武吉 - みる会図書館


検索対象: 現代日本の文学 18 石川淳集
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1. 現代日本の文学 18 石川淳集

たまえ。その間、わたしがぎみのことを考えるのは、わたかけたとぎ、そこへポーイが近づいて来た。向うの、ロ・ヒ 盟しの気まぐれだとしておこう。きみに於て他人に註文を発イの入口に、まっしろな洋装をなびかせて、敬子の姿が明 するだけの正当な資格ができるまで、わたしはただそばかるくあらわれた。金吾は立ち上った。 らきみをその方向へ : : : よろしい。きようのところは、こ「失礼ですが、きようはこれでおいとましたいと存じま れでやめておこう。」 金吾は頬をほてらせたがらずっと聴いていた。 「そう。」武吉はおちつきを取りもどした態度で、「では、 「さて」と武吉は時計を出して見て、「きようはこれからまた : 敬子をつれて鎌倉山へドライヴするんだがね。わたしが運駆け出た外で、上著まで汗みずくになって、金吾はいっ 転するんだ。よかったら、きみもいっしょに来たまえ。」 か溜池の電車道に来るまで、どこをどう走ったのか判らな 「はい。」 かった。拭けば拭くほど、とめどなく汗が流れた。だが、 いきなり飛び乗った電車が新橋駅前でとまったとき、少年 「どうしたのか、もう来る時分だが : : : 」 だが、どうしてそのとき、金吾は突然ものに憑かれたよは往きにそこの駅で一時預にしておいた鞄のことを思い出 うに、顔を真蒼にして、こんなことをいい出したのか。すだろう。その中に、ホームス・ハンがはいっている。そし しわ 「ぼく、お願いがあります。」 て、ふところには皺くちゃの五円札がたたみこんである。 今や、不吉なる前面の敵は中条兵作だ。便宜荘へは、つい 「なんだ」と武吉は眼をみはって、「いってみたまえ。」 らんにゆうしゃ 「ほく : : : 」もう堰きとめようのないところに、ことばが一またぎだ。そこでは、血相かえた闖入者に対して店員が こう答えるだろう。 飛び出していた。「敬子さんと結婚させて下さい。」 「お休みです。けさ電話で、また二三日休むといって来ま 武吉は声も立てなかった。びくりともしなかった。ソフ アに深く沈んだまま、そういったのが自分みずからであっした。」 ほうつ たかのごとく、茫と宙を見つめて、取りかえしのつかぬあ返す・ヘきものは鞄だけではなく、直接ぶつけねばならぬ やまちを犯してしまった後の無表情な顔がそこにあった。父親と一一人分の挨拶だ。少年は重い荷物を置こうとはしな いで、店員に中条の生居をたずね、すぐ渋谷へ向うであろ 金吾は : : がらがらと何かがぶち壊れた音で、からだじゅ うがふるえていた。天皿の中で、葉巻の灰が崩れた。やがう。だが、この炎天の下で、逆上ぎみの少年の後からほこ て、何をいおうとするのか、武吉がかすかに唇をうごかしり・ほい渋谷の通などをうろっくよりも、われわれは花笠武

