こころづ から積極的に機会を作って行くなどいう事は考えられなか き、何かしら気高くなって居た事に心附いた。彼は嬉しか とど った。其人を美しく思ったという事が、それで止まらず、自った。同様に自然に或る機会が来るだろうとも考えられな 身の中に発展し、自身の心や動作に実際それ程作用したとかった。彼は自分が余りに無能な気がして歯がゆかった。 しようこ いう事は、これは全くそれが通り一遍の気持でない証拠だ彼は彼の或る古い友達が、そういう機会を作る為めに其人 うち の家の前で、故意に自分の自転車を動かせない程度にこわ と思わないでは居られなかった。そして何と言う事なし、 うちあず よくじっ あの気高い騎士ドンキホーテの恋を想い出して居た。彼はし、その家に預かって貰い、翌日下男を連れて取りに行 おも 大森でその本を読み、其時はそれ程に感じなかったが、今き、段々に機会を作って行った話などを憶い出した。然し こつけい 自身の心持から、ドンキホーテの恋も、それを彼が滑稽を自分の場合では其前で偶然卒倒でもしない限り、そんなう 演ずる前提とのみ見るべきではない事に附いた。勿論トまい機会は作れそうもなか 0 た。 と ポソのダルシニアと今日の人とを比較するのはいやだっ兎に角、もう一度前まで行って見ようと思い、彼は又庭 ま じようか から河原へ出た。未だ雨戸は開いて居たが、電球には緑色 た。然しドンキホーテの心に発展し、浄化された其恋は如 さら の袋がかけられ、中はしんとしていた。町へでも出たか、 何に気高い騎士を更に気高くし、更に勇ましくしたか、 彼には変にそれが。ヒッタリと来た。 さもなければ其人の帰るのを送って出たか。彼は一寸淋し 彼は自身のそれをどう進ます可きか、そういう事を考えい気がした。そして、第一、其人は純粋に独身なのか、或 ただ いは自身望む人でも居るのではないか、こう言う疑問を起 る気もなく、只、彼に今、起っている快い和らぎ、それか たび ら心の気高さ、それらに浸っていた。四条通りをお旅までこし出すと彼は甚く頼りない気もして来た。 しんきようごくざっとう 行き、新京極の雑沓を人に押されて抜けながらも彼の心は てらまちまっす まるたまち 静かだった。そして寺町を真直ぐに丸太町まで歩き、宿へ だいもんじ よくあさ 路帰って来た。 翌朝、彼が起きた時にはもう陽は大文字の上に昇ってい あいだ この事はどうしたらいいか、彼はそれを考え始めた。此た。彼は顔を洗うと座敷の掃除の出来る間又河原へ出た。 うむ 夜 儘に此気持を葬る事は断じてしまいと決心した。然し只同草の葉には未だ露があり、涼しい風が吹いて居た。彼は余 ずうずう じ家並みにいるというだけで、しかも両方が一時的に宿つりに明かる過ぎる広い道に当惑した。然し故意に図々し とら なお く、自分を勇気づけ、その方へ歩いて行った。多分もうい ているのであれば尚、余程にうまい機会を捕えない限り この事は恐らく永久に葬られては了わないだろうか。此方ないだろう。然し若し居て呉れたら自分には運があるの びた この ひど あ さび
に水谷の事をいい出した。 「実際そうだ。それはよく分っているんだが、遠ざける過し謙作は自身の過去が常に何かとの争闘であった事を 程としても自然憎む形になるんだ。悪い癖だと自分でも思考え、それが結局外界のものとの争闘ではなく、自身の内 こうお っている。何でも最初から好悪の感情で来るから困るんにあるそういうものとの争闘であった事を想わないではい すぐさまこっち だ。好悪が直様此方では善悪の判断になる。それが事実大られなかった。 「つまり人より著しいんだ」と末松が言った。 概当るのだー 謙作はこれまで、暴君的な自分のそういう気分によく引 「それは当ったように思うんだろう」 「大概当る。人間に対してそうだし、何か一つの事柄に対き廻されたが、それを敵とは考えない方だった。然し過去 ひとりすもう してもそうだ。