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検索対象: 現代日本の文学 9 志賀直哉集
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1. 現代日本の文学 9 志賀直哉集

戸外には秋らしい静かな雨が降って居た。その音を聴き「其話は余り面白くないネ」と彼は言った。すると、直 8 ながら二人がうとうとして居る間に女達は帰って行った。 「そうネ」と小稲も自分から賛成して了った。 十時頃眼を覚まして、二人は湯に入ると、幾らか気分が 「作り話さ」 はっきりした。又前夜の二人を言ったが、小稲だけ来て、 「全く、ちっと怪しいわネ」と笑って居る。 登喜子は同じの表二階の客の方へ行く事になって居た。 まがお 緒方は少し醒めかけると飲んだ。もう遊び事も話もな真顔で言い出して置きながら、そう言われると、不愉快 ただ かった。小稲は其だらけて行く座をもち兼ねて、只・ほんやな顔も見せず、一緒に笑って了う、何でも客のいう通りに さび りと淋しい眼つきをして、其処に仰向けに、長くなって居なるような此小稲を謙作は不愉快にも、亦可憐にも思っ こ 0 る緒方の顔を凝っと眺めて居た。 じ きっとさんだいばなし ふとひら 「それは屹度三題噺の出来損いか何そだろう」 緒方は閉じていた眼を不図開いた。そして、小稲が凝っ 「ああ、屹度そうネ」と小稲は自分でも気持よさそうに持 と自分の顔を見て居た事に気がつくと、或る具合悪さか かんだか ち前の疳高い声をあげて笑った。「自家のお酌さんが、伊 ら、気のない調子で、 よもんどこ 予紋か何処かで聴いて来たんです。本統の話かと思ってた 「どうだネ。何か面白い話でもないかネ ? 」と言った。 「そうネ」と小稲も淋しそうな笑をした。「下谷の芸者わ。・ : ・ : 本統にそうだわ。よくお解りにな 0 てネ」 「それじゃあ別の話を仕給え」と緒方は眼をつぶった儘、 衆が白狐に自動車の後押をされたと言う話、御存じ ? 」 ものう 物憂そうに言った。 「知らない。何処で ? 」 「面白い話なんて、そんなにないわ」と小稲は困ったよう 「つい近頃の事なんですって。大宮へ行った時とか : : : 」 な顔をして黙って了った。そして二人がそれを忘れかけた 小稲は真面目になって其話をした。 「そりゃあ怖かったんですって。お連れに言えばいいって頃、小稲は突然、 あと 「じゃあ今度は本統の話よ」といって自分だけで笑い出し 言うんですけど、そら、後でどんな仇をされるか知れない こ 0 でしよう ? 」 このくるわ こんな風に話した。謙作は少し馬鹿馬鹿しい気がした。 それは近頃此廓であった、心中未遂の男が裁判所で調べ 小稲が本統にそれを信じているならいいが、信じても居なられる時に、大びけにあがったと言うと、判事が大割引き どう い事を真でいうのが馬鹿馬鹿しか 0 た。 にあがったとは、如何言う事だ、と訊き返したと言う話だ まじめ こわ どこ じ あとおし あいだ この そこな また

