売春婦 - みる会図書館


検索対象: 現代日本の文学 25 円地文子 佐多稲子集
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1. 現代日本の文学 25 円地文子 佐多稲子集

び出してみたが、おていより大柄だが、器量は悪くねえよ。 いことを言うかと思うと、話がつくと大ざっぱに割りきっ ただ かさね 唯惜しいことに累だ」 て、あとまでこせこせこだわるようなことはない。長崎へ とんま 「累とは何のことな」 来たはじめの内は何でも ~ 者の鈍間さにして、小馬鹿に びつ ( あしだぞうり 「跛だよ。もっとも足駄と草履というほどじゃあね普していた蝶吉もしばらく住まっている中に、九州男の気質 わか 通の人間じや一度や一一度じや解るめえなあ : ・ が解って来て案外こんな風に大撼みに行動するのが男とい 「よか、よか、そぎゃん程度のことなら、買い手ならいく うものの持ち前かも知れないと思うようになった。虎松の ゆノも ~ 、 らもあるばい。南洋もちくと奥地ば行って見なさい、跂じ親分の勝沼などもその典型的なもので、数千の女を誘拐し めくら * せいろう や盲目じゃ唖じゃ、五体満足じゃなか女ばかり飼うとるおて東南アジアの諸国に売春婦に売り、自分も青楼を経営し ばば せんよう つや婆いう傑ら物なおるたい」 ながら、日本の南洋開発、国威宣揚に立派に一役買ってい 「片輪者ばかりをねえ。一体それを買いに来る客はどんなる自負を持ちつづけているようである。自分の仕事を大仕 * せげん 人ですえ」 掛けの女衒だという風に自卑するところのないのは、江戸 とおさくがきいた。 ッ子の蝶吉にはポンチ絵の王様のように滑稽に見えるけれ くんしよう 「マレーやインドネシャの土人が客ですばい。そやつらは ども、案外、実社会で大臣や大将になって胸に勲章をぶら おなごほねばそ やわら 片輪でも日本の女子は骨細で肌が軟こう、美しか言うて喜下げて威張っている政治家や軍人にしても、一皮はげば勝 ばけもの ぶとっさ。おいも一度ば見に行ったが、まずな化物屋敷入沼と似たりよったりのいかさま師かも知れないのだ。して りこんだごとあった : : : 」 みると、自分達のように、自分を舉しい、しみったれた人 かたすみ 「お前さんも化物の客になったロだろう。どうせ鬼の手下 間だときめて、裏町の片隅から小意地のわるい目で、世の だものオ : : : 」 中を見ているよりも、勝沼のようなやり方は堂々としてい 肌蝶吉は糸切り歯の欠けたロもとに小意気に煙草を当ててると蝶吉は思うのである。 笑いながら言った。江戸ッ子の蝶吉の眼からみると、九州「ところでね、虎さん、困ったことが出来ているんだよ。 の 生れの男というのはどれをみてもここらの荒海で獲れる海かねて、お前さんから頼まれて、段取りをつけていたオラ たくま 南びぶり 老や鰤のようで、肉が堅く逞しいだけで、とんと、細かい ンダ船のラブラタ号ね、あの船長が上海で急に病気になっ さんしよう、 しゃれ うま味というものがない。山椒の利いた洒落や厭味の通じちまってね、今入港している船に替りに乗っているのは、 もちろん かんじよう がんこおやじ ないのは勿論であるが、取引きの場合でも恐ろしく勘定高この取引きにはてんで乗って来ない頑固親爺なんだよ。当 おおがら シャンハイ こつけい

