大吉 - みる会図書館


検索対象: 現代日本の文学 22 宮本百合子 壺井栄集
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1. 現代日本の文学 22 宮本百合子 壺井栄集

なくなったこともやむをえなかったのかもしれぬ。しかしに。」 ひたい そういって額をつんと指さきで押した。ひょろひょろと 大吉の母は、一度もそれにさんせいはしなかった。 「なああ大吉、お母さんはやつばり大吉をただの人間にな倒れかかった大吉は、腹を立ててむしゃぶりついてきた。 ってもらいたいと思うな。名誉の戦死なんて、一軒にひとしかし、母の目に涙がこぼれそうなのを見ると、さすがに りでたくさんじゃないか。死んだら、もとも子もありやししゅんとしてしまった。父は笑って大吉をなぐさめた。 ないもん。お母さんが一生けんめいに育ててきたのに、大「いいよ、なあ大吉。まだ八つや九つのおまえらまでがめ 吉アそない戦死したいの。お母さんが毎日なきの涙でくらそめそしたら、お父さんも助からんよ。さわげさわげ。」 してもえいの ? 」 しかし、そういわれるともう騒げなかった。すると、父 の・ほせた顔にぬれ手ぬぐいをあててでもやるようにいつは三人の子どもをいっしよくたに抱えて、 たが、熱のはげしさはぬれ手ぬぐいではききめがなかっ 「みんな元気で、大きくなれよ。大吉も並木も八津も。大 きくなって、おばあさんやお母さんを大事にしてあげるん た。かえって大吉は母をさとしでもするように、 やすくに だよ。それまでには戦争もすむだろうさ。」 「そしたらお母さん、靖国の母になれんじゃないか。」 これこそ君に忠であり親には孝だと信じているのだ。そ「えつ、戦争すむの。どうして ? 」 「こんな、病人まで引っぱりださにゃならんとこみると れでは話にならなかった。 「あああ、このうえまだ靖国の母にしたいの、このお母さ だが、大吉たちにはその意味はわからなかった。ただ、 んを。『靖国」は妻だけでたくさんでないか。」 しかし大吉は、そういう母をひそかに恥じてさえいたのじぶんの家でも父が戦争にゆくということで肩身がひろか めんっ だ。軍国の少年には面子があった。彼は母のことを極力世ったのだ。一家そろっているということが、子どもに肩身 瞳間にかくした。大吉にすれば、母の言動はなんとなく気にせまい思いをさせるほど、どこの家庭も破壊されていたわ 四なった。ずっとまえにもこんなことがあった。病気休暇でけである。 一一かえっていた父に、ふたたび乗船命令が出たとき、大吉が戦死の公報がはい 0 たのは、サイ・ ( ンを失う少しまえだ った。さすがの大吉もそのときは泣いた。肘を胸のほうに まっさきにいきおいづいて、並木たちとさわぎたてると、 母は眉根をよせ、おさえた声でいった。 まげて、手首のところで涙をふいている大吉の肩を、母は 「なんでしよう、この子。馬鹿かしら、ひとの気もしらず抱きよせるようにして、

