馴れていた倉子は、今日のような会合ではとりわけうわては関のことを打ち明けなかったために母の前で感じたうし なもったいぶった態度を示した。 ろめたさとは、別な感情であった。彼女は、自分の昨日の ごと 人々は、倉子のこのやり方について蔭では悪口をいっ伴がもっと目立つような服装をし、河井たちの如く自動車 た。それでも逢うと他の親類の誰に対するよりもちやほやで乗りつけていたならば、倉子がこんないい方はしないで あろうことを知っていた。 し、気を迎えようとするのが共通の習慣になっていた。 真知子は母のあとから彼女に近づいた。 食事がはじまった。倉子は弓子と並んで重な椅子に着い 「おや、お珍しい」 た。真知子は彼らからなりたけ離れた席を見つけた。それ 倉子はこの一言と、年齢のわりにはでな化粧をした顔にはいろいろな意味でよい選択であった。第一には倉子との 浮か・ヘたわずかな微笑で、真知子の挨拶に答えた。それつ交渉が避けられたし、その他にはすぐ横にかけていた支那 きりで、まわりの人たちに見せたような、真知子自身にも通の老人から、おもしろい料理の話を聞くことができたか 一と月前の園遊会の日までは確かに惜しまなかったお愛想ら。 あひる ねぎ を塵も表わさなかった。そういえば未亡人に対してもい ちょうど家鴨の出た時であった。老人は薄い肉片を葱と じようす つもよりよそよそしかった。このぶあしらいは真知子には いっしょに上手に衣に包みながら、それがどこから持ち来 むしろ笑止であった。で、自分もそのまま引き下がって知たされたものかと思うかと真知子は尋ねた。支那だという おそ らん顔をしていればすむのであるが、それでも怖れたようだけはわかっていた。しかしその手順は彼女を驚かした。 に思われたくなかったから、平気で尋ねた。 老人の説明によれば、それらの家鴨はやっと雛から出たば しせん いかだよう十・こう 「富美子さん、今日はお見えになりませんの」 かりのころ、遠い四川省の奥から筏で揚子江に運び出され 、え、参ります」都合で少しおくれるだけだという意る。家鴨飼いの一家はその日から筏を家とし、何千羽とい 子味を、切り口上で述べたと思うと、急に何か考えついたよう家鴨の雛をその上に飼いながら江を下りはじめる。天気 しだい、風しだいの航行である。雨季にかかって雨に降り 知うに、「そういえば、昨日お逢いしたんですって」 つな ようりゅうかげ 「上野で、ちょっと」 こめられると、いつまでも同じ岸の楊柳の蔭に筏を繋いで 真 ゅうちょう 「どなたかおつれがおありだったとかって」 晴れる日を待つ。こういう悠長な明け暮れの間に、雛で積 けいべっ 夫人の調子にあらわれた明白な軽蔑は、今まで余裕のあまれた家鴨はだんだんと大きくなり、六か月目でやっと目 かた った真知子の心を俄かに硬くした。いうまでもなく、それ的地の上海に着いた時には、りつばに成育した家鴨になっ にわ ひな
「ええ、叔母さまによく頼んどいてくださいな。昨晩山瀬「つまらないこと」未亡人は酸つばく、ロをつ・ほめて笑っ が訪ねた時には甯守で、叔父さまだけに話して来たのだそた。「そんな小さい児に、性の合うも合わないもあります うですから」 かって」 文部次官—ー氏夫人は、田口夫人の女学校時代の同窓生「でもあんなにかわいがってくれるのに不思議なんですも であった。山瀬はその縁故にすがって競争者に対抗しようの。 そういえば田口の叔母さまのこと、とてもいばっ としていた。 てるなんて悪くいう人があるけれど、私そうは思わない 「そりや頼んではみるけれど。あんたが行って今までの事わ。少なくとも私たちにはいつだって優しいわ。その晩だ たす 情を話したほうが、倉子さんにもよくわかるだろうよ」 って、山瀬の月給のことまで訊ねてくれましたよ。いくら 「そりや私も行きますわ。ただね、ちょっと困ることがあ貰って、どのくらい残るかって。親身に思ってくれるんで おっくう ふたもの って、あそこへ行くのは億劫になるのよ」みね子は蓋物かなけりや、そんな立ち入った話まではしませんわ、ねえ。 こざら ら塩こんぶを小皿に取り分けながら、「だって、きいちゃ校長さんの奥さんって人がちょうどにてるの。見識ぶって んが叔母さまの顔を見るときっと泣き出すのですもの、どるくせになんでも干渉するって評判がよくないけれど、根 んなに機嫌よくしている時でもそうなのよ。まあちゃん、 が親切なんですもの。それに親切な人ってものは、誰でも 気がっかない」 いくらか押しつけがましいとこはあるんだから、私は平気 真知子は姉の食事の間、そばで小さい姪の相手をしてい なの。田口の叔母さまに対してもそう思ってるわ。実際世 た。