づつみ よ」と言う心持で起上がった。 夕方になって雨はすっかり上がった。 彼は風呂へ入って、さばさばした気持になって家を出したのである。 ・こうう た。美しく澄み透った空が見上げられた。強雨に洗われ「お一人 ? 」と登喜子が言った。 こじゃり て、小砂利の出て居る往来には、それでも濡れた雨傘を下謙作は段々を登りながら、 「今に、もう一人来る」と言った。 げた人々が歩いて居た。 彼は知って居る雑誌屋に寄って、約束通り西緑へ電話を「龍岡さんですか」 かけた。その後で石本へかけた。 「君に似た人と言った人の御亭主だ」 「今用事の客があるんだが、もう帰るだろうと思う。早か「ええ ? 」 0 たら是非行く」こう言 0 た。尚、石本はを入ってど「其人の奥さんが君に似てるんだよ」彼は少し苛した調 どっちがわ れ程行くかとか、何方側かとか、西緑の字まで訊いて、電子で早口に言った。 き 「ああ」と登喜子は笑い出した。「何とかの御亭主だって 話を断った。 おっしゃ 三の輪まで電車で行って、其処から暗い土手道を右手に仰有るんですもの」 ざぶとん ちゃぶだい あか くるわいえいえ 餉台のまわりには座蒲団が三つ敷いてあった。謙作が其 灯りのついた廓の家々を見ながら、彼は用事に急ぐ人でで 一つに坐った時、 もあるように、さっさと歩いて行った。 どうてつ 山谷の方から来る人々と、道哲から土手へ入って来た人「皆さんは ? 」と登喜子が訊いた。 にはん 人と、今謙作が来た三の輪からの人々とが、明かるい日本「龍岡とは昨晩来たよ」 ちょっと 堤署の前で落合うと、一つになって敷石路をぞろぞろと「ええ、それは昨晩一寸寄って伺ったわ。それからあの方 は : : : 阪口さんは ~ 」 廓の中へ流れ込んで行く。彼も其一人だった。 大門を入ると路は急に悪くなった。彼は立ち並んだ引手「あれから会わない」 ぬかるみ お蔦が上がって来た。そして此女も、 茶屋の前を縁に近く、泥濘をよけながら、一軒一軒と伝っ 「皆さんは ? 」と訊いた。 て西緑の前まで来た。 たび った 登喜子はもう来て待って居た。お蔦と店へびたりと坐っ謙作はこう言われる度に何か非難されるような気がし なじみ ふなれ て、往来を眺めながら気楽な調子で何か話して居た。そした。こう言う場所に不馴な自分が、それ程の馴染でもない て、謙作の姿を見ると、二人は一緒に「さあ、どっこいし家に電話まで掛けて、一人で出向いて来る事はどうしても さんや とお その うち たちあ と、そんな気が謙作は
んつうじ 「来月は善通寺さんの御開扉で又一段と賑う事でムんしきな津波になる。・ ござ たどっ 昭よう」こんな事も言った。 「御退屈でムりました。もうあれが多度津でムります。十 謙作は一人船尾〈行 0 て、其処のペンチに腰かけた。彼で着きますで、御支度を = ・ = ここう、事務長が知らせに は象頭山、それから、それに連なる山々を眺めた。彼は今来た。彼は退屈どころではなかったのである。 あたま しきり 事務長が言った山よりも其前の山がもっと象の頭に似てい ぼうぼうと耳の底へいやに響く汽笛を頻にならしながら うず ると思った。そして彼はそれだけの頭を出して、大地へ埋船は屋根の沢山見える多度津へ向って進んでいた。 まっている大きな象が、全身で立ち上った場合を空想した彼はたわいない空想から覚めた。然しそれをそう滑稽と りした。それから起る人間の騒ぎ、人間が其為めに滅ぼしも彼は感じなかった。人類を炫手取る所に、変な気がした くうそうへき 尽されるか、人間がそれを倒すかという騒ぎ、世界中の軍が、子供からの空想癖が、一人になって話し相手もない所 人、政治家、学者が、智慧をしぼる。