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検索対象: 現代日本の文学 9 志賀直哉集
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1. 現代日本の文学 9 志賀直哉集

茶の間へ引きかえしてからも、一人其処に残っていた。 「よし。それなら降参と言うまでやるか」 「どうだ、謙作。一つ角力をとろうか」父は不意にこんな「降参するものか」 うれ ひざ 事を言い出した。私は恐らく顔一杯に嬉しさを現わして喜 間もなく私は父の膝の下に組敷かれて了った。 うなず 「これでもか」父はおさえて居る手で私の身体をゆす振っ んだに違いない。そして首肯いた。 た。私は黙って居た。 「さあ、来い」父は坐った儘、両手を出して、かまえた。 私は飛び起き様に、それへ向ってカ一ばい、ぶつかって「よし。それならこうしてやる」父は私の帯を解いて、私 うしろでしば 行った。 の両の手を後手に縛って了った。そしてその余った端で両 「中々強いぞ」と父は軽くそれを突返しながら言った。私方の足首を縛合せて了った。私は動けなくなった。 「降参と言ったら解いてやる」 は頭を下げ、足を小刻みに踏んで、又ぶつかって行った。 したし 私はもう有頂天になった。自身がどれ程強いかを父に見私は全く親みを失った冷たい眼で父の顔を見た。父は不 せてやる気だった。実際角力に勝ちたいと言うより、私の意の烈しい運動から青味を帯びた一種殺気立った顔つきを 気持では自分の強さを父に感服させたい方だった。私は突して居た。そして父は私を其儘にして机の方に向いて了っ たびしやにむに 返される度に遮二無二ぶつかって行った。こんな事は父とた。 かっ からだ の関係では嘗てなかった事だ。私は身体全体で嬉しがっ私は急に父が憎らしくなった。息を切って、深い呼吸を その た。そして、おどり上り、全身のカで立向かった。然し父している、父の幅広い肩が見るからに憎々しかった。共 内、それを見つめていた視線の焦点が・ほやけて来ると、私 は中々私の為めに負けては呉れなかった。 「これなら、どうだ」こういって父は力を入れて突返しはとうとう我慢しきれなくなって、不意に烈しく泣き出し た。カ一ばいにぶつかって行った所にはずみを食って、私た。 あおむざま 路は仰向け様に引っくりかえった。一寸息が止まる位背中を父は驚いて振り向いた。 なお 行打った。私は少しむきになった。而して起きかえると、尚「何だ、泣かなくてもいい。解いて下さいと言えばいいじ いぎおい 夜 勢込んで立向かったが、其時私の眼に映った父は今までやないか。馬鹿な奴だ」 暗 解かれても、未だ私は、なき止める事が出来なかった。 の父とは、もう変って感じられた。 あっち こうふん わらいごえ 「そんな事で泣く奴があるか。もうよしよし。彼方へ行っ 「勝負はついたよ」父は亢奮した妙な笑声で言った。 て何かお菓子でも貰え。さあ早く」こう言って父は其処に 「未だだ」と私は言った。 うちょうてん ざま すもう また こうきん そのまま