何かしら不快の感情が最初に来ると、大概の数々の事を考えると、多くが結局一人角力になる所を想 その事にはそういうものが含まれているんだ」謙作は昨夜うと、つまりは自分の内にあるそういうものを対手に戦っ ていしやば 水谷が停車場へ来ていた事、それが不愉快で、知らず知らて来たと考えないわけには行かなくなった。直子の事も解 決は総て自分に任かせてくれ。お前は退いていてくれ、今 ず糸を手繰って行った自身の妙な神経を想った。 自分が直ぐこれを言っ 「そういう事もあるだろう。しそれを過信していられる後顔出しするのは邪魔になる。 たのは知らず知らず解決を矢張り自身の内だけに求めてい のは傍の者には愉快でないな。何となく脅かされる。 たよ た事に初めて気がついた。実際変な事だと思った。 少なくともそれだけに手頼るのはいかんよ」 もちろん 「自身の内に住むものとの争闘で生涯を終る。それ位なら 「勿論、それだけには手頓らないが : : : 」 「気分の上では全く暴君だ。第一非常にイゴイスティック生れて来ない方がましだった」 そんな意味を言うと、末松は「然しそれでいいのじゃな 冷めたい打算がないからいいようなものの、傍の うれい いかな。それを続けて、結局憂なしという境涯まで漕ぎつ 者は矢っ彊り迷惑するぜ」 けさえすれば」と言った。 「君自身がそうだと言うより、君の内にそう言う暴君が同大津からの電車は中々来なかった。 居している感じだな。だから、一番の被害者は君自身と言謙作は・ほんやり前の東山を見上げていたが、不図異様な 黒いものが風に逆らい、雲の中に動いているのに気がつい えるかも知れない」 た。そして彼は瞬間恐怖に近い気持に捕えられた。風で爆 「誰れにだってそう言うものはある。僕と限った事はない はた おびや はた しちしる とら
81 暗夜行路 う - A 」はしよかっこ。 「時々は沈んで居る事もありますわ」 人とう 「そう。それが本統だろうけど、あの人の顔を見て、そん 「それはお話にならんですわ。男が来て嫁さんと奥の間に ′一しら あいだ いる間、竹さんは台所で御飯拵えから汚れ物の洗濯まですな事があろうとは全く想像出来なかった」 ると言うのですから。時には嫁さんに呼びつけられ、酒買「誰だって」お由は急に笑い出した。「顔だけ見て、其人 まおとこ が間男をされているかどうかは、分らんでしようが」 いの走り使いまですると言うのですから」 「少し変ってるな。それで竹さんが腹を立てなければ、余「そうだ。それは正にそうだ」謙作も一緒に笑った。「其 っ程の聖人か、変態だな。一種の変態としか考えられな所で私の顔を見て、あなたはどう思う。そういう事がある と思うか、どうですか」 謙作は竹さんを想い浮・ヘ、そう言う人らしい面影を探し「、 かなめきぬがさむら て見たが、分らなかった。然し彼にもそう言う変態的な気此時謙作は不図、留守を知って又要が衣笠村を訪ねて居 とどろ 持は想像出来ない事はなかった。 はしまいかという不安を感じ、胸を轟かした。然し直子が 思いたくなかっ 「竹さん自身はどう言ってるんです」 再び過失を繰返すとは思えなかった。 「自家のお母さんなどには何か愚痴を言ってるらしいでた。そしてそう信じているつもりではあるが、それでも未 どこ だ何所かに腹からは信じきれない何か滓のようなものが残 っこ 0 「うむ」 あきら あの女は決して盗みをしない、これは素直に信じられて 「もう諦めてるんでしよう」 「諦められるかな」 も、あの女は決して不義を働かない、この方は信じても信 かす 「どうせ、そう言う嫁さんらしいです。で、それは諦めてじても何か滓のようなものが残った。女と言うものが弱 も狭い土地の事で、人のロがうるさいから、一つはそれでく、そう言う事では受身であるから、そう感ぜられるの 山に来ているらしいんです」 か、それとも彼の境遇がそういう考え方をさせるのか分ら 「苦労した人と聴けばそんな所も見えるけど、現在そう言 なかった。が、兎に角、直子にはもうそういう事はあり得 まっえぶしうた ただ う事がある人とは迚も考えられませんね。よく松江節を唄ない、彼は無理にも信じようとした。唯、要の方だけは其 どくしんもの いながら木を割っているが、そんな時の様子が如何にも屈時は後悔しても、若い独身者の事で自分の留守を知れば心 うらやま たく 託なさそうで羨しい気がした」 にもなく、又訪ねたい誘惑にかられないとは言えない気が とて かす
