中原中也 伊東静雄 立原道造集

128 さかんに強い力をもってびろがりゆく生命のよろこびだ。 まづしい女の子のやうに海岸に出で貝でも拾ってゐよう みよひとつの魂はその上にすすりなぎ ねちくれた松の木の幹でも眺めてゐよう がっしゃう ひとつの魂はその上に合掌するまでにいたる さうして灰色の砂丘に坐ってゐると あいれん ああかくのごとき大いなる愛憐の寝台はどこにあるか 私は私のちひさな幸福に涙がながれる。 それによって悩めるものは慰められ求めるものはあたへああかれをして遠く遠く沖の白浪の上にかへらしめろ られ かれにはかれの幸福がある。 みなその心は子供のやうにすやすやと眠る ああかくして、一羽の鳥は青空に飛び行くなり。 ああこのひとつの寝台あこがれもとめ夢にみるひとっ の寝台 まぼろし 冬の海の光を感ず ああこの幻の寝台はどこにあるか。 遠くに冬の海の光をかんずる日だ おほなみおと 青空に飛び行く さびしい大浪の音をきいて心はなみだぐむ。 けふ沖の鳴戸を過ぎてゆく舟の乗手はたれなるか かひな かれは感情に飢ゑてゐる。 その乗手等の黒き腕に浪の乗りてかたむく かれは風に帆をあげて行く舟のやうなものだ ひとり凍れる浪のしぶきを眺め こすゑ かれを追ひかけるな 海岸の砂地に生える松の木の梢を眺め こび ひなたは かれにちがづいて媚をおくるな ここの日向に這ひ出づる虫けらどもの感情さへ なみ かれを走らしめろ遠く白い浪のしぶきの上にまで。 あはれを求めて砂山の影に這ひ登るやうな寂しい日だ ああかれのかへってゆくところに健康がある。 遠くに冬の海の光をかんずる日だ まっ白な大きな幸福の寝床がある。 ああわたしの憂愁のたえざる日だ 私をはなれて住むときには かうかうと鳴るあの大きな浪の音をきけ わづ かれにはなんの煩らひがあらうー あの大きな浪のながれにむかって 私は私でここに止ってゐよう 孤独のなっかしい純銀の鈴をふり鳴らせよ なが なが

2. 現代日本の文学 17 萩原朔太郎 中原中也 伊東静雄 立原道造集

二三の書籍ーーその中に。フラトンのパイドン篇の ありしこといま思ひ出てをかしかり 私物ことごとく路傍に捨てさりつ 十一月のことなりしに しきりに赤蜻蛉の飛びゐしを 失はむとする意識のうちにも 不思議なるものに思ひしをお・ほゆるのみ すでに命あやふきをさとりぬ 軍の過ぎゅきしのち 絶えず何処よりともなく道の端家の蔭 さてはふと畑のなかに現れて にわれを見凝めてはなれざる 土民の目の色はそを語れり たふれむとしては幾たび われもまた心決しつ はづかしめ もののふ 凌辱到らむときの武夫がなすべきことを ぎ突然灼くるがごとき平手うち つづけざま頬は感じぬ 春げにいかにしてありける我そ 友軍の一下士官と一一人の兵 たそが 黄昏れし空気のなかにわが目の前に立てりけり 救はむとして来れるひとに 直立し敬礼すれば 眼より涙あふれおち ーー黙して従ひゆきぬ かくていくばくの丘陵を越えけむ 二日の後のタベ 判うじて部隊とともに商城の街に入るを得れば さながら鉄の絜しく錆びゆくにほひ ちまた 檐低き巷に満てりーー・われ初めて 血をかぎぬ さて一年半部隊は解かれつ わが中隊の兵にして すこや われもっとも健かに運強かりし 二人のうちの一人なりきと言はば 君は果して信じ給ふや かく言ひ終りて友はしづかに頬笑みぬ 七月一一日・初蝉 あけがた ねむり 眠からさめて はっみ 初蝉をきく まなこ

