けたが、そのうちつい気を許すと、皆のように巧みに身体ではない。継子いじめを思わせるきびしさが、いかに私を たらま の安定をとることが出来ないで忽ち溝の中に転落した。わわれながら堪らない、常におどおどと怯えているような弱 あ ーツとみんなは歓声を挙げた。 い卑屈な人間にしたかということについては、そうして後 は どぶどろ 他所律きの着物を溝泥だらけにして溝から這いあがった日そうした自分から脱却しようとして、自由な幼時を楽し 私は、母の激怒を思って心を震わせた。どうしたら、 み得た人には分らない苦労をどんなにしなければならなか ~ つ、つ 0 ったかということについては、母にちょっと怨みも言いた 普段着でさえ汚すと叱られた。うつかり、木戸などに出 いところだが、しかし、母としては、私を、母の言葉で言 かぎぎ うしろゅび ている釘に着物をひっかけると、鉤裂きができる。これなえば「母親育ちだからとて、後指をさされることのないよ きゅう . 、、 しつけ どはお灸ものだった。幼時の私は、釘というものの存在をうな、躾のいい」子供にしようとしてほんとうに真剣だっ のろ どんなに呪ったことだろう。子供をさいなむ悪魔の爪のよたのだ。 うな気がした。貧しいから着物を買えない。それで着物に溝泥のべっとりとくつついた臭い着物から私は赤いぼう あやま ついてやかましかった点もあったろうが、子供の思わぬ過ふらをつまみとりながら、 ちを許して貰えなかったことは辛かった。許してくれたっ 「どうしよう、どうしよう」 もと けだみぞう ていいではないかと抗議することは固より許されない。そと半泣きだった。蓋し未曾有の出来事であった。なんと あやま れは例のロ答えに成った。なんにも言えないから黙って抗言って謝ろう。謝っても、しかし折檻からは免れられな 議すると、 。未曾有の折檻が予想された。 こわ 「親を睨むとばちが当るよー 恐くて家へ帰れなかった。と言ってどこへも行けない。 、、かれ、 親を睨んだそのばちで鰈 6 眼はあんなに成った。そんな いっそ溺れて死んだ方がましだった。そうも思われた。溝 では、しかし死ねはしない。 言葉が頭に刻み込まれた。 ひきよう うそ 私は自分が継子ではないかしらと、ほんとうにそう考え折檻の恐怖から、ふと、卑怯な嘘が頭に浮んだ。いたず たことがしばしばあった。母のきびしさは私に継子いじめらをして溝に落ちたのではなく、友だちから突き飛ばされ を思わせた。し、継子でない故に、継子いじめ以上の遠 たのだ、 そう言おうと思いついたのだ。自分の過ちで 慮のないきびしさが却って私の上に加えられたのであっはない、そう言えば許して貰えるかもしれない。 うら た。ーーー今に成って私は母に怨みつらみを言おうとするの しかしそれは子供の浅慮だった。その嘘は、事態をいよ にら ままこ かえ たく つめ おば たま せつかん おび
・こっこ 0 なりけり。法師どもことのはなくて、聞きにくくいさ けんお 母親が女であるということに私の感じた嫌悪は、し 、刀 かひ、腹だちてかへりにけり。あまりに興あらむとす し、母親が醜いからではなく、母親が美しかったからであ ることは必ずあいなきものなり。 ( 第五十四段 ) 教科書に載っているのだ。私はこれを、私が中学校で使 しよう膕ん 「徒然草」は、私と同年輩の人なら必らず中学校で学んでった館発行の「徒然草鈔本ーからここに写したのであ いなければならない。その中に次のような一段があるのをる。 この一段だけは中学四年生の私にとって単なる 人は覚えているであろうか。 「国文解釈」の為のテキスト、試験勉強の為の材料という のにとどまらなかった。と言って「あそび法師ども」の らご 御室にいみじき児のありけるを、いかでさそひ出しは私の理解の外にあったのだけれど、 てあそばむとたくむ法師どもありて、能あるあそび法「いみじきちご。美しい少年。