232 ぐおじぎをしながら、 た。ふんふんといちいちうなずいていたマスノの母親は、 「あら、失礼いたしました。しけで大へんでしたなあ。今 半分は先生にむかって、 「岬じゃあ船が流されたり、屋根がつぶれたり、ごっそり日は石ころ掃除のお手つだいをしていますの。」 壁が落ちて家の中が見とおしになった家もあると聞いたも しかし、おかみさんはまるで聞こえないようなようす んですからな、びつくりしてきたんですけど、つるべの棹で、 ぐらいでよかった、よかった。」 「おなご先生、あんたいま、なにがおかしいて笑うたんで マスノの母親がいってから、 すか ? 」 「マアちゃん、ごっそり壁が落ちたって、だれのうち ? 」 マスノはかかえていた石を、すてるのをわすれたよう「人が災難に会うたのが、そんなおかしいんですか。うち に、得意の表情になって、 のお父さんは屋根から落ちましたが、それもおかしいでし 「仁太んとこよ先生。壁が落ちて押入れん中ずぶぬれになよう。みんごと大した怪我は、しませなんだけんど、大怪 ってしもたん。見にいったら、中がまる見えじゃった。ば 我でもしたら、なお、おかしいでしよう。」 あやんが押入れん中でこないして天井見よった。」 「すみません。そんなつもりはちっともーー。」 顔をしかめてばあやんのまねをしたので、先生は思わず「 いいえ、そんならなんで人の災難を笑うたんです。おて 吹きだしたのである。 いさいに、道掃除などしてもらいますまい。とにかく、わ 「押入れが、まあ。」 なんじゃ、じ たしの家の前はほっといてもらいます。 そういったあとで、笑いはこみあげてきて、ころころとぶんの自転車が走れんからやってるんじゃないか、あほく 声に出てしまった。なぜそんなに先生が笑いだすのか生徒さい。そんなら、じぶんだけでやりゃあよい : たちにはわからなかったが、マスノはひとり、じぶんが先あとのほうはひとり言のようにつぶやきながら、びつく 生をよろこばしたような気になって、きげんのよい顔をしりして二の句もっげないでいる先生をのこして、ぶりぶり た。みんなはいっかよろずやのそばまできていた。よろずしながら弓きかえすと、となりの川本大工のおかみさん やのおかみさんはすごいけんまくを顔にだして走りよってに、わざとらしい大声で話しかけた。 きて、先生の前に立った。肩でいきをしながら、すぐには「あきれた人もあるもんじゃな。ひとの災難を聞いて、け ものをいえないようだ。ぎゅうに笑いを消した先生は、すらけら笑う先生があろうか。ひとつ、ねじこんできた。」
「みんな、やめたらええ。」 ったように落ちつきはらっていて、めったに泣かず、めつ 「わあ、お話にならん。」 たに笑わない少女だった。小ツルなどからあからさまなこ 先生はにが笑いをした。 とをいわれても、じろりと冷たい目で睨みかえす度胸は、 こんびら 「先生、・ほくはもう、金毘羅さんやこい、うちの網船で、 だれにもまねのできないものだ。「くさっても鯛」という 三べんもいったから、いきません。」 彼女のあだ名は、彼女の父のロぐせからきており、彼女は 森岡正がそういってきた。 それに満足しているところがみえた。 「あらそう。でもみんなといくの、はじめてでしよう。い そこへゆくと小ツルなどはさつばりしたもので、人のこ きなさいよ。あんたは網元だからこれからだって、毎年いともいうが、じぶんのことをいわれても、べつに気にとめ くでしようがね。先生いっとくから。修学旅行の金毘羅まないふうだった。一家そろってはたらき、そのはたらきを いりが一ばんおもしろかった、とあとできっと思いますか表看板にして裏も表もなかった。たとえば小ツルのあだ名 らね。」 は「目つつり」といわれている。たいしたきずではない 加部小ツルは、じぶんも行かないといいながら、やはり が、まぶたの上のおできのあとがひつつれているからだ。 行かない木下富士子のことを、こんなふうにいった。 ふつうなら、ことに女の子は「目つつり」などとなぶられ 「せんせ、富士子さん家、借銭が山のようにあって旅行どれば泣きたくなるだろうが、小ツルはちがっていた。まる ころじゃないん。あんな大ぎな家でも、もうすぐ借銭のかで人ごとのようにわだかまりのないようすで、 たにとられてしまうん。