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検索対象: 現代日本の文学 24 高見順集
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1. 現代日本の文学 24 高見順集

・こっこ 0 なりけり。法師どもことのはなくて、聞きにくくいさ けんお 母親が女であるということに私の感じた嫌悪は、し 、刀 かひ、腹だちてかへりにけり。あまりに興あらむとす し、母親が醜いからではなく、母親が美しかったからであ ることは必ずあいなきものなり。 ( 第五十四段 ) 教科書に載っているのだ。私はこれを、私が中学校で使 しよう膕ん 「徒然草」は、私と同年輩の人なら必らず中学校で学んでった館発行の「徒然草鈔本ーからここに写したのであ いなければならない。その中に次のような一段があるのをる。 この一段だけは中学四年生の私にとって単なる 人は覚えているであろうか。 「国文解釈」の為のテキスト、試験勉強の為の材料という のにとどまらなかった。と言って「あそび法師ども」の らご 御室にいみじき児のありけるを、いかでさそひ出しは私の理解の外にあったのだけれど、 てあそばむとたくむ法師どもありて、能あるあそび法「いみじきちご。美しい少年。・ : : ・」 つぶや まで 師どもかたらひて、風流の破籠ゃうのもの、ねんごろ と私は呟いて、それ迄も、ともすると心を惹かれがちだ ならび に営み出でて、箱風情のものにしたため入れて、双の った下級生の中の美しい少年に、いわばはつぎり愛情の眼 岡の便よき所に埋みおきて、紅葉ちらしかけなど、思を注ぎうる自信の如きものを、その教科書から ( ! ) 教え ひょらぬさまにして、御所へ参りて児をそそのかし出られたのである。教科書は abnormal な sodomy を ( や でにけり。うれしく思ひて、ここかしこ遊びめぐりや誇張すれば ) 公然と認めていたのである。その位なら当 あた て、ありつる苔の席に並みゐて、いたうこそこうじに然教えてしかるべき norma 一な恋愛は、宛かもこれを不倫 たれ、あはれ紅葉を焼かむ人もがな、しるしある僧た なこととしているかのように、それに関するものは絶対に ち祈り試みられよなどいひしろひて、うづみつる木の載せず、そうして中学生の眼からひた隠しに隠していた 下に向きて、数珠おしすり、印ことごとしくむすび出が でなどして、いらなくふるまひて、木の葉をかきのけ私はかくて私の「ちご、をひそかに作った。ひそかにと たれど、つやつやものも見えず。所の違ひたるにやと言うのは、皆には秘してこっそりとその下級生と abn 。 rma 一 て、掘らぬ所もなく、山をあされどもなかりけり。う なちご関係を結んだという意味ではなく、その下級生にた づみけるを人の見おきて、御所へ参りたるまに盗める だひそかな想いを寄せたにすぎない意味であり、その想い わりご