2. 現代日本の文学 9 志賀直哉集

170 あま さび うに、変な淋しさが今ジメジメと彼の心へ浸み込んで来るにまで沈められて了った。 のをどうする事も出来なか 0 た。璉第ではどうする事も出信行は時々彼を訪ねて来た。彼の方も近頃は今までにな 来ない淋しさだった。彼は自分のこれからやらねばならぬく信行に親しみを感ずるようになった。そして信行から色 仕事ーー人類全体の幸福にアのある仕事ーー人類の進む色禅の話を聴く事を喜んだ。 しとう なんせんびようじき せきかく ぐてい一指頭の禅とか、南泉猫児を斬る話とか、石革の べき路へ目標を置いて行く仕事ーー・それが芸術家の仕事で あると思っている。 そんな事に殊更頭を向けたが、弾を向ける話とか、船子和尚と夾山の話とか、徳山が龍 さと たん ひやくじよういさんおうばくぼくしゅう 力を失った彼の心はそれで少しも引き立とうとはしなかっ潭の所で悟る話とか、それから百丈、山、黄檗、陸州、 た。只下〈下〈引き込まれて行く。「心の貧しぎ者は福澱、倥、そういう連中の色々な話など、総てが、現在 たい り」貧しきという意味が今の自分のような気持をいうならの謙作には理想的な心の境地であった。「何々、こっ然大 * とくさん 余りに惨酷な言葉だと彼は思った。今の心の状態が自身こ悟す」其処へ来ると彼はよく泣きそうになった。殊に徳山 れでいいのだ、これがになるのだとはどうして思えよう托鉢という話などでは彼はに泣き出して了 0 た。其話 かて と彼は考えた。若し今一人の牧師が自分の前へ来て「心のが彼の貧しい心に心の糧として響くからばかりでなく、一 はお 貧しき者は福なり」といったら自分はいきなり其頬を撲り方それの持つ一種の芸術味が、烈しく彼の心を動かした。 つけるだろうと考えた。心の貧しい事程、惨めな状態があ彼がそういう話に腹から感動するのを見ると信行は遠慮 ろうかと思った。実際彼の場合は淋しいとか苦しいとか しながら、鎌倉へ来る事を勧める事もあった。然しそうな 悲しいとかいうのでは足りなかった。心が只無闇と貧しくると謙作は素直になれない方だった。師につくという事 なった 心の貧乏人、心で貧乏するーー・これ程惨めな事が、いやだった。禅学は悪くなかった。が、悟り済ました があろうかと彼は考えた。 ような高慢な顔をした今の禅坊主につく事は閉ロだった。 こうやさん これは確かに生理的にも来ていた。尾の道にいた頃、既若し行くなら、未だ行った事はないが、高野山とか、叡 しゆっしよう さんよかわ に彼はそうなりかけていた。其処に自身の出生に就いて山の横川あたりに行きたい、そう彼は考えた。 彼は四十枚近く書いて又行きづまって了った。今のよう 知った。此事は然し一時的に彼の心を緊張させる上に却っ て有効な刺激となった。・ : カその刺激がなくなり緊張が去な気持で、内の力を外へ働きかける、書くというような仕 ると其処には一層悪いものが残された。これなしにさえ弱事のうまく行く筈はなかった。 って行きつつあった彼の心はその為め不意に最も悪い状態無為な、然し彼には息苦しい淋しい日が何週間か経っ この かえ た

3. 現代日本の文学 9 志賀直哉集

謙作の予期通り、慶太郎は来なかった。其夜九時頃に謙えたのです。所が、永田さんはよかったが、本人がどうし 作は慶太郎からの速達甄便を受取った。 ても承知しないのです。自分はもう親類だの友人にすっか しま 大阪からの電報で、今から急に帰らねばならなくなりまり話して了った。今更それだけの事で先約を破られては自 つもり した。多分二週間程したら又出て来る心算です、然し君の分の顔が立たない。若しも君の方でどうしても呉れないと まで 話は母からよく聴いて居るから、大阪へ帰り次第、書面で言う事なればそれ迄の話だが、僕にそれを同意させようと なにとそあし けんまく 御返事します。度々の破約は実に恐縮の至りです。何卒不言うのは君の方が余りに勝手だと、以てのほかの見幕でし た。これは此男として無理ない事と思います。元々結婚の こんな事が走り書きにしてあった。 問題は全然僕に任せると言う愛子の言葉を其儘に僕が実行 それから一週間程して大阪から今度は長い手紙が来た。 して、よく相談もせずに、大体の約束を決めて了ったのが こんな意味だった。 悪かったが、こうなっては僕としては矢張り君の話をお断 ながた 実は今度上京する一ト月程前に永田さん ( 彼の方の課長りして先約を守るより仕方ありません。以上の次第ですか で、謙作の父に引き立てられた男 ) から話があって、矢張ら帰阪の際など、色々君に不愉快を与えた事と思います り会社の人だが、其人に愛子をやる事にして置いたのでが、僕の気持も察して何卒総てを出来るだけ善意に解して もちろん その うんぬん す。勿論僕だけの意見としてではあるが。それで、其用も頂きます。云々。 兼ねて上京した所が、母から突然君の話を聴いて実は僕も謙作は読みながら、「嘘つけ ! つけー」と何度とな たより っふや そらぞら 驚いた次第です。僕は御承知の通り減多に自家へは便をしく呟いた。よくも空々しくこんな事が平気で書けるものだ いそが ない方だし、何れ近く会うという気があったので、忙しさと思った。 にまぎれ此事を早く母に知らせなかったのも悪かったが、 然し愛子はそれから三月程して実際大阪へかたづいて行 路それは自分だけの考としてにしろ、兎に角、永田さんや当った。それは、或る金持の次男であったが、慶太郎の居る 行人にはその事を承知した後なので、実に僕も当惑した。勿会社の男ではなかった。 論僕としては旧い友達である君の所へ愛子を上げたい気は謙作の心に受けた傷は案外に深かった。それは失恋より むこう 充分にあるのですが、彼方が謂わば先約の話だ。僕は仕方も、人生に対する或る失望を強いられる点でこたえた。元 ないから大阪に帰って、彼方に充分な理解を求め、それを元愛子は仕方なかった。それに腹を立てる事は出来なかっ 承諾さして、それから君の方の話を進めるより他ないと考た。それから慶太郎も仕方ない。今度のやり方でも腹は立 ~ 、ら この ふる また そのよ うそ 、じ、′く

