主脳部検挙以後ひどくなったスキャップ警戒のため、木 して見はからっておいてがらりと開けた。一人の少年の首 根 0 こを擱んで、それを戸のなか〈押しこむようにして一部では臨時の警邏班をつく 0 た。それは安吉も知 0 てい た。班は六つ編成されて、主として夜から朝へかけて要所 人の青年がのめり込んできた。 要所をまわっている。桑原は一つの班の責任者だった。彼 「おいつ、起きろつ。起きてくれつー」 青年は当てなしのような調子で喘ぎながら怒鳴 0 た。青は、なにか勘があ 0 て、昨夜は本工場の横門のところで頑 ばっていた。ついさつぎになって、桑原から二十間ほど先 年は二十三四くらい、少年の方は十六くらいに見える。二 で、塀のねきのところがまだ暗かったが、そこにしやがん 人ともまっさおになっている。 でいるものが誰かいるのを見つけて彼ははっとした。そい 「ちきしようつ ! 」 こうふん つは、塀の崩れからなかへはいろうとしてるのらしい 年は、おさまらぬ昻奮を静めるためのように低く呻っ て、と思うといきなり昻奮してきたらしく少年をそこへ突最近のスキャツ・フのやり方、会社側のやり方が、一どき に桑原に思い出された。彼は飛びかかってそいつに組みつ きとばした、「こいつが : 上り框〈ぶつか 0 て少年は顔をゆがめた。少年は、白痴いた。案外にそれは少年だ 0 たが、名を名のれとい 0 ても 一つも返事しない。ただスキャツ・フじゃないとだけしかい などに見るような獣的に恨めしげな目つきをしている。 っぬ。スキャツ・フでないのなら証拠を出せといっても返事 しナい、どしたんだ ? こいつア何 「どうしたんだ ? しない。スキャツ・フでなければ臨時警邏班だ。警邏班員は だ ? 君は誰だネ ? ちゃんと話せよ : : : 」 部屋のものが全部起きてきて安吉の後ろに重な 0 たのが本部で決めた目印を持 0 ているはずだ。それもそいつは見 常こしぶとい。子供だと思っているとここへ連れ 安吉にわかった。連中も、だれも青年を知らぬらしい。そせぬ。非冫 して青年の方が正しいのらしい。少年の方が悪いのらしてくる途中で逃げ出そうとした。事務所で立ちあって査ペ ・も い。しかし青年の方も知らぬのだから、どう取っていいかてくれ。 ギ」 おい : : : 」といった斎藤がいくらか声を和らげて少年に 迷っている空気のところへ斎藤が顔を出した。 ら 訊いた、「どうなんだ、君 ? スキャップじゃないんなら、 む「桑原君じゃないか ? 」と一種の威圧感をもたして斎藤が その通りちゃんと名のったらどうなんだい ? 」 口を切った、「どうしたっていうんだ ? 」 「そじゃないんです。スキャツ・フじゃないんです : : : 」 ぶさいく 安吉はほ 0 として後ろへさが 0 た。 おびえてしまったせいか、少年は不細工に同じことだけ 「こいつがネ : : : 」といくらか桑原が落ちついた。 : こいつなんだ : : : 」 うな けいらはん しら
を繰り返した。、 しくらか頭が悪いのかも知れなかった。 還されなかった方の一人なんだ。持ってかれちまった方な 「とにかくネ : : : 」と桑原がいう。安心できただけ、彼のんだ。そんときは、奴もそれでいいと思ってたんだ。それ ぞうお さんたん なかで新しく憎悪がたぎってくるらしかった。 が、あっちにいるうちにしだいとわかってきて、苦心惨澹 「子供だからって大目にや見ないんだから。今すぐ白状しして逃げだしてきたんだ。しかしナ、おれたちの方じゃ なけや、時間かけたっていいサ。うしろで使ってた奴をなナ、さいしょ信用しなかったんだよ。」といって青年は声 ぐってやる : : : 」 をおとした、「悪かったと思ってるよ。しかし奴もわかっ けいら そこへ非常に大きな音を立てて別の青年が馳けこんできてきたんだ。こんだは志願して警邏にはいってきたんだ。 た。