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検索対象: 現代日本の文学 22 宮本百合子 壺井栄集
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1. 現代日本の文学 22 宮本百合子 壺井栄集

翌日、コトエは先生の顔を見るなり報告した。 やコトエたちにようすをきいてもらちがあかず、先生はと うとう手紙をかいた。十日ほどまえになる。 「先生、きのうマッちゃん家へ手紙をもっていったら、知 松江さん、赤ちゃんのユリエちゃんは、ほんとにからんよその小母さんがきとった。マッちゃんおりますか、 わいそうなことをしましたね。でももうそれはしかた いうたら、おりませんいうたん。しかたがないから、これ がありませんから、心の中でかわいがってあげることに マッちゃんにわたして、いうて、その小母さんにたのんで して、あなたは元気をだしなさいね。学校へは、いっかきたん。」 らこられますか。先生は、まい日マッちゃんのからっ・ほ「そう、どうもありがとう。マッちゃんのお父さんは ? 」 のせきを見ては、マッちゃんのことを考えています。 「知らん。見えなんだ。 その小母さん、おしろいつけ 皇ー ~ 、こいこい マッちゃん。早くきてみんなといって、きれい着物きとった。マッちゃん家へ嫁にきたんとち ペんきようしましよう。 がうかって、小ツルさんがいうんで。」 コトエはちょっとはにかみ笑いをした。 手紙は松江の家といちばん近いコトエにことづけた。し「そうだと、マッちゃんも学校へこられていいけどね。」 かしその手紙が、松江にとってどれほど無理な注文である それからまた十日以上たったが、松江は姿を見せない。 かを先生は知っていた。赤ん坊のユリエはいなくなって手紙はよんだろうかと、ふと心にかげのさす思いで、窓の も、松江にはまだ弟妹が二人あった。五年生になったばか下を見ていたのだった。ズガニを三匹とった正は、それを ずのう りの彼女は、幼い頭脳と小さなからだで、むりやり一家のあき罐にいれて得々として石垣をの・ほってきた。三角形の あんす 主婦の役をうけもたされているのだ。どんなにそれがいや空地にある杏の木は夏にむかって青々としげり、黒いかげ でも、ぬけだすことはできない。父親をはたらきに出すたを土手の上におとしている。そのま下にかたまって、岬組 瞳めには、小さな松江がかまどの下をたき、すすぎせんたくの女生徒たちはズガニの勇士を迎え、われがちにいった。 四もせねばならぬ。ひょこのようにきようだい三人よりあっ 「タンコ、一びきくれなア。」 「うちにも、くれなア。」 一一て、父親の帰りをまっているだろうあわれな姿が目の前に ちらっく。法律はこの幼い子どもを学校にかよわせること「わたしもな。」 「やくそくど。」 を義務づけてはいるが、そのために子どもを守る制度はな いのだ。 蟹は三匹なのに希望者は四人なのだ。正は考えながらあ かん

2. 現代日本の文学 22 宮本百合子 壺井栄集

だて女子にちげえはねえだ。悪えこったってすらあな。邪た。 めえ 「面白えなあ。踊りてえなあ。ちゃん ! 」 魔んなりやお前を・ほん出そうともすらあな ! 」 甚助の子が、よろけながら立ち上ったとき、向うから、 「そらそうだペ。けんどあげえなこって親子喧嘩しちゃ、 ろよい ちゃん これも微酔の善馬鹿が来かかった。 親父にすまねえ。俺らせえ黙ってりやすむこんだかんな これ : 、すっかり元のように賑やかになってしまった。 あ。俺らそげなことをする気はねえ」 彼は皆に呼ばれて、また二三杯のまされた。 「だからお前は仏性よ、めったにねえ生れつきだんなあ。 「おめえ俺らと仲よしだんなあ。善 ! 踊んねえか ? 面 いってんそ」 死んだ親父のいった通りのことー めえ 白えぞ」 「そいから見りやお前は、極道者だんなあ、一升」 みみたふ えんだい そば 甚助の子は、善馬鹿の耳朶を引っぱりながら、床几のま 傍から甚助が口を入れた。 わりを引っぱり廻した。 「ほんによ。こげえな極道者の行く先あ大方定ってら」 めえらいま・ころ 「お前等今頃んなって、そげえなことほざくんか ? のれ「こりゃうめえ、さ、踊れ。また酒え飲ますぞ」 「踊れよ、相手が好えや。 えなあ。見ろ、俺らのそばにやもうちゃんと地獄がひつつ 「そら踊った、踊った ! 」 いてら。ほかへ行ぎようもねえじゃねえかあ ! 」 しやく つけもの と一升は、自分のそばに坐って漬物を食おうとしている酌単純な頭を、酒でめちやめちゃにされた甚助の子は、気 違いのようになっていた。 婦上りの女房をさした。 はだぬ ぞうり 肌脱ぎになり、両手に草履を履くと、善馬鹿の体中を叩 きながら、わけの分らないことを叫んで踊り出した。 「好え気になって、ほざいてけつかんから恐ろしいや」 「や ! うめえぞッ ! 」 「そうともよ、好え気になれんのも娑婆にいる間だけのこ 「そーらやれやれ。ええか ? 唄うぞ ! った、なあ新さん。死んだ後のこと、俺らが知るもんけー ホラ : ・となーれ。 あとは野となれやま : ヤ、シッチョイサ ! 俺らげの畑でよう : ・ ホラ、シッチョイサ ! カ どうだ巧かっぺえ」 カっさい ええそッ ! 」 皆は破れるように喝采した。新さんは妙な笑い方をし「ハ わ しやば うた たた