2. 現代日本の文学 25 円地文子 佐多稲子集

うそ 離れてからあらためて見直すと、おていはあの頃より身「ジョージの方に事故のあったのは嘘ではなかったとで らようど りん 体に肉づきが出来て、恰度咲き初めたはじめより何倍も輪す。あの人は満洲を旅行して、ロシャの国境近くをスパイ しやくやく の大きくなった八重咲きの芍薬の花のように見えた。あのしたということで、ロシャ政府から身柄を引き渡すように かれん 1 ・・ト一フ 頃可憐だった涼しい眼もとも、きりりと結んだロもとも、香港の英国総督府に掛合いが来ていたので、プル つや その人であることに変りはないながらに、成熟した女の艶ゴンが着くとすぐイギリス側ではあの人に身を隠させるよ をたつぶり湛えている。おていが、普通の人妻や、ゆきのうにしてしまったんです。つまりエグモンドの口から密航 ように一人の男を相手にする女でなく、売春の経験者であ婦を乗船させたことが官憲へ洩れるのを怖れて、船長や事 務長は私をジョージに与えることを約東したのですが、当 ることは、みつよは一目で見ぬいた。 「おていしゃんな、おいが香港を立っ時に、勝沼しゃんののエグモンドが行方不明になってみれば、私は持ち主の出 大和ホテルで、エグモンドしゃんの便り待っとったじゃなて来ない遺失品のように勝沼の手に残されたわけです。勝 しろん 1 ・ドラゴン側に二重に私の身の代金を払った上 かか : : : その後勝沼しゃんにきいてもあんたのことは、は沼はプル つきりしたこと言わんじゃったが、あんたエグモンドしやで、私をうちに二三ヶ月飼い殺しにして置きました。その えさ 内にいい魚が餌を食いに来たのですー んと一緒になったとじゃなかったとな」 おていは他人ごとを語るように片頬に微笑を浮か・ヘなが みつよは恐らく、否定的な言葉がおていの口から出るの を期待して言ったが、おていが話し出す前にゆきがそれをら静かに言った。 引きとって答えた。 シャムの富豪ビライ・ハが香港を訪れて来た際、独逸商人 しようのうじゅうひ 「私もそうとばかり思っていたんです。おていさんだけはのラインホルトと勝沼が結託して、樟脳と獣皮の大量売り おとり あんな誘拐船に乗った中で、思いがけず好きな男の人と一込みの囮におていをビライ。ハに与えた経緯について、みつ かわがわ よはおていとゆきの替る替る語る言葉に眼を見張ったり、 肌緒になれたたった一人の仕合わせな女だったと、信じてい のたんですけど、一昨日おていさんに四年ぶりで逢ってきい眉をひそめたりしてきぎ入った。 ビライバに連れられて、シャムの・ハンコックへ行ったあ 南て見ると、おていさんはあの時船で別れたまま、未だに、 とも、当分はおていはビライ・ハを嫌って、寝台の下に潛り エグモンドさんに逢えずにいるんですって : : : 」 れ「まあ、そぎゃなこと : : : 知らざったわ、おい : こんだり、背中を向けたまま、一晩中ビライ・ハのすりよせ からだ みつよは眼を見張っておていを見た。 て来る身体を無慈悲につきのけたりして過した。ビライ・ハ ゅうかい たた ホンコン ころ かたほお みがら おそ