大砲、地雷、そうい から段々に嵩じて来た此頃、彼は今した想像に対しても別 ぞうひびよう うものは象皮病という位で、共象では皮膚の厚みが一町位に馬鹿馬鹿しいとも感じなかった。 ある為めに用をなさない。食糧攻めにするには朝めしと昼彼は別に支度もなかったので、洋傘を取りに一度船室へ めしの間が五十年なので、如何する事も出来ない。賢い人降りて又出て来た。夕日が沖の島という上に赤く輝き出し 間は怒らせなければ悪い事はしないだろうと言う。印度の た。甲板には十四五人の客が立っていた。 どう しか こんびら 或る宗旨の人々は神だと言う。然し全体の人間は如何かし「金ン比羅さんへ参られますか」 きけいろう て殺そうと様々な詭計を弄する。到頭象は怒り出す。 「ええ」 彼は時か自分が其象になって、人間との戦争で一人 ~ 几奮「お一人ですか」 「そうです」 さび 都会で一つ足踏みをすると一時に五万人がつぶされる。 「お淋しいですの」 どくガス 大砲、地雷、毒瓦斯、飛行機、飛行船、そういうあらゆる「ええ」 人智をつくした武器で攻め寄せられる。然し彼が鼻で一つ 「お宿は」 もろ 吹けば飛行機は蚊よりも脆く落ち、ツ = ッペリンは風船玉「何という家がいいんですか」 とらや びっちゅうや のように飛んで行って了う。彼が鼻へ吸い込んだ水を吐け「先ず虎屋。それから備中屋ですが、これらはお一人で行 かけあー ば洪水になり、海に一度入って駈上 0 て来ると、それが大かれても、どうですか」と其男が言った。 おかいひ その また ごぎ こう
ゅううつ 日以上浸っていると、いつも息苦しくなり、憂鬱になり、何か思うようなら、それは避けねばならぬ事だと考え 2 もっと広々した所で澄んだ空気を吸いたいという慾望にか し第 へいじよう ちょうど られた。今彼は丁度そういう気持になった。切りと京都の謙作は朝鮮では余り歩かなかった。開城から平壌へ一泊 あ せいわ・よら・わ′ 家ーー直子の事が想われた。 で出かけた以外は、或る晴れた日、お栄と清涼里の尼寺に しみす しようじんりようり ふしだらもの 彼はお栄が不検束者になっていなかった事を嬉しく思っ精進料理を食いに行った位のものだった。途中山の清水 ただ わ た。要するに、 いい人なのだ、只人間にしつかりした所がの湧いている所で朝鮮人の家族がビクニックをしているの はくぜん 、けな なく、その時々の境遇に押流されるのが下可いのだ、そうを見かけた。白髯の老人が何か話している、囲りの人々が かえりみ いうお栄を一人放してやった自分が無責任だったとも顧ら静かにそれに聴入っている、長い物語でもしているらしか れた。 った。昔ながらの風俗らしく、見る者に何か親しい感じを 嘗って彼はお栄の止めるのも諾かず、一人尾の道に行与えた。 そこ なんざん き、幾月かして、からだも精神もへトへトになって帰って南山から北漢山を望んだ景色が好きで、彼は二度其所へ けいふくきゅうしようとくきゅう 来た時、お栄から、「瘠せましたよ。もう、これから、そん出かけて行った。景福宮、昌徳宮、それから夜は一人で しようろ らでん 鐘路の夜店あさりをした。古い螺鈿の鏡台があり、欲しか な遠くへ一人で行くのはおやめですね」と言われた。 こわ その同じ言葉を今彼はお栄に言ってやりたかった。そしったが、毀れている割りに値が高かった。彼は美しい角皮 いまでき ぶんこ て彼はそれを彼自身の言葉で言った。 張りの文函を直子の為めに求めた。これも今出来でなく、 あなた 「貴女は馬鹿ですよ、少しも自分を知らないんだ。