2. 現代日本の文学 9 志賀直哉集

ていた。 らしたりしていた。自分は其時の気持で迚も一緒に其所へ みんなうち 待ちきれなくなって皆は家を出た。雨が少し落ちて来たは行けなかった。自分は母に断って一人昼頃から外出して くるま ので、女だけ俥で行った。父と自分と妹の良人とが歩いて了った。 行った。 「順吉はどうして来なかったのだ」先方に行ってから頻り 料理屋へ行ってからも順三は中々来なかった。父は可笑に父が言っていたという事を自分は後で祖母から聞いた。 しい程、それに気を揉んだ。 其時の事を憶い出した。自分のした事はあの場合仕方がな 「来る筈の者が集まらんのはどうも気になっていかん」弁かった。それにしろ、父が其時感じた不愉快に対しては 解するようにこんな事も言った。 史に気の毒な気がして来た。 きげん 然し父は機嫌がよかった。順三が約束の時間に来ず、既食事を始めると間もなく順三が来た。父は全く機嫌よく みんな に出来た料理を出させずに皆で待っている事は、其場合多なった。 いらだ かんしやく 少主人役の位置にいる父の気を苛立たさせ、疳癪を起さす七時頃皆は其所を出た。自分の乗る終列車までは二時間 ねむ には充分な事であった。自分は父が余り不愉快にならぬ内あった。父は自身は酔って少し睡いから帰るが、皆は送り にー三が来てくれれま、 ーしいがと思った。然し父は気は揉んがてら銀座の方でも散歩したらよかろうと言った。 ためいけ でも中々それを苛立たせはしなかった。自分は父が気を苛溜池で父は俥に乗った。 おだや 立つ事で穏かな其日の調子を乱したくない所から自身を抑別れる時、其日は自然に父の眼に快い自由さで、愛情の えて居るのだとも思った。然し多分それ以上に父は其胸に光りの湧くのを自分は見た。自分は和解の安定をもう疑う 動いている調和的な気分から、それが苛立って来ないので気はしない。 もあるのだろうと言う気がした。 皆とは銀座で別れた。 解「もう少し待って見て、来なかったら始めようじゃない か」父はそう自分にいった。 自分は仕事の日の一日一日少くなる不安を感じた。自分 自分は三年半程前、或る事で父に不愉快を感じた。然しは矢張り今自分の頭を一番占めている父との和解を書く事 和 こ 1 ) こ 0 父は其時自分がそれ程不愉快を感じていると思っていなか うちじゅう ったらしい。翌日、不意に父は家中の者を今いる此料理屋半月程経った。京都から鎌倉へ帰った叔父からの手紙が に連れて行くと言い出した。そして電話をかけて人数を知来た。それは自分が月初めに出した礼手紙の返事だった。 おさ さら みんな みんな むこう とて んな

3. 現代日本の文学 9 志賀直哉集

だから、これまでの事はなかったものとして、お前もそのて居た。自分は未だ満八歳にならぬ昌子の小さな心にも此 心算になって居て貰わねばならん」と妻に言った。 和解は決して小さくない出来事だったに違いないと思っ ただうなず 妻は何も言わずに涙を拭きながら只首肯いていた。自分た。 そのままここ は父が前日母に言った事を其儘此所で妻に繰返すかも知れ父は少し疲れたかのように見えた。暫くして汽車が着い みんな ないと父が何か言い出そうとした時考えた。そして自分はた。皆は乗込んだ。父は自分のいる・フラットフォームとは わき こっちがわ 父がそれを言ったにしろ、自分は決して不快は感じないで反対の窓の側に腰を下ろした。妹達は此方側の窓に重なり 済ませると言う自信を持っていた。所が父はそうは言わな合って顔を並・ヘていた。 かった。自分は大変いい感じを受けた。自分は父に感謝す笛がなると、皆は「さよなら」と言った。自分は帽子に る気持を持った。 手をかけて此方を見ている父の眼を見ながらお辞儀をし 「慧子はどうした事だったかな : : : 」と父が言った。自分た。父は、 しか 達は答えなかった。然し自分は慧子の事でも今は父に不快「ああ」と言って少し首を下げたが、それだけでは自分は みすか は感じていない事を自ら感じた。 何だか足りなかった。自分はめ酳とも泣き面ともっかぬ みんな なお 皆は三時少し前の汽車で帰る事にした。 妙な表情をしながら尚父の眼を見た。すると突然父の眼に 父は帰る時、又妻に、 は或る表情が現われた。それが自分の求めているものだっ 「これからは時々来るからね」と言った。 た。意識せずに求めていたものだった。自分は心と心の触 こうふん ますます 「どうぞ、是非おいで遊ばして頂きます」 れ合う快感と亢奮とで益々顰め面とも泣き面ともっかぬ顔 「どうそ」と自分も一緒に言った。 をした。汽車は動き出した。妹達が時までも何時までも ていしやば 自分は停車場まで送って行った。汽車は遅れた。自分は手を振っていた。長いプラットフォームを出外れて右へ弓 こっち 淑子に、 なりに反って此方が見えなくなるまで、手を振っていた。 「兄さんはこれから少し忙しいから暫く東京へは出ない」自分は誰もいないプラットフォームに一人立って何時まで そば こうもり ていしやば と言った。側から昌子が見上げて、 も洋傘を上げている自分を見出した。自分は停車場を出る きっと わか 「お兄様、でも、今年中にいらっしやるでしよう ? 屹度と急いで帰って来た。何故急ぐのか解らなかった。自分は いらっしゃいね。いい事、屹度よ」と言った。姉達は笑っ父との和解も今度こそ決して破れる事はないと思った。自 また た。昌子には何か考があるらしく、何度も又これを繰返し分は今は心から父に対し愛情を感じて居た。そして過去の さとこ しばら こっち みんな ではす この