2. 現代日本の文学 18 石川淳集

母が直接あなたに対して、おじさまではないあなたに対しの腕をすり抜けて、敬子は草の上に驤け出した。そして、 むざん て、投げつけるべきことばでした。無慙にも、あたしがあそこに幹をうねらせている松の根元の、赭土にすべって、 なたに似ているとまで見なければならなかったほど、あわみだれた茂みの中に落ち、茂みのかげで蓋われている低い れな母はあなたのことで一生いつばいでした。そんな母を畆の下へ、だだと落ちた。追いかけて来た武吉は松の幹に して・ : : ・いし 、え、そんな母から直接このことばを投げつけつかまって、崖ぎわにのぞきこんだ。下の道の草むらか てもらえるに値しなかったほど、あなたは卑怯者でした。 ら、傷ついた鳥のように飛び立って、もう白い姿はひらひ そして、今、あなたがいうところのこの最後の機会に於てらと向うへ駆けつづけて行った。それはロッジへおりる道 だ。武吉はそのあとをおり返して行った。 さえ、あなたはやはり自分みずからのことばを持ちえない のですね。どこかの少年のことばを借りて来なければなら ロッジのそばまで来たとき、遠くに自動車のエンジンの ないような、卑怯者なのですね。あなた自身のことばをも鳴るのが聞えた。はっとして、武吉は駆けつけた。しか って、どうしてあなたはあたしに結婚を申しこむことがでし、すでに敬子の姿はどこにも見えなかった。そして、ク ぎないのですか。たったそれだけのちっぽけな勇気でも、 ライスラ 1 も : : : 武吉は入口の石段に駆け出して、あたり せめてあなたが持っていてくれたのなら、あたしは今こんを見まわした。タ闇の中で、坂道には物の影もなかった。 なにあなたを軽蔑しないでもすんだでしよう。もうすこし かなたの波の音に、くろずんだ木木がゆらいでいた。 ましな思い出を抱いて、あたしはあなたから去って行くこ ・にカ . ロツツ どこへ行ってしまったのだ。さがしに : とができたでしよう。卑怯者。あなたのロには泥しかつまには車の用意がない。それに方角も判らない。警察へ : ろうばい っていない。あなたの大好きな、他人のための道徳はその恥ずべき狼狽だ。第一、すぐの間には合うまい。ああ、疲 口から出るのですか。ああ、いくじなしの道徳、いくじなれきった、混乱した、未熟な乗手。車はどこにぶつかるの しのあなた : ・ だ。薄暗い道ばたに横倒れになった車体、血まみれに投げ 武吉はもう何も受けつけていなかった。ただ、そこに美出された敬子 : : : どうするか。救ける方法があるか。い しく狂おしく燃え立っているところの一箇の若い女の肉体や、どんな考も遅すぎる。手のおよばないことだ。もしひ すさ しか見ていなかった。突然、凄まじい色が武吉の眼にはしよっと帰って来てくれたら : : : ああ、帰って来てくれさえ った。真赤なネクタイが飆と裏がえしにひるがえっこ。 ナ一したら : : : 仕方がない、なるようになれ : ・ 跳びで、頑丈な武吉のからだが敬子に殺到した・ : : だがそ武吉はひとまずテラスにもどって来た。 あかつら おお

3. 現代日本の文学 18 石川淳集

は努力がなかったのです。したがって抛棄もありません。部屋を取る。それで送別会のことだが、二十五日ときめ ぼくはただときどきカンヴァスにぶつかって破裂しただけた。一一十五日、午後七時、場所は芝公園の館 : : : 」 ナ「ははあ、一一十五日 : : : 」と大介はロの中でくりかえした。 です。そこには断片が散りました。すこしはきらきらしこ ようです。近眼のひとがそれを宝石のかけらとまちがえた「この国では持ちくされにおわった建築の観念よ、さよう かして、ぼくはいささか喝采を博するの光栄に浴しましならですか。一一十五日、二十五日 : : : 」 た。しかし、花火が揚ったときには、ぼくはもう遠くへ駆一瞬間、突然何かの決意がかためられたらしく、さっと け出していたのです。」 悲壮な光が大介の顔に流れた。だが、そのけはいを見て取 シャン・ヘソ 今、武吉の眼の前には、三鞭酒の泡を透かして、本当にるひまもなく、武吉は武吉で、廊下の壁に掲げてある写真 遠くへ行ってしまったような、ひとり・ほっちの大介の顔が額に茫と眼をうばわれていた。それは美しい大きい船の写 霞んでいた。武吉はふとなにゆえきよう大介の夫人が同伴真で、最近某汽船会社がアメリカ航路のために新造したい しなかったのかと思ったが、ロに出すまでもなく、もう何わゆる自慢の豪華船であったが、どうしてここに飾られて のことばも浮んで来なかった。手のつけられぬ決裂がそこ いたのか、それこそ九月一日敬子を載せて出帆するはずの にあって、一一人とも顔を見合せながら、しばらく黙ってい船にほかならなかった。今、武吉はその船を、敬子を、す こ 0 べて自分をおどおどさせるものを、即座に海のかなたへ押 そのとき、ポ】イが武吉のそばに寄って来て、玄関で面し出してしまいたい願望でいつばいになった。意匠を凝ら 会を求めているわかもののことを告げた。武吉は画の置いしたもの、びつくり仕掛のもの、底に底のあるものはこと 、つけると、大介のほごとく邪魔物であった。もはや、何もいらなかった。どん てある部屋で待たせておくようにいし うに向き直り、わかものの件をもち出して、立ち消えたはな値段を払っても確保すべき静謐と、それを支えてくれる なしの火をつけかえようとした。大介は興味を示すでもなであろうもの以外は : ・ 描 く、迷惑がるでもなく、耳の外に聞き流しているていであ 画の置いてある部屋で、金吾は先刻から待っていた。ど 白った。食卓は終に近づいた。 やがて、食堂を出て、廊下を歩きながら、「ああ」と武れほど待ったのか、その長さの跡が消えてしまった部屋の 吉が声をあげて、「あやうくいいおとすところだった。ク中に散らばった数点の画、どれも十号十五号ぐらいの画が すさ いきおい凄まじくそこにものの流を断ち切っていた。画家 ラウスさんがあした帰って来る。今度はわたしのホテルに かっさい ばうつ せいひっ