彼は何か叫びながら、自分のからだを投げこむようにそういうときや、、ー " イ意で最寄りの事務所へ連れてくるって 飛びこんできて、玄関へはいるなりいきなり桑原の咽喉へナきまってるじゃないか ? 名のる名のらんはそれからの つかみかかった。 ことだ。お前、何だそうじゃよ、 オしか ? いきなり飛びかか 「だ、貴様 ! 桑原ツー」 って張りたおしたってじゃないか ? あやまれーあやま 名を呼んだことで青年はいっそう激したらしかった。彼れーおれが責任者だ。あやまれ ! なにつ ? あやまる は桑原を、右手では襟をつかんでいたため、不自由な左手のが先だ。戦闘的労働者ならあやまれ」 で殴ろうとした。 「う、う、う、うつ ! 」という声がして少年がくるりと後 「貴様ア。この子供を何だと思ってやがるんだ ? これや向きになった。右袖を口で嘴んで、みんなに背中をみせて おれの班の人間だゾ。ふうつー」と彼は息をついだ。アジそこの板壁にびたりと貼りついたなり、左手が、それ自身 ア人風の小さい目をひっこめて、三角にして、すっかりま一つの生きもののように板壁の上を掻くようにってい っさおになっている。「おれやア、途中で聞いて走ってきる。 たんだ。お前のこと見てたもんがあるんだゾ。名のれって「悪かったナ、悪かったナ : : : 」といって桑原が胥年の方 いってたってじゃないか ? 規約、知ってるのか貴様 ? 」 へ近づいて行く。それを青年が邪険に少年の方へ突きとば 桑原はやはり青いまま黙っていた。どんな規約か安吉はした。 知らなかった。 「そいつにあやまるんだー」 「そういう時はナ、絶対名のらんことになってるんだ。こ 「悪かったナ。おれ、悪かった : : : 」といって桑原が少年 いつはナ、徒弟隊が板橋へ持ってかれたろ ? あんとき奪のところへからだをくつつけて行った。 やっ
っていた吉田の紹介状を、中身を出してざっと読むなりそ顔をしつづけていた。安吉を迷惑がってのことでないこと は安吉として信じることができたが、こういう無愛想な人 のまま封筒を重ねて畳の上へほうり出した。 「無礼な奴 : : : 」と思いながら「はじめて : : : 」と安吉は間にたいして、微笑しながらでなければ人ともののいえな い自分がいつまでも向きあっていることは誇りを傷つけら お辞儀をした。 「ふう・ : : こと藤堂はふたたび笛を吹くような声でいつれることであった。藤堂は腹這っている青年へも一二度目 こ 0 を向けたが言葉はかけなかった。 安吉は縁側越しに見える裏の家の物刊を見たり、床の 「僕は今年こっちの大学へ来たんですが : : : 」 たん 間のあかい丹の絵を見たりして時間の経過するのにじれ 安吉は、紹介状に書いてあることではあったが、相手が よくもきいていなさそうに思えるのに我慢しながら一通りじれしていた。そこへさっきの人間が帰ってきた。 あいさっ の挨拶を述べた。 「吉田節俊は何をしていますか ? 」 一枚先に取り出してくわえたため、青年はそういう声を 「さあ : ・ : ・」といって安吉は返答ができなかった。 出して袋を藤堂に渡した。 吉田節俊が作家である以上彼は書いているのにちがいな「君は詩を書くんですか ? 」 かった。しかし何をしていると問われてこれこれのことを「ええ。」と安吉は答えた。 「このカルケット、うまいな。どこで買ったんだい ? 」 していると答えられるようなことは別に安吉は知らなかっ こ 0 「さいと屋さ。」 「カルケットはね。・ハンの売れ残りがあるだろう ? あれ 「おい : ・ : こといって藤堂は縁側の青年へ顎をしやくっ さとう を切って、砂糖をつけてこさえるんだよ。」 た。「菓子ないかい ? 」 「知ってるよ、そんなこと。」 れ「ないよ。」といって青年は椅子ごとこっちへ向き直った。 腹這っているほうの青年が腹這ったままずるずる廻転し わ「買ってこい。」 の「う・ : : こといって椅子の青年は立って下へおりて行ってきてカルケットのほうへ手を出して、そしてそこで会話 こ 0 が切れたままになって安吉は何度目かに腰を上げようとし 安吉は少しずつ居づらく感じてきた。彼らの前にはだれた。しかし今となっては、腰を上げる途端にゆらりとひろ ぶあいそう がるにちがいないよれよれのセルの袴さえ、このハイカラ の前にもお茶も出ていなかった。藤堂は文字通り無愛想な
