家 - みる会図書館


検索対象: 現代日本の文学 24 高見順集
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1. 現代日本の文学 24 高見順集

146 。それはその場の思い が政治家に成るということではなかったのかと私は首を傾 から慎んだ点もあったが、更に つきでなく、私を中学校へ通わせるため夜なべ仕事をしてげた。 政治家になるなというの 苦労している母親のことを思うと、いつもそういうことが政治家になると殺される。 頭に浮ぶからだったが、そういう切実な気持からの思いつはそういう意味だった。 きであるだけに、それを口外すると、その言葉の裏の、他「政治家でなくたって殺される」と私は笑った。私は母親 人には知らせたくない自分の貧乏がばれそうなので、ひとの言葉に、子への愛情を汲まず、女心の浅墓さといったも のを見た。一一月前に「銀行王」のが大磯の別荘で暗殺さ つはその予感 ( ! ) から私はロをつぐんでいたのである。 一一十六日に議会は解散された。そして次の議会で普選案れた。私はそれを言ったのだ。 やみほうむ 「殺される位の偉い人になれば、大したものだ」 は闇に葬り去られた。 こうして内閣も、人民の権利を圧迫しつづけてきた従「いえいえ、どんなに偉くなろうと、殺されたりしたら、 来の官僚内閣と何ら変らない反動性を示すに至って、それなんにもなりやしない」 ようや まで「平民宰相ーとして人気を呼んでいた氏も、漸く「大丈夫ですよ。どうせ、そんな偉い人になれやしないか 「平民」の反感を買うように成った。 首相弾劾の声が高く成って行った。その声に浮かされ「忠雄は一体何に成るつもりだね」 「ーー政治家」 た一青年が、翌十年、東京駅で首相を襲った。 「政治家はおよしと言うのに」 前述の如くその氏の弟の家が私の母親の「おとくいさ「大丈夫ですよ」 ま」に当っていたから、その暗殺事件は私の一家に特別の「牢屋に入れられたり、刑事につきまとわれたり : : : お お、いや、いや。そしてさんのように成ると、殺される 衝撃を与えた。 し、 ほんとに政治家だけはおよし」 「ああ恐ろしい」 うんぬん 首相の弟の家へおくやみに行った母親は、帰ると私に言牢屋云々は、郷里で有名な明治の自由党の党員が藩閥政 府から手をかえ品をかえて迫害された事実を母親は見てい たからである。 「忠雄も政治家にだけは成るんじゃありませんよ」 ? 」母親が私にかけていた「出世」の夢は、私「政治家はいけません。お母さんが頼むから政治家に成る だんがい あさはか おおいそ

