160 へ行かんのですが、前を通りすがりにお神さんに伝令を頼この店を出るのだ」と連れ出すと、彼はふらふらついて来 まれました」と言い、彼は自転車にとび乗って行ってしまた。 っこ 0 私は彼を本署に連行しようかと思ったが、国家非常時の いしゆく デレ助というのは西分の腕力の強い男で、酒乱家として際に小さな事にこだわると却って民心を萎縮さすものと考 なぐ 有名である。先日も、通りすがりの他国者を擲ったとか突えて、私の事務所へ連れて来た。その途中、彼は幾度とな はいけん いたとかいう話だが、とにかく私は佩剣をつけ自転車に乗く路傍に放尿して私の気を損じたが、また一方、彼が確か って大黒屋へ駈けつけた。 に悪い病気を出しているらしく私は寒心させられた。 しり デレ助は尻まくりをして土間の椅子に大あぐらをかき、 デレ助を事務所の裏の井戸端へ連れて行って頭に水をか ふんどしこかん かかあ きたない褌や股間をわざと露出させ大きな声を張りあげてけていると、デレ助の嬶がやって来て私を物かげに連れて じづき いた。私はどうも酒のみの焦げつくような吐息を好かない 行き「あのな、旦那はん。私は飛行場の地搗に行っとった そば が、傍に行って「やあ、デレ助君、また酒か。酒の騒ぎとんやけど、青年訓練生が知らしてくれはったので仕事場を とが いうと必ずお前や」と咎めると、彼は目を半眼に開いて私抜出して来ましたのや。あのな旦那はん、いま大黒屋の方 にら の顔を睨みつけ、「旦那ですかい、まあ聞いてくだはれ。は私が払いましたのやけど、あの大酒飲みは一一日か三日、 一体ここのお神は生意気や。酒代は後から払うと言うと、豚箱へ頼みますわ。いま帰らして貰うと、またやりますの いま払えとぬかしよる。それで、どうでもさらせえと言うで、今度はちょっと懲りさしてくだはれ」と気丈なことを たら、旦那を呼んだのや」と言う。机の上には徳利が十何言いだした。「そうかい、それじゃあそういうことにしと 本も転がったり立ったり雑然として、そのうちの一つは割 こう。花見どきは、とかく地金も病気も出るによってな さかなやきどうふ れていた。肴は焼豆腐をつついてある。「ようけ飲ましたあ」と私はまたデレ助を・ハスで本署に送り届けた。 もんやなあ」とお神に言うと「へい、一升の上もあけて金後で大黒屋に行ってみると、勘定は確かにデレ助の嬶が を払わぬのやけに頼みますわ」と言う。「あまり飲ますと、払ったと大黒屋の十五になる女の子が言った。この女の子 はず 駄目やないか。デレ助君の文無しは、わかっとる筈ゃない と六つと五つになるのが行儀よく坐り、子供同士で飯をく か、それに酒癖が悪いのやから、気をつけえ」と言って、 っていた。目ざしを焼いてといっしょにつるつると呑 そしやく それから「ヨッコラサ」とデレ助の腕をとると「旦那、まみこんでいる。・ヘつに咀嚼する様子も見えないが、咽喉を た豚箱ゆきか」と確かな口をきいた。「そうだ、とにかく怪我しそうな風もないのが不思議であった。 こ みちばた こ じがね かえ
がするので起きて出た。見ると飲んべえの作さんところの前はん、すこしもきかんじゃもん」と言った。「まあ、え おかみさんが この女は栄養不良で青んぶくれの三十七え。もう得んで寝なはれ」と温帯さんが言ったので、飲ん 八の女だが、六つくらいの目の大きな女の子の手をひいてべえ夫婦は帰って行った。 ちのみご 乳呑児を負ぶり「うちの飲んべえが、また酔うて、海苔で飲ん・ヘえは実に小心な男だが、酒が好きで女が好きで仕 きら 五円儲けた金で遊廓へ行くと言うて、いま隣の役場の電話事が嫌いなのである。