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検索対象: 現代日本の文学 21 井伏鱒二集
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1. 現代日本の文学 21 井伏鱒二集

たんでございます。お風呂で私を抓った女の耳た・ほが、ジ 「やつばりマンジュウだ。」 っこう 私が番頭仲間の符牒で言ったので、この家の番頭が手を = コさんの耳た・ほと好がそっくりなんで。それからま ついて私にお辞儀して見せました。でも私、そのまま帰った、吉原の引手茶屋にいた例の豆女中の耳たぼにそっくり なんで。それで思い当ったのでございます。 て来る方が気がきいてると思ったので、 「よかったな。疑いがはれて何よりだ。」 ジュコさんの耳た・ほは、ふんわりとした非常に良い恰好 と豆女中に言い残して帰りました。ちょっと芝居がかつで、その耳に似つかわしい上品な言いぐさで申しますと、 ているようで、今では思い出して照れくさいような気が致ほの・ほのとした感じ、匂うがごとき良い恰好とでも申しま すか。間近くその耳を見ているてえと全く悪い気がしな します。 りようけん その翌日でしたか翌々日でしたか、その引手茶屋の番頭 、。性根のよくねえ男なら、ひそかに如何なる料簡を起す がまた一升さげてお礼に来て、豆女中からもお礼の電話をやらわからねえ。 かけてよこしました。舌たらずの泣声で真剣に礼を言うの 「あの耳た・ほだ。あのジュコさんの耳た・ほで思い出したん あいづち ですが、こちらは照れくさくって対等の相槌が打てないのだ。お湯で俺を抓った女は、もと吉原の引手茶屋にいた豆 で、 女中だ。さっきからあの耳を見てるうちに、やっと思い出 あんばい 「そうかそうか、ではお前さんの、旦那さんによろしく。」した。あんな塩梅の耳だ。」 と冗談を言って電話を切りました。 隣に坐っていた房総屋の番頭に、私が耳打ちで申します それから数日して、豆女中からお礼の手紙が参りましと、 た。それが長い長い手紙で、是非とも一度おいで下さいと「うん、なるほど。あの恰好の耳たぼなら、悪くねえ。し ごくどうもの 書いてあったんで、私、折を見て出かけて行きました。し かし、耳で古馴染を思い出すたあ、おめえも相当の極道者 しゆくはい 館 かし、相手は子供のことだから別に話があるわけでもござだ。おいジュコさん、こいつのために祝盃だ。ここへ来 いませんでした。 て、改めてお酌を願います。」 とジュコさんを傍に坐らせて、房総屋の番頭は一座のも 駅お湯のなかで私を 0 たのは、往年のその豆女中だとわ かりました。私、とんと忘れておりました。 のにこう申すんでございます。 「おい、東西東西、みんな聞いたか。おい、聞かなかった 実は私、ジ = = さんの耳た・ほを見ているうちに思い出しやつは、後学のために聞いておけ、が口上を述べるから しやく にお

2. 現代日本の文学 21 井伏鱒二集

井伏さんは書いている あるが南八のような友人の存在が井伏さんにとって、 青木南八は毎日のように井伏さんの下宿に来て、井どれほど大きな支柱であり刺戟であったか判らない 伏さんを学校へ誘った。 学校へ行きたくないときは井 南八と知合った年の夏、井伏さんは郷里で小動物を まく・り・わし」 扱た作品七篇を書いているか、これも南八に読ませ 伏さんは枕元に原稿用紙を散らしておくそれを見て ありじごく 南八は「おや徹夜で書いたんだね。凄い凄い」と満足るためである。「やんま」「蟻地獄」「がま」「たま して引きあげて行く。学生のころは南八に読んで貰お虫を見る」山椒魚」他二篇である。この裡「山椒魚 うと田 5 って作品を聿日いた、と井伏さんは話したことか は数年後「幽閉」と云う題で同人雑誌「世紀」に発表 され、のちに加筆して「山椒魚」と改題、「文芸都市」 に再録されている 「たま虫を見る」も後年「三田文 学」に発表されている 能 首瞽林武 青木南八は教授連の期待の的であり、学生仲間の信 田望を一身に集めていたが、卒業を目前にして胸部疾患 文野 旦示 コー白い 「こういう友達か死んでしまうとすし 撮で逝くなった。 の でよ崎子ぶんなさけない」 ( 「喪章のついている心懐」 ) と井伏 荘右尾好 さんは書いているが名作と云われる「鯉」 ( 昭和三年 ) 山列 目二芝は、亡友青木南八への追懐を一匹の鯉に託して表現し 京会順 た詩情豊かな作品である途方にくれた青春の孤独と 東賀蔵見 哀感がこの作品に美しく結品している 日 祝徳高 1 念高ら 順調に行くと井伏さんは学校幸業している筈だか、 「心ロ本か 4 年右実は中途退学となっている。これは教授片上伸と衝突 年周占 したのが原因で、片上教授の一方的措置によって退学 つ」 LO っ 0 ワ」 不」田 させられたと云うのが事実である。片上伸は一種の変 〃ロ”卩 日羽市・ 質者で、井伏さんはあるとき先生が発作を起したので すご はず ハ」 432