3. 現代日本の文学 25 円地文子 佐多稲子集

べっし 買や女性蔑視に共に天を戴かないほどの憤激を与えたに違と注意してくれた。 おもて いない。勿論現在でも勝沼のような粗悪な愛国主義者に面虎松はそのロ添えを腹にしまって、その日は鬼池に泊っ らゆうちょ ただ でかせ を背けることには躊躇しないが、只、天草女の海外出稼ぎた。碌な宿があるわけはなかったが、そんなことは構って の場合に限ってみれば、彼女達が勝沼や勝沼と大同小異のはいられない。 ポスの手先に誘拐されて、海を渡り、異国で売春する生活百姓家の片手間仕事に客をとめる家なので、夜になって を選ばなかったとしても、貧農の娘に生れた彼女達の一生から、茶を淹れて来たお上さんに話しかけて、山越しで道 は決して幸福ではなかったと思われるのである。つまりこは悪いけれども海岸べりよりも近い道で西海岸の下田温泉 の残酷物語は単なる海外の売春婦をつくる為に娘たちを誘までぬけられるという道順をきいた。その間にはいくつも へんび 拐したということよりさきに、そういう誘いに容易に乗る部落があるらしい。こんな辺鄙なところへ何度も足を運ぶ つら ような無智な貧しい生活が、この風光明媚な美しい島の中のは辛いから、明日の山越しの間にめぼしい娘が一人でも に厳として存在していたということが第一の原因であろ一一人でもあれば、帰り道には連れ立って、家を出るように 0 させたいものだと虎松は思った。 その夕方は日没のあとタ焼雲が紅やオレンジや紫に滲み 閑話休題。 きようえん と かく あって、豪華な空の饗宴を海辺の宿の窓にもくりひろげた 兎も角市田虎松は鬼池の船着き場に上陸した時、白メリ わら ももひ、もめんじま ャスの股引に木綿縞の着物の裾を甲斐甲蛩しくからげ、草のに、夜中から雨が降り出して、風さえそれに交り、窓の どうらん 鞋がけという売薬行商のいでたちで、肩に薬を入れた胴乱外の柳の枝が風にさわいで、女の髪のように虎松の泊って いる窓を打った。 をかけていた。 なんぎ あだな 香港を出る時、前に天草へ来た仲間の一人、渾名を昇り「やれやれ、明日も雨だと、山歩きは難儀だな」 もめんぶとん あか と虎松はひとりごとを言って、垢じみた木綿蒲団のこち 龍の留と呼ばれる平田留次が、 からだ ごりようムたえ 「御領や一一江、高浜なんて海辺の船着きにや行かないことこち綿の凝っている上に身体をころがした。 だよ。からゆきが大分出ているところだけに、女もすれて眼が醒めた時は障子が明るくなっていた。天気の不機嫌 いるし、家のものも警戒して万事やりにくい。ちっと足をは今朝も全く癒ってはいなかったが、雨はやんでまだ柳の なび すく 使っても山の中へ入って行って世間づき合いの尠ない、ば髪をはらりはらりと窓に靡かせる荒い風がつづいていた。 っと出を連れて来なよ」 「下田の温泉へ行くのに、山越しの道はよっぽど悪かと ? 」 そむ ホンコン ゅうかい すそかいが さ なお にじ

4. 現代日本の文学 25 円地文子 佐多稲子集

およ ことごと さ、り 。山や丘地の凡そっくれるほどの陽当りの傾斜は悉くんで、結婚とは関係なしに情交することを「皿を割る」と 段畑になっていて、見た眼には緑のモ 1 ル縞を敷きつめた称して、男女とも恥じも隠しもしない風習があったし、下 ように美しいけれども、麦、栗、もろこしなど作るにして島東海岸浦内浦の入江内の崎津という漁港には一夜妻とい とま も、平地の畑に較べて労力を費す割に実入りの尠ないのはう売春の風習があって、そこへ泊りに来る客には、普通の民 せんたく 争えない事実である。 家の女達が泊っている間妻同様に洗濯物をしてくれたり、 まうじ したく 山には川が少い。その為に早魃の時以外も水利に不便食事の仕度をしてくれたりして、房事にも応じたという。 つくろ 人んいー で、作物の出来を損うことが多く、農家の貧しさは繕い得そういう雰囲気に育った娘たちは自分の故郷をあとにす ない損害を重ねてゆくのである。 ることにそれほどの執着を持たないし、若い女を一番臆病 こういう全体が貧しい土地ほど、貧富の差は烈しくなるにする肉体を犯される恐怖からも解放されているわけであ もので、天草にも富農や豪家はあるが、それらの富は小作る。男に対する漠然とした恐怖をそれほど強く意識してい れいさ、 百姓の零細な生活によって支えられていて、小作人の側はない若い女達は、貧しい狭い故郷からいきのよい魚のよう たび しい、もっとひろい、もっ 凶作の度に借金を多くして、いよいよ貧しくなって行くのに勢よくはね出して、何処でも、 が普通であった。 と住みよい土地に生きて行こうと無意識に希望しているの 貧農や漁師の娘たちはそうは言っても南国の太陽に浴みであった。密航師達はそういう女達の無意識な希望や憧景 し、海に囲まれた新鮮な空気を四季を通じて呼吸して育つを利用して巧みに彼らの網にすくい込む役を勤めるので、 へち だけに、雪に半年を閉ざされて過す東北の日本海側の僻地幸福な女を誘拐して不幸な売春婦に陥れたという場合は比 のように不健康ではなく、肌の色や髪の毛は赤らんでいて較的尠ないのであった。 も、年頃になれば胸や腰にはかたい肉づきが盛り上り、見誘拐者のポスであった勝沼貫太郎が自分が貧しい家の不 肌るからに健康な、肉体労働に耐え得る女がつくられてゆく幸な娘を海外に輸出して、彼女たちに生きる道を教え、同 のである。 時に故国へ送金させて、国家の為に外貨を獲得する役目を の おも びらゆう 彼女達の大部分に貞操観念などという持ち重りのする封果させたのは愛国の微衷に他ならないと、無法無道に大言 南 建道徳の押しつけられていないことも、海を越えて彼女達壮語したのも、女性の人権を認めないこの時代の九州男の っ 0 う を誘拐してゆく密航師たちには都合のよいことであった。正体を赤裸に現わしている。この小説の作者は自分も女性 村のにせがしら ( 青年 ) 達がこれそと思う娘の家へ忍びこである立場から、若い時であったら、勝沼貫太郎の人身売 かんばっ あわ すく

