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検索対象: 現代日本の文学 21 井伏鱒二集
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1. 現代日本の文学 21 井伏鱒二集

ささいけが やかま ってから六件も小さい水争いがあり、些細の怪我人もあっ が喧しいときに、一軒の不作はそれだけ国が衰えるちゅう たということです。いまに貝田村の二の舞が起らぬとも限こってに、助けたい助かりたいというのが本当やが、理窟 らぬではないか。今度お集まりの人々は、村の中心勢力でと実際は違うのでがしてからに、おのれの田を不入りにし あり、熱心に村のためを思う人たちばかりだと思う。微カてまで他人を助けたいと言う者は一人もないのでがして、 な私の招ぎにお集まり下さったのは、たしかに村のためを困ったものでぐわす。対策として、私の田の方は水が充分 思っていなさるからだと思う。私は堅くそう信ずるが、どにあるし、村には発動機が二台あるのでぐわして、私の田 うかお願いしますから、用水をどうしたらよいかという問の水溜用水から二台の発動機で村の人が共同で、いま水の みャげんか 題と、如何にすれば水喧嘩をなくすることが出来るかといない東分の方に水を送ってあげたいと思いまん」と言葉を うことについて、皆さんの忌憚のない意見をぎかして下さ切った。東分の人たちはロぐちに「利吉はん、すまんこっ ちゃ、すまんこっちゃ、そいで助かりまん」とざわめいて、 私が言い終ると、みんな拍手をした。私は村会議員の宮なかには利吉さんに向って手を合せ「すまんこっちゃ、す 田氏に「どうか宮田さん、議長になって下され」と頼んでまんこっちゃ」というものもあった。利吉さんは得意そう 議長になってもらった。 な顔で座についた。 宮田さんが立って来て机につくと、いきなり利吉さんが私は「議長」と言った。議長が「はい、甲田はん」と発 ・きよう 「議長」と言って立ちあがった。「利吉さん、どうか発言し言を許したので、私は立って「いまの利吉さんの義侠に、 せんえっ ちゅうしん なされ」と議長がいうと「はい、お許しを得まして僣越な私は衷心から感謝します。利吉さんの英断によって海辺ち がら申し上げます」と利吉さんは一座の人に敬礼して「い かくの東分一帯の地は雨が来るまで助かったのやけんど、 ま甲田はんの言わるる通り刻下の急務は用水のことだす。山際の南分の方は水があるからよいとして、水のない北分 村 ( このとき私が「皆はん、驫草をのみなはれ」というと、 の方がまだ解決していないと思いますけに、どうか利吉さ 古 たいていの人が煙草をとり出して第いはじめた。 ) 実に急んのように自己を空しゅうして、その対策を考えて下さ 多務は用水のことだすが、甲田さんが村を思い国を思うの気れ」といって座についた。 持はよくわかりましたので、老人はどうも涙もろいものだ西分の山際の連中は互に左右の人と相談を始め、青年が して、よい駐在が来たものや、これならまだ村は安泰やろ老人のそばに立って行ったり別の老人のそばに話を伝えに しばら うちゅう気もしましたけに、もともと資源愛護ちゅうこと行ったりした。彼等は暫く真剣に内輪同士の打ちあわせを