どこ 音が聴こえなかった為めと、こんな日に姆何にも想いがけの力が何所かに感ぜられた。そして実際弾ね返す事が出来 みうちど なかった為めと、その姿が雲で影のように見えていた為めたのだが、今度の事では何故かそういう力を彼は身内の何 とで彼の頭にはそれが直ぐ飛行機として来なかったのだ。所にも感ずる事が出来なかった。こんな事では仕方がな しようぐんづか ふんば 機体は将軍塚の上あたりを判うじて越すと、其儘、段々 い、こう思って、踏張って見ても、泥沼に落込んだように ちおんいん 下が 0 て行き、仕舞いには知恩院の屋根とすれすれにその足掻きがとれず、気持は下〈圷〈沈むばかりだ 0 た。独身 彼方へ姿を隠して了った。 きっと まるやま の時あ 0 て、一一人にな 0 て時かそういう力を失 0 て了 0 「屹度落ちたぜ、円山へ落ちた。行って見ようか」 た事を思うと淋しかった。 しばらく にねんざ、 陸軍最初の東京大阪間飛行で、一一人共新聞では知ってい 少時して二人は二年を登り、其所の茶屋に入った。謙 たが、今日は野来まいと思 0 ていた。それが来たのだ。作は縁の籐子に行 0 て、倒れるように腰かけたが、今は あわたぐち ふしぶし 二人はそのまま粟田口の方へ急ぎ足に歩いて行った。 心身の疲労から眼を開いていられなかった。節々妙に力が 抜け、身動きも出来ぬ心持だった。これは病気になったの かも知れぬと彼は思った。そして、 こうだいじ きよみず 二人は円山から高台寺の下を清水の方へ歩いて行った。 「茶が来たよ。そっちへやろうか」末松にこう声をかけら うわさ 何処でも飛行機の噂をしているものはなかった。朝の新聞れた時には謙作は下、眠りかけていた。 で若しそれを見ていなければ謙作は先刻の機体を自分の「どうしたんだ」 おぼろげ 視と思ったかも知れない。それ程それは朧気にしか見えな「寝不足なんだ。それに此天気でどうにもならない」 ものう からだようや しきいぎわ かったし、又それ程彼の頭にも危なっかしい所があった。 謙作は物憂い身体を漸く起こすと敷居際から這うような ひど かっこう ざぶとん 彼は甚く空虚な気持で、末松に前夜の事を話そうか話すま恰好で、自分の座蒲団へ来て坐った。 路 いか、迷いながら、絶えず也の事を饒舌り続けていた。実「大変な参り方じゃあないか」 行 は話すまいと彼は決心しているのだ。然しその決心してい 「実は君に話したい事があるんだ。然しそれを話すまいと 夜 なお る自身が信用出来なかった。 暗 思うんで尚いけない」 彼は前にも尾道で一寸これに近い気持になった事があ末松は一寸変な顔をした。 5 る。それは自分が祖父と母との不純な関係に生れた児だと「 いう事を知った時であるが、その時はそれをね返すだけ「持て余しているんだ。僕の気持の上の事だが」 おのみち
この「評伝的解説」は、文字通り「評伝的解説」に の身』に到る、生涯の友達を読者に読みとって貰いた なろうとして努め、数多くの志賀直哉に関する文学論 4 い意図で目次を作って見た」と云っている。ながい間 いえいあいと第よ とは別に、限られた紙数のなかで、志賀さんの作家と 形影相伴ってきた子夫人は、作家としての志賀さん しての足跡をそのままに辿ったものである。最後に昭 にとって、妻以上の半身であり、そのことは、この言 葉でもわかるように、志賀さん自身がいちばんよく知和四十三年、志賀さんが八十五歳のとき執筆した「ナ っているに一理いない イルの水の一滴」という短い文章を、ここに掲げてお 医」わ」い。 「人間が出来て、何千万年になるか知らないが、その 間に数えきれない人が生れ、生き、死んで行った。 私もその一人として生れ、今生きているのだが、え て云えば悠々流れるナイルの水の一滴のようなもので 妻その一滴は後にも前にもこの私だけで、何万年誌・「て も私はいず、何万年経っても再び生れては来ないのだ。 賀 なお ぜん ~ 、志しかも尚その私は依然として大河の水の一滴に過ぎな 。それで差支えないのだ」 お 宅 写真協力入江泰吉、渡辺義雄、志賀順子 自 城崎一一一木屋旅館、攤啝笋町荒井歯科、文芸 の 春秋、日本近代文学館 松 わ盤 写真の著作権は極力調査しました。 渋 京 東 さしつか っと
