右山口県岩国市の槲。通称は 左「あれは、あなた西公園でござすたい。」 西公園というのは城跡なのかとたすねると、 城跡ではないそうである。 福岡市西公園より市街を望む ( 「集金旅行」 ) を一 「いや、なんとなく、そんな気がする」 と相手の男。その人は麻薬の中毒患者だったそうで ある。そう言われれば私などもそんな時代があった筈 である。たぶん、田中という人の小説と私の小説が似 余火秋だ ているのだと言っているのかも知れない。 がそれから間年もたってから、田中英光という人の全 集が出て、その編集者から田中英光について書くよう に私はすすめられた。そのとき、少しそのヒトの小説 を読んだだけである。 さて、その人は妙なことを私に教えてくれた。それ は太宰治という作家は死ぬ前に、文壇人と喧嘩ばかり していたそうである。正宀小白鳥などにはとくに反感を 持っていたそうである。あなたは正宗白鳥からよい意 味で優遇されているようだが、これは太宰の魂があな たに移っているので、その罪はろばしになっていると 言っている。とにかくよくわからないか話を聞いてい ると、太宰は文壇人にうらみがあって死んでからその 、つらみをはらそ、つとするらしい、それでいろいろな新 人が出ると太宰の魂がのりうつるというような話だっ た。それで、私も、将来、文壇人ににくまれるだろう という予言者のような、易者のようなことを話すのだ った。その人の言うことは私にはよくわからなかった。 だが、私が最も強く覚えているのは井伏先生と太宰の えきしゃ
? ~ * せんじん 土地の百姓のほか、よそから流れ込んで来たもの数十名に言って布をとると、いくらか皮下出血しているだけだが 鮮人が四人いる。鮮人はみな妻を連れていて、それそれ掛「痛い痛い」と言い、どうしても医者に診察さしてくれと なんば 小屋のなかに世帯を持っている。 言う。止むなく、医者の難波さんへ連れて行くと、別に打 よそから流れ込んでいる人夫のなかに、双木といって顔撲傷というほどのものではないとの診断であった。鮮人が に刃物傷のある乱暴な男がいる。身元を照会してみると傷帰ってから、難波さんは「どうも困ったものですな、あん 害前科三犯あって、この男も矢張り酒乱である。うどん屋な嘘を言う」と言った。 あげく で鮮人にさんざん飲ましてもらった上、その挙句は鮮人を なぐ 一月八日 擲りつけたりする。しかし鮮人も負けてばかりはいないの である。今日、石井を本署に連れて行き、帰って来てから海辺警備の予行演習に出た。 ちょうがい お風呂の下を焚いていると、双木が血まみれになってけ場所は堤防の松原で、この松原は潮害保安林になってい こんで来た。「旦那、泥酔してやられました」と言う。現て伐木禁止の立札がある。 場に行ってみると、鮮人も血まみれになったまま酔いつぶ地主の防空班長の話では、明治二十五年に山のような浪 れになっていた。調べると、双木が「チョボ、なんだい」がこの堤防を越え、村に流れ込んだということである。昼 風もないとき突如として浪が山のように盛りあがって と言ったことから擲り合いになったもので、双木が仕掛け間、 て双木がたくさん擲られていた。「鮮人にやられるなんて、押しよせたという。南の嘉平さんの門の上で、西と東の堤 旦那、情けねえ」と双木はこぼしたが、もともと双木が悪を破 0 た浪が衝突して、五間も六間も高いところで溿巻し たそうだ。もちろん田畑も牛馬もすっかり流された。 いのである。 地主の防空班長の言うことには、このあたりは毎年のよ 双木と鮮人の傷を消毒し繃帯して、彼等二人を仲なおり うに潮害がある。班長のうちでは潮害のあるたびに小作人 さしてから私は帰って来た。ところが夜なかに戸の外で、 たんとねん に三年免租にしているので、このあたりの田で反九斗の年 鮮人が「痛い痛い」と言って戸をたたいた。起きて見ると 鮮人の妻が傷ついた亭主をリャカアに乗せ、泣きながら貢を貰う年は擧ないそうである。 「フタキにオトトが行かれました。かたきをとって下さい」演習は飛行学校の生徒が爆弾投下をして、班長の指揮で おお、ぎよう と言った。たいした傷でもなさそうなのに大形に布で包みな駈けつけて行く演習であった。 み、手を触れると「痛い痛い」と言った。「我慢せえ」と夜の一時ころ「ごめんなして、ごめんなして」と表に声 槿うたい ふたき うそ
