ことを話してもわからん。頭からわかろうとせんのじやか いたしね。野島先生の話じゃ、高畑君は頭は悪るないとい ら手がつけられん。それで妙なもんで、わかることもあるんうことじゃ。しかしちっとも勉強せんてんじゃ。試験の答 じゃね。それが一ペんわかってもすぐけろっと忘れてしま案を見ても、自分の好きな問題しか書かん、好きなことな きら うんじゃ。そうしてお父つあんの教育の仕方が悪いからだら先生の知らんようなことまで書いてある、厭いな問題は というんじやろがいねして。」孫蔵は、がぶっとあおって少しくらい知ってても書かぬ。ただ我儘なんじゃ。あの時 乾してある勉次についだ、「うらの教育方針は決して悪るやお前にもちょっと言うておいた。しかしお父つあんは落 い悪いは知らんがまちごうてはいぬつもりなんじ第についちゃ何もいわなんだ。よそじや入学試験で二度落 ゃ。耕太があの通りじやろう。嫁がほしいといえば田舎芸ちる人もある。入学試験で二度落ちるよりやはいって落ち かね 者じやろう。それやアあんな嫁は、鉦太鼓で探したってあた方がまだしもましと思うて黙っていた。こんなこた言う るもんじゃないさ。あるもんじゃないけどして、世の中っ たこたないが、小遣いだって分相応に渡してある。いい家 てアそういうもんじゃないがいねして。まあ仕方ない。死のこた知らんざ。それがじゃ、私らの知ってる家じや小遣 んだおじもああ言いなさるこっちゃし、金をこさえてもろ帳をつけさしてるのがある。よそは万そういう風じゃ。 うたわけじゃ。そしたらどうじゃいして。一年もせずに赤お父つあんアそういうこたあまり好まんからそんなこたせ つるが ん。お父つあんらア教育がないから学問のこたアわからん 喇じやろ。それもウラジオじゃ。お前も敦賀まで来たが、 あの通りじゃ。しかしお父つあんは泣かれもせんがいねしが、しかしとにかくそういう調子でやってきた。それをお て。村のものアみんなお気の毒なっていうじやろ。しかしつ母さんらアみんなお父つあんの方針が悪いようにいうん 中にや腿で喜んでるものもあるんじゃ。それやお前らア知じゃ。何でもかでもうらに押しつけさいすれや気が休まる らん。百姓ってもなそんなもんじゃない。なんか人に困っように出来てるんじやさかい仕方ないがいのして。そうし くど 家たことがあれや、我が身が得したようにしてうるしがるんて口説くんじゃ。お父つあんア神経衰弱になってしもた。 のじゃ。先祖代表じやからして仕方がない。お父つあんにはそれやお前にもいうた通りじゃ。いうは易けれど、それや たま 寸それがわかる。わかったからって仕方がないがいねして。 とてもとても椹ったもんじゃないんじゃその。お前もいう お前がどうじゃ。せつかく高等学校にはいれたと思や落第し、お寺詣りなんかもさしようというても行こうとせん。 じゃ。それも二度じゃ、お父つあん野島先生に聞きに行っそれや、クマも悪るないんじゃ。三座ある説教のうちきっ た。あれや、兄さんの方アうらも昔兵隊でちょっと知ってと一座は共産党の悪口なんじゃ。共産党のことも何にも知 わかまま
あっけ : こと笑って今朝のことを思いだした。そして「おっ全く気にとめずに事務的に答えている。女中が呆気に取ら れて、困りきっているらしいのが隣りの安吉にもわかる。 : ことかけ声をかけてはね起きた。 昨夜真夜中のこと、何時ごろだかわからなかったが安吉女の声は一つもしない。物音がする。二人はどしどし出か は目がさめた。人声がする。その声で目がさめたのだったける用意をするらしい。勘定を持ってこいと男がいう。女 ろう。声は男と女とで、隣りの部屋で・ほそ・ほそと話してい中はあきらめたらしく、また膳を持って下へ降りて行っ た。それから上ってきて勘定を受けとって、お礼をいって る。隣りは、安吉が寝るまでは空いていたのだったから、 寝入ったあとで客は上ったのだったろう。