でした。高沢もまたそれを気にしている風で、車内の吸殻のごろは考証的にな 0 て、の塔に立てこも 0 ている弊 ふた が多分にある。警察官が学位をねらうなんて、権力の上に 入れの蓋をあけて運転手に声をかけました。 「おい運転手さん。君は、昨日の晩から今朝にかけて、も更に何かを加えようとする一種の堕落だね。」 またしても、高沢の出まかせでした。 う十時間ぐらいも走ったろう。郊外の方へも走ったね。」 いっか私、柊元旅館の常連の与田さんというお客さんを 「お客さん、よくおわかりですね。ちょうど、そのくらい です。夜明け前に国分寺まで客を送って、国分寺から関前辰巳屋へ案内して、そのとき高沢も飲みに来ていました が、後で与田さんが、あの高沢という番頭は空想性虚言症 町の方へ客を送りました。お客さん、炯眼ですね。」 「ここの吸殻の分量と、吸殻の長短を見れば、ちゃあんとの患者と紙一重の差だとル有 0 たことがございました。あ わかるんだ。俺は警察の者だがね、ぐっと見ればわかるんの性格が極端になって行くどんづまりは、コルサコフ氏病 もっと だ。大丈夫だよ、もっと急いでくれないか。ス・ヒード出しというのだそうでございます。尤も、与田さんという客は そうけい てくれ。」 医学の造詣なんか無い人で、これまた当てずつぼを仰有っ だぼら またしても高沢の嘘つばちですが、車の方では柔順に速たのかもしれません。高沢の駄法螺が病気のせいだという 度を出して前の車を抜きました。 ことになるとしたら、当人としては駄法螺がサービスであ 「多年の修練というやつだ。勘というよりも修練だよ。しり自慢の賑やかしであるだけに、やっこさん浮ぶ瀬もない かし本庁の捜査課には、吸殻のロもとのつぶれかたを見わけでございます。 きよそ て、それを棄てた犯人の挙措動作を判断できるやつがい る。本居君や折ロ君なんざあ、そのエキス・ハート の最たる新宿駅に駈けつけると、汽車がもう出て行ったあとでご ものさ。」 ざいました。で、次の汽車に乗ることにして出札ロのとこ 館高沢は誰にともっかず、満足そうにそんなことを言うのろに行くと、意外にも杉田屋の番頭が私たちを待受けてお りました。 でございます。 前 「おやお前、一緒に出かけるのかね。女房の方の首尾、ど 駅私、警視庁の捜査課の人は存じておりません。しかし、 本居君とか折ロ君とかいう姓は、どうせ高沢の出まかせでうなんだ。無理しなくたっていいよ。」 ございます。 高沢がそう申しますと、杉田屋の番頭は、私たちの連れ はなばな 「本居君も、一時は華々しく活躍したものだ。しかし、この女をがて高沢に耳打ちを致しました。見る見る高沢の けいがん にぎ
行の幹事として、みんなのそういった気持を尊重しなくっ募して、ふるい落されるのも嫌ゃ。」 しりごみ ちゃいけないんだ。そこで俺は堂々たる一策を考えたよ。」 と、おかみは尻込して見せました。 高沢は声に力をこめて言うのです。 でも、高沢は何だかんだと弁舌を弄しまして、応募者の そは こんなのは高沢の常の癖でして、誰か第三者が傍にいる集まって来る場所を、この辰巳屋と指定して差支えないこ ときには、特別くだらない話に熱を入れるのがおきまりでとに話を漕ぎつけて、 きれい す。ことに綺麗な女が傍にいるときには、ロから出まかせ「見ていてごらん、マダム。当日は、慰安会の連中の色 の法螺を吹くことがある。ちょうど、この打ちあわせのが、き 0 と一人や一一人は来るからな。やつら、どんな顔し ときには、高沢は辰巳屋のおかみさんと若い女中を第三者て選択することかな。」 として意識していたようでございます。 と、満足そうな顔をしておりました。 高沢の言う堂々たる一策と申しますのは、新聞の求職案私、まさか慰安会の連中が、新聞広告を出すことに賛成 内欄に「付添婦人を求む、アル・ ( イト向き」という広告をするとは思ってはいませんでした。しかるに、高沢のンシ 出すことでした。 