家には何の家具もなく、商売は魚屋 きたな を借りとりますけん、旦那はん曜って下され。あの五円つをしているが穢いのでちっとも売れず、このごろでは仲仕 かせ かわれたら、みんな食わんとおらにゃなりませんのや」とをしたり海苔の運搬人をしたりして酒手を稼いでいる。 ねまき 言う。「よし、行ったろう」と寝間着のまま隣の役場へ行 一月九日 ってみると、はたして飲ん・ヘえの作さんが土間に立ってい んか て、宿直の温帯さんが電話をかけようとして帳面をくって今日は妙な喧嘩があった。床屋の前に人だかりがしてい いた。「温帯さん、電話をかけるの待った。これが、いまるので行って見ると、青物の運搬人と年とった百姓が争っ から遊びに行こうとするのやから、やってはいかんのじていた。 はんてんももびき や」と言うと、温帯さんは「そうですか、飲んべえさんは運搬人は片目で、片足も不自由な男である。半纏に股引 うそ としかっこう てぬぐい 、、。をはいた背のひくい三十くらいの年恰好で、きたない手拭 子供が病気で医者むかえに行くと言うたが、嘘です力し 飲んべえさん、またかいな、あきまへんな」と言うと、酔で頬かむりをしていたが、この男は青物仲買人の手下で町 だいはちぐるま って真赤になっていた飲んべえは、私の方を見て目を見張の市場へ青果を運ぶのが商売である。大八車に大根が山と った。「飲んべえ君、家内や子供のことを考えなあかんよ。積んであった。 それに、もうおそいんだし、帰って寝なさい」と言うと年よりの百姓は野良着で、車の手木を招んで争ってい 村「へい こいっ旦那に頼みに行きましたかい。困るなあ」た。事情をたずねると「この片輪に籠を貸したが返さんの と言って頭をかいた。「おかみさんは、一家のため君の身で、いまこの車にあるのがそうだけん、返してくれと言う ふかざけ 多のためを思うとるのや。深酒は毒ですけんなあ」と言うとたが返さんのじゃもん。儂も明日は市場に行くのに籠がい にら 「そんなら、もう寝ます」と言ったが、おかみさんを睨みるけんど、このやつに貸したが最後のすけ、戻りがないん つけ「お前、つまらんこと言うて、旦那に迷惑かけるもんで」と言う。運搬人にきくと「返さんとは言わんが、いま じゃない」と言った。おかみさんは「私が言うたとて、お大根を積んどるけに、後から持ってくと言うたとて、きか まっか かたわ か・こ さかて か・こ
114 母屋の障子は明けひろげてあった。部屋の仕切りもすつ手ぶらで帰ってはいけないではないかというようにも見え こ。しかしこの取込みごとの場合、私は請求書も出しかね かりとりのそけられ、広くした部屋のなかには紋つきを着ナ ぬりん かぎ むりよ た男女が無慮五十人ばかり鉤の手に坐り、それぞれ塗膳をて鶴屋幽蔵に型通りおくやみの挨拶をした。コマッさんも 前にして食事中であった。これは悪いところへ来たと思っ同じようなおくやみの挨拶をした。そのとき廊下に鶴屋幽 て私が立ちどまると、コマッさんも立ちどまって、この家蔵とよく似た顔つきのモー = ング姿の男が現われて、 ささや ではどうやら取込みごとがあるようだと囁いた。しかし若「おい幽蔵、お客さんを座敷の方に御案内しないか。」 といって、なお私たちに向って黙礼した。幽蔵は頭をか い衆は私たちのトランクを持って土間のなかに駈けこん いて私にお辞儀をした。そのお辞儀の意味を私は解しかね やがて土間のなかから、モー = ング姿にア駄をはいた男たが、たくさんの来客に対しても幽蔵のためには座敷にあ が現われた。でっぷり太って眼鏡をかけ頭髪をもじゃもじがって仏前で焼香すべきであった。 