笑い - みる会図書館


検索対象: 現代日本の文学 22 宮本百合子 壺井栄集
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1. 現代日本の文学 22 宮本百合子 壺井栄集

ないさかいな。」 そんな冗談口をたたいて出かけたのが、本当になってし まったのだ。小梅を一目見るなり、武郎は一さい合さい といわれても小梅は返事のしようがなかった。彼女にこれまでのゆきがかりをきれいさつばりとなげすてて、 すれば合づちのうちょうも知らずだまっていたのだが、た梅に執心した。そして翌日を待ちかねて小梅の母に直談判 つはそれを小梅が無言で責めているとでも思ったらしく、 をした。惚れた弱味は一さい合さい小判屋側のいいなり放 そでぐち 袖口を目にあてた。すると小梅ももらい泣きをした。 だいだった。未来の船長といえば、海辺の村々の娘たちは そんな母を美しいと思ったのは、小梅に結婚の相手がで心を強くとらえられ、嫁になりては文字通り選択にまよう きてからである。女学校を卒えるのを待って式はあげられほどなのに、えりにえって彼は養子のロをつかんで、離さ ることになった。たつの達しそこねた宿望をとげる意味なかったのだ。そんなことから候補にえらばれていた娘の はす で、小梅こそ東京の学校へ進む筈だったのが、その縁談の側からであろう、小判屋代々にまつわるさまざまな悪評 ために急に方向をかえ、春をまっことになったのだ。未来が、夏雲のようにまたたくまにひろがり、その一さいが小 の夫になる大島武郎は五里ばかりはなれた村の出で、商船梅の責任ででもあるようにいいふらされた。それでも彼は 学校を出た有望な船員である。外国航路に乗っていて、正動かされなかった。その惚れこみ方にはまず、たつがまい 月休暇を嫁どりの準備のために帰ってきていた武郎と、小 った。たつは一応話をもとへ戻し、 梅との出あいは正月のかるた会で、それはまったく偶然で「ありがとうございます、わたしにはいぞんはありません あった。小梅の村の親類へ遊びにきていた武郎は、村役場けれど、こればっかりは小梅の心次第でござんしてな。そ につとめているそこの息子に誘われたのである。 れにまあ、世間ではいろいろとり沙汰もしているようにご うわさ 「おい、武郎くんよ、嫁さんはもう決ったのかい。」 ざりますし、悪い噂がみんなほんとだとしても、それでよ 「うん。大たいね。」 ろしかったら、小梅と相談してみますから。」 「へーえ。じゃあいいよ。まだなら、よりどり見どりとい 「ありがとう小母さん。そんならもう、大丈夫です。・ほ むこ う所へつれてってやるんだったが、きまったとなれば、残 く、押しかけ婿にきます。小梅さんとはもう : : : 」 念だ。」 離れられぬ関係になっているといってたつをおどろかし やしゃ 「いいじゃよ、 オしか。つれていけよ、もっといいのがあったた武郎である。「金色夜叉」の宮のように、かるた会の帰 らとりかえるからさ。」 りを武郎のマントにくるまれたまま、小梅は彼を兵隊墓へ むすこ