一本立 いい味があった。 こうらいやきかまあとまわ ちでやって行こうなんて、柄でもない考を起こしたのが間 平壌への汽車の中で、彼は高麗焼の窯跡を廻っているそ 違いの原ですよ」 の方の研究家と一緒になり、色々そういう話を聴いた。謙 とん 然しお栄の将来をどうしていいか、彼には分らなかっ作とは殆ど同年輩の人だったが、話しぶりにも老成した所 た。自分が結婚を申込んだという事さえなければ、当然自があり、朝鮮統治などにも一トかどの意見を持っていた。 * ふていせんじん びんとくん 家へひき取り、一緒に暮らしたかった。又、その事があっ 謙作は此人から或る不逞鮮人の話を聞いた。閔徳元とい * ゃんばん たとしても直子が意に介さないなら、そうしたかった。然う若い両班で、その地方では相当勢力のある金持だった こうでい きっと ふせつ し少しでも直子がそれに拘泥するようなら、屹度面白くな が、鉄道敷設の計画で、その方の役人から相談を受け、一 い事が起りそうだ。多少でもそういう点で絶えず直子が手に敷地の買占を引きうけた。 うち ひた 歩ら こ 0 ほくかんざん かくひ
「買ってやろう。何かあるかい」そう言って謙作は直子を へ出した。 0 一らん 顧みた。 「出て御覧」 「これ、役なの ? 」直子はそういって自分の札と水谷の書直子は扇形に開いた七枚の札を彼に見せて、 たんべえ みくら みんな 「丹兵衛さんよ」と言った。 いて呉れた紙と見較べた。皆は笑った。 さくらたん みんな こんな風に初めてなのであるが、誰れか一人ずつ寝た者「よし。桜の丹だ」こう皆にいって、何気なくもう一度見 、しだか こうけん が後見についていると、何時か直子が一番の高となってた時にかすの菊が一寸彼の注意をひいた。彼は手を出し其 こ どこう さかすき いた。そしてその後に水谷の後見で五光を作ると、これで所だけ扇をもっと開いて見た。それは盃のある菊で、それ ぎんみ があってはその手は役にならなかった。謙作は其盃だけが 大概銀見は決って了った。 上の札で完全に隠されてある所から、これは直子がずるを 直子の大きな銀見で、一年済んだ所で、 「今度は一人でやって御覧。大概解ったろう ? 」と謙作がしようとしたのだと思った。 、つこ 0 「ちょっとも気がっきませんでしたわ」直子も一寸いやな しー 「ええ、しし 顔をして言った。 、、わ。今度は一人でやるわ」 ただ しか 然し一人になると、直子は矢張りよく負けた。結局又誰「よろしい。それじゃあ、桜の丹があるが、罰として只 れか後見をする事になったが、一ト勝負済んで数勘定の時だ」彼は何気なくその札を受取り、めくり札に切り込ん する など、直子はよく、 で、直ぐ勝負にかかったが、「猾い奴だな」と直ぐ一とロ てやく じようだん 「私に何か手役なかったこと ? 」こういって考える事があに串戯の言えなかった処に何となく、それが実際直子の猾 るだったような気がした。勝負をしながら、彼は其事を考 った。「あったわ、たて三でしよ」 「何いってんだ。そりゃあ、前の勝負だ。慾が深いな」謙えた。彼は気を沈ませた。そして、思いなしか、皆も妙に じようだん 作は串戯らしくそう言いながら、直子には女らしい 心黙って了ったような気がした。 で、実際慾の深い所があるようだと言うような事を思っ十一時頃、帰るという二人を送って、彼は直子も連れ、 自家を出た。 水谷の親で、親が出ると言った。次も出ると言った。そ「その内、下宿へやりに来ないか」と末松が言った。 しか の次が謙作で、謙作には二タ役がついて居たので、出ると「行ってもいいが・ : : こ謙作は睨昧に答え、然し水谷のよ 言い、最後の直子が追込まれる事になった。 うな連中と一緒にやるのは気が進まなかった。 - 」 0 みんな