ていた。 外套、握りのところが白い骨か象軈かにな 0 ている美しい ステッキのところへ行った。彼の頭は、ともすると、つい こういうことすべてが、豊彦を逆にたまらなくさせてい たかも知れぬということはありうるではないか ? 長男が近年自殺した田辺のいちばん下の弟の方へ行ったり来たり 赤にかぶれたといっても、父親は息子に干渉一つしなかっした。安吉は、この自殺から受けた印象、というより、自 たし、軒なみの家庭でやるように、親類と世間とからそれ殺に前後した事情のいたましさだけを印象に持っていて、 を隠そうともしなかった。これがまた豊彦を、いっそうや弟が何という名だったかさえ記憶してはいなかった。何に きやきさせたかも知れない。少年から青年へ移ってくる時しても、その弟はまだまだ若かった。安吉にくらべても二 つか三つかしか上ではなかっただろう。どんな思想的立場 期の心理と生理との変化が、そのなかでだんだんに貯まっ にいたものか安吉は知らなかったが、 , ー 彼ま、二三の新聞雑 て行って、そこへイギリス皇太子の日本訪問がかさなっ て、というより、それをさわぎたてる新聞記事の調子がか誌に八つあたり的に反抗的な評論を書いていた。彼はある さなって、坊ちゃん坊ちゃんした豊彦にいきなりそんな真雑誌で、名声の定まりかけた仙台大学のある評判の哲学者 にへんにからんだ言い方で小っぴどい批判をあびせかけて 似をさせたということはありうることではないか ? いた。仙台の教授は受けて立った。彼はととのった論理 その春の新人会の公開講演会で、ロシャ留学から帰った ばかりの学者の田辺慎がきて、「第四階級の文学は可能でと、わかものどもが神経質に何を言おうと、教養の上の あるか ? 」ということで講演をしたのを安吉はきいてい差、身分・地位の上の差、とくに年齢の上の差を明らかな た。安吉たちが階段べンチにかけて待っているところへ、落差として相手と世間とに思い知らせずにはおかぬ落着き はんばく 立派な顔に眼鏡をかけた田辺教授は、顔を、人から見られとで反駁した。駁論のなかで、青年の使ったえぐるような るものとしてまっすぐにあげて正面のわきドアからはいっ言葉、神経質な誇張は、そのまま青年に投げ返されてい 、も てきた。彼は、講演者用の崎子のところへ行ってステッキた。勝負は、理論的には、残酷なほどだれの目にも明らか 力、ら′ ぎ をよせかけ、帽子をとり、外套を脱ぎ、白いハンケチでロだと安吉にも思われた。しかし安吉は、理由を自分ではっ ら むひげを拭きながら司会者の紹介をきき、それから演壇〈あきりさせられぬなりで青年の方に同情した。その同情は、 がって行ってすじ道の立った長い話をした。かたいペンチ青年が自殺したというニ、ースをきいていっそう強いもの いなすけ に腰かけて、安吉は話をいらいらした気持ちで聞いて いとなった。青年には許嫁の娘があった。ある日青年は、そ た。彼の目は、ともすると、立派らしい帽子、立派らし いの娘のところへ出かけて行って、今すぐ結婚してくれとい
おいつ、最幹会議呼んでこいつ。そんなことあるかア : : : 」来た。それから無産青年同盟が動いていた。これも大阪か % 「お、種さん。種さんよ : : : 」と誰かが手をかけたのを彼らつぎつぎに青年たちが来た。大阪から来た青年二人ほど は安吉たちともしばらくいっしょにいた。朝目がさめて、同 よふり切った。 ふとん 「種さんよオ ? 何だ、その猫なで声 : : : 最幹会議呼んでじ布団に誰か人が寝ているのを見つけて驚いたのが「虎ち ゃん」という名高いらしい大阪の男だったこともあった。 とうとう誰かが出て行って、最高幹部会議のものだかど警備特別班がいくつできているのかも安吉は知らなかっ にお た。