まっくらな蚊帳二人を送りだす。二人は、人生は予定通りに渡って行くの だといった調子でどんどん音を立てて階段を下りて行き、 のなかで、聞ぎ耳をたてるようにしても話はわからない。 声だけが・ほそ・ほそと続く。何にしても、若い男女なのには玄関をあけさせ、お世辞を受けて出て行ってしまった。安 ちがいない。それが恋人という風に聞えない。花やいだと吉も呆気に取られ、それからまたもう一度眠りこんだ。 ころがない。悲しげなところもない。夫婦ものなのかも知「時間がなくてあれは朝めしを食わなかったのだろう。た れない。下級のっとめ人といった人の夫婦が、何か工面をしかに急いでいたのだから。しかし元来、昨夜いってなか して、忙しく泊りにきたといったようにも聞えてしかし安ったとすれば、食う食わぬにかかわらず朝めし代は払うべ きものだろう。つまり宿屋は、食う食わぬにかかわらず取 吉はそのまままた眠った。 今朝はやくまた安吉はさまされた。隣り部屋ではっきるべきものだろう。しかしあの調子じやア、宿屋は勘定に つまり人生はかくのごとく渡るべ り声がして、それは女中が二人を起しにきて起している最入れなかったなア ? : : : 中だった。男女は起きて、それから顔洗いになど行ってききものだ。」という考えが安吉を元気づけた。彼もその気 になったというのではなかったが、一組のしわい男女はた た。男の方が煙草なそを吸って、女の方が部屋の隅で鏡台 にむかっているといった図が安吉の目に浮かんでくる。そしかで新しい世界を安吉に開いてみせた。加賀金沢の、長 べんがら ん こへかちかちと音がして女中が二人に朝の膳を運んでき町何番町といった町の丸一という名の商人宿が、弁柄仕上 た。すると男が、朝めしは食わないと言いだした。女中が、げのうす暗さのまま、あの人生の新参者に現にさっさと置 いて行かれてしまっている。はね起きたままの形で安吉は 朝めしぬきのことは昨夜きいていなかったはずだがという 意味のことをいう。男が、全く単純に同じことをくり返す。机にむかった。そして昨夜書いた報告の下から別の原稿を 女中がつけつけと言い出しかねているのにたいして、男は取りだして、『土くれ』終刊号のためのスケッチ原稿の続 たばこ
ばよさそうなところをシテンだのカソテンだのといった汽車で二時間ばかりで安吉は家に着いた。村の裏がわか 0 り、ツナガリといえばよさそうなものをジンタイといったら、藪のドをくぐって彼はわが家にはいった。囲炉裏ばた りする例の翻訳語のことも書いて相談してもいい。 これでから、「あ、帰んなったか : : : 」といって母が立ってくる。 しまいだ。しかし何だ、手記からすると、々と性欲とのこ この女は、どんなことでも少しの言葉でしか話さない。単 とがいやにくつついてきてるなア : : : 」 語というものを少ししか持っていない。台所へあがって安 晩めしはすんでしまっている。酒ものんだ。彼は食いな ・ロが顔を洗う。そこへ電報屋がはいってきた。母がはっと がら飲みながらノートを見たのだった。隣りは空いたまして側へ寄ってくる。この攵は、電報とさえいえば恐布に ま、どうやら一人も客がないらしくしんとしたなかで、添おそわれてしまう。 かっこう えもののような恰好の暑い部屋の壁によりかかって安吉は 「サエキセキフデデタホン・フ」 ふとん 横になった。あとは布団を敷ー , て蚊帳を吊れば、、。 「セキフ」というのは何だろう ? 文字がわからない。し ん は女中に断わって自分でやることになっている。お膳は踊かし要するに、保釈に似たものだろう。説明をしたところ ためいき り場のところへ出しておくことになっている。盃を伏せで母親が安心して溜息をつく。事柄を正確に知ってるので にくん た安吉は、頭のなかのどこかで、明日は帰るのだというこ はない。漠然としたところで、「それはよかったのオ。