2. 現代日本の文学 24 高見順集

たた ゃんとは言わなかった。 ) お願いだから、この人を外へ出ネ、お願い。女は篠原の背中を叩いた。その女の態度はた して。篠原はなんにも言えず顎に手をやっていたが、夫のとえば牛をいよいよ怒らせるために赤い布を振り立ててい まゆ まあ、あっちへ行っ 銀行員は眉ひとっ動かさず、依然として隅に身を固めてかるようなものであった。篠原は、 ト一′いす しこまっていた。そしてよく見るとその方に向けて籐椅子てと女を向うへ押しやる様にし、男の方を向いて静かに坐 が横倒しになっており、男の身辺にだけ紅茶のセットの破った。男はそういう篠原を見ると、同じ男性の立場から訴 えるといった悲痛な声で、 あなたは同じアパートにい 片が散乱し根をあらわした盆栽の松が土くれとまじってこ るから、この女の今の生活を御存じでしようが、別に不足 ろがっていたりしていて、彼女の方は綺麗さつばりしてい す るところから察すると、乱暴を働いたのは男でなく女であのない私との結婚生活を棄てて、この女はなぜ現在のよう ることが明らかになった。篠原は鼻をクフンと鳴らすと、 な穢らわしい生活にはいらなくてはならないのでしよう。 たれかれ ソッポを向いた男にちょっと首を下げて部屋を出て行こう なぜでしよう。今まで幾度も誰彼にとなく言いなれている ふくしよう としたが、その胸にパッと飛びついてきて、ネ、ネ、お願と見え、男の口調には芝居のせりふのような復誦的な清ら かえ からだ いと細い手で篠原の身体をゆすぶった。あの人、あたしをかさがあって、篠原はおかしいより却って気の毒な想い りらぎ 殺すっていうの、お願いだから外へ連れてって。篠原はそで、至って律義そうな相手の面をみつめた。眼と眼の間が すが う言って縋りつく女をじやけんに振り離すこともならず、せまっているのが彼の細面の顔から幾分気品を奪っている 下から見上げている女の眼を避ける風に横を向いた。する様だが、この様に怒りで歪んでない時の彼の顔は中流育ち と、男は初めて口を切った。あなたはなんですか。抑えたの上品さを湛え、そしてつつましやかな端麗さを持った好 怒りで語尾が震えていた。ーー僕はア。ハートにいるものでましい顔に違いないとみられた。彼女を現在世話している す。篠原は女の手をどけて、身体をかえした。僕はこの女五十男というのは、そのデッかい鼻からはじまって顔がで の亭主ですが、そう男が言いかけると、女は篠原の背後にぎたといっていいような、ぶざまな顔をし、その鼻も酒で あぶら ヒョイと隠れ、篠原を楯にして、首だけ横へ突き出し、ウ赤く焼けていて、いつもテカテカと脂を浮ばせていた。身 ソ、ウソよ、あんたはもう私と何の関係もない人よ。男は長よりも肩はばの方が大きいのではないかとさえ思われる したくちびる そう言われると、くやしそうに下唇をふるわせ、そしてそ いかつい身体をノッシノッシと上へ運んで行くのを、篠原 れを見せまいとして前歯で唇を噛むと、女をグッと睨みつは階段の下から見たことがあるが、全く闘牛の感じであっ た。醜いとかなんとか、そんな浅い所を絶したものであっ けた。ほら、あの眼、あの眼で私を殺そうというの、ネ、 たて 、れい すみ にら たた

3. 現代日本の文学 24 高見順集

られないという所まで行ったみたいに感じられた。小関は通し、グングンと引張って行った。僕は失礼します、悪い わざと聞えない振りをし、彼女はオゼキサーンとふたたびですよ。ぐずつく小関を、秋子は、うるさいわね、黙って 叫んだ。それはちょうど、第一節にも書いた様な、彼がならっしゃいと押えた声で叱りつけ、小関は怒号する酔客の がく夢見ていた所の鼻にかかった甘ったれ声、そいつに寸恰好をその背中にはっきり感じながら、秋子のなすままに 分違わぬと聞き取られ、プルルと身体も震えたようであ今はまかせ、しかし、二三間行くと、今度は小関の足の方 ひっさら る。ゃあ ! 秋子さん。小関さん、どうしたの、こんな遅が早くなり、小さい秋子を引攫うみたいな有様に変った。 く。彼女はすぐと小関の傍に走り寄り、その肩に手をやら国民新聞前の電車通りまでこうしてフーフー言って来て、 んばかりであった。そう言うだろうとかねて幾度もロの中ああくたびれたと腕を離すと一一人の眼は自然と会い、どち ひぎたた で練習しておいた返事が、いざとなると、しかも余りにもらからともなく笑い出した。秋子はハンドバッグで膝を叩 にお 身近かに彼女を感じ、複雑なその匂いまでが彼の鼻を衝ききながら、どうにもたまらないといった笑い声を挙げた 上げる今となっては、その片言さえ頭にこない。もちろが、ちょうどそこへ自動車が車体を寄せて来るのを見る ん、彼女は彼の答など待たない風ですぐ言った。篠原、一と、 ( イヒールも軽やかに、ちょこちょこと走り寄った。 緒じゃないの ? 、ーー篠原 ? え、・ほ、・ほく独り。 小関は半分はまだ笑いがとまらない状態のなかで、本能的 あ、そう。そして彼女はニッと笑って見せ、笑った顔に蟇口を入れたポケットに手をあてたが、その時は、もう あご の顎を、眼は小関に注いだまま、生意気な風にぐっと引い秋子が慣れた手つきで扉をあけ、小関さんと言った。 たが、それを小関は と いやなオゼキサーン、あたしを待歓喜のあまり小関のロがきけないのは、それはいし じようぜっ ち伏せしてたの ? と言っているものと見、小関はなんとして、ふだんわり方饒舌な秋子が車に乗ると、ついさっき こうしよう なくそこらをぐるぐると歩き廻った。実は秋子は、篠原のの哄笑はどこへやら、すっかり黙りこくっているのはすこ 名を出し、その勝気から照れた、それは仕草なのである。 ぶる小関の気になった。秋子はその修練された敏感さで小 とびら おーい、まだかい。酔客が自動車の扉に手をかけ、地団駄関が自分に大変れてしまっていることを知っていて、そ かっ - 」う を踏むような恰好をした。秋子はまずひとっ独りうなずきれと同じ敏感さで篠原の心がはやとみに自分から去ろうと をすると、そこに立ったまま、あたし、お友達に会ったかしているのを、小関を側に置くとなぜかひしひしと感。せら ら、失礼しますわと言い相手の機先を制すべく、 ハイバイれてくるのだ。酒場で彼女に言い寄る男は種々といたけれ ちゅうちょ と右手を振った。そして、躊躇する小関の腕に小さい腕をど、彼女は彼女特有の小生意気な口調で、まあこわいみた じだんだ がまぐち かろ