何となく秘密と危険との匂いがあり、連絡で全然手が うだか安吉は知らなかったが人を連れてきた。その男をみ ると青年もとにかく承知して二人で外へ出て行った。会葬足りぬくらい忙しいかと思うと、丸一日くらい全然あいて の禁止には変化がなかった。話がどうついたか安占は知らしまうこともあった。織田束、織田司たちの親類でやはり なかった。あの青年の言い分には道理があるということ織田豊という青年がーーそれがやはり、現に新人会員であ じきそ ロシャから帰って と、直訴などと騒げば言葉だけでこの際まずいということるか、かってあったからしかったが ろうあ どうちゃく とが、両方ともわかって撞着したままで安吉は自分の班にきて、植物園から聾唖学校のへん一帯にビラはりにきた。 その大胆不敵さには組合の戦闘分子も驚いてるという話な 帰った。 こういう間に安吉は何度か住居を変えていた。最初かれども伝わってきた。しかしつまるところ、全合同争議と安 は警備特別班を手伝えと指定されたときその任務がよくわ吉との関係は安吉自身にとってあいまいなところのあるま からなかった。説明があるにはあったがよく呑みこめなまだった。安吉自身そのことが格別気にもならなかった。 、 0 かれらは、危険だという知らせがあるとつぎつぎと場所を とにかく、争議団は最幹会議によって指導される。 しかしそれに並んで、最幹会議との統制関係がはっきりし変えた。争議団の誰かの家の一部をそのつど借りるのだっ ないまま、争議団内部への切崩し隊とス・ ( イとの監視、会たが、場所をつくるのは安吉の仕事ではなかった。天皇の やっかい 社および警察側動勢の調査、そういうことのためにこの警死以来、場所のことはいっそう厄介になったらしく、暮れ 備特刎班は組織されているのらしかった。徒弟少年工の奪に一度ひっこしたかれらは正月になってからも一度移って 還などは主にここの働ぎで組織されたものらしい。しかし 今いる家は夫婦と赤ん坊一人との暮しだった。安吉たち 争議全体としては、そのほかに評議会本部が動いていた。 それは安吉にもよくわかった。大阪からもつぎつぎに人がはかたまって二階にいた。最近そこへ岡村という青年がき
八年 ( 一九一九 ) 九月から大正十三年三月までである。 三年制の高校を二度落第して足かけ五年在学したわけ 2 金沢と『歌のわかれ』 である。中野さんの文学への開眼がこの時期にはじま とまり 泊駅から再び急行列車に乗って、金沢に着いたのは ることは、中野さん自身が書いている。 夜七時過ぎだった。さて、明日は、中野重治さんが四「高等学校へはい「てから初めて私は文芸書類に親し 高の生徒だった頃の金沢の雰囲気を、わが身に味ってんだ。文学少年期と文学青年期とが、私の場合はいき みなければならないわけだが、どこからどう手をつけ なりに重なってきたというふうな具合であった。 ていいか、見当もっかない。駅前でみた、ありふれた文学上少年期と青年期とが重なってきたような私は、 形のホテル・ビルや、これまたホテル式に改築された いきおい文学的の往来を進んで行「た。いわばめ わたしの泊「ているこの町なかの旅館のことを考えるちやめちゃな読書であ「た。ドストエフスキーの『罪 いくら金沢が空襲を免れて、昔の情趣をいまに保と罰』『カラマーゾフの兄弟』『死の家の記録』などいう っている都市だといっても、大正末期の雰囲気などは ものを、朝起きるとから夜寝るまで、また明日の朝起 もうどこにも残「ていないかも知れない。そんな懸念きるとから夜寝るまでという調子で読んだり、『梁塵秘 を抱きながら、『歌のわかれ』を再読した。 抄』のなかの歌を声をあげて朗吟したり、白秋の『桐の 中野さんが金沢の第四高等学校に在学したのは大正花』の歌や文章を読んだり、茂吉の『赤光』を暗記する