3. 現代日本の文学 22 宮本百合子 壺井栄集

うと呼びずてにするのは、親不孝になるぞ。さあ、今日か改めていこうというわけだ。さしずめばばさんのすずもお ら、おとうおかあをやめる約束のできるもんは、手工ばあさんということになる。おばあさん。この新時代のに あげ。」 おいのする呼び名にすずはいし 、ようのないほどの魅力を感 またわいわいさわぎながら、みんな目顔でさぐりあい じ、「おかあさん」のたっと竸争で、まだろくにロもきけ 級長の元一が手をあげるのをみてわれもわれもとそれになぬ小梅に話しかける。 らった。気持よさそうにその小さな手の林を見ていた校長「小梅ちゃん、おばあさんは ? 」 は、たった一人手をあげていない徳松を見つけると、徳松 小梅の澄んだ目はすずをみながら、 だけに問いかけた。 「ば】ば。」 AJ い、つ 0 「徳、お前、どうして手工上げんのじゃ。」 やまざる 山奥の部落から通っているので山猿というあだ名のあ「小梅ちゃん小梅ちゃん、おかあさんは ? 」 る、いたずらっ子の徳松はにやにや笑いながら、 小梅はすぐたつの方へ目を転じながら、やはり、ばーば 「ほたって先生、うらあ、おとうおかあといわんもという。カ松までが同じように、 ん。」 「小梅ちゃん、おとうさんは ? 」 「ほほう、おとうさんおかあさんというとるのかい。」 それでも小梅は平等にばーばとしかいわぬ。小梅のその 無心な姿はいっか一家のわだかまりをぬぐって、小梅を中 「そんなら、どういうとるのかい。」 むに小判屋は笑い声がたえなかった。そのばーばがばあち 「やじよかかよ いいます。」 ゃんとなり、かーかとなり、とっちゃんとなり、それそれ おやじのおの字さえもはぶいているというのだ。組中が区別していえるようになったころのある日、たつは裏庭の 笑いのかたまりになり、徳松の人気はそれでまた一段とあ日だまりに茣蓙をひろげ、小梅を遊ばせながらっくろいも がった。おとうおかあをやめると約東した子供らの間 のをしていた。ことんと裏木戸があいたことさえも気がっ ひざ で、急に徳松をまねて、やじよかかよというものがふえかず針を動かせていると、小梅が急に膝にまつわりつき、 たのである。 「とっちゃんとっちゃん。」 学校でのそんな話をカ松から聞いていたこともあって、 と、おびえたような目をした。小梅のとっちゃんは、カ松 小梅をきっかけにおとうさんおかあさんは小判屋からだけでなく、村の男衆なら分けへだてなく、日傭いの肥も ・こざ ひやと