4. 現代日本の文学 18 石川淳集

むぞうき きで、そこに立っていた無雑做な浴衣姿の人物を・ほんやりつあるのかと見えないでもなかった。要するに、九日のい 見上げたが、それは相手がたれかすぐ判ったにも係らず、ざこざが以後おくびにも出て来ぬけしきから察すれば、武 今時分その人物がそんな恰好でこの場にあらわれることな吉がそれを思い出したがらなかったことは疑いなく、そし ど到底ありえないという考のほうが力強く、まのあたりのて外貌に示された限り、この数日むしろあっけないほどの 事実を打ち消しているようなふぜいであった。だが、それおちつき加減であったが、というのもいくぶんは敬子の影 響とみとめるべきかも知れぬ。けだし、武吉がそんなにも はたしかに花笠武吉であった。 骨を折って思い出すまいとしていることを、敬子の側では 花笠武吉の身に於て九日の出来事がどんな痛手を、すくもう即座に、事がおこるそばから、さつばり忘れてしまっ たとしか受け取れぬ模様であったからだ。 なくともどんな後味を残したか、ちょっと見たところでは 判別しようがなかった。つまり、十日の午前中鎌倉から帰最近約一週間のうちに、武吉は一一度敬子と逢う機会をも って来ると、武吉はすぐその足を今までどおり繁忙な生活った。初めは十一日の朝、麻布のホテルで外出の支度をし の流にさらわれ、めまぐるしい外部の速力にせき立てられているところへふいに来訪を受けて、武吉はとたんに自分 ひだし るままに、唯一の止まり場である手帖も抽出の底に撼り放でおかしいくらい興奮した。そして、そう興奮したという しで、出来事にふれての感想はおろか、すべて心の消息のことに赫となって、電話の前ぶれのなかったのを理由に面 かかと ほうは自分にも当分お預けにしておくといったかたちであ会をことわろうとさえしかけたが、その動揺を靴の踵でお った。まったく暑中でも会社の業務はあたらしい企画のたさえつけながら、冷静らしい足どりでロビイに出て行っ めに拡張されていたし、雑用も捨ておけず、さらに柏木の た。そこに、敬子がかって何事もおこらなかったかのよう 家の件も追加されたので、それは実際繁忙のせいでもあつに、決してわざとではなさそうな自然な態度で、のびのび たろうが、一面には当人みずからおりよく活にまわりは と明るく控えていた。ただ、いわば常よりずっと近づきや 描 じめた仕事の歯車にすすんでわが身を巻きつけ、ともすれすく、やさしげに見えたそのようすに、かえって武吉は予 白ばこみ上げがちの胸のつかえにものもいわせず、一気に打想外のものにぶつかって、冷静であろうと身がまえただけ ち砕き圧しつぶしながら、苦悩に満ちた内部のたたかいの余計にまごっいてしまう結果になった。敬子のはなしはま 末やっと到達しうるであろう平静と似よりの境地、荒療治ず来月の船室予約に関する事務的な打合せで、つぎにリイ ほうぜん うわさ の後でぼかんとする茫然自失の状態に大いそぎで近づきっピナ夫人の噂となり、重要なまた愉快な報告として前日夫 ゆかたすがた かっ

