勝沼 - みる会図書館


検索対象: 現代日本の文学 25 円地文子 佐多稲子集
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1. 現代日本の文学 25 円地文子 佐多稲子集

のオ」 ったのも、楊のような富豪の世話になったればこそだと勝 と勝沼は頭をかきながら言った。何じゃ、百姓の小娘上沼は思った。 りの癖にお高くとまるなと言ってやりたかったが、軟らか「おいも一昨年から香港ば引き払ってこっちへ落ちついた しゃ な紗のような白い薄地の襞の多い絹に、つつまれたゆきのけん、あんたのとこば訪おうと思いながら、おッャ婆さん びん 姿は、いっかこの地へ立ちょった時かいま見た西本願寺連もなくなったで、便がのうてのオ」 枝の有名な美人によく似ていて、貴族的な品格が勝沼を圧「ええ、あのお婆さん死にました。私はあの人にも憎しみ 倒するのであった。 を持っていますけれど、見舞いには行きました。子宮癌だ ーようにんとう 「お前はあちらへ行って、果物と冷たい杏仁湯を持っておったとか、ひどい匂いがして、胸が悪くなりました。外へ いで : : : その先きにタオルを : : : 」 出て、馬車に乗ってから吐いてしまったの」 小間使はゆきの一言一句に頭を下げて去って行った。 ゆきはそう言いながら、につこり笑って見せた。 「お暑かったでしよう」 「勝沼さんは男だけれど、きっと死ぬときは苦しみます 椅子に腰を降ろすと、ゆきは勝沼にシガーの箱をすすめよ。さっきもその話をして笑ったんです」 ながら言った。 誰とそんな話をしたのかとみつよは思った。 おなご 「そうじゃ。勝沼しゃんな日本の女子を南洋に連れて来 「いやいや、途中は暑かったが、ここは別天地ですわい ま、ゆきしゃん、結構な身分じゃなかな。あんた、おいをて、お国のためじや言うて威張って居らすが、勝沼しゃん あぶら 憎んだるごと言いなはるが、虎松に誘われて、あん船に乗の財産なみいんな女子どもの汗と脂を絞ったもんじゃもん ひと らんかったら、こぎゃん大層な生活、夢にも見られんとばなア。おいも、こん人決して、畳の上でな死ねんと思うと どな 肌「この家な私のものではありません。楊さんのもので、私勝沼はみつよに極めつけられても、普段のように呶鳴り めかけ の はこの家の番人で、あの人のお妾であるだけです。他人のかえす勢はなかった。ゆきの刺し通すような眼にはどうや わか 南生活の幸福か不幸かなどということは、容易に解るものでら、勝沼の強気な九州男子気質を突き伏せる魔力がふくま はありません」 れているらしかった。 ゆきは国訛りを残しながら、略々標準語を使いこなすよ「けど、ゆきしゃんな文句言えん境涯じゃ。おいも病気勝 うになっていた。そんな生意気な口を利けるようにして貰ちでやっと生きとるだけじやけど、この土地で女郎ばしと ひだ れん だれ うかが ばあ がん

2. 現代日本の文学 25 円地文子 佐多稲子集

「もう荷上げのすんだころやないの : : : そろそろお客さん倉のまんだ下かと思わるる地獄のごたるところに半月もっ からだ めこまれて来よるんじゃ。余ほど体なええ女郎じゃなか ら来るやろうか」 めじり ・ : そぎゃん時は薬ば飲ませて、宿し 神戸生れのとめは細い目尻に肉感が溢れ出て、ぬっと頬と、へばりよるばい : から高まった丸味のある鼻にも肩や胸もとの小ぶとりの肉たるより道はなかとじゃ。そいが同じ日本人同士の人情じ たくま おおづく ゃなかろか。おはんさば思わんかい、悪性は女子じゃ」 づきにも、九州女の大造りな目鼻立ちゃ逞しくひきしまっ からだ た体とは違う不確かな担みこめなさがあって、勝沼の・ ( ラ「何言いなはる」 ひさしがみ 赤みのある髪を庇髪にふくらしたとめはその髷にさして エティを喜ぶ趣味に今のところはまっているのだった。 ひすいたまかんぎし 「さればのオ、もう来てもよか時分と思っちよるが : : : 霧いる翡翠の玉簪で頭の地をかきながらあざけるように言 なこぎゃん深かと、なんか手違いばしよりよらんかと、案った。 「ただ、病人看病してやるだけやったら何であてが文句い じらるるばい」 「今度のお客さんは大分数多いんやとなア、二十人も来るうものかいな。薬を盛るんに、診察しておかんならんいう ては女子の部屋へ入りこんで、わるさするお人がどこぞに んやろか」 「いんや、それまでじゃなか模様じゃ。虎松な厦門からうあるさかい、あては病人嫌いや言いますねん」 * かいき 「ふふふ : : : 何ぬかしよる : : : 」 ってよこし居った暗号電報ば見よると、甲斐絹十六反買え おな 0 たとあったじやけん、大方、十六人の女子ば連れて来ちょ勝沼は余り勝ち色のない戦と見て、とめの鉾さきをそら ると見とるがのオ : ・・ : 」 やっさいはい 「船からおろす時いっかのように海へおっことしたりする「ほん晩いこっちゃ。直の奴な采配振っちよるばって、手 なんぎ と、あとが面倒やわ。それに病人を連れこまれるのも難儀違いな万々なかと思うとるがの : : : 」 たた その時、支那風の扉の外でとんとん戸を叩く音がして、 肌ゃなア」 しわ 「入ってもよかとですか。勝沼しゃん」 のとめは薄い眉を皺めるようにして言った。そういう時、 けんお という女の声がした。 南とめの骨のないようなやさしげな白い顔に浮かぶ嫌悪感は ひどく酷薄に見えて、人情男をもって任じている勝沼には「ああ、おッャ小母さんや。さあさあ、入っとくれやす」 とめが愛想よく言うのと、一緒に戸があいて、派手な更 気に入らなかった。 「病人な仕方がなか。何せあの空気の悪い石炭ば積んだ船紗模様の洋服の肩に長いショ 1 ルをかけた髪の白い婆さん ほお おそ