矢張り一番近い伊勢参りをする事にして、奈良では博物館物と他に菓子か何かが積んであって、前三方は御簾をへだ ていしやじよう はなみちほど だけを見て、直ぐ停車場へ引きかえした。 てて、やがて舞台となるべき花道程の廊下に向っている。 しんめ 「あなたは偉い、一人でこれを見ようとされたのだから」 伊勢参りは思ったより面白かった。神馬という白い馬に かえり お辞儀をさせられるという話を聴いていたが、まさかにそと鳥取県の人が謙作を顧みて笑った。謙作は別にそういう うそ すすがわ れは嘘だった。十鈴川の清い流れ、完全に育った杉の大事は考えずにいたが、成程そういえば此広い座敷に一人ぽ ねん 木など見てみなければわからぬ気持のいい所があった。そっ然としていて、十何人かの女が出て来たら、一寸具合の せおんど れから古市の伊勢音頭も面白く思った。 悪い事だったかも知れないと思った。 なじみあふらや したかた はそざお ふとざお 下方が四五人坐り、太棹とも細棹ともっかぬ三味線を弾 芝居で馴染の油屋という宿屋に泊り、其伊勢音頭を見に 行く事にしていると隣室の客が一緒に行きたいと言い、食き出すと、木がり、三方の御簾が上がり、電気がっき、 からかみ 事も一緒にしたいからと境の唐紙を開け放さした。「丁度廊下が一尺ばかりせり上り、それに低い欄干がっき、そし 県会の方が暇になったものですから」こんな風に、其人はて両方から四人ずつの女が出て来て、至極単調な踊りを、 言いたがる人だった。鳥取県の人で彼より三つ四つ年上の至極虚心に踊るのである。十五分位で済んだ。その単調な 人だ 0 たが、県会議員が、どの程度に自慢の種になる事か調子も、その余りに虚心な処も、それから、とも細とも ねいろ 全く知らない謙作は県会が出る度、気の毒なような軽い当っかぬ三味線の悠長な音色も面白かった。それに時代離れ 惑を感じた。 のした座敷の様子も、総てが謙作にはよかった。これを一 山陰に温泉の多い事、それから、何とかいう高い山が、人でぼっ然と見ていたら尚面白かったかも知れないと考え えいざん てんだい れいじよう 叡山に次ぐ天台での霊場で、非常に大きなそして立派な景た。 色の所だというような話をした。 別の座敷に導かれ、肥った五十位の女から、もっと残る したざしき 路 下座敷の客も二組程一緒に行く事になって、七人程になように勧められた。・ : カ誰れも残らなかった。一緒に又宿 うち みんな 行 った。宿の女中に案内され、夜の遊女屋町を皆でその家への女中について帰って来た。 よくあさ ないぐう ちょうこかん げくう 翌朝、彼は俥で内宮から徴古館、それから外宮へ廻っ 暗行った。 おしどり 染めたのか、くすぶったのか、兎に角、黒ずんだ、ひどた。外宮では林の中の池に何百となく野生の鷙鴦が水面 みんな に、又岸の木の水へ差し出した大きな枝に一杯にいるのを く古風な座敷へ通された。深い大きな床を背にして、皆が 加 だんつうじ さんぼう すり 段通へ直かに坐っていると、その前の三宝に番組ようの刷見て、夢の中の場面のように思い、興じた。 ふるいち ひま たび らんかん ひ
