うらやま 片山の兄貴が来て一日ねころんで行った。片山は色白だ はロマンチックな意味で羨しがっていたが、ほんとに健 が、兄貴は赤黒い顔をしてる。片山はおれより背が低い康だろうか ? をししフィアンセ いったい恋人というのま、 だいひょう いなずけ が、兄貴の方は五尺八寸ぐらいある大兵だ。髭の濃いのが だの許婚だのというのは基本的におかしくはないか ? 約 似ているぐらいだ。この兄貴は幼年学校出だ。いや、退学東した間柄というのならそれは恋人だ。でなければそれだ させられたのだ。ずっと以前の話だ。何しに来たのだか知けで夫婦だろう。 いいなずけというのは無意義だ。しかし らないが、濁った目つきでいろいろ喋っていた。テロリズ恋人を持ってるのは蔆しいナ。吹田だから労働者街に住ん ムを待ってるようなこともいっていた。革命と結びつけでるのだろう。 て、子供をたくさん作れといっていたが何のことだかわか らなかった。片山の方は、兄貴を相手にするようなしない ( これはこれでいいだろう。もっと全体としてひろげて書 ような態度であしらっていた。家庭内で困りものになってき直す方がいいが。 ) いるのかも知れない。夕方になって兄弟で出て行った。そ のあとで村山が吉川をつかまえて話している。 総長問答 「片山のフィアンセがナ、吹田で『無産者新聞』売ってた太田がいっしょに来いというのでいっしょに総長のとこ らナ、紳士が来て、残り全部買って、そんなもん売らんでろへ行った。学連事件の予審終結が近づいて、一段落と同 うわさ ちゃんとする気ないかって持ちかけたそうだよ。」 時に新人会を解散させるという噂があり、文部省にたいし 「吹田って大阪ですか ? 東京・大阪わかれわかれにやって腮を決めさせておこうというのが総長訪問の目的だっ てるんですか ? 」 総長をおれは三度ほど見かけたことがある。三度とも後 「そうだ。」 びつこ 姿だった。太った大男の爺さんで、軽い跛を引く。杖で歩 「いいなア。」 ぎ 「何がいし 。古い農学博士だが、おれの言葉でいえば哲学者的汎神 ら ろん ふうぼう む片山にフィアンセがあることはおれは知らなかった。そ論者的な風貌だ。連絡してあったとみえてすぐ部屋に通さ れよりも、村山の口から出ると、フィアンセという言葉れた。 ひけ こつけい が、むしろフィアンセというものが、滑稽なものに思えて黄味がかった太い白髭。ちょっとグロテスクなところが あり、日本人ばなれした顔つきをしている。 くるのがおもしろかった。しかしどうなんだろう ? 吉川 こ 0 はんしん
開けるのか、開けないのか ? 「ほんとに約束してくれますネ ? 」 「今あけてあげますがネ。その前に約東してもらえます「約束します、と今いわなかったでしようか ? 」という文 か ? 」 句が出かかったのを抑えて安吉は「約束します。」ともう 「何でしようか ? 」 一度いった。 「これから絶対におそくならないって : : : 」 くぐりが開かれた。 「おそくって、何時ですか ? 」 はしたなく見えるにちがいないと思っても安吉は泉に向 ていさい 「君のことは僕も知ってますから、そこは特別にします。きあうのがいやだった。体裁のわるい始末だった。泉は自 零時半までということにしましよう。ほかの人には黙って分の家の玄関へ安吉を案内し、安吉はそこから上り、それ て下さい。」 から泉家の勝手口の方へ板の間をみちびかれ、手さぐりで まだ掛けがねをはずす音はしなかった。 小さい開き戸から渡り廊下へみちびかれ、塾の台所口をあ ちじよく 安吉は恥辱をあたえられているように感じた。何でだかけてそこから入れられ、自分のうしろでその戸がしめられ はわからない。特権をあたえられるという形で恥辱があたて横のさされる音を後ろにきいた。 えられている : : : それから、しかしそんな約東がどんな拘「ケッタクソのわるい 束力を持つんだ ? いっかの申合せにしても、あれはいち今の言葉でそれ全部を安吉が思いだしたのだった。 