「ここが俺の御本陣だ。昨日、中番がカステラを差入れて菜種屋の女主人がそう言っていたというのです。買われて 2 くれたんで、それ食ってから寝ようか。御本陣といったっ来た女で、器量のいい、賢そうな女に限って、割合に手易 て、薄ぎたねえ座敷だよ。」 く人買いに身を任すという。賢い女は、自分が賢いことを 高沢は二階の部屋に私を案内してくれました。 知っているんで、自分は容易に男なんかにだまされないと 私たちはカステラを食べてから寝ることにしましたが、 思っている。自信、うぬ・ほれがある。だから賢い女は、案 しゅんめ 実に薄ぎたない部屋で、と言うよりも一ぶう変った部屋で外にも変てこな男にしてやられる。駿馬は、しばしば痴漢 した。畳敷きの部屋でありながら、寝台を二つも置いてあを乗せて走ると申します。すると、私なんか痴漢になるの る。床の間がなくて、鏡のついたタイルの流しが壁に取りは造作もないことだから、器量がよくって賢い於菊との取 つけてある。壁に嵌込式の鏡が取りつけてある。一見、普りあわせはどうだろう。つい私、そんなことを思いめぐら 通の鏡と変らないが、よく連込屋などにある例で、壁の裏したことでございます。 すどお 側から見ると素透しの鏡だと高沢が言っておりました。 ところが、美貌で賢いのと反対な女を売る場合には、凄 うで 「お化けの出そうな部屋だな。お化けなら出てもいいが、腕の人買いも相当に手を焼くことだと申します。容貌に自 南京虫は出ねえだろうな。」 信のない愚図なのは、男に対して自分には魅力がないし心 そんなようなことで、私は寝台の上に横になりました。得ている。はじめ田舎で聞かされた通り、人買いに連れら かたぎ この菜種屋という宿は、よほど前に水無瀬ホテルにいたれて堅気な旅館へ奉公に行くのだと思っている。だから、 女中頭が、出資者を見つけて経営しているそうでした。こ人買いが無法な真似に及・ほうとすると、「あんた、何する こは東北方面で人買いをして来る者がよく泊る宿で、一人だ」と固くなるのは当り前だ。そこで、人買いは飽くまで の男が同時に三人も四人も若い女を買って来て泊ることがも甘言を用いながらっきまとって、その上で「俺はもう諦 あるそうでございます。 めた。もう安心しろ」と言うかのように、他の寝台に引き しやくふ 高沢の言うことに、人買いは酌婦屋なんかへ女を売る前とって行く。そうしておいて、夜あけ近くなってから、女が に、どこかの宿屋で女を犯してから売るということです。 ぐっすり寝ているところを急襲する。普通、これが菜種屋 さもなければ、女が人買いの言うままに売られてくれない へよく泊る或る人買いの、いつもの手だということでした。 おそれがある。犯しておいてから売りとばす。ところが女私、菜種屋ではお昼前に目をさまして、高沢と共に駒形 の方も、そうは手易く人買いの言うままになるものでない。 の「どじよう」で昼飯を食・ヘて柊元旅館に帰りました。女 はめこみ
134 んのじゃ」と言う。百姓は「じやから畚を持って来るけに、あずからしてあげて下され」と言うので「そんならよ ん、積みかえたると言うてもきかんのじゃ」と言った。片かろう。さっそく手続をしよう」と私は承諾した。 けんか 今日は非常に寒かった。 意地同士の喧嘩である。 わら うね 百姓は一歩も車を動かさぬと言い、片輪は動かすと言麦の二寸ばかり伸びた畝に、藁をかけている百姓があっ しもやけ た。私の足の霜焼はだんだんひろがって来る一方だ。西の 「君、借りたものは返したらええじゃないか。」「いい え、山の峰は雪で白くなっている。 返せませんわい。」「そりや無茶じゃ、返したれ。」「返さぬ」役場の庭は日当りがいい。女の子が集まって遊戯をして いたが、ちょっと古風なものであった。二人が手をのばし と→一口う 0 そこ〈床屋の小万さんが割りこんで「君も身が不自由て門をつくり「通れ通れ山ぶし、お通りなされ山ぶし」と だし、駐在が、あないに言いなるけん、返してやったらど言うと、四人の女の子が手をつないで、手の門をくぐって まわ うや」と言った。