2. 現代日本の文学 24 高見順集

岡下家の坊ちゃん ( ーーーと私はその子を呼んでいた。 ) ものだった。私は貧乏くさい蒼い顔の夫人を軽蔑した ! もら しろうと ごちそう は十時と三時にお母さんから間食のお菓子を貰うのだが、 貧乏な素人仕立屋の小倅には味噌汁の残りだって御馳走 私のそれまで知らなかった、たとえばウェファースという だろうといったそんな扱われ方に対して、恥に敏感な私 ような上等のお菓子が私にも分け与えられた。 ; 、恥を感じなかった訳はないのだが、この場合に限って 「はい、お三時」 珍しく恥の記憶が無いというのは、逆に先方に対する軽蔑 紙に載せて夫人の手渡してくれるお菓子を私は決してそを心いつばいに充たすことによって、恥の入り込むのを防 の場で食べないで、紙に包んで家に持って帰った。外で物 いだ為だろうか。もとだったら、恥だけのところだが、 を食べるような不行儀をしてはならぬ、ひとさまから頂い 私は、たしかに変化していた。変りつつあった。岡下 たものは必らず持って帰って見せるようにという厳格な母家へ行くように成ってから、私は変っていた。 の命令に従っていたのである。そう言えば、あるとき、母 の吩咐で、母の「おとくいさま」のひとつである表通りの 岡下家の子は私と同じおかつば髪だった。私の行く理髪 軍医の家に行ったところ、「お利口さんですね。何かお駄屋の主人が小僧に道具を持たせてその家へ出張して来て、 ちん 賃をあげたいけれど : : : 」 南向の縁側で坊ちゃんの散髪をするのだった。 * きつ、ゆうじよ しこう 病身らしい蒼い顔をしたその家の夫人が、そう言って、 理髪屋が鞠躬如として伺候したとき、丁度私の居合わせ わんみそしる 生憎く何も無いからと、お椀に味噌汁の残りを入れて出さたことがあった。理髪屋は私の顔を見ると、岡下家の人た れた時は困った。この突飛なお菓子代りは、家へ持って帰ちに振り撒いたと同じ愛想笑いで、 にる訳に行かない。 「おや、坊ちゃん」 こ と私に言った。 こ「遠慮はいらない。おあがんなさい」 底当惑の末、私は台所口に立ったまま、乞食の子のようその家では「おうちゃん」と呼ばれていた私が「坊ちゃ のに、冷たく水つ。ほい味噌汁を咽喉に流し込んだ。台所口にん」と呼ぶ、いわばほんとうの本物の坊ちゃんの前で「お がいたのは、その木戸から必らず出入するようにと母親からうちゃん」の私が「坊ちゃん」と呼ばれたことは、坊ちゃ 言われていたからである。 んとその家族に対して、何か詐欺のようなうしろめたさを その味噌汁は私の家の味噌汁よりずっとまずかった。ま感じさせられたのだったが、しかし理髪屋に対しては私は あしもと ひそ して岡下家の「お三時」や「お十時」の足許にも寄れない秘かに得意の気持だった。私の心に狡い変化がおこってい あお とっぴ こせがれ ずる けいべっ

3. 現代日本の文学 24 高見順集

ちゃぶだい いで言う者がいた。 卓袱台の横にだらしなく寝そべって赤ん坊に乳をふくませ 「新聞記者だっていうんだけど : ・ : こ ていた。 「それにしちゃ、家でノラクラしているねえ」 しつもという印象 一一軒長屋のその隣りは、 これは、、 込まま げんか 「気儘勤めなんだろうねえ。 ではないがしかし一番強い印象として、猛烈な夫婦喧嘩が うわさ そうした噂の主が、表の路地に面した窓の上で、時々せ私の記億に刻まれている。窓に面した部屋いつばいに、大 くちひげたくわ っせと何か原稿を書いている姿は、夙に私の眼を惹いて いきな、脚の高い机を置いて、立派な口髭を蓄えたその家の 主人は製図をやっていた。体格の立派な、それこそこの人 のちに、私たちの一家がもうそこを引越したあとのことの方を巡査にしたら幀もしいと思われる ( ーーそして隣家 だが、その人の名を私は偶然、とある雑誌のなかに見出の巡査は、で肩の、物腰も何か女性的な人だった。 ) そ し、その人と同じように窓に向けて据えた机で、ジス・イの家の主人は家で図面をひくのが商売で、だからいつも家 とし ズ・ア・ドッグというような英語を勉強していた頃は齢のに居て、 学校から帰ると大概すぐ水汲みに出た私に、 違いもあろうが別に口をききあったということもない、つ「お、今日は学校早いね」とか「お、えらい、えらい」と まりその頃はなんの親しみをも持たなかったその人に対しか窓の上から声を掛けた。 て、さも親しい人に会ったかのようなこみあげる懐しさを「お、しつかり、 ーー・両手じや重いそ」 ひょわ 覚えたものだった。そのひとは映画批評を書いていた。映そうだ、脾弱でカの無かった私が、両手に・ ( ケツをさげ くっ位からだった 画批評というものが雑誌にやっと現われ始めた頃であつることができるように成ったのは、い カ 映画批評家の草分けと言ってもいいその人の住んでいた こだくさん むらが その家の裏には、子沢山の若い巡査が住んでいた。子供が いや、待て。思い出の、こうして果しなく群りおこる、 まで 多いせいか、いつも家のなかは、家全体がまるで押入のよ たとえば一度水道の栓を廻すと、とめる迄はどんどん うな、まるでそこの細君は掃除とか整理とかを知らないよと水が出てくるみたいに次から次へと思い出がまた思い出 ものす ZJ うな物凄い散らかり方で、そしてそんななかで、いつのぞを呼んで、きりのない、 この懐しい家については、後 はず いてもきまって ( ーー・きまってという訳はない筈だが、そにまた書く折もあろう。 ういう印象に成っている。 ) 細君が年柄年中出しっ放しの今はここらで栓をとめて っと せん