3. 現代日本の文学 17 萩原朔太郎 中原中也 伊東静雄 立原道造集

私はときがたい神秘をおもふ そこやかしこの暗い森から 万有の生命の本能の孤独なる ふもと 永遠に永遠に孤独なる情緒のあまりに花やかなる。 また遙かなる山山の麓の方から さびしい弧燈をめあてとして むらがりつどへる蛾をみる。 片恋 蝗のおそろしい群のやうに 光にうづまきくるめき押しあひ死にあふ小虫の群団。 市街を遠くはなれて行って 僕等は山頂の草に坐った 人里はなれた山の奥にも 空に風景はふきながされ 夜ふけてかがやく弧燈をゆめむ。 ぎ・ほしゆきしだわらびの類 さびしい花やかな情緒をゆめむ。 ほそくさよさよと草地に生えてる。 さびしい花やかな燈火の奥に 君よ弁当をひらき ふしぎな性の悶えをかんじて つばさ はやくその卵を割ってください。 重たい翼をばたばたさせる 私の食慾は光にかっえ かすてらのやうな蛾をみる あなたの白い指にまつはる あはれな孤独のあこがれきったいのちをみる。 果物の皮の甘味にこがれる。 いのちは光をさして飛びかひ かご 猫光の周囲にむらがり死ぬ 君よなぜ早く籠をひらいて にぎ ちそ ) ああこの賑はしく艷めかしげなる春夜の動静 鶏肉の腸詰の砂糖煮の燻肉のご馳走をくれないのか ・ほくは飢ゑ 青露っぽい空気の中で 花やかな弧燈は眠り燈火はあたりの自然にながれてゐぼくの情慾は身をもだえる。 ながれてゐる哀傷の夢の影のふかいところで 君よ はる あかり なま

4. 現代日本の文学 17 萩原朔太郎 中原中也 伊東静雄 立原道造集

静物 静物のこころは怒り そのうはべは哀しむ うつは この器物の白き瞳にうつる 窓ぎはのみどりはつめたし。 涙 ああはや心をもつばらにし われならぬ人をしたひし時は過ぎゅけり さはさりながらこの日また心悲しく わが涙せきあへぬはいかなる恋にかあるらむ っゅばかり人を憂しと思ふにあらねども かくありてしきものの上に涙こぼれしをいかにす・ヘき 集ああげに今こそわが身を思ふなれ 涙は人のためならで 純我のみをいとほしと思ふばかりに嘆くなり。 かな 蟻地獄 あり ありぢごくは蟻をとらへんとて おとし穴の底にひそみかくれぬ たんらんひとみ ありぢごくの貪婪の瞳に かげろふはちらりちらりと燃えてあさましゃ。 ほろほろと砂のくづれ落つるひびきに かく ありぢごくはおどろきて隠れ家をはしりいづれば なにかしらねどうすく長きものが走りて居たりき。 ありぢごくの黒い手脚に かんかんと日の照りつける夏の日のまっぴるま あるかなきかの虫けらの落す涙は 草の葉のうへに光りて消えゆけり。 あとかたもなく消えゆけり。 利根川のほとり きのふまた身を投げんと思ひて 利根川のほとりをさまよひしが 水の流れはやくして わがなげきせきとむるすべもなければ

5. 現代日本の文学 17 萩原朔太郎 中原中也 伊東静雄 立原道造集

白薇の造花の花弁 てつきて心もあらず 明けき日の乙女の集ひ それらみなふるのわが友 * へんりようけし しゅうせつめん 偏菱形Ⅱ聚接面そも こきゅう 胡弓の音つづきてきこゅ 夜更の雨 ・ユルレーヌの面影 こよひ 雨は今宵も昔ながらに、 うた 昔ながらの唄をうたってる。 だらだらだらだらしつこい程だ。 づうたい と、見る・ヱル氏のあの図体が、 倉庫の間の路次をゆくのだ。 の ひかり し倉庫の間にや護謨合羽の反射だ。 ふざ それから泥炭のしみたれた巫戯けだ。 在 さてこの路次を抜けさへしたらば、 抜けさへしたらとほのかなのぞみだ : ・ いやはやのぞみにや相違もあるまい ? しろまら くわペん かつば つど 自動車なんぞに用事はないぞ、 あかるい外燈なそはなほのことだ。 あかり 酒場の軒燈の腐った眼玉よ、 * せいみ 遐くの方では舎密も鳴ってる。 早春の風 けふ一日また金の風 大きい風には銀の鈴 ひとひ けふ一日また金の風 女王の冠さながらに たく 卓の前には腰を掛け かびろき窓にむかひます 外吹く風は金の風 大きい風には銀の鈴 びとひ けふ一日また金の風 枯草の音のかなしくて 煙は空に身をすさび 日影たのしく身を嫋ぶ とは ひとひ なよ