2. 現代日本の文学 22 宮本百合子 壺井栄集

「おまえがめくらになんぞなって、もどってくるから、み 「な先生、そう思いませんか。こういうところに出ると一 あわ ばん役に立たんのは学校の先生だと。」 んなが哀れがって、見えないおまえの目に気がねしとるん だそ、ソンキ。そんなことにおまえ、まけたらいかんそ、 肩をすくめて笑うと、 「わたしこそ。」 ソンキ。めくらめくらといわれても、平気の平ざでおられ るようになれえよ、ソンキ。」 と、ミサ子がもじもじしたので、そこで笑いが渦まいた。 だ、ぶ酔ってきたマスノは、磯吉のそばによってきて、コ ビールは磯吉の膝にこ・ほれた。それを手早く磯吉はのみ ップを手ににぎらせ、 ほし、マスノにかえしながら、 「さあ、ソンキ、あんまになるおまえのために、も一ばい 「マアちゃんよ、そないめくらめくらいうないや。うら いこう。」 ア、ちゃんと知っとるで。みな気がねせんと、写真の話で ひざ 気がつくと、磯吉ははじめから膝もくずさず、きちょうもめくらのことでも、大っぴらにしておくれ。」 めんにかしこまっていた。 思わず一座は目を見あわせて、そして笑った。ソンキに 「ソンキさん、みんな行儀わるいのよ。あんたももっとらそういわれると、今さら写真にふれぬわけにもゆかなくな くにすわったら。」 ったように、写真ははじめて手から手へ渡っていった。ひ 大石先生にそういわれると、磯吉は少しななめにまげたとりひとりがめいめいに批評しながら小ツルの手に渡った あと、小ツルは迷うことなくそれを磯吉にまわした。 首のうしろに手をやり、 「はい、一本松の写真ー」 「いやあ先生、このほうがじつは、らくなんです。」 質屋の番頭が目的だった彼の十代の日の膝の苦行はもう酔いも手つだってか、いかにも見えそうなかっこうで写 身についてしまっているというのだ。彼はいま、三十に近真に顔を向けている磯吉の姿に、となりの吉次は新らしい くなって、こんどは腕をかためわばならないのだ。もうす発見でもしたような驚ろきでいった。 じようじゅ でにかたまった彼の腕がどこまで、あんまとして成就でき「ちっとは見えるんかいや、ソンキ。」 るか。しかもそれよりほかに生きる道はないのである。あ磯吉は笑いだし、 ししよう 「目玉がないんじやで、キッチン。それでもな、この写真 んまの師匠は、そういう弟子をとりたがらないのだが、マ は見えるんじゃ。な、ほら、まん中のこれが先生じやろ。 スノの骨折りで、彼のばあいは首尾よく住みこめたとい う。その磯吉に、マスノはまるで弟あっかいのロをきき、その前にうらと竹一と仁太が並んどる。先生の右のこれが うす

3. 現代日本の文学 22 宮本百合子 壺井栄集

仁太はからだじゅうからしぼり出すような、れいの大戸 やがてそれは、また尾ひれがついて村中に伝わってゆく にちがいない。じっと突っ立って、二分間ほど考えこんでで、 いた先生は、心配そうにとりまいている生徒たちに気がつ「天皇陛下は、押入れの中におります。」 あんまりぎばつな答えに、先生は涙を出して笑った。先 くと、泣きそうな顔で笑って、しかし声だけは快活に、 「さ、もうやめましよう。小石先生しつばいの巻だ。浜生だけでなく、にかの生徒も笑ったのだ。笑いは教室をゆ るがし、学校のそとまでひびいていったほどだった。東 で、歌でもうたおうか。」 を、ゆ・うじよう くるっときびすをかえして先に立った。そのロもとは笑京、宮城、などという声がきこえても、仁太はがてんの っているが、・ほろんと涙をこ・ほしたのを、子どもたちが見ゆかぬ顔をしていた。 「どうして、押入れに天皇陛下がいるの ? 」 のがすわけはない。 笑いがやまってからきくと、仁太は少々自信をなくした 「先生が、泣きよる。」 声で、 「よろずやのばあやんが、泣かしたんど。」 そんなささやきがきこえて、あとはひっそりと、ぞうり「学校の、押入れん中にかくしてあるんじゃないんかい の足音だけになった。ふりかえって、泣いてなんかいない それでわかった。仁太がいうのは天皇陛下の写真だった よう、と笑ってみせようかと思ったとたん、また涙がこ・ほ うあんでん れそうになったので、だまった。このさい笑うのはよくなのだ。奉安殿のなかった学校では、天皇陛下の写真は押入 いとも思った。さっき笑ったのも、よろずやのおかみさんれにかぎをかけてしまってあったのだ。 がいうように、人の災難を笑ったというよりも、ほんとう 仁太の家の押入れの壁が落ちたことは、それを思いださ のところは、マスノの身ぶりがおかしく、それにつづ 瞳て、押入れの連想は、一学期のある日の、仁太を思いだしせたのであった。若い女先生は、思い出すたびに笑わずに いられなかったのであるが、そんな言いわけをよろずやの 四て笑わせたのであった。 おかみさんに聞いてももらえず、だまって歩いた。涙がこ 十「天皇陛下はどこにいらっしゃいますか ? 」 ハイハイと手があがったなかで、めずらしく仁太が・ほれている今でさえ、その話はおかしい。しかしそのおか しさを、よろずやのおかみさんのことばは、差し引きして さされ、 つりをとったのである。浜にでて歌でもうたわぬことに 「はい、仁太くん。」