4. 現代日本の文学 24 高見順集

の名刺を持ってサッサと奥へ行ってしまった。彼は浮かぬつかりしつかりと味方を声援するどころか、味方が負けて 顔で戸口に突き立っていたが、しばらくして・フツ・フッひとくれればいし 、そうすれば自分の番で負けが更にひどくな りごとを言いながら、もと来た道に戻って行った。外来患ろうと初めからの負けだからとがめられもしないだろう くちびる 者の診察所を門のところの地図で探そうというのだ。彼のと、そう考えて、青褪めた唇をひきつらしていた。所が、 わず 歩いている前後には、看護婦の姿も見られたが、呼びかけ僅かの差で味方は勝っていた。小学生の彼は絶望的な眼で なが て尋ねることが彼にはできない。はるばる門まで戻り、地それを眺めていたが、あと三人しか前に残ってないという てのひらつば 図を見て、またッぽい道を汗いつばいになって歩いて行所に来た時、さア来いと小さい掌に唾をつけてカんでい った。外来患者診察所は各科総合の大きい石造建築で、入た後の子にチラと眼をやって、そのまま彼は列を離れた。 ひきよう ロの薬局には人が大勢待っていた。彼が恐れていた以上の卑怯な彼ではあったがさすがに逃げだそうとしたのではな 人のこみ合いで、三階の皮膚科に行くためのエレベーター く、どうやら既に出ているらしい脱腸をこっそりおさめる にお こんこう の前にも消毒薬の臭いをプンプンさせた患者がいつばい立為で、同時に騒ぎから離れて、金光さま、お願いですから ち並んでいた。やっとのおもいで三階に行き、廊下にでる助けて下さいと必死の祈りを念ずるためであった。 ( 彼の なお と、椅子には余地なく患者が居並び尚そのまわりに大勢が母親は熱心な金光教信者であったから、子供の彼も亦金光 ウロウロしていて、看護婦がせわしそうに往来している姿さまを信じていた。ーーー病院の一隅で今、彼はこの切ない おく ためいきも に、気後れした彼の肩はさがり溜息が洩れてでた。うまい祈りの場面を思い出したのであるじ周囲の興奮的な瞳は ししカーー頼む ! 一斉に運動場に注がれていたから、出発点の人ごみから彼 工合に橘君がここへ現われてくれると、 すみたたず と彼は心に念じながら人々の群と離れて廊下の隅に佇んでがこっそり抜け出たことは誰の注意もひかず、いよいよ次 なお いるうちに、不意に子供時分のことが頭に来た。今は癒つが彼の番だという時になって彼がみえないので、みんなは ぜいじゃく たが小学生の頃、彼はひどい脱腸で、しかも生れつき脆弱大騒ぎした。そこへ彼は駈けつけて来たが、やはり一分ば たわらかっ たわら 忘な肉体であった。それがある年の連動会で、重い俵を背負かり遅れた為前の番のものは重い俵を担ぎきれず下へ投げ 調って目標の旗まで駈けて行き、戻ってきて次の者に俵を渡だしてしまっていた。当り前なら、しやがんで待 0 ている す紅白一一組の竸走にでねばならぬことになった。前のもの彼に、背中移しすべき俵である。それを地べたから持ち上 てもと が一人一人減って次第に彼の番が迫ってくるのを、一列縦げて背中に背負わねばならず、あせる手許の狂いと非力の ころ 隊の中で震えながら見ていた彼は前後の子供のように、しため、俵は再度地上に転がり見るみる味方の勝ち越しがち ふる もど あおぎ また