5. 現代日本の文学 18 石川淳集

めて出現した、それはたった一つの装飾品だ。」 どやどやおりかかった。船客はみな陸に面して、片側の甲 てすり 敬子は返事もせず、身じろぎもせず、手摺に投げてある板にならんだ。岸壁に歓声があがった。テープが投げられ た。別れるべきときであった。 腕の中に額を埋めた。泣いているとしか見えぬ姿勢であっ た。武吉は肩にぎゅっと手をかけて、 「いいたまえ、敬子。きみは行くのがいやになったのじや横浜からかえって来る途中、もう日がかくれて、次第に ないか。もしそうだったら、やめるのにすこしも遠慮はい 雲行がけわしくなってきた。本州の中部を北へ吹き抜ける 颱風の余波で東京地方は午後から荒模様になろうというラ らないのだ。いいたまえ。」 敬子は静かに顔を上げた。眼は血走って、かさかさに乾ジオの警報のとおり、風が街路樹の枝を揺がしはじめた。 いていた。その眼は武吉のほうにではなく、はるか沖のほ新橋駅でアルダノフ、リイビナ夫妻と別れて、武吉が麻布 うにむけられたが、あまりにも遠いへだたりにおびえたよのホテルにもどって来たときには、すでに横なぐりの雨が 打ちつけていた。 うに、たちまちうしろへよろめきながら、 いえ、あたしは行かなければなりません。どうしても部屋にはいるとすぐ、白い壁の上にたった一つ懸ってい 行きます。もしか向うで、ずっと向うであたしのうちの日る未完成の敬子の像のほうへ、武吉はすすみ寄った。そし 本人が急に盛り上って来るとお思いになるでしようか。もて、感傷の影も見せない動作で、自分の頭の中から勝手に しそうとしても、それはあたしが忍ばなければならない悲ある仕掛を取りはずすかのように、ついその像をおろし 劇です。」 て、部屋の隅に持って行き、裏がえしに立てかけた。「展 「いや、そんな悲劇をあらしめてはならない。今となって覧会」以後ずっとクラ・フに預け放しになっている盛大介 は、わたしはきみのうちにただ一筋の血が生きることを祈の遺作といっしょに、やがてこの少女の像も本邸の美術館 るばかりだ。万一きみの日本人が承知をしなくなったときに移されるであろう。そして、美術館も蒐集品全部もあげ 描 には、きみは世界のどこからでもわたしに呼びかけることて公共のものにしようという武吉の素志はこの機会に実現 されるであろう。今、武吉はティ・フルの前に坐って、例の 白ができる。」 いつの間にか、リイビナ夫人がそばに来て、敬子の手を手帖を取り出し、ずっと書いて来た最後のべ 1 ジを開し 取って、やさしく、いとおしく接吻していた。 て、ただちにそこから書きつごうとするのか、使いなれた 見送り人の下船をうながす合図が鳴りひびいた。足音がペンをつかんだ。外でどんなに烈しく嵐が吹きすさぼう