4. 現代日本の文学 9 志賀直哉集

みんな 出した。一一人はもう何も言わなかった。自分の後ろで叔父皆が出て行くと、父が不意に、 つごう が一人何か言い出したが、其内叔父も声を挙げて泣き出し「あした我孫子へ行 0 て見よう」と言って、都合をくよ うに自分の顔を見た。 暫くすると、父は立って又壁のベルを押した。女中が来「どうそお出で下さい」 た時に、 「そうか。女も見たいし、お前の家も如何な家か見に 「お奥さんに直ぐ : : : 」と言った。 行こう」父は快活な顔をして言った。 母が入って来た。母は父の横にある低い椅子に腰掛け「どうそ」と自分は言った。 まこと じゅんきち 十四 「今、順吉の話で、順吉もこれまでの事は誠に悪かったと 思うから、将来は又親子として永く交わって行きたいと言祖母の床は時か隣りの部屋から又祖母の部屋へ移され 。そうだな ? 」と途中で父は自分の方を見た。 ていた。叔父や自分が其所で話して居る所に父が入って来 たちあが うなす 「ええ」と自分は首肯いた。それを見ると母は急に起上っ た。父は、 て来て自分の手を堅く握り〆めて、泣きながら、 「順吉の事は、おききやったろう ? 」と言った。 うなず 「ありがとう。順吉、ありがとう」と言って自分の胸の所「聴いた」と祖母は首肯いた。 そのあと で幾度か頭を下げた。自分は仕方がなかったから其頭の上父は祖母がもっと其後に何か言うかと待っ風だった。自 ちょうど そくはっ でお辞儀をすると丁度頭を上げた母の束髪ヘロをぶつけ分は祖母が、もう少し父の要求している気持に応じた様子 を見せればいいのにと思った。然し祖母には気持はあって あら 母は又叔父の所へ行って、 も或る感情は露わせない性質があった。父も何か言いかけ 解「まささんありがとう。ありがとう」と心からの礼を言ってよして了った。そしてどういう気持か、父は時々仏壇の ていた。 方へ眼をやっていた。其所には前にも書いたように自分の 和「お祖母さんに直ぐお話して来い」と父が母に言った。母死んだ兄を抱いた、死んだ母の下手な肖像が掛けてある。 は涙を拭きながら急いで出て行った。 昼飯の時父は酒を飲んだ。母も叔父も自分も妹達も皆一 妹達が六つになる禄子まで四人で入って来た。皆は誰につずつ飲んだ。飲めない者は真似だけした。 ともっかず一つにかたまって其所でお辞儀をした。 何の為めにそういう事をするのか誰も口に出すものはな こ 0 しばら こ 0 みんな ぶつだん んな