・ : : ・」 つぶや まで 師どもかたらひて、風流の破籠ゃうのもの、ねんごろ と私は呟いて、それ迄も、ともすると心を惹かれがちだ ならび に営み出でて、箱風情のものにしたため入れて、双の った下級生の中の美しい少年に、いわばはつぎり愛情の眼 岡の便よき所に埋みおきて、紅葉ちらしかけなど、思を注ぎうる自信の如きものを、その教科書から ( ! ) 教え ひょらぬさまにして、御所へ参りて児をそそのかし出られたのである。教科書は abnormal な sodomy を ( や でにけり。うれしく思ひて、ここかしこ遊びめぐりや誇張すれば ) 公然と認めていたのである。その位なら当 あた て、ありつる苔の席に並みゐて、いたうこそこうじに然教えてしかるべき norma 一な恋愛は、宛かもこれを不倫 たれ、あはれ紅葉を焼かむ人もがな、しるしある僧た なこととしているかのように、それに関するものは絶対に ち祈り試みられよなどいひしろひて、うづみつる木の載せず、そうして中学生の眼からひた隠しに隠していた 下に向きて、数珠おしすり、印ことごとしくむすび出が でなどして、いらなくふるまひて、木の葉をかきのけ私はかくて私の「ちご、をひそかに作った。ひそかにと たれど、つやつやものも見えず。所の違ひたるにやと言うのは、皆には秘してこっそりとその下級生と abn 。 rma 一 て、掘らぬ所もなく、山をあされどもなかりけり。う なちご関係を結んだという意味ではなく、その下級生にた づみけるを人の見おきて、御所へ参りたるまに盗める だひそかな想いを寄せたにすぎない意味であり、その想い わりご
いかろうこう 思えば、私の住んでいたところの如何に陋巷であったかを大概の屋敷には、池がある。池には必らず金魚や鮒がい 明確に、 残酷なくらい明確に示すものは無い。 る。大雨があると池が溢れて、時には大きな鯉までが、喜 そんな臭い家のなかに、私の母親は日がな一日、坐りつびのすくない陋巷の私たちをまるでそうして喜ばせようと づけて安い賃仕事の裁総をしていた。幼い私と老いたそのするかのように、池から冓へと泳ぎ出てくるのだ。「きん 母 ( 私の祖母 ) を養うために ぎよやア、きんぎよ」と言って通りを流して歩く金魚屋 えんにら いろど かえるがなくから や、夏の縁日をいわば涼しい美しさで彩っていた金魚屋か かーえろ ら、そう容易に金魚を買えない陋巷の子供たちは、その代 メンコ遊びの子供たちは、そんなことを口々に言って、 り溝からただでしやくって取れる楽しみを与えられてい そろ うれ 散りはじめた。貧しくとも父母の揃ったそれそれの家へとナ こ。しかもその嬉しさは、買う嬉しさに遙かにまさるもの 帰って行った。 だった。夜来の雨のからりとあがった夏の朝などは、そう そう した子供等の嬉しさで上ずった声でみたされて、一層の爽 ばけっ 陋巷と、私は書いたが、これからして麻布の竹谷町をも快感を唆るのだった。大人までが四つ手を持ち出し、馬穴 って陋巷の町と解されては、私は私の過去の約三分の一にを鳴らして駈け出した。 しげき わたる時期を見守っていてくれたその町の名誉を傷つける駄菓子屋には、子供のロ欲を刺戟するもののほかに、メ 者と成るであろう。その頃、竹谷町及びその一帯は、一般ンコやとりもちなども売っていたが、その種類として、竹 かやじ いわゆる 的に言えば所謂山の手の屋敷町の部類に属していた。そしの輪に緑の蚊帳地を張って柄をつけたものが店頭に出して あた て屋敷と屋敷との間に、宛かも指の間の疥癬のように、見あった。竹の輪だけのものもあり、この方が安かった。こ 苦しい陋巷が発生していたのである。そうした事情は、それで溝のぼうふらを取って、同じ溝からしやくいあげた大 うした陋巷に住んでいた幼い者に、下町の、どこまでも余事な金魚を養うのである。その頃の溝には、どこでも、ぼ すところなく陋巻といった町に住んでいる者の恐らく知らうふらが泳いでいて、青い蚊帳地と赤いぼうふらとの色の ない楽しみを与えていた。たとえば、大雨のあとなど、自対比は美しく、、ほうふら取りはそれ自身ひとつの楽しさを めだかふな 分の家の前の溝でもって、金魚や目高や鮒などが、まるで成していた。蚊を防ぐ蚊帳の小切れがその蚊の幼虫をとら 夢のように取れて、 ああ、どんなに楽しかったことえる道具に成っているのも面白い。蚊帳地の張ってない竹 か。ああ、どんなに幼い私は出水を待っていたことか。 の輪だけのものは、糸ぼうふらを取るためのもので、冓の かいせん あふ はる