6. 現代日本の文学 18 石川淳集

られ、とりあえず某私立大学の文科に籍を置いた。するをあけさせるような少年であった。そして、会話の時間に と、たちまち兵作はずっと以前から文学を志望していたかまで平気でその無口を押し通しつつ、主要な課目であるド のように、汗くさい高等学校を軽蔑しはじめ、何よりも先ィッ語をかくべつ大事にも思わないのか、他の生徒のよう せびろ に作った紺の脊広にドイツ語の本を抱えて、愉しそうに朝に精を出すけしきはなかったが、それでも宿題などおこた の校門のあたりをうろっき、ちょこちょこした足どりを教らず、試験の答案は正確で、総じて学校で教えることに興 室にむける代りに喫茶店へ、そこでもやはり友だちはな味も示さぬ代りにしいて楯をつくでもなく、教壇からの註 ゅうゆう く、ひとり隅の椅子に・ほんやりして、一一三冊買っただけの文にはずれたところで悠悠と好成績を取ってしまうこの生 外国の文学書が手の下にあるということでたんのうしつ徒に対し、いったいどんな席順をあたえるべきか、教師を ふんいき つ、はなはだ芸術的と思われたその安手な雰囲気に拠っして処置に迷わせるふうであった。せいは高く骨組は太く りよりよく せいとん て、一色が専攻するであろう科学の威厳に対抗したつもり膂力も強そうであったが、整頓していないみなりと、大抵 がまぐち であったのか、かえって今までにも似ず肩をそびやかしはかららしい蟇ロの様子とで、どこやらの貧困な給費生と ちょうろう て、ときには勤勉な相手に対して嘲弄的な態度さえ見せ、見られがちにも係らず、月のうち一日だけ武吉のふところ おりおり一色を訪問することをやめようとはしなかった。 には中学生に不似合な大金が押しこまれていた。下宿代を たしかにそのころから、兵作にあって、この友だちへの畏差引いたその金の大部分を、武吉はかならず一日につかい はち 敬の念は次第にうすらいで来たようであったが、しかもなきった。入学した最初の月は大きい草花の鉢をいくつか一 おそんな附合を手近にもっていることはすくなくともペ 1 度に買いこんで他の二十九日は寝ころびながらそれを眺め ジを切らぬ洋書同様何かの飾になっているらしかった。とて過した。つぎの月から二学年の終まで、今度は本であっ ころで、ある日、兵作が一色の部屋を訪問したとき、たまた。そのつぎは模型飛行機の材料買入で、組立については たまそこに花笠武吉が来合せていたということがあった。精密な工夫が凝らされた。そして、かかる事情を承知して 花笠武吉は一色や兵作とともに中学校の同級生で、いっ いた者は級中でただ一人武吉に近づきえた一色だけで、そ かっこう の一色でさえも武吉の家が群馬県の織元で、当時父親が多 もむつつりして近寄りにくい恰好と見受けられたものの、 ことさらに角を立てた窮屈な身がまえではなく、ふだん周額納税議員であったことを知ったのはともに高等学校には 囲のたれもがうつかり気づかずにすぎていたにしろ、もし いってから後でしかなかった。一色が飛行機の模型製作に ひょっと欠席した場合にはクラスのどこかに・ほかんと大穴熱中しはじめたのは明らかに武吉の影響であった。そし