気がした。彼はそれを凝っと一人我慢する苦みを味わいな からそれを聴くと変に甘い気持が胸を往来し始めた。然し がら夜の明けるのを待った。そしてつくづく自分にはこう彼はそれを出来るだけ隠そうとした。 しよう 言う場所は性に合わないのだと思った。 彼は然し一方で一寸不愉快を感じた。何故お栄でも女中 次の日の午後、彼は緒方の訪問を受けた。緒方は緒方のでもそれを自分に言わないか。毎日単調な日暮しをしてい 親類の人が、信行と同級だった人の妹と結婚する話があつるお栄にとって、俥を持たして迎えに寄越すという事で もちろん て、若し信行が先の家庭の様子を知っていれば聴いて置いも、或る一事件になり得ない事ではない。勿論これは言い て貰いたいというような用事を兼ねて来たのであった。 忘れをしているのではない。故意に黙って居るのだ。女中 おととい くちどめ 「それはそうと一昨日は到頭帰らなかったのかい」と緒方にまでロ留してあるのだと思った。 とうかいじ が一 = ロった。 「今日四時から東海寺で先祖の法事があるんだが、それま 「どうして ? 」 での時間によかったら飯を食いに出ないか ? 」と緒方がい 「お加代と言う人が一寸でも、 った。 しいから君を呼んで呉れと言 さんのうした うので、十時過ぎに俥を迎えに寄越したが、聴かないか 二人はそう遠くない山王下の料理屋に行った。 きれい 昼で静かだった。綺麗に掃除の出来た小さい庭に面した 謙作は顔を赤くした。お加代が如何言う気持でそんな事座敷に、二人は軒近く座蒲団を持ち出して、気楽な話をし を言ったか ? それとも誰にも時々そう言う調子を見せるた。 * さいりよう * ももやま のか ? そう言う事が彼にはさつばり見当がっかなかっ 「四五日したら自家の婆さん達を宰領して桃山参拝に出掛 た。彼は初めて会った時、既にお加代には多少惹ぎつけらけるんだ。それが昼間はおっき合いをする代り、夜だけは たたその れた。只其何となく荒つぼい粗雑な感じは、一方では好自由行動を取る条件つきなんだ」緒方はこんな事を言った。 きっと いけばなか 路き、他方では冊に思っていた。それは深入りした場合屹度きちんとしたなりの女中が床の活花を更えに来た。軒近 行不愉快なものになると言う予感からも来て居た。第一今のくいる二人からは遠か 0 たので、女中は床の前に坐 0 て仔 自分の手には余る女と言う感じから、興味は持てたが、そ紐らしく其位置を、眺めては直し、眺めては直しして居 れ以上には何とも考えていなかった。其上に、お加代にとた。 っての其日の自身を思うと、プラスでもマイナスでもない 「兎に角、例の婆さんを呼んで呉れないか」と緒方は女中 只路傍の人に過ぎなかったと思い込んでいただけに今緒方に声をかけた。「それから千代子かしら・ : : こ くるま その かく
もせずにさっさと出て来た。直子一人閉ロしていた。それ 宗六の家が陰気にじめじめしているに反し、宗六から出 もくせん でも直子が何か言ってお辞儀をすると、若者も「いや」とて新しく一家をなした木仙の家に行くと総てが変に生き生 言って、町嚀に頭を下げた。 きしている事が感ぜられた。彼は親みを持った宗六の家で そろ 「まあ、両方お短気さんなのねえ」と日傘を開きながら小買う物がなく、矢張り木仙へ来て返しの品々を揃える事が 走りに追って来た直子が笑った。 出来た。店一杯に品物を置いた中に坐って、一人で茶をつ 「然し彼奴、割りに気持のいい奴だ」謙作は苦笑しながらぎ、客の応対をしている二代木仙は如何にも町気のある人 言った。若者の怒るのも無理ない気もしたし、自分が一緒物らしかった。 にむかっ腹を立てた事も少し気まりが悪かった。 彼は赤絵の振出しを幾つか買う事にした。其箱だけは今 けんか 「喧嘩してほめてちや仕方がないわ。あんないい家、惜し病床にいると言う初代が書いた。 