ど とを遠方の景色を眺めるような調子で思いうかべながら、 んなにおばさんが喜んでいなるじやろ。どんなにおばさん あふら 誰もいないなかで、顔に脂をうき出させてぶつぶつロのなが喜んでいなるじやろ。それはよかった・ : : こと二度くり つぶや かで何やら呟いた。 返す。百姓育ちのこの女が、同じことを二度くり返さねば いったような気がしないのだということを安吉は知ってい あく 翌る朝八時に、安吉は金沢を立った。学生たちのうち、 る。長話の時なぞはそれがうるさく耳にくる。今のような 弁証法でほとんど不愉快になるくらい安吉を手こずらした場合は素朴な感動でひびいてくる。 てぬ、い 青年が駅まで出ていてくれた。腰に拭をさげて、にきび「あれを持ちだすかな ? 」と思ったが母は持ち出さなかっ の出た顔でぶすっとして立っている。汽車がすべり出す。 た。安吉にしても、ふいと今思いだしたのに過ぎなかっ そのときになって、このこちこちの観念的な青年に愛情にた。春の上京のとき、母が自分で織った縞を一反だしてぎ 似たものが湧いてきているのを感じながら安占はすべってて持って行けといった。男ものだけれど、年取った人なら 一↓っこし 攵でもきられよう。それを佐伯の母観にあげたらというこ さかすき
新聞記者 君は知ってたか おれたちは「はなし」をしてたのだ 君ははいって来た 君はおれを見て驚いた けとう 君はおれを毛唐の前で用心した 君は毛唐に訊いた 彼は英語を話すか 否彼はそれを話さぬ 君は安むした おお君のおしゃべりは極左翼だった 君は知ってた おれが英語を話さぬと だが君は知ってたか おれが英語を少しわかると 君は知ってたか 詩君がその毛唐に何を訊いたか その毛唐に何をむりやり話さしたか おれの前で おれの仲間のその毛唐から 何をどんな風にかすめ取ったか そして君は知ってるか 君が烏のように飛びだした時 あの毛唐がおれに何といった、 あの毛唐はいったのだ だがむ配ご無用 あしたおれたちは話すだろう 君について 新聞記者について 日本の新聞一般について そして快活に笑うだろう おおデブ君 君は君の仕事に忠実にあれ そのこと自体がおれたちの話の対象となり得るのだ 万年大学生の作者に それが五百木であったとしても 「私たちにも責任があるように感じられた」としても それを君は感じたくないのだ それを君は回避したいのだ それを感じることが危険であることだけを君は感じてい からす
「あれ、悪くないじゃないですか : : : 」 仕方で刺戟するようなやり方で話したのだったかも知れな 「あ、駄目だ、駄目だ、駄目だ。どうしたっても説明でぎかった。確かにそんなせいがあっただろう。しかしそれば ない方のあの冂だ : : : 」という考えが安吉に走りだした。 かりではない。芸術はそんなものではない。元の語り手が たお 「決して労働者は泣きごとをいわない。誤解のなかに仆れどんな調子で話したろうと、生みだされたものの調子は芸 ることも敢えていとわない。そこをあの少年がどっと泣き術家その人のものだ。それが安吉を滅入らせた。佐伯は解 たした。忍びに忍んできたものが、正しかったと証明され釈者としてそこに立っていた。泣きだした少年は道具に使 たんですからネ : ・ いじらしいじゃないですか ? 」 われたなりわきへ放りだされていた。どうかしたら、そこ 「いじらしいんだ。しかしそれは少年がなんだ。小説がじ から脱け出そうと佐伯がしてるらしい彼の初期の作品の方 ゃないんだ。この男は、解釈を雄弁にやってのけて自分でが好もしく純粋に見えてくる。それは若々しい大学生心理 酔っぱらってるんだ。この男にどうしても馴染めないできを書いていた。子供を苦労して育てようとする貧乏な母親 たのもそのへんに原因があったのだ : : : 」 とその子との愛情を描いていた。