3. 現代日本の文学 25 円地文子 佐多稲子集

て生血を吸っていた悪党たい : : : 殺して女の恨みを晴らし しばらくして勝沼はしみじみ言った。 「あん人の理想じゃった万民が権利と義務ば持って共存共てやらにや腹が癒えんたい」 ほか 栄しち行く世界ちゅうは、思いの外遠くありよらんかも知と係の警官に眼を血走らせて、叫びつづけていたという。 かっ 戸山ゆきが曾て、勝沼に予言したように彼は遂に畳の上 れん。この間のロシャの革命はポルシェビイキの指導者に 兵隊がくつついて引き起したんじゃ。労働者と農民の天下では死ねない男であった。そうして彼を殺したのがやつば にするといいよる : : : まだこん先き、何年か見とらんことり売春婦で而も、公娼街の廃止されるのに恐怖して気が狂 にやどぎゃんなるか分らんばってん : : : しかしもっしこれった結果の殺人であったとは、何という皮肉なめぐり合わ が成功しよったら、世界の六分の一を占むる国全体が労働せであったろうか。 者の天下になりよるんじゃ。時代の変化ちゅうは恐ろしか もんじゃのオ」 魔女乱舞 勝沼のげつそり気ぬけしたような顔には、老年が隠しょ うなく滲み出していた。彼の闘志に満ちた人生は既に、汽車 の後方を望み見るように遠くうしろへ飛び去って行った。 おていにとって勝沼貫太郎の死は、思ったより遙かに強 い衝撃であった。戸山ゆきほどではなくても、若いころの また トリックにかかって そうして又、それから一月と経たぬ四月の下旬、勝沼貫おていはエグモンドの失踪後、勝沼の こうしよう 太郎自身も公娼廃止運動の大演説会の会場で、一人の娼婦シャム人のビライ・ハに身体を売られたことに許せない憎し 上りの女に横腹を短刀で突き刺され、出血多量で病院へ担みを感じていた。 それがシンガポールへ帰って来て、あらためて勝沼とっ ぎ込まれる前に呼吸を引きとった。 肌犯人は勝沼の店とは縁のないマレー街の女郎屋にいた中き合うようになってからは、こちらが年をとったせいもあ むじゅん まいどく うつ の年女で、かねて外国人の客から伝染された餤毒性の病気につて、だんだんに彼の矛盾に満ちた人間性の中に愛すべき こつけい 南苦しんでいたが、公娼が廃止になった後はどうして生計を純情がちんどん屋のような滑稽な仮装をつけて坐りこんで ることに気づいたのである。 立てて行こうかと思いまどっている中に、頭が狂って来てい この凶行に及んだのだという。 勝沼のしている仕事も、彼自身の風采や態度も、義理に あぶら 「勝沼は人買いのポスで、何千もの女を海外に売り飛ばしも上品とは言えない粗野な脂ぎったものであったが、彼の すで かっ しっそう からだ ムうさい はる