2. 現代日本の文学 21 井伏鱒二集

長が「火器の携帯は禁じてあります」と言ったので、老人そして署長は、島の波止場の方を指差して「あそこの入 はもとのところに持って行った。 口に、溺死体が浮いていました」と言った。船はその波止 青シャツの刑事は見張役として、ひとり帆掛船の上に残場の先をかすめて港にはいって行き、戦争中の空襲で赤腹 かんづめるい されることにな「た。食物はパンと鑵詰類に水筒を添えてを見せている廃船を迂回して桟橋に着いた。中田老人の村 署長が持「て来ていたが、老人は弁当の夕食の分と水筒をの桟橋と違 0 て規模が大きく出来ている。この桟橋の付根 刑事のために残して来た。 のところに休業中の工場の建物が見え、その背後にも左右 帰りの船は、中田老人が自ら買って出て操縦した。船が にもごちやごちゃと、家並がつづいていた。土生 ( 仮名 ) 動きだすと、署長は船室にはいって来て、いきなり私にという港町である。 「因ノ島にも、やはり島の情緒というものがあります。あ「さあ、着きました。御案内いたします。」 くどい情緒というのでもないですが、島らしい情緒です」 署長は私に下船を促した。中田老人は「今日は、ゆっく と言 0 た。そして彼は操縦室にはい 0 て行くと、何ごとかり御馳走にな 0 て、疲れを休めてから、明日の朝、私のう 中田老人にく耳うちをして引返して来た。 ちに戻っておいで下さい。私は直航して帰ります。魚が腐 「いま、老先生にも御了解を得て来ましたが、いかがでしりますからな。では、ごゆっくり」と言った。それで私 あなた よう、おっきあい下さいませんか」と署長は言った。「今は、いわゆる貴方まかせの気になって桟橋にあがった。 タは、一つ自分たちの島の、港町の情緒を味わって頂けま 署長は制服のままで、「きよし」という店看板の家に私 せんか。さっき言ったような、島の情緒です。」 を連れて行った。前もって電話で交渉してあったものに違 私は意外な気持で「情緒を味わうというのは、酒を飲む 、ない。署長は私を二階座敷に残して出て行ったが、その ことですか」と問い返した。署長は苦労人らしく屈託なさ家の女中はお茶を持って来た。それから湯あがりを持って 島そうに大笑いして、 来て「お風呂に御案内いたします」と言った。風呂場に行 「では、御案内しましよう。酒がなくて情緒を味わうなんくと「お加減はいかがです」と外から声をかけてくれた。 因 ていうのは、二十代の青年のことでしよう。あなたがたのすこし鄭重すぎるようで、ちょ 0 と薄気味わるいような気 お年では、酒、すなわち情緒と規定している人が多いよう持になって米た。これも中田老人の声望の余波かもしれ せいそうへ ないと思うことにして、そう思うことで私は薄気味わるさ ですね。情緒、すなわち酒。簡単なようで、星霜を経てい しゅろちく る言葉ですね。」 を打ち消そうと努めた。風呂場の窓から内庭の棕櫚竹の植 せき こん