ンチョウギの弁が功を奏し、「付添婦人を求む」という小 「旅行に連れて行く女を募集するわけだ。広告には姓名在さな広告が間もなく新聞に出たということでした。私は付 社として、応募者の資格は、先ず二十七八歳から、三十四添の女を入用としないので広告にも気をつけず、応募者の 五歳までの女だね。すると慰安会の連中は、白ばっくれて集まる日には呼出しがあっても辰巳屋へ行くのを遠慮して 自分の色を応募させるにきまってるよ。きっと連中、色を いましたが、後でおかみに聞くと、当日は午前十時から午 応募させるに違いない。火を見るより明らかだ。俺のこの後二時まで、次から次と四十何人も女が来て、辰巳屋では 眼力に、狂いはねえ。」 大変に迷惑したとのことでした。 高沢は冗談とも真面目ともっかないように、 おかみの話では、当日、水無瀬ホテル、春木屋、房総 「どうだねマダム、あんたも一つ、応募してみる気はない屋、杉田屋の各番頭が、辰巳屋のスタンドの内側に腰をか にぎ かね。枯木も山の賑わいだ。」 け、応募して来る女性の履歴書を受取って、「御苦労さま。 と辰巳屋のおかみの気を引きました。 いずれ履歴書をよく拝見して、もし採用するようでした 「嫌やよ、あたし、水無瀬ホテルさんの色と、コツンコすら、三日以内に手紙で御様子します」というようなことを ると嫌ゃ。ほかのかたの色と、コツンコするのも嫌ゃ。応言って帰らせたということです。ところが審査員たる四人
中たちは私が外泊して来たことを知らない風に空と・ほけてスタンドのかげで於菊と膝をくつつけただけなんで、それ わす いましたが、と・ほけかたが板についていたのは僅か二人かも高沢の判定では「あの程度の品行方正しか出来ねえの 三人でした。いずれも世帯を持った経験のある女中でござか。お笑い草だよ。お前は木偶の坊か」という程度のもの います。 でした。 下帳に聞くと、於菊たちの団体は予定通り出発したそう後で高沢の言うことに、あの晩は私と於菊が手に手を取 かけおち で、撮影所見物、鎌倉見物、江の島泊りということでしって駈落するのを警戒していたということでした。せめて こ 0 もの私の語り草に、ほの・ほのを少し通り越したところで道 「足を捻挫した客、どうしたろう。鰌を 0 て効験あ 0 た楽させておくつもりであ 0 たというのです。 はかな かね。」 私としては儚い一場の夢として諦めることに致しまし と訊きますと、 た。それでも高沢が「お前、東照宮様へお礼謐に行った方 まつばづえ 「一緒に出発しました。松葉杖をついて行きました。」 がいいぜ」と言うので、東照宮の五重塔へお詣に行きまし と申します。 た。傷心した私は、ひところ高沢の言うままになっていま 鰌を貼ったから効いたのかどうかわからない。大した怪したので、高沢が「お前、見合したらどうだ」と言うの 我でもなかったと思われます。 で、見合しても、 しいような気持になりました。 高沢は易者にも相談して来たんだと言って、頻りと私に でも私、於菊のことでは形の上だけでも大失態をしない見合を勧めました。 で事がすんだので、今となっては何よりであったと思って「今年は俺の厄年だ。お前さんの知ってる通り俺は縁起を おります。少し負け惜しみのようですが、私としては上出かつぐ性分だが、易で言えば今年の俺の卦は、澱とい 館来であったと思います。宿屋の番頭たる者が、お泊りの婦って凶の卦だ。この卦の厄年の者は、友達の結婚の仲人を 旅人団体の引率者と云々云々だとあ 0 ては、その宿屋の暖簾すると凶が変じて吉になり、また、その嫂酌で結婚する者 駅はケタオチだ。私ども番頭仲間では、ほかに主ある女を寝は、凶が変じて吉になる運勢というものを身につける。だ 取ることは、浮気とは別種の大罪として禁ずる不文律があから、俺がお前さんの仲人になるてえと、俺のためにもお りまして、高沢が私に大事を取らせたのもそのためでし 前のためにも悪くねえことになる。どうだお前、ここらで た。昔の番頭気質でございます。形の上では私、辰巳屋の 一つ見合をしてみたら。」 しき