家ん中、もう、なんちや売るもん「目つつり目つつりと、やすやすいってくれるな。目つつ ないんで。」 りも、なろうと思うてなれる目つつりとちがうぞ。」 「そんなこと、いわんものよ。」 それは彼女の母たちがそういっていたからであろう。旅 かるく背中をたたくと、小ツルはペろっと舌を出す。 行にゆけないわけをも、彼女はざっくばらんにいうのだ。 * たのもしこう 「いやな子ー」 「わたしン家なあ先生、こないだ頼母子講をおとして、大 そういいながら思いだすのは富士子の家だった。はじめきい船を買うたん。だから、倹約せんならんの。こんびら ふにん て岬へ赴任したときでも、もう明日にも人手に渡りそうなまいりは、じぶんで金もうけするようになってから、いく うわさ 噂だったその家は、蔵の白壁が北側だけごっそりはげてい ことにきめた。」 た。古い家に生まれた富士子は、いかにもその家柄を背負 それで他人のふところも遠慮なくのそきこんで、人のこ にら
った大・せいの若者たちのうしろ姿にかさなりひろがってゆと、ランドセルはロポットのような感触で、しかし急激な くように思えて、めいった。今年小学校にあがるばかりのよろこびで動いた。長男のゆえにめったにうけることのな あいぶ 子の母でさえそれなのにと思うと、何十万何百万の日本のい母の愛撫は、満六歳の男の子を勝利感に酔わせた。にこ 母たちの心というものが、どこかのはきだめに、ちりあく っと笑って何かいおうとすると、並木と八津に見つかっ こ 0 たのように捨てられ、マッチ一本で灰にされているような 思いがした。 「わあっ。」 お馬にのったへいたいさん 押しよせてくるのを、同じようにわあっと叫びかえしな てつ・ほうかついであるいてる がら、ひっくるめてかかえこみ、 トットコトットコあるいてる 「こんな、かわいい やつどもを、どうしてころして へいたいさんは大すきだ よいものかわあつわあっ。」 気ばりすぎて調子つばずれになった歌が家の中から聞こ調子をとってゆさぶると、三つのロは同じように、わあ えてくる。敷居をまたぐと、ランドセルの大吉を先頭に、 つわああと合わせた。そこにどんな気持がひそんで、 並木と八津がしたがって、家中をぐるぐるまわっていた。 るかを知るにはあまりに幼い子どもたちだった。 孫のそんな姿を、ただうれしそうに見ている母に、なんと なくあてつけがましく、大石先生はふきげんにいった。 春の徴兵適齢者たちは、報告書と照らしあわされて、品 「ああ、ああ、みんな兵隊すきなんだね。ほんとに。おば評会の菜っ葉や大根のようにその場で兵種がきめられ、や あちゃんにはわからんのかしら。男の子がないから。 がて年の瀬がせまるころ、カンコの声におくられて入営す なら でも、そんなこっちゃないと思う : ・ : ・。」 るのが古いころからの慣わしであった。しかし、日ごとに ひつばく 瞳そして、 ひろがってゆく戦線の逼迫は、そのわずかな時間的ゆとり 四「大吉ィー」と、きつい声でよんだ。ロの中をかわかしたさえもなくなり、入営はすぐに戦線につながっていた。船 さんばし ような顔をして大吉は突っ立ち、きよとんとしている。ハ 着き場の桟橋に建てられたアーチは、歓送迎門の額をかか こちゃいろ タキと羽子板を鉄砲にしている並木と八津がやめずに歌いげたまま、緑の杉の葉は焦茶色に変わってしまった。歓送 つづけ、走りまわっているなかで、大吉のふしんがってい歓迎のどよめきは年中たえまなく、そのすぎまを声なき がいせん る気持をうずめてやるように、いきなり背中に手をまわす「凱旋兵士」の四角な、白い姿もまた潮風とともにこのア んし、 1 、
