は、自分は一体どうしたら好いのだ ? という恐ろしい疑に流れながらっかまえようとしていないのを自分で知って しる 9 問が残された。この気持ちは、甚助のことのときにも私を たとい表面的には、畑へも出、収穫の手伝いもし、同情 苦しめた。けれどもあのときは、自分のしていることにか いきおい なりの自信を持っていたので、幾分は勢づけられていたもし、ある共鳴は感じていても、決して同じ者共とはなり のであった。が、今度は、自分のしていることがどうもほ得ないのである。 それなら、私がその同じ流れの中に漂って見たらどう んとうに好いことではないような気がしてならなかった。 おぼ あわ なかなか自分の溺れないために人のことなどは見て 人が自分よりカ弱い者を憫れむとか、恵むとかいうとぎか ! もいられなくなる。 に、少しばかりでも虚栄心を持たないだろうか。 岸から竹を延ばしている今までにも私はあきたらなくな もちろん、すっかり世の中を悟ったというような人は別 だくすい かも知れないが、少くとも、私共ぐらいの程度の人間ではって来たと共に、一緒に濁水を浴び、苦しまぎれに引っか はとん 虚心平気に人を恵み、慈善を施すということは、殆ど出来きもがいて、手も足も出なくなって終ってしまうのは、た みじ だ一度ほかない私の生涯にあまり惨めである。 ないことではないかしらん ? しか で、私はほんとうに、謙譲になり丁寧になって、而も今 町の婦人達のしたことなどをみると、慈善などというも のは、或る場合には、恵む者が自分の金の自由になり、自の不平や恐れをなくするにはどうしたなら好いのか ! 私 分の勢力の盛んなことを、自ら享楽する方便にほかならなは情けないような心持ちになってしまった。 どこかで、 いようにも思われる。 「お前の花園は一体どうしたんだ ? もうそろそろ芽生え 少くとも、「ほどこす者」と「ほどこされる者」との間に けんかく は、もう動かせない或る力の懸隔が起るとともに、自分等ぐらい生えそうなもんだになあ ! 」 と嘲笑われているような気もする。 の位置からいろいろな感情が起って来るだろう。 あきら けんじよう けれども、私は諦めの悪い人間だ。どうしても、ものを それ故、私が随分彼等に対して、丁寧であり謙譲であろ うとして努めていても、どこかにはやはり「ほどこす者」「あきらめ」て静かに落着いて、次ではそれも忘れてしまう ということが出来ない。 の態度がきっとあるのだ。 彼等の仲間にはどうしてもなれない。流れて行く物を拾それ故「世の中というものは、どうせそんなものさ ! 」 おうとして、岸から竹竿を延ばしているので、決して一緒と落着いてしまうことが出来ないので、いつでも不平や、
私共と彼等とは、生きるために作られた人間であるとい うことに何の差があろう ? 「おめえの世話にはなんねえそーツ ! 」 まして、我々が幾分なりとも、物質上の苦痛のない生活 と叫んだのであった。彼等はもう、いわゆる親切は単に親 をなし得る、痛ましい基となって、彼等は貧しく醜く生き 切でないということを知っている。 あなど 貧乏はどれほど辛いかを知り、その両親へ対して生々しているのを思えばどうして侮ることが出来よう。 べつけんむく まな い愛情、一かたまりになって敵に当ろうとする一方の反抗どうして彼等の疲れた眼ざしに高ぶった瞥見を報い得よ 心によって強められた、切なる同情を感じているのであう ! る。 私共は、彼等の正直な誠意ある同情者であらねばならな おぼろげ 朧気ながら、真の生活に触れようとしている彼等に比しかったのである。 て、私の心は何という単純なことであろう ! 何という臆世の中は不平等である。天才が現われれば、より多くの いたく びよう うじよう 病に、贅沢にふくれ上っていることであったろう ! 白痴が生れなければならない。豊饒な一群を作ろうには、 私はまちがっていたのだ。彼等総ての貧しい人々の群により多くの群が飢餓の境にただよって生き死にをしなけれ 対して、自分は誤っていた。 ばならないことは確かである。世が不平等であるからこそ 私は親切ではあった。