おうの申合せということに折り合ったのだったじゃない 第二学生控所での新人会新入生歓迎会、そこでの青年の わかわかしいあいさつにまじってーーーかれらは半分冗談の 泉の年齢のことが安吉にひらめいた。泉は、文化領域でように、自分らは東京帝国大学へ入学しにきたんじゃなく はめずらしく若くて学位を取って、二十五の安吉より六つ って新人会へ入学しにきたんだというようなことをいっ 、も しか年上でない。白い端麗な顔をして、着物に袴を着けてた。安吉のように、二年にも三年にもなってから入会する かっこう ぎ ものにたいしては、それはその方が正確なのでもあった。 ちゃんと恰好がつくといったタイプの青年だった。 ら 二三人の新入生の口から出た言葉はたえがたいものに む安吉は見まわしたがくぐりを蹴ゃぶるなどはできなかっ 安吉にきかれた。 た。彼はカ持ちでなかった。脚に自信なそはなかった。 「よし。出よう。」と決心して彼は「約束します。」といつ「今やわれわれの任務は、無産者階級の理論を理論してお こ 0 るところにはなくて、実に、無産者階級の感情を感情する れいじはん おさ
て飛び出した。 かったからとおっしやってでした。」 「は、そうですか : : : 」と口に出た安吉はあたらしく迷っ けげん その時のこと全部を安吉は思いだしていた。恥しかった てぎた。女中はまだ立っている安吉を坐ったまま怪訝そう が結局はよかった。あれで行け ! 「ええ、ちきしよう : : : 」 に見あげている。 「すみませんけども・ : : ・」と安吉がやはり口を切った、「もと心で顔を撫で下げる気で彼はフランス語の受験場の方へ う一ペん先生にそいって頂きたいんですが : : : 聴講届が出足に力を入れて歩いて行った。 ていないんですが、今年の先生の講義にはちゃんと出てる「織田は待ってるかナ ? 」 フランス語は織田に受けてもらうことになっていた。教 んです。それで、届が出ていないけれども、受けてもいし かいいかよくないか、そこの御返事が頂きたいんです。室の入口で、織田がはいるのを見届けてから安吉は帰ると はれんち いうことに打ちあわせてあるのだった。 実は : : : 」ーー破廉恥なことをする感覚で安吉は続けた、 ぞろぞろと学生がはいって行く。安吉は、あとは口頭試 「わたしは今年卒業になってるんです。どうしても卒業し 問だけという気で気が軽くなっていた。はいって行く学生 なければならぬ事情があって、先生のを受けられなくなる が少なくなって行く。あらかたはいってしまったのだろう と卒業が駄目になってしまうのです。よくないですけど、 届が出てなかったのは全く手落ちなんですけども、わたしと思ったとき安吉はあわててきた。彼は、足はそのままに としてはどうしても受けさして頂きたいんです。 いいか駄して上体をたおすようにして正門の方を覗いてみたが織田 目か、すみませんがもう一べん訊いてきて下さいませんは見えなかった。どうしたんだろう ? どうしたんだろ う ? 忘れるはずはない。だから昨日電話までしておい か ? 」 た。彼自身、まちがいないとカんでいっていた。電車がど 「ひどいことをいうもんだなア : : : 」と自分で思ってる前 、も を女中が引っこんで行った。またしんとして時間がたつうかしでもしただろうか ? 織田のことだから、そのとき は自動車を拾ってくるだろう。でも、万一・ た。女中があらわれてまた式台の手前に坐った。 む「お待たせいたしました。先生は、それでは、よく勉強をや、跛ひきひき「がりがり」急いでる途中なのだろう : ・ とうとう安吉一人になったのがわかった。彼は本当に考 してお受けなさい、そうおっしやってでした。」 えた。考えねばならぬ。決めねばならぬ。考えこんでいて 「ありがとうございました。」 安吉は岡と女中とへ両方で頭を下げてくるりと向き直っはまにあわぬゾ : びつこ
