しい生徒は、雪に勢いづいたのか、いつもより元気に見え 「あら、「草の実』なら見たことあるわ、わたし。でも、 た。ここに立っと、すべての雑念を捨てねばならないのだどうしてあれが、あかの証拠。」 が、教壇にたって五年間、大石先生にとってこの時間ほど大石先生はふしぎに思ってきいたのだったが、教頭は笑 永く感じたことはなかった。一時間たって職員室にもどるって、 と、みんな、ほっとした顔をしていた。 「だから、正直者が馬鹿みるんですよ。そんなこと警察に 「警察、かえったよ。」 聞かれたら、大石先生だってあかにせられるよ。」 笑いながらいったのは、若い独身の師範出の男先生であ「あら、へんなの。だってわたし、『草の実』の中の綴方 る。彼はつづけて、 を、感心して、うちの組に読んで聞かしたりしたわ。『麦 しようゆ 「正直にやると馬鹿みるっちゅうことだ。」 刈り』だの、『醤油屋の煙突』なんていうの、うまかった。」 「なんのこと、それ。もっと先生らしく・ : ・ : 。」 「あぶない、あぶない。あんたそれ ( 『草の実』 ) 稲川君に 突っつかれて大石先生はいうのをやめた。突っついたのもらったの。」 は田村先生だった。 「ちがう。学校あておくってきたのを見たのよ。」 教頭が出てきての説明では、片岡先生のは、ただ参考人教頭はきゅうにあわてた声で、 というだけのことで、いま校長がもらいさげこ、つこ 冫しナか「それ、今どこにある ? 」 ら、すぐ帰ってくるだろうといった。問題の中心は片岡先「わたしの教室に。」 生ではなく、近くの町の小学校の稲川という教師が、受け「とってきてください。」 もちの生徒に反戦思想を吹きこんだという、それだった。 謄写版の「草の実』は、すぐ火鉢にくべられた。まる 稲川先生が片岡先生とは師範学校の同級生だというので、 で、・ヘスト菌でもまぶれついているかのように、あわてて 瞳一おうしらべられたのだが、なんの関係もないことがわか焼かれた。茶色っ・ほい煙が天井にの・ほり、細くあけたガラ しようこ 四つたというのである。つまり、証拠になるものが出てこなス戸のあいだから逃げていった。 一一かったのだ。そのさがしている証拠品というのは、稲川先「あ、焼かずに警察へ渡せばよかったかな。しかし、そし 生が受けもっている六年生の文集『草の実』だというのでたら大石先生がひつばられるな。ま、とにかく、われわれ ある。それが、片岡先生の自宅にも、学校の机にもなかつは忠君愛国でいこう。」 たのだ。 教頭のことばが聞こえなかったように、大石先生はだま つづりかた
めぶりを案じてくれている。 と思うと、大石先生の小 に見え、おてんばに見え、よりつきがたい女に見えたので さなからだは思わず胸をはって、大きくいきをすいこみ、あろう。しかしそれも、大石先生にはまだなっとくのゆか 「お母さんー」 ぬ、赴任二日目である。ことばの通じない外国へでもやっ と、心の底から呼びかけたくなる。ついこのあいだのこてきたような心細さで、一本松のわが家のあたりばかりを 見やっていた。 カッカッカッカッ 「岬は遠くて気のどくだけど、一年だけがまんしてくださ ばんぎ 一年たったら本校へもどしますからな。分教場の苦労始業を報じる板木が鳴りひびいて、大石先生はおどろい は、さきしといたほうがいいですよ。」 て我れにかえった。ここでは最高の四年生の級長に昨日え 亡くなった父親と友だちの校長先生にそういわれて、一らばれたばかりの男の子が、背のびをして板木をたたいて 年のしん・ほうだと思ってやってきた大石先生である。歩い いた。校庭に出ると、今日はじめて親の手をはなれ、ひと てかようにはあまりに遠いから、下宿をしてはとすすめらりで学校へきた気負いと一種の不安をみせて、一年生のか れたのを、母子いっしょにくらせるのをただ一つのたのし たまりだけは、独特な、無言のざわめきをみせている。三 みにして、市の女学校の師範科の二年を離れてくらしてい 四年の組がさっさと教室へはいっていったあと、大石先生 た母親のことを思い、片道八キロを自転車でかよう決心をはしばらく両手をたたきながら、それにあわせて足ぶみを した大石先生である。自転車は久子としたしかった自転車させ、うしろむきのまま教室へみちびいた。