3. 現代日本の文学 21 井伏鱒二集

なそ と、謎のようなことを言い残して、お湯から出て行きま並べて敷いた。その程度のことがわかりました。 いずれにしても、長野の宿屋から紹介してよこした客だ から、中番にノーエンぐらいよこすのは当り前だ。宿帳に 私はお湯につか 0 たまま目を閉じて、いまの女はより 、つこう 幾つぐらい年若いだろうと、背中や肩の慨好、耳の恰好、は、山田さんは年は四十二歳とな 0 ている。この年をし 顔つきなどを思い浮かべ、はて誰だったろう、いや、人違て、お風呂のシャワーの下に女を集めて軽々しくはしゃい いしてやがるんだ、と考えておりました。でも、人違いさでいた。 ごうよら 「ガマ連れのキャラで、あんまり快活なのは、心中するお れたんだとすれば業腹だから、私はお湯からさっと出て、 ろくに体も拭かないで、湯あがりを着て帳場に帰りましそれがあるからな、気をつけなくっちゃいけねえ。塞いで るやつは、きっと三角関係だ。」 中番にそう言って、私はその日に中番の取った一日ぶん 私、裸の女に腕を抓られたのはそのとき初めてなんで、 ましてんや「どうせ、あたいは熱いの」なんて、気を持の客の所書きを集めて自分の部屋にさがりました。実は、 たせるようなことを言われると、満更でもない気持でし山田さんの書いた宿帳の筆跡を見て、どのくらい人間が出 た。人違いされたとすれば、しかし、悪意があってのこと来ているか筆跡で鑑定してやろうと思ったのです。連れの でもあるまいし、腹を立てるにも当らない。全く ( グイ玉女が私を抓ったので、すこし私は逆上せ加減になって、も やきもち であった。私は二の腕をまくって、抓られた跡が、もっとう山田さんに焼餅やく気になっていたのだね。 、と思ったりしたことでし でも、筆跡鑑定なんて私に出来るものではない。じっと はっきり赤くなっていればいし 山田さんの筆跡を見ておりますと、ともすれば裸の女の肩 みみたぼ 私、この年をして、やつばり好色家という部類なんでごや耳朶が目にちらっきます。筆跡鑑定では、私の若いころ 館 ざいます。中番を呼んで、それとなく持ちかけて、山田さ木島金吉と言って練達な男がいましたが、これは四十年も んというお客のことを喋らせました。中番が宿帳をとると宿屋の番頭をやって来た人で、宿帳をひとめ見て、これは 前 きには、山田さんは自分の万年筆で書いた。連れの女の名嘘の住所、これは変名だということを立派に見やぶった。 前や年齢を書くときには、いちいち女に言わせながら山田職業の記入の嘘もすぐ見やぶったね。あるとき、堂々たる ふうさい さんが書いた。・ ( ッタは女中にはヤリ ( 千円 ) であ 0 た。風采の泊り客を一文なしだと見やぶ 0 て断わ 0 たので、交 中番にはノーエン ( 五百円 ) であった。蒲団は四つ窮屈に番に訴えられ、結局、その紳士は一文もない財布を巡査の ) 0 」 0 しやペ まんざら ふさ