307 むらぎも くる。空中で、ある緩い揺れでそれがある点に止まる。そ「やア・ : : こといったが安吉はよくわからなかった。緒方 と安吉とはほとんど親しいという間柄でなかった。緒方は のままそれがそろそろと下りてくる。人がそれを捕える。 それを物でひっかけてそろそろとそれを傾ける。漏斗にな親しそうに、むしろ思いあまったような口調で呼びかけて いた。彼もごく最近に新人会にはいってきた一人だった。 ったロから、半ば液状になった鉄がとろとろと下の鋳型に 落ちる。鋳型の砂鉄いろ、音がきこえるほどに立っ湯気と安吉のがわの冷淡からではあったが、イギリス文学科を出 煙、おそろしい緊張のなかで動く人体のいっそうのやわらる緒方が今日の集まりに来ようとは安吉は考えてもいなか かさ。文学の方へ行くということに、そのままそれがあてった。事実緒方は出ていなかったのだった。、 はまってほかにはそれが考えられなかった。かれらは鋳物「僕、今日、出ませんでした。知ってて出なかったんで をつくらない。かれらは薬をつくらない。前々から農民組す。いろんな事情があって、今度、米沢高工が決まったも ちょうほう 合で重宝されてるという金沢退学の松沢にしてさえ稲・麦んですから : : : 」 急きこんだ緒方の口調が、かえって安吉の方を疑りぶか を植えているのではなかったのだった。 くした。こいっ何のためにおれにこんなこというんだろ 会場を出しなに安吉は平井といっしょになった。 「平田、どうしたネ ? 」と安吉は訊いこ。 やっこ 「一度相談しなけれやならなかったんですが : : : みんなに 「いないんだ、奴さん。国へ行ったんだ。こ はすまないと思います・ : ・ : 」 って平井が小指を立てた。この平井が、女とか情婦とかい こつけい しかしほんとにそんなに思ってるのかもそれは知れない ほとんど滑稽なほどのそのし った意味で小指を立てる 。叮・こ、乍ったように見えるけれど、それはこっちのせ ぐさがすこしもおかしくない安吉に平井が続けた、「止めナ•-- オカ ( いなのかも知れない : るそうだよ。今年は試験を振って、も一ペん出直すといっ てるんだ。ほんとらしいよ。おれもネ、最後たからネ、無「今後パンドのことについては僕も考えていますから 理に会って話したんだ。よかったと思うよ。じゃ、おれ ンド ? 何のことを緒方はいったんだろ 「。ハンド ? : こといって平井は学部事務所の方へ逆戻りして行っ 。 ( ンドって何のことだろう ? 何でもいい。大した た。平井の話は真実なことに安吉に受けとれた。 こっちゃない : : : 」 正門のところで安占は緒方につかまった。 オし力し 3 い、つ刄 嘆かれても詫びられても仕方がないじゃよ、 「片ロ君 : : : 」
岩月のところでは、牛乳を取っていなかったがそれでも て、なおかつよかれと図ったのだ。こちらは、好意とわか 」ま、置いて行く配達があった。一昨年あたりからそれが競争に っていて染みだけ逃げようとしたのだ。あのときお前【 葛飾がお前に借金をしてしまったみたようにちらりと感じなっている。「宣伝ですから。お代はいただきませんから : 」といって勝手に向うで置いて行く。はじめは気持ち たはずだ。相手が取りかえしのつかぬしくじりをしてしま った、一生これでおれに頭が上がらなくなってしまったと悪かったが、しまいには飲んで代は払わずにおいた。ちょ 1 こ住みこんだ年下の友達が、やはり うどそこへ、近所の店ー いう感じで帰ってったのた。へん : : : 」 それは安吉を苦しめた。「この偽者めー」という言葉宣伝だからといってある日から一本おいて行った。これは がそこへ自然につながって出そうで、しかしそこだけ誇張納得ずくだったから岩月は最初から飲んだ。 「なあにイ : : : 」 して、ことさら自分を追求するようにすることがまた別の 偽善になりそうで安吉はとどこおった。「むしろその、嘘 心配した岩月にそんなことをいっていたその男がある日 これこれぐらい からでも真を出そうとすることの方がいっそう根本的だろ相談でやってきた。