座敷にあがると幽蔵の兄貴らしいモーニングの男が挨拶 やにしていた。 けげんそうな顔をしたが、コマッさんがそこに立って微に出た。私はこの男にも型通りおくやみを述べ、そうして とたん 仏間に行って仏壇の前に坐り、どの修牌を拝むともなく、 笑しているのを見ると、途端に顔を赤くした。 「これは驚いちゃったなあ。へえ、これは驚いちゃった。」要するに手を合せてお辞儀をした。コマッさんも私のした 彼は実際に驚いた様子で、しかもとりの・ほせていた。コ通りおくやみを述べ、仏壇の前に行って合掌礼拝していた マッさんに向ってお辞儀をしかけたと思うと私にお辞儀をが、香をたいて鐘を一一つ三つ鳴らしてから立ちあがった。 して、それからまたコマッさんにお辞儀をした。そして彼彼女の目には意外にも涙がたまっていた。 むりやり は早口に彼がモーニングを着ているわけや、モー = ングが私たちは無理矢理、五十名あまりの客人の上席に坐らさ ぬりぜん ゅばにんじん こうやどうふ びったりと身につかないわけをしゃべりだした。一昨日、れ、高野豆腐や湯葉や人蔘などに味をつけた料理を、塗膳 彼の祖父が亡くなったので、いま葬式を終ったばかりのとで御馳走になった。食事中はみんな黙って食べていたの ころだが、家兄のモーニングを借用しているので寸法がすで、私も黙って食べ、食事が終ると汽車の時間の都合があ しんせき るという名目で帰って来た。家族一同、そのほか親戚の人 こし大きすぎるというのである。 きび コマッさんは私に目くばせした。それはア。 ( ート代を厳たちまで総出になって、石崖の上から私たちを見送ってく おうかん しく請求してやれというようにも見え、にせ 0 かく来てれた。私は石崖の下の坂みちを下るとき、・往還まで見送 0
112 蔵はでつぶり太って大体の感じが小説家志望の男とは思わうと私は嫌がらせを言ってみたが、彼女はびくともしない しつか新宿の高野フルーツでコマッさんに出会しで女中のいる前でこんなことをいった。 れない。、 おそ たとき、彼はこんなに太ると小説家らしくないといって気「在所の人は、若づくりにしなくっちゃあ畏れ入らないん にしていたこともある。しかしアパート の廊下や入口で会だもの。感じないのね。でも、きようはツム順に痛いほど ったときには、お互に黙礼して通りすぎるくらいの顔なじ感じさせてやらなくっちゃ。とうとう一と泡ふかせてやる みにすぎなかった。集金に行っても勘定を払うものやら払ときが来たというものね。さっきこの町の商業会議所に電 わないものやら、いったいどういう性質の男かコマッさん話をかけてきくと、ツム順は目下在宅中ですって。」 には見当がっかないという。しかし鶴屋幽蔵が東京を逃げ彼女はマッチをすって、その燃え残りの黒くなった部分 きおう まゆ 出したのは、暮しに行きつまって逃げ出したことは確かでで眉を引いた。津村順十郎は既往においてコマッさんにど あろう。コマッさんがそういっていた。 彼女は津村順十郎のこ んな乱行を働いたのかしらないが、 , 私は寝すごした。私が目をさましたときには、コマッさとを「ツム順」と略称した。そして「ツム順」をおどかし けしよう んはもう起きてお化粧しているところであった。彼女のおて三千円ぐらい巻きあげるのはわけないことだというので 化粧の方法は、一たん濃く白粉をはいた後、それを乾いたあった。 ガーゼのタオルで静かに拭きとって、今度は薄く白粉をは 私たちは食事をすませると旅館を出た。福山から加茂村 たくのである。