4. 現代日本の文学 22 宮本百合子 壺井栄集

320 「笑われらア。」 ・ : だれにも通じなかった。ききかえすものもなかった。 それがまた、二人にはおもしろくてたまらなかった。向こ 「そうだ、笑われらア。泣き声がきこえたら、お母さんも うから知った人の姿があらわれるたびに、 水月の二階から手たたいて笑ってやらア。」 おそろいでどちらへ、 「お母さんの歓迎会、浜の見える部屋 ? 」 と二人は、母子三人だけに聞こえる声でいう。すると、か「たぶんそうだろう ? 」 ならずそれはあたった。 「そんならときどき顔出して見てなあ。」 「よしよし、見て、手をふってあげる。」 「おそろいでどちらへ ? 」 「びくにいくんです。」 「そしたら、大石先生とこの子じゃと思うて、いじめんか 並木はすごく早ロでいって、とっととゆきすぎた。大吉もしれん。」 がおっかけていって、二人はしやがみこんで笑う。こんな並木に大石先生といわれたことで、大石先生は思わずに やりとなり、 ことは生まれてはじめてなので、二人はうきうきしてい た。何度も同じことをくりかえしているうち、もうたずね「へえ、大石先生か、このお母さんが : : : 。」 岬では泣きみそ先生といわれているといおうとしてやめ る人もなくなったころには、隣りの村にさしかかってい た。別れ道へきていた。そこから二人は八幡山へ登るのだ た。本村にさしかかり、お母さんと別れねばならぬ場所が 近づくと、さすがのきようだいも少し不安になったらしった。十間ほどもいってから、大吉が叫んだ。 く、かわるがわるきいた。 「お母さん、もしも、雨降ってきたら、どうしようか ? 」 「お母さん、・ほくらの・ヒクニックのほうが早くすんだらど「あん・ほんたん。二人で考えなさい。」 水月まではもうあと十分たらずだった。まっすぐに歩い うしよう。」 てゆくと、向こうから早苗とミサ子が子どものように走っ 「そしたら水月の下の浜で、石でも投げてあそんどればい てきた。 い」 「せんせえ。」 「本村の子が、いじめにきたら。」 ろくにあいさつもしないで、両側からとびついてぎた。 「ふん、並木もいじめかえしてやりゃあいい。」 「先生、めずらしい顔、だれだと思います ? 」 「・ほくらより強かったら。」 早苗がいった。 「かいしようのない、大きな声でわあわあ泣くといい。」