けれども幾分の自尊と彼等に対す 富者と貧者は合することの出来ない平行線であるから る侮蔑とを持っていたのである。そして、自分自身が彼等こそ、私共は彼等の同情者であらなければならない。 から離れ、遠のいた者であるのを思えば思うほど一種の安金持が出来る一方では気の毒な貧乏人が出るのは、宇宙 心と誇りーーー極く極く小さな気のつかないほどのものではのカである。どれほど富み栄えている者も、貧しい者に対 して、尊大であるべき何の権利も持たないのである。 あったがーーーを感じていたということを偽れようか ? かようにして、私は私自身に誓った。 自分を彼等よりは立派だと思ったことは、ただの一度も よ、つこ、 私は思い返した。 もちろん ′一うまん 勿論、私は意識しながら傲慢な行為をするほど愚かな心 自分と彼等との間の、あの厭わしい溝は速くおおい埋め 事を持っているとは思わないけれども、長い間の習慣のよて、美しい花園をきっと栄えさせて見せるー うになって、理由のない卑下や丁寧を何でもなく見ていた ということは恐ろしい。 ふべっ みぞ
が古着をやるか僅かばかりの食物や金をやったくらいのこ を、わきに引きよせて、私は一生懸命にたのんだ。 とである。 「どうそそのまんまお帰しなさいまし。その方が好い」 ほんとに小さいことであり何でもないことである。 「だって : : : お前 ! 」 、え ! それで好いんだから。き 0 と好いにきま 0 て第三者から見れば、てのことは、皆世間並な、誰でも 少しどうかした者の考えること、することで、めずらしく いるんだから早くそうなさいまし。よ。早く ! 」 祖母は不平らしかったけれども、私の頼みを聴いてくれも尊いことでもない。 むく 私とてもまた自分の僅かな施しから、大きな報いを得よ うとか、感謝を受けようとかは、ちっとも思っていないの 「それを持ってお帰り。けれどもこんなことは、もう二度 である。 とおしでない」 けれども、甚助のしたことは私に軽い失望を感じさせな といっただけであった。 甚助は、さもこうなることをちゃんと前から知ってでもいではいなかった。何だか情なかった。 いるように、何の感情も動かされないらしい顔をして、頭それでも、ただ一つのことが、私を慰めカづけてくれた を一つ下げると、自分が買ったもののように、ゆったりとのである。それは、私が初めて自分の思っていた通りに自 あの南瓜を抱えてまだ人通りのない往還へ出て行ってしま分を処置することが出来たということだ。 私は怒りつ・ほい。じきに腹を立てる性分である。それ故 ったのである。 私は、悲しいとも腹が立っともいえない心持ちになってこのごろでは、どうかして余り怒りたくない、寛容な心持 ちでいたいとどのくらい願っているか知れない。けれど も、自分の家にいて、弟達が何か自分の気持ちを悪くする 群けれども幾分の安心を持って、 の 「私にはた 0 た一つの南瓜で、泥棒呼ばわりをすることはようなことをすると、互いの遠慮なさがつい怒らせる。そ 々 ほとん れを今度は殆ど怒りを感じないで済んだということは、ほ 人出来ない」 んとに嬉しかった。 しと心に繰返したのである。 で、私は今度のことを、すぐと明るい方にばかり考えた 十 のである。これからは、畑泥棒などという者は、影も見せ ないようになるだろうということは、決して空想ばかりで 今まで、私が甚助の家族に対してしていたことは、たか ほどこ
いていないというのであった。 この辺はよく往復していますから」 「弱ったなあ。 そのなんとかいうところから次の駅ま なるたけ、煩雑になりそうなことにかかわるまいとする で、何里ぐらいあるんでしような」 調子で答えた。あから顔の、快活なところと弱気なところ 「半里ぐらいなもんでしよう」 とが不思議にまじりあっている小柄な男は、須波が近づく 「何時頃つくでしよう。この分じや大分おくれますなあ」につれ、困却を示した。 はす 「本来は六時すぎの筈だが、わるくすると九時になります「須波やったら、私の知っている家もあるし、多分そこで、 ね」 宿やの世話をしてくれまっしやろ。奥さん、わるいことは 雨が降りはじめた。