2. 現代日本の文学 22 宮本百合子 壺井栄集

308 うことができず、希望をかけた八津もまた死んでしまっ 1 ・ て安心させた。 た。 「いいもの、八津にこしらえてやろう。こんなこと、お前 ものがと・ほしく、八津のなきがらをおさめる箱も、材料たち、知らないだろ。八津はとうとう知らずじまいじゃ。 をもってゆかねば作れないといわれ、少しこわれかけてい か・ほちやはうらなりでも食べるものと、大吉ら、そう思っ た昔のたんすでつくることにした。花までが人間の生活のてるだろう。お母さんらの子どものときは、か・ほちゃのう なかから追いだされていた。大吉は並木と二人で墓場へゆらなりは、子どものおもちゃ。ほら、これが窓ーーー。」 き、ジャノメ草やおしろい花をとってきて八津にまつつ か・ほちゃの横腹は四角にきりぬかれた。 た。もとは花もたくさん作っていたという庭は、大吉たち「こっちは、丸窓といたしましよう。少々むつかしいな。 ざら の記憶のかぎり、大根やか・ほちゃ畑で、せまい軒先にまで手塩皿もってきて大吉、型をとるから。それとお盆もな。 か・ほちやは植えられて、屋根にはわせていた。八津がなくわた出すから。」 ちょうちん なるとお母さんは、泣きながら軒のか・ほちやをひきちぎる大吉と並木は目を丸くしてみていた。できたのは提灯だ った ようにしてぬきとった。うらなりの実が三つ四つ、長い蔓った。窓に紙をはり、底に釘をさすとろうそくの座もでき に引きずられて落ちてきた。そのなかの丸いのを盆にのせた。配給のろうそくをともすと、 いかにもそれは、八津の えきり て仏壇に供えたのだったが、疫痢という噂が立って、だれよろこびそうな提灯であった。悲しみを忘れて大吉はいっ まくら もきてくれぬ通夜の枕もとにすわって、いつもの停電がすた。 んだあと、お母さんはふと気がついたように、枕刀にした「お母さん、工作、満点じゃ。」 うちょう 小さなゾーリンゲンの庖丁をとりあげ、いきなり、ぐさり 小さな棺ができてくると、提灯は八津の顔のそばにいれ とか・ほちゃの横腹につき立てて、大吉たちをおどろかしてやった。八津がもって遊んでいた貝がらや紙人形もそば た。ゾーリンゲンはお父さんが買ってきたものだった。も においた。悲しみがきゅうにおしよせてきて、大吉も並木 しも、お母さんが笑っていなかったなら、日ごろ、こわいも声をあげて泣いた。おんおん泣きながら大吉は、八津が と教えられているゾ 1 リンゲンである。大吉たちは悲鳴を いつもほしがっていたチェノワを思いだし、かしてやらな あけたかもしれない。しかしお母さんは笑っていたのだ。 かったじぶんの不親切をじぶんでせめながら、いまあらた 泣きはらした顔の笑顔は、ちがった人のように見えたが、 めて、それを八津にやろうと思った。胸に組みあわせた手 なんでもない、なんでもないという目の色は大吉たちを瞬にもたせようとしたが、羚たい手はもうそれをうけとって うーさ

3. 現代日本の文学 22 宮本百合子 壺井栄集

314 舟から目をはなさずにいいながら、以前でさえも月賦で早くとんできた。 買ったことを思いだした。それをしてくれた富子という自「さ、坊ちゃん、つかまえてますから、あがってらっしゃ い」 転車屋の娘は、そのあと結婚して東京でくらしていたのだ 、刀 、はがきさえも品切れがちの戦争中に消息もたえ、その おどろいてふりかえる大吉に、こんどは大石先生が笑い ままになっている。東京の本所で、やはり自転車屋をしてかけ、 いた彼女一家が、今どこにどうしているか、おそらくは三「大吉、ひと休みしたら ? 」 月九日の空襲で一家全減したのではなかろうかと考えだし だまってかぶりをふる大吉へ、かさねて、 たのは、戦争も終るころだった。わが身のあわただしい転「ちょっとお母さん、この方に、お話があるの。だから、 変に心をうばわれ、人のことどころではなかったのだ。 そのあいだだけ待って。」 町の富子の父たちの住んでいた家はいまも自転車屋で大吉はおこったような顔をして、だまって浜にとびおり あるが、どんないきさつからか戦争中に店主がかわって、 た。大きな石にとも綱をとるのをまって、 今では、いつ見ても貧相な感じの年とった男が一人、きた「大吉も、ここへおいで。」 ない古自転車をいじくっているだけだった。そこでも、あ大吉もいる前で、ミサ子に自転車の話をききたいと考え むすこ ととり息子が戦死したのだ。新らしい自転車など、どこに たのだが、もうそのことは忘れたような顔をしているミサ ひざ あるのだろう。だのにミサ子は、しごくかんたんにいっ 子と、大人っ・ほく膝をだいて沖を見ている大吉とにはさま こ 0 れて坐ると、どうしたのか自転車のことはロに出したくな 「先生、もしも自転車をお買いになるんでしたら、ご相談くなった。どんな方法がミサ子にあるというのか。いずれ にのりますから。」 は、おたがいの心をよごすほかに道がないことがわかるよ それがどういう意味なのか問いかえすひまもなく、大吉うに思えたからだ。重くるしくだまっていると、それをほ の舟はきゅうに速力をまして近よってきた。陸地のかげにごすように、ミサ子が気がるに話しだした。 はいって、風がなくなったのであろう。大吉は母親にだけ「早苗さんと、こないだ話したんですけど、わたしらのク につと笑って、そっ・ほをむいてすましていた。 水棹を押しラスだけで、先生の歓迎会をしようかって。」 へさき ていつもするように舳を砂浜によせ、母親の乗りこむのを「まあうれしいこと。でも、歓迎していただくほど、わた まっている大吉の横顔に、いつもとちがったことばがいちしが役だちますかどうか。ここへくるまでは、昔のまま元 みさお