294 だ。それが何故ならばというわけは、藤沢の花柳界でも、 そのころ、江の島で呼込が一番うまかったのは、京都か 江の島の番頭連はいい塩梅に銭を儲けていることを知ってら来ていた山川という年寄でした。今でも山川は八十幾歳 めちゃくちゃ いるのだから、気分的に番頭が大変もてる。減茶苦茶にもで健在でおりますが、この年寄には高沢なんかも叶わなか てたものでございます。 ったものだ。第一、山川の声は涼しく行き渡る。高沢なん 当時のこの洗心亭の番頭が、すなわち現在の水無瀬ホテかのように銅鑼声を張りあげるのでなくって、さほど声を いしゅ ルの高沢でございます。私と高沢の仲は、意趣を持った商振りし・ほっているとは見えないのに、ほかの者の呼声を掻 がたき きゅうてき 売敵が夜は友達に化けるのか、仲のいい友達が昼間は仇敵きのけてよく響き、誰の声よりも板についているんでござ に化けるのか自分でもわかりませんでした。とにかく昼間 います。お客が、江の島電車の駅、または小田急の駅を降 のき の高沢は、私には憎たらしい「こんちきしよう」でした。私りてそろぞろやって来ると、軒なみに旅館の番頭が店先に が一生懸命に全力あげて、死にものぐるいで呼込をしてお出て客を待受けている。山川は客を遠くから見て、泊る客 どらごえ りますと、向側の高沢が、あの銅鑼声で号令かけるように、 か休んで行く客か見分けをつけてしまう。これは経験から 「ええ、いらっしゃい いらっしゃい。お客さん、こちら生れた勘ですが、そこで山川は素通りしない客だと見てと いらっ こちら、こちらでございます。もしもし、お客さん、間違ると、遠くまで通る大声で「ええ、いらっしゃい っていらっしゃいませんか。こちらでございます。お客さしゃい」と呼びながら、頻りに手をあげたりお辞儀をした ん、間違いです、間違いです、こちらでございますよ。間 りして見せる。そこに何とも言えない呼吸があるんでし かけひき 違っては困ります。はい、お待ち申しておりました。」 て、全く駈引のようなものでございます。要するに、お辞儀 と呼込んで、松風楼に入りかけたお客に二の足を踏ますを先に見つけられた番頭の勝ちなんでございますからね。 うろたえ しやく ので、こちらは周章るやら癪にさわるやら、 もはや客は遠くから山川に目をとめて、よその番頭のお辞 「お客さん、間違ってなんかいませんよ。心配ありませ儀には目もくれない。山川はお客が近づいて来ると、 ん、こちらです。はい どうそこちらへ。」 「いらっしゃいまし、いらっしゃいまし。お待ち申してお と、抱くようにして入れてしまうこともございました。 りました。」 すご 高沢というやつは、商売敵としては実に凄いやつで、私が と、ペこペこお辞儀して、あれよあれよと言う間に自分 かな 呼込に全力をあげて努めても、あいつには叶いませんでしのところに入れてしまう。 た。あいつ、声が太くてよく通るから叶わない。 私どもの目から見ると、山川という番頭は客引の奥義に
「旦那、このくらいですってね。大変だそうですね。すご 悪くない電話だと思いました。私は「すぐ行くよ」と言いんだそうですね。いやいや、 = = ースはちゃんと入 0 て って電話を切ったものの、顔を剃ったり新しい開襟シャッます。あれは私、人には話さなかったんですが、確かな筋 から聞くと、これくらいですってね。それとも、実際はこ に着かえたりして、ちょっと手間どってから辰巳屋へ出か そろ けました。連中は、みんな揃って祝杯をあげているところれくらい。実にすごい。話だけにしても大したもんです でした。 聞けば、水無瀬ホテルでは、従来の雇われマダムが支店「まあそんなことは、どうでもいい。堅ぐるしい商売の話 あたみ は止そう。まあ飲もう。」 の小料理屋へまわされて、もと熱海で旅館を経営していた 村田という初老の人が管理人に納まったということでし「いやいや、はい、頂くものは頂きましよう。私は、とこ た。