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検索対象: 現代日本の文学 25 円地文子 佐多稲子集
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1. 現代日本の文学 25 円地文子 佐多稲子集

りは母がするだろう。ああ、私はいよいよ娘さんになっ 私は母になる人とおじぎをした。向うは他所から来た かっこう 人、私はこの家にいた人間、それで何となしに私の方に余た。・、、、 カ思し出すと、初めて見た時の母の恰好はおかしかっ こじゅうと 裕があって、私は妙で仕方がない。私は小姑みたいに見えた。 るのではないかしら。 ひとりで、蒲団の中で、くるくると身体を廻すようにし さっそく せん て、のびやかに私は眠った。 私は早速、すき焼の支度を持ち出してお膳を出した。 、げん 父は、思ったよりも機嫌がよかった。 「ひとっ仲よくやってくれんか。桃代は裁縫でも習うんだ な。とても裁縫が出来るんだそうだから」 あんなにぶぎっちょに肥って見えた母は、みるみるうち 父がそう言っても、お嫁さんは黙っているので私が返事に、一カ月も経たぬうちに、すっきりしていった。 まるまげ をした。 花嫁姿のときの彼女はきっと、結いなれぬ丸髷や、人に かっこう 「どうぞ、よろしく」 着せて貰った腰高の帯などの恰好が、自分にそぐわないと するとお嫁さんは、笑いもせずに、 知りながらどうにもならず、まるで自分の姿を放り出し 「そんなに出来はしません」 て、そのために一層妙ちくりんになっていた、という風な びん と、標準語で言った。 のであったらしい。人の手で張り出された鬢の恰好も収拾 コ一人は幾つ違うんだ。勝ッあんが一一十七で、桃代が十六がっかないものだから、自つばちになって借り物をのつ ちょうど だから丁度十一違うたい」 けたようにしてそのまま人前にさらしてしまった、という と、父は言った。新しく母になる人は、勝という名前なような。 そくはっ ひとえ のである。 彼女が束髪に結い直して、きっちり不断の単衣をきる いなか ゆた 母と私も父にさされて少しお酒をのんだ。 と、如何にも女学校を出た田舎の、あまり裕かではない家 その夜から、私はひとりで階下の座敷へ寝るようになつの働きものの老嬢の面影が出てくるのだった。上向きの低 い鼻も、彼女がさつばりと笑う時出るきれいな歯並びの美 「あああ」 しさで、目立たなくなった。彼女は身軽に、大まかに働い と、私は久しぶりにのびのびとするような気持であっ た。縁側など洗うように拭いた。とにかく家の中はさつば た。私はもう父に気兼ねをする必要はない。父のご機嫌とりしていった。私は少しはずかしかった。 い ムとん からだ

