あやま ゅうせん 者は不審の念を抱かれたであろう。が、これは筆者の過ち における彼のように、扇風機に悠然と胸を向け、ああい 気持と屈託のない声で眼を細めていた。虚勢とも違うようではないのであ 0 て、その間の変化にまで悠々筆を運ばす だがと、彼は彼女の真意を測りかね、便所に立っ振りをしつもりでいた所、ほったらかしにしておいた今の一一人はは の部屋を出て行 て風呂場に行き、風呂番に一円つかませて、ゆっくりやつや外出の身支度を整えて、今にもア・ハート むね てくれと言った。で、風呂は用意ができた旨なかなかしらきそうな有様、行くなら行ってもかまわぬがと思っていた せが来なかったけれど、彼女は別段遅いとは言わなかつら , ーーちょっと書き逃せない会話が一一人の間にあった。そ たま た。そしてやっと女中が顔を出し、君、さきにやり給えとこで、突然このような次第になったのだ。そこの所をすこ 彼女を立たせ、彼女が風呂にはいっている間にその持物をし書く。 次の間に隠してしまう肚であった。彼女は女が先にはいるその日は早番であったから、秋子は三時半までに酒場へ ふすま なんて変だわと言いながら立って行ったが、襖を閉める行かねばならなかった。彼も一緒に銀座へ出て彼のアパ 時、どういうつもりかピョコンと顔だけ再び襖から出すト兼編集所へ行くべく、帰り支度をし、鼻紙を貰うよと言 と、え ? と見上げた彼に子供のあかん・ヘいのような表情って押入をあけたら、奥にのし紙に包まれた小さい箱があ をして、・ヘーと言った った。見ると安物のクリームだが、こんなぶざまなものを だれ このべ 1 という顔を、今しも、彼女は再び見せた。 ( 話寄越すのは誰だろう、酒場へ行く程の男でこんな安物に、 こつけい の腰を折る不始末を読者よ、ゆるされたい。 ) 今 ? しかも滑稽なのし紙をつけて渡す田舎ものもあるのだろう 回想の筆がずるずると延びてしまったが、今、彼女は篠原かと、何気なくきいたら、小関からだという。なるほどあ と一緒に自分の部屋にいる、これが本来の筋道の今であの男ならとうなずかれ、あの男が女に贈り物をするという る。ーー・今篠原は片手にクリームの箱を持っているが、こので、あれでもない、これでもないとさんざ頭を悩ました しばら れは ? という彼の問いに、彼女は暫く間を置いた後、 末に、やっと買ったのがこのヘンテコな安クリーム、そし ひぎ 関さんの贈り物と言い と差 、二三の会話があってから彼は小関て膝を固くし顔を真赤にし、こ、これをあなたに の奴め、君に惚れたかなと笑った、それに対して彼女がべし出す一部始終がそぞろに想像された。篠原は危く笑い出 ーと言ったのである。そういう今の彼女、即ちこの節の初しそうになったが、小関はどうして女のア。ハートを知って めの部分を読んで読者が頭の中に描かれた彼女と、その後いるのだろうと不思議に思った。この間、教えたじゃない の回想のなかに現われた彼女とは大分違っていることに読のという彼女の答に、ああそうかと彼は言った。この間と はら みじたく
こうムん うずま ということを考えるのだが、これも今につづく私の「変な私は、えたいのしれない昻奮にとらわれた。渦巻く昻奮 こと」のひとつであろうか。一般に親と言わず私は「父のうちに、私としては認めたくないある激しい感情を認め 親」と書いたが、これも私の今につづく「こだわり」であなくてはならなかった。その感情をどう名付けたらいし ムくしゅう えんこん ろうか。 憤怒といおうか、復讐といおうか、怨恨といおう じゅそ 「私も、ここまで育ってきた ! 私も、ここまで成長してか、挑戦といおうか、呪詛といおうか、反抗といおうか。 きた ! ・ : 」と十六歳の私が心の叫びを挙げたとき、それ 誰に対するというのではない、漠として対象の明らか は、曲りなりにもそれまで生きてこられた喜びの表白でなでない感情であったが、その対象の・ほやかされていること ければならなかった。