尋ねられたようなことは特別注意に残っていなかった 話ずきないい人なんだから。今度でも、だからよく頼み込 が、田口夫人と幼児は最も関係の遠い対照であるらしく感んだら、きっとひと骨折ってくれるに相違ないと信じて じられた。 よ」 あいさっ 「山瀬と挨拶に行った時も、それで閉口させられたの。も「そう信じてるんなら、お姉さま、あなたがいらっしゃれ っとも、あのころは旅行のあとで泣き虫になってたから、 ばいいのよ」真知子は我慢しきれなくなて、ロを入れ そのせいかともったけれど、あとで晩御飯に呼んでくだすた。「お母様にそんなこと頼ませるなんてまちがってるわ」 ちやわん った時だって、叔母さまがなにかお愛想をいうとすぐあー みね子はびつくりして、茶碗を手にしたまま振り返った。 んとはじめるんでしよう。こっちで気の毒になっちまった妹がなぜ反対するかを解しえないこの姉には、田口夫人 の前で懇願者の役を引き受ける母のひけめや、いっしょに わ。性が合わないっていうんじゃないかしら、あんなの」 しお
母様にお願いして、先方にもそのとおり返事をしていただれで落ちついて今日の御馳走を食べており、本気にき、 あおざ くから。な・せ黙ってるの、真知子。いえないのかい」 落担しておるのは、片面サロメチールだらけにして青褪め くちびる 真知子は彼女の戦術を守った。唇を一つの線にして黙ている彼女の母ひとりきりであることを。 りつづけた。拒絶の理由を、河井にいったとおり正直にそ きちが こで発表しようとは思わなかった。もし発表したとして気狂い病院の塀に、痩せた遅い桜が一本咲いていた。勾 も、今一つの持って行きにくい返事よりも、数倍持って行配の急な、どこか土蔵の感じを持つ病舎の屋根の片側に、 きにくい返事にそれはなったであろう。 タ陽があった。気狂いは黙っていた。道には青い草が萌 え、の樹木は春の若い樹脂の香を放った。 明け日の客には、ちょうど風邪を引いていた芝の辰子ねずみの薄い春着になっていっそう細っそり見える真知 と、関西方面に出張中の、ひとりではない証拠の上がって子は、通りからその裏道へ出ると、やがてちょっと判の爪 さき かげ いる上村のほかには、おもな親類がほとんど皆集まった。先で立ち留まるようにし、帽子の黒い翳の中で眼を張っ 彼らは着いて十五分とたたないうち、昨日のできごとをひた。十数日前、二度とは踏まないと思って駈け下りた、今 とり残らず知っていた。花見の趣向で配られた桜の模様の日もその決心を捨てるか捨てないかを思い悩んだ坂道が、 くび 手ぬぐいを帯にはさんだり、頸に巻いたりしながら、彼らついに前にあった。 はなにか不幸の悔みでも述べる調子でかわるがわる未亡人真知子はポケットを上からっかんだ。たてに二つに折ら を慰めた。田口夫人は一時間半真知子を室に隔離し、彼れて入 0 たはがき、それには、今日の四時すぎ来てもらい 女の結婚哲学を説いた。おしまいには面と向かって悪口をたいという意味を三行書いてあっただけで、彼女の拒絶や 、真知子のような娘は見たことも聞いたこともないと都合は顧慮されたあともなかった。初め読んだ時には真知 っこ 0 力すぐ拾われた。結局その坂道が 子は畳に放り出した。・ : . し / ついに前にあった。 それらのすべてにかかわらず、ひそかな共通の現象を真 知子は見遁さなかった。すべての客は、ことにすべての女そして間もなく、その家のげた戸が。 あね 客は、仲人役の田口夫人すら、また嫂の堯子すら、極端に真知子は山吹のしんに似たベルに指を当てた。いつもほ いえばあの気のよい富美子すら、真知子が河井と結婚しなど素っ気なくではなかったが、今日だけはそのくらいあっ いのを残念がるよりよろこんでおり、ほっとしており、そてもよいと思ったほど想よくも迎えられなかった。 みのが
「昼はほとんどあの人いないから、いらっしやる時にははもに彼女に押しつけられる。事実堯子には子供の相手をし がきでも出して、鍵を植木屋に預けててもらわなけりや入てやる暇はなかった。訪問は訪問で返さなければならな い。それから招待、会食、芝居、音楽会、買い物、誰かの れなくてよ」 あきす 「まるで、空巣ねらいね」真知子は自分で気のつかない陽近い別荘へ日帰りの小旅行、どうかした作用で遊離ルてい 気さでその冗談を拡大した。「ついでに、あんたのいい書た分子が、再びエレメントに結合したと同じ親和力で、久 しぶりの東京の生活に彼女は浸入した。 物みんな盗んで来よう」 曾根はもちろん妻ほど社交的ではなかった。が、引っ張 米子も笑顔でしずかに応じた。 いい。どうせ書物読んでる時間なんか、私にはり出されればついて行き、重い口で語り、胃が弱いのでほ 「盗んでも んのわずか食べ、酒は飲まず、どんな陽気な席からも、講 ないんだから」 義のあとの顔つきで帰った。