の指図をしたりしている彼女に、挨拶はしたけれど、そのる。本所請地にあったモスリン工場で強制帰国反対から 物とき彼女は何も言わず、だから私は気づかなかったので争議になったとき、小林とし江は、当時半非合法であった ある。 「全協」組合のオルグであった。外部から工場内の若い女 そして一段落ついたとき、彼女はそこに集まっている工員に働きかけていたとし江は、モスリンの女工員を連れ 五、六人のみんなにもう一度お茶をついでから、改めて私て私の家へ馳け込んできたこともあゑ総同盟系の組合幹 と向い合った。 部にあとをつけられたり、また刑事に追われたりしてい 「お忘れでしようか」 た。私はこの争議に、小林とし江を通じていくらかの関係 そう言うと、周囲をも見まわしていたずらつぼい笑顔にができ、自分でも争議中の e モス工場の周囲へ出かけてみ なった。まわりでは、彼女と私の間柄をすでに知っているたりした。このときの争議を私はあとで作品にしている。 いきさっ いろいろ経緯を説明してくれたのも小林とし江であった。 「え ? 」 彼女がいっから表面に姿を見せなくなったか、もうはっ と見つめながら私は答えられなかった。勝気そうな痩形きり覚えてはいない。その頃の私自身の生活が、あわただ の顔が笑いをとめて、 しさを加えてゆき、私の家も安全な場所ではなくなってい 「東京で、 e モスリン工場の争議のとき、お宅にもうかが った。それ以後の十数年、いわゆる日本の暗い時代から第 ったりしていた小林とし江です」 一一次大戦へと経過してゆき、その間は、人の生死も定めか かれつ ああ、と私は大きく言って、おもわず立ち上り、手を差ねる苛烈さであったし、私としても辛いおもいを残すとき し出した。 であった。極く近い友人のほかは、多くの人の消息も跡切 「まあ、小林とし江さん ? まあ、あなただったの」 れた。 にぎ 手を握り合いながら、私はおもわず涙を浮べそうになっ そして終戦になって、共産党員の釈放があり、新しい団 むぞうさ て対手を見つめた。無造作に髪を引っめた、働きものらし体などが結成されてゆくと、おもいがけず、講演会場など かくべっ い顔は、格別特長もないから、まざまざとおもい出すとい で昔の知人に再会することも何度か経験するようになっ う目あてもないが、その勝気そうな表情にかってのとし江た。だから小林とし江にそこでめぐり合うのも、そういう が浮び上ってきた。 事情のひとつにはちがいなかった。が私は、自分たちの婦 e モスリン工場の争議のときといえば、昭和五年であ人団体の中で出会ったのが小林とし江だと知ったとき、逢 あいさっ やせがた ころ
じゅっかい る。伊原とし江は、自分の言い出した話で一層、述懐的 ですけど、私のすることにはやかましいこと言いませんい になったらしかった。早口に急き込むように、まるで言っ の」 かかわ とし江がそう言った彼女の連れあいは、その話のとおりたあとからかき消すような調子で話し出したにも拘らず、 に見えた。今は男の子が三人いて、しつかりした主婦ぶりとし江は、あとをつづけた。 である。それは祝福していいことだった。 「昔の警察って、左翼は殺してもよかったんだから。ひど このような再会をして、それから今日までまた十数年経いことをしたもんよ。若い女には、それがどんなに辛いこ かわいそう つ。年に一回、ある年は二回、私が大阪へ行ったり、伊原とだったか、今考えると、自分が可哀想になるようなこと とし江が上京したりして、つきあいがつづいている。もつですよね。そういうおもいをしてきてるんですからね。そ とも私が大阪へ行ったときの宿泊は、その後はいろいろにれだって今、誰にも言えることじゃないわ。あのときだっ 変って、とし江の家を訪ねることもなかった。伊原とし江て、私、誰にも言えませんでしたよ」 の頭髪にも白い毛が見えるようになっている。しかし、お「可哀想に」 互いのつきあいが、婦人団体の仕事の上のことなので、彼「ええ、ほんとよ」 女はいつまでも、再会したときの印象のままだった。彼女とし江はそう言い切って、胸の中のおもいを追うらしく しばら ごうもん はここでも活動的であった。 暫く黙った。彼女にはそのときの拷問の場がおもい出され その彼女が今夜、今まで一度もそういうことに触れたこているのだろうか、そう察することは私には苦しかった。 