4. 現代日本の文学 21 井伏鱒二集

114 母屋の障子は明けひろげてあった。部屋の仕切りもすつ手ぶらで帰ってはいけないではないかというようにも見え こ。しかしこの取込みごとの場合、私は請求書も出しかね かりとりのそけられ、広くした部屋のなかには紋つきを着ナ ぬりん かぎ むりよ た男女が無慮五十人ばかり鉤の手に坐り、それぞれ塗膳をて鶴屋幽蔵に型通りおくやみの挨拶をした。コマッさんも 前にして食事中であった。これは悪いところへ来たと思っ同じようなおくやみの挨拶をした。そのとき廊下に鶴屋幽 て私が立ちどまると、コマッさんも立ちどまって、この家蔵とよく似た顔つきのモー = ング姿の男が現われて、 ささや ではどうやら取込みごとがあるようだと囁いた。しかし若「おい幽蔵、お客さんを座敷の方に御案内しないか。」 といって、なお私たちに向って黙礼した。幽蔵は頭をか い衆は私たちのトランクを持って土間のなかに駈けこん いて私にお辞儀をした。そのお辞儀の意味を私は解しかね やがて土間のなかから、モー = ング姿にア駄をはいた男たが、たくさんの来客に対しても幽蔵のためには座敷にあ が現われた。でっぷり太って眼鏡をかけ頭髪をもじゃもじがって仏前で焼香すべきであった。 座敷にあがると幽蔵の兄貴らしいモーニングの男が挨拶 やにしていた。 けげんそうな顔をしたが、コマッさんがそこに立って微に出た。私はこの男にも型通りおくやみを述べ、そうして とたん 仏間に行って仏壇の前に坐り、どの修牌を拝むともなく、 笑しているのを見ると、途端に顔を赤くした。 「これは驚いちゃったなあ。へえ、これは驚いちゃった。」要するに手を合せてお辞儀をした。コマッさんも私のした 彼は実際に驚いた様子で、しかもとりの・ほせていた。コ通りおくやみを述べ、仏壇の前に行って合掌礼拝していた マッさんに向ってお辞儀をしかけたと思うと私にお辞儀をが、香をたいて鐘を一一つ三つ鳴らしてから立ちあがった。 して、それからまたコマッさんにお辞儀をした。そして彼彼女の目には意外にも涙がたまっていた。 むりやり は早口に彼がモーニングを着ているわけや、モー = ングが私たちは無理矢理、五十名あまりの客人の上席に坐らさ ぬりぜん ゅばにんじん こうやどうふ びったりと身につかないわけをしゃべりだした。一昨日、れ、高野豆腐や湯葉や人蔘などに味をつけた料理を、塗膳 彼の祖父が亡くなったので、いま葬式を終ったばかりのとで御馳走になった。食事中はみんな黙って食べていたの ころだが、家兄のモーニングを借用しているので寸法がすで、私も黙って食べ、食事が終ると汽車の時間の都合があ しんせき るという名目で帰って来た。家族一同、そのほか親戚の人 こし大きすぎるというのである。 きび コマッさんは私に目くばせした。それはア。 ( ート代を厳たちまで総出になって、石崖の上から私たちを見送ってく おうかん しく請求してやれというようにも見え、にせ 0 かく来てれた。私は石崖の下の坂みちを下るとき、・往還まで見送 0