4. 現代日本の文学 22 宮本百合子 壺井栄集

あしおと くなっている現在、登代の活動を愛する生れつきは、在っ つまらなそうに歩いてどこかへゆく跫音がした。そのま て甲斐ないもののようになった。 ま台所はひっそりした。あとには、昭夫が一人で、すぎな 少年時代、重吉が机をおいて暮していた二階の東窓の下だけ板じきをちらかして、はったい粉をたべているのだろ に、ひろ子はくたびれの出た体をよこにしていた。別棟でう。 更に東につき出ている台所で、いきなり、四歳の昭夫が、 上目づかいの癖がある小さい昭夫は、食事のときも、 「いらん ! いらん ! 「くわん」 いらんいうたら、いらん ! 」 とをふりたててどな 0 ているのがきこえた。同時に、 そう言ったきり、一且とりあげた客を粗暴に食卓の上に おとなげた 投げ出した。 はいている大人下駄で地団太ふむ音がした。 「なにいうてるのよ、昭ちゃん。かたい言うから柔わうに 「どうで ! 昼もようたペんと」 登代が気づかって、顔色のよくない、きよときよとした したんじゃないの、じら言わんとた・ヘんさい」 小麦と米を挽き合わせた「はったい粉」をねって、二人昭夫を見た。 の子供らは時をかまわずた・ヘていた。そのねりかたがかた「治郎ちゃんを見い。ようたべちよる。さあ兄ちゃんじゃ 、軟かすぎると、ひろ子がついて間もなく昭夫はあたけけ、昭夫もお行儀ようにせにや、東京のおばちゃんが、も みやげ こ 0 うお土産もって来てやらんといの」 昭夫は、ひろ子を見あげて、にやっと笑った。 「いらん ! 」 おいし 「さあ、お汁かけて。ほん、美味そうじやろうが」 ガチャッと何かがころがる音がした。 すましじる ちやわん 「昭ちゃん ! 」 昭夫は、自分の前に豆腐の澄汁をかけた茶碗がすえられ るまでじっと見ていて、又、 思わず怒ったつや子の声になった。 「くわん ! 」 野「どうして、お前、そう言うことをきかんの ? 」 お父ちゃんに言いつけますよ、とおきまりに結んで来たとくりかえした。 州 としか思えない言葉じりを、つや子はそのまま途切れさせ「いもがええ」 播 それ助かった、という風に祖母と母親とが、 た。溜息でもついている風であった。やがて、気力も張り もない、すてたような調子で、 「何で、そんなら早うそう言わんのじやろ」 、、さら 「母さんはもうしらん」 と蠅入らずから、ふかした薯の皿をその前へ出してやるの はえ しる いったん

5. 現代日本の文学 22 宮本百合子 壺井栄集

ちょろか。ーーー浜で遊んで待っちょろか、よう。」 「悪い ! 牛が突いたら痛いなあ ! 」 健は右の人さし指で自分のおでこを突き、まるで牛に突「 : ・ かれたように痛い顔をした。お母さんもいっしょに痛い顔「お母さん、健泣かんと待っちよる。ようお母さん、また こんど、健がめくらになったら神戸い行くんのう。ほじゃ をした。そして、 ほんな健はめくせに健おばあさん家で待っちょろ。ーーー克ちゃんにキャマ 「痛いとも、牛に突かれたら痛いどー レルやろうや。」 ら好きか、好かんか。」 ひざ 「好かんー」 健は、顔からハンカチをはなさないお母さんの膝をそっ 眉をよせ、顔をしかめて、ぎつばりと答えた。 とすべりおり、寝かされて泣きもせず、いつのまにか眠っ 「好かんなあ、めくらかわいそうなあ。」 ている克子に近々と顔をよせて行った。 たもと お母さんは健にうなずきながら、袂からハンカチを取り「克ちゃんよ、兄ゃんがキャマレルやるそ。二つやるそ、 だして、かわるがわる目を押さえた。 ほら、ほら、紙とってやろうか、克ちゃんかしこいなあ。」 「なあ健、健は目々が見えてよかったなあ。克ちゃんは目 目が見えんので、お母さんの顔も、健のも見えんの。克ち ゃん、かわいそうなあ。」 南をうけた小さい入江にそって、村道が海と陸とのへだ 「ん、ほんな克ちゃん牛に突かれるん ? 」 てとなって東西へのび、段々畑の連なった広い丘を背負っ 「そう、ほじやせに神戸い行くん、神戸のお医者さんが痛て四、五十軒の家が海にむかって並んでいる。健のおばあ い痛い目薬さしたら目々が見えるようになるんで、健は目さん家はこの村の真中どころにあり、切手やはがきなどを 目が見えるせに目薬さしに行かいでもえいん。克ちゃんは売っていた。門のそばの板壁には赤い四角な郵便箱がかか っている。毎日お昼すぎごろになると郵使屋がその箱をあ 葉早よ行て目薬さして来にやかわいそう、なあ。」 せき の お母さんはまた目を押さえ、そしてむせぶような咳をけにきた。健がおばあさんの家へ来てから、もうかれこれ 大し、鼻をかんだ。その常ならぬ顔を、健はうたてそうに眺ひと月になる。健はときどぎお母さんの手紙を持ってきて くれる郵便屋さんが大好きで、今日もその姿を見ると、一 めた。 「お母さん、健、ほんなおばあさん家で待っちょろか。人で縁に寝ころんで絵本を見ていたのが急に起きあがっ かぎ おばあさん家の太郎さんと、秀子ちゃんと遊んで待って、かけだして行った。郵便屋さんは大きな鍵をガチャガ なが