ちからこぶ 体力や体力による運動競技などにすこしも自信のなかつうにだらりと成ったきりだった。カ瘤など出てこない腕の だめ あきら スケッ た、だからそれから離れ遠ざかっていた私に、 弱さなのだったが、 はじめから運動は駄目なのだと諦めて ト・ポールやフット・ポールなどの遊びへ自らを加わらせ いたせいもあり、それでまた筋肉や運動神経が、いや意志 もた るという嘗ってない現象を齎らした。ポート遊びのにこが、精神が、一向鍛えられないのであった。それが、なん もちろん れも誘われてという、勿論きっかけがなくては行われなかとしたことか、その頃突如として柄にもない運動競技をは ったこととは思われるけれど、嘗っての私だったら、誘わじめたのだから、ーー奇怪であった。身長がだんだんと伸 しり 0 れても尻込みをして、決して遊びに加わる訳はなかったろびはじめてきたという肉体の変化も原因していたろうが、 ちからわざ ひょわ う。幼い頃、脾弱な身体を病魔の襲撃から護ろうという母根本は精神であった。心の置き方であった。力業を別して 親の迷信的な計らいによって女の子のような恰好をさせら必要とせぬ・ハスケット・飛ールやフット・ポールは、左 れていた私は、その恰好のため男の子との遊びに加われな様、私の精神の飛躍を、肉体の上にそのままあらわそうと かったせいもあろうが、凧あげ、竹馬などという男の子なするのにまたまことに適当したものであった。 ら誰でもやり、誰でもできる遊びがとうとうできずじまい あげをした私のズ、ポンは、今は足がのびて、あの可笑し であり、又自ら進んでやろうともせず、そして正月は女のなあげも外されていた。今や私は人並のズボンをはいてい 子のやる羽子板をついてかろうじて自らの遊戯欲を慰めてた。今はじめて私は人並に成ろうとしていた。 だじゃく あた いた。そんな、精神も肉体も懦弱を極めた私だったから、 その時に当って、ーー宛かも私につきまとう或る邪悪な ようや ぎせつ よ小学校に入ると、相撲は「出ると負け」、体操の時間の木神の意志が私の漸く人並に成ろうとするのを挫折せしめよ こ馬飛びは、、 しつでも木馬の上にちゃんと尻を乗せ、ずるずうと企てたかのような、いや全くそうとしか思えない、恐 のると尻をずらせて下へとぼんと降りる情けなさで、たまにろしい、忘れることのできないひとつの事件が、私の上に おこった。 底今度こそはうまく飛び越えられたとおもうと、どっこい びていこっ 木馬の端にいやというほど尾觝骨をぶつつけ、生徒の笑い 冬に近いある日、私は学習参考書を買いにひとりで神田 わの種にはもってこいの悲鳴とともにマットの上にひっくり さいふ わずゆえ 返る始末であった。だから又、中学校に入っても、鉄棒はヘ行った。財布の金は僅か故、古本の少しでも安いのを探 まるで首つりのようにぶらさがるだけで、そら、あげた、すつもりであったが、電車通りの古本屋街へ出る前に、私 たた するがだいした あげた ! と教師にいくら尻を叩かれても、全く死人のよは駿河台下のとある出版社の売店に寄ってみた。古本で買 たこ わ はす さカ
を得ざらむ人は、ものぐるひともいへ、うつゝなし、 に認めるように成ったからでもあるが、その頃の私の心の 情なしとも思へ、そしるとも苦しまじ、ほむるとも聞 動きについては、いずれ書く時があるだろう。 き入れじ。 私は死を覚悟した。ただ私は、まだ何も人にこれと言っ て誇りを以って差し出せるような文学的な仕事をしていな 、こ重ねて余談にわたるのであるが、前述の「遁世への抵 いのに、ここで死ななくてはならないということはいカ冫 抗」を書いた年に私はある小説 ( 「私と商人との交渉」 ) の も残念だと思った。生命は惜しくないが、仕事が惜しい。 これは不思議な分裂だった。生命あっての仕事なのである中で、〈ルマン・〈ッセの「クヌルプ」 ( 相良守峯訳 ) の から、仕事が惜しいということは生命が惜しいということ一節を引用した。