6. 現代日本の文学 17 萩原朔太郎 中原中也 伊東静雄 立原道造集

曇天 ある朝僕は空の中に、 黒い旗がはためくを見た。 はたはたそれははためいてゐたが、 音はきこえぬ高きがゆゑに。 手繰り下ろさうと僕はしたが、 綱もなければそれも叶はず、 旗ははたはたはためくばかり、 おくが 空の奥処に舞ひ入る如く。 あした かゝる朝を少年の日も、 屡々見たりと僕は憶ふ。 かの時はそを野原の上に、 今はた都会の甍の上に。 歌 の へだ 日 かの時この時時は隔つれ、 し 此処と彼処と所は異れ、 在 はたはたはたはたみ空にひとり、 いまも渝らぬかの黒旗よ。 しばしば 、らか かな 蜻蛉に寄す あんまり晴れてる秋の空 とんぼ 赤い蜻蛉が飛んでゐる あは 淡いタ陽を浴びながら 僕は野原に立ってゐる 遠くに工場の煙突が タ陽にかすんでみえてゐる 大きな溜息一つついて 僕はなで石を拾ふ その石くれの冷たさが ゃうやしゅちゅう 漸く手中でぬくもると 僕は拠して今度は草を タ陽を浴びてる草を抜く 抜かれた草は土の上で ほのかほのかに萎えてゆく 遠くに工場の煙突は かす タ陽に霞んでみえてゐる

7. 現代日本の文学 17 萩原朔太郎 中原中也 伊東静雄 立原道造集

8 悲しぎ忍従に耐えむより むち はや君の鞭の手をあげ殺せかし。 打ち殺せかしー打ち殺せかしー 帰郷 昭和四年の冬、妻と離別し二児を抱へて故郷に帰る わが故郷に帰れる日 汽車は烈風の中を突き行けり。 ひとり車窓に目醒むれば 汽笛は闇に吠え叫び 火焔は平野を明るくせり。 まだ上州の山は見えずや。 ほのぐら 夜汽車の仄暗き車燈の影に 母なき子供等は眠り泣き ひそかに皆わが憂愁を探れるなり。 嗚呼また都を逃れ来て づこ * 何所の家郷に行かむとするぞ。 せきれう 過去は寂寥の谷に連なり 未来は絶望の岸に向へり。 されき 砂礫のごとき人生かな ! われ既に勇気おとろへ あんたん 暗憺として長なへに生きるに倦みたり。 のほ さく いかんぞ故郷に独り帰り さびしくまた利根川の岸に立たんや。 汽車は礦野を走り行き ひかん 自然の荒寥たる意志の彼岸に いきどはり騰 人の憤怒をしくせり。 家庭 古き家の中に坐りて たがひをだ 互に黙しつつ語り合へり。 仇敵に非ず 債鬼に非ず なほ 死ぬるとも尚離れざるべし。」 ふくしう 眼は意地悪しく復讐に燃え憎々しげに刺し貫ぬく。 古き家の中に坐りて すべ 脱るべき術もあらじかし。 珈琲店酔月 かわ 坂を登らんとして渇きに耐えず さうらう どあ 蹌踉として酔月の扉を開けば 「見よ ! われは汝の妻 のが にくにく