5. 現代日本の文学 25 円地文子 佐多稲子集

くがいお せっとう 苦界へ堕ちて行って、生涯明るい生活の出来ないことを心うに吐き出された。ハナは自分の窃盗罪について恐らくお 配して私に残して行ったお金によっているんです。その人ていが瀬戸からきかされていると思ったと同時に、もうこ り・こう は優れた人でしたけれども、私もその人と同じ苦しみを持の寮にはいられない。い られないなら、いっそ利ロぶって って及ばずながら、皆さんのお力になって来たのです。私自分達を見降ろしているようなあのおていを、いやという には夫があります。家事の用を捨てて、ヤスコさんと一緒ほどめつけて行ってやろうと腹を据えたのである。 ( ナ おんど にこうして皆さんのところへ来ているのも、どうかして皆は普段からこの一団の音頭取りで、主張のないおとなしい せんどう さんに手の職を持たせて上げたい、 一人前の手芸家にして女達を煽動する力を持っていた。 ちゅうらよ 上げたいと思うばかりで、自分のために何一つ利益を得て 男をひき入れたりすることをはじめは躊躇していた女た はいないんです。それだのに、この家が : : : 六井の好意でちも、 ( ナの煽動に乗って、いっか前の生活をくり返すよ あけて下さっているこの家が : : : 私娼窟だなんて言われるうに変って来た。娼婦として男に接して来た彼女達の中に なんて : : : 私は情けなくって、涙も出ないほどです」 は、奇妙な順応性と一緒に野性な暴力がひそんでいた。 おていの顔は熱して、電燈の光の下で美しく燃えてい 普段おていの言うことを素直にきいてよい職人になるこ かたす はず た。一同は固唾をのんでうっ向いたまま黙っていたが、そとを心がけていた筈のものまで、自分達の売春行為が暴露 の時、びつくりするほど、太いしわがれた声が、押し並んされたとなると、反動的に ( ナに味方する気勢に変って だ女の中から聞え出して来て、おていをぎよっとさせた。来た。 「何言っちよるんだよ、この狐女郎 ! おめえはおいども 「そうや、そうや」 皆を食いものにして自分の名売っちよるんじゃないかよ。 と他の一人の関西生れの三十女が調子づいて叫んだ。 、れい この間も邦字新聞の記者なここへ来て、おめえがこと、名「お為ごかししやがって : : : ちょっとばっかし、顔が綺麗 肌流夫人になりたがって慈善しちよる言うとったばい : : : 何だって、わてらと同じ女郎ゃないかよ。先生ぶったり、奥 だんな のじゃ。たかがイギリス人の麻布商人な旦那にしおったちゅさんぶったりやめといて貰いたいわ。何や、皆さんを真面 南うて、元は天草の土百姓が娘でねえかよ。勝沼貫太郎の妾目な生活にひき上げてあげたい : : : 生意気いうない : なしちょったこともあるごというもんもあるそ : : : 偉ぶん前かって、赤毛の旦那に首っ玉を抱かれて、なめたり乾か な。ャソの宣教師の真似なんそしおって : : : 」 したりされてるんやろが : : : 」 : こぎゃん綺麗な顔しとるけん、 そのどすぐろい声は築井ハナの金歯の口から墨を吐くよ「そうじゃ、そうじゃ : めかけ