4. 現代日本の文学 24 高見順集

図っいていれば、家の子息がしびれを切らして、先きに さて、この家へ、 私が一中に入った当座は、朝がひとりで行ってしまうだろうと考えたのだが、彼の方から た、よく一中の上級生が一緒に登校しようと誘いに来てく親切に誘いに来てくれた。 いんじゅ れた。それはその前の年の九月に総理大臣の印綬を帯び「お早うございます」 * さいしよう た、当時「平民宰相」として謳われた氏の令弟に当る人今を時めく総理大臣の圦が汚い長屋の玄関の前に立って あか の子息で ( 総理大臣氏の子息もまた一中の生徒だった。 ) いるのに、私は顔を赧らめながらそう挨拶して、大急ぎで その家は、私が幼年時代を過した竹谷町の家とこの新堀町靴をく。靴はその当時、黒の編上靴と校則によって定め の家との丁度中間のあたりにあった。そしてそれは私の母られ、穿くのに手間のかからない短靴は禁じられていた。 親の所謂「おとくいさまーに成っていた家なのだが、恐ら ノートや本 ( あの古本 ! ) でふくらんで重い鞄、ーーそ く母親が、いつまでも私を幼い者と考えるその愛情から、 の色もセ。ヒアと定められていたのをかけて、 その家へ行って、私を一緒に学校へ連れて行ってやって下「行ってきまーす」 さらないかと頼み込んだのではないか ( その辺の記憶が曖路地を出ると、油屋の前はの眼も正しく、綺麗に掃い でつら 昧だが ) と思われる。というのも、それまで私はその子息てあった。どこか大きな油屋での永い丁稚奉公の末にやっ もら とそうして一緒に学校へ行くというような親しい交りを結と暖簾を分けて貰ってここへ店を持っことができたという んだ覚えはないからであった。 感じを、そのいかにも謹直そうな物腰にありありと出した は「角間君、ーー早くしないと遅刻するよ」 油屋の主人は、毎朝、その並びのどこの家よりも早く、ま に 「これは、さんの坊ちゃん。どうも恐れいります」 るでその早さを競うかのごとくにして店の前を掃ぎ清め、 こ私の代りに母が家のなかからそう返事をした。そして私更に店内も毎朝拭き清めていた。まだ独身のその主人は見 めくらじまつつ、、 底を叱った。 るからに貧乏たらしい盲縞の筒つぼを着て、齢の見当のつ ぐずぐず 胸「みなさい、愚図愚図しているから、また坊ちゃんの方か かないくすんだ顔色をしていたが、そのつましい暮し振り がら来て下さった。 については近隣でもいろいろと陰口をぎかれていた。私 私は、わざと愚図愚図していたのだ。私の方から勿論そは、決して大きな声を出したこともなければ笑い顔もつい の家へ一緒に連れて行って下さいと出向かなくてはならぞ見せたことのないこの主人に対して、ーー少年の私も、 ないのだった。それがいやで、わざと愚図っいていた。愚この人は何を楽しみに生きているのだろう、一体人間が生 いわゆる うた のれん あいさっ 、れい