6. 現代日本の文学 22 宮本百合子 壺井栄集

る。網走、石田重吉と出た。これで、重吉は帰る、ひとりて、東京に着くのは、十三、四日でしよう。すぐ立たなく でに呼び声となった。 ちゃ」 「縫ちゃん ! 縫ちゃん ! 」 「福島へよってでありますまいか」 廊下の途中で、手をふきふき来る縫子の腕をつかみしめ 一時に、いろいろの可能が考えられ、話し出された。そ こ 0 のどれもが、西から帰って行くひろ子と行きちがいそうに 思えるのであった。 「縫ちゃん、これ見て ! 」 「おお ! 出ちよる、出ちよる ! 」 「ともかく東京まで帰りましよう」 「さあ、もうたしかよ」 最後に決心して、ひろ子が言った。 ひろ子は、 「東京に、連絡事務所が出来たらしいし」 「ああ、たすかった」 重吉が依頼していた弁護士の一人の事務所が連絡所とし 心からうめいて、目に涙を浮・ヘながら笑顔になった。声て発表されているのであった。 をききつけて、白い粉にまびれた手のまま、叔母もかけて 「はあ、すぐ駅へおかえりませ。今夜の汽車にでも乗れた 来た。 ら乗ることだ。のう、あんた」 「じゃあ、ドーナツツ、持たせましよう。もうそれどころ 「どうでありますか ? 出ちょってでありますか」 「ほれ、こんに」 でないわ」 縫子がその記事をさした。 「それ、それ」 ことづけ 「どれ、どれ」 さわ子によろしくを言伝るのがやっとで、ひろ子は又縫 さし出された新聞を、都合のよいところまでもう一遍は子とつれ立って、家を出た。 野なして叔母は読んだ。 来たときのとおりの道を、今度は、こちらから歩いてゆ く。ひろ子は、自分がどんなに物も言わず、出来るだけの 平「ほんに。こんどは確実でありますよ」 「私、こうしてはいられない」 速力を出し、むきになって歩いているか心付かなかった。 ひろ子は、にわかに困ったような、たよりなげな表情にときどき縫子が、 なった。 「もうちとゆうに行きましようか」 「十日までというから、かりに八日か九日網走を出るとしと、歩調をゆるめた。ひろ子は、それを従妹が自分の脚の

7. 現代日本の文学 22 宮本百合子 壺井栄集

見まわすと、いちばんうしろの席の、ずぬけて大きな男と、叫んだ。みんながまた笑いだしたことで相沢仁太とい うその子はますますいい気になり、つぎに呼んだ森岡正の の子が、びつくりするほど大声で、答えた。 ときも、「タンコ。」とどなった。そして、じぶんの番にな ると、 いっそう大声で、 「じゃあ、ハイって返事するのよ。岡田磯吉くん。」 返事した子の顔を見ながら、その子の席へ近づいてゆく「ハーイ。」 と、二年生がどっと笑いだした。本ものの岡田磯吉は困っ先生は笑顔のなかで、少したしなめるように、 「相沢仁太くんは、少しおせつかいね。声も大きすぎる て突っ立っている。 わ。こんどは、よばれた人が、ちゃんと返事してね。 「ソンキよ、返事せえ。」 きようだいらしく、よくにた顔をした二年生の女の子川本松江さん。」 が、磯吉にむかって、小声でけしかけている。 「あんたのこと、みんなはどういうの ? 」 「みんなソンキっていうの ? 」 先生にきかれて、みんなは一ようにうなずいた。 「マッちゃん。」 「そう、そんなら磯吉のソンキさん。」 「そう、あんたのお父さん、大工さん ? 」 また、どっと笑うなかで、先生も一しょに笑いだしなが 松江はこっくりをした。 ら鉛筆を動かし、その呼び名をも出席簿に小さくつけこん「西口ミサ子さん。」 「ミサちゃんていうんでしよ。」 「つぎは、竹下竹一くん。」 彼女もまた、かぶりをふり、小さな声で、 「ハイ。」りこうそうな男の子である。 「ミイさん、いうん。」 その 瞳「そうそう、はっきりと、よくお返事できたわ。 「あら、ミイさんいうの。かわいらしいのね。 四つぎは、徳田吉次くん。」 十徳田吉次がいきをすいこんで、ちょっとまをおいたとこは、香川マスノさん。」 ろを、さっき、岡田磯吉のとき「いる。」といった子が、 。恵わずふきだしそうになるのをこらえこらえ、先生はお 少しいい気になった顔つきで、すかさず、 さえたような声で、 「キッチン。」 つぎ