5. 現代日本の文学 22 宮本百合子 壺井栄集

忠君愛国 : : : 。」 「まるで、なんもかもひとのせいのようにいう子だよ、お 「これツ。」 まえは。すきできてもらった婿どのでないか。お母さんこ 「なんでお母さんは、わたしを教師なんぞにならしたの、 そ、文句いいたかったのに、あのとき。わたしの二の舞い ほんとに。」 ふんだらどうしようと思って。でも、久子が気に入りの人 「ま、ひとのことにして。おまえだってすすんでなったじなら仕方がないとあきらめた。それを、なんじゃ、今さ ゃなしか。お母さんの二の舞いふみたくないって。まったら。」 さいほう く老眼鏡かけてまで、ひとさまの裁縫はしたくないよ。」 「すきと船乗りはべつよ。とにかくわたし、先生はもうい 「そのほうがまだましよ。一年から六年まで、わたしはわやですからね。」 たしなりに一生けんめいやったつもりよ。ところがどうで「ま、すきにしなされ。今は気が立ってるんだから。」 しよう。男の子ったら半分以上軍人志望なんだもの。いや「気なんか立っていないわ。」 んなった。」 学校でとはだいぶちがう先生である。しかしそのわがま 「とき世時節じゃないか。お前が一文菓子屋になって、戦まないいかたのなかには、人の命をいとおしむ気持があふ 争が終るならよかろうがなあ。」 れていた。 「よけい、いやだわたし。しかも、お母さんにこりもせやがておちついてふたたび学校へかようようにはなった ず、船乗りのお婿さんもらったりして、損した。このごろが、新学期のふたをあけると大石先生はもう送りだされる みたいに防空演習ばっかりあると、船乗りの嫁さん、いの人であった。惜しんだりうらやましがる同僚もいたが、と ちちちめるわ。あらしでもないのに、どかーんとやられてくに引きとめようとしないのは、大石先生のことがなんと 未亡人なんて、ごめんだ。そいって、今のうちに船乗りゃなく目立ち、問題になってもいたからだ。それなら、どこ に問題があるかときかれたら、だれひとりはっきりいえは 瞳めてもらおかしら。二人で百姓でもなんでもしてみせる。 四せつかく子どもが生まれるのに、わたしはわたしの子にわしなかった。大石先生自身はもちろん知らなかった。しい 一一たしの二の舞いふませたくないもん。やめてもいいわね。」ていえば、生徒がよくなっくというようなことにあったか 早口にならべたてるのを、にこにこ笑いながらお母さんもしれぬ。 は聞いていたが、やがて、幼い子どもでもたしなめるようその朝七百人の全校生徒の前に立った大石先生は、しば らくだまってみんなの顔を見まわした。だんだんぼやけて むこ

6. 現代日本の文学 22 宮本百合子 壺井栄集

とき、生徒のほうの、よろこぶまいことか、顔をまっかにろん、一大事件としてほめられたのだ。男先生はそれを、 じぶんの手柄のように思ってよろこび、 して走る先生にむかって、はやしたてた。 「なんしろ、今年の生徒んなかには、たちのよいのがおる 「やあい、先生のくせに、おくれたそオ。」 からなあ。」 「月給、ひくぞオ。」 はっと 五年生のなかにたったひとり、本校の大・せいのなかでも そして、わざと自転車の前に法度する子どもさえあっ た。そんなことがたびかさなると、その日家へ帰ったとき群をぬいてできのよい女の子がいることで、岬からかよっ っ ている三十人の男女生徒がちこくしなかったようにい の先生は、お母さんにこ・ほした。 「子どものくせに、月給ひくぞオだって。勘定だかいのた。だがそれは、じつは女先生の自転車のためだったの だ。しかし、女先生だとて、そうとは気がっかなかった。 よ。いやんなる。」 そして、たびたび、この岬の村の子どもらの勤勉さに感心 お母さんは笑いながら、 「そんなこと、おまえ、気にする馬鹿があるかいな。でもし、いたずらぐらいはしん・ほうすべきことだと思った。そ う思いながら、心の中ではじぶんの勤勉さをも、ひそかに まあ、一年のしん・ほうじゃ。しん・ほう、しん・ほう。」 ほめてやった。 だが、そういってなぐさめられるほど、苦痛は感じてい わたしだって、途中で・ハンクしたときにちこくした なかった。なれてくると、朝はやく自転車をとばす八キロ だけだわ。わたしは八キロだものーーーなどと。そして窓の の道のりはあんがいたのしく、岬を横ぎるころにはスビー ドが出てきて、いつのまにか競争をしていた。それがまた外に目をやり、じぶんをいつもはげましてくれるお母さん 生徒の心へひびかぬはずがなく、負けずに足が早くな 0 のことを思った。おだやかな入り海はいかにも夏らしくぎ た。シーソーゲームのように押しつ押されつ、一学期も終らぎら光 0 て、母のいる一本松の村は白い夏雲の下にかす ったある日、用事で本校へ出むいてい 0 た男先生はみようんで見えた。あけ 0 びろげの窓から、海風が流れこんでき なことをきいてかえった。この一学期間、岬の生徒は一度て、もうあと二日で夏休みになるよろこびが、からだじゅ もちこくしないというのだ。片道五キロを歩いてかよう苦うにしみこむような気がした。だが、少し悲しいのは、な 労はだれにもわかっていることで、昔から、岬の子どものんとしても気をゆるさぬような村の人たちのことだ。それ ちこくだけは大目に見られていたのだが、逆に一度もちこを男先生にこ・ほすと、男先生は奥歯のない口を大きくあけ くがないとなると、これは当然ほめられねばならぬ。もちて笑し