5. 現代日本の文学 24 高見順集

った三人だけ、私と母親と祖母だと分った時のような : ・ ろ、私には父親があるのだと考えていた。 とでも言うか。いや、そんな有り得ない仮定でなく、その 岡下の父親にいっか会った時、お父さんは何をしていら 感じを、感じに即して見るならば、私の心のうちには息づっしやるの ? と問われて、すっかりどぎまぎした私は、 ふっとう まるような愛情の沸騰とともに、それはまことに血の湧き父親は死んだとうそを言い、そして私は、どうせ父親の居 立っ想いだったが一方では、血の凍るような想いが同時にない家の子なら、いっそほんとうに父親の死んで、居ない 存在していた。それは、私をこの地上に生みつけた父親家の子であってほしいと、そんなことを思ったが、それは が、私のもしかすると死ぬかもしれないこの時に当って側私の父親が世の常の父親でない為の私のひがみで、その証 にいないという事実、ーー既に父親は死んでこの世に居な拠には、直ぐ私は私の父親のような父親でなく、世の常の あいに いとか、生憎く家から出かけていて居ないとか、そういう父親のような父親をほしいと思ったものだ。そしてこれら また 不在ではなく、私と同じ父親の子供ではあるが私とは生れも亦、私にはとにかく父親というものがあるのだとした上 方の違う子供たちの住んでいる家にはちゃんと居て、私のでの、不平不満と言うか、怨みつらみと言うか、或は哀れ 家には居ない、そういう不在の事実から来たものだった。 な望みと言うか、まあ、そうしたエ合のものだった。 だが、今は、ーーー今こそ私は知らねばならなかった。私 いや、その事実だけだったら、寂しいとか悲しいとかいっ た程度で済ませたが、その事実から私の冊でも応でも教えには父親というものは無いのだと。 家に居ないというだけでなく、この世に存在しないのだ られた事実の意味、ーーそれが私にぐっと来たのだから、 と、私は思わなくてはならなかった。 そうなるというと、それだけでは済まされなかった。 まで こ今迄は私は、私の父親は私の家にこそ居ないが、しかし家に居ないというだけなら、飯倉の邸にも、この時刻で は居ないかもしれない。恐らくどこかへ出かけていて、留 の私には私の父親というものはあるのだとしていた。私の前 底に一度も姿を現わさず、私に一度も会ってやろうとさえし守だろう。しかし、そのどこかで地震に会って、驚いて家 ない無情な父親だが、そして中学校でなく安上りの実業学へ帰るに違いない。家族の身を案じて外から急いで帰って くる父親を、家族は家で待っている。その家が万一崩壊し 校へ行けとか、四年修了で高等学校に入れないなら私立へ 行けとか、それは使いの男の伝言だから、父親の本意とはて、子供たちの誰かが父の帰りを待たずに死ぬというよう 少しは違うかもしれないけれど、それにしても私には決しな場合があるとしても、その子と父親とは、心の中で結ば て親切とは思えない父親だったが、でも、どんな父親にしれている。ーー私には、それが無い。無いということは、