じゅばんしろえり かすり だろう。対の絣をきて、襦袢の白襟のあいだから首いつば るっと腰を振って、それから歩きながら外からそこを力い しらみ いの毛糸ジャケツをのそかしているこの青年は、安吉より つばい、た。虱には最初から気をつけてきている。それ ぼうずが ざこね でも、最初の事務所で、二十人ばかりも貸布団で雑魚寝し四つ五つも若いらしく、頭は坊主刈りにして、頬の目の下 そばかす ていた時分に安吉はそれを受けていた。初めて安吉は虱をのところを赤くして雀斑を散らしている。桃のように煙っ 肉眼で見た。蚤にあるような味がそれにはなかった。色かている岩瀬のにたいして、雨森の頬は熟れた柘榴の皮のよ らして厭人的で愉快でなかった。安吉は、その時分はじめうにつやつやとしていた。ここしばらく、火の消えた瀬戸 ひばち て顔を出すようになっていた斎藤という金属工を思いうか火鉢をかかえこむようにして、直接彼にだけくる連絡を受 べて、しかし不道徳な比較に思えて急いでこすり消すようけて毎日前こごみになって貧乏ゆすりをしている。彼は大 阪からきた岡村とひどく親しいらしく、二人を見ている にしたのだったが : むつ 「何だ、せいてるくせに下らぬことばかし : : : ふむ、しかと、睦びあってる一一人少年といった気が安吉にしてきた。 しそうだったかも知れぬナ : ・ : ・」という考えがまたすぐ続ふざけている狆ころのような無邪気ーーーかれらは無産青年 同盟の何かの役員で、いっか安吉が、小松川の板金工場の いてきた、「やつばり質草だっただろう : : : 」 ストライキでいっしょになった頑固であけっぴろげな青 このズボンを、あのとき鶴来が相田にすぐ返せといっ た。あれは質草だ。入れるのでなくて出してきたところだ年、あれと共通した何かがこの二人に感じられた。青年同 ったろうけれど。返せ。受け取るよ。持ってくのがいやな盟員たからそうなのか ? そんな馬鹿なこととは思えぬが ら小包で送れ。いや、受け取る取らぬにかかわらず送りか安吉にはよくわからない。岡村にはセンチメンタルなとこ えす「べき」だ。相田の好意は、一旦受けとったことで受ろがある。それだけに、同盟役員ということで気負ってる ところがあったが雨森にはなかった。どんな生 け入れているのだから。抽象みたようになるが、言葉通りような弱い 、も 好意だけを受ければいいんだ。そういうものだ、生活とい活からかれらは出てきたのだろうか ? それを知りたいと するずるべっ思うことがあるが知る機会がない。 うものは : : : 安吉にそれはよくわかったが、・ ら そのときはまだ天皇が死んでいな むたりで実行しないでしまった。履いてからはそれはできな十二月のある日、 出かけた雨森が見ちがえるようにきれいにな くもなった。今の家にしても、部屋代、食事代、それに世かった。 1 話賃あわしていくら争議団から入れているのか安吉は知らって帰ってきた。そのとき今のジャケツを着てきたのだっ なかった。雨森は知ってるのだろうか ? 彼は知ってるのたが、前々から白い襦袢でいたのを、それも取りかえたら ざくろ
くる。格別非難するほどのことはそこにない。二人本人にかは、おかあさま、おばさまでやっているのだろう。岩瀬 しても、情熱とか反抗とかいうものにからまれてるわけでは、い。彼は学生としてもその調子できちんとやっている はない。しかしやはり、村の仕来たりのカのなかで、それのだから。しかしそうでない連中が、それをかくして私生 はため かけお しゆっん 活の面でやっている : は異常なものとして傍目に映ってくる。馳落ち・出奔とい うのとは違った形で二人は村を出て東京にくる。そして、 いまいましい場面が浮かんでくる。 恋愛結婚とわざわざ文字にして書くのとはおよそ違った形去年の夏、秋の新学期が始まってからのあるタ方、鶴来 の生活のなかへ自然にかき消されて行く : ・ ・ライオンでビ と深江と安吉との三人が銀座のカッフェー いたく 「しかしそれじゃないんだ・ : ・ : 」という考えが今の思いっ ールを飲んでいた。それは大変な贅沢だった。