8. 現代日本の文学 22 宮本百合子 壺井栄集

380 と、重い・ ( スケットをさし出した。琴路はもうそれに気を「残月さん、ひとりできたの。」 小梅は自分の下品さを忘れて聞いた。 とられ、よいしよ、よいしよと両手でさげて先に立った。 「ううん。郵便局の小父さんと、お寺さんと、それから 残月さんについてはたつも何もいわず、小梅も聞かなかっ た。大したこととは思っていなかったからだ。しかし翌朝あ。」 「もうええ、もうええ。」 になると、琴路は目を覚すなりまたいい出した。 しようどしま 「残月さんがな、おかあちゃん、ゆうべおもしろい歌うと「な、おかあちゃん、残月さんもう小豆島へこんのじゃい よった。うるさい、うるさいいよった。」 うたんで。」 「へえ。」 「ゆう・ヘじゃない、おとついの晩でしよう。」 小梅はぎくりとした。それで自分のいない時をえらん 「うんそう。おもしろい歌、うとうてみようかおかあちゃ で、別れの宴をはったというのだろうか。そこまで気をつ ん、琴路、もうお・ほえたんで。」 しょげ かわれたことを感じて小梅は悄気た。そんなくらいなら、 それでもう琴路はげらげらと思い出し笑いをし、 「あのな、えーと。えーと。忘れてよう歌えんわ。雲の自分もいるとき、大っぴらにしてもらいたかったと、口惜 しり な。えーと、雲の中から角はえた鬼がな、お尻つぎ出してしかった。 な、大けな大けなおならしたん。それカミナリさんのこと「残月さん、お帰ったんですか。」 なにげ 夕食のあと、何気なく問いかけると、たつは小梅の顔は じゃったん。そんな歌。」 琴路はまた笑った。それは腹の底から突き上げてくるよみずに、 「あ、お帰った、お帰った。」 うな笑いだった。小梅はむっとした顔をし、 琴路がすぐ口を出し、 「下品なこと。そんな声出して笑うもんじゃない。」 さんばし 「みんなで桟橋までおくっていったんのうおばあさん。琴 つきはなすように小梅はいった。まだ胸の中に温たまっ ている武郎の余韻を、美しく語ってやろうとて目の覚める路、ちょうちんぐるぐるしてあげたらなおかあちゃん、琴 のをまっていたのに、父のことも聞かずに、残月さんを思路ちゃーんいうて、沖の方から残月さんおらんだん。おも い出している娘がはがゆく、そんな印象をうえつけた残月しろかった。のうおばあさん。」 さんを許しがたく思った。起きてたつをせめようにも、た それに答えようとしないたつに、小梅は少しなじる口調 つはとっくに山へ出かけたらしく、音がしない。