5. 現代日本の文学 9 志賀直哉集

た。然しそれは其場合に生れた、最も自然な調子で、これ にして腰掛けている父の穏かな顔を見た。父は、 より父と自分との関係で適切な調子は他にないような気が 「子を・・〕 : ・」と窓際に並べた椅子〈顔を向けながら、 今になればする。 自分の前の床を指さした。 ただ いままで 「然し今迄はそれも仕方なかったんです。只、これから先 自分は椅子を其所へ持って行って向い合って腰かけた。 ばかげ までそれを続けて行くのは馬鹿気ていると思うんです」 そして黙って居た。 「お前のいう事から聴こう」と父は言った。そして「まさ叔父が入って来た。叔父は自分の背後にあった椅子に掛 あっち は彼方に居るか ? 」と言った。その言い方が自分にいい印けた。 「よろしい。それで ? お前の言う意味はお祖母さんが御 象を与えた。自分は、 丈夫な内だけの話か、それとも永久にの心算で言っている 「居ます」と答えた。 のか」と父が言った。 父は立って壁のベルを押した。 「それは今お父さんにお会いするまでは永久にの気ではあ それから又椅子へかえると、 うなが りませんでした。お祖母さんが御丈夫な間だけ自由に出入 「それで ? 」と黙っている自分を促した。 りを許して頂ければよかったんです。しそれ以上の事が 女中が用を聴きに来た。 だんな 「ああ、あのね、鎌倉の旦那さんに直ぐ此所へ来るよう」真から望めるなら理想的な事です」と自分は言いながら 一寸泣きかかったが我慢した。 と父が言った。 このまま 「お父さんと私との今の関係を此儘続けて行く事は無意味「そうか」と父が言った。父はロを堅く結んで眼に涙を溜 めていた。 だと思うんです」 「うむ」 「実はも段々年は取って来るし、貴様とこれ迄のような 「これまでは、それは仕方なかったんです。それはお父さ関係を続けて行く事は実に苦しかったのだ。それは腹から うち んには随分お気の毒な事をして居たと思います。或る事で貴様を憎いと思った事もある。然し先年貴様が家を出ると は私は悪い事をしたとも思います」 言い出して、再三言っても諾かない。俺も実に当惑した。仕 こうふん うなず 「うむ」と父は首肯いた。自分は亢奮からそれらを宛然怒方なく承知はしたものの、俺の方から貴様を出そうと言う っているかのような調子で言っていた。最初から度々母に考は少しもなかったのだ。それから今日までの事も : : : 」 うけあ こんな事を言っている内に父は泣き出した。自分も泣き 請合った穏かに、或いは前かにと言う調子とは全く別だっ また まるで たびたび ちょっと ほか つもり

6. 現代日本の文学 9 志賀直哉集

376 ひとり るのに自分だけは独で寝ていなければならぬという事は二 りくんいしの ! ぎ 私は明治十六年二月に陸前石巻という港町で生れた。父 そこ 十五一 ( の母にと 0 てはつらい事だ 0 たろう。母はよく父に が第一銀行の行員として其所の支店に勤めていた時で、私私が我儘で、言う事をきかないと泣いて訴えたそうだ。後 えき なおゆき なる・こ の生れる前年の十一月に私の兄の直行が ' 二年八ヶ月で疫年、一緒に宮城県の鳴子温泉に行った時、父からそれを聞 いたが、私はそれ程、母を困らしたという記憶はなかった 痢のような病気で死んだ。兄は東京で生れ、どれだけかの 間、祖父母と一緒に暮らした事があるので、私の祖母は兄ので、そういえば私が参る事を知って、意地悪で父がそん たび くるま な事をいうのだと思っていた。「足袋の記憶」という小品 がおとなしい利発者で、俥で町を行く時、両側の店屋を一 一指して米屋、魚屋、呉服屋などと言う賢い児だったと言に書いたように、一度だけ母をいじめた憶い出はあるが、 っていた。口が利け出した頃の事で祖母は感心したらしそれ以外に母が泣いて、父に訴える程の事をした記憶は私 には実際になかったのだ。 。祖母は多分に私に当てつけて兄を讚めていたが、私は ところが、最近全集を出すので旧い日記をそれに入れる 腹を立てるよりも、そういう兄が生きていてくれたら、ど 事にし、その明治四十三年一月二十四日の所を見ると、 んなによかったかとよく思った。 朝家一君と父の部屋に行った、父は独立する気でやっ 兄が死んだ時には私は五六ヶ月で、既に母の腹にいたわ もちろん けだ。その頃の考えとして、家系を絶やすと言う事は大変てもらわねばこまるという、それで食えなければ勿論食 な事だから、私が三つで、両親と一緒に東京へ帰って来る わしもする着せもする、然し心持はそうなってもらわぬ と、兄の死を若い夫婦の手落ち位に考えていたかも知れな とこまるという、家一君が中で色々いってくれた、仕舞 い祖父母は私を直ぐ取りあげ、自分達の手で育てる事にし に祖父母の教育が父母に遠けたのが悪いという時、先妻 た。私には石巻時代の記憶はなく、東京へ来た翌年位から も泣いていた事がありますと父がいった。母という言葉 はなは 始まるのであるが、母親に対する記憶は甚だ少ない。母に に対しては自分は此上もなく弱い心を持っている、マシ ずいぶんさび ことそ とってこの私と離されたという事は随分淋しい事だったに テ父にいわれる場合殊に左うである、自分は胸が一バイ 違いない。父は明治二十年から二十三年まで文部省七等属になって、涙が浮んできた、突然その時父が笑い出し ちょっと で、金沢の第四高等中学校に会計として行っていたから、 た、「弱虫め直ぐ泣く」という心かと一寸取ったが左う その間、母は父からも私からも離れて、ひとり父の部屋で でなかった、「情にセマルとどうもこういう事があって むこうしゅうと 寝ていたのだ。自分の一人児が彼方の舅姑の部屋で寝てい ・ : 」と父は家一君にいい訳をしながら泣きながら笑っ こ ふる