5. 現代日本の文学 21 井伏鱒二集

団体の風義の悪いところを煮詰めたような澱を持ってい を買って、表に自分の住所姓名を書ぎ、それを団体の何人 る。満身にその澱を漂わせている。それと学校の格を照し かに一枚ずつ配って、その人たちに郷里に帰ったら旅行中 合せながら、搾って何か目に見えない或るものを沈澱させの感想を書いてポストに入れてくれと頼む。すると、なか ふざけ て行くと、門限を破った学生は小粋なカフェにいるか、だ には巫山戯たことを書いて来るのもいるが、たいていの者 ふみ らだらッとしたトリス・ ーにいるか、それとも女郎屋のが楽しい旅行であったと万年さんに感謝する文を書いて来 ようなところにいるか大体の想像がつく。それに、田舎かる。ときには旅館の女中への不満、食べものに手落ちのあ ら出て来て西も東もわからねえ若者なら、上野の駅前旅館ったことなんか書いて来る。ごく最近では、中学生の回答 街を中心としてみると、行動する範囲や方角など大体のとのなかに、 ころわかって来る。万年さんがそう申します。 「元旅館の背の高い女中さんは、私が洗面所でを洗 っていると、きたないものを洗面器のなかで洗ってはいけ その後また一度、同時に六人の高校生が門限を破ったこ とがございました。階下の座敷に泊っていた関西の学生でないと怒って、私の頭を指で弾きました。うちに帰って母 した。そのとき、二階に九州の学生が泊っていて、万年さに言いますと、お前が悪かったのだと叱られました。」 んはその添乗員として付添っていましたが、受持が違って そんなのがあったと申します。 は見透しが駄目なのか、さすがの万年さんも規則違反者を私、かねがね女中たちに、生徒にどんな失策があったっ 見つけることが出来なかった。その六人の高校生は、私どて、引率の先生の前では決して叱ってはいけないと注意し もの意表に出て、新宿の赤線区域で酒を飲んだ上、与太者ているのでございます。先生は自分では生徒をよく叱る けんか と喧嘩したということで、そのうちの二人が非道い怪我をが、自分の生徒を旅館の者が叱ると非常に不快な気を起し して自動車で連れられて帰りました。外科医を呼ぶやら接ます。旅館の者として、慎しむべき重大なことの一つはこ 館 れでございます。左様、良心的な先生なら、自分の女房が 骨医を呼ぶやら、夜ふけていたのに大変な騒ぎでした。 とにかく万年さんという人物は、私どもには上得意の添下男に怒鳴りつけられたとぎぐらいの不快を感じます。 前 たしかに、背の高い女中は不謹慎である。指で生徒の頭 駅乗員だ。無論、旅行社の方で、特約みたいにこの人を差向 けてよこすんでございますが、万年さんのように団体客のの、どの辺を弾いたかしらないが、背の高い女中にそんな い。たと手癖があろうとは思いもよりませんでした。私、その女中 取扱いについてこんなに職業熱心な添乗員は珍し えば、お客が御祝儀をくれると、万年さんはその金で葉書を帳場へ呼びまして、 おり ちんでん

6. 現代日本の文学 21 井伏鱒二集

160 へ行かんのですが、前を通りすがりにお神さんに伝令を頼この店を出るのだ」と連れ出すと、彼はふらふらついて来 まれました」と言い、彼は自転車にとび乗って行ってしまた。 っこ 0 私は彼を本署に連行しようかと思ったが、国家非常時の いしゆく デレ助というのは西分の腕力の強い男で、酒乱家として際に小さな事にこだわると却って民心を萎縮さすものと考 なぐ 有名である。先日も、通りすがりの他国者を擲ったとか突えて、私の事務所へ連れて来た。その途中、彼は幾度とな はいけん いたとかいう話だが、とにかく私は佩剣をつけ自転車に乗く路傍に放尿して私の気を損じたが、また一方、彼が確か って大黒屋へ駈けつけた。 に悪い病気を出しているらしく私は寒心させられた。 しり デレ助は尻まくりをして土間の椅子に大あぐらをかき、 デレ助を事務所の裏の井戸端へ連れて行って頭に水をか ふんどしこかん かかあ きたない褌や股間をわざと露出させ大きな声を張りあげてけていると、デレ助の嬶がやって来て私を物かげに連れて じづき いた。私はどうも酒のみの焦げつくような吐息を好かない 行き「あのな、旦那はん。私は飛行場の地搗に行っとった そば が、傍に行って「やあ、デレ助君、また酒か。酒の騒ぎとんやけど、青年訓練生が知らしてくれはったので仕事場を とが いうと必ずお前や」と咎めると、彼は目を半眼に開いて私抜出して来ましたのや。あのな旦那はん、いま大黒屋の方 にら の顔を睨みつけ、「旦那ですかい、まあ聞いてくだはれ。は私が払いましたのやけど、あの大酒飲みは一一日か三日、 一体ここのお神は生意気や。酒代は後から払うと言うと、豚箱へ頼みますわ。いま帰らして貰うと、またやりますの いま払えとぬかしよる。それで、どうでもさらせえと言うで、今度はちょっと懲りさしてくだはれ」と気丈なことを たら、旦那を呼んだのや」と言う。机の上には徳利が十何言いだした。「そうかい、それじゃあそういうことにしと 本も転がったり立ったり雑然として、そのうちの一つは割 こう。花見どきは、とかく地金も病気も出るによってな さかなやきどうふ れていた。肴は焼豆腐をつついてある。「ようけ飲ましたあ」と私はまたデレ助を・ハスで本署に送り届けた。 もんやなあ」とお神に言うと「へい、一升の上もあけて金後で大黒屋に行ってみると、勘定は確かにデレ助の嬶が を払わぬのやけに頼みますわ」と言う。「あまり飲ますと、払ったと大黒屋の十五になる女の子が言った。この女の子 はず 駄目やないか。デレ助君の文無しは、わかっとる筈ゃない と六つと五つになるのが行儀よく坐り、子供同士で飯をく か、それに酒癖が悪いのやから、気をつけえ」と言って、 っていた。目ざしを焼いてといっしょにつるつると呑 そしやく それから「ヨッコラサ」とデレ助の腕をとると「旦那、まみこんでいる。・ヘつに咀嚼する様子も見えないが、咽喉を た豚箱ゆきか」と確かな口をきいた。「そうだ、とにかく怪我しそうな風もないのが不思議であった。 こ みちばた こ じがね かえ