5. 現代日本の文学 24 高見順集

112 のことではあったが、 たとえば大正八年の日記 ( 博文話したら「ああ、そうそう、違いとしたのはわるかった、 館発行の小型の当用日記 ) に、受験準備にいそしんでいるそう角間は百点、お前一人きりできたのだね、えらいえら 私が、こう書いている。稚劣の文句をそのままにしてここ い」先生赤面の次第「えへん、ぶいぶい」今日は朝から雪 に写してみるならば が降ったので往復 ( 学校 ) するのに困りきった。「足に雪 がかかってつべたいな」などと一一三年の生徒が手足に雪を のせてうらめしそうに空をながめている。 一月一一十九日。晴。暖し。 昨晩おそかったので今日は朝から目がはっきりしない。 一月三十一日。晴。寒し。 の頁にはなにも書かないで今日の出来事をくわしく記そ 朝起てそうそう庭へ出れば昨夜も雪がふったと見え、 ( 雪 「練習をしますー先生はこうおっしやって第三中学校の試を ) かきあつめてあった道が真白になっている。 験問題を黒板へお書きになった。「 5 番は気をつけて」と学校へ行き、帰りに先生が「もう今度で三度まであなたに も、り ゆだん 言われたが「ああなんだ」と皆はロをあけて見て、油断し違った処をさとして貰い、自分の違った考を柵 ( 棚の間違 ている。しかしいよいよ出す時になったら、誰も出す者が い ) へあげて違ったと言って悪口言ったのは先生がおわび ない。 ( 答案の意。 ) 「何につかいているのだ」先生は僕等します。又私の信用、つまりいい先生だと思っていたのが にお聞きになった。「 5 番でーす」異ロ同音に小さな哀れあんな事があると、あんな先生におそわってては入学でき これ な声で返事をした。「見ろ」先生の目がビカリ。僕は答をないなどと思わないで先生之から一心にやるから前いった 信用を失わないでねーー」先生は涙声で 一と二の割とした。 うぬばれ 一月三十日。雪。 私の自惚は、このように私を自惚れさせる事実があった 昨日のつづき。「ああ、うらめしい五番」僕の目から涙が からだとはいえ、私の自惚というもののその性質はどんな らゆう ぼろり・ほろり。 ( 註。先生は私の答を間違えとしたのだ。 ) ものだったか。秀才気取りのその本質を明らかにする例と 「そうだ、そうそう」朝ばらから算術教本を出して答を見して、 これは何年生の時だったろうか、初学年の頃と うれ たら ? 嬉しい。答日く「一と二の割合」ええ、足のふむ思うが、ある時、先生が、 所がわからないほど、嬉しい。早速学校へ行き、其の事を「九九を言ってごらん」 たな