4. 現代日本の文学 9 志賀直哉集

108 わかを考えたという事は偶然効果の多すぎるお世辞になっ お加代も幾ら緒方が勧めても飲もうとしなかった。 て居た。 わけ 「理由があって、お酒は断っちゃ 0 たのよ。ーー本統に散し其夜はとかく話が絶えがちだ 0 た。謙作は氷肝神社 散叱られちゃったわ」そう腹立しそうに附け加えた。 へ行った時の話をしようかとも思ったが、後で客との話の しくじり みんな 「又お酒で失策をしたんですの」 種にされても困る気がしてやめた。皆が黙っていると、お 「又なんて、ひどいよ、お前さん」お加代は多少下品な調加代とお牧は勝手に自分達の話をしていた。 子でいって、お牧の肩を突いた。そして「出世前の者はお「ほら、運送屋の横丁さ」 酒なんか飲むもんじゃないのよ」と独りで言った。 「運送屋って、あのいい男の坐ってる家かい ? 」 謙作は前日自家で不図お加代が一トかわ眼か二タかわ眼「ああ」 かというような事を考えて、それを緒方への端書の端に書 こんな事をいっていた。 おも いてやった、それを億い出した。所がそれと同時に緒方が「怪しからんな。、、 しし男がどうしたんだい」緒方は興味の その 其事を言い出した。 ない気持で無理にそんな事をいった。 と強 - とう けんつく お加代は直ぐ剣突らしく答えた。 「おいおいお加代さん。時任がね、君の眼が一トかわか一一 ちょっと 「いい男の話じゃない事よ。、、 タかわか考えたそうだよ。一寸見せてやり給え」 しし男のいる横丁の話よ」 なお でたらめ 今まで少しむっとしていたお加代は急に媚びるような眼「横丁なら尚怪しからん」緒方は出鱈目を言って、つまら をして謙作の方を向いた。 なそうに笑った。 こっち 「両方あるのよ。ね、此方が一ト重でしよう ? 此方が二「此辺はそりゃあ、 いい男が多いんですよ」とお牧が言っ こ 0 タ重」 「あべこべだ」 「つまり君達のれだな」 さす 「おや、そうかしら」お加代は指の先で眼瞼を擦りなが 「 0 さん、此間ね」といってお加代は笑い出した。「お清 ろげつちょう ら、眼をばちばちさした。 さんが露月町の方にそれはそれはいい男の散髪屋さんが居 「そうだわ」 るって言うのよ。それを又、よくきかずに此人と出かけち そしてお加代はもう一度、嬉しそうな変に誘惑的な眼をやったものよ。所がどうしても家が知れなくて、一軒一軒 のぞ 向け、黙って、微笑した。居ない所で一トかわか、二タか散髪屋を覗いて歩いちゃった : ・ : こ女一一人は横眼を見合 っこ 0 まぶた あと この