7. 現代日本の文学 22 宮本百合子 壺井栄集

304 きょ ~ 、さい 「一億玉砕でなかったー」 った。小さな大吉の村からも幾人かの少年航空兵が出た。 「そう。なかって、よかったな。」 航空兵になったら、・せんざいが腹いつばい食える。 「お母さん、泣かんの、まけても ? 」 かわいそうに、年端もいかぬ少年の心を、腹いつばいの 「うん。」 ぜんざいでとらえ、航空兵をこころざした貧しい家の少年 「お母さんはうれしいん ? 」 もいた。しかもそれで少年はもう英雄なのだ。貧しかろう なじるようにいっこ。 と、そうでなかろうと、そこへ心を傾けないものは非国民 「・ハ力いわんとー大吉はどうなんじゃい。うちのお父さでさえあった時世の動きは、親に無断で学徒兵をこころざ むすこ んは戦死したんじゃないか。もうもどってこんのよ、大せば、そしてそれがひとり息子であったとすれば英雄の価 値はいっそう高くなった。町の中学では、たくさんの少年 そのはげしい声にとびあがり、はじめて気がついたよう志願兵のなかに親に無断のひとり息子が三人も出て、それ に大吉はまともに母を見つめた。しかし彼の心の目もそれが学校の栄誉となり、親たちの心を寒がらせた。そのと でさめたわけではなかった。彼としては、この一大事のとき、小さかった大吉は、じぶんの年の幼なさをなげくよう に、 きに、なおかっ、ごはんを食べようといった母をなじりた かったのだ。平和の日を知らぬ大吉、生まれたその夜も防「ああ、早くぼく、中学生になりたいな。」 とうかかんせ、 そして歌った。 空演習でまっくらだったと聞いている。燈火管制のなかで ナーナッポータンハサクラニイカーリー : : : 育ち、サイレンの音になれて育ち、真夏に綿入れのを きゅう もって通学した彼には、母がどうしてこうまで戦争を憎ま人のいのちを花になぞらえて、散ることだけが若人の究 きよく ねばならないのか、よくのみこめていなかった。どこの家極の目的であり、つきぬ名誉であると教えられ、信じさせ にも、だれかが戦争にいっていて、若い者という若い者はられていた子どもたちである。日本じゅうの男の子を、す くなくもその考えに近づけ、信じさせようと方向づけられ ほとんどいない村、それをあたりまえのことと考えていた のだ。学徒は動員され、女子どもも動労奉仕に出る。あらた教育であった。校庭の隅で本を読む二宮金次郎までが、 けいだい かれは せいそう ゆる神社の境内は枯葉一枚ものこさず清掃されていた。そカンコの声でおくりだされてしまった。何百年来、朝夕を しようろう れが国民生活だと大吉たちは信じた。しかし、山へどんぐ知らせ、非常を告げたお寺の鐘さえ鐘楼からおろされて戦 りを拾いにゆき、に力し′、 : 、・、ノを食べたことだけは、いやだ争にいった。大吉たちがやたら悲壮がり、いのちを惜しま