6. 現代日本の文学 24 高見順集

いかろうこう 思えば、私の住んでいたところの如何に陋巷であったかを大概の屋敷には、池がある。池には必らず金魚や鮒がい 明確に、 残酷なくらい明確に示すものは無い。 る。大雨があると池が溢れて、時には大きな鯉までが、喜 そんな臭い家のなかに、私の母親は日がな一日、坐りつびのすくない陋巷の私たちをまるでそうして喜ばせようと づけて安い賃仕事の裁総をしていた。幼い私と老いたそのするかのように、池から冓へと泳ぎ出てくるのだ。「きん 母 ( 私の祖母 ) を養うために ぎよやア、きんぎよ」と言って通りを流して歩く金魚屋 えんにら いろど かえるがなくから や、夏の縁日をいわば涼しい美しさで彩っていた金魚屋か かーえろ ら、そう容易に金魚を買えない陋巷の子供たちは、その代 メンコ遊びの子供たちは、そんなことを口々に言って、 り溝からただでしやくって取れる楽しみを与えられてい そろ うれ 散りはじめた。貧しくとも父母の揃ったそれそれの家へとナ こ。しかもその嬉しさは、買う嬉しさに遙かにまさるもの 帰って行った。 だった。夜来の雨のからりとあがった夏の朝などは、そう そう した子供等の嬉しさで上ずった声でみたされて、一層の爽 ばけっ 陋巷と、私は書いたが、これからして麻布の竹谷町をも快感を唆るのだった。大人までが四つ手を持ち出し、馬穴 って陋巷の町と解されては、私は私の過去の約三分の一にを鳴らして駈け出した。 しげき わたる時期を見守っていてくれたその町の名誉を傷つける駄菓子屋には、子供のロ欲を刺戟するもののほかに、メ 者と成るであろう。その頃、竹谷町及びその一帯は、一般ンコやとりもちなども売っていたが、その種類として、竹 かやじ いわゆる 的に言えば所謂山の手の屋敷町の部類に属していた。そしの輪に緑の蚊帳地を張って柄をつけたものが店頭に出して あた て屋敷と屋敷との間に、宛かも指の間の疥癬のように、見あった。竹の輪だけのものもあり、この方が安かった。こ 苦しい陋巷が発生していたのである。そうした事情は、それで溝のぼうふらを取って、同じ溝からしやくいあげた大 うした陋巷に住んでいた幼い者に、下町の、どこまでも余事な金魚を養うのである。その頃の溝には、どこでも、ぼ すところなく陋巻といった町に住んでいる者の恐らく知らうふらが泳いでいて、青い蚊帳地と赤いぼうふらとの色の ない楽しみを与えていた。たとえば、大雨のあとなど、自対比は美しく、、ほうふら取りはそれ自身ひとつの楽しさを めだかふな 分の家の前の溝でもって、金魚や目高や鮒などが、まるで成していた。蚊を防ぐ蚊帳の小切れがその蚊の幼虫をとら 夢のように取れて、 ああ、どんなに楽しかったことえる道具に成っているのも面白い。蚊帳地の張ってない竹 か。ああ、どんなに幼い私は出水を待っていたことか。 の輪だけのものは、糸ぼうふらを取るためのもので、冓の かいせん あふ はる

7. 現代日本の文学 24 高見順集

「なるべく早く再婚したがいいね」 「まあ、いやなことを、おっしやる。わたし、ひとりで通 しますー 「そんなこと言って、齢行ったら、再婚できなくなる」 「ですから、わたし、ひとりで通すと言ってるじゃありま せんか」 「だったら、何か自活する道を考えないと : ・ 。お前も洋 裁でもやるか」 お前も ? あのふさ子さんのように ? ーー・・静枝は、白く 晒したような良人の顔から、窓の外にまた眼を移した。ふ サナトリウムのその二階の窓は、コスモスの咲いた庭をわふわと空間に漂っている虫が、眼の前に来て、見ると、 ぞうき へだてて、雑木林の崖に向っていた。窓と崖のあいだの空それは虫ではなく、アザミか何かの種子の綿毛が風に乗っ 間に、秋の陽が、しーんと差している。そのあたたかい陽て飛んでいるのだった。 だまりのなかを、夏の黄昏の、あのぬかがのような小さな虫と見たのは、みんな、これだったのかと、あざむかれ 虫が、ゆるやかに飛び交うている。曇り日だったら、眼にたような気がしたが、明らかに虫に違いないのも飛んでい た。それが、綿毛のような振りをしてふわりふわりと浮い はつかない小さな虫が、強い陽を受けて白く光っていた。 ていた。 あるかなきかの風に乗って漂うているみたいにも見えた。 夏の蚊柱のような群を成してはいない秋のこの小虫は、夏「洋裁はいいけど、まさか、ふさ子さんにならう訳にもい 骨のぬかがのごとき雨の前触れではないらしく、このとこきませんねー ろ、秋晴がつづいている。雲ひとっ無い琉璃の空だ。 良人は黙っていた。振り向くと、無言の良人の、痩せさ おっと おお ぶとん この半年、・ヘッドに寝たままの良人が、ふと、低い声でらばえたその身体を蔽っている掛け布団の、まるで誰も寝 軽 言った。 ていないみたいな、かさの無いそれから、によっきりと、 おれ 8 「俺が死んだら、静枝は、どうする」 デス・マスクのような顔だけが飛び出ていた。その白い顔 「そんな心細いこと、言わないで下さい」 も、ひょっとすると綿毛のように、そしてまたそのような 軽い骨 がけ たそがれ さら