私自身、そう思った。喜びの叫びとによって、その感情の激しさが、ほやかされるということは 思った。また、それに違いなかった。断じてそうあるべきなかった。私は私のうちの黒い運命に対する憤怒を、復讐 であった。 を、怨恨を、挑戦を、呪詛を、反抗を誓ったのだろうか。 しかも私はその喜びを、その喜びそのものとして感ずる「私も、ここまで育ってきた ! 私も、ここまで成長して ことができなかった。或はこう言おう。しかるに私はそのきた ! 喜びを、喜びそのものとして受けとることができなかっ畜生 ! 生きるそ ! 生き抜くぞ ! のさばるそ ! あ た。ああ、これが黒い運命のしみのせいか。 ばれるぞ ! 実にこの私は、まだ観念的にしか生きる喜びというもの私は喜びを喜びとして喜ぶことができなかった。 しらかば を持っことができなかったのだ。「白樺」が教えてくれた私はここで、生きる喜びの大切さについて、生きる喜び 生きる喜びというのは、そういうものなのであった。 を人為的な努力を経ないでも自然に身につけていることの 恐らく私の今までの生涯は、生きる喜びをほんとう大切さについて、直接、人に訴えたいとする衝動を抑える に自分のものにしようという苦しい闘いに過ぎなかったのことができなくなった。生きる喜びを生れながらにして喜 ゆえ かえりみ けいべっ ではないかと顧られるが、今もってこの私がその闘いに べる人が、その生きる喜びを、或はそれ故だろうが軽蔑し 勝ち得て、ほんとうの生きる喜びをほんとうにわが身に持たり、人為的に拒否したりする所行を見ることほど、私を ちえたかどうか、この私には分らない。 悲しますものは無い。私にとっては、それを身につけるこ とが、私の生涯の努力なのであ 0 た。その努力のうちに 「私も、ここまで来た ! 私も、ここまで生きてきた ! しく、私の今までの生涯は費されたと言っても過言ではな あるい ばく
考える。私は、中学生に成ってからも、母親の代りによくけていたひとは、ーー・他ならぬ私の母親なのだった。 仕立物を届けに台所口に立ったけれど、そういう場合はそ今の今までそのことに気付かなかったというのは、その がまん ういうことを我慢でぎた。しかし、中学生として台所口に余りの近さの故か、即ち「加害」がいわば日常的に成って 立っことは堪え難いのであった。 いたせいか。更にまたそれは今日までずっと続いている、 さいしよう 時の宰相の甥と肩を並べて通学するというようなこその永続的なことの故か。そう言えば今まで私は、この私 とは私をすこしも喜ばせなかったばかりか、私は彼の親切がいつも母親から苛められていたような書き振りをしてき たが、それこそ実に今もって執拗に残酷に母親が私から苛 をむしろ迷惑なものとしてしりぞけ、かくていつの間にか 一緒の登校ということは断絶された。それには、後に記すめられている何よりの証拠ではないか。母親から苛められ ぶていさい ような「あげのあるズボン」の不体裁などから向うでもやたと考えることにもまして手ひどく、子たる者が母親を苛 がてこっちを敬遠した点があったかもしれないが、ともかめている事実は無い く私の方は、やれやれと解放された喜びを感じ、他人の好 ひとを苛めた覚えがないなどとは、なんという大それた 意を踏み躙ったことについて、しかもこっちから頼み込ん かしやく きゅうだん 言い草であろう。いや、大それたという糾弾の言葉は、事 だことなのに、私はさほど良心の呵責を覚えなかった。 これも「加害」のなかに入るだろうか。 実この私にその覚えが無かったというその恐ろしい精神的 ( 小学校の校庭で岡下家の令息と遊んでやろうとしなかっ麻痺に対して与えねばならぬ。 私にとって都合の悪いこと、忌避したいこと、不利なこ はた私とこの時の私とは、既に確実に違っていた。 ) に と、隠したいこと、真に恥ずべきこと、そういうことは、 自ら努めなくても忘れ去る、ーー私というのは、そういう の ここまで書いてきて私は、ふと気付いた。「加害」人間なのだろうか。 胸の例を求めて、あれこれと遠くを探すことはなかった。 親子の愛情ということを今更ながら私は考えさせられ みじん 番手近なところに、、 しつも私からめられていたひとがある。母親の私に対する愛情は、これは微塵の疑いも入る余 わ った。それも今迄のような「加害」の程度ではない。 地のない純粋で深刻なものであった。ああ、私の母親はど それは誰か。 んなに子供の私を愛していたことか。たとえその愛情の現 私の「加害」のもっとも気の毒な相手、絶えず被害を受われが私にはしばしば困ったものである場合があったにし にじ ゆえ きひ
「ーー篠崎さんじゃないか」 「大森へちょっと」 と声を掛けられて彼は初めて、人の近づいたことに気が「病院 ? 」 ついた。それはラングーンで親しくしていた新聞社の連絡「いや、梅をちょっと見に・ : : ・」 員だった。 「梅というと、木のあの梅 ? 」 「金山君。・ : : ・」 金山はまるで皮肉でも言われたかのように顔を緊張させ 今は「金山」の「山」を取っているのかもしれぬと思い た。 ながら、 「花の梅さ」 こころよ 「ーーしばらく」 と彼は快さそうに笑って、 「随分会わなかったね」 「しかし、君は元気でいいね。いやほんとに : 日本人と変らぬ発音で、 身なりもりゅうとしたものだった。 「今、どうしてる ? 」 「今、なにをしてるのかね」 彼の問おうとしたことを金山の方が言った。 「まあ、いろいろとね」 だめ 金山は笑わなかった。 「ずっと病気で駄目なんだ」 「顔色がよくないね。病気ッて : : : 」 「梅というのは : ・・ : 」 じようぜっしゃべ 「胸をやられた」 と彼は急に饒舌に喋り出した。 1 も 「そいつは、いけない。戦争の時の疲れだね」 「梅を見に行くというと、風流なようだが、なに、 tJ と そう言う金山は、顔を艶々と光らせて、疲れの如きものといた家の庭に梅があるんだ。疎開のとき、その梅の木も は微塵も見せてない。何かほっとした想いで、 今の家の方へ移し植えようと思って、つい置いてきてしま 「・ハチが当ったようなものさ」 った。枯れないように根をごっそり掘るのはなかなか手間 じちょう がかかるからね。でも、いくら手間がかかっても掘って、 自嘲の言葉を、しかし、さらりと言ったが、 持ってくればよかったんだが」 「・ハチ ? 気の弱いことを言いなさんな」 南方では、そう言えば、相当あくどいことをやって彼は言葉に熱をこめてしゃ・ヘった。梅を見に大森へ行く いたなといった眼で、 というのは、たった今思いついたことだったからである。 「東京へ ? 」 「置きざりにして来たと思うと気に成るもんだね。さそ俺 みじん つやつや おれ
すに第寰等を 女座ったことは確かである。 今となって、高見順とはじめて出会ったころ、そし の京 いたころのことを 夜東て、時々一しょに東京の中をぶらっ 思い出すと、戦争を目の前にして、手も足も出なくな 都荷 「稲っていき、やがてほんものの大戦争に巻き込まれてい る岩 った気もちが、今の公害進行中の気もちに似ているよ あ豊 うな気がしてくるのである。高見順は、そういう気も ちを代表するような作品を残している。 水だけについていえば、そのころ、隅田川の水は、 を清らかとはいえないにしても、まだ今のようなことは なかった。光化学スモッグなどといういやなものも知 らなかった。しかし、山の手生れの知識層予備軍にと って、さまざまな屈折の末に、身をおく場所を求めて、 おのすから、東京の下町に足が向いてもふしぎでない 荷ような暗い時代だった。 四浅草 わたくしにとって、浅草は、幼年期の思い出の土地 の一つである。祖母に連れられてよく行った浅草は、 なっかしい土地ではあるが、その後、深入りしたこと のない土地でもある。ただ浅草は、権力でおくめんも なく大衆の生活をすみすみまで支配しようとするよう く」 )