7. 現代日本の文学 21 井伏鱒二集

がするので起きて出た。見ると飲んべえの作さんところの前はん、すこしもきかんじゃもん」と言った。「まあ、え おかみさんが この女は栄養不良で青んぶくれの三十七え。もう得んで寝なはれ」と温帯さんが言ったので、飲ん 八の女だが、六つくらいの目の大きな女の子の手をひいてべえ夫婦は帰って行った。 ちのみご 乳呑児を負ぶり「うちの飲んべえが、また酔うて、海苔で飲ん・ヘえは実に小心な男だが、酒が好きで女が好きで仕 きら 五円儲けた金で遊廓へ行くと言うて、いま隣の役場の電話事が嫌いなのである。家には何の家具もなく、商売は魚屋 きたな を借りとりますけん、旦那はん曜って下され。あの五円つをしているが穢いのでちっとも売れず、このごろでは仲仕 かせ かわれたら、みんな食わんとおらにゃなりませんのや」とをしたり海苔の運搬人をしたりして酒手を稼いでいる。 ねまき 言う。「よし、行ったろう」と寝間着のまま隣の役場へ行 一月九日 ってみると、はたして飲ん・ヘえの作さんが土間に立ってい んか て、宿直の温帯さんが電話をかけようとして帳面をくって今日は妙な喧嘩があった。床屋の前に人だかりがしてい いた。「温帯さん、電話をかけるの待った。これが、いまるので行って見ると、青物の運搬人と年とった百姓が争っ から遊びに行こうとするのやから、やってはいかんのじていた。 はんてんももびき や」と言うと、温帯さんは「そうですか、飲んべえさんは運搬人は片目で、片足も不自由な男である。半纏に股引 うそ としかっこう てぬぐい 、、。をはいた背のひくい三十くらいの年恰好で、きたない手拭 子供が病気で医者むかえに行くと言うたが、嘘です力し 飲んべえさん、またかいな、あきまへんな」と言うと、酔で頬かむりをしていたが、この男は青物仲買人の手下で町 だいはちぐるま って真赤になっていた飲んべえは、私の方を見て目を見張の市場へ青果を運ぶのが商売である。大八車に大根が山と った。「飲んべえ君、家内や子供のことを考えなあかんよ。積んであった。 それに、もうおそいんだし、帰って寝なさい」と言うと年よりの百姓は野良着で、車の手木を招んで争ってい 村「へい こいっ旦那に頼みに行きましたかい。困るなあ」た。事情をたずねると「この片輪に籠を貸したが返さんの と言って頭をかいた。「おかみさんは、一家のため君の身で、いまこの車にあるのがそうだけん、返してくれと言う ふかざけ 多のためを思うとるのや。深酒は毒ですけんなあ」と言うとたが返さんのじゃもん。儂も明日は市場に行くのに籠がい にら 「そんなら、もう寝ます」と言ったが、おかみさんを睨みるけんど、このやつに貸したが最後のすけ、戻りがないん つけ「お前、つまらんこと言うて、旦那に迷惑かけるもんで」と言う。運搬人にきくと「返さんとは言わんが、いま じゃない」と言った。おかみさんは「私が言うたとて、お大根を積んどるけに、後から持ってくと言うたとて、きか まっか かたわ か・こ さかて か・こ