った男先生としては、なによりもオルガンがにが手であつんちょっきんちょっぎんな』、だことの、まるで盆おどり いなか の歌みたよな柔い歌ばっかりでないか。」 た。田舎のこととて、どこの学校にも音楽専任の先生はい なかった。どの先生もじぶんの受けもちの生徒に、体操も「それでも、子どもはよろこんどりますわ。」 唱歌も教えねばならない。そんなこともいやで、じぶんか「ふん。しかし女の子ならそれもよかろうが、男の子には やまとだましい らたのんで、こんなへんびな岬へきたのであったのに、今ふさわしからぬ歌だな。ここらでひとつ、わしが、大和魂 になってオルガンの前で汗を流すなど、オルガンをたたきをふるいおこすような歌を教えるのも必要だろ。生徒は女 ばっかりでないんだからな。」 つけたいほど腹が立った。 しかし、今夜はそうではなかった。奥さんひとりの生徒奥さんの前で胸をはるようにして、ことのついでのよう にしろ、ひき手と歌い手の調子が合うところまでいったのに、今のさっきまで二人でけいこをした唱歌を歌った。 「ちンびきのいわは、おンもからずウ だ。そんなわけで、男先生のほうは、わりとごきげんだっ 「しつ、人がきいたら、気ちがいとおもう。」 た。そこで奥さんにむかって、少し鼻をたかくした。 「おれだって、ひく気になればォルガンぐらい、すぐひけ奥さんはびつくりして手をふった。 そして、いよいよあくる日、唱歌の時間がきても、生徒 るんだよ。」 はのろのろと教室にはいった。どうせ、今日もまた、オル 奥さんもすなおにうなずいた。 ガンなしに歌わされるのだと思って、はこぶ足もかるくな 「そうですとも、そうですとも。」 大石先生が休みだしてから、明日は六回目ぐらいの唱歌かったのだろう。小石先生だと、土曜日の二時間目が終る の時間になる。男先生にとっては、明日の唱歌の時間がたと、そのままひとり教室にのこって、オルガンを鳴らして ばんぎ いたし、三時間目の板木が鳴るとともに行進曲にかわり、 のしみにさえなってきた。 みんなの足どりをひとりでに浮き立たせて、し・せんに教室 「きっと生徒が、びつくりするそ。」 「そうですね。男先生もオルガンがひけると思うて、見なへみちびいていた。どんなにそれがたのしかったことか、 みんな、心のどこかにそれを知っていた。ロではいえな おすでしようね。」 、それはうれしさであった。だから、小石先生がこなく 「そうだよ。ひとつ、しゃんとした歌を教えるのも必要だ からな。大石先生ときたら、あほらしもない歌ばっかり教なった今、ロではいえないものたりなさが、みんなの心の えとるからな。「ちんちんちどり』、だことの、「ちょっきどっかにあった。それを、気づくというほどでなく、みん
401 裲襠 の、そのまた中の小さな村の女家族の家の出来ごとにとど八になったたつも、女の更年期を休めるまもなかった十 まらず、有るものはどんな理由をつけても出さねばならな六歳の小梅も、女ざかりをかけ回ることでごまかして暮し たような琴路も、村の人たちと同じようによごれ、つか くなっていた。人的資源という言葉がつくり出され、まだ はつ物 幼な顔の学徒たちまで戦火の中へ押出されていく。寺の鐘れ、そしてがったりと肩を落していた。さやか一人が発剰 くら まで戦争にゆくというのに、庫の中の小判や火鉢が何のことして、 とがあろうと琴路は考えた。彼女は模範隣組長として表彰「おばあさん、民主主義になったんじゃ。男女同権になっ までされた。しかしその反面、私服の刑事は相も変らずやたんじゃ。」 かいしゅん ってきた。そんなとき琴路はよく、改悛顕著と、むずかしと、毎日のように新知識をもって帰ってはみんなを笑わ い言葉をつかった若い刑事を思い出すことがあった。菊次せ、おどろかし、感心させるのだった。その笑い声だけが なま 小判屋代々の女たちの眼をかがやかさせ、それぞれの思い 郎と同じ訛りの若い男だった。今はもうその若い男はい ず、いつもくるのは年とった刑事ばかりだった。琴路にしで新しい小判屋を期待させた。琴路ほどではないがやはり ろ三十をこしていた。刑事の姿をみてももう腹も立たず、さやかも背が高く、そこへたつは希望をよせ、小梅は小梅 あざ で、痣になやみの消える日とてなかった琴路の昔を思って 「ガダルカナルは、負け戦だっていうじゃありませんか。 アツツはアツツだし、一体日本はどんなことになるんな。」ほっとするのだった。琴路だけは、どこをとり立てていう ことがない。さやかのためには、自分などにはなかった自 わざと刑事の言葉くせをまねてそんなことをいってみた 由な世界がまちうけていそうに思えて、そのことだけでも りもする度胸ができていた。 そろそろ、きれいにならな 眉根がひらくようだった。 「だれがそななこというんな。」 「だれがいうて、警察のお方に聞きましたが。あ、そうそくちゃーーと三十四の琴路はそれを、さやかのために思う のだった。そしてそのことでふと、淋しくもなったりし う、たしかあんたでしたがな。」 こ 0 わざとと・ほけると、刑事の方も笑って、 「しかし小判屋さん、そんなこと、あんまり大けえ声でい わん方がよろしござんっそ。」 そして戦争は終り、同時に十年にわたって精勤した琴路さやかの喜んだ民主主義は、小判屋の身代を半分に減ら きじゅ のまねかざる客は姿を消した。喜寿の祝いも出来ずに七十し、戦時中頼んで小作に出した畑なども農地改革で、作っ さび