念入りに化粧する場合には幾度もそれをくというところに行く路順は、府中行の両備軽便鉄道で万能 りかえすにすぎなくて、白粉を濃くつけたままにするとい倉という駅に降り、そこから自動車で行くのが便利だと旅 うことはない。それはいつも同じ型にはまった化粧術であ館の番頭はそう言って説明した。両備軽便鉄道は山が目近 った。しかしこの日は、彼女はその型を破り白粉を濃く塗く見える平地を行く単線鉄道である。私たちは番頭に教わ って口紅も濃くつけた。彼女は私といっしょに加茂村の鶴った通り万能倉駅で下車したが自動車屋らしいものは見つ たん 屋幽蔵を訪ねて私の集金事務を応援し、その帰りに新市町からなかった。人力車に乗った。駅の前には田圃を背景に というところにいる多額納税者津村順十郎なるものをおどして道の両側に農家とも商家とも区別のつきかねる家がな おおあざ かしてやる予定であった。 らんでいた。この駅から加茂村大字粟根まで二里弱の道程 しゃふ ほとん 女中がお膳を運んで来てもコマッさんはお化粧に余念がであるという。道は殆ど平坦で、俥夫はものをもいわずに くるま きん なかった。そんなに塗って白粉を二斤がところ塗るんだろよく走った。俥が進むにつれて左右に見える山が次第に迫 おしろい あわ
「なぜ、そんなに借金が ? ・」 宀呂 と私が聞くと、 旅 「くるまの月賦か、、つるさくてしよ、つかない」 と O さんは言う。自動車はトラックだから商売道具 で の筈である。その月賦が払えないのはもうかる商売を 駅しているのに変である 市 「あれ、商売道具のトラックを」 町 と私が一一口、つと、 大 県 「いやア、乗用車のカネですよ」 野 と言うのでますます判らなくなってしまった。そん 長 なに無理をして乗用車を買うのも変である よく話を聞くと、 0 さんは親たちと一緒の家に住ん 「いやア、家にいると、借金とりが来てねえ」 で農業の手のあいたときは鉄骨屋をやっていたが予定 と一一口って、 よりも儲かって、レジャー用に乗用車を買ったそうで もちろん 「ここにいるのは、・内 ~ に」 ある。勿論くるまはアタマ金と月賦だが乗用車を持っ と一一口っている とどうしても仕事が終ってから飲みに行きたくなる ばんしやく 「はてナ ? 」 ふだんは親父とふたりで晩酌をするのだが儲かるので と私は思った。借金とりが来るから住所を変えてい よそへ飲みに一丁くよ、つになり、 酔って、いねむり運転 るというのは平和な生活ではない筈である。鉄骨屋さ をして事故を起したので、「 3 回もくるまを買い替え んは日当で働いても酸素のポンべを持って行けば相手 た」そうである。酔って運転すると眠くなるのが O さ によっては一日、 3 千円だとも言えるし、 5 千円だとんの持病のようにす起る現象だそうである。 3 回と も言えるそうである。とにかく鉄骨屋さんは儲かる商も追突で、相手のくるまを弁償して、自分のくるまを 売だと思っていた私の想像はまた狂ってしまった。 買い替えては、 7 げつふ
句も口がきけなくなるほど私を言い負かした。その大学生ていたが、坐りなおして「これはどうも御苦労さまです」 ざぶとん は「家庭争議というものは、或る段階に至るまでは一種のと言った。奥さんは座蒲団を私にすすめ、目くばせで「ど えしやく 快楽に属する。いま、われわれは他人を介在にする必要はうか、お願いします」と言うように会釈した。そして室内 ない」と言った。法律的でなく心理学的に私はやりこめらが急にしんとしたところで私は言った。「何かしらぬが、 じらい れ、爾来、インテリの親子喧嘩の仲裁は私には苦手だと思そのように両方が火になったら、言わいでもよいことを言 っていた。 