8. 現代日本の文学 21 井伏鱒二集

早く紙幣を入れ、 人や番頭なんかの立場でロをきいてはぶち毀しだ。 いっか柊元旅館の常連客の与田さんが、宿屋の番頭たる「ねえあなた、何と書いたらいいかしら。そうね、罷業の べきものは、ヒ、ーマ = ズムとやらで女中を扱わなくっち応援だから、陣中見舞と書いて。あなた、お願いします ゃいけないんだ。しかしヒ、ーマニズムというやつは、現わ。」 おっしゃ 代ではもう種切れになってしまった。与田さんはそう仰有と、万年筆と一緒に私に持たしたので、「陣中見舞、御 ってましたが、こちらはそんなものは知らねえから、雇主一同様へ、辰巳屋より」と丁寧に書いてやりました。 「では、俺も包むから、祝儀袋、もう一つあるかね。お前 に刃向う女中のお喋りを聞くときなんか、そいつの逆上が おさまるまで尤もらしく黙って聞いている。これが自分のさんの半分ぐらいも包んだらいいだろう。」 いつもの遣り口だ。しかし今は、できることなら話を避け「駄目よ、そんなことすると、ビールなんか持って来るか ら、遅くなるわ。飲むところで飲まなくっちゃ、つまんな るのが上策だと思いました。 私たちの案内された部屋は、鰻の寝床のように長い部屋いわ。ねえあなた、こんな場所で言うのは何だけれど、ほ で、無理に詰めれば女中の三十人ぐらい寝られる広さでんとに不思議な縁ね。」 す。左右両側に押入の板戸が連なって、その板戸の上段に辰巳屋は感じを出しているのではないかと思われまし もずっと天袋がつづいている。南側に明り窓、北側が硝子た。そこへ、 = キという女中がおし・ほりを持って来て、つ 戸のついた出入口で、そこから庭下駄で泉水のほとりまでづいて若い女中がお茶を持 0 て来ました。つづいて年増女 行ける。部屋のなかはほの暗いので、お昼前だというのに中がビールを持 0 て来る。私はアル 0 ールぶんが駄目だと 嘘をついて、女たちがお喋りをはじめる先に、 一つ電燈がつけてありました。 = キという女中は、電燈の下に座蒲団をきちんと二つ並「ちょ 0 と泉水の鯉を見て来るからね、話がすんだら呼ん でくれ。」 館べまして、 と、辰巳屋に言って部屋から出て行きました。 旅「このごろは、私たち交替で三人ずつ、ここに宿直してい ここの女中部屋は、外から見ると長ッ細い物置のような 駅るんです。不断は、十三人ここに泊ります。只今、おしぼ 体裁でした。この建物の出入口は、物干場代用になってい りをお持ち致します。」 の塀と、本 る小庭を中心に、細長い泉水と、コンクリート そう言って、私たちが引留めるのに出て行きました。 辰巳屋は ( ンド・ ( ッグのなかから祝儀袋を取出して、手館の建物とで取囲まれ、女中たちがこ 0 そりと夜遊びに行 しやペ

9. 現代日本の文学 21 井伏鱒二集

292 真顔でもって言うのです。 してもいいような気持にさせられて、 見合を勧められて悪い気持のするものではない。しか「俺も、絽の羽織を着るころ見合をしてみるかね。無論、 し、厄年で仲人をすると凶が変じて吉になるなんて出まかお前さんも一緒に来てくれるんだろう。」 せかもわからない。 と、わけなく承知してしまいました。 「厄年の男というのは、運のついて廻らねえ男のことだろ 元来、この水無瀬ホテルの高沢は私と仲よしですが、商 う。つまり貧乏神と同じことだ。そんな野郎の仲人じゃ、売の上では私の敵で、こいつは旅館の「呼込」にかけて こうむ ろくなことはねえ。まあ御免を蒙るよ。」 は、昔から私よりも役者が一枚も二枚も上でした。高沢は 「今年、と同年の厄年男の卦は、易学で言えば、こうい 声も浪花節語りのように太いし、ロから出まかせもうまい っこう う慨好の卦になるんだ。」 ので、泊る気のある客は吸いつけられるように呼込まれて 高沢は、こんな一 = 三という卦を書いて見せまして、 しまいます。それには長い間の年季がはいっていますか 「これは山沢損という卦だ。損は減ゑける、少くするら、結婚の仲人口なんかこの男には朝飯前の仕事です。斟 意味であって、益の反対である。猥りに欲を出してはいけ酌なく弁才をもって身をもって当るというのですから、私 ない年だ。利潤を損しながら正しきを守っているべきだ。 のように役者が一枚も二枚も下の者は陥落させられてしま かかわ しかしながら、利潤と関りなき事項には、弁才をもって、 います。 しんしやく 斟酌なく、身をもって当れと易の本に言ってある。すなわ高沢の「呼込」の声は、私、今でも夢に見ることがござ ち利潤と関りなき事項とは、客を室に招くこと、結婚の仲 います。それが何故ならばというわけは、私ども番頭商売 ます 人をすること、思いを新たにすべく居を転ずること、暗がの者は、昔は呼込が拙くっては仲間の間で頭があがらない りに遺失物を捜すことなどである。ことに、仲人となる場ばかりでなく、まかりまちがったら食いはぐれでございま 合には、媒酌されたる花嫁の邪気虚損して、下部の悪熱屏す。私と高沢は友達ですが、商売の上では競争相手のライ そく 息す。すなわち、三陰を慎ましやかに中にして、一陽を花・ハルというやつでございます。私には高沢が目の上のこぶ かんぼく 冠となし、二陽をば堅固なる台座となす。地天泰の、簡朴でした。そこに私の何とも言えない辛さがあるわけです なる三陰三陽の配合に比し、紆余曲折はあれども味わい深が、何の商売にもこれに似た辛さがあるんではないかと思 き象である・ : ・ : 」 います。つい最近も、毎日新聞社の幹部であったお客さん べらべらと立板に水のように喋るので、つい私、見合をから伺ったことですが、このお客さん、新聞社をお止しに しやペ みた よびこみ