8. 現代日本の文学 24 高見順集

するといよいよ、彼女はやつぎとなった。そしてまるで風 。相手が篠原である場合は、この女はその度し難い無 けいばうばくろ 引船でも破裂するみたいな勢いで、話中でもなんでもかまわ恥さで閨房の暴露すら、そのポサポサに濃い髪毛をさかん ず突然にチェッという叫びを挙げた。えらそうなことを言に上下させて語り出す。友成は顔色を更に変えず、いなむ うよ、この子供 ! 客のあからさまな驚愕と、まことに平しろ被虐の快感に浸っているとも見られるような微笑まで 然たる友成の顔色とをーーー人あってもしこの瞬間だけを見浮べているのだが、聴き手の篠原は憤怒の抑えがたさを、 てのひら あぶら 掌にじっとり脂の出た両手をもみくちゃに揉んでいる様 たと仮定するなら、その人は侮蔑されたのは客であって、 めいりよう 友成ではないと思うのは必定である。客は今、小関なのだ に明瞭に出していた。 が智恵子はつづいて小関に向って、たとえば次のようなこ あまり長くなるからここで節を改めるとするが、第六節 くゆ とを、大層にくにくしげな口調で言うのだ。 ( パイプを燻は直ちにこれと連続するものである。 らしながらという事を先に書いた。小関が耳にした智恵子 の幾多の暴言のうち、パイプに関するものを、ひとつ、こ ばっすい 第六節 こに抜萃する。 ) この人ときたら、えらそうな口をきくけ あき れど、なんにも知ってはいないんだから呆れたものだ、こ ちょうだい の間もこういうことがあるの、まあまあ聞いて頂戴な、小 篠原を友成は秀才と呼んでいた。篠原は現在の長身の特 関さん、ネーヴィ・カットの罐を買って来たのはいいけれ徴を、この高等学校時代に於いて、めきめきとあらわした ど、開けたらじッとりと湿っていたわけさ、ああいう刻みのだが、 ( 彼は中学生時分、背の順に並ぶ教練ではいつも 煙草は湿りをわざと持たしてあるのが当り前、それをこのクラスの中頃に立っていた。中学卒業近く、その順番はや がいばうさっそう 人ッたら知ったか振りするからいやになる、紙巻とおんなや高い方に進んでいた。 ) その長身の外貌的颯爽さに劣ら じに考えたのね、おやこいつは旧いと見えてしとってるツ ぬ精神的なそれを持っている。それはいわゆる秀才型の颯 ひばら て言って、小関さん、火鉢の炭火でわざわざカサカサに乾爽さであって、長所とともに欠点も免れぬのを友成は含ん かしたのよ、お蔭で折角の香りもなにもすっかり抜けちまで秀才と呼んだ。先に述べた、友成の気分的なものを逸早 く理論にまでまとめあげることのできた才気は友成も感歎 って、煙草をすってるのだか紙でもくすぶらしているのだ ひと か区別がっかない様になってしまった。そして独りでプンした所であるけれど、篠原の作品はしよせん工。ヒゴーネン プン怒ってんのよ、いやになっちゃうわね、ね工小関さん的秀抜さをあらわしているに過ぎぬのが秀才型の欠点であ かん ぶべっ ふる がた