うち いわ」 一一人が其家を出た時には既に日暮れ近く、寒い風が道に 「幾ら惜しくても、もう追いっかない」 吹いていた。謙作には其寒さがこたえた。 「今度はね、黙ってて、入ってから勝手に直すのよ。そん「早く何所かで飯を食わないと風邪をひきそうだ」彼はこ ちゅうもん えり な、初めつから色々註文をするから怒って了いますわ」 んな事を言って二重まわしの襟を立てた。 いわいもの きっと 其日はもう貸家探しをやめ、二人は祝物の返しの品を買「屹度仙が支度をして待ってますわ」 うち いに行く事にした。五条坂の有名な陶工の家を一軒一軒寄「どうだか ? 」 ろくべえせいふうそうろく うち って見た。六兵衛、清風、宗六、 ーー・宗六の家の多分宗六 / 「そう ? そんなに平時そとであがっていらしたの ? 」 と言う人だろうと思う、至極質素な身なりをした未だ割り「そうでもないが、出掛けた時間がおそかったから、そと あかだまこうごう に若い人が親切に参考品という先々代宗六の赤玉の香合なで食って来ると思ってるだろうよ」 路 どを見せて呉れた。初代宗六は伊勢の亀山から出た人で、 なだらかな五条坂を二人はこんな事を言いながら下りて 行 謙作の母方の叔母が¥いた先が此陶工の近い親類である行 0 た。五条の橋はかけ更えで細い仮橋が並べてかけてあ 夜 暗所から、その叔母は京都では何時も此家に宿るというようる。二人はそれを渡って行った。 な話を前に聞いていた。彼はそう言う心持からも此人には「これが五条の橋なの ? 」 したし 或る親みを感じた。然し何故か彼は自分が其叔母の既であ「うむ」 る事を言う気はしなかった。 「伯父愈老 6 さんがさんのお世話で、五条の橋杭の ていねい ひら うち どこ にじゅう
118 しても今出て来た岸壁を彼は見失った。艦尾にミノタワと にな 0 た。彼が一人の喫烟室にいる時に其男はトラン けむり えんとっ わすか 書いた英国の軍艦が烟突から僅ばかりの烟をたてながら海プを持って入って来た。そして勧めたが、彼は自分の知っ 底に根を張っているかのようにどっしりと海面に置かれてているやり方と異っていると面倒臭い気がして断った。若 そのそば あった。其側を通る頃はもう、岸壁に添うて建並んだ、大者は仕方なしに一人でテープルにそれを並べては崩し、並 あかれんが べては崩ししていた。 きな赤煉瓦の建物さえ見えなくなった。 うちごうしゅう アメリカ 彼は今は一人船尾の手すりにもたれながら、推進機にか家は濠洲と言う事だった。今まで亜米利加にいて、三週 まわ き廻され、押しやられる水を・ほんやり眺めていた。それが間程前、横浜へ来たが、母親が病気と言う電報で、これか さっき 冴えて非常に美しい色に見えた。そして彼は先刻自分達のらシドニーへ帰る所だ。富士山を是非見たいと思うが、今 通って来た、レールの縦横に敷かれた石畳の広場を帰って日の天気で、どうだろう。こう曇って来ては駄目かしら。 のど小かす などと言った。実際午前の長閑な霞んだような天気は曇り 行くお栄と宮本の姿を漠然と想い浮べていた。 したく の前兆だった。今はどんよりと薄ら寒い曇り日、になってい 下で鐘が鳴った。降りて行くと昼めしの支度が出来てい こ 0 た。テー・フルには彼の他には英語を話す若い外国人と、一 まわ 等船客の子守と、それから船の方の役人が一人、それだけ三崎の沖を廻る頃から、彼は和服に着かえ寝床へ入る だった。船の役人と外国人とが、何か話していた。彼は黙と、直ぐぐっすりと眠った。そして再び眼を覚ました時は ″いし」ら・ って不味い牛肉を食っていた。