7. 現代日本の文学 18 石川淳集

、きよう 画学生がいた。もっともその青年は絵画修業のほうはかくん新聞の社会面をにぎわすたぐいの奇矯な行動などうかが べっ身を入れるけしきもなく、さまざまの遊びから遊びへうべくもなかった。この評判を聞いて、当時自分でもすで と絶えずあちこちを浮かれまわり、公開の席上ではともすに麻布のホテルの生活に入っていた武吉は、相手もやはり ろうぜき ればひとの鼻つまみとなるような乱暴狼藉をはたらき、とおなじ石を打ちこんで来たのかと、ここでは先手を打たれ きには大使館あたりの眉をひそめさせたところのスキャンるひけ目をまぬがれたような気がしながら、同時にどこか で透かされているのではあるまいかと油断のならぬものを ダルさえひきおこしつつ、これが後に日本に帰ってから、 おそ 近年の画壇に於ける畏るべき才能として、新鮮な作品をも感じた。ただ問題は作品のうえにあった。ああ、あの男は いったいどんな画を描くようになったのだ。自分をがっか って登場するに至るであろうことなど、そのころたれも思 いもよらなかったていたらくであったが、武吉がとくに親りさせるのか、それとも、ぞっとさせるのか。自分にふん さかり しく附合ったのはこの年下の相手で、滞在中ともに泥酔しといわせるのか、それとも逆に : : : やがて開かれた「盛大 なかった夜夜、ともに彷徨しなかった灯影はなかった。そ介帰朝第一回展覧会」の会場で、武吉はわかもののごとき にら ゅうとう して、遊蕩に於ても、美術上の意見に於ても、平板な生活興奮をおさえかねつつ、ひとのかげからひそかに壁上を睨 の型を嘲笑する不敵さに於ても、青年はおのずから先まわんだ。画面には、往年の不敵な青年が、いや、もっと鋭く ちょうりよう りしたところに傍若無人に跳梁していて、こっちが一段光った感覚が、とどろく精神が眼路をうっとりさせるほど ひょうびよう 上と多寡をくくっていた武吉をぐらっかせ、いらいらさせ漂渺としていた。 たほどであった。 展覧会の際には、盛大介は世評の外に、東北地方に旅行 しかし、武吉よりも数年あとから東京に帰って来て、間していた。そして、その後まれにしか制作を示さず集会の もなく名を成した新進画家は、噂に伝えられるかぎり、も場所にもあまり出て来ないこの画家と再会するために、今 はや昔日の青年ではなくなったかのように思われた。げん宵ロッジの廊下での偶然の機会まで、武吉は待たなければ に画家がつれもどった金髪の夫人というのは他人の予想をならなかった。ちなみに、かって便宜荘にふと立ち寄った 裏ぎって、決して派手ごのみなパリ女ではなく、中欧の山だけの外国婦人との縁をたぐって、中条兵作がすすんで交 っこところの最初の 嶽地帯の、質実な農家の出であった。その夫人と二人ぐら際を求め、無益にも利用しようとかかナ しの多摩川のアトリエはめったに訪客を寄せつけなかっ美術家とは、このおなじ画家であったということを、今わ た。そこには簡素な明確な生活のにおいがあって、もちろれわれは承知しておこう。

8. 現代日本の文学 18 石川淳集

た。まったく、この夜の散歩では、武吉は書生ぼうらし於て、わかものがじつは数日来どれほどびったり自分のう く、筋骨硬いからだに雑な浴衣を引っかけ、はた目には値ちに貼りついていたか、どれほどひそかに自分と息を合せ つな 段の判らぬ竹のステッキを突いて、どこやらの剣術教師とて潜んでいたか、あの「結婚」の一語で繋がれた因縁がい 見られそうな恰好で、いささかでもこの人物の地位財産をかに微妙なものであったかをとっさにさとった。自分が常 へこおび に内部に秘めている影である以上、それがいつどこでひょ ほのめかせるにたりるものといえば、兵児帯の中に押しこ んであるきわめて正確なサア・ジョン・ベネットの時計っと形にあらわれようとふしぎはない。さらに、今、車の と、離れた町角に待たせてあるクライスラ 1 だけであつ中でいっしょに身を置くにしたがって、その結合の性質が た。そして、十九日の夜、金吾が神田の古本屋の店でめぐ次第にはつぎりして来るように思われた。それはたしかに りあったのは、かような風態の武吉にほかならなかった。初めは心情の一端から入りこんだ関係ではあったが、何か はさ ・ : 古本屋を出ると、駿河台に向って歩いて行く武吉のを挾んで対立した敵手、何かに搦んで通謀した共犯という 後から、金吾は重くかさばった「ギリシャ彫刻」の包を抱ごときねばねばした肌合のものではなく、むしろ非情な、 えながら無言でつづいた。明治大学裏のまっくらな坂道ただし有機的な、脱出できぬ大きい仕掛へといっしか伸び いや、ものになそらえ に、車が待っていた。そこで、運転手があけたドアの中ひろがっていたのだ。たとえば : へ、武吉は乗りこむとともにふりかえって「来たまえ。」る要があろうか。まさしく、一つの時代と、それが早晩逆 それは金吾が今宵一一度目に受け取ったことばであったが、 に食われるであろうために孕んでいるところのつぎの時代 こちらでは先刻本の礼さえ軽く頭をさげたばかりで、まだ ・ : ああ、そのような抽象的図式がどうして今ばっとこの 一言も口を切っていなかった。しかし、武吉はもう当然相車内に浮び出たのか。しかも、自分の手で何とでも引きま うすひげ 手が附いて来ることにきまっているといったふうで、片側わしてやれそうな、せいぜい薄髭がはえた程度の未成年者 の席をあけて、「上野ーと運転手に命じていた。そして、 と、自分との間柄の上に : : だが、この顕現がどんなに唐 車は一一人を乗せて走り出した。 突に大げさに思われるものにしろ、げんに自分がこんなふ すでに、金吾の姿を見かけたとき、武吉は今までつい心うに眼を見ひらいているということの切実さには変りがな に取り落したままでいた人物をそこにみとめつつ、すこし い。明らかに、決して熱にうかされていない眼で、自分は たてじわ も偶然とか意外とかには感じられなかったが、そんなだしここにわかものを見ている。わかものは眉のあいだに竪皺 ぬけな出現が眼をおどろかすべき何も持たぬということにを寄せて、ロもとを引きしめて : : : おお、な・せそう黙って ゆかた