6. 現代日本の文学 25 円地文子 佐多稲子集

人の眼も、昔ほど従順ではなくなって、気の荒い沖仲仕の利の獲得で外地へ日本人の発展して行く起点をつくること けんか 若い男がロシャ人の水夫と喧嘩をして、熊のような大男をが着々実行に移されて行くに従 0 て、戦争の傷痍から起き 海に投げこんだが、掛合いも来なかったというような自慢直ろうとする気組みが、内地人を精神的にも物質的にも進 話が町の人気を呼んだりした。 取的に導いて行った。 ■スケ 「露助になど負くるかい」 天草や島原から外地へ向けて密航して行く女の数は、こ からだ 「身体ばっかしでかくありよるばって、弱かことは張子のんな国内情勢のもとでいよいよ多くなって行った。土地の れいらよう ごとしじゃ」 ものは彼女達のことをからゆきさんと呼んで、冷嘲と尊敬 なか さっさと逃げるはロシャの兵 の相半ばする感情で彼女たちを見ていた。 死んでも守るは日本の兵 からゆきさんは強ち天草や島原の女には限らないのだ 子供達までそう歌って、戦争ごっこにも弱虫の子供を口が、比較的数の多いのと、外地での売春にも他の土地から つばみ 流れて行った女たちと違って、十七八歳の花の蕾のような シャ兵にして、後手に縛って歩いたりした。 ロシャという大国との戦争に勝って日本の国民は一時有時期に貞操を売ることに対する劣等感も持たず、生の情熱 ふてぎわ を金儲けや故郷の親への仕送りに傾けて、健康に恵まれた 頂天になった。ポーツマス条約の不手際の非を鳴らして、 かつら 東京で桂首相邸襲撃や交番の焼きうち事件の起ったのもそ心身を惜しげもなく男に与えるので、逢った男の側から言 らぎり の為であったが、実際には一一年に渉る出兵と軍費の負担にうと、一夜妻の行方さだめぬ契の中にも、暖められるなっ 耐えきれない土壇場まで来ての米国が仲介しての講和であかしさが残って、女は天草島原に限ると言われ、楼主や女 ほか ったから、日本側としてもそれほど強い要求は出せる筈はたちも外の土地の生れのものをさえ天草女に仕立てて客を よろこばせるのが半分習慣化した。言わば天草女の名はか ないのであった。 講和条約首席全権大使の小村寿太郎がアメリカへ向かうらゆきさんの代名詞になるほど有名になったのである。明 治の中期から大正の半ばまでに、からゆきさんの故郷へ送 時、桂首相が横浜へ見送りに来て、 はなばな 「行きの見送りは華々しいが、帰りはこうは行かんよ」金して来た金額は莫大なもので、その為に田地を買った たた と小村の肩を叩いて言ったという。 り、家を建てたりして、生活の楽になった父兄もどれだけ 実際、条約締結後の外交関係の不人気は予想以上であつあったか知れない。 こしき * ばしん たが、戊申詔書が出たり、韓国保護条約や南満洲鉄道の権金を貯めることに成功した彼女たちは時折故郷にを飾 わた はりこ はす