うて角が立つのや。私に任してんか」と切りだすと、倅の 「お宅のは帝大ちゅうことやから、特に面倒やろうなあ。方が「しかし僕は」と言いかけたので、私は急いでそれを さえき あなた 私の手には負えぬやろ」と私が言うと、山田さんの奥さん遮って「いや、貴方のお気持は、私にもわかると思いま もっと は「そう言わんで、どうかお願いや。どっちも目の色を変す。尤も、すべて家庭争議というものは、或る段階に至る え、いまに何をしでかすかわからんのや。どうか来てくだまでは、一種の快楽に属しましような。いま貴方は、他人 はれ」と言う。私は「あたって砕けろ」と言って出かけるを介在とする必要はないかもしれませぬが、ここは一つ私 けげん ことにした 0 に任してんか」と用心深く口をきくと、倅は怪訝そうな顔 トらぶき かわらぶきおもや 斗 - ら′は′、 っこう 山田さんのうちは、納屋と厩と倉は瓦葺で母屋は藁葺でをして黙っていた。彼は神経質らしい蒼白な顔だが慨好の ある。門をくぐると、母屋から父と子の大きな声がきこえよい目鼻をして、女の子が好きになるのも無理からぬと思 そむ ていた。「何のためお前は大学に行ったのじゃ。親に反くわれた。 ためか、カフェの女に迷うためか、出て行け。」「出て行親父さんはすこし落ちつきを取戻し「甲田さん、ほんに く」というような言論戦で、さすがは大学の卒業生で暴力よく言うて下されました。こいつが、妙な女と一しょにし わし けな に訴える喧嘩ではなかった。私は幾らか胸を撫でおろし、 てくれと言いよって、父を貶しくさる。今まで儂が苦労し はす 村さりげないようにゆっくりと家のなかにはいって行き、 て来たことは、よく知っとる筈なのに、忘れとるのや」と 古「まあまあ、親父さん」と二人の間に割りこんで行った。 言った。「儂はこいつに、ちゃんとした堅気の娘を見つけ じざいかぎやかん 室内には囲炉裡があって、自在鉤の薬鑵が湯気をふいてようと思うとるし、また、こいつの無理なら他のことなら 多 へだ いた。父と子はその囲炉裡を隔てて争っていたのである。何でもきくのやが、このことだけは先祖にすまぬでなあ」 あぐら ためいき しらが んそくぎ ナしふ白髪も見え、すこし喘息気 倅は仕立おろしの背広を着て胡坐をかいていたが、私の顔と大きな溜息をついた。・こ、・ たん を見ると坐りなおして黙りこんだ。親父さんも胡坐をかい味のように見受けられた。灰吹に大きな啖を吐き「こいっ ろり なや うまや
て噛みつくよってにと頼むのに、婆さんが走ったのでクロよい。そうしたら、あまり無茶も言わぬやろう。腫れもの が追いかけたのや。ちょっと足に噛みついて、ちょっと歯にさわるようにすると、却ってつけ上るのが人情らしいけ んなあ」と言うと「へい、左様で御座いましようけんな 型がついて、血は出ぬのに婆さんはヘたりよってからに、 わあもう動けぬ、もうサンド売れぬ、みな買うてくれと言あ。じゃ、そんなにしておきまひょう。有難うぐわすけ うよってみな買わされてしもたのや。その代金三円余でぐ に」と頭を下げ、浜田さんは手に持っていた中折帽をかぶ わして、おまけに医者に連れてってと言うので医者にみせって帰って行った。たぶん浜田さんは昨夜おかみさんに、 たるところ、医者がたいしたことないというのに、見舞を明朝は起きぬけに駐在に行って来いと言いっかったに相違 よこせと言いよるし、見舞よこさにや動けぬのやと言いよない もろ どな るのや。他でも大に噛まれたときは、何円か貰うたと呶鳴 もう寝るわけにも行かないので、寝床をくるくる巻いて ぞうきん るのや。