「至高の美なるものは、常に、人がそれ に成らなくてはならない筈なのに、そこがは 0 きり分裂しに触れた際に、愉快の情の他になお、翡長なり不安なりの 念を抱かせるものである。それはこうだ。どんなに美しい ていた。仕事が惜しいと残念がるのは即ち生命が惜しいと 残念がることに他ならぬと、人は思うかもしれないし、今少女であるにした所で、彼女は美しい盛りを過ぎれば、次 カそうしたこと 第に年をとって死ななければならない。 : 、 の私は自分でも、それはそういうものだと思えるのだが、 を承知していてこそ、人はほんとうに彼女を美しいものと その時の、死に直面した時の実感としては、生命は惜しく ないがというのが、うそいつわりの無いものだった。ここ思うだろう。もし美しいものがいつまでも変らぬものであ にも私は、私の心に秘められた、そして「何かのきっかけるなら、僕は初めの中は喜んでいるだろうが、次第にそれ を冷淡な気持で眺められるようになり、遂には、何時だっ はに、表面に浮び出てくる」無常観を見るのである。 しよか 私はこれを書くに当って、「徒然草ーを書架から取て見られるのだ、何も今日に限ったことではないというよ もろ り出して机辺に置いた。筆を運ぶのに疲れると、ごろりとうに考え出すだろう。それに反して脆いもの、移うものに 氏畳に転がって、その頁をばらばらと繰るのだったが、次の対しては、それを眺めて喜びを感じるのみでなく、同情の 胸一句に眼が触れた時は、私の口から思わず、きに似た声念すら抱くようになる」 , ーー私は「徒然草」の次の一節を 読んで、ふと、この引用を思い出したのであった。 の出るのを防ぎ得なかった。 けむり あだし野の露、消ゆる時なく、鳥部野の烟、立ち去ら 日暮れ道遠し、わが生すでに蹉鉈たり、諸縁を放下す いかにものゝあは でのみ。住みはつるならひならば、 べき時なり。信をも守らじ、礼儀をも思はじ。この心 ころ さだ なが うち うつろ
にしか響かなかったが、或にその故か、国民がそんなに熱分りやしない。あぶないから、お巡りさんが出て警戒して いるのさ 心に普通選挙を希望しているのなら実行したらいいではな 「そうかねえ」 いかといった気持であった。 「どうして、いかんと言うのかしら ? 」 「そうさ。そうにきまっている」 「日本ではまだ早過ぎるというんだろう」 「あぶない連中が、普選普選と言ってるから、いかんと言 みずばな 同級生は水洟をすすって、つづけた。 う訳なの。でも、あぶなくない連中だって、普選普選ッて 「どうしてもいかんというんじゃないのさ。そのうちには言ってるんだろうーと私は言った。 どうしたって普選に成る。でも今はまだ早い」 「そりや言ってるさ 「どうして早いんだろう ? 」 「だったら、い、じゃよ オいか。あぶない連中は取り締っ 「どうしてッて : ・ : ・」 、、じゃないか」 て、普選はやったらしし すると他の、鼻の両脇にそばかすの目立っ同級生が言っ「そうは行かんよ」 しかつら た。 分らん奴だといった顰め面で、 「いや、総理大臣が反対しているのは、いまの普選運動「普選にして見ろ、あぶない連中がしめたとばかりに、の は不純だというんだよ」 さばり出て来る。そう成ったら国が危くなっちゃうよ」 私には不純の意味が分らなかった。 「ふーん」 「なんかてえと会を開いてワイワイ騒いで、いつもお巡り「さんは普選運動は危険思想だからいかんというんだ せんどう さんと乱闘騒ぎだろう。危険思想を持った連中が煽動してよ」 いるのさ」 「政府の反対党が普選普選と言ってるから、反対してる訳 自分の意見に成って行った。 じゃないの ? 」 「ないさ。ーーー普選普選ッて、労働者が騒いでるじゃない 「だから、警察がやかましく取り締っているんだよ」 「でも、あの乱闘は会に集る人たちばかりが悪いんじゃな か。労働者なんかに選挙権を持たせてみろ、大変なことに けんか くて、お巡りさんが出てくるから喧嘩に成るんじゃないの成っちゃう」 「大変かねえ」 かい ? 」と他の同級生が言った。 「そうじゃないよ。放っといたらそれこそ何をしでかすか「大変じゃないと思うのかい」 わ、 ある、