8. 現代日本の文学 22 宮本百合子 壺井栄集

姿の見えないつや子をさがして呼んでいるひまに、 それとも、つや子が自身で縫子の夢にきこえた三次とい 「その辺に、何ぞありましよう」 うところを訪ねて行きたいこころもちだろうか。 んだな 「どうする ? つや子さん。自分で行かなくても気がすむ縫子が、大ぎい膳棚の横から古い番傘を一本とり出し、 それをもって迎えに出て行った。 こと ? 」 「さア : : : 」 十 「つや子さんの気がすむ方にしましようよ、ね」 天色の雨雲が強い風に吹きたてられて、むら立ちながら 山の峰々を南から北へ走っている。 「こんどは、御苦労でも、ひろ子はんに行んで貰おう、 雲脚がく濃くなるたびに、トタン屋根に白いしぶきを くらかしゃんとした話もせまあじゃ、のう、つや子はん」 はい娶 立てて沛然と豪雨が降りそそいだ。大ぶりの最中は、つい 「はア、それがよろしゅうあります」 相談がきまった。登代が、ねそびれて泣く治郎をおんぶ近くの山鼻さえ雨に煙った。どっちの道にも朝から人通り が絶えている。 して、駅へ切符の工面に出かけた。 その母が帰り途にかかったと思われる頃、雨が落ちて来残暑にあぶられてギラついている東京の焼跡から来たひ ろ子に、夏の終りのこの大雨は、むしろ快かった。いかに た。 も、山のすぐあっちには広い海のある場所らしく、たつぶ 「降って来たね、あした雨かしら、困ったこと」 縫子も立って来て、小さし′、 : 、ノッの干してある低い軒先り、惜しげない、雨のふりエ合がいい心持であった。 あまあし けさ、四時すぎの汽車にのるはずであったひろ子と縫子 から雨脚をみていたが、 は、一且その時刻におきて、どうする ? と相談した。電 「降りよりますでーーこれは・ : : こ あまどい 燈のついている台所の雨樋をむせぶように鳴らして、もう 野と、土地ものらしい確信で言った。 そのときから大降りであった。 平「お母はんに、傘もっていて上げなきや」 「どうなろういの、この雨で : ・ : こ 「そうだわ」 ひろ子が土間をさがしたが、雨傘らしいものは見当らな治郎をだいて茶の間にねている母が声をかけた。 「日よりみてからのことにすることでありますよ」 聟カ十ー つや子も髪をかきあげながら出て来た。 「つや子さん、雨傘どこかしら」 ころ いったん

9. 現代日本の文学 22 宮本百合子 壺井栄集

ともしらず、松江は、じぶんひとりの気づまりさからのが赤ちゃんの名前もそれなの ? 」 れようとでもするように、せつばつまった声で呼びかけすると松江は、恥らいとよろこびを、こんどはからだじ こ 0 ゅうで示すかのように肩をくねらせて、 「まだ、わからんの。」 「せんせ。」 「ふーん。わかりなさいよ。ュリちゃんにしなさい。ュリ 「なあに。」 丿工のほうがすきだわ。ュリコ 「あの、あの、うちのお母さん、女の子うんだ。」 ュ丿工 ? 先生、ユー はこのごろたくさんあるから。」 「あらそう、おめでとう。なんて名前 ? 」 「あの、まだ名前ないん。おとつい生まれたんじゃもん。 松江はこっくりうなずいて、うれしそうに先生の顔をみ あした、あさって、しあさって。」 あげた。松江の目がこんなにもやさしいのを、はじめて見 と、松江は三本の指をゆっくり折り、 たような気がして、先生はその長いまっ毛におおわれた黒 「六日ざり ( 名付日 ) 。こんど、わたしがすきな名前、考い目に、じぶんの感情をそそいだ。仁太のことはもう、ひ えるん。」 とまず流して、心はいっかなごんでいた。松江にとっても 「そう、もう考えついたの ? 」 また、その数倍のよろこびだった。先生にいわなかったけ 「まだ。さっき考えよったん。」 れど、お昼の弁当のとき、松江は大きな父の弁当箱を、 松江はうれしそうにふっと笑い、 ツルやミサ子から笑われたのである。それで、彼女はひと 「せんせ。」 りみんなからはなれていたのだ。しかし今は、そのしょげ いかにもこんどは別の話だというふうによびかけた。 た気持も朝露をうけた夏草のように、元気をもりかえし 「はいはい。なんだかうれしそうね。なあに。」 た。じぶんだけが、とくべつに先生にかまわれたようなう 瞳「あの、お母さんが起きられるようになったら、アルマイれしさで、これはないしょにしておこうと思った。だのに ゆり 四トの弁当箱、買うてくれるん。ふたに百合の花の絵がつい その日、帰り道で彼女はつい口に出してしまった。 十 とる、ペんと箱。」 リエって名前つけるん」 「うちのねね、ユ 「ユリ ? 工ふうん、ユリコのほうが気がきいとら。」 すうっとかすかな音をさせていきを吸い、松江は顔いっ ばいによろこびをみなぎらせた。 はねかえすように小ツルがいった。松江は胸をはって、 「あーら、 リエのほうがめずらして、ええ いいこと。百合の花の絵がついとるの。ああ、 「それでも、小石先生、ユ レ J 、