それでサンド代しらべたら、一貫四十銭のものを押入に入れ、室内を掃き、水を打ち、雑巾がけをして、顔 みそしるなべ しちりん 二円も出さされとる。あまりにも嫌らしゅうて、その上ケを洗い、七輪で飯をたき、同じその七輪に味噌汁の鍋をか ントが悪うて仕様ないけに、旦那に話して貰うたれと家内けた。それから朝の第一番目の・ハットをふかしていると が言いよんのやけにな、どうかお願いしたいのや」と頭を「旦那はん、おるかね」と女の声がした。出て見ると、ち こんがすり 下げた。 よっと頭の狂っているオシチさんが、髪を乱し紺絣の着物 きようかっ 私は返事に困った。これはサンド婆さんの恐喝にもなりをだらしなく着て立っていた。顔の青くむくんだ四十余り - 」うむ そうでもあり、そうかといって被害を肉体的に蒙ったのはの女である。「オシチさん、どうした」ときくと「旦那は 婆さんである。犯人が犬だとすると、自然その責任は飼主ん、じじいがまたわたいを締め出すのや」と言った。じじ いというのはオシチさんと最近いっしょになった独身もの に問わねばならなくなるし、犬は鎖につないでおけという 規則がある以上、放っておいたのはよくないことだし、との七十の老人で、気の狂っていない百姓である。「じじい へそ いって大した傷でもないのにつけこむのは面白くない。困が、どうしたんや」ときくと「じじいが、わたいの臍くり しばら った問題なので私は暫く放置しておくに限ると思い「婆さ十円とって、わたいに出て行けと言うんや。いつでも出て んが金をよこせと言ったのか」とたずねると「それは言わ行ったるけど、さんざんわたいを慰みもんにして、金をと ぬのや、見舞をよこせと言うたのや」と言う。「では、金って出て行けと言うのはあんまりやもん」と言う。「じゃ、 をよこせと言うて来たら、駐在のところに行こうと言えば追い出されたのか」ときくと「へい、じじいがわたいを追 小え さよう
とうしてこんなに雑に出来てること「やつばしお前は、新時代の人間じゃあねえようだ。居酒 し私という人間は、・ か、われながら、わが身を持てあますような思いをするこ屋と女郎屋は別ものだ。居酒屋の女を張るときには、最初 きわ とがございます。誘ってくれる女が目の前に出て ( こちらの日は、その店で極めて月並な飲みかたをする。その次に めがねかな が酔ってるときなんか ) その女が眼鏡に適ったとなると、 は、忙しい商用がある人間だと見えるように忙しく飲ん もう有頂天にならなければ損だというような気を起す。酔で、さっさと引きあげる。余計な口はきかないことだ。そ っていても、これが自分の本当の気持だ、これが本来であこで三度目に行ったとき、今日はゆっくり飲める晩だと見 かったっ ただし ると錯覚を起す。こんなのは、自分が今だに男やもめでい せて、大いに濶達に飲む。但、三度とも御祝儀を置かなく るというだけのことでなくって、心の底のどこかに、これっちゃいけねえ。そうして三度目のとき、突如、女の気を ひそ 引いてみることだ。四度も五度も通っているてえと、友達 が男やもめの特権だという気持を潛めているせいじゃない かと思うのでございます。 づきあいになって、もはや口説けねえ。お前さんのやりか とん 私、連中と旅行に出るまでの十日あまり、殆ど一日おきたは、お前さんの青春のかけらというやつを、まるで味噌 づけ に高沢を誘いまして、割勘で辰巳屋へ酒を食らいに行きま漬にしてるようなもんだ。だが、俺の見るところじゃあ、 した。無論、おかみの顔を見るためなんで、しかも飲みに充分すぎるほど脈があるね。」 