なんのもみじの葉がひとっ ひとりひとりの小さな指にちかいながら、浜へくると、 くりかえし歌って、いっかそれもやみ、しだいに遠ざか 仁太が大声で、 る船にむかって呼びかける声も細りながら、いつまでもっ 「なに、歌うん ? 」 づいた。 と、マスノの顔を見た。 たる 「せんせえ 「螢の光だ、そりゃあ。」 「また、おいでえ。」 男先生がそういったが、一年生はまだ螢の光をならって 「足がなおったら、またおいでえ。」 いなかった。 「やくそくしたぞオ。」 「そんなら一年生も知っとる歌、「学べや学べ」でもうた 「やくそくしたどオ。」 ら・ : 刀い」 男先生はじぶんの教えた歌を聞いてもらいたかった。し最後は仁太の声で、あとはもう、ことばのあやもわから なくなった。 かしマスノがいち早く叫んだ。 「かわいらしいもんじゃのう。」 「山のからす。」 船頭さんに話しかけられて、はじめて我れにかえりなが 彼女はよほど「山のからす」がお気にいりらしかった。 ら、しかし目だけは、まだ立ちさりかねている浜べの人た そしてもう、まっさきに、うたいだしたのだ。 ちからはなさずに、 山のからすがもってきた 「ほんまに、みんな、それそれ、えい人ばっかりでのう。」 あかい小さなじようぶくろ まだやっと一年生なのに、彼女の音頭とりはなれきって「昔から、ひちむつかしい村じゃというけんどのう。」 「そうよの。そんな村は、気心がわかったとなると、むち 、た。天才とでもいうようなものであろうか。ちゃんと、 やくちゃに人がようてのう。」 瞳みんなをあとについて歌わせる力があった。 「そんなもんじゃ。」 あけてみたらば月の夜に 四 十 つよい日ざしと海風に顔をさらしたまま、もう胡麻ほ 山がやけそろこわくそろ 村の人も大ぜい集まってきて、あいさつをした。大石先どにしか見えない人の姿とともに、岬の村を心の中にしみ 、つまでも目をはなさなかった。櫓の音 こませるように、、 生もいっしょに歌いながら、船にのりこんだ。 だけの海の上で、子どもたちの歌声は耳によみがえり、つ へんじかこうと目がさめりや
「一生に一ペんのことじゃ、やってやりましよいな、こんく、 したこ なときこそ。いつも下子の子守りばっかりさして、苦労し「着物きて、いくか。」 とるもん。」 早苗が泣きそうな顔をすると、 「それや、うちの小ツも同じこっちゃ。しかし、なに着せ「姉ゃんの、きれいな着物に腰あげして着ていくか。」 てやるんそな ? 」 「うちじゃあ、思いきって、セーラー買うてやろうと思 「お前だけ着物きていくのがいやなら、やめとけ。そのか わり、洋服を買おうや。どうする ? 」 「はした金じゃ、買えまいがの。」 「ま、そんなこといわんと、買うてやんなされ、下子も着早苗は・ほろっと涙をこぼし、くいしばったロもとをこま るがいの。」 かくふるわせていた。二つのうちどちらをとってよいか亊 「ふーん。」 断がっかなかったのだ。しかし母親のこまって泣きそうな 「早苗さんも、そうすることにしたぞな。小ツやんにもひ顔に気づくと、きゅうに早苗の決心はついた。 とつ、ふんばっしてあげるんじゃな。」 「旅行、やめる。」 「そうかいの。早苗さんも、のう。そうなると、小ツもじ こんないきさつがあったとは、だれもしらず、修学旅行 っとしておれんはずじゃ。やれやれ。そんならひとつ、貧は六十三人の一団で出発した。男と女の先生が一一人ずつ 乏質におこうか。」 で、もちろん大石先生も加わっていた。午前四時にのりこ こんないきさつがあったのだ。ところが、当日になるんだ船の中ではだれも眠ろうとする者はなく、 : 力やがやの と、早苗は、風邪ぎみでゆけないといった。