2. 現代日本の文学 25 円地文子 佐多稲子集

「もう一つ、ここにおはん達に頼みたいことなあるばい・ 服も脱がせられずて、御苦労遊ばされちよる : : : 有難いこ おとこ こればかりはどぎゃん、偉か漢でも勤めることは出来ん御 昭とではないか」 げつこう 話している中に勝沼は自分の言葉に激昻してはらはらと奉公たい。外でもなか。おはんたちのところな来る客に 涙を降りこ・ほすと、居並ぶ女たちも、手や半巾を顔におしは、イギリス人、シナ人、フランス人、その他ジャワ、イ 当てて、すすり泣きの声を立てている。 ンド、シャムと色んな人種がある。そんの外国人の話の中 「社長さん、わし、こん金、国へ来月送金する分ですけで何かロシャに関する秘密らしかこと、片はしでもきいた ん、戦争の方へ、まわして使って下しゃい」 ら、話の糸な手ぐり出して、おいに話してくるることじゃ。 さっき戦局についてききたが 0 た女の一人がまず、飃戦争には敵国をス。 ( イすることが何より必要なんじゃ。ほ さい人 の財布から数枚のポンド紙幣をとり出して、勝沼の前に置ん、つまらんことのごとあっても、そいが大きに敵を亡ぼ す手だてとなる場合も多か。よう、頼んだぞ。もっし、お はん達が密告によって、日本軍が利を得ることなあれば、 「おいは指輪出すばい。これジルコンたい。台は十四金で * 、んしくんしよう 金鵄勲章にも劣らぬじゃ」 すばい」 もろ 「社長さん、大丈夫とです」 「おいのは黒真珠たい。セイロン人のお客に貰うたのを、 「気いつけますばい : 大事にしとったけん : : : この際じゃ、是非もなか : : : 」 しようム 娼婦たちは彼女たち特有の勇気を持って、金目の品々を「お国の為な骨折りまっす」 と彼女たちは、口々に誓うように言った。 勝沼の前に並べた。 こうふん 「ありがとう、ありがとう、かたじけなか : : : 日頃、日本勝沼が、娼婦達に愛国心を説く一幕に昻奮した顔のまま 国をふりまわして、手広く商売ばしとるやつばらがこの一部屋を出て行こうとした時、笠松みつよが側へよって来て 大事の折に金銭ば出し渋るに引きかえて、おはん達の純真声をかけた。 「勝沼しゃん、そぎゃん、愛国運動に熱心なら、戸山ゆき な愛国心に勝沼はうたれ申すそ」 勝沼は元来泣き男なので、こんな時ふんだんに涙をふりしゃんのとこな、行って見なさい。あん人こそ、楊甫程の うわさ こ・ほすのが自分にも愉快であった。娼婦達の金や品物を一 二号夫人で飛ぶ鳥落す勢いう尊じゃなかとか」 また 通りうけとって、幾度も辞儀してから、彼は又、あらため「うん、おいもそいを一番に思っとる : : : どうじゃ、おは て言った。 んも一緒に行かんかな。楊の別荘な宮殿のごと立派じゃと かね ( ンカチ ひごろ ありがた ほか

3. 現代日本の文学 25 円地文子 佐多稲子集

すく ムと 十歳くらいの肥り気味の人で、別にとり立てていうところあの瞬間は、何かに射竦められたように、全感情がぼかん Ⅷのない普通の人で、花嫁さんらしい囀やかさも見えなかっとしてしまったのであろう。何故私は川瀬のそばから逃げ た。どうしてみんな、普通の奥さんを持ってしまうのであ出してしまわなかったのであろう。あの山のしーんとした みりよう ろう、と、私はまたしても思った。もう、三宅という人に空気が私を魅了してしまったのであろうか。川瀬と二人き しば ムんい、 も、前にあんなに駈け出したりするような熱情は、私の中りでいるということが、私を不思議な雰囲気に縛りつけた に残っていなかったけれど、その人の出勤してゆくうしろのであろうか。そしてあの時の川瀬のくるくるっと変った 姿などを見ていると、私のあんな気持など知らなかったのあの表情が私を射すくめたのであろうか。何故私は逃げ出 さび であろう、と妙に淋しいものもあるのだった。もしこの人しては悪いだろうなど思ったのであろうか。 がまだ奥さんを持っていなかったならば、私は、あの熱情そういうことを考える時がある、と人は私を想像したで をまだ抱きつづけただろうか。私の方にたとえあのようなあろうか。私は、曇り日の、風の吹く日も足袋をはかず、 村の路を、エルと駈けっこをして歩いていた。昨年の夏の 変化があったとしても。 とかく そんなことは分らなかった。兎に角、その人はもう奥さ私のとり澄ましようは、私の物真似だったのであろう。少 んを持っていたから。私には、人を好きになるということ女はすぐ人真似をするものだから。 は、つまりお嫁さんになることなのであったらしい。それ私は、風に素足をさらして、小犬と息を切らしながら駈 以外の恋愛の場面などというものは、私には想像出来なかけっこをして歩いたが、村の若い衆たちが、そんな私に目 った。これは、私が恋愛を健全に考えているなどというこをつけ、彼らの集まっている運送屋の角を通る時、 「ホ、素足のむすめがゆくそい」 とではなくて、娘に対する世間の目を忠実に、自分の考え と、囁くのを聞いた。 としていたのにすぎない。それでいて私の明らさまな姿 は、も 0 と激しい人間のいわば野性的な衝動に、そして私素足のむすめ、私は素足のむすめなのか、自分では、た 自身はまだ何らそのような慾求もなしに、巻き込まれたのだ足袋がうるさくて、素足でいるのだが、それは、人には おかしく見えるらしかった。この綽名は、何か私にいじら である。 あらあら 私はあの時の、ぽかんとした自分の気持をときどき考えしく思われた。野育ちの、粗々しい自分の姿を、外から見 ることがあった。あんなに取り澄ますことも知っていたるように思った。 あののち、私は川瀬に逢っていなかった。すると日曜の し、人の蔑を感じることも出来た私だったのに、何故、 ささや たび