たび そぶりつや これは高沢自身、泥を吐いているようなものでした。以 行く度ごとにおかみの素振が艶つぼくなって行くと確認し どじよう きゅうり うちょう たいためなんでした。おかみの胡瓜を刻む庖丁の音にまで前、高沢は毎日のように辰巳屋へしけこんで、裏の鰌屋に 色けが出ているようだ。こちらは、そう思いたい一心で鰌の割ぎかたなんか習ったりしているうちに、たぶん不本 す。おかみは、ふと思い出したようにスタンドのかげにし意ながらおかみと「友達づぎあい」の仲になったんでござ やがんで、コン・ハクトを使う。それを見ているときの私の いますね。でも、私は高沢の前で、そんなことは、そっと 館満足感は、また格別なものでありました。 伏せておきたい気持でした。私はずいぶん好色の男です 旅でも高沢の見解によりますと、居酒屋通いと女郎屋通い が、友達の女や友達の妹や友達の身内の女の前では、自分 は、自ら道も骨法も違っている。のべっ幕なし、私のようは女ぎらいではないかというような気持になる性分です。 駅 に同じ居酒屋へ通うのは、 0 て効果がないんだそうでご私は幼いとき旅館の女中部屋に寝起ぎさせられながら育っ じだらく たので、ろくでもない女の内幕を見聞きして自堕落になる ・さいます。いよいよ明日の朝は出発という晩に、辰巳屋か らの帰りに高沢が私にこう申しました。 一方には、どうにか人並にそういう性分になったのだろう おのすか くど
122 どな るのだが、お宮の華表のかげにしやがんで見張るような警と言った。計わば彼は、呶鳴り込んで来たのである。「何 戒にはゲートルをはかない方が都合がいいのである。第とか始末をしてくれないと困るでしゃないか。君の責任問 一、霜焼の心配がなく、足のしびれるのが少しは救われ題ともなることだ」と家の前で大きな声をあげて仕方がな る。ゲートルの下に布でも巻けば幾らか助かるが、それで 。それで私は「私の手にはいればいつでも殺すのだけれ かっこう は足があまりに太く見えて恰好が悪くなる。 ど、なかなかまらんで困りますよ ( それに私は犬殺しで 朝飯を食べて服を着ていたら、受持区内に住んでる元巡はありませんよ、と言いたいのを控え ) 相手が四足獣であ かけこ 査をしていた人の奥さんが、泣きながら駈込んで来た。見りますからね、何しろ」と答えると、「四つ足でも五つ足 れば足から血を吹かせ、大に噛まれたと言って、子供のよでも危険なものは殺さねばならんのだ。君が殺さねば本署 うに「ああん、ああん」と泣きながら「出征兵士のため、 へ行くぞ」と敦圉いた。「どうそ御随意に」と私が引下る あさまいり たんぼ 朝詣をしておったら、あしこの、田圃の路で噛まれたのでと、彼は意気揚々として帰って行った。 やけんぼくさっ す。噛みついた犬は赤犬です」と切れ切れに言うのであ本署にだって野犬撲殺係はいないのだが、危険な大を棄 る。「そうですか。痛いでしよう」と私が聞きおく程度にておくわけには行かないので、私は村の青年訓練所の生徒 ふくれつら していると、奥さんは不服そうな脹面で帰って行った。 に頼みに行った。 村にはたくさん野犬がいる。私は盗難予防のため夜間巡お昼すぎ、青年訓練所の生徒たちが、がやがやと騒ぎな がいとうえり おうへい 回する場合、 いつも外套の襟を立てマスクをかけ自転車のがら犯人たる赤犬を捉えて来てくれた。横柄にのっそり立 ランプで農家の裏口を一軒ずつ見てまわるが、不意に野大っている小牛ほどもある大きな赤い大である。私はストリ こいぬす が吠えついて来るには閉口させられる。