しかし早苗はさわぎのなかで、「こんびらふねふね」を歌うものもいた。 のどが痛いのでも、鼻がつまっていたのでもない。痛かっ そんななかで、大石先生はひとり考えこんでいた。その たり、つまったりしたのは、お母さんの財布のロのほう考えから、いつもはなれないのが早苗だった。 さん・こ で、早苗のために売りにいった珊瑚の玉のついたかんざし ほんとに、風邪けだったのかしら ? は思う値で売れず、洋服を買うことができなかったのだ。 早苗のほかにも、十幾人かの子どもがそれぞれの理由で 人の足もとをみてからにと、早苗の母は、その古手屋 ( 古旅行にこられなかったのだが、とくべつに早苗が気になる 物商 ) のことをいつまでもおこりながら、早苗にはやさしのは、岬の生徒で、彼女ひとりが不参加だからかもしれ
うわさ ール箱を下げたその男が、今度は新しい道づれに加った。 は行けないそうだという噂が前部からったわって来た。み おおいぬの んな立ち上って、騒然となった。その車の外を、若い駅員雨でよごれたプラットフォームに、覆布をかけた郵便行 嚢の高い山がいくつも出来ている。ひろ子が、田原の家 が、ちっとも親切気のない無関心な声で、 で、網走から解放されようとしている重吉のために書いた 「みんな出て下さい。この列車は先へ行きませんよウ」 片手で備子をうしろへずらしながら呼んで通りすぎかけ速達も手紙も、恐らくは、みんなこの湿っ・ほくて陰気な、 た。すると、ひろ子の向い側の座席にいた四十がらみの痩いっ発送されるか見とおしもない郵便物の山につつこまれ ているのだろう。 せすぎの男が、さっと立って、 プラットフォームは大体もとのままであった。が、駅舎 「おい君 ! 君 ! 」 思いがけず野太い、人を服従させつけている者の調子でから全市街の大半が焼かれていた。眼のわるい支店長、ひ ろ子、新しい道伴れ、三人は、人群にまじって荒板づくり 窓ごしにその駅員をよびとめた。 の仮事務所の前に立った。姫路駅では正確な故障箇所の告 「そんな誠意のない物の言いかたがあるか ! みんな長い 中へ入って来、そ知板さえ出してなかった。いっ回復する見込なのか、そん 旅行で難儀しているんじゃないか。 なことを知る必要もないという駅員の態度である。 して、説明したまえ」 あちこちから賛成の声が起った。暗いプラットフォーム 「君たち、商売なのにそんなだらしないことってあるもの の屋根の下に停っている上、すべての乗客がざわっいて立か。鉄道電話は何のためにあるんだ」 ち上っているためなお薄暗い車内に、その駅員が入って来「電話なんてあらへんよ、焼けしもうて。 頓馬ーというような眼付をして、新しい道づれをジロ た。そして、改めて、 「この列車は、水害のため、姫路止りであります。どなたジロ眺めながら若い駅員は平然と答えた。 「もうとっくに、電信不通や ! 」 野もお降り下さい」 これでも文句があるか、というように答えて、雨の降っ 平と告げた。乗客たちが駅員をとりまいた。が、結局、姫路 州 の先の水害故障というのはいっ回復するのか、どこの地点ている地べたへ煙草の吸殻を投げすてた。 「ー・・ー鉄道ラジオ一つないんだから : : : 。外へ出ましょ が故障なのかさえもはっきりしなかった。 背広も合外套も渋」好《「、 , , ・ , と大き」新 0 」伴れが、警察」宿屋をさ・ = うと提案 0 〈。 のう とんま なが たばこすいがら
という運送屋の三男もあった。もちろん父のいきのかかっ会にこしらえとくもんじゃ。」 た船乗りもたくさんいた。祖母や母のどうかするとそこへすると琴路はふんというように笑い こぼれ梅といきましようか。」 傾きたがるのを、それだけは私の自由と、妙なところへ自「じゃあ、模様は松に、 由をもち出して琴路のえらんだのは、高松在の百姓の二男 たつは瞬間だまってしまった。別に皮肉ったわけではな で、小学校の教師をしているという男だった。菊次郎とい 、折からのひなの節句に、軸になった残月さんの絵が床 そぼく う素朴な名も気にいった。知っている顔、写真の顔をならの間にかかっていたからの琴路の思いっきだった。 ぶおとこ べてみたところ菊次郎氏は一番貧相な、不男だった。