5. 現代日本の文学 9 志賀直哉集

のだという事、そして、直ぐ引きかえして断らなか 0 たの事を口しく言い、それで喧嘩をする事もあったが、その あやま は、自分が悪かったと言って謝った。クリーヴランドを買時、はっきり祖母は毎時の場合と別だという事を感じ、一 うといった為めに、若し私のデイトンを割高く買ったとすト言も言わずに請求しただけの金を渡してくれた。これは れば、どれだけの損になるか、それを今、払おうと言った。今思っても気持のいい事で、私の父には決してこの事は出 萩原はにこにこしながら、 来ない。 「森田さんがそういっていましたよ。私も商売人だから、 祖母はその時から二十年余り生きていたが、祖母との間 おぼえ たち 損をして買うような事はしないから、そんな心配はしなく でこの話は選にしなかった。祖母はもの覚のいい性で、そ てもいいですよ。わざわざそれを言いに来て下すったんだれを忘れてはいなかったと思うが、遂に話合わなかった。 から、もうそれで話はよく分りました」と言った。そして三十を過ぎて、もうべテンという言葉にもそういう意味の 彼は「商売人」らしい調子で、「今度買う時には私の店で嫌悪は感じていなかったから、ある時、その話をする事も 買って下さいよ」とも言ったが、私は用心して、はっきり私には出来たが、機会がなかった。今になって考えると、 とかく した返事はしなかった。兎に角、十円持って来たから、そ何か心残りである。 ほとん * うちむらかんぞう れだけ受取ってくれといったが、萩原は受取らなかった。 私は前に書いた「内村鑑三先生の憶い出」の中で、殆ど これは五十三年前、総て物価の安かった頃の事で、十円あ動機らしい動機もなく基督教に近づいたように書いたが、 れば一人一ヶ月の生活費になった時代の話である。 矢張りこんな事が機縁となって近づいたのかも知れぬ。種 ちゃうすやま 結局、私は半分の五円だけを無理に受取らせ、晴々した田という牧師はその後、何年かして、大阪茶日山の博覧会 す * よっや 気持になって、直ぐ四谷の学校へいったが、永い間、気にで、広場の一隅に立って、五六人の聴衆を対手に説教して しば つきもの いるのを見かけたことがある。私は連れもあったので、少 かかっていた事が、こんなにたわいなく解決して、憑物が らく じみ 車落ちたような気持だった。帰って、残りの五円を祖母に返時立止っただけで去ったが、その地味な調子は前と少しも 変らず、そういう場所で大勢の聴衆を集めるという話振り 転したが、その時も祖母は黙って受取った。 はんすう ではなかった。 私は今、この憶い出を反芻し、一番心に印象深い事は、 自 ただ 祖母が金の使い道を一ト言も糺さずに渡してくれ、そし私は自転車に対し、今も、郷愁のようなものを幾らか持 っているのか、其所にあれば一寸乗って見たりもするが、 て、残りを受取る時も黙って受取ってくれた事だ。祖母は 日常の生活で何時もそういう人ではなく、時に、つまらぬ自転車そのものが昔と変って了った為めに乗りにくくもあ

6. 現代日本の文学 9 志賀直哉集

よう、金を送っても帰らず、勝手に城ご行き、今、又そを信じなかった。仮りにそう勧めて呉れる親切は信じられ んな事を言って金を請求して来る。若しかしたら植民地らて、それがどれだけ続くか、信じられなかった。お栄は ふしだら さわ しい不検束な生活から変な男でも出来、それが背後で糸をその度、当り触りのない文句で断った。 てつれい ますだ 引いているのではないかしらというような疑問も起こし鉄嶺ホテルの女あるじ、増田というのは、男まさりのし うわさ かっ つかり者だという噂はお栄も嘗てお才から聞いていたが、 けんばん 謙作は一緒に暮らして居た頃のお栄を想うと、こういう此女が最近土地の検番と喧嘩し、一つは意地から自力で別 推察は不愉快だった。し、又、病的にもしろ、自分がそに検番を作る事にし、前から多少知合いだ 0 たお才〈手紙 ういう感情を持ったお栄には何か未だそういう誘惑を人にでその事をいって寄越した。お才はそれを直ぐお栄の方へ 感じさせるものが残っているに違いなく、且っ話に聞いた知らして来た。 お栄の過去が過去であるだけ、此推察も必ずしもあり得な 四五人の芸者に間に合うだけの衣裳を持ち、それをもと ひら いとは思えなかった。お栄が精しい事情を書かない点からでに何処かで芸者屋を開こうとしているお栄には、実にこ しきしよう もちろん も何か色情の上の出来事らしく感ぜられた。 れは渡りに船の話だった。勿論二つ返事で乗って来るもの 信行も、今度は行って連れて来るより仕方あるまいと書とお才は思っているに違いなかったが、お栄はそれも断っ いて来た。 て了った。 よくはん その日はもう銀行が間に合わないので、彼は翌晩の特急 これが大連とか京城とかの話ならば嬉しいのだが、近頃 のように病気をしていると一層気が弱くなり、鉄嶺まで入 でたつ事にし、その事を京城と鎌倉とに電報で知らせた。 せつ ますます 込んで行くのが、益々内地と縁遠くなるようで心細い、折 角の親切を無にするようだが、鉄嶺へは行きたくない。そ てんしん お栄の天津での失敗はお才に瞞されたとは言えないまでして此大連も今の所いい話もなさそうなので、そのうち京 も、わざわざ金を持って内地から出掛けた者に対し、それ城へ行こうと思う。少しでも内地に近づきたく、若し京城 を勧めたお才としては、やり方が少し無責圧だった。悪気の方にいい話でもあったら、其時は是非知らして貰いた あと と書いた。 はないにしても親切気がなかった。お才も後で此事は幾ら のむらそういち か気になったらしく、お栄が大連へ引きあげてからも再その後又お才から、若し京城に行くなら警部で野村宗一 しりびと 三、手紙で、又来るよう勧めて来た。が、お栄はもうお才と言う知人がある。それに頼めば万事便宜を計って呉れる こ 0 うしろ 、どこ たび