はじめてじぶ げつぶ 屋の娘の手づるで、五か月月賦で手にいれたのだ。着物がんにかえったようなゆとりが心にわいてきた。席におさま ないので、母親のセルの着物を黒く染め、へたでもじぶんると、出席簿をもったまま教壇をおり、 で縫った。それともしらぬ人びとは、おてんばで自転車に 「さ、みんな、じぶんの名前をよばれたら、大きな声で返 のり、ハイカラぶって洋服をきていると思ったかもしれ事するんですよ。 岡田磯吉くんー」 ぬ。なにしろ昭和三年である。普通選挙がおこなわれて背の順にならんだので一番前の席にいたちびの岡田磯吉 も、それをよそごとに思っているヘんびな村のことであは、まっさきにじぶんが呼ばれたのも気おくれのしたもと る。その自転車が新らしく光っていたから、その黒い手縫であったが、生まれてはじめてクンといわれたことでもび いのスウッに垢がついていなかったから、その白いプラウつくりして、返事がのどにつかえてしまった。 スがまっ白であったから、岬の村の人にはひどく・せいたく「岡田磯吉くん、いないんですか。」
はくれず、チェノワはすべって棺の底に落ちた。並木も泣はいま、岬の本校の母校にいた。 ろうきゅう きながら、彼もまた八津の目にふれぬようにしまいこんで「四十じゃあね。現職にいても老朽でやめてもらうところ つるやっこ 十′し、刀」 あった大事な色紙をもってきて、鶴や奴や風船を折って入じゃよ、 れた。そんなものをもって、八津は死出の旅路についたの首をかしげる校長へ、再三頼んで、ようやく、岬ならば である。 ということで話がきまった。しかもそれは大石先生のもっ こういうことがあって、大石先生はきゅうにふけたのでている教員としての資格でではなく、校長いちぞんで採決 ある。髪さえもふえた。小さなからだはやせるとよけいできる助教であった。臨時教師なのだ。かわりがあれば、 小さくなり、腰でもまげると、おばあさんそっくりになっ いつやめさせられるかもしれないのだ。早苗は、気のどく た。小さいながらも大吉はどきんとし、こんどはお母さんさにしおれて、それを報告した。だが、大石先生の目は、 が、どうかなるかとあんじた。人のいのちの尊さを、しみ異様にかがやいたのである。 「岬なら、願ったり、かなったりよ。まえの借りがあるか じみと味わえる年になってきた。 お母さんを大事にしてあげるんだそ お父さんのことばが生きてきた。 条件の悪さなど気にもかけず、心の底からっきあげてく 「お母さん、薪は・ほくがとってくる。」 るような笑顔をした。そのとき大石先生の心には、忘れて そういって並木といっしょに山へゆく。 いた記憶が、いまひらく花のような新鮮さでよみがえって いたのだ。 「お母さん、配給は、ぼく、学校の帰りにとってくるか せんせえまたおいでエ 遠い配給所へゆくのも彼の役になった。並木もまけては 足がなおったらまたおいでエ : 瞳いられなかった。 やくそくしたぞオ : ふにん 四「お母さん、水やこい、みんな・ほくがくんであげる。」 あのとき、じぶんのあとへ赴任していった老朽の後藤先 生と同じように、じぶんもまた人にあわれまれているとも 一一涙もろくなったお母さんは、 「きゅうにまあ、二人とも親孝行になったなあ。」 知らず、いや、大石先生がそれを知らぬはずはなかった。 これほどよわり、いたわられている彼女が、ふたたび教しかし幼い二人の子をかかえた未亡人の彼女もまた、やは 職にもどれたのは、かげに早苗の尽力があったのだ。早苗り後藤先生と同じく、よろこんで岬へゆかねばならなかっ