4. 現代日本の文学 22 宮本百合子 壺井栄集

「しつかりしようね大吉、ほんとにしつかりしてよ大吉。」ていたおばあさんのおかゆのためで、大吉たちのロには入 じぶんをもはげますようにいい、 そのあと、小さな声いらなかった。防空演習でころんで、それが病みつきになっ で、どんなに父が家にいたがったかを語った。 たおばあさんは、もうとうていなおる見こみもなく、寝て 「行ったら最後もう帰れないこと、分かってたんだもん。 いるだけだった。ころんだのがもとで病みついたのではな それなのに大吉たち、大さわぎしたろう。気のどくで、つく、病みついていたからころんだのだろう、と医者はいっ らくてお母さん : た。八十すぎて、髪もひげもまっ白なとなり村の医者は、 しかし大吉はそのとぎでさえ、なぜ母はそんなことをい なおる見こみのない病人のところへは、なかなかきてくれ うのだろうと思った。父はよろこび勇んで出ていったのだ なかった。ほかにたのむ医者はなく、せめてうまいもので といってもらいたかった。戦死は悲しいけれど、それだともと心がけたが、なかなか手にはいらなかった。海・ヘにい て、父のない子はじぶんだけではないのにと、そのことのて、魚さえ手に入らないのだ。魚はありませんか。卵はあ ほうをあたりまえに考えていた。となり村のある家などでりませんかと、一匹のめばる、一つの卵に三度も五度も頭 むすこ は、四人あった息子が四人とも戦死して、四つの名誉のしをさげねば手に入らなかった。そのために母がひとりでか るしはその家の門にずらりとならんでいた。大吉たちは、けまわった。 どんなにか尊敬の目でそれをあおぎ見たことだろう。それそしてある日、名誉の門標はいつのまにか火鉢の引出し かも、 は一種の羨望でさえあった。 から、門の鴨居の正面に移っていた。母の留守に大吉がそ その「戦死」の二字を浮かした細長く小さな門標は、やこへ打ちつけたのである。小さな「名誉の門標」は、しか る・ヘき位置に光っていた。「門標」の妻は、しばし立ちど がて大吉の家へもとどけられてきた。小さな二本の釘とい っしょに状袋に入れてあるのを手のひらにあけて、しばらまってそれを眺めた。ひとりの男の命とすりかえられた小 ひばち くながめていた母は、そのまま状袋にもどして、火鉢の引さな「名誉」を。その名誉はどこの家の門口をもかざっ 出しにしまった。 て、恥をしらぬようにふえていった。それをもっともほし 「こんなもの、門にぶちつけて、なんのまじないになる。 がっていたのは、幼い子どもだったのであろうか。 だくりゅう あほらしい。」 そうして、ついに迎えた八月十五日である。濁流が、ど いなかすみ 怒ったような顔をしてつぶやき、しよきしよきと米を搗んな田舎の隅ずみまでも押しよせたような騒ぎの中で、大 きはじめた。米はビール瓶の中で搗くのである。病気で寝吉たちの目がようやくさめかけたとしても、どうしてそれ せんぼう びん なが