自分で店を持ちたい。 金が工面できぬか ? それが話の内容だったが、むろん岩 そのことが、俗ということの反対に見えていた葛飾月では話にもならなかった。それよりも、その男がいくら に、かえって庶民的なものがあった証拠のように安吉に思働いたにしろ、自分で店を持っというところまで野心を漕 われて岩月の話が続いて思いうかんだ。それを岩月が、争ぎつけられたことが岩月には不思議だった。資本が要るだ 議資金の「枯渇」が話題になったある晩の寄合いあとの雜ろうに。できるはずがない : 談で話したのだった。 「ところができますネ、それが。ちょっと悪いんだがネ。 「ところがネ、実にそこにうまい手があるんだ。これやほちょっと悪いんだよ。」 その配達は計画を立てて宣伝用を配ってまわった。それ んとだよ。嘘じゃないんだよ。 ( 誰も何ともいわぬのに、 は店のでなくて自分の得意を取るためのものだった。一方 『これやほんとだよ。嘘じゃないんだよ。』と自分からいう 癖が岩月にあって大抵のものがそれで笑った。 ) おれの友で彼は五十銭郵便貯金をした。これで貯金通帳が手にはい った。そのあと二回ほども五十銭ずつ人れた。それから通 達に牛乳配達がいてネ。今でもやっている。だけど、今 9 は、一軒もってやってるんだ。主人だネ。その店をどうし帳に五円貯金したように手を人れた。金額が五円だったか 、、 0 ーこ くらでも、し どうか安吉は正確には覚えていない。い て持ったかっていうその段取りのことなんだが : : : 」
から、今までのところは一時引き払って、ここの石板のあの面から見られるようになった。これは受け身で受けとっ る事務所へ安吉に移れという。それは今夜から移る。持ちたいわば個人的利得のようなものだ。争議そのものを進め ものはあとで持ってこさせる。それは安吉としてこのままるという上で何かしたとは思えない。第一、この大争議に おける指導方向というものが、手でさわれるものとしては できることだった。 これからわかるだろうとい 「それからもう一つあるんですよ。これは、あんた自身に一つも安吉にわかっていない。 う根拠もない。つまりおれは、要らなくなったんじゃない 決めてもらえばいいんだが : : : 」 それでも、警備特別班に編入されたということに 「しかしつまりどういうのかナ ? 」という考えが、・卩 ばくん は何かがあったのかも知れぬ。いったいなんで片山が、あ 新しく話し出したのを耳に入れながら、ひどく漠然とした んな風にいきなりにおれを攤まえたのだろう ? この雨森 形で安吉の頭にひろがって行く、「おれはどの程度争議団 に必要なのかナ ? そもそも何でおれがここへ連れてこらにしても、無産青年同盟の幹部でいて同時に共産青年同盟 の幹部でもあるらしい。センチメンタルな岡村にしてもそ れたのかナ ? 」 しト山カ暗力したような、日本共産党もし 何となく彼に、ときどぎ、訓練のために選ばれてここへうであるらし、。ー・、・ー、、 くは何かの共産主義的方向というものが組織としてすでに 廻されたのかナと思った瞬間があった。「選ばれて」とい っても、六十点あるからその標準で抜いたというのではなできていて、それが合同のこの大ストライキにかかってい 、。六十点ないけれども、いっか六十点になるべきものとて、一方では争議団とその最高幹部会議となどの機関に働 してある程度のところへ配置する、そして予備訓練のようきかけ、一方では無産青年同盟、共産青年同盟を動かし なものを施す : : : しかし今となっては、それだったかどうて、それは学生にも関係あるにちがいないからその方面か かも考えるあてがない。あれから一と月になるが、何をしたら人を動かすことにして、そうやってどこかで大きく全事 、も ヒラ貼りをした。戸別態を考えて、それが新人会のなかへもさがってきたところ かといえば何をしたともいえない。・ 訪問の手伝いをした。小集会の場所や講演会場をつくる仕で片山となり、手近なところでおれが擱まったというよう ら なことだろうか ? そうでないとはいえない。それならば 事をした。リポーターのようなこともした。何度か危い目 む をみたがとうとう一度もっかまらなかった。しかしこだ、嬉しくないことはないが : 石われたことをしただけだ。そしていろんな人にふれておも「新人会からあんたに手紙が来てるんですよ。争議団の方 しろかった。為めになった。争議というものを、街の生活でも、連絡内容についてロで聞いてはいるんですが。片ロ