そこは書生 きみたようなものを消してしまう。「いったい労働者とい の普通はいれる場所ではなかった。深江が、夕方でまだは うものは、あの人たちに限らずやさしい言葉づかいでやっ つきり光りださぬ電燈の下でドイツの焼物のビール容器の てるもんだナ。乱暴な鼻汁たらしが、実際には「あたいな 話をした。 「ビールがこ・ほれてテープルを流れるだろう ? だもんだ んか : : : 』なんといって生きてるんだなア : : : 」 から、聖書の表紙を金属製にしてネ、こんな風に やはりそれは、安吉に不思議な思いをさせるあるものだ かっこう った。安吉たち大学生は乱暴な言葉でやっている。文学関って彼は手で恰好をしてみせた。ーー・表紙の四隅へやはり 係の連中なんかには、外国風を崩したようなのと、日本風金属製の脚をつけて、それを読みながらがばがば飲むんだ よた、の あしだ の世話にくだけたのとをつきま・せたような与太者めいた言そうだよ。・ハイプルが足駄はいてるんだ。」 葉でやっているのも少なくない。それは、見栄、照れかく そのときひどくきれいな人間が安吉の目にはいってき し、やりきれなさの裏返しでもあるにちがいなかったが、 た。一人の青年が、一人の美しい女を案内してそこへはい それが労働者たちにはなかった。断定はできない。それでってきたのだった。思いがけずその青年を安吉が知ってい htJ も、植物園からこっち、白山からこっちの、この合同印刷た。やはり新人会員で、経済の方の学生で秋田という名も ら むの界隈一帯にはそんなのはないらしい。おでん屋の女の押知っている。一二度研究会で出くわしただけだったが、秀 人れの話をした青年なんかにもそれはなかった。それなら才らしく、落ちついて親切なところがあって安吉は一人で ば学生たちは、そういう調子でどこででもやって通してる好感を持った。どうかしたら、そう考える理由は皆目なか か ? トヨサマの沢田なんかの世界は別だ。あの岩瀬なんったが、秋田の方でさきに安吉にたいして好感を持ってく あし
128 あいさっ 家が金持ちなのだろうか ? そこへ細君が出てきて挨拶を青年男女の姿が思いうかんできて元気がにぶってしまう。 たが、いかにも昔ながらの若妻といった風懾に見え、こ安吉の頭のなかで、噴水が十も二十も並んでふき上がって てんてんはんそく れがどこやらの専門学校で、そこの社会科学研究会のチャ くるような感覚でビヤノが連れて鳴る。安吉は輾転反側し キチャキだったということが安吉にそぐわなく思われる。 て腰をあげることができない。 かえってそこがおもしろいと考える余裕が安吉にはない。 いま安吉に、「かえって村山なんかが : ・ : こという気が ちやわん その細君が五六人に紅茶をいれてくれた。その茶碗が気にちょっとした。理由というほどのものはなかったが、村 とうえん いたく けんじゅはてき くわない。いっか見た桃谷陶園の陳列にあった方が、贅沢山に犬儒派的なところのあるのが、逆に安吉に、村山にほ には贅沢でもーーなるほどそれはそのままで矛盾だが んとの理解力を予期させるもののように思わせたのだっ ずっとプロレタリア的だったと安吉は思う。しかし山添のた。 場合はあけすけだからまだいい。 仙台の高等学校からきた島田が、去年の夏ここの合宿に 「芸術的感覚だけはこっそり隠している奴があるからな いた。安吉はまだ新人会にはいっていなくて、ただ。フロレ たす タリア文学のことで佐伯を訪ねてきたのだったから、島田 安吉は疑りぶかくなっていた。ただ安吉には、そんな連の名も村山の名もむろん知らなかった。佐伯との話が一段 中が、酒などは飲まないで、それも無理に我慢で飲まぬの落して、安吉を送りだして佐伯が茶の間へはいってきたと でなくて、規則正しく勉強家であるのが押えになってかぶき、連中がそこらを濡らして西瓜を食っているところへ安 さってきていた。「おれが古いのかも知れぬゾ。かれらは芸 吉はぶつかった。 術的に低級だ。中途半端だ。