雲が蔽っていて、陽がささなかった。その密雲を飛行機が一度味おうとしたのだろうか。となると、途中の電車で早 突き抜けて上空に出るというと、まるで違った世界に入っくも自分が幽鬼であるかのように感じ出した今は、既にそ たかのように陽光がさんさんと降りそそいでいた。生れての目的を達したのではないか。 からこの方、地上から仰ぎ見てだけいた雲を、今は眼下に しかし、今は幽鬼であって霊魂ではない。楽しさのない おろし、陽光を浴びて白く輝いた雲があたかも大雪原のよのはそのせいか。 つぶや うに横たわっているのを見ると、彼は眼下に地上の風景や彼はロの中でぶつぶっと呟いていた。これはもしかする さえぎ 人間の生活を見ている時よりも、それらのすべて雲に遮らと、そんな現実離れのした事柄なのではなくて、現世的な れて何も見えない今の方が、地上ときつばりと断絶した空或る気持の微妙な現われなのではないか。その或る気持と 中にいるといういわば空中感覚を純粋に味えるのであっ いうのは、たとえば妻から離れたいといったような : 妻と別れたいという気持は、戦時と戦後を通じて連続し 彼は電車の動揺に身をゆだねながら、その時の感覚を蘇ていた。だが、現在は妻のおかげで療養生活がしていられ たちま るのであって、妻と別れたら忽ち彼は療養どころか路頭に らせた。今もわが身が空を行くような感じがしてきた。 すると彼は自分が空に住む幽鬼であるかのように思われ迷ってしまう。妻は銀座で酒色をひさぐ店を営んで、あく てきた。霊魂ではなかった。幽鬼なのであった。幽鬼がひどい稼ぎをやっていた。 のが そかに地上に訪れて、素速く走っている。飛行機とは比べ妻から逃れようという気持なら、どうしてあの残酷に捨 ものにならない位遅い電車なのに、機上よりも速力感が感て去った異国の女のところへ、それこそ幽鬼と成って訪れ わび じられる。空中では速力の比較を眼で出来る相手がないのるという想像をしないのか。訪れて詫びるということをど むず うして思いっかないのか。 で速力感を知ることは難かしかった。 鬼 幽鬼が全速力で走って大森へ行こうとしている。もと彼そこには、見事な断絶があった。残酷とか無情とかそう 幽 の住んでいた大森の家を訪れようとしている。これはどう いう地上的感情と切り離された断絶であった。 いうことなのだろう。 生活がなかったからか。いや、彼は一時は永住をさえ考 呟 えたのだ。敗戦が結局その考えを押し潰したのだが、それ この思いっきは、彼があの奇妙な想像を、あれはどうい うのだろうと考えているうちに心に来たものだった。あのにしてもこの断絶は奇怪だった。風防ガラスの穴から写真 想像の一種の楽しさを、大森の家へ行くことによってもうを捨てた時に、その断絶が行われた。 おお よみがえ かせ つぶ
ても : ・ それぞれ言訳はある。言い分を述べさせたらいろいろと言 ところで子としての私の方はどうか。 うことであろうが、彼の犯した罪はそれによって免れ得る 少年の私は従順な子という評判であった。そして事実、ものではない。芸術も亦同様で、芸術に関する言訳は芸術 従順だ 0 たが、それは母親への、母親の私に抱いていたよと無縁のものであると、私はーー・私も考えている。今迄ず うな寧ろ悲しいほどの愛情から発したものだったか。更っと小説の中で言訳ばかりしてきたような私が、そういう に、私の場合のような母親に対する崇敬の念のない従順は私であるが故に余計強くそう考えているのである。 おくびよう 果して従順と言えるかどうか。気の弱い、寧ろ臆病な服従 あらゆる私の弱点、冊うべき私の欠点、自分 はんばっ つつし なのではなかったか。肚には反撥を隠した でも分る私のいやなところ、慎んだらと自分でも気付く私 が、その辺のことは、おいおいと思い出を書きしるしなの悪い癖、そういうものを一切含んでのこの私という人間 がら考えることにしよう。