学歴「残月さんのこと、よう覚えとる。」 としてもつりあわなかった。話をもちこんできた人への義琴路がとりなすようにいってはるかな目をすると、たっ 理だてから琴路にもとりついだのだが、琴路がそれをえらもふっとなっかしげな顔をし、 んだとなると、たつも小梅も意外の面持ちをした。 「残月さんも、どうなさったかのう。」 「合縁奇縁というさかい、風さいでどうこうはいえんけん そして、何とおもってか、 「やけのやんばちなんそ、おこすもんでないそ。かという あきらかに不服とみえるたつの言葉をきくと、琴路は押ておていさいで暮すこともないし。」 えていた感情をはじめてほとばしらせて、 「わかっとる。」 「家出もようせん私なら、どんな婿さんでもええじゃない 琴路はまじめにいった。 の。小判屋の娘なんぞに生れてきたのが運のつきょー」 「何というても、小判屋の血は、絶やすわけにいかんで たつの顔に血が上った。そんなら、家をとび出せといし たかったのだ。しかし、小判屋の血を尊ぶ精神はたつの激「そうよ。けつきよくおばあさんも、おかあさんも、それ かな 情をしずめ、哀しい顔をしてだまりこんだ。 だけが大事なんだから。」 「琴路はどうなんじゃ。」 話がそこへきまると、急に呉服屋が出入りしだした。 「どうせ結婚式にきるだけだもん、お母さんのお古で結「私だってそう。こやって、親のいうことを聞いて、養子 さんもらうんじゃもの。」 紋つきを作ろうといわぬ琴路に、 うちかけ 「そんなことお前、これは女の道具じやでのう。こんな機時節柄もう裲襠でもあるまいと、それだけは琴路の気持 ふう むこ
404 ことも、知らないこともあった。おどろくことも、感心すの畑が残っているだけになっている。年がら年中そのこと ることもあった。いやなことも、ほほえましいことも、うばかりをいってはこ・ほす小梅に、 つくしい話も、腹が立っ話も、はがゆがることさえも早速「でも、山だけはそのままあるじゃないの。それだけで にはできないほど呆れる話さえ出てきた。小梅の出生につも、結構じゃないの。」 と、さやかは祖母をなぐさめていたのだが、みるみる中に いての秘密などそれだ。 小判屋の身代が減っていったことに、何となく割りきれぬ 恥さらしをいうようだけれど : : : と前置きをして、 小梅の異母妹にあたる小さとが、昔、姉妹の杯をしてくれ思いは残っていた。ことに背戸に対しては、それを、いわ と申入れがあったことを語ると、さやかは、ある不快を顔れのないことと知りながら、恨みがましい気持を消すこと ができないでいる。それはまた、背戸の人たちが何となく に出しながら、 こころ いばり出したからでもある。その快よからず思っている人 「そんならなにも、小判屋は代々一人娘とちがうじゃない たちが、自分と血のつながりを持っていると知らされて の。背戸と小判屋は親せきじゃないの。背戸のおばばは、 は、若いさやかは腹さえ立ってくる。 おかあさんの叔母さんーーー」 「いやらしい。たつばばさんは、そんな不な人 ? 」 しつーというように琴路はかぶりをふり、 「今更、そんなことおばあさんらにいうたらいかんよ。一 生けんめい、小判屋小判屋と大事がってきた人だから。そ「小判屋小判屋と自慢げにいうてもろくなことないじゃな いの。」 「ほんとにそう思うのかい、さやかは。」 何かをいいそうになってやめた琴路の心の中を、さやか はさやかなりに察した。それは思わず出たさやかの不快と「思うわよ。どうして ? 」 つながってもいたのだった。昔、姉妹の杯をといわれたと「おかあさんは、そうは思わないがな。たつばばさんは、 き、小梅はそれを、身上持ちの小判屋へつながろうとする気の毒な人だと思う。おかあさんにこんな考え方を教えて 野心とうけとってはねつけたのだという。それがどうだろくれたのが、東京での生活だったの。つまずいて、転んで う。何十年後の今日、小判屋の身上の中、畑の半分は小作しまったけれど。」 涙ぐんでいるような琴路の目をみて、さやかははっとし であった背戸へ渡ってしまったのだ。あとの半分は別の小 た。目がさめる思いだった。そんなさやかに、琴路はつづ 作のものになり、小判屋としては屋敷つづきの三畝ばかり