とかく いわゆるひさしー 行らなくなった、旧式な所謂廂て、彼は初めて彼女を見い所から、兎角不用意に文学の話をされるには彼は時々返 おも 事に困った。話の為めの話で、一々責任を持った返事をす 幻た時どんな髪をしていたか、それを憶い出せなかったが、 あっさり むぞうさ 恐らくもっと無雑作な、少しも眼ざわりにならないものだる必要はないと思っても、彼にはその程度に淡白とはそれ ただ ひとなっこ がロに出て来なかった。只其人が時々如何にも人懐そうな ったに違いないと思った。 まとも ふつつかもの まなざ こっち 横顔が母親とよく似ていた。母親も z 老人の妹として彼眼差しで真正面に此方の眼を見ながら「不束者ですが、 どうぞ が想像して居たとは全く反対であった。顔の大きい、ずん何卒」とか「母も段々年を取るものですから : : : 」とか、 ぐりと脊の低い、如何にも田一田舎した人で、染めたらしこんな事をいう時には如何にも善良な感じがし、そして親 い髪の余りに黒々しているのも、よくなかった。で、彼女しい感情を人に起こさせた。会って未だ僅かな時間である が、それに似ていた事は、同じ場合を書いた Unfortunate のに、謙作には既に赤の他人でない感情が其人に起こって likeness というモゥパッサンの短篇小説を憶い起こさせた * かみやじへえ けれども、彼はその小説の主人公のようにその事には幻減舞台では「紙屋治兵衛」河庄うちの場を演じて居た。謙 を感じなかった。それにしろ、彼女は彼が思っていたよう作は何度も此狂言を見ていたし、それに此役者の演じ方が あと もっとこの に美しい人でなかった事は事実である。尤も此事は後で彼毎時、余りに予定の如く只上手に演ずる事が、うまいと思 いながらも面白くなかった。そして彼は何となく中途半端 女自身彼に話した所であるが、前日の汽車の疲れと、前夜 の睡眠不足ーー・疲労が 0 て彼女を興奮させ、殆ど明け方な心持で、少しも現在の自身 , ーー婚の娘とこうしてい むし その まで、眠れなかったーー為めに其日は軽い頭痛と、幾らかゑ楽しかるべき自身を楽しむ事が出来なかった。彼は寧 まえ のはき気もあり、彼女としては半病人の状態にあったのだろ現在眼の前にいる直子を見、二タ月前の彼女を憶い、そ と言う事だ。実際彼もその日のような彼女を見る事はそのれが同一人である事が不思議にさえ思われた。 さび 後、余りなかった。 直子は淋しい如何にも元気のない顔つきをしながら、舞 台に惹き込まれている。其・ほんやりした様子が謙作には、 そして気を沈ませていたのは彼女ばかりではなかった。 謙作も変に神経を疲らせていた。一体彼は初めて会う人とじらしかった。が、同時に彼自身、どうにも統御出来ない 自身の惨めな気分を持て余して居た。 長く一緒にいると神経を疲らす方だった。 しか 殊にそれが無関心でいられない対手である場合一層疲れ彼は努めて何気なくしていた。然し段々に今は一秒でも 一秒でも早く此場を逃れ出たいと言う気分にわれ た。兄という人も感じは悪くなかったが、共通な話題のな かわしよう ま
い、、亠 「いミ . : をン 謙作が逗留して。、た大山 0 蓮浄院 こに滞在した 往時、作者自身もこ ( 「暗夜行路」 )