7. 現代日本の文学 9 志賀直哉集

372 五 ふたっき 母が亡くなって二月程すると自家では母の後を探しだし また そのとき ようや た。四十三の父が又結婚すると言う事が其時の私には思い 一日一日を非常に待遠しがった末に、慚く当日がた。 あかさかやおかん ひろう がけなかった。 赤坂の八百勘で式も披露もあった。 お益さんという人の話が出た。これも思いがけなかっ式は植込みの離れであった。四つ上の叔父、曽祖母、祖 た。此人は七つ迄の友達だ 0 たお清さんと言う人の姉さん母、祖父等と並んで受けた。其時私は不器用に右手 の又姉さんである。が、共話はそれつきりで、却ってお益だけを出して台から杯を取上げた。武骨な豪傑腮の叔父さ つつし わざ さんの父から他の話が起った。そして写真が来た。 えも、謹んでして居る中で自分だけ態とそう言う事をし よくじっ その翌日祖母は私に其写真を見せて、 た。しながら少し変な気もしたが、カましいような心持も どう 「お前は如何思う ? 」と言った。不意で何といっていい力あった。 ただ わからなかった。只、 式が終って、植込みの中を石を伝って還って来ると、 かた うしろ 「心さえいい方なら」と答えた。 背後から、 この答は祖母をすっかり感心させた。十三の私から此答「何だ、あんなゾンザイな真似をして」と叔父が小声で怒 を聴こうとは思わなかったように祖母は祖父にそれを話しった。私は初めて大変な失策をしたと気がついた。私は急 しお て居た。聞いて居て片腹痛かった。 に萎れて了った。 みんな 暫くして話は決った。話が決ると私は急に待遠しくなっ広間では客が皆席について居た。私は新しい母の次に坐 おやゅび た。母となるべき人は若かった。そして写真では亡くなっ った。母は拇指に真白な繃帯をして居た。かすかな沃度ホ た母より遙かに美しかった。 ルムの匂いがした。 こうねん 実母を失った当時は私は毎日泣いて居た。ーー後年席が乱れるにつれて私も元気になって来た。雛妓の踊り ぎだゅう 義太夫で「泣いてばっかり居たわいな」という文句を聴きが済むと、大きい呉服屋の息子で私と同年の子供が其時分 かく 当時の自分を憶い出した程によく泣いた。兎に角、生れて流行しだした改良剣舞をやった。其後で四つ上の叔父と私 ただ 初めて起った「取りかえしのつかぬ事」だったのである。 と只の剣舞をした。 よく湯で祖母と二人で泣いた。し私は百日過ぎない内に 芸者が七八人居た。吾々の前には顔立のいい女が坐って しばら ます この もう新しい母を心から待ち焦れるようになって居た。 にお はうたい こが