5. 現代日本の文学 22 宮本百合子 壺井栄集

304 きょ ~ 、さい 「一億玉砕でなかったー」 った。小さな大吉の村からも幾人かの少年航空兵が出た。 「そう。なかって、よかったな。」 航空兵になったら、・せんざいが腹いつばい食える。 「お母さん、泣かんの、まけても ? 」 かわいそうに、年端もいかぬ少年の心を、腹いつばいの 「うん。」 ぜんざいでとらえ、航空兵をこころざした貧しい家の少年 「お母さんはうれしいん ? 」 もいた。しかもそれで少年はもう英雄なのだ。貧しかろう なじるようにいっこ。 と、そうでなかろうと、そこへ心を傾けないものは非国民 「・ハ力いわんとー大吉はどうなんじゃい。うちのお父さでさえあった時世の動きは、親に無断で学徒兵をこころざ むすこ んは戦死したんじゃないか。もうもどってこんのよ、大せば、そしてそれがひとり息子であったとすれば英雄の価 値はいっそう高くなった。町の中学では、たくさんの少年 そのはげしい声にとびあがり、はじめて気がついたよう志願兵のなかに親に無断のひとり息子が三人も出て、それ に大吉はまともに母を見つめた。しかし彼の心の目もそれが学校の栄誉となり、親たちの心を寒がらせた。そのと でさめたわけではなかった。彼としては、この一大事のとき、小さかった大吉は、じぶんの年の幼なさをなげくよう に、 きに、なおかっ、ごはんを食べようといった母をなじりた かったのだ。平和の日を知らぬ大吉、生まれたその夜も防「ああ、早くぼく、中学生になりたいな。」 とうかかんせ、 そして歌った。 空演習でまっくらだったと聞いている。燈火管制のなかで ナーナッポータンハサクラニイカーリー : : : 育ち、サイレンの音になれて育ち、真夏に綿入れのを きゅう もって通学した彼には、母がどうしてこうまで戦争を憎ま人のいのちを花になぞらえて、散ることだけが若人の究 きよく ねばならないのか、よくのみこめていなかった。どこの家極の目的であり、つきぬ名誉であると教えられ、信じさせ にも、だれかが戦争にいっていて、若い者という若い者はられていた子どもたちである。日本じゅうの男の子を、す くなくもその考えに近づけ、信じさせようと方向づけられ ほとんどいない村、それをあたりまえのことと考えていた のだ。学徒は動員され、女子どもも動労奉仕に出る。あらた教育であった。校庭の隅で本を読む二宮金次郎までが、 けいだい かれは せいそう ゆる神社の境内は枯葉一枚ものこさず清掃されていた。そカンコの声でおくりだされてしまった。何百年来、朝夕を しようろう れが国民生活だと大吉たちは信じた。しかし、山へどんぐ知らせ、非常を告げたお寺の鐘さえ鐘楼からおろされて戦 りを拾いにゆき、に力し′、 : 、・、ノを食べたことだけは、いやだ争にいった。大吉たちがやたら悲壮がり、いのちを惜しま

6. 現代日本の文学 22 宮本百合子 壺井栄集

日笑いくらして別れるのがおきまりになっていた。それらんだもん。」 四のドサンも戦争がながびくにつれ、手に入りにくくなった 「そうかい。ごめん。母ちゃんうつかりしとった。大方、 らしく、昨今は商売物らしいガーゼをくれたり、早苗のほ一本松忘れて、つつ走るとこじゃった。」 うはノートや鉛筆を、まだ学校でもない大吉のためにもっ 「ふ 1 ん。なにうつかりしとったん ? 」 てきたりするようになった。ようやく学齢にたっした大吉 それには答えず包みを渡すと、それが目的だといわぬば のためにランドセルを買いにいっての帰り、はからずも出かりに、 あった教え子に刺激されてか、もろもろの思い出は胸にあ「わあ、これ、ランドセルウ ? ちっちゃいな。」 ふれた。 「ちっちゃくないよ。しよってごらん。」 ちょうどよかった。むしろ大きいぐらいだった。大吉は 一本松でございます。お降りの方は : しやしよう ひとりでかけだした。 車掌の声に思わず立ちあがり、あわてて車内を走った。 「おばあ、ちゃーん、ランドセルウ。」 例の年よりに会釈もそこそこ、ステッ・フに足をおろすと、 すっとんでゆきながら足もとのもどかしさを口に助けて いきなり大吉の声だった。 「母ちゃん。」 もらうかのように、ゆく手のわが家へむかって叫んだ。 濁りにそまぬかん高いその声は、すべての雑念をかなた肩をふって走ってゆくそのうしろ姿には、無心に明日へ かれん に押しやってしまおうとする。 のびようとするけんめいさが感じられる。その可憐なうし 「母ちゃん、・ほくもう、さっきからむかえにきとったん。」ろ姿の行く手にまちうけているものが、やはり戦争でしか いつもならば、ひとりでに笑えてくる、きれいにすんだ ないとすれば、人はなんのために子をうみ、愛し、育てる ほうだん その声が、今日は少しかなしかった。笑ってみせると大吉のだろう。砲弾にうたれ、裂けてくだけて散る人の命とい はすぐ甘えかかり、 うものを、惜しみ悲しみ止どめることが、どうして、して はならないことなのだろう。治安を維持するとは、人の命 「母ちゃん、なかなか、もどらんさかい ~ まく泣きそうに を惜しみまもることではなく、人間の精神の自由をさえ、 なった。」 しばるというのか : 「そうかい。」 「もう泣くかと思ったら、・フ・フーって鳴って、みたら母ち走りさる大吉のうしろ姿は、竹一や仁太や、正や吉次 ゃんが見えたん。手えふったのに、母ちゃんこっち見ない や、そしてあのとき同じ・ハスをおりて公会堂へと歩いてい