センチメンタルなもので 矢のようにそういう考えが頭のなかを流れて、しかし斎さえそこでは新鮮でしなやかだった。 藤の言葉が返事を求めてるのではなかったから安吉は黙っ 「そう書いてあるからそうだというんなら文学なんてほん ていた。そして黙っていることが、安吉を、口実を何か探とに気楽なもんなんだがなア : : : 」という考えが、自分は さねばならぬようにそわそわと急きたてた。 無能力なのかも知れぬゾという疑惑に結びついて安吉のな 佐伯の「不思議な涙」を安吉は読んでいた。「あれだナかを流れて行く。 : こと思って、ほてるような思いで安吉は黒っ。ほい活字「僕は西南地方の人間だから知ってるんだが、あんなの を追って新聞を読んだのだった。そして「何という不思議は、どうしてもまずいんだよ。ったないんだよ。」と説明 はお な涙だろう。」という結びまで読んできて、頬が冷たくなぬきで土井が言い張ったのがそんなところをいっていたの ぎ るのに気づいて顔をあげて目をやるところを探したのだっ かも知れなかった。あのときおれは、土井にたいして佐伯 ら こ 0 を弁護しようとした。何ものからも弁護されるべきものが むナ それはどうしようもないことだった。それでも安吉は、 確かに佐伯にあったのだ。今でもある。しかしまた、おれ それが他人から聞いた話を、急きたてられて新聞ものにしは、徹底的に田口に引かれていた。今でもそうだ。その田 たせいだろうとも考えた。安吉自身、佐伯をそんな解釈のロと佐伯とを土井は対立させようとした。それをそうさせ しげき
とうとう二人が椅子を立った。母親は彼らが立ち上りなが ねんだ。」 らいうのを聞いた。 言かが檻房の中からいった。 だめ 「駄目かね ? 」 「金は俺が持ってるよ。」 「直ぐ出さなければいけません : : : 」 石守がその檻房の前へ歩いて行った。 「それや君だめだよ。中で金の貸し借りはいっさい許され母親は頭のなかで大きな水車が廻るような気がした。そ みすおち れから手足がしびれ鳩尾の落ち込むのを感じた。石守が何 ねんだ。」 かいったが聞えなかった。ただしつかりしていなければい 「許すも許さないもないじゃないか ? 赤ん坊は病気なん けないとそればかり考えていた。 だ・せ。」 くるま 昨日の朝 俥が来て、母親と赤ん坊とがそれに乗り 「そう君、僕を虐めたって仕方がないよ。」、 しかし今朝としか思えなかったーーー来た道をそろそろ 「虐める ? : : : チェッー」檻房の中の男は噛み切れるほど と引かれて行った。父親と、やはり六人の制服と、一一人の 舌打ちした、「どうするんだ、死んだら ? 」 その時それの隣りの檻房から父親が言いかけた。 私服とがその後に蹤いて行った。 「ちょっと : : : 君 : : : 」 俥は途中で医者を起すために一度とまった。 家へつくと間もなく医者が来た。 そのとき母親が叫んだ。 もう夜が明けていた。 「呼んで下さい ! 呼んで下さいー」 留置所じゅうが聴き耳を立てた。看守は保護檻を覗き込氷を買って来て頭と胸とを冷し、裾の方へ湯たん・ほを入 くちもとあわ れた。 んだ。赤ん坊のロ許に泡が見えた。 石守はあわてだした。連れの看守に何か耳打ちすると彼親たちは赤ん坊の枕もとに坐って、小さな胸に注射釗が 刺されるのを見守り、その筒数を腹のなかで数えた。 風は急いで出て行った。すぐ医者が来た。 ぎ母親や女たちが容態をねると、血が頭に上 0 たのだと医者は = 一十分ばかり様子を見ていた。 春たけい 0 て医者は看守部屋に隠れた。そこ〈房外の戸をあ赤ん坊は眼をつぶ 0 たまま少しも泣かなか 0 た。 けて、意外なことに署長がはいって来た。もう夜中の一時医者に訊くと消化不良だといった。 を廻 0 ていた。署長と医者とは向い合わせにみ込んでひ九時頃、手当の注意をしておいて医者は帰 0 た。薬は母 親が取りに行った。 そひそ話していた。その間が母親に非常に長く思われた。 すそ