4. 現代日本の文学 25 円地文子 佐多稲子集

どうこう きに出て、幾代は満足していた。下働きでも毎月、母親に はじめ、瞳孔のひらいてゆくような不安な表情をした。 送金できるだけの給料があったし、少額ながら貯金もして 「こんな電報がきたんですけども」 こうかっ 主人の前へ出てそう言うと、主人は狡猾に目を働かせ とうじ た。主人の疑いは大勢の使用人との関係で身についた警戒幾代は給料を貯めて、一度は母親を湯治に出したい、と から出たものだったが、幾代あての電報が嘘ではないらしおもっていた。郷里の母親は、旅館の女主人と同年齢だと まんちゃく いとわかったあとも、不人情を言葉の上で瞞着しながら、 いうのが信じられないほど老けていた。幾代が中学生のと ふきげん 判ば威圧を加えてまざまざと不機嫌になった。それはこのき、入善の紡績工場に働いている姉からの送金で、母親は おおぶろし、 多忙な時期に、使用人を失いたくないという本心をさらす一度湯治に出かけた。湯治といいながら、大風呂敷いつば ものだった。 つくろいものの衣類を包み込んで持って出たが、たっ 、とく 「次の電報を待つんだね。ほんとに危篤なら、今から帰った四、五日の湯治から帰ってきたときは、見ちがえるほ ど、母親は若がえっていた。腰も伸びて見えた。普段は、 たって富山までじゃ、間に合やしないよ」 家の中でも腰を曲げた姿勢をしていた。幾代がまだ小さい 「はい」 そう答えるしかなかった幾代を、寸時も立ちどまらせるときから母親はそんなふうに腰を曲げていた。それは年齢 のせいというよりは、生活の習慣でそうなったというもの すきを与えず台所の仕事が追いかけた。 ほお えっちゅうかまがふち 越中釜ケ淵の農家から幾代がこの神田小川町の旅館に働だった。それが湯治から帰ってくると、頬が光って、色が 白くなっていた。 きに出たのは、一昨年の冬だった。主人が同郷の縁故で、 それ以来、母親のたのしいおもい出話は湯治のことにき この旅館の下働きに住みこんだ。 まってしまった。湯につかって、三年はたしかに生きのび 「お前さんも脚さえ悪くなきゃね」 からだ た、といい、宿の広間にかかった旅まわりの芝居を一一晩っ と、主人は幾代の身体を哀れむように見まわした。 ーを . し づけて見たことも忘れられないらしい。ひとりでじいっと 水そういうときも幾代は優しい微笑を浮べているだけだっ縫物をしているときなども、母親はひそかにおもい出して いるのかもしれなかった。そばで宿題をしているとき、ふ 幾代は左脚が少し短かった。そのために近くの紡績会社いにそれを話しかけられたりしたことで、幾代はそうおも を希望したときも採用にならなかった。が、この旅館に働うのであった。 あし