3. 現代日本の文学 21 井伏鱒二集

0 ていた。署長は官服をぎて白いズックのをはぎ、そのかりで見えていた。中田老人は窓に凭りかか 0 て眠 0 てい ながそで 連れの男は青い長袖のシャツをきて白い水泳帽をかぶってた。私はモーターの音が耳について、眠ることも出来ない はとん がんじよう いた。署長と殆ど同年ぐらいに見える四十歳前後の、頑丈ので窓の外に目を向けていた。 な、しかし背の低い男であった。その青シャツの男は中田 船が岬のたもとに近づくと、モーターの音が低くなっ あいさっ 老人に「御苦労さんです」と挨拶した。私には名刺をくれた。署長が船室にはいって来て、中田老人をゆり起した。 とりもの て、「便乗させて頂きます。どうぞよろしく」と挨拶した。 「老先生、おやすみですか。そろそろ捕物が始まりそうで 名刺の肩書は、桟橋の青い灯で見ると、因ノ島警察署の刑す。」 事となっていた。そこへ中田老人の後つぎの奥さんが、弁「いや、私は眠ってはおりませぬ。」老人は眠そうな声で すいとう たけかご 当や水筒や果物などを入れた竹籠を運んで来て、桟橋につ 言った。「そうですとも、海に出たからは、もう秘密にな けてあるモーター船のなかに入れた。 さる必要はありますまい。相手は小船ですか。官民協力し つりび 「今日は、朝ぐもりに夜が明けるでしような。絶好の釣日ますかな。」 和です。」 「御老体は、この船室からお出にならないようにお願いし 老人は誰にともっかずそう言って船に乗りこんだ。私はます。大きな声がしても、大きな音がしても、野暮なもん その後につづいた。船室は暗かったが手さぐりで見ると、 だなあと、思う程度にお願いします。」 ざぶとん 木製の腰掛を取りつけて座蒲団を敷いてあるのがわかっ 署長がこんなに冷静に見える言いまわしをしてみせるの た。私は直ぐ暗がりに目が慣れた。署長は船室を通りぬけは、むしろ興奮しているためであろうと私は解釈した。 へさき いしがけ て、舳先の方に出て行った。青シャツの刑事は操縦室には モーターの音がとまると、船は潮に流されて石崖の根に かす みすさお すきま いった。船が桟橋を離れると、徴かな明りが桟橋だけを闇寄って行った。青シャツの刑事は水竿の先で石崖の隙間を に・ほんやり浮き出させ、そこに残っている石護婦たちが船捜しあて、よく支えて船の流れるのを防ぎとめた。この岬 を見送っているのが見えた。すこし沖に出て行ってから、 のたもとの石崖の根にかくれていて、相手の船が姿を現 人家の窓あかりがそこかしこに見えるようになった。 わしたら、一気に突進しようというのである。風がなくて 船はまっ直ぐに南に向けて進んでいたが、ふと思いつい凪いでいた。 みさき たように針路を変えた。大体において島の南の端の岬を目「一。よ、 。しいかがです、元気づけに」と老人が署長に言っ り・ルか′、 ぎんじよう 標に進んでいるように思われた。その岬や岡の輪郭が星あた。「水筒に入れてあります。一郎さんのところの吟醸で

4. 現代日本の文学 21 井伏鱒二集

べしですな。」 老人はそういう高飛車な法螺をふいた。 明日の釣は止した方がいいように思われた。 私は明日は釣を遠慮してもいいと言おうとしかけたが、 「では、明日は船を、署長に一さい提供した方がよかあり 署長が私より先に言った。 っしょに行ったって、海の上を走りまわるだ 「では、まことに申しかねますが、明日、自分に便乗させませんか。い て頂けないでしようか。その代り、モ 1 ター船の腕っこきけのことでしよう。」 の運転手を連れて参ります。そう致しますと、老先生は釣「いや、海賊船をつかまえるのですぞ。スリルというのを はふ 一式で、運転なさる手数をお省きになれましよう。そうい味わえます。いや、そう言っては語弊がありますな。闇船 うところで、一つ、いかがで御座いましよう。」 の逮捕に、民間人が協力する、そういうわけであります 「おう、そりや面白い。それはよいところへ、お気づきでが。むろん私ども結局はスリルというのを満ルさせられま すな。」 すな。」 そこで老人と署長は、お互に不自然と思われる大きな声私はもう異論を出さないことにした。 椴とん ぎよたく で高笑いした。そうして後は、殆ど事務的な対談で明日出老人は、魚拓をどっさり出して来て見せた。そしてこの 発の時刻を打ちあわせた。夜明け前に出発の約東で、すこ島の付近の釣場や網代について話したが、あまりにもそれ くわ しは雨が降っても風波が高くても、必ず出発ということでが詳しすぎて私は退屈した。要するに、この島のぐるりの しろうと あった。 海は瀬が速いので、とうてい手押し櫓の船では素人の私た 署長が帰ってから、私は家族のひとりびとりに紹介さちの手に合うものでない。モ 1 タ 1 船に限るということで ゆかた れ、それから二階の座敷に案内された。私が浴衣にきかえあった。私たちの乗って出るモーター船は、近所の島々の てくつろぐと、中田老人は「ところで、いまのお芝居です病人を往診するために中田医院に常備されている。これま 島が」という前置きで言った。 でに老人は、二台もモーター船を乗りつぶしたそうであ やみぶね ノ「あの署長さん、明日は闇船をつかまえるつもりです。きる。 あか ふろ っと、よその署から電話をかけて来たのですな。それを明私は風呂を浴び、夕食をすませると、明日の早起きがあ 因 らさまに言えないので、苦労の汗をかいておった。私がそるために直ぐ寝床にはいった。 れを知っておることは、先方でも知っておって、それでも翌朝、まだ暗いうちに老人と私は懐中電燈で道を照らし 知らぬ顔をしておる。警察官たるものは、まさにかくあるながら、看護婦に送られて桟橋に出た。もう署長が来て待 あじろ さんばし