7. 現代日本の文学 9 志賀直哉集

0 いまさら う慶太郎に打明けて行く事は何だか気が進まなかった。 あ言われて了うと彼は今更、信行に頼むという事も出来に うち むこう すべ 彼は矢張り本郷の家の人に打明けて、父の方から、彼方 くい気がした。どうせ同じ事だ。矢張り総てを自分一人で に話して貰うより他ないと思った。 やろう。結局その方が簡単に済む。彼はこう思って、或日 一体彼は止むを得ぬ場合の他は滅多に父とは話をしなか自分で愛子の家へ出掛けて行った。 とん った。それは子供からの習慣で、二人の間では殆ど気にも所が、愛子の母はそれを聴くと非常に吃驚したらしかっ さ むしみじ 止めない事だったが、偖てそう言う事を頼みに行こうとすた。彼がそれを切り出した時のドギマギした様子は寧ろ惨 おっくう しかあるよ ると、それが矢張り妙に億劫な気がした。然し或夜、彼はめな気さえした。謙作の方も少しドギマギした。そして、 いなすけ 思い切って父にそれを頼みに行った。 これは自分の知らない許婚があるのかしらと思った。 むころ・ こちら 「彼方で承知すれば、よかろう」と父は言った。「然しお「兎に舒、慶太郎や、此方の親類方にも相談した上で本郷 前も今は分家して、戸主になって居るのだから、そう言うの方へ御返事をしましよう」 事も余り此方に頼らずに、なるべく、自身でやって見たら彼は此申込は本郷とは全然無関係に自分が言い出すの もちろん いいだろう。俺はその方がいいと思うが、どうだ」 で、父も勿論知ってはいるが、直接申込むと言うのも実は 謙作は最初から父の快い返事を予期して居なかった。然父の意志から出た事だと話した。 し予期通りにしろ、矢張り彼は可成り下快な気持がした。 「へえ。それは不思議ですネ」愛子の母は顔を曇らせて云 彼は悪い予期は十二分にして行ったつもりでも、それでもった。 かく 万一として気持のいい父の態度を空想して居たのが事実だ謙作は下快な気持で帰って来た。父の返事は兎に角予期 しごく った。所が父の答えは予期より少し悪かった。変に冷たの内だが、此返事ーー返事の表面上の意味は至極当然で別 く、薄気味悪い調子があった。何故乗気で進もうとする自に不思議はないが、これに含まれた変に冷たい調子は彼の ちょっとつます 分の第一歩に、父がこんな一寸躓かすような調子を見せる予期には全くり得ないものだった。 わか のだろう。彼には父の気持が解らなかった。 然し、彼は望を捨てなかった。最近慶太郎が上京するな 彼は兄の信行に頼もうかとも思った。この話をした時にら、もう一度同じ事を慶太郎に申込んで、はっきりした事 兄は彼の為めに喜んで呉れた。 を聴けばいい。愛子の母はどうかしているのだ。 んとう 「それがうまく行くといいネ。愛子さんは本統にいい人だ 慶太郎はそれから十日程して出て来た。彼はそれを兄の よ」こんな事をいっていた事を憶い出した。然し、父にあ信行の口から聴いて知った。然し先きから何か知らせのあ ほか この びつくり