造花のもみじをも頭にかざり、赤い前かけに両手をくるむ 七羽ばたき 2 ようにして、無心な顔で往来のほうを向いて立っていた。” それはどうしても、大石先生として見のがせぬ姿であっ修学旅行から大石先生の健康はつまずいたようだった。 た。立ちどまった先生たちを客と見たのか、少女はさっき三学期にはいってまもなくのこと、一一十日近く学校を休ん まくら でいる大石先生の枕もとへ、ある朝一通のはがきがとどい と同じ声で叫んだ。 「いらっしゃー それはもう、じぶんの声にさえ、いささかも疑問をもた拝啓、先生の御病気はいかがですか。私は毎日、朝礼の ない叫びであった。日本髪に、ませたぬぎ衣紋の変わった時になると、心配になります。大石先生がいないとせえ がないと、小ツルさんや富士子さんもいっています。男 姿とはいえ、長いまっ毛はもう疑う余地もなかった。 子もそういっています。先生、早くよくなって、早くき 「松江さん、あんた、マッちゃんでしよ。」 さよなら はいってきた客に、いきなり話しかけられ、桃われの少てください。岬組はみんな心配しています。小夜奈良。 岬組の生徒たちの真情にふれた思いで、ふと涙ぐんだ先 女はいきをのんで一足さがった。 「大阪へいったんじゃなかったの。マッちゃん、ずっとこ生も、最後の小夜奈良で、思わずふきだした。早苗からだ こにいたの ? 」 「さよならを、ほら、こんなあて字がはやってるんよ、お のぞきこまれた松江はやっと思いだしでもしたように、 しくしく泣きだした。思わずその肩をかかえるようにして母さん。」 なわ 繩のれんの外につれ出すと、奥からあわただしい下駄の音朝食をはこんできた母親に見せると、 「字もうまいでないか、六年生にしちゃあ。」 といっしょに、おかみさんもとびだしてきた。 「どなたですか、だまってつれ出されたら、こまります「そう、一ばんよくできるの。師範へいくつもりのようだ けど、少しおとなしすぎる。あれで先生っとまるかな。」 が。」 ロではなかなか意志表示をしない早苗のことを心配して うさんくさそうにいうのへ、松江ははじめて口をきき、 しうと、 おかみさんのうたがいを打ち消すように小声でいった。 「だけど、おまえ、久子だって六年生ぐらいまではロ数の 「大石先生やないか、お母はん。」 - あい、よう すくない、愛嬌のない子だったよ。それがまあ、このせつ うどんはとうとう食べるひまがなかった。
ろ。なにしろ彼は、小学生でストライキをやったんだかのよ、久子。」 すると先生はまた、ややしばらく考えてから、はっきり ら、前代未聞ですよ。」 あっはつはと笑った。その話は、まえにも聞いたことが あった。なんでも、小学校四年生の父が、受けもちの先生「そんなこと、ぜったいにないわ。万事都合なんかよくな に誤解されたことがおこって、級友をそそのかして一日スらない。すくなくも後藤先生のためにはよ。だって、老朽 トをやったというのだ。同級生だった校長先生も、同情しなんて、失礼よ。」 て、みんなでいっしょに村役場へ押しかけていって、先生この娘は気が立っているのだというふうに、お母さんは 今年の春、就職をもうそれにさからおうとはしないで、やさしくいった。 をとりかえてくれといったのだという。 ナもふふけたようじ 「とにかく、もう寝ようでないの。・こ、・ たのみにいったとき、はじめて父の少年時代のことをきし て、母と子はいっしょに笑ったのである。ただ思い出話と その翌朝、思いたった大石先生は、岬の村へ船で出かけ して笑って語られる父のことが、今の大石先生には、ふし た。船頭は小ツルの父親とおなじく、渡し舟をしたり、車 ぎと、まじめにひびいた。 校長先生が帰ったあとも、ひとりで考えこんでいる大石をひいたりするのが渡世の、一本松の村のチリリンヤであ った。十月末の風のない朝だ。海も空も青々として、ひき 先生を、お母さんはいたわるように、 りようそで しまるような海の空気は、両袖で思わず胸をだくほどのひ 「でもまあ、よかったでないか、久子。」 しかし大石先生はだまっていた。そして晩の御飯もいつやっこさである。 あわせ 「おお寒ぶ。もう袷じゃのう、おっさん。」 もよりたべなかった。夜おそくまで考えつづけたあげく、 やっとお母さんにいった。 「なに、陽があがりや、そうでもない。今が、いちばんえ 瞳「よかったのかもしれないわ。わたしにも、後藤先生にい季節じゃ。暑うなし、寒うなし。」 かすり しこんはかま 四も。」 珍らしく絣のセルの着物に、紫紺の袴をつけている大石 十 それは「よかったではないか、久子。」といわれてから先生だった。ゴザをしいた船の胴の間に横いざりに坐った こんじよう 四時間もあとのことであった。お母さんはほっとした顔足を、袴はうまくかくして、深い紺青の海の上を、船は先 で、 生の心一つをのせて、櫓音も規則ただしく、まっすぐに進 「そうとも、そうともお前、万事都合よくいったというもんだ。ニか月前に泣きながら渡った海を、今はまた、気お