5. 現代日本の文学 25 円地文子 佐多稲子集

318 らようど りの言葉を反対も出来ず、ただあまりずけずけ言うのを自はらんでいた。う日中は暑いくらいだったが、丁度出勤 ひとと 分で受けとめるように神妙な表情で縁側に坐っていた。私時間の過ぎた静かな一刻で、まだ主人は店に出ていない八 ねぎ は別にそれは聞えなかったように静かに起き出るのであっ百屋の店先に大根や、青い葱などばらりとおいてあるのが たが、心の中では、父親が私に早起きさせようとだけで階冷え冷えとして、狭い横町で遊んでいる小さい子供たちも 下へ寝かせるのではないんだ、もっと複雑なんだ、と、老荒々しい声など上げないでひっそりと何かしている、そん ちょうしよう 婆の言葉を、いい気味だ、というように嘲笑するのであな時間であった。 風が顔に当り、クリ 1 ムの匂いが鼻の先にただようので そんな中で、私はやはり私だけの心の生活を、恣いままあった。私は浜の方へ向かってすがすがしく歩いていた。 ひろ らようど にくり展げていた。私の心の中の生活には、好きな男性角へきて、ふと横町を見ると、丁度裏どおりの角を、今、 ほら・・りつ たばこす が、一一人、三人と出来ていた。私は自分で自分の放埒さに一人の黄色い服の男が急ぎ足に通り過ぎながら煙草の喫い あき 呆れることがあった。これらの男たちのひとりが、もし私殻をぼい、と捨てるのを見た。 ほおし をお嫁さんに欲しい、というならば、私は喜んでゆくだろ頬の締まった細手の横顔、ちょっと肩を上げるようにし からだ う、そう思い、空想の中で私は自分をその男たちに結びった身体、あ、三宅さんだ、と思った。それは私の好きな顔 けるのであった。おかしなもので、結びつけると言っての男であった。きっと彼は朝寝坊をして遅刻をし、今急ぎ も、ただ一一人で生活をしたり、並んで歩いたり、というよ足に出勤するところなのにちがいなかった。 うな表面的なことだけにすぎなかったけれど、私はひとり彼は裏手の道を歩いている。私はこちらの道、丁度並行 かいしゃ の部屋にいて、父の造船所である大きな外国の船を造ったした二本の道をどちらも浜の方へ歩いているのだが、彼は ときの記念に写された、社員全部の並んでいる大きな写真きっとこちらへは曲って来ずに、まっ直ぐに行ってしまう のが を出しては、それを眺めるのであった。そして自分もまにちがいない。私は、どうしてもこの機会を逃してしまう た、その男たちに顔を見られたい、という欲求を強く持っことは出来なかった。私はいきなり駈け出した。彼が次の ていた。 曲り角へくるまでに、私は先廻りをしようと思ったのであ ある朝、私はちょっとした買物があって、というよりもる。彼が向うの通りを一本歩く間、私はこちらの道を駈け かぎがた ただ何となく町を歩きたい気持で家を出た。よく晴れた朝抜け、鈎形に横町をも通り過ぎて、そこの角で、偶然行き で、低い町の上に蒼く展が 0 ている空は親しい感じで陽を合 0 たようなに彼と顔を合わせるつもりなのであ 0 あお にお