8. 現代日本の文学 9 志賀直哉集

して居なかった謙作は一寸恐縮し、そして小さい自尊心かずっと楽だった。彼は Z 老人がそれとなく自分をじろじろ と見でもしそうに予想して来たが、そう言う所は少しもな ら色々拘泥して居た自分を恥じた。 よくじっ z 老人を尋ねるのは翌日という事で、その前に氏が誘く、寧ろそれを避けると思われる程に見なかった。 いに来る轡で、彼はれ物などを持 0 て来ていたから、其割りに質素な食事が運ばれ、女中でなく、細君自身お酌 くるまひがしさんぼんぎ をして廻った。が、酒は誰れも余り飲まなかった。 処で氏とは別れ、一人俥で東三本木へ向った。 話は極く普通の世間話しかしなかった。山崎医学士の 翌日約束の時間に氏は訪ねて来た。そして二人は直ぐ しおざかな とうさんろう つるが 近い東三楼へ行く事にした。謙作は余りに社交馴れない自などが出た。敦賀の漁業の話から、昔は大概塩魚にして出 いしんまえ したもので、それを貯蔵して置く倉が沢山あって、維新前 分が幾らか不安でもあった。然し前夜よく眠って居たし、 気分はよかった。 の事、灑韲糒一味のものが、東海道を通れぬ とら 女中が氏の名刺を持って入ると、時も河原からばか為め、北陸を廻って、京都へ入ろうとする所を、敦賀で捕 り見ていた老人の細君が、其日は常よりいい着物を着て、 え、その塩魚を入れる倉へとじ込めた事があるというよう な話を老人はした。日のささぬ、じめじめした倉で、それ 玄関へ出て来た。 みな、、 「さあ、どうぞ」細い薄暗い廊下を先へ立って歩きながら、 に塩気が浸込んで居るから、浪士の人達は皆、しつにかか 「えらい、むさくろしい所で : : : 」などといった。 り、それが身体中に弘まって、其様子が実に見ていられな ひとえばおり 一重羽織を着た Z 老人が河原の方を背にして、きちんとかった。 坐って居た。謙作はいつもの癖で袴も穿かずに来たが、そ「おい、一寸その袋を持って来い」 Z 老人は謙作の背後の しばらく れが一寸気になった。 違い棚を指し、話を少時きった。 「初めまして、 」老人は瘠せた身体に似合わぬ幅のあ「御免やす」細君は謙作のうしろを通り、その袋を取って 路 る、はっきりした声を出した。 老人の前へ置いた。古代紫という色が、実際いい具合に古 らしゃ 行 「此度はこちらにお住いやそうで : : : 」こんな風に言われびた羅紗の「火の用心」のような袋だった。老人は中から ただ めがね こがたな 眼鏡や財布やマッチや小刀や磁石などを出してから、 暗ると、謙作は只、 ささきじゅうぞう いわきそうま 「ええ」と答える。後は大概氏が要領よく続けて呉れる「此根付けが、其時の浪士で、佐々木重蔵という磐城相馬 はん 3 のである。 藩の男でしたが、世話になったというので、記念に呉れた 謙作は様子では窮屈らしくなっていたが、気持はもっと物です、 : : : 」こういって其袋を二人の前へ出した。 このたび はかまは ごめん むし ひろ

9. 現代日本の文学 9 志賀直哉集

入ると一緒に主人に面会を求め、結婚を申し込み、其場で言い出した。 「へえ」女主は茶をいれながら返事をした。 うまく話をまとめたという話を憶い出した。これは其大学 生の友達だった国語の教師から聴いた話なので、彼は多分「あすこは、下宿もさせるのですか ? 」 だろうと思っている。そしてそれを聴いた時彼は随分「へえ、よう大学や市立へ通われる病人さんが宿られるよ 笑ったものの、何となく其男のやり方に、不快な気持が感う聞いとりますが」 そっちよく ぜられた。一つはそれだけの話では其男の率直さの程度が「実は今、部屋を訊いて見たんです。 : : : 」 本統に感ぜられないからでもあったが、もう一つは彼の行「へえ」 きまっ ぎら 為の上の趣味から言ってそういう奇抜さが嫌いであり、そ「部屋がないと断わられたんです。然しそれがぶつつけに ういう奇抜さに興味を持つ人が好きになれなかったからで行ったんで、断わられたのか、実際ないのかよく分からな いんです。本統の事が訊いて貰えるとがいいんですが もあった。然し高井のやり方が同じようになる気づかいは ないと彼は安心しながら帰って来た。 ゅどの 「早速ねて参じましよう。あのお家は前のお方やと、極 彼は直ぐ湯殿へいって水で身体を拭いた。其所に高井が いっさくねんだい く御懇意に願うとりましたが、一昨年代がわりになりまし 苦笑しながら帰って来た。 ござ なじみ うそ 「断られたよ。本統か嘘かわからないが部屋がないそうて、未だお馴染は薄うムりますが、自家の仕出し屋があの お家へも入りますさかい、仕出し屋に訊ねさせましよう」 らくたん 謙作も一緒に苦笑した。・ : 」 女主はそういって立って行った。そして直ぐ又一通の手 カに落胆はしなかった。 しか 「然し本統かも知れないよ。若し、なんなら、もう一遍此紙を持って、 うち す 「えらい済まん事で、お昼頃参っとりましたのを、つい忘 家から訊いて貰う事もできるし」といった。 のぶゆき 「そうだね。最初からそうする方がよかったかも知れないれまして」と言訳けして謙作へ渡した。それは鎌倉の信行 かく 兎に角もう一度訊いて貰おうか」 からの手紙だった。「要事」としてかなりに重みのある手 「そうしよう」 紙だっこ 0 おんなあるじ 二人は部屋へ来た。宿の女主が直ぐ茶道具を持って来 こ 0 とうさんろう ごぶさた 「東三楼ですかね。此のむこうにありますね」高井は直ぐ御不沙汰している。元気の事と思う。お前の先日の便り - 」とわ と し この ・ここんい うち また