出あう人みんなにあいさつをしながら走ったが、返事をそれがあだ名になったと、さとったからだ。わざと、リリ リリリとベルを鳴らし、すれちがいながら、高い声でいっ かえす人はすくなかった。時たまあっても、だまってうな ずくだけである。そのはずで、村ではもう大石先生批判のた。 「さよならア。」 声があがっていたのだ。 わあっと喚声があがり、また、大石小石ーと呼びかけ みんなのあだ名まで帳面につけこんだそうな。 西口屋のミイさんのことを、かわいらしいというたる声が遠のいてゆく。 おなご先生のほかに、小石先生という名がその日生まれ そうな。 もう、はやのこめから、ひいきしよる。西口屋じたのである。からだが小つぶなからでもあるだろう。新ら ゅうひ しい自転車にタ陽がまぶしくうつり、きらきらさせながら や、なんそ持っていってお上手したんかもしれん。 小石先生の姿は岬の道を走っていった。 なんにも知らぬ大石先生は、小柄なからだをかろやかに のせて、村はずれの坂道にさしかかると、少し前こごみに 二魔法の橋 なって足に力をくわえ、このはりきった思いを一刻も早く とつばなまで四キロの細長い岬のまん中あたりにも小さ 母に語ろうと、べタルをふみつづけた。歩けばたいして感 じないほどのゆるやかな坂道は、往きにはこころよくすべな部落がある。入り海にそった白い道は、この小部落にさ りこんだのだが、そのこころよさが帰りには重い荷物となしかかるとともに、しぜんに岬を横ぎって、やがて外海そ いに、海を見おろしながら小石先生の学校のある岬村へと る。そんなことさえ、帰りでよかったとありがたがるほど のびている。この外海ぞいの道にさしかかる前後に、本校 すなおな気持であった。 へいたん やがて平坦な道にさしかかると、朝がた出あった生徒のへかよう生徒たちと出あうのが、毎日のきまりのようにな っていて、もしも、少しでも場所がちがうと、どちらかが 瞳一団も帰ってきた。 あわてねばならぬ。 四 ーー大石小石 十 「わあ、小石先生きたぞう。」 ーー・ー大石小石 幾人もの声のたばが、自転車の速度につれ大きく聞こえ急に足ばやになるのはたいてい生徒のほうだが、たまに は先生のほうでも、入り海そいの道で行く手に生徒の姿を てくる。なんのことか、はじめは分からなかった先生も、 それがじぶんのことと分かると思わず声を出して笑った。見つけ、あわててペタルに力を入れることもある。そんな
「いつまでもごめいわくをかけまして、すみません。もう「あのう、もうそのこと、きまったんでしようか後任の ずいぶんらくになったようですけど、なんしろ、自転車に先生のことも。」 まるでそれは、とんでもないといわぬばかりの口調であ のれないものですから、いつまでもぐずぐずしておりまし 「きまりました。きのうの職員会議で。いけませんかい。」 しかし校長先生のほうはそんなつもりではなく、見舞い がてら吉報をもってきたのであった。友人の娘である大石「いけないなんて、それは、そんなこという権利ありませ んけど、でもわたし、やつばりこまったわ。」 先生のことも、今日は名前でよんで、 そこにお母さんでもいたら、大石先生は叱りつけられた 「久子さんも片足儀牲にしたんだから、岬勤めはもうよい かもしれぬ。しかしお母さんは、茶菓子でも買いにいった でしよう。本校へもどってもらうことにしたんじゃがな、 らしく、出ていったあとだった。校長先生はにこにこ笑っ その足じゃあ、本校へもまだ出られんでしような。」 て、 お母さんはきゅうに涙ぐんで、 「なにが困るんですか ? 」 「それは、まあ。」 「あの、生徒と約束したんです。また岬へもどるって。」 といったぎり、しばらくあとが出なかった。思いがけない 「こりやおどろいた。しかし、どうしてかよいますかね。 喜びであり、きゅうには礼のことばも出てこなかったの だ。それをごまかしでもするように、さっきから、やつばお母さんのお話だと、とうぶん自転車にものれんというこ とだったので、そうはからったんですがね。」 りだまっている娘の大石先生に気がつくと、 1 も .