ま、十へよ、 れで片づけられるだろう。この借金では、思いだすたびに 身のすくむ思いをしている。しかし本当には忘れている方「どうもネ : : : 」と安吉は佐伯に苦笑いしてみせた、「学 いっかなんかマルトウシアニスム 間がないものだからネ。 が多い。去年夏前、文学部全体で二十人ばかりの学生の名 スというのが出てきてネ。ま、小森田さんが、マルサス主 が事務所に張りだされた。滞納授業料を早く納めろ、いっ けす いつまでに出さなければ聴講届から名を削るという警告の義のことだろうって教えてはくれたが、弱るよ。」 : ふ、ふ、学問はひろい方がいいナ。」 「学問か : 調子はそれまでになく強硬だった。何か事件があったのか 佐伯としては、「学問」といった言い方を安吉くさい言 も知れなかった。安吉はいろいろ工夫してみたが智慧は出 なかった。夏休みは無駄にすぎた。警告の日限が今日で切葉づかいととって大様にそれを認めているのらしい。学問 の世界よりも文学の世界に、むしろ生きて動いている文壇 れるという日、安吉は思いきって斎藤のところへ行ってい きなりにそれを切り出した。全く偶然に、その日斎藤のと世界に目がむいてることからくるそれは大様さらしい。自 ころに全額四十円の原稿料がはいっていた。細君を呼ん分自身では、日本の文学世界に、安吉よりはもう少し現役 かわせ で、為替がまだあることを確かめるとそれを持ってこさせの形で触れているものとして話を続けてから佐伯はおふく て、「まだあってよかったナ : : : 」と小さめの声でいってろのところへ帰って行った。そしてそのあとで、夜になっ てから、安吉は吉川も加わった席で太田から話を聞いたの 斎藤がそれを安吉に渡した。相手の善良さにつけ込んで、 もぎどう 無類に没義道を働いてのけた感じで安吉は受け取るなりおだった。 話の中身は手紙にあったことと格別変ってはいなかっ 辞儀をして帰ってきた。その後そのことは一度も斎藤のロ から出ていない。安吉の口からも出ていない。そのことをた。ただ改まって話されてみると、整理して話されただけ 洩らしたとき、さすがの鶴来もーーー何で「さすがの」かわに、整理されずに残る部分のあることが目についた。それ りくっ 、も は理窟の上でも感じの上でも残って半分がたしか安吉には からぬまま安吉は「さすがの」と感じた。自分のしたこと らが非常によくなか 0 たことの反射としてそれは安吉に来納得されなか 0 た。 愉快でない顔をした。早く返さなければとあせる「合同の方は全体として方釗を切りかえることになった。 むた ほど安吉はそのことにさわれなかった。品物を、せめて半なったらしいのだ。それで君は続いて行っていてもい、。 ここで帰ってくることにしてもいい。卒業試験を受けると 額だけでも持って行ってでなければそもそも触れられな そのまま安吉はだんまりで来ている。だんまりでいるすれば、帰るとすれば、今がいいだらう。君の卒業のこと
た。上野駅へ降りた安吉は、芝白金三光町という町へ行く上教授の家を出て、病院の頼子と東京の高見政二郎とに電 たす くるま よふけ ために俥に乗った。俥は夜更の町をずいぶんながく走っ報を打ったあと、安吉はその足で東端を訪ね、彼をひきず た。そしてとうとう目的の町まで来たが、浦井の家はみつるようにして高見のところへでかけて行った。そして高見 からなかった。あちこちで訊き歩いた俥屋は、だんだん番を案内にして大学の事務室へ行き、無試験で選科に入学さ 地の圏をせばめて行ったにもかかわらずーーー安吉はそのやせないかといったが事務室ではきかなかった。 り方に感心したーー家がすこしもみつからぬことにだんだ「部長に会うか ? 」と政二郎がいった しいから「会おう。」といって彼らは会うことにした。 ん業を煮やしてきた。気の毒になった安吉はもう、 むてっぽう だんな 帰ってくれといった。