こうりゅう とのない話を、いきなり口を衝いて出たようにしてしゃべ私も数十日の拘留で警察は知っているが、びんたを張られ ったのは、よほど心にうつ積するものがあったからなのた位で、拷問というほどの目にはあっていない。が、左翼 ぶじよく だ。まるで、ばっと着物を脱いで裸を示した鋭さであつの若い女が、刑事どもからどんな侮辱を受けてきたか、今 た。彼女が運動のある方針で、他の組織と対立してから、彼女が暗示的に話すことでもその察しはつく。私は、その その周囲で、まるで大きな邪魔もの呼ばわりされていると察しられる場が目のうらに見えてくるのを自分でさえぎる いうのを私も知っている。私は、それを不当なことだとおように彼女に言った。 もっている。だから私には、伊原とし江の衝動が、憤りと「もう、およしなさい」 ともに悲しみさえ混えているように感じられた。 「ええ、 しいえ、大丈夫よ」 夕食にビール一本ずつ飲んで、いささかの酔いが残って伊原とし江はそう答えてから、ふっと別のことを言い出
この私の受けこたえは、彼女には月並みに感じられたら した。 みぞぐら 「あなた、覚えていらっしやる。溝ロという人。やはり、 「ええ、ですけどね」 お宅にうかがったことがあるとおもうわ」 「覚えているわ」 とすぐ彼女は言い返した。が、ひとり言とも聞えるよう ああ、やはり伊原とし江は言い出した、とおもった。 な暗さがあった。私は、とし江がその心の中で闘っている が、とし江はさらっとつづけた。 ものをつかみかねた。 しばら 「あの人死にましたね」 暫くお互いに黙っていてから、やはり言い出すのはとし じろ 「知らなかった。いっ頃」 江であった。 うわさ 「私もあとで噂で聞いたんですけど、つかまって二年ほど「これも、お宅でのことよ。あなたは、やつばり忘れてお で出たあと、病気で亡くなったらしいんですよ」 しまいになったかしら」 ひなん 「あの人、あなたと仲がよかったんじゃないの」 はじめにそう問いかけた調子には、軽い批難が混じって 「もぐっているような生活でしたからね。それに若いし、 いた。が、彼女の次に言い出したことは、私もよく覚えて 二カ月ばかり一緒に暮していたこともあったんです。だか いることだった。むしろそれは私にも忘れられぬ、あると ら、あのひとは、私のことおこっていただろうとおもいまきのひとこまとなっている。だから、今夜、伊原とし江 すの。そんな話、あなたも知ってらっしやるんじゃないかの、いわば裸を見せられたときから、私はそれをおもい出 しら」 していたといってよかった。ただ、その場に、小林とし江 おや、そうだったろうか、と私はとし江の顔を見た。彼がいた、ということは、どうしてかすっかり私の念頭から 女は何かに対抗したような表情になっている。私は彼女をはずれてしまっていた。 と見ながら、かぶりを振った。 あ「私、知らないらしいわ」 はず 疵「ああ、そう。知ってらっしやるかとおもった。私、警察先に言うように私の若いとき、東京の北の端れに当る十 から出ると、あの人に連らくせずに郷里へ帰ってしまった条のわが家は、表から裏から、プロレタリア運動の活動家 のよ」 たちの立ち寄る場になっていた。何かの連らくでくるとき 「仕方がなかったのね」 があり、食事をしにくるときがあり、または一晩泊りにく
私、今でも、伊原にその疵の本当のこと、言うてません」 とし江は自分のうちの何かにつき動かされて、いきなり そこまでしやべってきて、しかもその衝動と、おもい出す ことの恥と怒りのために、急き込んだというふうであっ た。 私は、はっとして却って視線を上げることができなかっ た。私の家の茶の間にいて、一緒の夕飯を終えたところだ った。大阪に住んでいる伊原とし江が上京したときは、い つも私のところで泊ってゆく。一緒のおもい出があるから えんりよ 遠慮がなく、昔のこともよくしゃべり合っているつもりだ ことが・り ったが、今の話は初めて聞くことであった。事柄のせいで つら 当然なのかもしれない。昔話は、そんな辛いことにまで立 そのとき私たちは、私たちの間で共通の組織内のことにち入らないということもあったかとおもう。それは初めて 聞いてやはり、はっとなることであった。それを伊原とし ついて話していた。 