5. 現代日本の文学 21 井伏鱒二集

なくて、別なのを使ったらどうかと思っております。」 た。夕方ちかくなってから、署長がモーター船でひとり引 「では、戦時中から言われてた自粛という言葉なんかも、返して来た。はじめ船頭たちを乗せて本署に連れて行く途 権威がないわけですね。」 中、溺死体が流れていたのを見つけたので、それを収容し 「いやあ、自粛は道徳的なことですから、別にまた、言葉ていて手間どったというのである。 の響きかたが : : : 」ふと刑事はロをつぐんだが「ヤツ、賭「さっきの、若い方の船頭が、献身的に手伝ってくれまし ばくせん 博船かな」と言ってズボンの隠しから双眼鏡をとり出し た。」幾分か興奮しているように、署長が中田老人に言っ ゅげじま た。見ると一艘の船が、直ぐ向うの弓削島という緑色の島た。「なにしろ、溺死体が身ごもっておる若い女でして、 の近くに浮かんでいた。しかし刑事は双眼鏡の度を調節しそれが赤いドレスをきておるのです。若い方の船頭がシャ ながら「いやあ、違いました」と言った。最近この付近のツを脱ぎまして、それを溺死体にかぶせて、シャツでもっ ばくち けんし 上には、釣船と見せかけて船のなかで博打をうつものがて包むようにしてから抱きあげてくれました。検屍は、老 いるそうである。刑事は「その手合が相当に出没します」先生がおいでにならないので、隣村の村医にお願いしまし と一一 = ロった。 た。老先生に、その点を御了解ねがいます。」 太陽が弓削島の山の上に現われてから、私たちは弁当を「そりや結構です。私は、島流しに遭っておったも同じこ あけて朝飯をたべた。はじめ中田老人の提案では、早いととなんで、了解するしないは問題でないですな。それで、 ころセイゴ五六枚あげ、船頭の焜炉を借りてそれを塩焼きしかばねをモーター船に乗せたんでしような。」 にして食べようというのであった。しかし私たちは、船頭「乗せました」と署長が言った。「それも御了解ねがいま の焜炉を無断で使う必要がなかった。朝飯までの釣の成績す。しかし、死体を置いた場所は水で洗ってよく消毒して は、老人のペラ二枚に対して私は当歳の黒鯛一枚であつおきました。いろんなことで遅くなりました。」 中田老人は青シャツの刑事に手伝ってもらって、船頭の 潮順は十時頃が絶頂で、お昼ごろまでは可なりよく釣れお釜のなかの御飯で握りめしをつく 0 た。これは本署へ収 た。青シャツの刑事が「ぎっと、こっそり撒餌をされたん容された船頭たちに届けてやるためである。「事件が混み でしよう。それにしても、好調ですなあ」と驚いたほど釣入っているようですから、二人の取調べには日数がかかり れた。 ましよう」と署長は言っていた。ついでに中田老人は、お とうとう、 = ポシを受取りに来る船は姿を見せなか 0 釜のそばにころが 0 ていた煙とマッチを持 0 て来た。署 こ 0 こんろ