っている私説であり、それは当時の志賀さんにとっ て、最も大きな題材には違いなかったが、この父と子 かっー」・フ という肉親の葛藤をそのままに描くことは、そのこと 自体にも、また大きな困難があったに相違ない。 志賀、さん自身も「続創作余談」のなかで、こんな風 志賀さんの唯一の長篇小説「暗夜行路」の前身にあ に云っている。「『暗夜行路』の前身『時任謙作』は永 たる「時任謙作」が、大正元年、志賀さんの尾道時代年の父との不和を材料としたもので、私情を超越する に手がけられたことは、「三」のところですでに触れことの困難が、若しかしたら、書けなかった原因であ たが、この作品は最初の構想のかたちでは完成せす、 ったかも知れない」。しかし志賀さんは、この「時任謙 のちに「暗夜行路」という新しい題名と、新しい構想作」の制作には何年となく関心を持ちつづけていたが、 に変って、ながい年月ののちにはしめて完成した作品 やがて大正六年、月 = = 和解」にあるような経緯によ である。 って、永年の父との不和が解けると、そのときを契機 志賀さんは前述したように大正二年、夏目漱石から として、この「時任謙作」の最初からの構想は、題材 朝日新聞に連載小説を書かないかとすすめられたとき、 としての魅力をうしなってしまい、そのままでは書き 当時書きはじめていた長篇「時任謙作」が頭にあり、 続けられなくなってしまったのである それを朝日新聞に載せるべく、翌年松江へ移り住んで、 このような事情で「時任謙作」 は、「暗夜行路」に この作品に没頭しているか、思うように捗らず、ついに変ってゆくのであるが、この移り変りについて、やは 辞退を決意し、上京して漱石にそのことを申出ている。 り「続創作余談」のなかで、志賀さんは次のように云 っている。 連載の新聞小説をながい期間にわたって書き続ける ことなど、志賀さんのような作家にとっては困難なこ 「話が飛ぶが、前に尾の道で此長篇を書きつつあった さねき やしま とで、折角の漱石の好意にも応えられなかったわけで頃、讃岐へ旅行をして屋島に泊った晩、寝つかれず、 あるが、この最初の「時任謙作」は、そのころまだ燃色々と考えている内に、若しかしたら自分は父の子で なおはる えつづいていた父直温氏との不和が、直接の主題とな 、象をした。私 はなく、祖父の子ではないかしらという想イ 志賀さんのフィクションの短篇のなかでも「清兵衛と 瓢簟」とならび立つ、最もすぐれた作品である 四 せつかく この 452
、、ら 彼は其女を嫌いではなかった。一寸美しい女だったばかんな事を憶い出していた。あの女は今もあの病院に居るか りでなく、何処か賢そうな所があり、一方食えない感じもしら ? 全体、あの青年は自分のやった手紙をあの女に見 あったが、彼に対しては割りに慎み深く、彼が話しかけるせたろうか ? あの女が何も知らなけれ・ま、 。しいとして、そ ような場合にも、よく看護婦などにある型の、いやにハキうでなければ、両方で具合悪そうだと思った。そしてそう ばく娶ん ( キ切口上で返事をする、そういう方ではなかった。笑い思う裏に、彼は知らず知らず其女に対する漠然とした下等 ながら寧ろ好んで曖昧な返事ばかりしていた。其頃彼は大な興味を起していた。その女に不良性のある所に起る興味 学で同じ科にいた人々の始めた或る同人雑誌に二三度、短であった。 小説を出した。それを咲子が話したと見え、或時、看護自家では信行が彼の帰りを待っていた。 婦は咲子のロを通して、その雑誌を貸して貰いたいといつ「耳が悪いって ? 」玄関へ出て来た信行は挨拶の代りにこ た。そういったのは其女が謙イ 乍の書いたものを見たいとい れをいった。 っている事ーーー自身のついている病人の兄の書いたものを「水が溜って居たので、直ぐ出して呉れた」 見るという興味、 とはわかっていた。が、謙作はか「大した事はないね ? 」 さしつか ら借りて見るのは差支えないが、自身で自身のものをわざ「何でもなかった」 わざ見せに持って行く気はしなかった。彼は自身の物のあ 二人は信行を先にして、茶の間へ入って行った。其処に る号だけを除き、七八冊の雑誌を置いて来た。