高沢は三箇月ぶりに目出度く水無瀬ホテルの帳場に直とんまでやられましたよ。みんな旦那に儲けられてしまい もっと ったのです。しかも高沢は、三箇月ばかり前に府中の五月ましたよ。尤も、私の損と言ったって、旦那の目から見た けしっぷ 競馬で大穴を当てたので、そのときの鼻息の荒さが、またら芥子粒のようなものですがね。しかし、私は日野に買っ * ふで ぶり返しているような調子でした。やたらと人のコップにておいた地所を、三筆で三千二百坪ほど手放さなくっちゃ ビールを注ぐ。辰巳屋のおかみにも無理やり飲ませようとならなくなりました。家内は入院しているし、商売のとき、 する。何しろ三箇月もレジスタンスというのをやって来そっちに気をとられてしまっていたせいもありましたよ。」 うれ て、そいつが首尾よく行ったのだから嬉しさは格別でしょ 裏を知る者なら、また高沢の病気が出たと思うだけの駄 あわ きれいとしま う。そこへ旅の者と見える中年の客が、綺麗な年増を連れ法螺でも、知らない者は大損した高沢を憐れむか、または て来てビールを注文したのだから堪らない。高沢はいつも成金に見立てられた私に白眼を向けて来るかです。いいカ の癖で女連れの客に聞えよがしに私に向きなおって言うの減に止さねえか、と睨みつけてやると、辰巳屋のおかみが です。 仲を取りもって、 め、ぼく 「ときに旦那、このごろ木は大変いいんですってね。」 「それでは、大成功なすった旦那のために、みなさん乾杯 私は、そら来たと思ったが、「まあ順調ですよ」と話ををお願いいたします。」 ふところ ・ほかすよりほかはない。すると高沢は懐に手を入れて、指と、連中一同のコップにビールを注ぎました。連中が乾 くろうと 杯すると、 を折り曲げながら玄人のような口をきくのです。 かいきん にら
とうしてこんなに雑に出来てること「やつばしお前は、新時代の人間じゃあねえようだ。居酒 し私という人間は、・ か、われながら、わが身を持てあますような思いをするこ屋と女郎屋は別ものだ。居酒屋の女を張るときには、最初 きわ とがございます。誘ってくれる女が目の前に出て ( こちらの日は、その店で極めて月並な飲みかたをする。その次に めがねかな が酔ってるときなんか ) その女が眼鏡に適ったとなると、 は、忙しい商用がある人間だと見えるように忙しく飲ん もう有頂天にならなければ損だというような気を起す。酔で、さっさと引きあげる。余計な口はきかないことだ。そ っていても、これが自分の本当の気持だ、これが本来であこで三度目に行ったとき、今日はゆっくり飲める晩だと見 かったっ ただし ると錯覚を起す。こんなのは、自分が今だに男やもめでい せて、大いに濶達に飲む。但、三度とも御祝儀を置かなく るというだけのことでなくって、心の底のどこかに、これっちゃいけねえ。そうして三度目のとき、突如、女の気を ひそ 引いてみることだ。四度も五度も通っているてえと、友達 が男やもめの特権だという気持を潛めているせいじゃない かと思うのでございます。 づきあいになって、もはや口説けねえ。お前さんのやりか とん 私、連中と旅行に出るまでの十日あまり、殆ど一日おきたは、お前さんの青春のかけらというやつを、まるで味噌 づけ に高沢を誘いまして、割勘で辰巳屋へ酒を食らいに行きま漬にしてるようなもんだ。だが、俺の見るところじゃあ、 した。無論、おかみの顔を見るためなんで、しかも飲みに充分すぎるほど脈があるね。」 たび そぶりつや これは高沢自身、泥を吐いているようなものでした。以 行く度ごとにおかみの素振が艶つぼくなって行くと確認し どじよう きゅうり うちょう たいためなんでした。おかみの胡瓜を刻む庖丁の音にまで前、高沢は毎日のように辰巳屋へしけこんで、裏の鰌屋に 色けが出ているようだ。こちらは、そう思いたい一心で鰌の割ぎかたなんか習ったりしているうちに、たぶん不本 す。おかみは、ふと思い出したようにスタンドのかげにし意ながらおかみと「友達づぎあい」の仲になったんでござ やがんで、コン・ハクトを使う。