8. 現代日本の文学 9 志賀直哉集

自分は停車場に行く途中、郵便局に寄って自分宛ての手 様々な悪い感情が総てその中に溶け込んで行くのを自分は 紙を受取った。鎌倉の妹からのがあった。自分は歩きなが 感じた。 ら読んだ。 「今朝早く、寝ている内にまさ叔父さんがいらっしゃいま うれ 自分にはもう父との不和を材料とした「夢想家」を其儘して、嬉しい嬉しいお話伺いました。私は伺 0 て居る内に に書続ける気はなくなった。自分は何か他の材料を探さね泣き出して了いました」 ばならなか 0 た。材料だけなら少しはあ 0 た。然し其材料自分と妻との名宛てにしてこう書いてあ 0 た。自分は涙 ぐんだ。 へ自分の心がシッカリと抱き付くまでには多少の時が要っ た。多少の時を経ても心が抱き付いて行かぬ事もある。そ自分は上野から直ぐ麻布の家へ行 0 た。父の書斎に一番 ういう時無理に書けばそれは血の気のない作り物になる。先に行 0 たが父・は其所に居なか 0 た。仲の口から自分につ それは失敗である。十五六日までの期日に何か物になる程いて来た昌子が、 「そんなら屹度お庭よ」と言った。 のものが出来るかしら ? 昌子は座敷の縁側から、 自分はこんな事を考えながらも、又下知父との事を味わ 「お父さん、お父さん」と大ぎい声をして呼んだ。父も蘆 うような気持で考えていた。自分は最近に又会いたいと思 った。自分には二三週間後に会うより今の内もう一度会っ家の中から急いで出て来た。父は電話と思 0 たらしかっ しいような気もしていた。自分こ。 て置く方が此際実際的にも、 自分は庭下駄を穿いて下りて行った。 は又何かで父に好意をあらわしたいような欲求から自身の また おく 二人は此時も亦、前々日の朝のような或る窮屈な感じで 手で得た金でに父の肖像画を描いて貰って贈ろうと言 解う事を想い着いた。自分達の事を心から喜んで呉れた少し堅くなった。自分は仕方なかった。其儘肖像画の事を さっ にそれを頼むのも無意味でないと言う気がした。自分は早話して、坐って貰えるかどうか訊いた。父は快く承知し そく 速に手紙を書いた。 むこう 翌朝 ( 九月二日 ) 其手紙を出してから、自分は矢張り上自分が縁へ上がって彼方へ行こうとする時、父は立って らち 5 京して、父に会い、にも会い、其事に早く埒を開けて何か考えている風だったが、不意に此方を向いて何か言い そうにした。自分は一寸戻った。すると父は言いかけた事 置く方がいいと思った。 そのまま こ 0 ていしやば にわげた えんがわ

9. 現代日本の文学 9 志賀直哉集

ばんめし は少しも自分にはなかった。そして自分は多少父の感情に晩飯を食っている時、前日訪ねた橋場の方の友が用事旁 訴えるような手紙を書きかけて見た。しそれは直ぐ止め旁訪ねて来た。そして友が十時十二分の終列車で帰る時、 た。相手を動かそうと言う不純な気持が醜く眼について迚自は停車場まで送って行った。 りの列車が少し遅れて、上野からの下り終列車が先に も続けられない。 ようだい 自分は二三度書直して見た後、手紙では今の自分には如着いた。 >«が出て来た。は電話で聞いた祖母の容態を精 何しても感じは現わせない事を知った。一番困難な事は手しく話して呉れた。自分は此分なら前日感じた恐怖はいよ いよ空なものになって呉れるぞと思った。上りが出てから 紙を書いている内、頭に置いている父が少しも一つ所にと どまっていない事だった。言いかえれば父に対する自分の自分はと一緒に帰って来た。 感情が絶えずぐらぐらする困難だった。自分は書き出しに 翌日自分は新聞で、早稲田に居るロの大きい或る年寄が おだや きら 調和出来るかも知れない、比絞的穏かな顔をした父を頭に大病だと言う記事を見た。自分は此年寄がかなり嫌いであ かかわ ししが、と言う感情を持っ 浮べながら、自分も穏かな気持で、其父に書いて行く。所るに拘らず、其時、助かると、 ざま きせつ が書いて居る内に其父の顔は段々変って行く、そういう時た。それは或る期節の気温の変目に、よく続け様に年寄り には実際書いている自分自身が、そろそろと理窟がましい が倒れる事がある。今がそういう時ではないかという不安 事に入って行きかけもしたが、其内に父の顔は急に意固地を祖母の為めに感じたからであった。 な不愉快な表情をする。自分はべンを措くより仕方がなか 自分は又十月の雑誌に出すべき「夢想家」に取りかかっ っこ 0 自分は今の自分には父に手紙は書けないと思った。自分自分は今、父を憎んでは居ない。然し父の方で心からの は母宛てに父への手紙を止めた事、その代り近日上京して憎しみを露骨に現わして来た場合、それでも自分は穏か に、今の気持を失わずに父に対する事が出来るだろうかと 直接お話する事にしました、と言う手紙を書いた。 気づかわれた。京都にいた頃、高等学校に通っていた従弟 午後電報が来た。 あなた 「キノウョリヨシ、タイオン三七二、イシグロサンゴシン から「貴方の大きな愛が他日父君を包み切る日のある事を 望みます」とこんな事を手紙で言って来た事があった。其 サッ、チョウカタル、カンゴフクル、シンパイナシ」 ひど 前日此儘二三日で如何かなるかと言う恐怖を持った自分時自分は甚く腹を立てた。「大きな愛という言葉の内容を むやみ んとう は其電報で安心した。 本統に経験した事もない人間が無闇に他人にそんな言葉を このまま のち みにく りくっ すや とて こ 0 ていしやば かた