母親を苛めた具体的なもろもろは、今日では、もはや、どうにもしようがない。。 とう努め また さすが の思い出も亦、後に譲って ( というのは流石に気が進まな たところで如何にあがいたところで、この私は私以外の人 よそお いからだがーーー ) 今は先きに挙げたメモの話に移ることに間には成り得ない、どう装ったところで如何に慎んだとこ しよう。 ろで、私は私という人間以外の者では有り得ない、もう駄 とにかく胸の中のもやもやは、ここで一応片が付いて、 目だということを私は、 この私というのはどういう人 私はやっと、ああでもないこうでもないの迷いから救われ間か、それはまだ分らないのだが、そのことだけは、はっ たのである。すなわち、母親を苛めたといういわば犯罪をきりと分って了った。 きんこ 自覚し自供することによって漸く精神の禁錮から釈放され私らしくなく振舞ったところで、もうはじまらない。俶 たのである。 裁をつくろったり、他人の様子を真似たって、なんにもな 今と成ってみると、私をして何か書き渋らせていた内面らぬ。今と成っては私はいわば私の弱点を私の特徴として のもやもやについては、それをあれこれと探ったことな生きて行くよりほかは無い。そして、生きるということは ど、何もこう表面にさらけ出して書くことはなかった。そ私にとっては書くということに他ならない : うも思われる。それを人は、一種の言訳と見たかもしれ ぬ。そして私は言訳を憎む者である。 、ようぞく この人生に言訳は通用しない。強盗殺人の兇賊にだ 0 て中学生というものは、どこの中学校のでも、その教師た ようや
今めかしくきららかならねど、木立ものふりてわざも風流であるそんなイメージとはおよそ何の関係もない、 すのこすいがし もう、′ とならぬ庭の草も心あるさまに、簀子・透垣のたよ今めかしく淫らな妄想にとらわれている自分に気付いて、 りをかしく、うちある調度も昔お、ほえて、安らかなはっとするのであった。私の「国語」の勉強は字句の解釈 るこそ心にくしと見ゆれ の丸暗記に過ぎず、イメージを伴っての、更に思想を伴っ ふけ ての勉強ではなかったから、ともすると妄想に耽りがちの 「今めかしく」ーー赤線。当世風、当今風。「きららか」私を容易にその勉強から離してしまうのであった。 赤線。華美、派手、しゃれている。当世風にしゃれて「さ、勉強だ ! 」 しか はいないけれど、木立、樹木、植込が「ものふりて」 と自分を叱るが、頭はもう、この世のすまいを「かりの 赤線。時代がたって。「わざとならぬ」 これは赤線不やどり」と考えるような「ものふりて」抹香臭い文章に、 要。わざと故意に植えたのではない、自然のままに生えてこれは容易にとりつけない。 いる庭の草も「心あるさまに」ーー・赤線。意味のあるよう「心気一転に散歩でもしてこようか」 に、風流の心のあるような感じで : ・ : ・「簀子」ーー・赤線。 私は母親に、すぐ帰ってくると言って、家を出る。私は 縁側。「透垣」ーー赤線。読み方「スイガイ荒く編んでほんとうに外気に触れて妄想を払うつもりなのであった ある垣。その「たより」ーーー赤線。工合。こしらえ方もおが、足は知らず知らず私の妄想の実現されそうな有馬ヶ原 かしく、面白く、「うちある調度」ーー・難しいぞ。ふーん。の方に運ばれている。いかにも私の妄想が実現されそうな は家にある道具、何気なく置いてある家の道具も昔おぼえ場所と私にこれまた妄想される、その妄想が私をそこへ導 て、昔がおもわれて、安らかなるこそ : ・ : ・安心している、 いたのである。 こ調和している、あたりと調和しているのこそ「心にくし」 有馬ヶ原の池のまわりには、その池の水を飲みに来る蜻 、、ぎおとら 底 , ーー赤線。ゆかし。ゆかしく見える。 蛉 ( ーー・と子供たちは信じていた。 ) をもち竿で捉えよう 胸赤線で真赤に成ってしまった。