9. 現代日本の文学 24 高見順集

を得ざらむ人は、ものぐるひともいへ、うつゝなし、 に認めるように成ったからでもあるが、その頃の私の心の 情なしとも思へ、そしるとも苦しまじ、ほむるとも聞 動きについては、いずれ書く時があるだろう。 き入れじ。 私は死を覚悟した。ただ私は、まだ何も人にこれと言っ て誇りを以って差し出せるような文学的な仕事をしていな 、こ重ねて余談にわたるのであるが、前述の「遁世への抵 いのに、ここで死ななくてはならないということはいカ冫 抗」を書いた年に私はある小説 ( 「私と商人との交渉」 ) の も残念だと思った。生命は惜しくないが、仕事が惜しい。 これは不思議な分裂だった。生命あっての仕事なのである中で、〈ルマン・〈ッセの「クヌルプ」 ( 相良守峯訳 ) の から、仕事が惜しいということは生命が惜しいということ一節を引用した。「至高の美なるものは、常に、人がそれ に成らなくてはならない筈なのに、そこがは 0 きり分裂しに触れた際に、愉快の情の他になお、翡長なり不安なりの 念を抱かせるものである。それはこうだ。どんなに美しい ていた。仕事が惜しいと残念がるのは即ち生命が惜しいと 残念がることに他ならぬと、人は思うかもしれないし、今少女であるにした所で、彼女は美しい盛りを過ぎれば、次 カそうしたこと 第に年をとって死ななければならない。 : 、 の私は自分でも、それはそういうものだと思えるのだが、 を承知していてこそ、人はほんとうに彼女を美しいものと その時の、死に直面した時の実感としては、生命は惜しく ないがというのが、うそいつわりの無いものだった。ここ思うだろう。もし美しいものがいつまでも変らぬものであ にも私は、私の心に秘められた、そして「何かのきっかけるなら、僕は初めの中は喜んでいるだろうが、次第にそれ を冷淡な気持で眺められるようになり、遂には、何時だっ はに、表面に浮び出てくる」無常観を見るのである。 しよか 私はこれを書くに当って、「徒然草ーを書架から取て見られるのだ、何も今日に限ったことではないというよ もろ り出して机辺に置いた。筆を運ぶのに疲れると、ごろりとうに考え出すだろう。それに反して脆いもの、移うものに 氏畳に転がって、その頁をばらばらと繰るのだったが、次の対しては、それを眺めて喜びを感じるのみでなく、同情の 胸一句に眼が触れた時は、私の口から思わず、きに似た声念すら抱くようになる」 , ーー私は「徒然草」の次の一節を 読んで、ふと、この引用を思い出したのであった。 の出るのを防ぎ得なかった。 けむり あだし野の露、消ゆる時なく、鳥部野の烟、立ち去ら 日暮れ道遠し、わが生すでに蹉鉈たり、諸縁を放下す いかにものゝあは でのみ。住みはつるならひならば、 べき時なり。信をも守らじ、礼儀をも思はじ。この心 ころ さだ なが うち うつろ

10. 現代日本の文学 24 高見順集

イ、 あり、残った山門なども、それほど古い建物ではない。 その日は、参詣者もちらはら・こっこ・、、 オオカ義士たちの墓 この前には、何本も線香が置かれて煙が立ちのばって、 墓地の入口には、もと浅野家鉄砲州上屋敷の小 くらのすけ 底であったものを移したという門がある。大石内蔵助が 胸参邸の時、多くは、この門からはいったという因縁があ きらこうずけのす ' 、カ る。討沁りの時、吉良上野介の首を洗ったという首洗 わ い井戸など、寺の説明書はもとより、東京の案内記に はしめて見るわたくしには、や 社必す出ているのだが、 神 はり珍しかった。つまり、わたくし自身の目が、居住 荷 日 者の目でなく、旅行者の目になったのである。居住者 十の見方は、たしかにきめが細かいか、一方、旅行者の る 見方は、居住者より新鮮なのである。 あ 門前に、みやげものの店がある。たとえば会津若松 びやっこ の城で、白虎にちなんだみやげものを売っているの やま 当 と同様に、ここには、山鹿流の陣太鼓の模造らしいも 突のなどがある。東京の人間が、今さら泉岳寺とは : の といくらか気恥しかったのに、同行の三人が、やはり 街 番 一しょに参詣して、物珍しげであった。念のために確 布かめてみると、少なくとも、三人のうち二人は、わた 麻 くしと同様はしめてであることがわかった。後日 岳寺に足を踏み入れたことを別の友人に話したら、呆 れたことに、東京住いの彼らも、たいていは、まご一 いんわん あき