6. 現代日本の文学 21 井伏鱒二集

「なんたる咎だりますか ! 」 工事の人夫達がやったものであろう。 そして突然はげしい涙の発作にかられたのである。夜更総ての整理が終ってしまってからも、朽助は自分の新居 おえっ けの部屋で老人の嗚咽するのを聞くことは、それを聞く人を非難した。 の心を感傷的にさせるものである。私の目からも多少の涙「何じややら落着かんでがす。むし暑いのではなけれど の点滴であった。けれど私は老人の悲歎をいかにして救っも、風通しがありはせん。このようにいなげな家は、冬分 ていいかを考えつくことができなかったので、再び贋の鼾はさそや寒いじやろ。」 をかきはじめてみた。すると相手も嗚咽することを止して彼は幾度となく窓から唾をはいて、いかにも軽蔑したロ 大きな鼾をかいて眠りはじめたのである。 調で言った。 「私らは他人の家へ来たような気がしますがな。こんなっ 引越が終った。私達三人はこまごましたものを持って、 らい目に逢おうとは夢にも思いませなんだ。最前までの家 ふとんふろおけ 蒲団や風呂槽は牛の背中に載せて運んだ。私たちは赤土のの方が私らはなんぼ好きですか ! 今夜はもう一ペんあっ 原つばをたった三人と牛一頭から成立するカラ・ハンをつくちの家で寝起きしたろ。」 って、幾度となく往復したわけである。 彼は事実、夕食がすむと蒲団を一枚えて、夕暮の谷間 ・ほら′ ~ 、い みけん 新築家屋は、六畳と四畳半と広い土間とを主要な部分とへ出て行った。タエトは棒枚に牛をつないで、牛の眉間や していた。間取と材料とは、朽助のこれまでの住いとは違横腹にくらいついているをむしりとっていたが、朽助の あんす わなかった。六畳の窓の外には杏の木を植えて、家の東側外出をとがめようとはしなかった。彼女は自分の仕事に耽 には藁囲いの牛小屋と小便所もあった。ただ古いのと新しって、牛の背中から一びきのをむしりとると、それを靴 いのとが異っていた。六畳の部屋は居間と食堂と寝室と応の裏でふみつぶした。は自らの血潮と土にまみれ、砕け ゃなぎごうり 接間を兼ね、四畳半の部屋は夜具と柳行李を入れる押入でて死んだ。 ようや あり、叱られた幼児が逃げ込んで泣き叫ぶ場所である。 私は漸く障子を賰り終えて、引手に楓の葉を貼りとじて の 助私達は荷物を運んでしまってから、部屋の掃除をした。 いるところであった。私は思った。朽助は七十幾つの年を きれ 朽むしろたたみ 莚畳の上には枇杷や杏の実が散らばって、・フリキの片にしているくせに、ちょっと拗ねてみたところだろう。彼は たばこから いまに帰って来るにちがいない。 は莨の殻が棄ててあった。そして木炭でもって、壁に幾つ けれど私の想像は違っていた。夜になって、タエトが夜 かの落書がしてあった。それには註釈まで加えてあった。 わらがこ かえで けいべっ