10. 現代日本の文学 9 志賀直哉集

げり 所へ起って行った。少し不痢だった。出て来ると妻は同じ事実を書く場合自分にはよく散漫に色々な出来事を並べ わざ 所に坐ったまま、ポカンとしていた。自分は其所から故とたくなる悪い誘惑があった。色々な事が憶い出される。あ れもこれもと言う風にそれが書きたくなる。実際それらは 少し離れた所に妻の方を背にして又ごろりと横になった。 かたっし わき 妻は赤児を傍に寝かして寄って来た。そして自分の腰を揉れも多少の因果関係を持っていた。然しそれを片端から もうとした。自分は黙って其手を払いのけた。 書いて行く事は出来なかった。書けば必ずそれらの合わせ 目に不充分な所が出来て不愉快になる。自分は書きたくな 「何故 ? 」と情けない声をした。 * たく る出来を巧みに捨てて行く努力をしなければならなかっ 「兎も角、触らないでくれ」 「何を怒っていらっしやるの ? 」と言う。 「こう言う時お前のような奴と一緒にいるのは、独り身の父との不和を書こうとすると殊に此困難を余計に感じ よっにど た。不和の出来事は余りに多かった。 時より余程不愉快だ」 ごと 暫くすると妻が泣き出した。 それから前にも書いた如く、それを書く事で父に対する しえん こう言う時自分はジリジリする程意地悪くなる。自分で私怨を晴すような事は仕たくないという考が筆の進みを中 自分を制しきれなくなる。然し一方妻の乳が止まられると中に邪魔をした。所が実際は私怨を含んでいる自分が自分 厄飛だという気があった。去年の赤児に対し、死んだとい の中にあったのである。然し、それが全体ではなかった。他 うより自分の不注意で殺したというような気がどうかする方に心から父に同情している自分が一緒に住んでいた。の どん とする自分は今度の赤児には出来るだけ注意深く扱ってやみならず丁度十一年前父が「これからは如何な事があって こ ろうと言う気が中々強かった。自分はいい加減の所で我慢も決して彼奴の為めには涙は溢れない」と人に言ったと言 う。そして父がそう言い出した前に自分が父に対して現わ 解其晩医者を呼んだ。 した或る態度を憶うと自分は毎時そッとした。父として子 二日程寝た。 からこんな態度をとられた人間がこれまで何人あろう。自 分が父として子にそんな態度を取られた場合を想像しても 和 堪えられない気がした。父がそう言ったと聞いた時に父の 身体が直ると又十月の雑誌に出すべき仕事にかからねば言う事は無理でないと思った。そして自分も孤独を感じた。 あかさま っ ならなかった。「夢想家」を書ぎ直す事にした。 然し父が今明ら様に自分に就いて言っている不快はそれ ひとみ こ 0 ちょうど この