10. 現代日本の文学 22 宮本百合子 壺井栄集

「あのとき八郎さんが、そんなうそなどっきましたから、 うなとぼけた顔をして、 ばちがあたってわたしは子供ができないのかもしれません 「馬鹿の一つお・ほえでござります。こればっかりは、しカ なむつかしいお姑さんでももみほぐせるようにと、子供のなあ。」 時からやかましゅういわれてならいました。」 すずはまじめにそんなことを考えるようになり、そして 無邪気なような言葉に腹を立てれば立てた方が損なのでついにあと目の子供まで兄にたのむようなことになってし ある。すずのあんまはそれほど堂にいっている。 まった。しかしまだ三十三の帯の祝いをむかえたほどの若 「ほんにかわいらしいばっかりの嫁をもろうた。」 いすずの内心には、せらい子を生みたい気持は夫の八郎右 と、はじめのころ多少の皮肉をいっていた姑も、やがては、衛門よりもはるかに強いものがあった。それともしらずに 「うちの嫁ごは、もらいあてた。」 小判屋側の親類の中にはこの養子に不服を見せるものもあ というようになった。馬鹿の一つお・ほえはあんまだけじゃり、くりかえしくりかえし念を押したものである。 なく、つぎつぎと出てきたのである。針をもたせても、百松の嫁はどうでもこうでも小判屋すじからとらんと小判屋 姓をさせても、ちゃんと一人前なのだ。いや、一人前をほの血が絶えるぞ、と。もちろんそんなことをはたがやいや はんあし いいうまでもない。カ松はまだ五歳なのだ。ゆっくりと、 んの半足ほど前へ出ているのだ。そして、いうことの方は かえ 半足たりない。すずの妊娠がうそとしれたとき、却ってそこれから生れてくる女の子をまってもよいほど先はなが 。それまでにせらい子が生れないとも限らぬではないか れで世間体もっくろえようかとほっとした姑が、 「うそも方便というが、あのときは八郎にうまいことはめと、すずはひそかに思う。その強いねがいを内にこめて彼 女は夫にはかり、カ松をもらいうけるについては思いきっ られたのう。」 た大奮発をし、サイラ ( サンマ ) 六寸マンジ ( まんじゅ ) するとすずは素直に、 のしめ きんす ゆいのう は二文の時世に金子十両と熨斗目の着物を結納にした。そ 「はい。」 と答えた。はいとさえいえばよいと思ってそう答えたのだれにこたえて実家からは大人のむこ入り同様たんす長持を おおのぼり 裲が、姑のいつになくいやしいまでの大笑いにすずは赤くなもたせてよこし、引きつづいての初節句には金時の大幟を って、部屋へかけてもどった。その方便のうそのことを、幟竿と一しょに祝ってきた。そのほか親類のはしばしま すずは知らなかったのだ。知ったのはずっとあとのことでで、血の濃さに従って祝ってくれた大小の真鯉緋鯉は二十 ある。 尾にあまり、小判屋のひろい屋敷の空の上をゆうゆうとお まごいひごい