7. 現代日本の文学 25 円地文子 佐多稲子集

れんら ったかも知れない。勝沼は、彼女達に、愛国心や廉恥心の候で、楊柳の緑や仏桑花のうす紅の花も咲きまじっている 押し売りをしたが、そういう押しつけられた観念でも、彼山野には、狩猟用の「テージも、一一三設けられていて、一 あけがた 女達の多難な人生航路に時には愛国の情熱となり、時には夜をそこに寝て、暁方から銃の弾込めをし、朝靄の中を狩 その反撥となって何かの・ハックポーンを持たせる指針とは に出て行くこともあった。 なり得たからである。 その年、鳩の狩猟期に入って間もない頃、勝沼は懇意な ぜげん しようのうじゅうひ 閑話休題、勝沼はそういう訳で、今、容易に女衒的な役独逸人の大班から、樟脳と獣皮の大量な買い主として、今、 きようおう 割を捨てる気はなかったが、一方でゴムの栽培や雑貨店な香港に来ているシャム有数の富豪ビライバを鳩猟で饗応し こと どにも商売をひろげているので、外国人、殊にイギリス人、たいから接待に当ってくれないかという申込みを受けた。 独逸人、アメリカ人などと交際したい慾望を持っていた。 ビライ・ ( と言えば、聞えた富豪貴族をある。そんな人がど 彼は他の遊技で外国人と付合うことは出来なかったが、 うして、総督府や民政部を通さない微行で、香港に来たも その頃、九龍半島の山野でようやく盛んに流行して来た狩のか、彼と結ぶことがどれほど利益になるかを知っている 猟については、天草にいた頃、銃をかついで、山の鳥や兎勝沼は二つ返事で承知したが、その時、ラインホルトとい をうちに行った経験から、犬を使うことも知っているのう独逸人の大班にきくのを忘れなかった。 で、まず良質の猟大を数頭飼い馴らし、それを外国人の狩「どうでしよう、美しい日本娘が私のところに一人いるの 猟家に売ることをやって、狩猟クラ・フの会員にもぐり込んですが、売春婦ではありません。私の親類のもので教養も だ。高級軍人や官吏とはもとより付合えないが、中流以下あります。とも角その狩場へ、給仕に連れて行きましよう」 ばいべん の階級のものや銀行員、商社社員、大班 ( 支那人の売弁を「オー、それは大変いい考えだ。場合によっては、その娘 つか 使って個人営業している店主 ) などとはその娯楽を通じてさんは大変な好運をむかもしれない。われわれにとって もちろん つき合うことが出来た。 も勿論、非常にいい都合です」 ほとん 十二月から二月までは主に鳩の狩猟期である。 とラインホルトは言った。日清戦争以前まで殆どイギリ 香港島内の狩猟は禁じられているので、狩猟家達は対岸ス商人の独占地であった香港に、この頃ではフランス人、 さら・ の九龍へ船で渡って行き、それから更に馬車を雇って、木独逸人などの店が眼に見えて殖えて来ている。東洋の植民 こしたんたん込ばみが 草の密生した丘陵地帯の狩場へ出かけるのであった。十一一地に対して、いずれも虎視眈々と牙を磨いているこれらの すで 月と言っても、日本の三四月頃に相当する気温の温暖な季国は、既にドイツは膠州湾、フランスは広州湾を清国から はんばっ ころ ごろ かく ぶっそうげ もや こんい