6. 現代日本の文学 24 高見順集

く揺れても水平動の揺れ方で、この時のように上下に揺れ私たちの方に倒れてきそうな恐れを、地震が弱まったから ねこひたい るというのは嘗って経験したことが無かったから、はじめとて、それでゆるめることはできなかった。庭は猫の額み きようへんかん たいな狭さだったから、もしも家が横倒しに庭の方へ倒れ は、地震だかなんだか分らなかった。兇変感だけだった。 すが 庭の裏木戸に、私と母親と祖母の三人がお互いに縋り合てきたら、私たちはその下敷に成ってしまう。その危険を った。今はもう、はっきり地震と知らされる水平動だったのがれる為には、いつぐしゃッと潰れるか分らない危険な が、今まで知らない恐ろしさで地面は揺れつづき、それは家の中へもう一度飛び込んで、そして玄関から反対側の外 まるで眼前の私たちの家を、これでもか、これでもかとゆへ出るか、或いは木戸から裏の路地に出て、これ又いっ左 すぶっているみたいだった。まだ倒れぬか、しぶとい奴だ右の家が倒れてくるか分らない狭い路地を抜けて、完全な と、こづかれて、粗末な長屋建築の家はキーキーと悲表通りに出るか、どっちかしか無いが、そのどっちも危険 もら・もろ′ むし 鳴を挙げていた。その家の中は壁土の砂煙が濛々とたちこな裏木戸にとどまっているのと同じ危険さだった。寧ろ、 めている。 足の遅い祖母を連れてうろうろする方が危険だと母親は考 「ナムアミダ・フツ、ナムアミダブツ・ : : こ えて、私がここはあぶないからほかへ行こうと一度はロに とな と祖母は念仏を唱えた。無言の母親は恐らく「金光さ出して、左様、おろおろ声でそう言ったのを、駄目駄目と ま」に必死の祈りを捧げていたのだろう。私は私で、早くしりぞけた。 地震がおさまりますようにと、何物かに祈っていた。その かくて私は、母親と祖母と三人で一緒に死ぬんなら : ・ 私は、胃袋にものがつまっているせいか、船酔のようなと思った。死んでもいいや : ・ : ・と私は思った。つづいて私 気を覚え、その耳はーー・果して内部の耳鳴りか、それともはなんとなくあたりを見廻して、 外部から事実聞えてくる音か、それは分らないが、わーん「僕には、おっかさんと、それからおばあちゃんと、 と鳴っていた。 それだけしか無いんだ」 家は一生懸命抵抗していた。地震は気のせいか、弱まっ と心の中で叫んだ。この時、私の胸にぐっと衝きあげた たようだ。だが、不幸という奴は、不幸が去りかけたとこものは、それは文字にすれば、母親と祖母への切ない愛情 っちが気を許した瞬間に、えてしてがっと襲いかかってくといったものに違いないのだが、そう言っただけではその るものだと、 こういう場合、そうしたペシミスチック時の実感は伝わらない。どう言ったらいいか。その感じ な考えにとらわれ勝ちの私は、眼前の私たちの家が今にもは、 ーー地球上の全人類が絶減して、生き残ったのは、た ある つぶ だめ

7. 現代日本の文学 24 高見順集

「やつばり、くたびれた」 と付添いの妻に思わずそう言った。一刻も早く横になり あいに たいのだが、生憎く乗り物の便宜が無い。線路沿いの道を たど 歩いて、自宅のある路次の曲り口に辿りついた時は、もう へとへとだった。疲労の為、意識がかすみ出した。しか し、 その時だった。突然鮮やかに、ある奇妙な想像が 彼の心に浮んだのは : 彼は、その想像の中では、死人なのであった。サナトリ ウムで彼は死んだのである。そして彼の霊魂が、彼の家へ なっか 今こうして帰って行くのである。懐しいわが家へ霊魂と成 したく って戻って行く。 ふと思い立って彼は外出の支度をした。もと彼の住んで 「おい : いた東京の家を見に行こうと思った。 その思いっきは、彼がサナトリウムから退院して北鎌倉と彼は妻に呼びかけた。彼はその奇妙な想像を妻に話そ もど うとした。と同時に、彼が実際は死人でなく、生きている の自宅へ戻った時のある奇妙な感じを、あれは一体どうい おうがいす うのだろうと、横臥椅子の上で考えているうちに、ふと心ということをたしかめたいという想いが、そこにあった。 それほど、その想像はいわば現実感を帯びたものだった。 に浮んだものであった。 十二月の中旬に彼は家へ帰った。ほんとうは年を越して想像というよりそれは実感だった。自分がほんとうに霊魂 鬼からの方が身体に無理のない退院なのだったが、正月を自であるような気がした。 幽宅で迎えたいと思ったのである。そうした彼は、病院生活彼は死後に霊魂がのこるということを信じてはいなかっ から解放されるとなると、自分の足で歩いて、街の様子なた。霊魂が生前の家へ訪れるといったことを今までついそ 呟 どをゆっくり見ながら家へ帰りたかった。それだけの自信空想したためしは無い。だのに、これは、どういうのだろ はあるとし、またその位の楽しみは許されていいだろうとう。 左様、訪れるという感じだった。そこに して、彼はサナトリウムから駅まで歩いた。そして電車に訪れる、 は、訪れの楽しさがあった。死んで家に帰るといったじめ 乗ったが、北鎌倉駅に降り立ったときは、 呟く幽鬼 からだ ため あざ