10. 現代日本の文学 21 井伏鱒二集

てづま つけて下さったときからです。まるで手妻みたいでした。」 にどんな素振を見せたことか、事こまかに覚えておるんで は、どうせろくな人間じゃあねえ。言っとくが、 ございます。尤も、男女の濡れ場としては何の見るべきも お前なんかも俺を信用したら、とんでもない大損することのもございません。相手は子供同然の豆女中、私も極道者 しろうと の常として、素人女や女中には、ちょっかいを出さないた になるんだいそれでもお前、俺を信用するのかね。」 しよしん すると於菊のやっ、忙しく息を吸いこんで、またこっくちなんで、於菊の初心な振舞には放任主義でもって対処す りして見せるんだ。これでもう、私ども二人の語らいは簡ることにしておりました。 単に一段落ついたわけなんだが、何しろ相手は背丈だけが 一般に人間、・ との道にかけても器用と不器用の差がござ 一人前で顔はまだ子供みたい。いくら見なおしても子供み いますが、於菊は花柳界に育った女として、男にかしずく たいだね。 技が零に近いほど不器用でございました。まるでこの女、 「お前、ほんとの年、幾つだね。正直、言ってごらん」と骨法を知らねえといった組なんだ。ところが於菊のやっ、 申しますと、 ふと気がついたように、 さんべき 「あたし、一白の十七です。一白の者は、三碧の人と相性「あら、ここに綿毛が。」 が吉なんです 0 て。それから、三碧の人は、一白の者と大と言 0 て、そ 0 と私の肩に手を伸ばしまして、優にやさ 吉なんですって、旦那は三碧でしたわね。」 しい手つきで塵を取る真似をして見せました。そう致しま 「ややっこしいこと知 0 てるよ。お前、神宮館の暦か何かして、ほ 0 としたように私を見て、嬉しそうに首をうなだ で調べたろう。」 れるんでございます。 「あたし、うちの番頭さんに調べて頂きました。姐さんに なるほど、こんなに内気で、こんなに不器用な女には、 ようや も調べてもらいました。相性というのは、気休めじゃない そんなことでも嬉しいんでございましよう。私、漸くそれ すき んですってね。」 と気がついたんで、於菊がお銚子を取りに立った隙に、も 私、このときのことは、糸をたぐるように記憶をたどるう一度私の肩に触るきっかけをつくってやる工夫をめぐら ことが出来るんでございます。田様から小切手をお預りししました。しかし、果して私の肩に綿毛がついていたかど ていましたせいか、また北海道へ使者にたっ決心していた うか。ついていなかったかもわからない。では次に、綿毛 のうみそ せいか、とにかく気が張ってた夜のことなんで脳味噌に万をつけておいてやる必要がある。もし、さっき綿毛がつい どじよう 事よく染みこんだのでございますね。そのとき、於菊が私ていたとすれば、私が田様の前で鰌すくいを踊ったとき、 いつまく ねえ もっと ごみ ちょうし