られないという所まで行ったみたいに感じられた。小関は通し、グングンと引張って行った。僕は失礼します、悪い わざと聞えない振りをし、彼女はオゼキサーンとふたたびですよ。ぐずつく小関を、秋子は、うるさいわね、黙って 叫んだ。それはちょうど、第一節にも書いた様な、彼がならっしゃいと押えた声で叱りつけ、小関は怒号する酔客の がく夢見ていた所の鼻にかかった甘ったれ声、そいつに寸恰好をその背中にはっきり感じながら、秋子のなすままに 分違わぬと聞き取られ、プルルと身体も震えたようであ今はまかせ、しかし、二三間行くと、今度は小関の足の方 ひっさら る。ゃあ ! 秋子さん。小関さん、どうしたの、こんな遅が早くなり、小さい秋子を引攫うみたいな有様に変った。 く。彼女はすぐと小関の傍に走り寄り、その肩に手をやら国民新聞前の電車通りまでこうしてフーフー言って来て、 んばかりであった。そう言うだろうとかねて幾度もロの中ああくたびれたと腕を離すと一一人の眼は自然と会い、どち ひぎたた で練習しておいた返事が、いざとなると、しかも余りにもらからともなく笑い出した。秋子はハンドバッグで膝を叩 にお 身近かに彼女を感じ、複雑なその匂いまでが彼の鼻を衝ききながら、どうにもたまらないといった笑い声を挙げた 上げる今となっては、その片言さえ頭にこない。もちろが、ちょうどそこへ自動車が車体を寄せて来るのを見る ん、彼女は彼の答など待たない風ですぐ言った。篠原、一と、 ( イヒールも軽やかに、ちょこちょこと走り寄った。 緒じゃないの ? 、ーー篠原 ? え、・ほ、・ほく独り。 小関は半分はまだ笑いがとまらない状態のなかで、本能的 あ、そう。そして彼女はニッと笑って見せ、笑った顔に蟇口を入れたポケットに手をあてたが、その時は、もう あご の顎を、眼は小関に注いだまま、生意気な風にぐっと引い秋子が慣れた手つきで扉をあけ、小関さんと言った。 たが、それを小関は と いやなオゼキサーン、あたしを待歓喜のあまり小関のロがきけないのは、それはいし じようぜっ ち伏せしてたの ? と言っているものと見、小関はなんとして、ふだんわり方饒舌な秋子が車に乗ると、ついさっき こうしよう なくそこらをぐるぐると歩き廻った。実は秋子は、篠原のの哄笑はどこへやら、すっかり黙りこくっているのはすこ 名を出し、その勝気から照れた、それは仕草なのである。 ぶる小関の気になった。秋子はその修練された敏感さで小 とびら おーい、まだかい。酔客が自動車の扉に手をかけ、地団駄関が自分に大変れてしまっていることを知っていて、そ かっ - 」う を踏むような恰好をした。秋子はまずひとっ独りうなずきれと同じ敏感さで篠原の心がはやとみに自分から去ろうと をすると、そこに立ったまま、あたし、お友達に会ったかしているのを、小関を側に置くとなぜかひしひしと感。せら ら、失礼しますわと言い相手の機先を制すべく、 ハイバイれてくるのだ。酒場で彼女に言い寄る男は種々といたけれ ちゅうちょ と右手を振った。そして、躊躇する小関の腕に小さい腕をど、彼女は彼女特有の小生意気な口調で、まあこわいみた じだんだ がまぐち かろ
たた ゃんとは言わなかった。 ) お願いだから、この人を外へ出ネ、お願い。女は篠原の背中を叩いた。その女の態度はた して。篠原はなんにも言えず顎に手をやっていたが、夫のとえば牛をいよいよ怒らせるために赤い布を振り立ててい まゆ まあ、あっちへ行っ 銀行員は眉ひとっ動かさず、依然として隅に身を固めてかるようなものであった。篠原は、 ト一′いす しこまっていた。そしてよく見るとその方に向けて籐椅子てと女を向うへ押しやる様にし、男の方を向いて静かに坐 が横倒しになっており、男の身辺にだけ紅茶のセットの破った。男はそういう篠原を見ると、同じ男性の立場から訴 えるといった悲痛な声で、 あなたは同じアパートにい 片が散乱し根をあらわした盆栽の松が土くれとまじってこ るから、この女の今の生活を御存じでしようが、別に不足 ろがっていたりしていて、彼女の方は綺麗さつばりしてい す るところから察すると、乱暴を働いたのは男でなく女であのない私との結婚生活を棄てて、この女はなぜ現在のよう ることが明らかになった。