8. 現代日本の文学 24 高見順集

た。それは私に一刻も早く母親の側に帰っていたいとすそうあってほしいと秘かに ) 頷きながら、然し心のどこか やっしんしようばうだい ゑ幼児が母親を慕うようなあの切ない気持を呼びさましでは、とかく情報という奴は針小棒大に伝わるものだから と割引して受け取っていたものだが、同じ情報が異った人 私の通った道には、 それはほんの近所だけだった人によって頻々として持ち込まれるに従って、その恐ろし 、わま恐ろしければ恐ろしい程よかった情報を、もは が、それでも不思議に倒壊家屋はひとつも見かけなかっ た。不思議というのは、後日の記録に拠ると東京だけの倒やほんとうに恐ろしい、恐ろしければ恐ろしい程いよいよ 母恐ろしい事実として聞かねばならぬように成り、そう成る 壊家屋でも万を以って数えるほどだったからだが、 あんたん 親の「おとくいさま」の家も、どれも無事だった。どれと誰の顔からも刺戟を期待するような表情は消え、暗澹と うなだ がんじよう も、私の家みたいなぼろ家ではなく頑丈な家だったが、そして黙しがちの顔をカ無く項垂れさせた。火に追われて下 の頑丈さは「日本電気」などの頑丈さとは違うのだった。町からこの山の手へ逃げてくる人々も、時とともに数を増 私は友だちの身の上に想いをせた。坂部は、そして坂し、表の、今は電車の通っていない電車通りを、そうした 部の家は無事だろうか。渋谷の岡下の家はどうだろう。そ避難民の群がそろぞろとひきもきらずに歩いていたが、そ うわさ れから—は : の人々から誰ももう、下町はほんとに火の海か、噂は事実 かなどと聞こうとする者は無かった。その人々の姿そのも のが、暗黙のうちに、それの事実であることを雄弁に語っ をいっか日が暮れた。 余震におびやかされているうちこ、 家に入るのはまだまだ危いので、簡単なタ食を戸外ですまており、その人々の悲惨は間もなく私たちのそれと成るの あぎ せると、暮色とともに鮮やかに成り出した火煙の色が、もだということをも、同時に深刻に語っていた。 きんない うすぐ側まで火は廻ってきているような恐ろしさとやがて「火は山内を越した ! 」 飛報を耳にしたのは夜の何時頃だったろうか。自然の防 その火は私たちの町にも襲ってくるにちがいないのだとい 火壁として心頼みにしていた芝公園を猛火が突破したと成 う絶望感を心に刻んで行く。 だめ 下町は火の海だという、はじめ、そうした情報が齎されると、もう駄目だ。 もらろん 電燈は勿論つかないから、真っくらだ。私たち親子は顔 た時は、あの、自分に直接関係のない異変なり災厄なりに はず きようがくしデ、 対してはでぎるだけ驚愕の刺の大きいことを求める弥次を見合わせた。左様、真っくらな筈だったが、頭上の空ま で赤い煙が流れて来ているその光りで、ぼんやりながらお 馬根性から、ふーん、そうかね、そうだろうと ( そして、 ひんびん ひそ

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102 きて行くというのはどういうことなのだろうといった疑問私にはこの親切なーが煙ったいのであった。 を抱かせられるのであった。 野本や花村が折角 ( ? ) 一中を落ちたのに、まるでその 「学校、どう ? 代りのようにこの上級生がいたのではなんにもならぬ。そ も第ノ、ら・ と総理大臣の甥は私に言った。返事のしにくい問し 、であう感じたのである。被害妄想的な神経であった。私のこ と、私の家のことをよく知っているこのーと私は離れて 「ええ、まあ」 わび 新入生にふさわしくない侘しそうな声に成っていた。 朝、家へ出向くのがいやだったのは、思えば、そうし がてん 「相当詰めるんで大変だろう」 た、他人にはちょっと合点の行かないような変な感情のせ はず 「ええ」 いであったが、更に、これは他人にも分る筈の、そして分 6 ら 「はじめ、しつかりやっておかんと : : : 」 って貰いたいと考える、まともな理由があった。それは何 「ええ」 かというと、小学校の頃から母親の縫い上げた仕立物を持 「英語、どう ? 」 って台所口からその家へ出入していた私は、今ではそこの 「ええ、まあ」 子息と同じ中学校へ入った身として、その子息を呼び出す くずや 「面白い ? 」 にも、肉屋の御用ききやさては屑屋などと等しく台所口に 「ええ」 立たねばならぬのが、なんともはや、いやだったのだ。私 には自尊心が生じていた。一中へ入れたという誇り乃至は 「分らないところがあったら聞きに来るといいや」 うぬば 「ええーーはい」 自惚れからであろうか。一中の生徒としては、上級と下級 の別はあっても、その子息と私は同格だという気持から 「単語はカードで覚えるといいぜ」 か。とにかく私には、虚栄心や羞恥心と違うところの自尊 電車に乗ると、 心が生じていたのだが、この私の自尊心も変な感情であろ 一中の生徒がいた。私は何かドキンとした。私はーと 自分の家を恥じたりしたのは今から考えると、それこそ 偶然この停留場で落ち合ったようなつまり知り合いではな恥ずかしい変な感情だが、他人の家の台所口に立っことを いような風を装おうとするのであった。 恥としたこの自尊むは、これは少しも恥じるに当らないと っこ 0 よそ しゅうち