それを見ているときの私の いますね。でも、私は高沢の前で、そんなことは、そっと 館満足感は、また格別なものでありました。 伏せておきたい気持でした。私はずいぶん好色の男です 旅でも高沢の見解によりますと、居酒屋通いと女郎屋通い が、友達の女や友達の妹や友達の身内の女の前では、自分 は、自ら道も骨法も違っている。のべっ幕なし、私のようは女ぎらいではないかというような気持になる性分です。 駅 に同じ居酒屋へ通うのは、 0 て効果がないんだそうでご私は幼いとき旅館の女中部屋に寝起ぎさせられながら育っ じだらく たので、ろくでもない女の内幕を見聞きして自堕落になる ・さいます。いよいよ明日の朝は出発という晩に、辰巳屋か らの帰りに高沢が私にこう申しました。 一方には、どうにか人並にそういう性分になったのだろう おのすか くど
292 真顔でもって言うのです。 してもいいような気持にさせられて、 見合を勧められて悪い気持のするものではない。しか「俺も、絽の羽織を着るころ見合をしてみるかね。無論、 し、厄年で仲人をすると凶が変じて吉になるなんて出まかお前さんも一緒に来てくれるんだろう。」 せかもわからない。 と、わけなく承知してしまいました。 「厄年の男というのは、運のついて廻らねえ男のことだろ 元来、この水無瀬ホテルの高沢は私と仲よしですが、商 う。つまり貧乏神と同じことだ。そんな野郎の仲人じゃ、売の上では私の敵で、こいつは旅館の「呼込」にかけて こうむ ろくなことはねえ。まあ御免を蒙るよ。」 は、昔から私よりも役者が一枚も二枚も上でした。高沢は 「今年、と同年の厄年男の卦は、易学で言えば、こうい 声も浪花節語りのように太いし、ロから出まかせもうまい っこう う慨好の卦になるんだ。」 ので、泊る気のある客は吸いつけられるように呼込まれて 高沢は、こんな一 = 三という卦を書いて見せまして、 しまいます。それには長い間の年季がはいっていますか 「これは山沢損という卦だ。損は減ゑける、少くするら、結婚の仲人口なんかこの男には朝飯前の仕事です。斟 意味であって、益の反対である。猥りに欲を出してはいけ酌なく弁才をもって身をもって当るというのですから、私 ない年だ。利潤を損しながら正しきを守っているべきだ。 のように役者が一枚も二枚も下の者は陥落させられてしま かかわ しかしながら、利潤と関りなき事項には、弁才をもって、 います。 しんしやく 斟酌なく、身をもって当れと易の本に言ってある。すなわ高沢の「呼込」の声は、私、今でも夢に見ることがござ ち利潤と関りなき事項とは、客を室に招くこと、結婚の仲 います。それが何故ならばというわけは、私ども番頭商売 ます 人をすること、思いを新たにすべく居を転ずること、暗がの者は、昔は呼込が拙くっては仲間の間で頭があがらない りに遺失物を捜すことなどである。ことに、仲人となる場ばかりでなく、まかりまちがったら食いはぐれでございま 合には、媒酌されたる花嫁の邪気虚損して、下部の悪熱屏す。私と高沢は友達ですが、商売の上では競争相手のライ そく 息す。すなわち、三陰を慎ましやかに中にして、一陽を花・ハルというやつでございます。私には高沢が目の上のこぶ かんぼく 冠となし、二陽をば堅固なる台座となす。地天泰の、簡朴でした。そこに私の何とも言えない辛さがあるわけです なる三陰三陽の配合に比し、紆余曲折はあれども味わい深が、何の商売にもこれに似た辛さがあるんではないかと思 き象である・ : ・ : 」 います。つい最近も、毎日新聞社の幹部であったお客さん べらべらと立板に水のように喋るので、つい私、見合をから伺ったことですが、このお客さん、新聞社をお止しに しやペ みた よびこみ