9. 現代日本の文学 18 石川淳集

じやけん て、さらに後日、武吉が大学の工学部をえらんだとき、一うな兵作であるにも係らず、一旦その縁のなさ加減で邪慳 色もまたそれにつれて最初の志望の泌尿科を建築科に振替に赤肌を擦られると、とたんに全然そのことを気にしなく えていた。 なる癖をもっているので、兵作は兵作なりに、一色をも、 さて、このような花笠武吉と縁のありようがなかった兵一色を蓋って前面に乗り出してきた武吉をも都合よく切断 作がやっとその存在に眼をひらいたのは、近ごろへだたりして、やがてけろりとしてしまい、後にかねて折合のよく がちになった一色の部屋で、ある日偶然出逢ったときであなかった妹と一色との結婚問題がおこったときにも、他人 った。そのとき、兵作はさきに来ていた客が武吉にほかな同様勝手にしろという態度をとった。 らないことを見分けるのにちょっとひまがかかった。不潔すでに二人の当事者がともに此世にいないところの古び ぎつばく な服装と雑駁な感情でことさらに豪放をてらいたがる校風た結婚談を、今さら蒸しかえす要はあるまい。そのころ神 に身を置くと、かってのうすよごれの中学生はたちまちさ戸地方の某新聞で「運命の悲劇、港のロメオとジュリエッ ひげあと こんがすり つばりと剃った髯痕青く、顔だちあかるく、紺絣あざやか ト」と題して大げさに書き立てた記事が土地の女学校の才 えん ふうさい に筋肉しまって早くも思慮に富める青年紳士の風采であっ媛と秀才工学士との恋愛事件をくわしく伝えている。ただ たが、そこにもやはり捕えがたくぬうとした武吉の人柄がこの恋愛は悲劇には終らなかった。意外にも故障は中条家 自然におちついていた。武吉はおもい口ぶりでしかし熱心の側にはなく、鬼兵はむしろ結婚に賛成で、兵作はとくに にはなしつづけていて、天然色写真の色彩現象に関するら反対を唱えるほど関心をもたなかった。一方、息子が期待 しいその内容は兵作にはよく呑みこめなかったにしても、を裏ぎって医学を修めなかったことにつきそもそも不満で ・け - っころ・ 明らかに見てとれたのは聴手の一色の態度で、卑屈なほどあった病院長はひどく激昻し、あくまで憤怒を押し通すか あいづち 身をずらして相槌を打ちながら、ふり落ちてくることばをと見えたが、結局それも新婦がもたらすであろう持参金の 大いそぎで受け止めているふうであったが、同時に二人と額によって鎮静されたという風説であった。その後、恋人 ちんにゆうしゃ にび もそばの闖入者を無遠慮に除外しているけはいが面皰にふたちの身の上に事もなく、いつまでも飽きずにたがいの愛 はんすう くらんだ兵作の横顔にさえびしりと応えた。兵作はついと情を反芻しつつ、かって秀才と目された夫は平凡な鉄道技 立ち上って挨拶もせずに帰った。そして、それぎり、もう師として、妻は炉辺にみちたりて、ついにその妻の病死ま 四一色のところへは行かなくなった。いつも何かしら自分とで一色の家庭には平和がつづいた。妻の三週忌にあたる年 無縁のものにつなぎを附けていないと腰の坐りがわるいよの正月、大阪の某旗亭で催された宴会で、ふだん酒量の無 おお さす 、てい