片輪は彊り出して「身体と籠と、何の周って行く。四人組はロをそろえて、「ここ何本目」とき 関係があるか」と言って梃子でも動かない。人だかりはまく。二人組は「十三本目」と答える。そのとき四人組は立 すます増えて来る。それで私が「返してやりたまえ」と強ちどまって、二人組と問答を開始する。 四人ーーーここはどこらの細道じゃ。 く言うと「なにを」と言って、いきなり天びんで私に打っ てかかった。油断していたので、一つ肩を行かれた。小万二人ーー天神様の細道じゃ。 四人ーーーちょっと通して下さんせ。 さんが「この野郎、駐在に何すんのじゃ」と天びんを取り あげると、片輪は狂乱して石を持ったので、とりおさえて 一一人ーー御用のないもの通しやせぬ。 ・ハスで本署へ連れて行った。 四人ーーこの子の七つのお祝いに、お札を納めに参りま 帰って来てから一時間ほどして、連搬人の親方が来てす。 あやま 「さきほどは、野郎がとんだことをしました」と謝り「こ 一一人ーーー行きはよいよい、帰りは怖い のごろ野郎は神経痛で、手、足、目がひきつり、この寒さ そして二人組が手を開いて対面して立っと、その間を四 で頭がの・ほしとるのですけん」と言った。「何じゃあ、気人組が一人ずつ走りぬけ、一一人組の手で背中をたたかれた 違い組か。そんなら、連れて行くんじゃなかったわい」とものが鬼になる遊びである。 私は頭をかいた。それに小万さんも百姓も来て「まあ親方今日は片輪と百姓の争いで私は気色を悪くしていたが、 ふご か′こ こわ
もうひとりのさん、これはタイル工事をやってい それとも北条家百年の善政にあこがれるかして恥東 て、職人さんを 5 人も使っても仕事はやりきれないほ 2 に下ったものだろう」 ど忙しいのたった。風呂場、便所、洗面所、流し場を 以上の中で私に最も意外に思えたのは、最後の「本タイルにする建築が多くな ? たばかりでなく、新築で 人が主家を縮尻った者」のところである。つまり、戦ない家でもタイルに改造する仕事が多くなったからで ろ・フじよ・フ ある。たいがいの仕事は申し込んでから早くて半月、 いで籠城する戦士などは私たちの考えでは武勇者のよ 、つに田 5 えていた。 1 ヶ月ぐらいまで先の仕事かっかえているが、実際に 主家をシクジッタ者の集まりの人た は申し込んでから 3 ヶ月 5 半ケ年もかかるほどいそが ちとは、想像も出来なかったことだった。実際には、 そんな人間たちの集まりが多かったのではないかと気しいそうである。 5 人の職人さんばかりではなく奥さ んまで手伝って、仕事は毎晩貶時前に終ったことはな がついた私は、前に述べた私の 3 人の知人ーー建設会 く、それで朝は 8 時には仕事をするし、休み日はない 社の仕事をしていた 3 人が、職業も変わって遠方に行 のだからその儲けは棲いそうである。 ってしまうという人達と一脈通するものかあるように そのタイル屋さんが借金で首がまわらない 職人の 思えるのだった。一脈通するどころか同し感覚の人と 給料を払わないから職人は出て行ってしまうし、夫婦 思えるのだった。 の仲もうまくゆかなくなって奥さんとも離婚してしま さて、私の知りあいの 3 人のひとり、 << さんは私の ったということを私は後で知ったのだった。あんなに 家の電気工事をしてくれた人である。電気屋になった のはまだ 3 年ぐらい前で、それまでは農業だった。電儲かる商売なのに、そんな妙なことがあるだろうか、 と、あとで、その理由を知るまでは信しられないはど 気工事は割のいい商売で、ちょっとした建築工事の仕 事でも請求書を書くとき、 6 千円と書こうか、 3 万円意外なことだった。 タイル屋さんの主人は職人さんたちが仕事をしてい と聿日こ、つか、 4 万円と書こ、つか、と迷、っそ、つである るので、主人がひとりぐらい仕事を手伝ってもそれは 相手の様子を見てから工事費をきめる、というよりエ くら仕事をしても次か 事をしながら相手の様子をみて、どのくらいの請求金ど影響はないと思っていた。い ら次へと仕事がたまっているので、仕事をするという 額を出そ、つかときめることになっているそ、つである ふろ