7. 現代日本の文学 22 宮本百合子 壺井栄集

どのようにしてミサ子はくぐってきたのであろうか。終戦 「そう、でしたね。よく思いだしてくれたこと。」 「そりゃあ忘れませんわ。ときどき思いだしては早苗さんのときには、西口家の倉庫にも、軍の物資が天井まで積み と話していたんですもの。わたしらのクラスは、岬に学校あげてあるという噂もあったが、ほんとうかうそかさえも がひらかれていらいの変わりものの寄り集まりらしいっ分からずにすぎている。その物資でミサ子の家はふとって て。ほら、あのとき、先生とこまで歩いていったりして。」 いるという噂も聞いたが、ミサ子の顔つきには、そんな悪 そういいながら、はるかな一本松に目をやり、ちょうどのかげりはみえなかった。 近づいてきた大吉の舟を、けげんな顔でながめた。舟はも今も彼女は大石先生と肩をならべ、大吉の舟のひとゆれ う目の前にその姿を見せていたのだ。そのほうを、顔をふごとに本気な心配をみせた。 「この風では、子どもには少し無理ですわ、先生。あ、あ ってしめしながら、大石先生は笑顔でいった。 「ミサ子さん、あれ、わたしの息子ですよ。ああして毎ぶないー」 日、わたしを迎えにきてくれますの。」 大吉の小さなからだは櫓といっしょに、海にのめりこみ それを聞くとミサ子は驚きを声に出し、 そうに見えたりする。そのけんめいさは、小舟とともに大 「まあ、そうですの。それで先生、浜においでたんです吉の小さなからだにあふれていて、見ているこちらもしぜ か。」 んにカんできた。おかでは寒くさえあるのに、大吉は汗み もう三日つづいている大吉の出迎えを、ミサ子はまだしずくにちがいなかった。 らなかったのだろうか。昔からあまり人とまじわらない家「自転車は、もうお乗りにならないんですか、先生。」 ミサ子から声をかけられてもそれに耳をかすゆとりもな 風をミサ子もうけついでいるようにみえた。しかし時代の 風はミサ子の家の高い土塀をも忘れずにのりこえて、彼女く、大石先生は、波にもまれる大吉を小舟もろともたぐり の夫をもさらっていったまま、まだ帰らぬ兵隊のひとりによせたい気持で見ていた。ミサ子はかさねて、 「雨や風の日は、舟はむりでしよう。自転車のほうが、か 四加えていた。だが目の前に見るミサ子は、くったくのない えって早いでしように。」 一一娘のように大らかに、昔ながらの人のよい顔つきでにこに 「ええ、でもねミサ子さん、自転車なんて、きよう日は、 こしていた。そまつなモンべから足をぬくことができない でいる村人のなかで、彼女ひとりは大家の若奥さまなの買うに買えないでしよ。もしも買えるとしても、ふところ が承知しない。」 だ。永い年月の昨日から今日につづくさまざまな苦労を、 むすこ うわさ