すると並んでいた外国人が四時過ぎていた。和服の上に外套を羽織って、甲板へ出 あなた あら 英語で「貴方は英語を話しますか ? 」と言った。彼も英語 た。夕方の曇った天色の空に富士山がはっきりと露われて そび で、「英語は話せません」と答えた。そして横浜に居た西 いた。それが、海を手前に、伊豆の山々の上に聳え立った おも はす 洋人ならまるで日本語を知らない筈はないと言う気がしたエ合が姆何にも構図的で、北斎のそう言う富士を憶い出さ ので、彼は今度は日本語で「日本語は話せないんですか」した。 と訊いてみた。若い外国人は当惑したように一寸首を傾け喫烟室では下手な。ヒアノが響いて居た。そしてそれが止 て赤い顔をした。 むと若い外国人が其処から出て来た。其男は「初めて富士 子守の女はそれからは一等の方へ行ったきり遂に出て来山を見た」と満足らしく言った。 あきや なかった。そして二等船室の空家のような広い所に二人だ大島はもう後ろになって居た。風が寒いので彼は喫烟室 とう けとなると、結局彼は彼の不充分な英語で其若者と話す事から外の景色を見ていた。伊豆の七島が一つ一つ共数を増 ちょっと ちが ほくさい ことわ その や
ふたみ 二見から鳥羽へ行き、一泊して、京都へ帰る事にした が、その途、彼は亀山に降り、次の列車までの一時間半「佐伯さん。御旧臣ですやろ」 くるま まわ ばかりを俥で一ト通り町を見て廻った。 「そうです」謙作はわけもなく赤い顔をしながら、 さえきしん ちょうど 亀山は彼の亡き母の郷里だった。それは高台の至って見「佐伯新というんですが、丁度あなた位の年です」謙作は す・ほらしい町で、町見物は直ぐ済み、それから、神社の建当然「知っている」という返事を予期しながら少し焦き込 しろあと ひろしげ っている城跡の方へ行って見た。広重の五十三次にある大んでいった。 きな斜面の亀山を想っている謙作は、その景色でも見て行「はあーーー」とその女の人は呑込めない顔をして首を傾け きたいと考えたが、よく場所が分らなかった。 た。「お新さんと言われたお方はよう覚えまへんが、お金 いもうと・こ 俥を鳥居の前に待たし、 いい加減にその辺を歩いて見さんとそのお妹御でお慶さんといわれるお方はよう存じ ゅうすい むこう た。下の方に古い幽翠な池があり、その彼方が又同じ位のとりますが」 きようだ やまみち 山になっていた。彼はその方へ降り、そして、急な山路を「女同胞にないのです。ーー多分なかったんだろうと思う その高台へ登って行った。上は公園のようになっていて、 んです。もっとにありませんか、佐伯という家は : : ・こ ・こいっしん 遊びに来ている風の人は一人もいなかったが、身なりの悪「さあ、どうですやろ ? 私共の覚えて居るのは御維新か 、然し何処か品のいい五十余りの女が一人、其処で掃除ら後の事ですよって、土地へ出られたお方やと存じませ をしていた。彼が登 0 て行くと、共女も掃く手を止めてんのやが、今申しました、佐伯さんでお藩ねやしたら、大 ごさ 此方を見て居た。その穏やかな眼差しが、親しい気持を彼方知れん事もムりますまい」 ちょうど はす に起こさせた。そして丁度亡き母と同じ年頃である事が、 結局謙作の予期に外れた。それに彼はそう言う機会もな そして昔の侍の家の人であろうという想像が、彼に何かそく、母の幼時の事などを全で知らなかった。母が何時から の女と話してみたいと言う気を起こさせた。 東京へ出て来たのか、母方の親類にどういう家があるのか、 「此所は : : : 」こんな事を言いながら彼は近寄って行っ第一母の父の名さえ彼は知らなかった。