「あそこの城あとが、井伏先生の武州鉢形城という小 と妙な感じになった。 説の城だよ」 「いまは、あっちのほ、つへ行って . とい、フよ、つな説明をしたことなどもあった。そんな、 と建設の社長さんは笑いながら言っている。それに、 間違えた説明をしても、 3 人とも寄居方面に住んではいるが職業も今はちがっ 「そ、つですか」 ているそうであるなんとなく妙な気がするので、鉢 と土地の人も屋しまなか「たのも妙だと思う。たぶ形城址へ行「たときは尋ねてみようと思「ていた。 ん、城の跡というようなものは田んばの中に残ってい る塚のようなもので、どれでも同じようなものだと付 近の農村の人達は思っているのだろう。あとで、その 間違いに気がついて私はあわててしまったわけだが、 井伏先生の武州鉢形城を読んで私の最も意外に思え 鉢形城は棹駅のそばだから私の住んでいる菖蒲町か たのは左の個所だった。 らはキロも離れているのである。そんな遠方だから はず 知らない土地の筈だが、 「私は戦記篇の『猪殳云己 月イ言』よりも、猪股衆の分限 みく 鉢形城へ行ってみよう」 録の方に興味を持った。むしろ意外な感を受けた。 はしえ と思っていた。偶然、私の家を建ててくれた建設会 猪股の部下は殆どみんな他国から来た者ばかリであ 社の社長さんが、 、鉢形城の所在する武州出身者は、禄百五十貫の 「ああ、寄居に行ったら寄りなさいよ」 足軽大将が一人に、禄八十貫の足軽が二人きりであ と何人もの知人を紹介してくれた。意外なことにそ る。あとはみんな本国がてんでんばらばらで、いか のなかには私の知っている人が 3 人もあって、私の家 にゞ可せ集めと言った感しの字づらになっている を建てるとき仕事に来てくれた人もそのなかにいたの 遠いところでは、本国は出羽の秋田、奥州の児玉、 ひゅうが なおすみ の八上、大隅の三原、日向の肥、壱岐の石田、 っしま か于さ 「あれ、あのひとは、寄居のはうに住んでいるのです対馬の上総というような者がいる。前に仕えていた 城主が没落するか、または本人が主家を縮尻るか、
谷金太夫は、おそらく重臣会議の場面は、正龍寺の住職の 話したことを後日伝え聞いて書き残したのだろう。 「続軍記」は以上で終っている。だから落城後の金太夫自 身の消息も、藤田信吉の軍に降参した北山民部の消息も不 明である。鉢形城を落去した後の金太夫が、美里村曝井の ほとりの広木の娘に会っているかどうかも不明である。仮 に広木の娘が文字のわからないまま「続軍記」を筆写した としても、原本は金太夫の遺品として人づてに贈られる か、または貸してもらったと想定されないこともない。 私は鉢形落城後の家臣の行方を「鉢形落城哀史」によっ て調べたが、百谷金太夫の名前は見つからなかった。さき にノ 1 トしたように、この書物には、落ちのびて行った家 ろくだかしようこく 臣の名前、その行先、元の禄高、生国をそれそれ記してあ る。秩父地方に落ちのびた者は百七十五人、鉢形近くの寄 居村に土着したものが二十九人、地方に隠退したもの が三人、児玉郡には八人、上州方面に住みついたものは十 九人である。その他、行方不明になった人々は、侍大将、 軍奉行、大目付、旗本など、主に禄高の多い武士の名前と 城職名と生国が記されている。これは手づるを求めて別の城 鉢主に仕えた人たちだろう。結局、私は金太夫の生国備後志 あかやにまっ 川付近のことは知ることができなかった。赤脂松の材木は 武 そのままになっている。 少禄であった金太夫は、ここで記録に洩れている行方不 明の人々のうちに入るものと思いたい。 ちちふ