「あたし、縁起のいい旦那に、あたしの履歴書を書いて頂です。 きたいんです。書いて頂けますかしら。履歴書も戦後は万「うん、あのころ綿糸の値は、ずいぶん動揺していたね。 年筆で書いたっていいんでしよう。」 しかし堅ぐるしい話、止そうじゃないか。まあ飲もう。」 しゃあしゃあ そんなこと言ってる間に、おかみが「すみません、お願 おかみが洒々として、事実、万年筆と筒に巻いた半紙を まねきねこ いいたします」とスタンドに半紙を拡げるので、私は思い 招猫の後から取出したので、すかさず高沢が、 きって万年筆を持ちました。これが毛筆なら、手が震える 「旦那、縁起です。書いてやって下さいまし。履歴書とい いしょ ところです。私は楷書で「履歴書」と書き、おかみのロ述 うものは、縁起が大事ですからね。」 そば するままに、本籍、現住所、姓名、生年月日、小学校卒業 と傍から言うのです。 私、ぎくりとしたことでございました。何のための履歴の年月、女学校卒業の年月を書き、現在の職業を料理飲食 きわ 書か私には大概わかっておりました。 店業と書ぎました。極めて平凡な履歴ですが、平凡であれ ばあるほど私は、それが貴重な履歴のような気がしたこと 思うに、高沢は幾らか辰巳屋のおかみに愛着を持ってい る。それを言い出すほどの熱はなさそうだが、好いたらしでございます。 い女だなという程度のところで、微かに反、」みたいなも「家族、または係累は。」 それを言うのに、私は息を殺す思いでございました。 のを持っているようでした。 「書けと言うなら書きましよう。では、マダムのため私が「一人・ほっち。家族なしと書いて。」 そう言うので、半ば疑いながらもその通りに書きま乙、 書いても、お前さん気を悪くしないだろうね。」 私がそう申しますと、高沢は、 * ひやく 「いや、とんでもない。私は百なし、旦那は福の神、縁起高沢も他の連中も珍しく鳴りをしずめまして、各自に飲 館のいいお方ですよ。このところ旦那は有卦に入ってらっしむのを止して私の手元を見ているようでした。女連れの客 ゃいます。銘木で大当りなすった前には、あれは何でしたは、東京都全図を拡げて黙々としておりました。 おかみは「宛名は : : : 」と言って、 駅ね、綿糸が値上りして、初めは確か七百万の儲けでした ね。それを買いなおして、とんとんとんと値上りして、一 「でも、履歴書のときは届先というのかしら。とにかく、 慰安旅行会御中と書いて。旅行会では、もう一人の人に付 千二百万の儲けでしたね。」 またしても高沢の駄法螺だが、さっきからの行きがかり添婦人が足りないでしよう。」 えんき うけ こ 0
272 「矢木村先生は、もう三年前から、近松に関する著述を執 、歌舞伎が好きなんだ。歌舞伎も近松物が大好きでね。 * どんちょう 上京するたんび、近松物なら緞帳芝居でも必ず見るといっ筆しとられます。我々は、それは博士論文じやろうと言う た男なんだ。」 とるんです。」 あぐら と自慢してみせました。 そう言って、腰かけの上に胡坐をかきまして、 「も今では、こうして辰巳屋のスタンドに齧りついたり「そうか、矢木村君も、なかなか勉強してるんだな」と高 うなず してね、腰かけに天神をきめこむような人間になってしま沢は頷いて、「俺も応援の意味で、参考書を送ってやりた いくらいだよ。しかし、独力でやるのがいいことだ。」 った。しかし、昔は近松研究において、矢木村君とクラス か《・ち′、 人を煙に巻くというのはこのことだ。あとで高沢から聞 のうちで優劣を角逐したものだ。」 いた話ですが、いっか矢木村校長なる人が修学旅行の団体 「なるほどね、ライ・ハルであったんですね。よくあるやっ をつれて水無瀬ホテルに泊ったとき、高沢はホテルの支配 です。」 人の意を受けて、校長先生を芝居へ案内したという話でし と万年さんも調子を合せます。 五人の高校生は、こんな場所で思いがけなく校長先生のた。ホテルとしては、近松に心酔している校長の急所を撫 うわさ もうとしたわけです。団体を引受ける駅前あたりの旅館で 噂をされたので、おそらく奇縁だと思ったことでしよう。 しこう や は、引率して来る先生の趣味、嗜好、性癖について、出来 それよりも、酒の上の醜態を気に病みだしたことでしょ う。