ひろ子は、その噂をきいたとき、単言わんから、一緒にその家へよって見ませんか」 純に考えた。どうせ、みんな徒歩連絡をするのだろう。重熱心なすすめかたは、本当に、三原の駅でとまることな なが 吉の家の窓から眺めた人々の歩きぶりを思い浮べた。そのんか思いもよらないという状況がうかがわれた。一人旅を 列について自分も歩いて、三原という駅で夜明しでもしよしているひろ子への親切とか、好奇心とかよりも、何かも っとその身に切迫した熱心さをあらわしている。 弱った、とくりかえして、雨が降り次第に暗くなる窓外「その家も駅からすぐのところやさかい、もしお気に入ら をしきりに見ている前の席の男が、 なんだら、駅へじき行かれます。若い男がいるさかえ、送 らします」 「奥さん、あなた、どうされます ? 」 徐行、徐行して、須波の駅へ列車が入り、どやどやと不 ひろ子に向ってきいた。 「さア、私は、その三原という駅まで歩いて、・ヘンチへで満な旅客の大群がそれぞれの大荷物を背負ったり、さげた あふ りして真暗な雨の車外に溢れ出したとき、ひろ子は、自分 もねようと思って居ますけれど : ・ : こ 「そんなことが出来るもんですか ! 」 に道づれの出来ていたことをうれしく思った。 須波の駅は真暗闇で、たった一つ駅夫のもって歩くカン とんでもないこととして、否定した。 テラが、妙な高いところで小さい光の輪をつくっている。 「どんだけの人間がたまっているかしれんのに、第一、ペ ンチなんかあるものですか。あなた、・ 駅員が道の案内をするでもなければ、道しるべになる提灯 とうされます ? 」 がつけてあるでもない。雨の暗い駅にたった一つのそのに ひろ子と並んでかけている男に言葉をかけた。 ぶい光は乗客が影を重ねてこぼれ出た露天ホームまでは届 「さあーー・どうにかなりましよう。私は、仕事の関係で、 ごろ うわさ はんざっ ちょうちん
着〒詹首軽中 0 スモーン 1 1 0 1928 年モスクワにて右から百合 子秋田雨雀 ーキチナ教授 をつかんで立ちあがろう、というあの『貧しき人々の 群』の作者の願いが、ひとつの人生的曲折を通過して のち、成長をとげた結果なのである。 ところで私はこの文章のはじめに、作者自身が気づ かない形で「全生涯を暗示する予告」をおこなってい るとのべたが、その作者の第二の予告とでもいうべき ものが実は、この『伸子』時代の日記のなかにあるの である それは大正十一一年のことであるが、作者は小 の『クラルテ』 ( アンリ ・バルビュスの小説 ) の翻訳 さ 0 いとしひこ 記念会に出席して、堺利彦らの社会主義者にも好感を 持つのであるが、やがて同会場で人びとが、ハルヒ スにこたえて、反戦主義者の団結を熱狂的にさけぶ有 様をながめたとき、もしこの人びとが、自国の戦争と いう事態にまきこまれたならば〈果して幾人が、精神 の公平さを失わす、輯おのせて流れる人類の運命の全 延長を直視して居られるだろう〉と考えて、さらに次 シ紙のようにいっているのである べんぎ き表 〈自己の裡に、多分の曖昧さ、便宜主義の種があるの 1 ) 新るを知っている自分は、一生のどこかに、大きな大きな 地獄の門が口を開いて自分を待って居るように感じる。 刊横 年を足許までの迫ったその門を、自分は傷も負わす通り菊 抜け付るか
じことで、その金で買った物も、しばらくして困りぎって 人も十人も殖やしたいようなことをいっている。そして、 たださえ働き者でない彼等は、こうやって汗水たらして一は町へ売ってしまう。 こむ金も、物品も、その流通する間をちょっと彼等の所へ止 日働いた幾倍かの物が今に来るのだというような思い冫 . みなぎ をゆるめられて村全体にしまりのない気分が漲り渡り始めまるに過ぎない。 年中貧しくて、彼等にはただ、ああいう着物も買ったこ が、依然として、私の家には朝から日が暮れるまで、「行とがあったつけ、あれだけの金も持ったことがあったつけ のこ がという記憶だけが、それも・ほんやりと遺るばかりなので けば何にかなる」という者が、来つづけていたのである。 あわれ 何だか自分の副業のようにして、痴をこ・ほし哀みを求ある。 