8. 現代日本の文学 22 宮本百合子 壺井栄集

た。岬へ赴任ときまったとき、はたと当惑したのはそれだ「大吉、つかれないかい。手に豆ができるかもしれんな。」 った。途中まであった・ ( スさえも、戦争中になくなったま「豆ができたって、すぐにかたまらア、・ほく、平気だ。」 ま、いまだに開通していない。 昔でさえも、自転車でかよ「ありがたいな。でも、あしたからもっと早目に出かけよ った八キロの道は、歩いてかようしかなかった。とうてうか」 い、からだのつづくはずがないとかんがえて、母子三人岬 「どうして ? 」 へ移ろうかといいだしたとき、一言で反対したのが大吉だ「先生の息子が、毎日ちこくじゃあ、なにがなんでもふが った。船でおくり迎えをするというのだ。船だとて借りるわるい。そのうちお母さんも、また自転車を手にいれる算 とすれば、相当の礼もしなければならない。 段するけども。」 「雨がふったら、どうする ? 」 「へっちゃらだあ。ちゃんと理由があると、叱られんも かつば 「そしたら、お父さんの合羽きる。」 ん。船で、おくったげる。」 「風の強い日は、こまるでないか。」 ゆっくりと、櫓についてからだを前後に動かしながら、 得意の顔で笑った。 「あ、心配しなさんな。風の日は歩いていくよ。」 しつの 「うまいな、櫓押すの。やつばり海べの子じゃな。、 返事につまった大吉を、いそいで助けたものだ。あしたまにお・ほえたん。」 「ひとりで、お・ほえるもん。六年生なら、だれじゃって押 はあしたの風が吹く。あしたのことまで考えてはいられな かった永い年月は、雨や風ぐらいでヘこたれぬことだけせる。」 は、教えてくれた。戦争は六人の家族を三人にしてしまっ 「そうかね。お母さんもお・ほえよかな。」 たけれど、だからなお、残った三人はどうでも生きねばな「そんなこと、・ほくがおくってあげる。」 らないのだ。大吉は六年生になっている。並木は四年だっ 「そうそう、森岡正という子がいてな、一年生なのにお母 なぎさ た。出がけに渚に立って母の初出勤を見おくってくれた並さんを舟でおくってあげるっていったことがあった。昔 木も、もうそろそろ学校へ出かける時分だと思って一本松 。もう戦死したけんど。」 をふりかえった。久しぶりに沖からながめる一本松も、昔 「ふーん。教え子 ? 」 のままに見える。なんの変化も見られぬその村にさえ、大「そう。」 きな変化をきたした戦争の果ての敗戦。 ふっと涙が出た。生きていれば、もうよい若者になった むすこ

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すると、うてばひびくように、大石先生はふりかえりざ「お母さんに、先生が、ハイっそいってたといってね。わ 引ま答えた。 かった。ただね、ハイっていえばいいの。」 「よア、イ 0 だが、ひとりじぶんの机の前に腰かけると、さて困っ おどろいたのはミサ子だけではなかった。子どもたちのた、とつぶやいた。というのは、ちょうどその日にあたる ねんき ゃんやと笑う声をうしろに、先生も笑いながら、まだ知らあさっての日曜日には、少し早いが八津の年忌をしよう ぬらしいミサ子にいった。 と、昨夜大吉たちと約束したばかりなのであった。いなり 「どうも、へんなあだ名よ。こんどは泣きみそ先生らしずしでも作ろうというと、 「わあっー」 と、並木はからだごと歓声をあげ、大吉は大吉で兄らしい にお 若葉の匂うような五月はじめのある朝、大石先生は校門思慮をめぐらしていったのである。 をくぐるなり、一年生の西村勝子の待ちかまえていたらし「お母さんお母さん。八津の墓にもいなりずしもってって い姿に出あった。 やろう。・ほく、明日学校の帰りに町のやみ市であぶらげ 買ってきとく。お母さんお母さん、あぶらげ何枚たのむ 「せんせ、ゆうびん。」 ん ? お母さんお母さん、やみ市でも大豆持っていくん ? ほこらしげに勝子は、一通の手紙をつきだした。 たまの日曜日、先生も御用の多いこととおさっしい何合もっていくん ? お母さんお母さん、・ほくたち、今日 たしますが、どうそどうぞお出かけくださいませ。一度御から瓶で米っこうか こんなときやたらお母さんお母さんとかさねていうのが 相談してからと髞っていますうちに、だんだん麦も色づき だしましたし、麦刈りが近づくにつれ、しだいにむつかし大吉のくせであった。よほどうれしかったのだ。それをの くなりそうでしたので、大いそぎ私たちでとりきめましばすといったら、どんなにかがっかりするだろう。年忌と はいっても、時節がら客をまねいたり、坊さんをよんだり た。この日ですと、たいていの顔がそろうはずですから、 するのではない。、 、わば、いつも留守番をしたり、送り迎 どうそお出かけくださいますよう : : : 。」 例の歓迎会の案内である。ミサ子やマスノの名も書いてえをしてくれる二人の息子をなぐさめるための計画であ あったが、早苗の字なのは、はじめからわかっていた。読り、久しぶりに月給をもらったひそかな心祝いでもあっ おな みおわった先生は、勝子にむかって、 た。それを八津に結びつけたのは、八津と同い年の一年生 びん むすこ