10. 現代日本の文学 18 石川淳集

西一クレド credo ( 英 ) 信条。 一発黄平イチビの繊維で織った麻布。生平・ 西一一丁一発盛大介のことばには、不吉な予感が秘められてい 一六一一地上に於ける結果 : : : 盛大介にとっては地上的なあらゆる る。この一発は、もちろん、他人へ向けられるものではない。 制約を、意識における方法的制覇で乗り越えうるとしながら 一四三煩瑣哲学スコラ哲学のこと。煩瑣な概念の区別をしたこと も、それらの知的志向が必然的にとらざるを得ない、超越への から、このように呼ばれた。 傾向に危険をも感じている。盛大介の芸術と自身の現実生活と 一四四プウシュキン Alexsander Sergeyevich Pushkin ( 1799 ~ のへだたりからである苦悩は、作者自身の創作方法と生き方に 1 田 7 ) 近世ロシアの詩人。貴族の出。西欧文学の影響をうけな もかかわってくるものである。 ロシア・リアリズムの基礎を確立、ロシア国民文学を創始一六四ラ。フラス Pierre Simon Laplace ( 1749 ~ 1827 ) フランス した。「大尉の娘」「スペード の女王」他。 の数学者、天文学者、天体力学に一段階を画したほどの太陽系 一岩クロキ croquis ( 仏 ) ここでは、短時間でする写生の意。 諸現象の理解を前進させ、その生成を考察した。カントーラブ 一哭フォーヴ派 Fauve ( 仏 ) 野獣派。一九〇五年フランス反 ラスの星雲説を唱えた。 アカデミー派の画壇革新連動。自由奔放な個性的な活動を尊重一会あなたこそ巨人です盛大介の知的志向は現実の地上からは し、野獣のように野生的色彩や荒々しい線を用いた。マチス、 るかに超越し、超越すればする程、この現実に存在することの ルオー等が中心作家。 無意味性を示していく。大介は花笠武吉を見て、現実の状況の 一発画家敬子はリイビナ夫人が次から次へと襲いかかる「悪 中に、自らをはめ込んで、意識的に作りあげたみずからの生活 運ーを踏み台として、単なる「絵描きさん」から自覚的に芸術 図形を強固な意志で貫き通す姿を、「巨人」と呼んだのである。 家としての「画家」となっていることを指摘した。 しかしこの「巨人」も、敬子や、金吾や、大介の地上的な制約 はうかんしゃ 一五一一岡眼八目囲碁から出たことばで、対局者よりも傍観者の方 から解放されようとする自由奔放な知的志向の前に、やや動揺 が冷静で、八目先まで手がよめるということ。転じて、局外か をみせるのである。 ら見ていると物事の是非、利、不利が明らかにわかること。 一究孤篷菴京都大徳寺の塔頭竜光院の子院。慶長十七年小堀遠 一契サア・ジョン・ベネット J0hn Hughes Bennett ( 1812 ~ 州 ( 号を孤篷菴という ) が建立。茶室建築の模範とされ、庭園 1 5 ) エジイハラ大学教授。イギリスの医学者兼物理学者で、 も有名。 はじめて顕微鏡を使用した。 一究珠光 ( 1422 ~ 1502 ) 茶道の始祖。通称村田茂吉。香楽庵、 おしよう 一五〈道徳このことばは、一見安定してゆるぎのない武吉を動揺 南星、独盧軒と号す。大徳寺の一休和尚の弟子で、茶式を創定 わびらや させる。期せずして盛大介も武吉をゆさぶる。地上的なもので し、佗茶の基礎をすえた。著書「珠光問答」。 はなく、目的としての道徳。人間がこれからわかろうとする法一究織部吉田織部 ( 1 望 4 ~ 一 615 ) 安土桃山時代の茶匠。織部流 ⅱ・ 0 茶道の開祖。利休に茶道を学び、利休が静中に美を求めたのに はんさ