めて、施されるということは員ち、自分等がどうなるのだ私はこのごろになって、ほんとに難かしいものだという ということなどを考えもしない、また考えることも出来なことをつくづく思っている。寛くすればつけ上る、厳しく いためだ。そういう彼等を見ると、私はいろいろなことをすれば怖じけて何をいっても返事もしないようになるの は、彼等の通癖である。 考えさせられた。 婦人連が彼等にめぐむことにもし成功したら ? ほんと 「今度のことは好い結果を得るだろうか ? 」 これが第一私の疑問である。而も直接自分自身が苦しめうに、彼等の生活の足しになることが出来たら ? それは ほんとうに結構なことである。 られている、疑いなのである。 けれども、私にとっては、ただ単純に結構なことではす 彼等はただもらいさえすれば好い、くれる分には、どん まないのである。 な物でもいやだとはいわない。 群けれども、一枚着物をもらえば、前からの一枚はさっさ私は、自分をこの村に関係の深い、この村に尽す・ヘきこ の と着崩して捨ててしまい、よけいな金が入れば下らない物とを沢山持っている人間だと思っている。そして、少しず 々 くっ 人ーー着ることもないような絹着物だの、靴だの帽子だのとつでもしだした仕事は、失敗しそうになっている。 娶いたく そこへ、遠くはなれててんでんには別に苦しみもせず、 しいう彼等の贅沢品をせっせと買って、ふだん押えられてい むさぼ る、金を出して物を買う面白さを十分に貪ってしまうのでさほどの感激も持たない人達のすることが、彼等の上に非 ある。 常に効果があるとしたら、この自分は、どこまで小さな無 それ故、五円あろうが十円あろうが、つまりは無いと同意味な者だろう。 なに
0 ムクと肥っている 0 随分とのしかかった心持ちで微笑さえしたではないか ? 「あ ! そうですか。じゃあかまいません。さあお上りな 非常に無邪気な感じを与える峰の太い鼻。睫毛をすっか まふた り抜いたような瞼が・ヒチビチとしている眼は、ふくれ上っ まぶた と、導かれて、どういう満足でもってその鍵盤に指を置し た眼蓋と盛り上った頬に挾まれて、さも窮屈そうに並んで 今になって私はその正直だった若い教師を非常に気の毒私は、正直そうなどちらかといえば愚直だといえるほど たま なが ますます わがままおのれ に思うと同時に、私自身の態度の心持ちを堪らなく恥しくの顔をまじまじ眺めていると、益々あの自分の我儘に己を すまなく感じない訳には行かない。 まげてくれた教師と非常に似ているように思えて来た。 ていねい 小さい、ものも分らない私にまで、自分の理由のある出 で、私は立ち上った。そして、微笑を浮べながら丁寧な 言を撤回したあの教師が、あの若さでありながらふだんかお辞儀をした。 らどのくらい自己をまげることに馴らされていたかと思う私は満足した。けれども、若者は非常にまごっいたらし と、ほんとに堪らない。 かった。妙な顔をして、大いそぎで窓わくのそばから離れ 若し今の私がその教師だったら ? て、あっちに見えなくなってしまったのである。 私はどうしたってぎきはしない。ましてそんな人を呑ん彼は私がふざけたのだと思ったかも知れない。 でかかるような態度を見たら、どのくらい怒るかわからな けれども、これで、今もなおどこかの空の下で今この同 い。かえって叱って叱って、叱りとばして追い帰すだろうじ日の光りを浴びながら生きているあの日の若い教師に対 して、自分はしなければならなかったものを、ようやく果 たしたような気がした。 私は涙がこ・ほれそうになった。 私はまた幾分か心が安らかになった。そして元来た道を 自分は欠点だらけな人間だけれども、そんな恥しい思い 戻って、 月の所へ行って見た。何時も誰かが魚をすくっ 出にせめられるのは情けない。 なが ているそこに今日は甚助の子供達が来ていた。 重く沈んだ心持ちになってむこうの窓を眺めていると、 子供達は熱心にしていたけれども、流れのエ合が悪かっ 子供達の頭の波をのり越えて、一つの顔が自分を見ている のに気がついた。 たと見えて、網に掛るものは塵ばっかりである。 櫞とん がっこっ その顔は、殆ど四角に近いほど顎骨が突出て、赤くムク暫くだまっていた私はフト、 に こ てつかい けんばん しばら ふと 椴おはさ ごみ っ まっげ