10. 現代日本の文学 24 高見順集

ら、うーんとか、ああーとか、呻いているんだ。死にきれ顔見知りの女中をつかまえて神妙な顔で、 わめ ないのが、助けてくれと喚いている。それが一人や一一人の 「お見舞に上りました」 こうじよう 声じゃないんだからね。声が集まって、わーツと響いてく と出入りの男衆みたいな口上を述べると、ーーー全くそ きわ ムえて る。地獄の声だ。・ れは柄に無い、私には極めて不得手の、だが今はそう言っ そこへまた余震が襲ってきて、話どころではなくなって済まされないので役者にでも成ったみたいに気を張り気 取って述べた言葉だったから、わざとらしいぎごちなさを 余震がおさまると、母親は、近くの「おとくいさま」の免れなかったせいもあろうが、 なまいー っ・よしのロを 家へお見舞いかたがた、預かった仕立物を返しに行くと言 ( なんだい、子供のくせして、生意気な、いを う。火事を考えたからだった。近所からは幸い火は出てい きいて : ・ : ・ ) たかなわ あが なかったが、白金や高輪のあたりに既に火の手が挙ってい おむすびのような顔をした、 ーー形だけでなく顔に事 実、胡麻のような黒い点々のあるその女中は、そう言いた 「僕が行ってきます」と私は買って出た。悲壮でそして快そうな表情で、つづいて私が、 す かった。同時に今聞いた「日本電気」のような凄い現場を「お預りの品をひと先ず : ・ : ・」と反物を出すと、 やじうま 自分の眼で見てみたいという弥次馬的興味もあった。 「こんな時に、何さ」と堪りかねたように言った。 こんな時だから返しに来たのだが、そう言われれば非常 母親からは然し、遠くへ行くことは禁じられた。大急ぎ そうこう ゅうやく で行って大急ぎで帰ってくるんですよという母親に、うん識とも取れる。蒼惶と辞し去った私は、勇躍自家を離れた かげん こわ、 しょげ うんといい加減な返事をして、私は反物の包みを小脇にか時の意気込みはどこへやら、すっかり悄気て、 おもむ かえ、先ず最初は一番近い故首相の弟に当る人の家へ赴「いやだなア」 と首を振り振り、重い心と足どりで岡下家へ行った。 塀が道路に向けて倒れて邸内が丸見えに成っていたが、 ( 同級生の岡下の家ではなく、母親の「おとくいさま」の、 かわ 家は無事だった。家人は然し避暑からまだ帰ってないのそして幼時の私を可玖がってくれたあの岡下家である。 ) か、その姿が見えず、ーー私が一中に入った当座、わざわ す・るとここでは、 ここも鎌倉へ避暑に行っていたの ざ私の家へ一緒に登校しようと誘いに来てくれたあの長男だが、既に帰ってきていて、一家揃って庭の芝生に避難し ( 既に慶応義塾大学に入っていた。 ) も見えなかった。私はているところへ、私が顔を出すと、 おとこしゅう たま そろ