その夫の本体を結婚の一週間 兄は予定されていたより早く帰ってきた。曾根家の生活目に研究し終わった時、堯子はため息を吐いた。しかしそ は一変した。もちろん山瀬の一家が上京していた場合とはれから八年になる今日まで、彼女は貞実な、少なくとも彼 す 0 かり違 0 た空気と様式において、毎日客があ 0 た。私女の母が彼女の父に対するよりはず 0 と貞実な妻であ 0 の客の数が兄に劣らなかった。それらの女客はいっそう手た。また生物学者としての夫には、妻も彼自身の研究対象 数がかかった。未亡人は敬称のついた女中頭になった。真と同じ、美しき昆虫にすぎなかったし、したがってむずか 知子は予期したとおり小間使であり、保姆でさえあった。しい注文はつけなかったから、彼らは平和であった。 わくでき 堯子はみね子がその小さい娘に惑溺しているとは全然反対「真知子さん、あんたもいっしょにいらっしやるとよろし かったの」夜がおそいと思いきり寝坊するので、堯子はそ に、一一人の男の子をちっともかまってやらなかった。 こしら スを拵えている 子「ママは、お客様だからだめ」その一言で彼らは容易に追の朝もひとりで食事を取りながら、トート まだ使義妹に話しかけた。「河井さんでは待っていらしったんで 知い退けられる。「みつ、みつはいないのかい。 真いから帰らない。仕様のないぐずねえ。じゃ、ほら、真知すって」 子おば様が遊んであげましようって。目白のお褫母様頂曾根が帰るとすぐ訪ねて来た河井は、北海道で世話にな った答礼の意味で、昨夜彼らを招待した。真知子も呼ばれ いた御本、読んでおもらいなさいよ」 で、六つと四つの腕白小僧が、童話ないし汽車鉄砲ととたが辞退した。
436 野上弥生子集注解 一「 = 七多額納税議員貴族院の勅任議員のひとつで、多額納税者の なかから互選される。 尋穴女々しい点のない自由な : : : 女々しさ、不自由さ、愚痴ぼ さ、陰険な分子、これらは野上文学では強く退けられている。 この菊見の園遊会でのさまざまな人との出あい、会話を通して 「真知子」とその周辺人物との関係が明白に語られていく。 じよう 真知子 か所に、登場する大勢の人物を集約させるのは、長編小説の常 套的な方法である。 一三九専門学校を出て : ・この当時ではきわめて高度の教育を受け たインテリ女性である。作品の冒頭よりこの娘と未亡人である一一巴誤解されやすうございますから「社会」ということばがつい 母との「結婚」をめぐる対立が描かれている。新しい時代のな ただけでも「社会主義」と結びつける風潮がながらくわが国に かで、知的な女性は何を考え、どう生きていけばよいか、とい はあった。「社会学」が「社会科学」と混同され、すぐに「社 う問題を提出する。「結婚」をめぐっての話のなかで、「真知子」 会主義」「共産主義」の勉強ととられた。 をとりまく周囲が明白に描き出されていく。自分をとりまく人一聴講生東京帝国大学では、大正十三年より女子の聴講生制 度を開くようになった。 人から脱出したいという気持を強く持っているのが「真知子」 である。 一一当大庭米子この作品の重要人物のひとり。園遊会のあと、す ぐこの大庭を登場させ、これから、この作品が複雑な展開をと 一三一一社会学当時女性が専攻する学問としてはきわめて高級なも のであった。育児や家政、あるいは文学などに比べて、女性が げるであろうことを予想させる。次の大庭の手紙でそのことは はっきりする。 専攻するには、異例とみられていた。 一一哭婦人の経済的独立明治末、大正初期の「青鞜」・の時代の気 一一三四田園都市の文化住宅小市民的な生活の実体を示すことば。 当時、東京の郊外にこれらの文化住宅が多く建てられつつあっ 分的な「新しい女」よりも、明白な女性の自覚がここには見ら れる。 一 = = 五帝劇帝国劇場。明治四十四年に東京の丸の内に建てられた一一五一誠之本郷にある「誠之小学校」は、東京の小学校のなかで 西洋ふうの劇場。久しく東京の代表的な劇場として親しまれ もインテリの子弟の多く行く「名門校」をみられていた。 た。現在は、改装された。 一一五一一セッルメント settlement 社会事業のひとつで、都市の細 三五子爵五爵 ( 公侯伯子男 ) のひとつ。旧華族。 民地区に、授産所、託児所、宿泊所などの設備をしたり、その 一一三五貴族院明治憲法下で、衆議院とともに帝国議会を構成した 地域の人々の生活向上に役立っことをしたりする。宗教団体、 機関。新憲法下の「参議院」に該当する。 社会活動家たちがよく行なった。「三河島」は、東京荒川区地 」 0