6. 現代日本の文学 25 円地文子 佐多稲子集

出世したんじゃなかか : : : おいははじめつから、おめえの 顔さ気に食わんか 0 たど」 復活 言いながら、ハナは突然立上ると、おていの横顔に平手 打ちを食わせた。 「あツ、何をするの : : : 」 おていが六井の倉庫で、教え子の売春婦あがりの女達に からだ おていはその手を担んで烈しく引いたのでハナの身体は暴行されたことはその翌日、英字、邦字の両新聞の紙面を おていと重なって畳にころがった。 賑わしてシンガポール中の評判になった。 ねんぎ だっ 「わアッ、このあま ! おいを引き倒したぞ : : : こいつ、 おていの受けた傷は、顔や肩の打撲傷、手足の捻挫、脱 ひど 込ゅう このまま逃がすと皆警察へ引っぱられるそ」 臼など数種類であったが、一番酷かったのは、背中を踏み ろくまく ハナは倒れる拍子におていの胴に抱きついて、離れない つけられた為に引き起した肋膜炎で、おていの外傷の癒っ ままに叫んだ。 た後も一一三ヶ月、病院生活をしなければならなかった。 「それ、のしてしまえ」 エグモンドは妻の献身的な救済事業が、全く裏腹な報復 づら たた 「生意気な奥さん面するあまを叩きのめしてやれ ! 」 を受けたことを、悲しむより憎む気持ちが強かった。彼は あとは皆もう何を言っているのかしているのかわからな英国の官憲に頼んで、おていに暴行を働いた主犯の築井ハ 、ようかんあらし もら ゆくえ い混乱、叫喚の嵐の中で、女たちはおてい一人を取り囲んナの行方を厳重に捜査して貰ったが、他の半分以上の者が よう で、髪の毛を撼んで引きずったり、洋服を剥ぎとって丸裸逮捕された後でも、ハナの行方は杳として知れなかった。 ばっぴょう にしたり、手取り足取り宙に押し上げては投げ落したり、 恐らくあの晩の中に、抜錨した汽船の船底へでももぐりこ もてあそさいな 狂ったように弄び苛んでは声を上げて笑った。 んだか、中国人の荷船にでも隠れたかであろうと言われ 寮から少し離れたところに待っていた腕車の苦力があまた。 つかま りの騒ぎに近よって、中をのそき込んだ時、おていは半死捕った売春婦達は皆、その場の出来心でハナにそそのか 半生で畳の上に横たわっていた。 されて暴行を働いたが、今ではおていに対してすまないと たた ようまう 戸を叩く音をきいて狂っていた女たちは一斉にそこを飛思っていると申立てた。おていの容の美しさや、夫を持 せんほうしっと び出して、荷物をからけ、魔女のように寮から四散して行って、豊かに暮らしていることへの、無自覚な羨望や嫉妬 が、彼女達の内に動いていたには違いないが、それ以外に いっせい にぎ なお

7. 現代日本の文学 25 円地文子 佐多稲子集

りをつけてみるまでもなく、うまく行く筈はないし、悪く た人が出て来るから店を出にくくなると言ってるのさ。な すると藪にな 0 て警察に密告ぐらいしかねねえからね」あに、一日や二日のことならうちで何とでもしてかくまう 「そらいかん、絶対にいかん : : : 」 けれどもね : : : 船の方が早く何とかならないとねえ : : : 」 と虎松は手を振った。 夫婦がかわりがわり話すのを虎松は一々うなずいてきい 「しかし次の船となると、半月以上さきになるからね : ていたが、やがて、大きい手を・ハサリとうち合わせて、 私もそれで、やきもきして、お前さんの帰りを待っていた「よか、よか : : : 思案のついた」 のさ」 と言った。 「それにね、虎さん」 「おていともう一人の女郎ばここへ来たら一一三日おぬしの ながーせる 長煙管で一服していたおさくも横からロを入れた。 才覚でかくもうて貰おうば、。、 船のこたラブラタの出けん 「船の方ばかりじゃないんだよ。このところ、妙に警察が場合ば思案して、ロ之津から十一月はじめに出るイギリス 密航に眼をつけ出してね : : : 多分この間中、新聞が人身売船ば渡りつけてありよる : : : なんせ、今度の密航な島原九 買とか何とかつづきもので書き立てていた為だと思うんだ人、天草五人、 : : : そんにここの二人加えれば、十六人の が、お前さんも知っている五島町の政さんね。あの人がこ娘ば連れ行かなならん : : : 」 「そりゃなかなか大仕事だ : : : 島原で又よく集ったねえ、 の間中あげられて、大分ひつばたかれたらしいんだよ」 ホーカーのうまい男な。ほオ、そらそんなに : 「五島の政ちゅうは、 : いかん : : : あやっ、機密ば洩らすごたこと、せんじゃった「今年は不作で百姓ばみな息つきよる : : : 娘貰う替りに十 かのオ」 円ばっかしくれたとこ、拝みよった親爺やおかかどんもあ 「そりゃあれも男だもの : : : 仲間の迷惑になるような泥はりよったじゃ」 ただ しゅ ) 吐かなかったらしいよ。唯、それ以来、警察の探偵が海岸「そうだろうねえ。十円と言えばあの衆には大金だもの 近くの町に入りこんでいる様子だから、おていやおきんを 連れ出すのにも余っぽど気をつけないといけないと思って おさくがそう言って笑った時、台所の水口の戸をがたご さ」 とあける音がして、 「ところがお前さん : : : おていは今夜、おきんを誘って、 「おじしゃん : : : おうちとですか」 家を出て来るというんだよ。月がかわると、天草から知っ という若い女の弾んだ声が聞えた。 はず おやじ また