それはそれとして、田口の手にかかると、病気ということがという気がするんだ。これやア、そいっちゃあれだけれ まで、亭主の留守に細君と子供とがほんとに飢えて死ぬるど、僕にだってするんだよ。その田口と辰野とがうまく行 ということまで ーーー何だかそれは、田口自身の体験でもあかぬという話なんだよ。」 るらしかったが 明るくなる。なん・ほ明るい語り手で「だけど、どこでそんなことがわかるんだね ? 」 も、そこまで行けば話が暗くなるというところで話そのも「どこでって : : : それやネ、片ロなんかは甘いのサ。」 のから明るいものが出てくる作家 : : : つまりおれは、田口「甘い」ということを一度もっきつめて考えたことがなか から という作家に惚れてるようなところがある。」 ったままで、「甘い」といわれるよりは「辛い」といわれ 「だろう ? ところがネ : : : 」といって土井は脣をなめ たい、すくなくとも「甘くない」といわれたい気持ちが自 た、「明るさはそれでいいサ。その田口と辰野とでこのご分のなかにあることが安吉にうすうすわかった。 ろうまく行かぬらしいんだよ。対立だネ : : : 」 「君らはいい気になってるらしいけどもネ、そんなもんじ いきなり風向 安吉としては想像もできぬことだったが、もしそれが本やないよ。」上機嫌にしていた酒の酔いが、 当とすれば、全体の像はいっそう安吉のなかで描きにくくきが変ってくることがあるその調子で、いくらか毒を持っ なるほかはなかった。 た調子で土井はつづけた、「君らだけが日本文学のことを 「つまりこうなんたよ。」と土井は説明した、「君らのグル 心配してると思ったらまちがうよ。だからはマルクス主 1 ・フは辰野・田口のグループに批判を持ってきてるだろ義芸術会にははいらないんだ。君らの方で積極的に勧誘し う ? 田口のあの輝きにさえ不満が出てきてるんだ。そこ もしないがネ : : : とにかく、辰野と田口とのあいだにき見 で佐伯なんかの明るさを、これこそ本物の、マルクス主義の対立があると僕がいうんだから、君の方で考えてみたら と結びついた新しい明るさだなんといって押し日したがっ しいじゃないか : : : 」 てるのサ。ところが、それやア駄目なんだよ。別ものなん土井の言い方が不愉快でなくもなかったが、一理あるナ だから。ところが君なんかは、佐伯の明るさをうらやましとも思ってその時はそれきりになった。しかしそれが、 ら がってもいるが、田口の輝きの方にはそっこん惚れこんじ「対立」の話は結局わからずじまいになったけれども、廻 む まってるんだ。つまり片冂なんかは、その点旧派に属するり廻って今日のことになってきたのかもそれは知れなかっ んだよ。ところが、む、ろん田口や辰野なんかの方じゃ、君た。 らのマルクス新派に同感できやしないサ。何を青二才めら争議団でやった芝居の出しもののことで、マルクス主義 くもびる