江がおもわずしゃべったのは、彼女の現在のおもいで、彼 「そりゃあ、わたしだって」 と、伊原とし江が言ったのは、そういう話のつづきであ女自身に消えるはずのない意識の、証しをしたかったから にちがいない。 った。が、私はとし江の言い出した話が、はじめて聞くこ したうけ とであったし、やはりそれは印象につよくて、今まで話し伊原とし江は大阪に住んで、ある工場の下請で部品を作 る小工場の主婦であった。終戦後まもなく私が、自分の婦 とていたことを中断してしまったほどだ。 あそりゃあ、わたしだって、と言い出してからとし江は、人団体で主催した集会のために大阪へ行ったとき、久しぶ りの再会をした。 疵あとを、急き込んだように早口につづけた。 、ず 「昔、警察で乱暴された疵は、今でも残っているんです私ははじめ、彼女に気づかなかった。木造ビルの二階の よ。そういうおもいというもんは、消えることはないわ。狭い事務所で、今日の集会の世話役をして忙しそうに、こ れから会場へ持ってゆく小冊子を包んだり、若い人に何か だけど、そんな恥ずかしいこと、伊原にだって言えない。 疵あと かえ あか いそが
うれ うべくして逢ったとでもいうような感動で嬉しかったのでは、そこが、彼女たちの自分の持ち家だったからだろう。 同じ二階の板の間にドラム罐をおいて、そこが風呂場であ ある。その夜私の泊めてもらうのも、彼女の家だった。小 林とし江が伊原と姓が変って、家庭を持っていたその家った。捨て水がどこへ流れるのか、湯気でゆらぐローソク もちろん で、彼女の夫にも逢 0 たが、勿論、初対面であ 0 た。背ののあかりにあたりを見まわしながら、 0 て私は、座敷で ムうばう 高い、まだ青年らしい風貌を残している人だったが、はに風呂に入るような不安になったりした。 かみやとみえて無ロで、家の中のことは妻に任せていると しかし、とにかく伊原とし江は、如何にも主婦らしくし いうふうにみえた。妻の客人にはあまり自分は立ちいらなやきしやきと取り仕切って、だから仕合せそうであった。 いというようで、しかし迷惑がっては決していなかった。布を下げて間を区切った一方の部屋にやすませられてから 末の子ももう学校にあがっているという男の子ばかり三人も私は、おもいがけなく再会した伊原とし江の今日に祝福 いた。伊原とし江は、無ロな夫と男の子たちの世話をやいを感じ、人の生きてゆく道程というようなものを考えてい しあわ たりした。若い日のとし江は、左翼の運動に馳け歩いて、 て、仕合せそうに見えた。が、終戦後間もないとはいえ、 その家のすさまじさと、暮しぶりに大胆さみたいなものが警察の目をくぐっていた。考えてみると、白昼に、あたり かまわず彼女に逢うのは、そのときが最初かもしれなかっ あって、その印象も強かった。 西成区という所は町工場などの多いところらしい。焼けた。昔、私は彼女がどこに住んでいるのか知らなかった。 あとのまだあたりもがらんとしているときで、伊原とし江びそかに私を訪ねてきたとき、私は、自分の二枚の羽織の の家は、焼け残った工場あとか何かの建物であった。暗いうちの一枚を、彼女の肩にかけて帰したことがある。 空地を通って、建物の中へ入ると、そこも暗い板の階段をそういう昔のことをおもい出しているとき、ふっと心に 土足であがった。廊下も広く、可成り大きい建物だった浮ぶことがあった。あの当時、まだ小林とし江であった彼 カ一方の二部屋だけが彼女たちの住居になって、ラン。フ女には、恋人がいるのではなかったか、やはり、「全協」 あをつけていた。板の間に畳を別から持ってきて敷いたらしの活動をしていた溝ロという青年が、彼女の相手ではなか く、ごたごたした家財道具は周囲の板敷に重ねてある。今ったか。しかしそうだったとしても、今どうということで 疵 もない。 からおもえばそれは個人の住宅とはいえぬものだったし、 当時だとしても仮の住まいにちがいなかった。が、伊原と「うちのおとうちゃん、私が婦人団体の活動すること理解 し江がそういうことをちっとも気にしていないらしいのしてますの。あの人、エンジニヤですから、仕事一方の人 かん