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418 「別に上部へ報告する。というようなものではありません寝場所だから、彼女を無視して自分の寝床を作るよりほか わ。私たちは自分の仕事の性質で、どこからでも呼ばれるしようがない。彼の手早く寝仕度をする物音を、彼女はう ことがあるし、それは、呼ばれてゆけば私の立場なりに話しろに聞いていた。そしてまもなく彼女も寝入った。 をしますけれど」 朝、彼女はひっそりと起き出た。階下では妻君と長女が 「はあ、そうですか」 もう起きていた。 どうもよくわからない、という顔で、ひとり考えていた「あら、御飯はよかったのに」 が、わからない面が出ただけに、彼の把握しているものと と、仕度の出来ているのにそう言うと、 ちがうものにおもわれたらしく、彼は言い出した。 「だってあなた、御飯ぐらい、食べていって下さいよ」 しよくぜん 「ま、とにかくですね、今この時分になって、出て行って その食膳には玉子がついていた。長女はときどきひかえ えんりよ もらうわけにもゆかんでしようから、仕方がないですよ。 めに微笑して、しかし何か話しかけるのは遠慮するという しかし明朝は、早く帰られるでしようね」 ように見えた。長女も、党内問題を知っているからだ。 駅へはすぐだからと、彼女が辞退するのを押して、妻君 「どうもありがとう。御迷惑をかけてすみませんでした」 子どもたちのそばに横になっている妻君も、この結末をが駅までついて来た。 あらかじめ知っていたかもしれない。が、その成ゆきには「若い人たちはねえ、一本気だから」 はし 0 だん 耳を澄ましていたにちがいない。梯子段を登りながら彼女と、彼女は昨夜のことを取りなしていた。 は、自然な成ゆきに運んでくれた地区委員の青年に、素直「まあ、あの人は、ああ言う必要があったでしよう、だ、 かえ な好意を感じていた。壁に向いてふとんに入りながら、こら私、何でもありませんわ。却って気の毒したとおもう」 れはこれとして納得ができる、という気がした。しかしそ と、彼女は答えた。早朝の駅前は、工場への出勤者など れにしても、自分たちが、つまり今日のこととして言えが急いでいるほか、売店もようやく今店をあけ始めて こ 0 ば、この家の妻君も、地区委員の青年も、そして彼女も、 つら こんな微妙な辛いおもいをしなければならぬ、ということ「そりやまあ、あの人は責任があるで工、しかたがないん は、どういうことだろう、と考えた。何かがどっかでちがでしよう」 っている、やはりそういうふうにしか考えられない。梯子「お父さんのお留守で申しわけなかったけど、よろしく言 段を上ってくる足音。地区委員の青年は、この部屋が彼のって下さい」 はあく るす