すると俥屋は、「檀那ー」といって安吉自身にも無鉄砲に思われたが、部長の田上勘次は簡 それを強く否定した。安吉は、彼の言葉が俥屋の権威を傷単に会ってくれた。彼は、今はそれを話すことが安吉当人 つけたらしいことを深く恐縮して、「檀那ありました、あにも馬鹿らしくなりかけていた安吉たちの話を終りまでき りました。」と彼がいってきた時に心からほっとすることき、虫のいい要求にあきれたらしくもあったがそれはでき うすまき ができた。浦井の家は、かたつむりの渦巻の中心のようなないと答えた。 から ところにあって、安吉と俥屋とは、殼のまわりをぐるぐる 三回が三回とも安吉はただそこへ足を入れたというだけ だった。どんな東京がそこにあるのだろう ? 鶴来金之助 廻っていたのであった。 はどういう暮しをしているのだろう ? 貯金局なそという 浦井と兄とは、安吉が上野から俥で来たことに驚いてい た。安吉が無理にやらされた風呂から帰ってくると、浦井ところで何を彼は毎日やってるのか 2 ・ が控え部屋のようなところへひつばって行って、今夜義姉突然安吉は今朝の食卓での場面を思い出した。いつもの さかすき のお産があったこと、それが死産だったこと、そのため産ならわしで、父と安吉とは朝顔の盃で酒を飲んだ。父も こうふん れ婦が昻奮して、今のさつぎ医者が帰ったところだと話し多少酔い、安吉も酔った。 カこ 0 「からだを大事にせねゃいかんが : : : 」と父がいった、 の「君が来たら一ばいやろうと思ってたんだがね。そんなわ「病気になったら、病院へはいるのがいいじやろう。」 そのとき安吉はある柔らかなショックを感じたが、いま けで済まないが : : : 」 思い出されてみると、それは方途のない父の柔らかさと懸 「いや。」といって安吉は心から恐縮した。 ねん まぶたうらなみだ 第三回は二度目の落第直後の選科入学の談判だった。野念とだった。彼は臉裏に泪の出てくるのを感じて窓ガラス ごう
あいさっ る。この癖、心の傾向は、いっから出来ただろうか ? 高いう。挨拶のしようがない。それがこっちへくる。怒鳴り 等学校入学の時から、彼の家をはじめて訪ねた時から出来声が二人で話している部屋の方へ近づいてくるのがわか ふすま たか出来かけたかだったろう。あのときは入学が九月だつる。とうとう気配が部屋の外へきて停まった。襖があい こ 0 た。一二カ月するうちにクラスのものが知りあってくる。 「お、ふむ : : : 」 よそから来たものと金沢人とのあいだに交渉がはじまる。 ある晩おれが畔柳を家へ訪ねて行った。金沢特有の暗い屋おれはちらりと見た。黒っぽい着物を着こんだ老人が立 ふすま づくり、その下の彼のせまい部屋。いかにも秀才らしく蔵って、それだけいって平静な調子で襖をしめた。そしてぶ あきばこ 書がある。いかにも地味な少年らしく、何かの空箱に整理つぶつロのなかで言いながら元へ戻って行った。それから かんけっ して並べて、ひと目で、こいつはビールを飲むために古本は怒鳴り声がしない。それでも帰るまでに二度ばかり間歇 屋へ本を売ったことなどはないナと思わせる感じだった。的にした。畔柳の話では、日露戦争から帰ってから父はこ その年はじめて中学四年修了で高等学校が受けられることうなった。乱暴はしない。日常生活に格別邪魔にはならな 。手をつくしても直らないが、病気としてすすみもしな になった。だからその年は、五年卒業生に四年修了者のう 。母親は小学校教師をしている。彼女は、こういう夫を ちの秀才がいっしょになって受験生が激増した。四年から きた、いかにも秀才秀才したクラスで何人かのそういう生かかえて子供を育ててき、また学校づとめを立派にやって 徒のうち、背が高くて髭のこいせいあり、畔柳だけがそきたというので市から表彰されたこともある。畔柳は戦争 ういう外観からまぬかれていた。