もう一度、読み直し。「今とする子供や、池の浅いところで水泳ぎをしている子供の 姿が見られる。私の眼はその子供たちのなかから女の子を わめかしく」・ : : ・ ひじ ああ疲れた。私は机に肘をつく。そうしていっか、 選び出していた。しかし女の子に眼を惹かれるということ 1 よき人ののどやかに住みなした家に月が差し込んでいるとを、そういう他人の眼のあるところでは私も恥じていたか ムうが いった風雅な景色や、木立ものふりてわざとならぬ庭の草ら、さりげない風を装って眼を注がなくてはならなかっ みだ まっこう とん
えんてい 巨大な堰堤を、その下の河岸から仰いだときの感動、あの息詰るよう な感動を、私はいまだ忘れることができない。 ( 「今ひとたびの」 ) 庄川のダム
経っと、例の階段教室へばったり顔を出さなくなったのには、例の階段教室にいっそや、医科の講義に使用されて片 かいばうず 幻は理由があった。とある時間、階段の天辺に縮まっていた付けるのを忘れたらしい女子の肉体の一部の大きな解剖図 彼は先生にも目ざわりであること故、皆と一緒の下の方へが、黒板にかけたままになっていた事があり、彼は異常な なが 来るようにと、とうとう副手からやや叱責的に注意され好奇心でこいつは凄いとその図に眺め入り、同じ年輩であ た。彼は真赤になって恐縮し、その日は下でかしこまってりながら科が違うだけで、そうした図を日常的に見ること うらやま いたが、次の講義から彼の姿は見られなくなったのであのでき、又実物にも接触できる医科の学生が羨しくもあ る。 り、仮に今の自分がそのままそうした医科学生になったと しゅうしよう こうした次第で彼には充分印象深くあってしかるべき手想像した時の一種慄然たる怖しさ、周章をおもって、彼等 術教室であり又通路であるはずなのに今はすっかり忘れてに驚歎を感ぜざるを得なかったーーその図が瞬間頭に来、 いた副手の叱責があって後の講義時間前には、当時彼は恐その図のあった教室はこの奥だと思いだされたからであ らく皮膚科病室の玄関前あたりで、階段教室へ行こうか行る。 ( 前の夕食の場面でもちょっと出てきたことだが しゅんじゅん いんじゅん くまいかと逡巡すること数回であったろうと自らも回顧さ彼は因循な癖に、なかなか鋭敏で積極的な好色性のあるこ れるのだが、前をうろうろしたその建物に皮膚科泌尿器科とはこれでもわかり、ついでながら読者の注意を喚起して と書かれた看板のさげてあった事はどうしても思いだせなおきたい。 この物語はもう少しゆくと、彼の好色性が徐々 い。恐らく眼にはいらなかったのであろうし、その建物がに活躍するからであるじ なんであるかが注意されもしなかった程、当時の彼は 病室の入口は彼が予期したようにたて込んではいなかっ たちばな 否、今でもそうだが ただ・ほんやりと無気力な顔を下に た。下足場の老人に彼は恐るおそる、橘先生って方ここで わ、 つつけんどん 向けて歩いていたのだろう。彼は病院の門の脇に立てられしようかと言った。ああいるよと老人は突慳貪に言い、そ よろこ た案内図をたよりにして、皮膚科病室にたどりつき、そしの突慳貪さに参るより、ああよかったという悦びの方が大 て隣りに産科のあることを知り、ああ、そうか、この奥にきかった彼はすぐ、橘先生に会いたいんですがと言った。 手術教室があったんだな、この道ならよく通ったところ老人は彼に顔を向けず横向いたまま、いることはいるけど、 だ、そしてこの建物なら迅くに知っているべきはずの奴だ今はいない、午前中は外来の方にいて、まだここへは帰っ 、わ とうなずき、我ながら自分のとんまにちょっとおかしくなてこないよと極めて無愛想な言い方だった。彼はハアーと ってニャニヤした。産科とあるのを見て、急に気づいたの言ったまま、取っけず、そのうち老人は後から来た面会人 とっ ゆえ しっせ、 ひによう やっ りつぜん すご