8. 現代日本の文学 17 萩原朔太郎 中原中也 伊東静雄 立原道造集

虹の輪 風と枯木の歌 あたたかい香りがみちて空から ( ( むかしむかし明るい草原ばかりを吹いてゐた 花を播き散らす少女の天使の掌が 野あざみや野ばらがれそこには花咲いてゐた のぞ 雲のやうにやはらかに覗いてゐた あれはもう夢のやうわたしの声を もた おまへはに凭れかかりうっとりとそれを眺めてゐた ひとびとは胸をどきどきさせて聞いてゐた : 夜が来ても小鳥がうたひ朝が来れば ( ( それは誰もおなじことだおれに一羽の くさむら しづく 叢に露の雫が光って見えたーー真珠や 小鳥が住んでゐた朝ごとにひとつの眼覚めを持って なめ たたす 滑らかな小石や刀金の叢にふたりは ひとが来てかげに佇んでよくささやいたものだった おれ もう一度逢ふ日はないかとーーー己はいつも黙ってゐたからやさしい樹木のやうに腕をからませをののいてゐた 吹きすぎる風のほほゑみに撫でて行く ( ( ひとしきり落葉して天色のなかに灰色で 朝のしめったそよ風の : : : さうして あなたの姿は描かれたその日から 一日が明けて行った暮れて行った わたしは歌をかへはじめたもうだれも私をうけとらない 他 おまへの瞳は僕の瞳をうっしそのなかに せ ( ( おまへは己をいつも傷めるーーおまへが 寄うたってゐるのだらうかおれがうたってゐるのだらうかもっと遠くの深い空や昼でも見える星のちらっきが かな こころよくこよない調べを第でくりかへしてゐた 風こんな哀しいくりごとをーああ雲のゆききの冷いこ いた ひとひ ひとみ はがね

9. 現代日本の文学 17 萩原朔太郎 中原中也 伊東静雄 立原道造集

310 あの朝鮮の役目をしたことを激しく後悔した 一一人の同窓はめい / \ の家の方へ わざとしばらくは徒歩でゆきながら あはれ 旧友を憐むことで久しぶりに元気になるのを感じた 田舎道にて 日光はいやに明に おれの行く田舎道のうへにふる そして自然がぐるりに おれにてんで見覚えの無いのはなぜだらう ひと 死んだ女はあっちで ずっとおれより賑やかなのだ でないとおれの胸がこんなに しんちゅうかご 真鍮の籠のやうなのはなぜだらう 其れで遊んだことのない おもちゃ おれの玩具の単調な音がする そしておれの冒険ののち や 名前ない体験のなり止まぬのはなぜだらう 真昼の休息 木柵の蔭に眠れる やすらひ 牧人は深き休息・ : 太陽の追ふにまかせて 1 らかの遠き泉に就きぬ われもまたかくて坐れり 二番花しく咲ける窓辺に 土の呼吸に徐々に後れつ 牧人はねむり覚まし 己が太陽とけものに出会ふ 約束の道へ去りぬ : ・ 一一番花乏しく咲ける窓辺に われはなほかくて坐れり 帰郷者 自然は限りなく美しく永久に住民は 貧窮してゐた はげ 幾度もいくども烈しくくり返し

10. 現代日本の文学 17 萩原朔太郎 中原中也 伊東静雄 立原道造集

明るいラン。フ わたしたち何故今まで考へなかったのでせう ランプのこと どこでもランプを使ってゐるのね 少女は急に熱心に母の方にいひかけて ちらと青年の顔を見る ( 学校を卒へた青年に けふ電報が来て ゐなか 田舎の両親は早く帰っておいでといってゐる ) 0 「反響」以後 ローソクのゆれる火影に 母親は娘を見それから青年を見る よくお店で売ってゐるわね反射鏡のついたランプ あすあれ是非買ひませうよ あかるいわよきっと しん だまってローソクの芯をつついてゐる青年を 今度はまっすぐに見て少女はいふ 青年がここに泊って 反射鏡づきの その明るいランプを見てゆくことを 作者は祈る ) 小さい手帳から 一日中燃えさかった真夏の陽の余燼は まだかがやく赤さで こすゑ 高く野の梢にひらめいてゐる けれど築地と家のかげはいっかひろがり 沈静した空気の中に白や黄の花々が 次第にめいめいの姿をたしかなものにしながら ( 明晩もうひと晩 よじん