接に忙しい。某学校の某教室の誰それが来ているか、某君方も負ぶさってる方も顔が蒼白でした。 はいるか、ということだけでもう大変な騒ぎです。いちい 「おや、どうなさいました、 , 御気分でもお悪いんですか。」 ちそれを部屋に取次ぐのは、とても重労働で叶わない。現私が帳場から出て行きますと、 在は客座敷にスビーカーや電話をつけておりますが、昔は「足が折れたんです。寮長さんに報告して来ます。」 団体客が来ると、面会人の扱いだけでも旅館じゅうの大騒と寮生の一人が、階段を駈けあがって行きました。 とりあえ ぎでした。関西以西から来る団体の場合なら、百人の客に怪人は、取敢ず洋式応接間の長椅子に臥かせまして、 対して面会は十人に足りないのが通例でございます。 中番に言って近所の接骨医を呼びにやりました。そこへ二 気質の地方色と言ったらいいか、地方型と言ったらいい 階から於菊と目付役の年増女がやって来ましたが、目付役 オクスケニシマエ のでしようか。東北と関西では、学生が自分の下駄ひとつの女は、保健衛生の先生だそうだから落着いたものでし 探すにも風儀が違っている。オクスケは黙って、じっと見た。怪我人の痛がる足首を両手でこねまわしながら、 ねんざ て探している。騒がないし、人の手を借りようとしない。 「これは骨折ではありません。単なる捻挫です。何です、 ニシマエの特にせつかちな人と来ると、ろくに探しても見うめき声なんか出して。すぐ手当しますから、しゃんとな ないで「番頭はん、私の下駄が無くなった。どうしたんさい。元気を出しなさい。」 ゃ。」「それです」と言うと、それだとわかっても「そうだ と叱りつけ、私に聞くのです。 どじよう つかいなあ」と上の空で言うのがある。今年の春、関西方「番頭さん、この旅館の料理場に、鰌はございませんか。 面の高校生で「わしのがない。新しい靴じゃ。馬鹿にす柳川にする鰌、ございませんか。」 るな、弁償してくれ。」その学生、かんかんになって怒り「鰌と申しますと、お怪我なすっているお客様が、召しあ だした。あとで出発のとき引率の先生立会で調べると、雨がるんでございますか。」 が降ってよごれたばかりに自分で間違っていたという話も「いえ、どう致しまして、患部に賰るんでございますよ。 ありました。 鰌を三十尾ばかりと、それから、鰌を上手に割く料理番は そこで山田紡績の寮生のことですが、二階から万年さんおりませんですか。」 が降りて来ると、同時に玄関の硝子戸を手荒く明けるもの「料理番は通勤でございまして、もうとっくに帰りまし がありました。山田紡績の寮生たちの一つの班で、そのう た。失礼ですが、さっき骨つぎ医者を呼びにやりましたか ちの一人が、連れの背の高い女に負ぶさって、負ぶってるら、間もなく参ると思います。」 ぼう ガラス かな げた
る。 かいしまへんけに、お手やわらかに」と一人の方はおとな なじよう 仲間が十名そろったので、表五、裏五と二手に別れ、表しく泣きごとを言い、もう一人の方は初犯と見え、捕縄を てはす はす 組が踏みこんでから、裏組は逃げるやつを捕える手筈がきかけようとすると矢庭に武者ぶりついて来た。それを外し て、私は得意な外掛でふんわりと投げとばし、起きあがろ まった。私は裏組であった。 たんま かたわ 出発。目的の場所は、田圃のなかの土塀で囲まれた農うと両手をついたところへ捕縄をかけた。傍らでは仲間の たけ 家。私たちはじりじりと迫って行った。その家の裏手の竹一人が、敵の肥大漢と上になり下になり土まみれになって が、お昼すぎの西風にあおられてざわざわと音をたてて格闘していたが、漸く相手を組みしいて捉えた。もう一人 は遠くへ走って行く黒い背広を追い、これはもはや脚力の 私たちは敵に発見されなかった。正月だから敵は安心し競争に墜ちていた。藪ぎわで格闘している一組もあった。 て、見張を置いていなかったのである。裏組の五名が藪ぎ私は捉えた二人を連れて麦畑の外に出た。二三寸に芽を出 わに伏せをしていると、表組が踏みこんだらしく、ばたばしている麦の畦が踏みにじられ、その麦畑は一畝分がとこ たと響く格闘の音、わッと叫ぶ人声、つづいて裏口に駈けろ台なしになっていた。 だして来る足音がした。「やったな」と私たちが起きあが私は二人の捕虜を連れて表組のいる方へ行った。すでに ると、黒い敵四五名が塀の上に出てこちら側へ飛び降りて大半は捉まって縡られていた。シャモを臨っていたと見え ちのり むしろ 逃げだして来た。その後からまた、黒い敵が塀の上に顔をる筵には血糊がっき、二羽のシャモもそれぞれ脚を縛られ はち 出した。