篠原は鼻をクフンと鳴らすと、 な穢らわしい生活にはいらなくてはならないのでしよう。 たれかれ ソッポを向いた男にちょっと首を下げて部屋を出て行こう なぜでしよう。今まで幾度も誰彼にとなく言いなれている ふくしよう としたが、その胸にパッと飛びついてきて、ネ、ネ、お願と見え、男の口調には芝居のせりふのような復誦的な清ら かえ からだ いと細い手で篠原の身体をゆすぶった。あの人、あたしをかさがあって、篠原はおかしいより却って気の毒な想い りらぎ 殺すっていうの、お願いだから外へ連れてって。篠原はそで、至って律義そうな相手の面をみつめた。眼と眼の間が すが う言って縋りつく女をじやけんに振り離すこともならず、せまっているのが彼の細面の顔から幾分気品を奪っている 下から見上げている女の眼を避ける風に横を向いた。する様だが、この様に怒りで歪んでない時の彼の顔は中流育ち と、男は初めて口を切った。あなたはなんですか。抑えたの上品さを湛え、そしてつつましやかな端麗さを持った好 怒りで語尾が震えていた。ーー僕はア。ハートにいるものでましい顔に違いないとみられた。彼女を現在世話している す。篠原は女の手をどけて、身体をかえした。僕はこの女五十男というのは、そのデッかい鼻からはじまって顔がで の亭主ですが、そう男が言いかけると、女は篠原の背後にぎたといっていいような、ぶざまな顔をし、その鼻も酒で あぶら ヒョイと隠れ、篠原を楯にして、首だけ横へ突き出し、ウ赤く焼けていて、いつもテカテカと脂を浮ばせていた。身 ソ、ウソよ、あんたはもう私と何の関係もない人よ。男は長よりも肩はばの方が大きいのではないかとさえ思われる したくちびる そう言われると、くやしそうに下唇をふるわせ、そしてそ いかつい身体をノッシノッシと上へ運んで行くのを、篠原 れを見せまいとして前歯で唇を噛むと、女をグッと睨みつは階段の下から見たことがあるが、全く闘牛の感じであっ た。醜いとかなんとか、そんな浅い所を絶したものであっ けた。ほら、あの眼、あの眼で私を殺そうというの、ネ、 たて 、れい すみ にら たた
しり かっこうたた 尻に全神経が集った。一大難事を敢行するような緊張だな恰好に畳んだナプキンを囲んで、左右にそれぞれ形の違 った。私はこう緊張しては却ってへまをやりそうだというう数本のフォークとナイフとがきちんと整列している。前 予感に早くも襲われた。そしてそういう予感が来てはそれには大型のスプーンと小さなスプーンと普通のナイフが置 が自己暗示と成って、もはやヘまをやらないではすまされいてある。私はそれまで一度もこういう席に臨んだ経験が ないのである。 無かった。一品料理なら物おじしないで済むが、こういう 果して私はヘまをやってしまった。素直に柔軟に腰をお Table d'höte の作法には全く不案内の私は、弱ったこと ふずいいきん ろせなかったからである。腰の筋肉が不随意筋に化したかに成ったと、うろたえをいよいよ強めていると、左の皿に いたず パンが置かれた。の父親はガラスの容器から丸めた・ハタ のごとく、私は徒らにもじもじしていた。もとよりそれは ーを取って、さあと私に言った。私はそのまま見習って・ハ 一一三秒という短かさに相違なかったが私にはどえらく長い やにわ 時間に感じられた。そんな私は、矢庭に腰をおろしてしまターをパン皿に取った。そうして自分のナプキンがまだテ ったのである。うしろの女給仕に栁子を動かす余裕を意地ープルに置いたままなのに気付いて、ナプキンなどかける きたな ひざ 必要のない汚い洋服の膝にかけた。 悪く与えまいとしているかのような早さで。 てんとう あわ 私は椅子の端に腰かけてしまった。そして慌てて、自分殆んど気が顛倒していると言っていい私の前に、前菜が あらかじ の手で椅子をひいた。重い椅子はそれこそ意地悪くどすん運ばれた。それぞれの皿に予めつけ合わせたのが配られ、 どすんと音を立てた。