でも、おれの方は、純粋に古「佐伯、ほら、食え。」と誰かがいって、見知らぬ安吉に いのかも知れぬゾ。」と思う。さりとて彼は、新しいものも皿を押してよこした。 へも近づくことができなかった。太田なそは、電車の定期「仙台から出てきたといってるんだから、もすこし待って * つぎし 券のようなものを持っていて、それでずっと築地小劇場へろといってくれてもいいじゃないですか ? 」 通っていた。新人会でも幹部として動くようになってから西瓜を、胸のところに両手で支えるようにして、一人の なじ は止めたらしいが、その小劇場へさえ安吉は一度も行った恐ろしく鼻の高い青年が、一人の色の黒い青年に詰るよう ことがない。安吉は、音楽を聞きに行きたいとほとんど生な口調でいっているのが安吉の目にはいった。 理的に思うことがあった。すると、そこへあつまってくる「だって君、何も君から話してなかったじゃない、 ? やっ
う一まわり広いところで非常に残酷なことが行われ、それ って迫った。新聞記事からでは正確にはわからなかった が、もしかしたら彼は、その娘にからだの上の交渉をせまが一方的に、ひどく無残な形で青年におしつけられたこと ばくぜん ったのだったかも知れなかった。十五か六の子供だった娘というように事がらを漠然として感じた。そこに、自分で は拒絶した。青年はおどりあがって乱暴をはたらき、娘と処理できない、処理する力量が自分にまだないことを認め その親たちとに怪我をさせて、逃げて帰るなり縊れて死んるほかない場合の安吉のいっそうの不満があった。兄の慎 だ。明らかにそれは破産だった。近年ひろがった青年たち教授の話をきいていて、弟のあわれな死が、そこに内面的に 一つも取り入れられていないらしいことに安吉はいらだっ の社会的反抗を、その原因は社会と歴史とにあるのでなく って、個々の青年の家庭の不幸、まま母関係、肺結核そのた。教授の「第四階級」といえば、それは労働者階級のこ てん はたん 他の絶望的な病気、独り ~ ロ点の恋愛の破綻、やけくそになとだ。プロレタリアートという意味だ。哲夫たちのグループ りくっ った劣敗者分子の外からのはたらきかけにあるのだとしょのプロレタリア文学論、それが理窟ばっているところにど すき かっこう うとした勢力に、青年は恰好の証拠として自分自身をさしれだけ隙が見えているにしろ、それの可能不可能が何で今 だしたのであった。自殺のすぐあと、仙台の教授は追っかさら問題になるのだろう ? そんなところに問題を見つけ るほど、何で教授の神経がたるんでいなければならぬだろ けてそれにふれて短い文章を発表した。 「この前反駁を書いたとき、その瞬間に君が自殺しつつあうか ? もし弟がほんのもう少しかしこかったら、ほんの ったことを自分は知らないでいた。事情がどうあろうともう少し彼に余裕があったら、新聞で使うあのいやな言 葉、「情交」をせまったのだったという場合でも、相手が も、君の悲劇に自分は同情を惜しまない。自分は、若いし しやペ しゅうえん のちのこういう終焉を深く悼むものだ。ただ議論について若すぎたにしろ、手をふれあって喋るとか、ロをふれあう は、自分はあれに寸毫の変更を加える必要を認めない。そとか、しばらく単純に抱きあっているとかいう手続きで、 れは学問の道、その方法に自分はしたがわねばならぬから不幸でない自然な何か経過が取られたのではなかっただろ うか ? 世間知らずだったということ、余裕がなかったと いうことで人が罰せられるということはどうしたって不当 わが弱さからわれと破減していた青年は、ここで屍骸と なった上にとどめをさされていた。安吉にも、仙台の教授にちがいないだろう。ほんとうの不当。人間的にそれは不 が不当をはたらいたとは決して思えなかった。ただ安吉当だ。いや、あの弟の場合の事情は知らぬのだからわから は、青年の自業自得、教授の罪というところを越えて、もぬというほかはない。しかしいずれにしろ、あの弟をあん けが くび しがい