喋るのがのろいことも影前に生まれている。してみると、さっき見た弟は父が帰っ こつけい 響していただろう。のそりのそりと話す。感動話でも滑稽てきてからできたわけだろう。畔柳の性質には、こういう 話でも、のそのそ話されることでいっそう感動的に聞えた父や母からの影響が落ちついた陰気さとしてもあるのだろ り滑稽に聞えたりするのが本人が知らぬだけにおもしろか ぎ一 っこ 0 村野さんは覚えていて、おれの来たのを喜んでくれた。 む訪ねて行。たとはい 0 ても親しいというほどではまだな西洋人のまじ 0 た見送り人。肺病をや 0 たことのある村野 瀬踏みといったことを双方で感じている。そのとき人さんの蒼い顔が美しい黄色に見える。 Manda 「ーコという言 どな 5 の怒鳴り声がした。たしかに家のなかで、文句はわからな葉が思いうかんでくる。村野家の人々も来ている。学習院 かったがおれは畔柳を見た。「おやじなんだよ。」と畔柳がの学生も十人ばかり来ている。誘われておれも船室にはい しやペ てき
ていたが、彼は大阪でやってきた「梅鉢の争議」を一つ話んですよ : : : 」 にしきりに安吉に聞かせたがった。ここの家では亭主もずめしは下でつくってくれていたから、今食ったものも下 の夫婦の自腹だかも知れなかった。安吉はそのことを今夜 っと家にいた。 時分どきになると安吉たちは梯子段を掛けて下へおりにも誰かに言おうと思って、しかしそのことで主人に何も 約東はしなかった。 た。一人きりの時は一人でそれを掛けており、食事をし、 そういう世界が何となく彼を引きつける。安吉自身その それから一人で二階へあがって梯子段を引きあげた。そこ をオししつかそこに は白山裏で、小さい一戸建てが詰まってごてごてと建ってなかにはいない。そこに生活の根拠よよ、。、 いた。おしめを乾すときには細君が下で柱をこっこっと叩生活が根拠をもって移されるとも思われぬ。しかしそこ いた。それが合図で二階から梯子がおりた。物干しで足り に、子供以来慣れてきた百姓たちの仕事なりに通じるもの せんぎ ぬときは二階いつばいに細引きを張った。雨の日は、二階 かある気がした。子供のとき食ってぎた千切りなどのよう はため の安吉たちを気の毒がる細君の方が傍目にも大変だった。 なものがある。頑固で、弱々しくて、思い切りわるくて、 義理固くて、どうかすると爆発的に出てしまうもの・・・ーー・い つい一昨日、安吉は一人で晩めしを食うことになった。 つかの討論会で出た、「それ自身にゆだねられては経済主 細君が子供づれで外へ出て、亭主と二人で安吉は・ほそぼそ 義以上に出られないもの」、それの、しかし経済「主義」 と食った。 とまではなっていないもの、「主義」以前の生活の事実が お茶のあとで何となく二人は・ほそ・ほそと話した。 そこにあって、そのなかで休めるような気が安吉にする。 「いえネ、あたしたちもネ : : : 」 セルロイドのおもちやをいじくりながら、亭主が決意のずっと雨に降られながら、それでも濡れそ・ほったという ようなことを語る調子が安吉には沈んだものに耳に聞えまでにならずに安吉は帰りついて入口をあけた。 , も こ 0 「ただいま : ・・ : 帰りました。」 「おや、お帰んなさい。それから早速ですけどネ、晩御飯 「皆さんがこうやってて下さるんですから、どこまでだっ ら すましたら移動本部へちょっと顔出して下さいってことで むて頑ばりますよ。労働者ですからネ : : : 」 それは安吉に、「この人は迷惑を感じてるのかも知れんしたよ。あの何が、雨森さんがいらっしやるそうですか ら。御飯、もうすぐ出来ます。」 ナ : : : 」という思いをさせた。 雨森の名だけを、雨森自身もと合同の労働者だったから 「いただくものが期日にはいらないと、やはりそこは弱る がん はしどだん たた