其次ぎ行くは既に始めかけた信行の食事が出ていた。信行は坐ると改 と、黙って笑っている看護婦の代りに咲子が、不平をいつめて、 た。そして間もなく咲子は退院し、それから一年程して、 「やあ : : : 」と言って頭を下げた。謙作も黙って頭を下げ 前に書いたように或る青年が咲子に手紙を寄越したのであた。 こ・こと 路 る。彼がそれに叱言をいってやると、其看護婦に勧められ「先にあがりかけた所なのよ。謙さんも直ぐあがります ひらあやま 行 て出したものだと、其青年は平詫りに詫って来た。其時、か ? 」 いわゆる 「そうね。 どうでもかまいません」 暗彼は其女が見かけによらず所謂不良性のある女だったと思 0 て、一寸いやな気がした。自分の書いたものなど、見せ「どうでもって、あなたのおなかのよ」 ずによかったとも思った。 「そんなら、食いましよう」 彼は子供等の立騒いでいるタ方の往来を帰りながら、そ お栄は甲斐甲斐しく謙作の食事の支度をした。 むし つつし かい力し あいさっ
・・まろ・え そして、然し此事は父上や義母上や、其他本郷の人達に もちろん は不愉快な事であるのは勿論だが、愛子さんとの場合彼は此の二つの手紙を書き終ると、却 0 て変な気落ちを には父上はそういう事は自身やるようと言うお考だった感じた。これで自分のそう言う運命も決って了ったと思う さび から、改めて誰にも相談はしないつもりです。相談する事と淋しい心持になった。然しもう其事を迷う気はしなかっ で、思わぬ邪魔が入っても面白くないし、それに若し此事た。そして、其時はもう夜も十二時過ぎていたが、此手紙 なお の為めに今後本郷へ出入りを差し止められるような事があを未だ投函しないという事で尚迷うようでは不愉快だとい よようえ ちょうちん ていしやじよう っても、それは父上や義母上としては無理ない事だから、 う気持から、提灯をつけ、それから彼は停車場まで、それ 僕は素直な心持でそれをお受けするつもりです。というよを出しに行った。 うな事を書いた。 返事の来るまでが不安であった。直ぐ返事を書くとして びつくり 恐らくお栄さんは吃驚する事でしよう。然し其処を君かも間が三日かかる。然し何かと愚図愚図していれば五日位 らよく理解の行くよう話して頂きたく思います。そして此はかかるに違いないと思った。此五日間の不安な気持が今 事に関しては君にもお考があると思いますが同時に僕の性から想いやられた。彼はお栄に、「強くなれ、恐れるな」 質も知っていて下さるのだから、甚だ虫のいい事ですが、 と書きながら、自身時々弱々しい気持に堕ちる事を歯がゆ 兎に角僕の心持をそのままにお栄さんに伝えて頂く事をおく思った。信行に対しても、自分の性質は知っていて呉れ 願いします。と書いた。 るのだからと、他人の考では動かされないからという気勢 彼は此手紙の他にお栄にも書いた。 を見せながら、おだに二つの反対な気持が、自身の中でぶ 大変御無沙汰しています。御変りない事と思います。つかり合うのを腹立たしくも情なくも感じた。 くわ すべのふ ・ : 僕は此手紙で何にも書きません。精しい事は総て信さ実際彼には同じ位の強さで二つの反対した気持があっ んの方へ書きました。それはこれと同時に出しますから、 た。此事がうまく行って呉れれま、 をししという気持と、うま よくじっ 行 恐らく此手紙を御覧になった翌日には信さんが行って色々く行かないで呉れ、というような気持と。方が彼の本統 はす 暗お話する筈です。そしてそれはあなたを吃驚さす事です。の気持かよく分らなかった。何方にしろ決定すれば、彼は 然しどうか只驚いていずに、よく僕の心持を汲んで静かにそれに順応した気持になれるのだった。然しそうはつぎり っー 考えて下さい。そして臆病にならぬよう、何者も恐れぬよ決定しない内は、変にこういう反対した二つの気持に悩ま 、此事にお願いして置きます。彼はこんな風に書いされる。それは癖で、又一種の病気だ 0 た。そして、結局 ではい よ かえ