けんか 「ほんとだろ。いっしょに入っていたものが出てきて話し「わたしは、あの日の帰り、溝ロと喧嘩したんですよ。私 たんだから」 は、あなたがあのとき、泣いておこったのを同感したんで す。男って、なんだろう、とおもったのよ。ほんとうにあ と、彼は、男同士、夫にだけ顔を向けて答えた。 のときそうおもったわー ふうん、と夫は言い 「奴ら、助平根性が強いからな。そりゃあ一種の変態性欲伊原とし江は冷たく見えるほど醒めた表情をしていた。 ひばし だよ。そういう場合は、強烈なもんだろう」 「私が警察で、焼け火箸を当てられるとき、彼と喧嘩した ぎんこく ひろ 惨酷な地獄図が、私の想像の中に展がるように、それはことが、夢だったかのように浮んでくるの。溝ロは、警察 夫たちの目の裏にも描き出されているにちがいなかった。 の奴らに、あんなことを許すのは、本人にも責任があると 次のことでそれは確かだった。 言ったんです。それは、その場に立ったことのない人間の しげき 「そうだな。それ以上の刺戟はないだろうからな」 考えね。自分が同じ目にあってそれがわかるの。そしてや ゆが 話し手の彼はそう言うと、奇妙に顔を歪め、くつくっとつばり、男の目ね。女って、なんて、口惜しいんでしょ 笑った。そして、私の夫の目が彼の笑いに同調して、にやう」 けた。 私は、伊原とし江が警察から出たとき、溝口に逢わずに ここまでくる間で硬直し切っていた私の神経は、夫の目郷里へ帰ってしまったことが、ようやくわかってきたよう がにやけたとたん電線が触れたみたいに、そこではじけだった。焼け火箸の跡の疵を負うて、とし江は、男に逢え た。私は自分でもおもいがけなく叫んだのである。 ようはずがなかったろう。そんな心理の糸もからんでいる うそ 「嘘ですよ。そんなこと嘘ですよ。そんな拷問なんて、な彼女の疵のあとが、三十数年後の今日、全く別の理由から かったのよ。そんな話して、なにがおもしろいのよ。そん明かされる。 となことなかったのよ」 話しつづけた伊原とし江は、何の証明にこの疵あとをさ あ夫は、ぎよとんとして私を見た。私の叫び出したわけがらしたかということを、つい忘れたらしかった。 げこう 「当時は、自分から逃げることばかり考えていましたん 疵つかめないらしかった。突然、激昻し出した私の様子は、 たしかにふだんにないものであった。私は座を立った。そよ。組織を裏切ったお・ほえはないから、それは救いでした けど、もう、おもい出しとうなかった。伊原との結婚が、 引こで泣き出すわけにゆかなかったのである。 それでしたのね。あの人、思想や、闘争いうことに関係の やっ くや
ない人ですねん。せやけど、いい人です。よう働いて、子 どもに優しいし」 夫のことを言うとき何故か関西弁になって、 「あの人、もう、大事にせんならん、とおもいます。私の 方は、伊原に対して、勝手ばかりしてるような気イします の。戦後になって、いろんな組織が動き出したとき、やっ ばり私、じっとしていられませんでしたもの。あんなに忘 れたいとおもうて、忘れてもいたところに、また飛びつい てしまって、この逸るような性質、何なんでしようね」 、ず 伊原とし江はこのとき、その逸る理由に、再び、疵のあ とを結びつけはしなかった。それは彼女の誇りが、拒否し たことかもしれなかった。 はや
るときもある。それは私の夫がやはり運動に関係しているか、この憎悪の実感の中でさえ何故あのように反れていっ からであったし、そういう仲間うちで家庭があるというのたのか、不可解なというより、それは私にとって、激しい も、私の家ぐらいであった。わが家は軍の工場の塀の外に衝撃であった。だから私もよく記憶している。 あり、王子、赤羽、と隣接した町には大工場が数えられ、 ある午後の、まだ陽の明るいときであった。いつものよ ここは私たちの活動にとって重要なひとつの場所であっ うに一「三人の仲間が来ていた。伊原とし江によれば、彼 こ 0 女と溝口がそこに居たという。が、この話を言い出したの 寄ってゆく若ものたちは、指導論文について語り合い は溝ロではない。もうひとりの男だ。それを私は覚えてい 日本の情勢について語り合 い、この地区の工場の手がかる。彼も私たちに親しい いわば信頼している活動家であ り、カン。ハニヤの方針、打合せ、と、すべての話題をそこ った。彼は、私たちの間でよく知られている若い婦人闘士 じうもん に集中していたと言ってよかった。そして、家の外に向っの名を言って、彼女がひどい拷問を受けた、という噂を出 ては始終きき耳を立てている。私たちにはすぐ分る刑事のしたのである。 くっ 靴音、こんちわア、という独特の重い声。