えらんでかんたんに事をはこぶことを自他ともに許さなか ったのだ。すずの目はいつも、そのロよりも雄弁に、「ロ 第二章 をつつしんで。なにもいうでないぞ。」とおどしたり、う ったえたり、時にはまた、まったくたつの告白など忘れて しまったように、 小判屋の血さえ引いていれば、それが第一なのだとでも「てがら、てがら。」 ふいちょう い - つ、ム - っこ、 冫たつはだれにも責められず、はれものにでもと、ただ喜びにお・ほれたような顔をして会う人ごとに吹聴 ちじく さわるように大事がられた。自分で自分をせめるほかに、 し、無花果の葉をもらい集めてきてはたつのために毎日風 カ松でさえもそれについてはなんにもいわぬ。それどころ呂を立てさせたりした。それはたつにとって、百万言の言 か、まるでたつのみごもったのを夫である自分の共同のて葉よりも雄弁にうったえるものがあった。 がらででもあるような顔をしていたわり、 お前は小判屋の一粒種なのだ。お前の血はお前の不 「よかった。よかった。」 義をさえ洗いきよめるのだ。お前は小判屋の名誉のため と、にこにこするのである。そう信じているのか、それとに、なにがどうあろうとも、今、カ松の子をうまねばなら もここががまんのしどころとでも思っているのか、そんなないのだ。 夫をうとましく思いながらも、さすがのたつもそればかりそして小判屋の血の流れはたつにそれを半分納得させ はロに出してただすことができなかった。すずはすずで、 た。見えるところに辰次郎がいないこともそれをたすけ そしらぬ顔をして、カ松に心をあわした。その態度は、毛た。もちろん兵隊にいった辰次郎がこの事実を知っている はす 筋一本ほどの疑いもみせず、カ松の前で、 筈もない。たっさえその気になれば、世間はなんにも知ら 「男の子じゃと、おじいさんの名をもろうて八郎とでもつずに見すごしてしまうかもしれない。しかしたつは、目さ えつぶると辰次郎のそばにいることができた。この奇妙な けるか。」 さつかく そんな芝居をうつ母をも、たつは夫と同様うとうとしく錯覚はたつを今、カ松の妻らしくふるまわせて、たつのこ は思ったが、といってほかにどんな態度がとれるかと考えれまでの妻としてのすげなさが、逆にそうさせたらしいカ ると、自分もそれにしたがうよりほか、仕方がなかった。 松のしつこい求め方さえ、うけいれようとした。それは時 小判屋という重石は、そこらの村娘のように好きな相手をにいとわしく、まれにはまたたつを喜びの頂天にさそうこ
おくびよ , * くわ り、池の慈姑を掘ったり、持山を一日遊び廻ったり、すっか沢山あったのに、臆病な自分が見ない振りをして来たのだ り地主の馬鹿なお孫さんの生活をしていた。誰からも干渉というような気のすまなさが、農民に対する自分の心を、 けんじよう 非常に謙譲なものにしたのである。 がましいこと一ついわれず、存分に拡がっていたのである。 それでも私は尊そうにされていたことなど思うのは、今甚助の子が、私にいたずらをした次の日であった。平常 より早く目を覚まし、畑地を一廻りして来た私は、ほのぼ の私にとってはまことに恥しい。我ながら厭になる。 もや 何としてもどうにかして、村人の少しなりとも利益になのと天地を包んでいる蓄薇色の靄や、裸の足の上に朝露を はだざわ る自分にしなければならない ! はね上げて生々としている雑草の肌触り、作物や樹木の朝 それで、私は心の裡に種々の計画を立てた。そして、土明けの薫りなどに、どのくらい慰められたことであろう ! 地の開墾などということはーー・もちろんそこが人間の生活 非常に愉快な心持ちになって、女中に笑われながら、大 たきび す・ヘきところとして適当でありまた、栄える希望もあると炉に焚火をしたり、 いりもしない野菜を抜いて来たりして ころならばよいけれどもーーー冬が長く、地質も悪いような いると、東側の土間に一人の女が訪ねて来た。それは、甚 ところへ、貧しい一群を作ったとしても、やはり非常に尊助の女房であった。 