7. 現代日本の文学 21 井伏鱒二集

これなきようつつし おもん 法決して粗末の事無之様相慎み可申事。一つ礼節を重じ自のがあった。廊下を大股に駈けて来たかと思うと障子を手 これなぎよう 他不信用の事無之様いましめてーーここまで読んで行った荒く明け、 そうしん とき、奥の部屋から太った老人が顔の細長い痩身の男とい 「やあ失敬失敬。望岳荘のおやじさん死んじゃったって っしょに現われた。顔の細長い男は突っ立ったまま私を見ね。」 て、自分がこの家の主人だが用事は何かと、そっけない言 一目でこの家の倅だということがわかった。顔の細長い いかたをした。私はすこし気を悪くしたが、腰のひくい商この青年は委任状と紙幣を持っていたが、やはり私の目の 人ならこうもするのであろうかと考えながら、実はお宅の前に突っ立って、勘定もすっかり支払ってくれるつもりか 御子息の下宿されていた望岳荘ア。ハ 1 ト の部屋代滞納のぶ確かに晴れ晴れとしているのであった。 んをいただきに来たと用件を述べた。そしてこの用向きの「失敬失敬、なんとも申しわけない。早く送ろう送ろうと はす ことは、さきほどお目にかけた筈の委任状にも精細に書い思っていたんだがね。なにしろ、だんだん送りにくくなっ ふとん てあるとつけ加えた。するとこの家の主人は私の気を引いて来たんだよ。これ受取ってくれたまえ。僕の蒲団やギタ てみるつもりか、こりや怪しい人が来たぞというかのよう ーは君にくれてやる。」 ふうてい に、じっくり腕組をして私の風態を見つめ倅の借金のこと倅は私がその紙幣を受取って受取証に月日の記入してい なら倅にきかなくてはわからないと言った。私がここが大る間も待ちきれず、望岳荘主人が死んだらイートン倶楽部 マージャン 事なところだと思って相手の誠意をうながそうと念じながの麻雀の最高得点者は誰になったとたずねるのである。 ら、 「よく存じませんですね。」 「それでは御子息の記憶をよび起すように、あなたからそ私が答えると、倅はこの岩国の町にも麻雀倶楽部が二軒 うらやま う仰有ってください。私はここでお待ちしています。」 あると言った。そして彼は帳場の人たちを羨しがらせる たばこ つもりか、東京のイートン倶楽部の内幕についてつくづく 行そう言って私がゆっくり莨をとり出すと、私の目の前に 旅突っ立っていたこの家の主人は、いま倅は家にいるかもし述懐した。 金れないが或いはまたいないかもしれないという意味のこと「あそこの倶楽部は、僕にだけは幾らでもゲーム代を貸し 集っふや を呟いて奥に引返して行った。この様子では可なり待たさたからね。夜の十二時過ぎると、みんなダイスをやったも れることだろうと思って先ず一ぶくと莨に火をつけていたのだ。どんなときだって、その場に五百円以上の金は動い ところ、いきなり奥の部屋から威勢よくけ出して来るもていたからね。ところが望岳荘のおやじさん、ダイスだけ おっしゃ ある あや せがれ おおまた クラ

8. 現代日本の文学 21 井伏鱒二集

391 因 / 島 た。私は中田老人に、今回の釣はもう止して島を離れたい と電話をかけた。

9. 現代日本の文学 21 井伏鱒二集

しゅろなわたいをき ちょうば・こうし どきそうなところに桜の花が咲いていて、風の吹きようにて高く重ねて行った太い棕梠縄の堆積があった。帳場格子 ゅぶね よっては花びらが湯槽のなかにも舞い落ちた。湯槽のふちの向うにはでつぶり太った老人が坐っていて、その左右に に腰をかけて私の裸体に桜の花びらが散りかかるのを待つは前掛をしめた屈強な若者が二人ずつならんでいた。しか おおだらい ていると、先刻の女中が大盥を桜の木の下に持ち出して花し家のなかはいったいにひっそりとして、 せんたく 吹雪を浴びながら洗濯にとりかかった。やはりこの女中「ごめんください。」 と言った私の声は、予期したより数層倍も大きい声であ は、コマッさんの見込通りたいへんなおしゃべりで、話の 糸ぐちをつけてやると、私の集金に行く家の内情などすつった。帳場のものは型通り勇みたって私にお辞儀した。太 った老人は、 かり教えてくれた。その家は金融業を営んでいて、戸主は 軌道会社の重役と製材会社の重役をかねている。夫人には「へい、おいでなさいませ。」 と言った。私は名刺に委任状を添えてそこに置き、 一男一女があったが、一女は女学校を出て、最近この町の んそう 「どなたかお宅のかたにお目にかかりたいと思います。」 町会議員の奔走でお嫁にもらわれて行った。長男は東京の 大学を卒業して、今ではたいていの宴会などに父親の代理そう言って成行きを待った。前掛をしめた男たちは胡散 そんしよく をつとめて出席し、父親にくらべてすこしも遜色がないとくさげに私を見つめ、その一人が私の名刺を太った老人に 取次ぐと、老人はながいことかかって委任状を黙読してい たが、やがて誰冫 こともっかず黙礼して奥に立って行った。 私はお湯から出て、コマッさんがお湯に行っている間に 食事をした。そしてすこしでも実直に見えるように頭の毛私は帳場の人たちから注目のまとになるのがきまり悪か くしな の仮受取証と委任状とをつたので、反撥的に帳場の天井や壁を興味ふかく見るよう を櫛で撫でつけ、望岳荘アパート なふりをした。すると正面の小壁に、古物の額面がかかっ 持って集金に出かけて行った。 私の行く目的の家は、路を通る誰にきいてもよく知ってているのに気がついた。これはおそらくこの家の先祖のも おきて いる有名な家で、大通りをどこまでも行くと、白塗りの土のの書きのこした掟に相違ない。硝子をはめた額に入れて 蔵と黒塗りの土蔵をひかえた大ぎな構えの家であった。土ある。勘亭流の書体でもって読みにくい筆法で書いてある 間の入口には、ペニヤ板に肉太の金文字で書いた大きな掛が、一字ずつ拾いながら読んで行くとーーー一つ御領内御発 あいまもりもうすべきこと もうすにおよばす 看板がかかっていた。広い土間には自転車が四台も五台も布の御掟は不及申、商人たる者、当店の掟相守可申事。 かかわらす ならんでいて、ほかにオート・ハイが一台と、ぐるぐる巻い一つ商人たる者、御客様の御用向き多少に不拘精出して商 、 0 はんばっ ガラス うさん