だから私はその私はその婦人に逢ったことはない。が、みんなが名前を 刑事たちが廻ってくるとき、立ちはだかるように玄関の敷知っているほどの彼女は、清純な美少女のはずであった。 居ぎわに坐って、彼らの問いをいちいちはずさねばならな「ひどいことをするもんだねー い。刑事たちもまた、高圧的だったり、狎れ合い的に出た と前おきをしたとき、たしかに彼の視線にも憎悪がきら ぎた しつよう りして、うす汚なく執拗であった。私たち夫婦の寝ていためいていた。 部屋にどかどかと飛び込んだことも何度かあった。 「奴らね : : : 」 この頃の私にとって、階級対立の対手は先ず警察であっ と、彼は言い、その拷問の如何ようなものであったかを た。逮捕された仲間が、警察の中で、どんな仕打ちにあうしゃべり出した。それを具体的に説明するということは、 か、その数々の野ばんな行為は、私たちの間に知れわたっ まっぴる間の空気の中で異様なことになった。彼は、大き ていたし、経験されてもいた。だから、憎悪の実感がそこ な目をきよろんとさせ、しめった低い声で話した。彼は自 にあった。 分の説明する場面の生々しさに、ややひるんでいた。 だから、伊原とし江が自分もそのとき居合せた、という「ほんとなのかね」 そのとき、私たちの話が何故、そういうふうになったの と、私の夫が言う。 ころ やっ うわさ
ほくとっ 紅く見えた。勝沼はおていの不安と悲しみに煮られているず、朴訥らしく両手で涙を抑えて、 あふ 顔に、強い肉感の溢れ出るのを「よか女子じゃ、エグモン 「おていしゃん、あんたがそぎゃんいうは尨じゃ。おい ドがほれたももっともじゃ」と思って眺めた。すると勝沼も昨日の晩、青龍の。 ( ーサーが店に来るまで、エグモンド はや の眼から思いがけず、やさしげな涙がぼたりと落ちた。としゃんの香港に居らんことをゆめにも知らんと、早、おま めの眼がそれを憎らしげに眺めた。 んさを受取りに来そうなもんじゃ、預りもんば渡さんと気 とめは戸山ゆきの意外な高値の取引きに気をよくしてい がかりじゃととめとも言うとったんじゃ。昨夜の話だけで るところなので、おていに第二のゆきのような運命のめぐおまんさに話すも信用のなか話じや思って今日の朝、クイ って来ることは大賛成であった。勝沼がエグモンドからのンズロード の裏のエグモンド商会まで、おい自身行って来 連絡があった時男が立たぬと、 1 ンズに見えを切ったの たばい。店員は居るけん、御主人は商用で本国に帰らしつ もらろん は勿論、あの場限りのことで、彼の腹では、・ハーンズの言たというばい。もっしおまんさ、おいが言うこと信じられ みつぎもの ったような英国軍や行政官の上層部に、おていを貢物にしんじゃったら、一緒に行って見るがよか。おいもそうして て取入ることは、今後も香港から南洋を根拠にして発展しおまんさが驚いちよる顔みると、 いかにも不びんでのオ」 ようとするのに万事有利であることが解っているので、・ハ 勝沼の眼からこぼれる涙と鼻をつまらせた言葉をきいて まぶた 1 ンズに虎松の驚いたほど、多額の金を与えたのも、その いる中におていも驚いたり怒ったりするよりも、涙が瞼に 利権を独占するためだったのである。 溢れて来て、いつの間にか肩をふるわせてしやくり上げて とめもその話をきいて、大いに喜んだ。問題はおていの エグモンドに対する恋愛感情をどういう風に巧みに転換さ エグモンドが香港の港内に入ってから自分を抱きしめ せるか、そうして可成り気の強そうなおていをどういう風て、長いこと身体をより合せていた時のことが、思い出と 肌に操縦して、他の男に靡かせるかにあったが、勝沼がこん いうにはあまりに生々しく、唇や乳房や子宮にまで響いて のな場合、女に対して、妙に甘くなり、他へ売って利益を得来て、そのどの部分も、自分の生ま身を切り裂かれたよう 南なければならない女を、自分の所有にしてしまうような例な痛みに縮み、のたうっていた。 だま を、とめはいく度もみているので、今度の場合も、その危「のオ、おいが騙しているのでも、まして、エグモンドし 幻険を多分に感じていた。 ゃんがおまんさを騙しているのでもなか : : : なあおていし 勝沼はとめの針の通った眼が監視しているのも気づかやん、これが世の中ちゅうもんじゃ。日本から密航して来 なび わか ホンコン おさ