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て行きたいとおていは思っていた。 なくなったら、日本の役所か商社に頼んで見たらどうだろ しようふ 勝沼の事業は勝沼の死後、妻も子も正式にきまっていな う。娼婦をやめろと言う以上、それに替る仕事を斡旋する かった為、あちこちから出て来た女達や、古くからいる乾のは国として当然です。しかし実際にはなかなかうまく行 こと 分などの財産争いで結局めちやめちゃになってしまった。 かない : ・ : 殊にシンガポ 1 ルのような出さきでは、役人は ようさん 料理店やホテルなどの他にもゴム山や、奥地の養蚕など外国との関係ばかり気にして、自分の国民のことは思いの にも、勝沼は手をひろげていたが、数ヶ月の後、日本から外冷淡なものだ。よろしい。私が英国の民政官に話して見 彼の息子だと名のる青年が遺産の分配を受ける目的で訪ねよう。日本の商社あたりで骨を折ればそういう場所ぐらい ムくそう はず て来た時には、相続人や債権者が輻輳して裁判所でも収拾ないことはない筈です」 がっかず、困っている中にその青年自身悪性のマラリヤにそれは確かに有力な援助であるに違いなかった。エグモ さっそく 罹って死んでしまった。 ンドは、早速、懇意な民政官を訪ねて、妻の望みを叶える 一説には勝沼の財産を横領した新興ポスの手先きがそのことを依頼した。 あんあんり 青年を暗々裡に殺したとも言われるが、外地のことではあ「それは立派なことだが : : : ジョージ」 ち力しー いのち かんば り、治外法権のような生命知らずの無頼漢がはびこってい と懇意なその役人はウエストミンスターの芳しい強い香 る支那街やマレー街などには、英国の警察は踏み入って調りを、金口の煙の煙から吐き出しながら言った。 また べようとしないのであった。 「実際にはその女達の八九割まで、又、元の・ヘッド専門の 職業に帰って行くだろうと私は思うよ」 たいてい わか 「そう、私も大抵行く先きは解っているような気がする こんな風にもろくつぶされてしまった勝沼の事業の中、 ・ : しかし、私は私の妻の情熱と死んだ友達への約束を尊 せめて自然消減になった青楼の女たちだけでも、戸山ゆき 重してやりたいので : : : あなたも知っている通り、妻は私 に勝沼が約したことを実行させたいとおていは思った。 おていはそのことについてエグモンドに相談してみた。 を待って十年以上も一人でこのシンガポールに暮らして来 た志操の堅い女だからねー 「うん、あなたがゆきさんと勝沼さんとに約東したことな ら、それをやり遂げないのはよくない。希望のあるものは「君のいうことは解るよ。兎も角、日本側へはジョージ・ 引取って手に職をつけるように指導したらいいでしよう。 エグモンド氏夫妻の好意的な申出でということにして、こ 勝沼が死んで、部屋を提供すると言ったことが、実行出来の話をすすめて見よう」 かか うち ほか ( んい とかく あっせん かな

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- 第物をを第第 上まで這い上って建てられているが、佐多氏が移って 行ったころは、「樹木の茂った山の上」であった。若宮 さんという稲荷の社があって、赤い鳥居が幾つもつづ いてだんだん登りになっていた。この稲荷社は、私も よく覚えている。赤い鳥居のトンネルをくぐって登っ て行くのが、子供ごころには何となく不気味であった。 きっぬ 佐多さんもまた、「赤い鳥居や、若宮さんの狐の話の何 となくおそろしい印象もあるのであろう、長崎の町に そこだけはひんやりとしている」という。この「ひん やり」という印象は、やはり長崎に住んでいて、この 近くを学校の往き還りに通ったことのある私には、少 年の感覚としてよく分るのである。この稲荷の祭の奉 納踊は、竹の芸といって、笛やチャルメラなどのにぎ はやし かるわざ やかな囃子に乗って、高い竹棹の上で演ぜられる軽業 的な珍芸だそうだが、私は見たことがない 伊良林には長くはいないで、間もなく東中町に移っ 一体佐多氏は長崎で何回引っ越したのだろ う。「私の長崎地図」を読むと、佐多氏自身はっきり数 えきれないらしい。若い父と母との生活の不安定を、 これは物語っているようだ。 八百屋町、伊良林町、十人町、出来大工町、東中町、 西山、瀬の脇、上筑後町、馬町など、転々として、 学五年生のとき長崎を引き上げて、東京へ出なければ たけざお