- つ、 いようがなかった。すると、岬の村がいっそう 「久子、久子、なんです。・ほんやりして。お礼をいいなさ みれん なっかしくなり、思わず未練がましくいった。 瞳しかし、大石先生としては、せつかくのこの校長先生の「後任の先生は、どなたでしよう。」 四はからいが、あんまりうれしくなかったのだ。これがも「後藤先生です。」 十し、半年前のことならば、とびとびして喜んだろうが、今「あらー」 お気のどくといいそうになってあわててやめた。後藤先 ではもう、そうかんたんに、いかない事情が生まれてきて いた。だから、ロをついて出たことばは、お礼ではなかっ生こそ、どうしてかようだろうとあんじられたのだ。もう すぐ四十で、しかも晩婚の後藤先生には乳呑み子があっ
ぬ。六年になってから、マスノはすっかり母たちの家へ移「なんだか、疲れましたの。そくぞくしてるの。」 っていたので、もう岬の仲間ではなくなっていた。たった「あら、こまりましたね。お薬は ? 」 ひとり、あの岬の道を学校へゆく今日の早苗を思うと、今「さっきから清涼丹をのんでますけど。」といいさして巴 日は休みにしなかったことが、かわいそうに思えた。先生わずふっと笑い もいない教室でしょん・ほりと自習している生徒たちを思う「清涼でないほうがいいのね。あつういウドンでも食べる と早苗ばかりでなく、かわいそうだった。 こんびらは多度津から一番の汽車で朝まいりをした。ま「そうよ。おっきあいするわ。」 た「こんびらふねふね」をうたい、長い、石段をの・ほって そうはいったが前にもうしろにも生徒がいる。それを桟 ゆきながら汗を流しているものもある。そんななかで大石の待合所までおくってからのことにした。男先生たちに 先生はぞくりとふるえた。屋島への電車の中でも、ケー・フ事情をいって、一人ずっそっとぬけだし、目だたぬよう大 ひざ ルにのってからも、それはときどき全身をおそった。膝の通りをすぐ横丁にはいった。そこでも土産物やたべものの あたりに水をかけられるような不気味さは、あたりの秋色店がならんでいた。軒の低い家並に、大提灯が一つずつふ みやげ をたのしむ心のゆとりもわかず、のろのろと土産物屋にはらさがっていて、どれにもみな、うどん、すし、さけ、さ いり、同じ絵はがきを幾組も買った。せめて残っている子かななどと、太い字でかいてあった。せまい土間の天井を どもたちへのみやげにと思ったのである。 季節の造花もみじで飾ってある店を横目で見ながら、 屋島をあとに、最後のスケジュールになっている高松に「大石先生、うどんや風ぐすりというのがあるでしよ、あ りつりん 出、栗林公園で三度目の弁当をつかったとき、大石先生れもらったら ? 」 そうね、と返事をしようとしたとたん、 は、大かた残っている弁当を希望者にわけて食べてもらっ 瞳たりした。弁当までが心の重荷になっていたことに気づ「てんぶら一丁ツー」 四き、それでほっとした。タやみのせまる高松の街を、築港威勢のよい少女の、よくひびく声が大石先生をはっとさ 一一のほうへと、ぞろそろ歩きながら、早く帰って思うさま足せた。あっと叫びそうになったほど、心にひびく声であっ をのばしたいと、しみじみ考えていると、 た。このあたりにはめずらしい、繩のれんの店の中からそ 四「大石先生、あおい顔よ。」 れはひびいてきたのだった。思わずのぞくと、髪を桃われ 田村先生に注意されると、よけいそくりとした。 にゆったひとりの少女が、ビラビラかんざしといっしょに なわ ちょうちん ! ん
320 「笑われらア。」 ・ : だれにも通じなかった。ききかえすものもなかった。 それがまた、二人にはおもしろくてたまらなかった。向こ 「そうだ、笑われらア。泣き声がきこえたら、お母さんも うから知った人の姿があらわれるたびに、 水月の二階から手たたいて笑ってやらア。」 おそろいでどちらへ、 「お母さんの歓迎会、浜の見える部屋 ? 」 と二人は、母子三人だけに聞こえる声でいう。すると、か「たぶんそうだろう ? 」 ならずそれはあたった。 「そんならときどき顔出して見てなあ。」 「よしよし、見て、手をふってあげる。」 「おそろいでどちらへ ? 