10. 現代日本の文学 21 井伏鱒二集

順調に運んでも五時間はかかる。私は朝の一番・ ( スで出発 した。順調に行けなかったので、夕方ちかくなって中田医 院に着くことができた。 ちょうど中田さんの応接間には、この島の警察署長が来 て用談の最中であった。明日、モーター船を一艘、・せひと も貸してもらいたいと中田老人に頼みこんでいた。しかし 署長は、モーター船入用の目的については、言葉をにご し、ただ入用だとばかり言っていた。二人の話の様子で は、この島にはモーター船は一艘しかない風であった。 「あんたが、もし釣においでになるんでしたら、御一緒に 私は広島県のに疎開中、因ノ島の中田医師 ( 仮名 ) おいでなさい」と中田老人は署長に言 0 た。「私の方では、 の招待でこの島へ魚釣に行った。かねがね行ってみたいとわざわざこうして、お客さんを招いたところです。せつか 思 0 ていた島である。瀬戸内海には、不思議に周囲七里のく招いて、待 0 て下さいとは言いかねますでな。」 島がたくさんある。因ノ島も周囲七里である。 「しかし、明日、ほんの一日だけです。むろん、モーター 中田医師は今年六十五歳だが、足腰も達者で目もよく見用の石油も自分で持 0 て参ります」と署長が言 0 た。「自 えるし耳も遠くない。最近、この老人のお孫さんが、私の分の方では、必ずしも舟遊びのためじゃないのでして、入 従弟の嫁さんにな 0 たので、その結婚式で私たちは知りあ用の目的は、後日、いずれわか 0 て頂けると思います。」 いになった。そのとき、私が魚釣に自分は趣味を持つなど「お言葉ではありますが、私は、魚釣に行くときには、配 と余計なことを言ったので、爾来、しきりに釣案内を受給の油は絶対に使いません。近所の小島のものが、ランプ ちょうぎきそ けていた。その案内状は、私と釣技を競わないでは止まな用の油を節約して、私へ進物にくれたのを使っておりま いといった感じのものであった。手紙が回を重ねるごとす。舟遊びのときと、往診のときのモーター用の油は、ち ぎよじんやそう に、その感じが濃くなって行くのがわかるのであった。 ゃんと区別しております。島々の漁人野叟、みなこれを知 私の疎開していた家から因ノ島へ行くには、・ ( スで福山らないものはない轡です。しかも、本日の御来客は、千里 市へ出て、汽車で尾道市まで行き、そこから汽船に乗る。 を遠しとせずしてお見えになったものでしてな。」 因ノ島 いんしま そう