町の人が仔大を棄キニーネを芋の焼いたのに入れ、それを喰べさせようとし てに来て、それがみな野良たにな 0 て行くのである。なか たが横着な大は喰わなかった。青訓生の一人は「えい、面 には拾い大にしたいような小型の可愛らしいのもいるが、倒なり。ついに一ばい盛ろうとの悪だくみ」と浪曲調の声 すうたい たいていは大めし食いに違いない図体の大きな大である。 で言い、竹筒を捜し出して、ストリキニーネを水にとかし 服を着て巡回に出かけようとしていると、今度は元巡査その筒に入れて持って来た。青訓生が大のロを開けたなか がやって来て、大きな声で「君、君。あんな野良犬を放つに私がその水を流しこむと、近所の人たちが「赤大を殺す とくとはけしからん。早く殺してくれ。現に僕の家内が噛のか。見せてくれ見せてくれ」と口々に言って集まって来 まれたでしゃないか。第一、女子供が危険でしゃないか」た。みんな大をとりまいて、輪になって見物した。「何と、 とり とら
たんでございます。お風呂で私を抓った女の耳た・ほが、ジ 「やつばりマンジュウだ。」 っこう 私が番頭仲間の符牒で言ったので、この家の番頭が手を = コさんの耳た・ほと好がそっくりなんで。それからま ついて私にお辞儀して見せました。でも私、そのまま帰った、吉原の引手茶屋にいた例の豆女中の耳たぼにそっくり なんで。それで思い当ったのでございます。 て来る方が気がきいてると思ったので、 「よかったな。疑いがはれて何よりだ。」 ジュコさんの耳た・ほは、ふんわりとした非常に良い恰好 と豆女中に言い残して帰りました。ちょっと芝居がかつで、その耳に似つかわしい上品な言いぐさで申しますと、 ているようで、今では思い出して照れくさいような気が致ほの・ほのとした感じ、匂うがごとき良い恰好とでも申しま すか。間近くその耳を見ているてえと全く悪い気がしな します。 りようけん その翌日でしたか翌々日でしたか、その引手茶屋の番頭 、。性根のよくねえ男なら、ひそかに如何なる料簡を起す がまた一升さげてお礼に来て、豆女中からもお礼の電話をやらわからねえ。 かけてよこしました。舌たらずの泣声で真剣に礼を言うの 「あの耳た・ほだ。あのジュコさんの耳た・ほで思い出したん あいづち ですが、こちらは照れくさくって対等の相槌が打てないのだ。お湯で俺を抓った女は、もと吉原の引手茶屋にいた豆 で、 女中だ。さっきからあの耳を見てるうちに、やっと思い出 あんばい 「そうかそうか、ではお前さんの、旦那さんによろしく。」した。あんな塩梅の耳だ。」 と冗談を言って電話を切りました。 隣に坐っていた房総屋の番頭に、私が耳打ちで申します それから数日して、豆女中からお礼の手紙が参りましと、 た。それが長い長い手紙で、是非とも一度おいで下さいと「うん、なるほど。あの恰好の耳たぼなら、悪くねえ。し ごくどうもの 書いてあったんで、私、折を見て出かけて行きました。し かし、耳で古馴染を思い出すたあ、おめえも相当の極道者 しゆくはい 館 かし、相手は子供のことだから別に話があるわけでもござだ。おいジュコさん、こいつのために祝盃だ。ここへ来 いませんでした。 て、改めてお酌を願います。」 とジュコさんを傍に坐らせて、房総屋の番頭は一座のも 駅お湯のなかで私を 0 たのは、往年のその豆女中だとわ かりました。私、とんと忘れておりました。 のにこう申すんでございます。 「おい、東西東西、みんな聞いたか。おい、聞かなかった 実は私、ジ = = さんの耳た・ほを見ているうちに思い出しやつは、後学のために聞いておけ、が口上を述べるから しやく にお