9. 現代日本の文学 22 宮本百合子 壺井栄集

くる目に、新しい六年生の一ばんうしろに立って、一心に 思わず笑わせられた先生は、笑ったあとでたしなめた。 こちらを見ている、背の高い仁太の顔がそれとわかると、 「そんなふうにいうもんじゃないわ、小ツやん。それよ 思わず涙があふれ、用意していた別れのあいさつが出てこり、マアちゃんどうしたの ? 」 なかった。まるで仁太が総代ででもあるように、仁太の顔「ふがわるいいうて、休んどん。」 にむかっておじぎをしたようなかたちで、壇をおりた。高 「ふなんかわるないい うて、なぐさめてあげなさい、小ッ 等科の列の中から正や吉次や、小ツルや早苗のうるんだまやんも早苗さんも。それより、富士子さんどうした ? 」 なざしが一心にこちらをみつめているのを知ったのは、壇「あ、それがなア、先生、びつくりぎようてん、たぬきの をおりてからだった。お昼の休みに別棟にある早苗たちのちょうちんじゃ。」 教室のほうへゆくと、いち早く小ツルが見つけて走ってき 小ツルは声を大きくし、見ひらいても大きくなりつこの こ 0 ない細い目を、無理にひらこうとして眉をつりあげ、 「せんせ、どうしてやめたん ? 」 「兵庫へ行ったんで。試験休みのとき、うちの船で荷物と なペ めずらしく泣きそうにいう小ツルのうしろから、早苗の いっしょに親子五人っんでいったん。ふとんと、あとは鍋 目がぬれて光っていた。あんなに女学校女学校と、まっさや釜やばっかりの荷物。たんすも大昔のぬりのはげたん一 きになってさわいでいたマスノが、結局は高等科へ残った つだけで、あとは行李じゃった。富士子さんとこの人、み というのに、その姿が見えないことについて、小ツルは例んな荒働きしたことないさかい、いまに乞食にでもならに によって尾ひれをつけていった。 やよかろがって、みな心配しよった。いんま、富士子さん 「マアちゃんな先生、おばあさんとお父さんが反対して女らも芸者ぐらいに売られにやよかろがって・ー・・ー。」 学校いくの、やめたん。料理屋の娘が三味線というならき じぶんとこの運賃、半分は売れのこりの道具ではらった こえる ( わかる ) が、学校の歌うたいになってもはじまらことまでしゃべりつづける小ツルの肩を軽くたたいて、 んいわれて。マアちゃんやけおこして、ごはんも食べずに 「小ツルさん、あんたわね、いらんことを、すこし、しゃ 泣きよる 0 べりすぎない ? あんた産婆さんになるんでしよ。、、 ル産 それからな先生、ミサ子さんの学校は女学 校とちがうんで。学園で。 リ学園いうたら、生徒は三婆さんは、あんまり人のことをいわないほうが、ししこと 十人ぐらいで、仕立屋に毛がはえたような学校じゃと。そよ、きっと。これね、先生のせんべつのことば。、、 、産婆 さんになってね。」 んなら高等科のほうがよかったのにな、先生。」

10. 現代日本の文学 22 宮本百合子 壺井栄集

んだのう。いつお帰ってでありますか。 「これであらかたすみましたのう」 すみましたというところにアクセントのつく地方の言葉よろしゅうありますから」 ひろ子が苦笑いに笑い出した。 で縫子が言った。 「タ方までに、わたし帰ります」 「もうよろしい、はあんまり正直ね」 「きよう、そろそろいにましよういの」 「そうする ? 」 ほんの一二泊のつもりで来た縫子は、水で足どめされた 「ね、つや子さん、私縫子と一緒に田原へ行って来ようと ばかりか、窓をこえて逃げ出すときも荒っ・ほいあと片づけ思うけれど、どうかしら」 にも、カになりたすけてくれた。縫子をこの上はとめられ「ほん、不自由させつめて、すみませんの。田原じゃった ′」ちそう なか - っ 4 」 0 ら家もきれいし、御馳走もあってじやから : ・ : こ 「わたしも一緒に行っちゃおうかな」 「そういうわけじゃないのよ。汽車が不通でどうせ動けな いくらかきまりの悪そうな子供っ・ほい眼つぎをして、ひ いからね。今のうち田原へ行って置こうと思うのよ」 ろ子が言い出した。ひろ子にそう感じさせる日々の空気が「ほん、それがよろしゅうあります」 あるのであった。 全く念頭になかった家のことだの食物のことだのにふれ 「そうおしませ ! それがようあります。さわ子もどんなられて、ひろ子は閉ロした。ひろ子がおばたちの家で欲し によろこぶかしれんし」 たのは、罪のない一つニつの笑いだけだったのに。 ごろ 「ね、本当に行っちゃおう」 三時頃、まだ決心しずにいるひろ子のところへ、つや子 そんな話をしたのは午前中であった。昼飯につや子が上がわざわざあがって来た。そして、 ってきて、千しものがとりこまれてあいている軒先の綱に「縫子はん、何時頃、おかえりますの」 野目をとめた。 待ちかねる表情をむき出しに尋ねた。 「はや、干しものすんででありますの」 「ーーー田原へはおいきませんの ? 」 「どうしたのさ、つやちゃん。そんなにせつつかなくたっ 播「どうやら乾くだけは乾いたらしいわ。まだまだあとが一 ていいのに 仕事だけれど : : : 」 お母さんに伺わなくちゃ、きめられない 食後休みをしているときつや子が訊いた。 わ、そうでしよう ? 」 「縫子はん、こんどは、えらい目にあわセて、すみませな ひろ子は、まだところどころしか床板のはられていない もうこちらは