255 むらぎも んて馬鹿なこたないんだろう ? おれや、はいるよ、ここネ。とにかくおれには、あの明るさがちょっとないナ 中国人学生毛の場合と、ちょうど逆のような関係だつ「何いってるんだ ? 九州人だからわかるっての、独断な た。社会文芸研究会と新人会とは別ものだったから、土井んかじゃないよ。それよりかも、君が自分にないからっ の申し出にはいくらか見当ちがいがあったけれども、それて、それが佐伯にあるからってほめ称えるのこそ独断だ はそうなって土井はその時で新人会にはいった。やはりそよ。僕に金がなくって、君にあったからって、君にゃない ようす の後も自堕落な容子はあるが、安吉などの知らないことをけどネ、それで僕が君をほめ称えなけやならんかネ ? で いろいろ知っていて、しばらく前、一種の消息といった形たらめだよ : : : 」 「しかしあの明るさは、君も認めたんだろう ? 」 で安吉に話したのが辰野と田口との対立という話だった。 そのとき二人は下宿屋の土井の部屋にいた。土井ははじ「何いってるんだ ? 」もう一度いった土井の目が、安吉の め、最近佐伯の書いた二つほどの短篇のことをしゃべって方へさげすみで光ったと思って安吉は抵抗を感じた。「認 いたが、二人のあいだに評価の喰いちがいが出てきてかえめたサ。いやなら取り消すよ。だけどネ、あれア芸術とし じようず ってそれが楽しみになるらしかった。作品は二つとも上手ての明るさなんかじゃないよ。そんなもんじゃ絶対ない にできていて、手法に新しい試みもあり、何にしても明るよ。芸術そのものとしては : : : じゃいったい、田口の仕事 くて才気ばしっていた。 は暗いと思うのかネ、君は ? 」 「いや。反対だ。」 「それは僕も認めるよ。認めるけどもネ、あれはいけない んだよ。僕は西南地方の人間だから知ってるんだが、あん安吉はそれだけで答えたがそれどころではなかった。 なのはどうしてもまずいんだよ。ったないんだよ。先が見「あれこそが芸術だ。」と言いたいものが安吉にはあった。 りくっ 田口の芸術は安吉に理窟なしに魅力だった。長編の「海 えてるんだよ。」 「それやおかしいじゃないか ? 」九州といえば、 しいところの上の男」が出たのはついこのあいだだった。はじめて をこいつは西南地方などというのだナと思いながら安吉が「波止場裏の女」を発表してから丸一年ほどで、田口とい は . ん第 - 、 う作家は頭から安吉をとらえていた。「波止場裏の女」と 反驍した、「九州人だからわかるってのは独断じゃない いうのは、ひと口に朗読できるほどの単純な短篇だった か ? 君のいうのはあれだろう ? 明るさが軽いってんだ せきすい ろう ? しかしあんな明るさってのは今までなかったからが、それが安吉を脊髄で捕えるようにして捕えていた。悪 たた
130 調子でそれをいっていた。鶴来なんかに話したら何という トンと降りて行ってしまった。今では安吉は、階段の昇り だろう ? 安吉の存在の仕方そのものをおかしがるだろ降りに、トントンと板を踏みながら、平の手をいろいろに しーし う。深江なんかはどんなに苦笑いするだろう ? して壁を連打して音をきくのを楽しみにしている。誰も文 あのマルクス主義芸術会の連中は、そこの一人である安吉句はいわない。 などとちがって、ハウゼンシュタインのなかのエロチック 「おい ' 片ロ・ : : こと太田は上り口へ顔を出すなり安吉を な画などを、ただの説明図としてだけ見ているのだろう見つけていった。 か ? 鉱物学教科書のなかの、方解石の割れ目模型図か何「何だ ? 」 かのように見ているのだろうか ? 「君、あした午後、暇ないか ? 」 そこへまたトントンと音がして、「あ、村山が戻ったの 「あした午後か ? 新人会の新入生歓迎会だけだナ。」 ではないナ : : : 」と思ったところへ太田が顔を出した。こ 「あれア三時からだろう ? じや一つ頼まれてくれんか この階段のトントンという音が安吉には気に入っている。 ナ ? : : : 」といって太田はにやりとした。 わんきよく 足で踏んで、階段の板がみじんも彎曲しないという感じが「何だい ? 頼まれるよ。」 ちゃんとくる。ある日安吉がためしに、階段を昇りながら「家庭教師だよ。いや、出かけなくっていいんだ。むこう 横の壁を叩いてみた。するとチン : : : という音でそれが鳴 からくるんだよ。追分の合宿へくるんだ。一時から二時ま った。それは、壁自身の音ではありえなかったから、壁とで一時間、代りに見てくれないか ? 