音は静かな部屋に響き渡って ( と私大皿を給仕が持って廻るのだから自分で取るのでなくてま だしも幸いであったが、それにしても種々雑多のナイフと には思われた。 ) ーー私をして悲惨な位うろたえさせた。 実に詰らぬことである。何もうろたえるに値しない、なフォークからどれを選ぶべきなのか、皆目見当がっかない。 んでもないことである。しかし私はうろたえた。なんでも横目でうかがってこれも真似をした。スープが運ばれた。 ないことの方が私を強烈にうろたえさせるのである。 前のスプーンを取るのは真似であったが、音を立てないよ そしてこのうろたえは、このうろたえから続いてひき出うに気をつけてのスープの飲み方は、中学校の友人の岡下 されてくる何か悲惨な「事件」の前触れに違いなかった。 ではない片方の岡下家の方で教えられていたから、既に心 言い換えると、自分のうろたえが自分から招き寄せてくる得ていた。ところが—の父親がするずると不作法な音を立 「事件ーの前触れを、このうろたえは意味していた。 てて私をまごっかせた。ナイフとフォークの使い方もこれ しみひとっ無い真白なテープル掛けの上には、花のよう はまごまごしない程度に慣れていたから、選び方さえ真似 かえ
拾ったものをただ届けないというだけのことだと考えてい んという恐ろしいことをしたのだ。見付からなくてよかっ たか、いや、そう考えようとしていたのだが、罪の意識はたでは済まない恐ろしさだ。 はず そんなことで抑え得られる筈はなかった。 あの恐ろしさに懲りた筈ではなかったか。もう決してあ 私は盗人だ。私はまた盗みを働いた。私はこうして遂にんな真似をしてはならぬと自分に固く誓ったではなかった はほんとうの盗賊に成って行くのではないか。 なんということだ。 恐怖がか。だのに、 てじよう 心を噛んだ。手錠。ひやりとくるその恐しい感触。警察。 何故私は再び罪を犯したのか。犯し得たのか。 心を凍らせるサーベルの音。留置場。そして、監獄。 これは万引でない、だから、罪でないとして、罪を犯し 私は眼をつぶって頭を振った。私はまだゴリゴリと辞典た。今度の犯罪は、犯罪を自覚してのものではなかった。 しやく の持ち主の名前を削りつづけていた。そうして罪の意識をだから余計悪質ではないか。良心の苛責はなかったのか。 しやにむに も削りとろうとするかのように : ・ : 。だが、辞典から名前あっても、遮二無二欲しいという気持に負けたのか。 を削りとることはできても、私の心から罪の意識を削りとそうだ、そのとき私には分らなかったが、この再度の犯罪 ることはできなかった。 は、幼い時から卑屈に慣らされていた為の、そこから来て よみがえ 万引のときの恐怖が再び蘇ってくるのであった。万引 いる私の精神の一種の麻痺のせいにちがいなかった。他人 最中の恐怖でなく、万引にまんまと成功したあとで私の苦の忘れ物を盗むという卑屈さを自分に許すということは、 しめられた恐怖、ーーそれは万引最中のそれより、もっとそれほどの卑屈な自分に成りさがることを自分に許すとい はもっと強い恐怖であった。 うことであり、それはひとえに、平気で卑屈に成りうる、 コあのとき、もし万引の現場を発見されたとしたら、どうそして又私の卑屈が私に与えた心の麻痺からおこったこと もらろん のいうことに成ったか。学校へ通告されて、私は勿論放校処に相違なかった。欲しい気持に負けたというのは、その欲 底分だ。「立身出世ー欲も、芸術へのあこがれも、ーーー未来望が余りにも、何にもまして強かったということではなく 隲にかけるすべての望み、今までの私のすべての努力も、何て、その欲望を抑える良心も、罪の意識も、その意識から の恐怖も、すべてその瞬間は無になってしまう恐るべき麻 わもかもおしまいだ。私の前途は真暗だ。そう成ったとき、 私の成長に唯一の生きる望みをつないでいる母親はどうい痺、ーー卑屈からおきる自家中毒ともいうべき心の麻痺、 四うことに成るか。悲嘆、絶望、狂乱。母親を裏切り私自身それに根本の原因があったのだ。 をも裏切った私は自分も気違いになるかもしれぬ。 な私は幼時の思い出のなかで、当然人間としての私が戦わ まひ