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こうしょ ) の高級社員の間に、日本人の公娼を黙認して置くのは世界二にもなっているのだものとおていは思った。 の一等国たる日本の不名誉であるという声が叫ばれ出して「そう言えば勝沼さん、女郎屋の閉鎖も今度こそ本ものに いることが伝って来た。その声には昔女郎屋を経営して得なりそうですわね」 た財産で、ゴム山や椰子林を買って、今では一人前の事業「うん、そうのごたる」 家顔している出稼ぎ上りの紳士達も交っていた。 と勝沼は不服そうに言った。 々近く公娼廃止大演説会が開かれるという大正七年の「今にな 0 て役人や商社の連中、それにこの商売で一財産 おなご かた、 三月のある夜、勝沼貫太郎はおていの店をたずねて来た。 つくった奴らまでからゆきの女子どもば眼の敵にし居っ こくじよく いまさら ゼげん おていは窓際に扇風機を置いて、エグモンドに送るジャて、国辱じゃとぬかし居る : : : 今更おい一人を女衒のごと ひざ ンパーの毛糸編みにせっせと膝の上の編棒を動かしてい 悪く言えば、どぎゃんなりおると思っちよる : : : 」 た。 「勝沼さん、怒るのはおよしなさい。あなたの愛する国家 つめえり 勝沼は部屋へ入ると白麻の詰衿のボタンをさっさと取っのそれが方針なら仕方がないじゃありませんか。私はそう て、シャッ一枚になりながら、おていの手の編棒を見て、 いうことになる日が来たら、せめてゆきさんに預けられた ニャリと笑った。 お金で、勝沼さんの関係の女の人だけでも後の身の立つよ 「精の出るこっちゃのう。南洋じゃ冬でも毛糸のごたるもうにして上げたいと思いますよ」 の見ただけで、肌が汗を噴き出しよるが : : : 」 「さば、おいもそんこと、考えちょったところじゃ。金の 「イギリスは寒いんですって : : : 主人の今いるところは、 額にもよるこっちゃが、おいは証文巻いたあとの女子ども なおさら 北によっているというから猶更でしよう。私の編んだ毛糸な、内地に帰したところで使いものにならんのが多かろ思 を間に着ていると、スコッチの上物より、暖かいってこの う」 肌間の手紙に書いてありましたよ」 勝沼のいうことにも一理あるとおていは思った。おてい の「いい年して、のろけるもんじゃなかたい。この上暑うな自身も・ ( ンコックで五年も売春生活をしている中に知った りよったら、おいは生命がたまらん」 ことだが、若い時からこの生活に堕ちて、それによってし 南 じようだん ハンカチ そんな冗談を言いながら、半巾で汗を拭っている勝沼のか金を得る方法を知らない女達のあるものは、恐らく売春 頭も、前髪の毛が大分薄くなって、顔の寸が延びたように禁止と言われても他に生きて行く道はないに違いない。公 見える。この人ももう五十を過ぎた轡だ。自分がもう三十娼がなくなる替りには私娼が多くなる結果になるであろ でかせ

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「まだ時間は早いよ。ちょっと上っておいでなさい」 の旦那はこの頃シンガポ 1 ルにゴム山を買ったという話じ からだ 「じゃ、ちくとば坐らして貰うか」 ゃないか。その財産は皆、密航した女の身体から絞り出し あぶら 市田虎松は茶の間に通って、ビットコスキ 1 のあとの蒲た血と脂だものねえ。ポロい商売だよ」 とん すそ 団に羽織の裾をさばいて坐った。 蝶吉の話の中に出て来る勝沼貫太郎という男は島原の生 かっ 「蝶吉どんには土産ば、あるたい」 れで、若い頃は長崎へ出て、銘酒屋、青物担ぎ売り、人力 ムと ( ろ ねこ、た そういって懐から取出した小さい銀色の紙包みを猫穉車夫などあらゆる仕事をやった後、一一十歳前後で南方に雄 飛する夢を抱いて香港に渡った。そこで、宿屋を経営して の上に置いた。 「麻薬も年々税関がきびしかなって、持出すのも一役た いる前科者のホテルにしばらく勤めてみたが、英国人の手 いっかくせんきん 。あんたじゃなか相手なら、でかともうくるところを、 ・、たい資本で固められている香港では、一攫千金のような 惜しいことばい」 商売の容易になり立たないことに気づき、その後さまざま 蝶吉は刺青を痛がる客のために麻酔を用意しておくのだな数奇な生活をつづけた果てが、長崎を中心として島原、 ゅうかい 天草方面の貧しい農家の娘を誘拐して密航させ、香港でこ 「何を言っているんだな。虎さん、その替りにはおれが世れを買いに来るシンガポ 1 ル、カルカッタ、スマトラ、仏 話をした玉で見損ったのは今まで恐らく無いだろうが・ : 印、中国等の売春業者に売り渡し、同時に自分もシンガポ ーむすめ 生娘のよか女を香港まで何人運びこんだと思いなさる 1 ルにホテルを経営して、日本女を看板に客をとらせる事 だんな 勝沼の旦那だって、それは解っているだろうに : : : 」 業に成功した。 おな 0 「女子の輸出もなかなか難かしゅうなったばい。英国船の勝沼は自分が内地から輸出 ( 勝沼の言葉によれば ) して キャデナン 船長や事務長に支払うコンミッションだけでも莫大な金高来た女は三千人を超えると豪語し、それらの女達が故郷に おなご 肌たい。まず女子一人に六百円ばかかる : : : いよいよ客に出送金する金額は多くの外貨を日本内地に運び込む : : : 言わ こうけん すまでに漕ぎつけるツとにはな : : : 」 ば、国家的に大きな貢献をしている上に、内地を食いつめ の まじめ 虎松が真面目な顔をして言うのを、蝶吉は煙草の煙を輪た前科者も、南方に高飛びして来て、女郎屋や賭場の経 けっこう 南 に吹いて笑ってきいている。 営に当らせれば、結構有能な場合が多い。こういう風にし 「六百円かかったって、その金は皆、女郎の借金に被せちて、南方を基盤にして、日本人男女の世話をし、同時に日 まって、稼がせるんだから、唯のようなものだあね。勝沼本人会を創り出した自分は正に名利を度外した愛国者であ かせ ただ かわ かぶ ごろ