」 階段とで囲まれた立体のなかの空気の筒と、この家の構「だけど何をやるんだい ? 」 造、材木の組合せとからくるものにちがいなかったが、な「ドイツ語だ。」 にしろ、焼物を叩いたときのような音はーー・それが壁で鳴「ドイツ語か ? それやちょっと : : : 」 しかし安吉は、ドイツ語というのでたじたじとなったよ ることでーー東京生活のなかで安吉に思いもかけぬ拾いも のだった。 りも、太田が家庭教師などやっていることがよくわからな かった。太田と安吉とは同じ高等学校からきていた。高等 「ほら : : : 」といって安吉はある日太田に叩いてみせた。 学校で太田はテニスの選手をしていた。学校の成績もよ 太田はここでいちばんそんなことに興味を持っている。 く、明るい性質で腹をたてたりすることがなかったが、あ 「ほんとだネ : ・ : こ らんかん 太田は認めて、しかし壁にはさわろうともしないでトンる日太田の写真帳を見ていて、彼の家が欄干をめぐらし たた ひま
や、駄目さ。頭で考えるってこともあるけども、数でこな やひどいんだ。九十・ ( ーセントはインチャだよ。インチキ げり す課目、労働だね、それが多いんだ。計算でわかっちまうっていっても、それで結構やれるんだよ。風邪ひきや下痢 んだよ。四十点取って、あと二十点取って六十点にするな なんか結構それでまにあうんだ。だけどもね、たとえば んてこと駄目なのがうんとこさとあるんだ。逆なんだよ。者が来るだろう ? それが何か普通とちがったとこがある 試験の満点が六十点で、それ以前の、何ていうかな、日勤だろう ? そうすると新しい注射なんかやるんだよ。それ だな、それが十点とするだろう ? しかし日勤十点の奴にで癒ることもあるよ。たいてい癒るね。しかしね、注射し 試験の満点なんてありつこないからね。 いいとこ四十五六 なくても癒ったかもしれないんだ。そして注射したのとし 」う力、 点だろう。合計、だから、五十五六点さ。だからよした ないのと、同じ癒ってもどっちがいいかってこと、当該患 よ。やけしゃないんだ。事理明白だからね。だけどね、そ者の生涯にとってだね、どっちがいいかってことは考えな しように んなこと、ほんとうはどっちだっていいんだよ。おれや考 いんだ。小児科なんかそれやひどいんだよ。対象が子供か えたんだよ。それやア、ドッペるときまったから考えたんら親へ移転してるんだ。いい ころ加減ひねくりまわされ だけどね。とてもおれにや、医者なんかにゃなれないよ。て、それで子供が死んじゃっても、親たちさえよろしくや 今んとこ文学をやろうと思ってもないけどもね。とにか ってれば、どうもありがとうございました、とうとういけ 医者にやア向いてないんだ。医者なんて、わりにいし ませんでしたが、あれだけお世話を願った上ですから、親 仕事だとは思うけどもね。君なら医者になれるかもしれんとして心残りはございませんなんてお礼に来るんだから ね。 いや、医者は駄目だ。医学ならいいよ。医学ならまだい 「ふむ。」と安吉は答えた。彼らは、香林坊の交番前から いけど、しかしやつばりほかの科学がいいなア : : : とにか ・フラジルの前を通って、いっか桐山に出逢った瀬戸物屋の むさしがつじ へんを武蔵ケ辻のほうへ歩いて行った。 くね、おれは医者に向かないんだ。しかし養家先じや開業 「いやね、医者にはなれなくても自然科学者にならなれる医を望んでるんだ、きめてるんだよ。でなけや高等学校な だろう : : : おれだって、自然科学はやりたいんだ。普通にんか出しやしないさ。純粋の資本投下だからね。しかし駄 ならやれると思うよ。しかし、医者だけは駄目だ。だけ目なんだ。それやね、ひとにくらべてみるとよくわかるん とらたろう ど、養家先じや開業医にしようってんだからね。開業医なだ。宮田虎太郎ってのいるの知ってるだろう ? 」 んて、おれや自分の家がそうだったから知ってるが、それ安吉にも見当だけはついた。小柄な生徒で、「端然」と だめ やっ なお たん娶ん