「それゆけ」と私たちは駈けつけたが、双方が鉢て物におびえたようにクワックワッと鳴いていた。リャカ ふせご あわ 合せするまで向うは逃げるのに夢中で気がっかぬ。一間ほアに積んだ伏籠にも土間のなかの伏籠にも、たくましそう ようや どの間近になって漸く敵は気が付いて、その逃げ足の方向なシャモがいた。部屋の戸や障子は押し倒され、火鉢がひ 村を変えたときには、すでに私は飛びかかっていた。背を見つくりかえり、灰が畳の上に踏み散らされていた。炭籠が せてばたばた走る一人を私が「えイ」と突きとばすと、麦床の間に放り出され、酒徳利が柱の根元のところに砕けて 多畑にばったり倒れて起きなかった。それを抑えつけているいた。 この賭博の胴元は表組で捉まった大男で、彼は縛られた と、目の前をかすめ去る一人がいるので、帯をとってねじ 倒し、私はなんなく二人を捉えた。あまり見事に行きすぎまま同じく縛られている仲間を見渡して「どいつが裏切っ どな たので、ひとりでに苦笑が込みあげて来た。「且那、手むた」と呶鳴り散らし「裏切ったやつは言え。いまにどうす おさ はりよ やにわ あし ひばち すムかど
だろう。私は旅行に出たいと思っていた矢さきなので、旅「香蘭堂は帰っちゃいましたわ。帽子を目ぶかにかぶつ 費自弁で出かけると言った。 て、玄関の戸をばたんと閉めて出て行きました。」 ありがた 「行ってくれますか。有難い。それでは四箇月以上滞納の気をきかして報告してくれたのである。彼女は湯あがり 大ものだけで結構です。」 の女性の特有とするセンチメントのある匂をさせ、その匂 彼は手帳をとり出して、滞納者たちの名前とその職業やと酸漿をみならす音の調和を彼女自身たのしんでいるか くちなし 原籍地のノートを見せてくれた。四箇月以上の滞納者は幸と思われた。たとえば山梔の木のそばを通るとき、私はこ い地方の都会から遠くない土地の出身者が多かったよう ういう匂を嗅いだことがある。彼女は卓上に肘をついて私 で、集金に出かけるには都合がよさそうであった。大ものの抜書きしている名簿をのぞきこみ、 の滞納者は、主として関西方面の人に多く見受けられ、岐「おやおや、また名簿ですのね。よく丹精がつづきますこ こうべ 阜の市内に一人、神戸市の郊外に一人、岡山の郡部地方にと。」 ぶしよう そういう無精らしいことを言ったのである。そして五番 ニ人、福山市の北部地方に一人、尾道市に一人、山口県の ~ 石国町に一人、福岡市の郊外に一人、それから、北海道のさんが、岩国町の名物で食べものの名物は何だろうと私に さっぽろ よこあい らいらく 札幌に一人という率で分布していた。およその見積りかたずねると、いきなり彼女が横合から磊落に笑い出して、 ら、私は先ず東京に一ばん近い岐阜を振出しに集金して行「岩国の名物は、鮎・織物・紙・酒の。」 よど く旅程がいいだろうと考えた。しかし五番さんのいうとこ淀みなく言うのである。学校の地理で覚えているのかと ろによると、自信をもって福岡まで直行して、そこで一仕思っていると、岩国には彼女の古い恋人がいたということ 事してから後がえりするのがいいだろうというのである。 で、鮎・反物・紙・酒の瓶詰など、以前お土にもら 0 た なぜかというに五番さんの表現によると、旅費の心配とい ことがあるという。またこの町には彼女の悪い恋人もいる えんふん う点から言っても「背水の陣」をしかなくては度胸が出なというのである。こんな艷聞をきかされる場合、私たちは せんこう いだろうというのであった。私たちは日本地図を見て銓衡勝手にしろと半畳を入れるのが常識である。そうして、そ あげく した挙句、その中庸をとって岩国町を振出しに活躍するこの恋人に何かことづけがあれば伝えてやろうなどと冗談ロ とにした。そして私がノートの滞納者の名簿を抜書きしてをたたくのである。ところがその常識通りの冗談を私が言 ほおすき いると、ドアをノックして七番さんが酸漿を鳴らしながらっていると、彼女はロのなかの酸漿を窓のそとに吐き出し けしき やって来た。 て、発作的に表情が気色ばんで来た。そして私がこのアパ おのみち におい ひじ