いことなのであろうかなどというような疑問がしきりに起私に来てくれというので、出て見ると働き着を着て大変 ったのである。 にポサポサな髪をした彼女は裸足で立っている。 開拓者自身は、或る程度まで自分の希望を満たし、喜ば女は、私の顔を見ると、 しようよう され、なおその村の歴史上の人物として称揚されるけれど「お早うござりやす。昨日は、はあ俺らの餓鬼共が飛ん も、はかない移住民として、彼の事業の最後の最も必要なでもねえ御無礼を致しやしたそうでなえ。おわびに出やし 条件をたしてくれた、沢山の貧しい者共は、どのような た。これ ! こけえ出てわびいうもんだそーー・」 報いを得ているか ? と、いいながら手を後に伸ばすと、広い背のかげから思い 開墾者にとってはいなければならなかった彼等でありながけず男の子が引き出された。 がら、一一十年近い今日まで彼等はただ同じように貧乏なだ彼は黙って下を向いている。赤面もせず、ウジウジもせ けである。年中貧しく忘れられて死んで行くだけである。ず、ちっとも母親にたよるような様子をしないでつくねん 私は、祖父の時代からの沢山の貧しい者に対して、どうと立っている。 しても何かしなければならない。今日まで、す・ヘきことは女は、子供の方へ複雑な流し目をくれながら、しきりに かいこん たっと
た。左脚が、から切断されていた。下賜の義足が入 0 なたがそれに負けはじめたら、万事休しますよ。奥さんに ているという大きな木箱を、日傭人足のような男がかつい はもちこたえられなくなります。これも経験ですが」 そ , 様う で乗りこんだ。離ればなれに、病衣の人が三四人のりこん それを言うのは、「教・総」ではなくて、荒削りの相貌 だが、看護婦も看護卒もついて来ていなかった。まだ自分だが眼のなかには精神の動きが見えている白絹である。 ごと こんがすり の不自由さに馴れないそのひとは、自分が一つよろける毎ひろ子は、こまかい紺絣のもんべ姿で、昔の女学生用編 に、や、すみません、と口に出した。この人は干・ ( ンを弁上ルをはいている。ひろ子が、のり巻の握飯をたペ終るこ 当として食べている。 ろ、白絹と「教・総」とはくつろいで話しあっていた。 この傷痍軍人と「教・総」とは真向いであった。京大の「満洲では、何の御事業でした ? 軍関係ですか」 農学部を卒業して、九州の鉱山統制会社に勤めているとい 「そうです。が、なあに、ほんのちょいとしたことでし う壮年の片脚を失った人は、・ハンをかじりながら、快活にてー」 うわさ 北支で負傷した当時のことや、陸軍病院一カ月半の生活、 しかし共通な知り合いの噂が出ると、 終戦以後の減茶滅茶ぶりを話した。 「ふーむ。あれをお知りですか、そうでしたか」 「看護兵なんか、何も知っちゃいないんです。だから自分おのずから、自分が満洲でもっていた環境を「教・総」 たちは、オイ、ヨーチン、ヨーチンてってからかったもんにさとらせてゆく。白絹はそういう会話のこつを心得てい こ 0 です」 しよさっし そう一 = ロって入いながら、ワールド・カーレント・ニュ 「教・総」は、やがて日本皇太子史論という小冊子をとり あげた。・ : スという英字雑誌の巻いたので丈夫な方の腿をたたいた。 カ実際に読んでいる間はごく短かった。視線は 「いや、どうか自信をもって生きて下さい。脚の片方ぐらじき頁から離れ、上向き加減にもたげられた二分刈頭、閉 まぶた 野いなくたって、人間は幸福になれるんだという信念で、明じられた臉。その卵型茶色の小心律気な老年に近い顔に るく生きて下さい。決して卑アするんじゃありません。わは、能面のように凝固した表情があらわれた。。唇は、その 播たしもこの年までいろいろな経験をして来たが、これだけ能面の上におかれた一本の短い色のさめた糸のきれはしの うす はお願いしておきます」 ようになった。内心に一つの渦があって、外界の刺戟がゆ たちま そう、白絹のシャツが改って言った。 るむと、忽ち全存在がその渦巻の中心へと吸いよせられ 「奥さんに対しなすってもね、ひがむことは禁物です。ある。そういう気配が感じられた。そしてその能面の表情に ひやとい あみ