10. 現代日本の文学 25 円地文子 佐多稲子集

おていは戦争中に日本の土を踏もうと考えたが、いろいも南十字星の輝く南洋に劣らぬほど鮮明な青に冴え、油の ろな不便があって、実行出来ず、その替りに戸山ゆきにもような光沢にみちて照り輝いている。 コンス 出資して貰って、シンガポールの楊甫程の公司の一部に小 山地の小高いところに立って眺めると、水の上に木々を さな店を持っことにした。最初は広東や香港を通して入っ頂いた大小の小島の浮かんでいる海の眺めには、南洋には ししゅう おもむ て来る中国の刺繍布や麻布の取り次ぎのような商売であつ見られぬ優美な趣きがあって、こんな美しい風景に囲まれ たが、おていは日本の絹地の変った加工品を持って来て、 た島に住む人々の生活がこう貧しく、ひもじいものだと うそ 外国人に売り捌いたらきっと儲けのある仕事になるだろうは考えても嘘のようである。 と考えついた。店と言っても極く小さいもので、客筋にも おていは自分の家へ帰ってみた。父親は死んでいた。自 つら 馴染みをつくることに骨を折り、顧客さぎへはおてい自身分に昔辛く当った継母が頼みにしていた長男に戦死され 出かけて行って、品物を売るようにしていたので、一一三年て、空気のぬけた風船のように萎えし・ほみながら、次男と の間には外国人にもいい客が出来るようになった。何とい娘一人に田を耕させて貧しく暮らしを立てているのをおて っても楊甫程の公司が背後にあることも信用の一つであっ いは見た。離れていればあんな家などと強いて薄情らしく たが、それ以上におていの美しい容貌ときびきびした態度笑ってみるものの、来て見ればやつばりそのままにしては が商売をうまく運ばせているのは事実であった。おていは 置かれない。おていは借金を返してやったり田地をいくら 心の中でこうしてさまざまな国の人と商売を通して付合っ か買ったりして、継母が拝むように礼をいうのを、苦笑し ている中には、エグモンドの消息もきくことがあろうし、 ながら受けた。からゆきさんが故郷へ帰って札びらを切り ふんい、 売春生活を五年以上もつづけた雰囲気からも自然ぬけ出し肉親に威張りちらすという話を、南洋にいる時には滑穉に て行けそうなのがうれしいのであった。 思って笑ってきいていたが、故郷へ来てみれば、自分も同 まんざら 日露終戦から一一年後の明治四十年の五月、おていはやつじような成上りくさい真似をして、結構満更でもない気分 もちろん と故郷の天草へ帰って来ることが出来た。勿論商売用をかに浸っているではないか。 おわ : もル」 こつつば けているので、はじめに神戸へ寄って京都の織元などをま 油田ぎんの家へたずねて行って骨壺を渡すことにおてい わったあと、荷物をさきへ船で送って、久方ぶりに天草のは辛い義務を感じていたが、わが家から半里ほど離れた山 たにあい らようど 地を踏んだのである。 中の谷間にあるきんの家へ行って見た時、恰度きんの父親 すでうっとう 天草の五月は山の緑が既に鬱陶しいほど茂って、海も空は、裏の谷川の水車に乗って歌をうたいながら、米をつい つら こっ '