」 「びくにいくんです。」 「そしたら、大石先生とこの子じゃと思うて、いじめんか 並木はすごく早ロでいって、とっととゆきすぎた。大吉もしれん。」 がおっかけていって、二人はしやがみこんで笑う。こんな並木に大石先生といわれたことで、大石先生は思わずに やりとなり、 ことは生まれてはじめてなので、二人はうきうきしてい た。何度も同じことをくりかえしているうち、もうたずね「へえ、大石先生か、このお母さんが : : : 。」 岬では泣きみそ先生といわれているといおうとしてやめ る人もなくなったころには、隣りの村にさしかかってい た。別れ道へきていた。そこから二人は八幡山へ登るのだ た。本村にさしかかり、お母さんと別れねばならぬ場所が 近づくと、さすがのきようだいも少し不安になったらしった。十間ほどもいってから、大吉が叫んだ。 く、かわるがわるきいた。 「お母さん、もしも、雨降ってきたら、どうしようか ? 」 「お母さん、・ほくらの・ヒクニックのほうが早くすんだらど「あん・ほんたん。二人で考えなさい。」 水月まではもうあと十分たらずだった。まっすぐに歩い うしよう。」 てゆくと、向こうから早苗とミサ子が子どものように走っ 「そしたら水月の下の浜で、石でも投げてあそんどればい てきた。 い」 「せんせえ。」 「本村の子が、いじめにきたら。」 ろくにあいさつもしないで、両側からとびついてぎた。 「ふん、並木もいじめかえしてやりゃあいい。」 「先生、めずらしい顔、だれだと思います ? 」 「・ほくらより強かったら。」 早苗がいった。 「かいしようのない、大きな声でわあわあ泣くといい。」
忠君愛国 : : : 。」 「まるで、なんもかもひとのせいのようにいう子だよ、お 「これツ。」 まえは。すきできてもらった婿どのでないか。お母さんこ 「なんでお母さんは、わたしを教師なんぞにならしたの、 そ、文句いいたかったのに、あのとき。わたしの二の舞い ほんとに。」 ふんだらどうしようと思って。でも、久子が気に入りの人 「ま、ひとのことにして。おまえだってすすんでなったじなら仕方がないとあきらめた。それを、なんじゃ、今さ ゃなしか。お母さんの二の舞いふみたくないって。まったら。」 さいほう く老眼鏡かけてまで、ひとさまの裁縫はしたくないよ。」 「すきと船乗りはべつよ。とにかくわたし、先生はもうい 「そのほうがまだましよ。一年から六年まで、わたしはわやですからね。」 たしなりに一生けんめいやったつもりよ。ところがどうで「ま、すきにしなされ。今は気が立ってるんだから。」 しよう。男の子ったら半分以上軍人志望なんだもの。いや「気なんか立っていないわ。」 んなった。」 学校でとはだいぶちがう先生である。しかしそのわがま 「とき世時節じゃないか。お前が一文菓子屋になって、戦まないいかたのなかには、人の命をいとおしむ気持があふ 争が終るならよかろうがなあ。」 れていた。 「よけい、いやだわたし。しかも、お母さんにこりもせやがておちついてふたたび学校へかようようにはなった ず、船乗りのお婿さんもらったりして、損した。このごろが、新学期のふたをあけると大石先生はもう送りだされる みたいに防空演習ばっかりあると、船乗りの嫁さん、いの人であった。惜しんだりうらやましがる同僚もいたが、と ちちちめるわ。あらしでもないのに、どかーんとやられてくに引きとめようとしないのは、大石先生のことがなんと 未亡人なんて、ごめんだ。そいって、今のうちに船乗りゃなく目立ち、問題になってもいたからだ。それなら、どこ に問題があるかときかれたら、だれひとりはっきりいえは 瞳めてもらおかしら。二人で百姓でもなんでもしてみせる。 四せつかく子どもが生まれるのに、わたしはわたしの子にわしなかった。大石先生自身はもちろん知らなかった。しい 一一たしの二の舞いふませたくないもん。やめてもいいわね。」ていえば、生徒がよくなっくというようなことにあったか 早口にならべたてるのを、にこにこ笑いながらお母さんもしれぬ。 は聞いていたが、やがて、幼い子どもでもたしなめるようその朝七百人の全校生徒の前に立った大石先生は、しば らくだまってみんなの顔を見まわした。だんだんぼやけて むこ