10. 現代日本の文学 22 宮本百合子 壺井栄集

った大・せいの若者たちのうしろ姿にかさなりひろがってゆと、ランドセルはロポットのような感触で、しかし急激な くように思えて、めいった。今年小学校にあがるばかりのよろこびで動いた。長男のゆえにめったにうけることのな あいぶ 子の母でさえそれなのにと思うと、何十万何百万の日本のい母の愛撫は、満六歳の男の子を勝利感に酔わせた。にこ 母たちの心というものが、どこかのはきだめに、ちりあく っと笑って何かいおうとすると、並木と八津に見つかっ こ 0 たのように捨てられ、マッチ一本で灰にされているような 思いがした。 「わあっ。」 お馬にのったへいたいさん 押しよせてくるのを、同じようにわあっと叫びかえしな てつ・ほうかついであるいてる がら、ひっくるめてかかえこみ、 トットコトットコあるいてる 「こんな、かわいい やつどもを、どうしてころして へいたいさんは大すきだ よいものかわあつわあっ。」 気ばりすぎて調子つばずれになった歌が家の中から聞こ調子をとってゆさぶると、三つのロは同じように、わあ えてくる。敷居をまたぐと、ランドセルの大吉を先頭に、 つわああと合わせた。そこにどんな気持がひそんで、 並木と八津がしたがって、家中をぐるぐるまわっていた。 るかを知るにはあまりに幼い子どもたちだった。 孫のそんな姿を、ただうれしそうに見ている母に、なんと なくあてつけがましく、大石先生はふきげんにいった。 春の徴兵適齢者たちは、報告書と照らしあわされて、品 「ああ、ああ、みんな兵隊すきなんだね。ほんとに。おば評会の菜っ葉や大根のようにその場で兵種がきめられ、や あちゃんにはわからんのかしら。男の子がないから。 がて年の瀬がせまるころ、カンコの声におくられて入営す なら でも、そんなこっちゃないと思う : ・ : ・。」 るのが古いころからの慣わしであった。しかし、日ごとに ひつばく 瞳そして、 ひろがってゆく戦線の逼迫は、そのわずかな時間的ゆとり 四「大吉ィー」と、きつい声でよんだ。ロの中をかわかしたさえもなくなり、入営はすぐに戦線につながっていた。船 さんばし ような顔をして大吉は突っ立ち、きよとんとしている。ハ 着き場の桟橋に建てられたアーチは、歓送迎門の額をかか こちゃいろ タキと羽子板を鉄砲にしている並木と八津がやめずに歌いげたまま、緑の杉の葉は焦茶色に変わってしまった。歓送 つづけ、走りまわっているなかで、大吉のふしんがってい歓迎のどよめきは年中たえまなく、そのすぎまを声なき がいせん る気持をうずめてやるように、いきなり背中に手をまわす「凱旋兵士」の四角な、白い姿もまた潮風とともにこのア んし、 1 、