10. 現代日本の文学 9 志賀直哉集

うな気がした。そして蔭でお栄にどんな事を言って居る「いやな話で、済みません」と殊更に作り笑いをして謙作 の方を向いた。 四か、それさえ大概見当のつくような気がした。 「石本さん、いらしたの ? 」とお栄が言った。 久しく東京言葉を聴かなかったような気持から、一つは 「居なかった。今日居ない事は知ってたんですが、すっか お才と一緒になりたくない気持から、彼は夜になって落語 おそ うち り忘れてたんです。仕方がないから、はなしかを聴いて来 の寄席へ行き、晩くなって大森の家へ帰って来た。 お栄とお才は未だ起きて、茶の間の電燈の下で何か話しました」謙作は火鉢のへいって、腰を下ろした。 「謙さんはそう言うものがお好きなんですか。私も好きな 込んで居た。 あちら いいのが来ませんからね。 お才はその話で興奮して居るらしく、前夜のような世辞方だが、彼地じゃあ、 はなしか ちやわん きゅうす も言わず、自分で急須へ湯をさし、それを茶碗へしたむあれは何て言ったかしら。落語家の方は忘れたが、かみさ うち あさひしじよう びわひ しばら んが、旭紫嬢という琵琶弾きで、暫く二人共家へ置いてや と、謙作の前へ置いて、直ぐ、話を続けた。 なかなか れいげんこう 「それが、お前さん、ちっとも私は知らなかった。その春った事がありますよ。却々いい声で、黎元洪に字を書いて から、これだったんだ : ・ : ・」こう荒っ・ほく言って、お才は貰った琵琶を持って居ました」 りようびじ たなごころ その瘠せこけた片手の親指と小指の先をお栄の鼻先きで二 お才は食卓に両臂を突き、米噛の所に両の掌を当て、 電燈の光りから顔を陰にしながらそんな話をした。それは 三度忙しく、くっ附けて見せた。 こじわ つや そうする事で顔の小皺が見えなくなり、艶を失った皮膚の お栄は眼を伏せ、黙って居た。 くや もちろん 「口惜しいっちゃ、ない。旦那も何だけれど、妹の奴、食色が分らなくなる為めに幾らか美しく見えた。勿論お才は わして貰って居て、そんな事をしやがるかと思うと、まさ其効果を十二分に知って、仕て居るので、そして謙作にも でばぼうちょう か本気でもなかったが、私は出刃庖刀を振廻してやった」実際それが美しく見えた。少なくも此女が若かった頃は相 謙作は何だか居たたまらない気持になって来た。茶を飲当に美しかったかも知れないという気を起こさせた。 みながら、腰を浮かしていると、それと察したお栄が急に お才は翌朝岐阜の方へ起って行った。岐阜は郷里でもあ そこ 顔をげ、 り、其所に何か用もあるらしく、お栄とは日を決めて、京 「お菓子でも出しましようか」と言った。 都で会い、一緒にな〈行く事にして行「た。起ち際に、 たくさん 「もう沢山」こういって起ちかけると、お才も気がつい 「お栄さんの事は御心配なく」こんなに言われても謙作は あいさっ 挨拶が出来なかった。 て、 よせ よる よくあさ す こめかみ ことさら この