五人とも、高沢の方を見るか伏目になるかして、鳴りるだけの情報を集めるのが常識で、リ・〈ートを要求するよ うな先生には、出来得る限りそれに応じるようにするのが をひそめておりました。 一方、私は於菊と膝を突き合していましたので、取澄し商法と心得ている。 そこで高校生の大将格の男ですが、もう止せば、 ていなくっちゃいけないと気取っておりました。高沢が出 まかせを喋るんで、私、ほどよく気取ってることが出来たに、「ウォーターをくれ」と女中に言いました。それも友 しき ささや んだと思います。出まかせを聞いているのだから、なおさ達甲斐のある方の高校生と、耳打ちで頻りに囁きあった上 えっ ら快楽に浸り得るんじゃないかと、悦に入って出まかせをのことでした。門限ぎりぎりまで動きたくないつもりと見 えましたが、店のおかみとすれば、もういい加減にしてく 聞いていたようなことでした。 のれん 高沢の出まかせは、案外に効力があったようでした。学れと言いたい気持だったでしよう。さっきから、暖簾をの そくだけで帰って行った客が何人かありました。万年さん 生の一人が、
合をしてみるかね、と高沢に言っておきましたが、夏のおそれで私、高沢のやつにその衣裳を突返して、 8 しよう 裳なら安あがりに出来ると思って不図そう言ったまでのこ 「せつかくだが、上布の着物を着たくって、俺が見合をす とで、戦争ですっからかんになってからは、絽の羽織なんると思われては困るんだ。まして、借着をして見合をした か持ったことはないんでございます。しかし男物の和服でと言われちゃあ、柊元旅館の番頭として恥さらしだ。俺は ゆかた も、最近は夏物と言ったって安くないことがわかりまし浴衣がけで見合をするつもりだ。」 そで た。高島屋の呉服部へ電話をかけて問合せますと、男物の と拗ねてやりました。無い袖を有るように飾られそうだ ふてくさ 夏羽織は、六月なら絽、盛夏なら紗、これが七八千円からから、不貞腐れたのでございます。 さと ただ 一万円。着物は、六月ならお召か絽お召、盛夏なら上布か でも高沢は聡いやつで、ころんでも只では起きない人間 ぜいたくひん 紗で、いずれも七八千円から一万二三千円。しかも贅沢品です。「この衣裳を、見せ金の代りにして来るかね」と言 だから、上には限りがないということでございました。 いまして、その上布の着物と紗の羽織を柊元旅館の御主人 ほとん 私は戦後の着物の相場を殆ど知らなかったのでございまのところに持ってって、何やら弁舌を設けて、御主人のと す。それに戦後の旅館の番頭は、本帳場の私どもでも、食ころから私の月給の半月分だけ貰って来てくれました。 べさせてもらって月給が手取り二万円、物価は高くなって私、その才腕に驚いて、 あが も、騰らないのは宿屋の宿泊料と番頭の月給だ。とても紗「前借かね。」 の羽織や上布の着物には手が出ない。無い袖は振れないと と念を押しますと、 はこのことだ。第一、女房を貰ったって食わせて行けるか「いや、お前が見合をするから、御祝儀として旦那が下す どうかわからない。・ とうせそれなら、見合なんかしなくっ った。遠慮なく頂いておけ。」 おろ′ト・′ てもしいという気持になっておりますと、高沢のやっ、下と鷹揚な口をきくのです。私、うっちゃっては置けない だんな あいさっ 谷の菜種屋旅館の旦那から、紗の羽織と上布の着物を借出ので、旦那のところへ挨拶に行くと、 して来て、 「慎重に見合することだ。お前さん、人を見る目は肥えて 「どうだ、この衣裳の手前もあるだろう。お前さん、見合るだろうが、上手の手からも水が漏れるというからな。人 * こんにち しなくっちや今日さまにすまねえよ。梅雨があけたら、すのロ車に乗っちゃいけないぞ。」 と戒めて下さいました。 ぐにも出かけようじゃないか。景気よく出かけようぜ。」 と勇み立って見せるんでございます。 高沢という男は要するに派手にばッとすることが好きな しゃ ペんぜっ