「芝のお祖父様」 なか た。「矢張りお城の中ですか ? 」 ・こざ で事が足りて居たので「其祖父を自家の祖父よりも心から 「そうでムります。こちらは二の丸で、あちらが昔の御本尊敬し愛して居たにも拘らず名を知らなかった。 ゅびさ 丸でムります」そう言って女の人は神社のある方を指した。 女の人は此土地の佐伯という家を教えて呉れたが、彼は さえき 「昔、此所に居た人で佐伯という人を御存知ありません別に行く気もなく、礼を言って別れた。彼は自分が余りに まなざ か」 のち この のみこ うち きん
162 うちょうてん 現在一人の若い人を有頂天にさしているとか、その若娘だ」と言い出した。 い人が自動車を持っていて、いつもそれを迎いによこし、 山本の家の一、軒措いて隣りの、然しそれは表通りでいう 又自分で会えない時にはよく品物に手紙をつけて送り届けので、裏では一重の隣りに住んでいる今川焼屋の娘だと るとか、そんな噂をした。 いう事だった。此事は彼等の間に一種の興味を惹き起し とかく えいはな ももやっこ あくらっ 兎に角、昔の栄花、今の桃奴が芸者の中でも最も悪辣なた。が、山本と小娘との間には何の交渉もなかった。然し 女になっていて、仲間でも甚評判の悪い女である事がわ半年程経 0 て夏になると、丁度山本の屋敷に非常にいい掘 かい・わい っこ 0 ・カー 井戸があって、界隈での名水という位、近所の者がよくそ よせ 一体、謙作は子供のうちから寄席とか芝居とか、そういれを貰いに来る、そして栄花も其一人として時々山本の屋 う場所によく出入りした。それは祖父やお栄が行くのにつ敷へ来るようになったというのである。 しか いて行ったので、然し後に中学を出る頃からは段々一人で井戸は湯殿の前にあった。夏の事で窓は開放たれ、細い もそういう場所〈行くようにな 0 た。床に女義太夫をよく葭すだれが其処へ下げてある。或るタ方山本が入 0 ている こちら 聴きに出掛けた。 と、すだれ越しに水を汲みに来た栄花が見えた。此方から 其頃十二三の栄花は、小柄な娘だ 0 た。美しくなる素質だけ見えるつもりでいると、栄花は汲み込んだ手桶を上げ は見えていたが、それよりも何か痛々しい感じで謙作は此るなり、山本の方を向いて礼をいって行った。そしてこう 小娘に同情を持っていた。瘠せた身体、眉毛が薄いので白 いう事が二三度続いて二人は段々話すようになったと言う をさせゑ青白い顔。声は子供としても蕋い方のである。山本は風呂の縁〈腰掛け、栄花は弗戸側〈後手 で、それに何処か悲しい響を持っていた。 * たお に倚りかかりながら、汲んだ水の温むまで話し込む事もあ しばら った。寄席の内幕話だった。暫くして、謙作は山本がやっ 「あれは斃れて後、やむ、という女だね」こんな事をい 0 た彼の仲間があった。はっきりしない詞・ながら、悲し気たという湯呑を高座に見た。 どこ な、痛々しい感じの中にも何処か負ん気らしい変な鋭さの 山本と栄花との交渉は然し少しも深くなっては行かなか ある事を感ずると、謙作は此評を大変適切に思 0 た。後で 0 た。山本は華族だった。山本の家には謙作達がチャボと あだな も栄花を考えるとよくこれを憶い出したものである。 綽名して居た小さくて、頑固で、気の強い、年寄りの三太 同級生の間に寄席行仲間が段々に多くなると、その一人夫がいた。これだけでも深入するには厄飛だったろう。ま の山本というのが、或時、高座の彼女を見て、「知 0 てるして、深入する程の気もなか 0 たらしいので、一一人の間に よし お ぬる