4. 現代日本の文学 25 円地文子 佐多稲子集

まるでたぐりよせられるように日本人が入りこんで、商売誘われていたんです。楊さんはお留守ですし、勝沼さんに をはじめちよる : : : あん女子どもは女郎じゃちゅう卑し いも少し真面目に話したいことがあるんで、一緒に来て下さ からだは レッテルを身体に貼られちよるが、日本国の為に尽しちょ らないかと思って : きんしくんしよう なぞ ひとみ る忠義な女子じゃ。兵隊なら金鵄勲章ば胸に飾っちやりた おていの話す傍に、ゆきは立ったまま、謎のような瞳で いところじゃが、おいがカじゃそうもならんばい 勝沼の珍しくしょん・ほりし・ほんで見える顔を見ている。こ 勝沼が腕章の上に腕組みしたまま、のステッキの金の男はき 0 と、天皇の死に感動してうちのめされているの ろうし せんばう あなが の握りをんで、娘子軍を先鋒にする南洋征覇の夢に心をだ。しかし、この際に勝沼にある提議を持出すのは、強ち 緊張させているのを、町角に立って眺めている二人の女が不利ではない。鉄は熱している間にうたなければならない あった。 ように、今の心の状態は、勝沼に影響を与えるのに絶対の えりそで ししゅう 一人はうすい麻服の衿や袖口に刺繍のある外出着を着好期だとゆきは思っていた。 しゃ て、パラソルを持っている。翻に黒い紗をかけて、腕にも勝沼はどうせ、今日はうちに帰っても何にもする気はな 。従業員や女達を集めて、訓話でもすればするのだが、 喪章をつけていたが、もう一人は袖なしの派手な支那服に すで くりかえ ひすい よそお 緑の溶ろけそうな翡翠の耳飾りをつけ、けばけばしく装っそれは既に二度三度繰返したことで、自分が感動するほど ていた。 相手を感激させきれないことも勝沼は知っているのであ っこ 0 「勝沼さん」 戸山ゆきに対しては逢う度に勝沼は強い光を放射して来 と呼びかけたのは支那服の女の方であった。 勝沼はその声に眼がさめたように、腕組みを解いて、ある発光体のような眩しさと怖れを感じていた。その癖、ゆ ちこち見まわしたが、もう一度名を呼ばれてその方向を見きに露骨な憎悪や軽蔑を向けられても憎む気にはなれない ると、そこが楊甫程の公司のある町角で、立っているのはで、何となくひきつけられて行くのであった。つい一両年 ムしようじ おていと戸山ゆきであることに直ぐ気づいた。 前に日本に大逆事件と称する未曾有の不祥事が起り ( 実は 「おお、おていしゃんにゆきしゃんか。領事館に行っちよそれは資本主義の体系がだんだん就道に乗って来るに従っ たいとう ったとな」 て、抬頭して来た社会主義思想を弾圧一掃すると同時に、 「ええ、私はさっき行って帰って来たところですと : : : 今国民の頭にそれを最大の恐怖として植えつけようとする、 ぐんばっ ゆきさんが店によって、余り暑いから、別荘に来ないかと軍閥政治の一つの表現であったが : : : ) 多くの社会主義者 にぎ まぶ けいべっ あ たび おそ

5. 現代日本の文学 25 円地文子 佐多稲子集

んで、商売に骨折って来たのである。 うと、よう蒸し殺されなんだとそうっとする : : : まんず、 ほか エグモンドに対する自分の愛情は、勝沼のゆぎを愛するゆきしゃんの苦労な二週間のダン・フロの外はなかとじゃも 物好きな気持ちなどと較べられてはたまらないと、そのんなあ。楊さんもでかと金ば積んで社会主義者の美人一人 すいきよう 時、おていは思ったものの、片思いのやるせなさには動か こしらえさっしやったとな、支那人ちゅうもんは酔狂な道 されるものがあった。 楽するもんたい」 ろ あくたい 勝沼はこの頃ではゆきと向かい合えば必ずそんな悪態を ゆきの新しく買った自動車にのせて貰って、勝沼とおて吐きかけずにはいない。はじめの中は、ゆきの方が高びし ちょうろう いは例の扇椰子の羽をひろげたような葉の茂っている、楊やに出て、勝沼を嘲弄していたのに、いっかの無政府主義 おとこー たいさんばく の別荘の前庭に降り立った。白い肉の厚い泰山木に似た大者をかくまった一件で、勝沼が侠気を見せて以来、ゆきは ぎい花が、大きい樹の葉の間から、気の鬱するような甘い勝沼を冷罵しない替りに、利用するように変っていた。 にお 「勝沼さんは今日領事館へ行って悲壮な顔をしていたんで 匂いを降りこ・ほしている。 もしよう 三人は例の林亭に通った。これも最近ヨーロッパから輸しよう。おていさんも感心に喪章をつけている : : : この人 入されて来た電気を利用する扇風機の風に吹かれて、冷たは、エグモンドさんのお仕込みで教会へ行くようになって ーようおう い飲みものや、 ・ハバイヤを饗応されていると、熱帯の真夏から、大そう愛国主義者になったのよ」 とゆきは言った。 の暑さも一時忘れられるようである。 「しいえ、ゆきさん、私が故郷のことを気にするようにな 「今日はシャワーが来るとじやろ」 かたひじとういす 勝沼は上着をぬいでシャッ一枚になった片肘を籐椅子のったのは、やつばり日本へ一度帰って来てからよ。天草や また かっこう 腕にもたせて、相変らず股を踏み開いた無作法な恰好で、島原を南洋から帰った眼で見ると、やつばり私たちも日本 人だ、日本の国とは縁が切れていないと思わずにはいられ 肌緑の透いて見える樹の梢越しに空を見上げた。 の「おゆきしゃんなこぎゃん夏知らずの結構な場所に陣取っないのよ」 のだ 南ちょって、社会がどうじゃ、階級がどうじゃ、野太いこと「勝沼さん、おていさんはね、私のうちの借金の肩代り はたら 歌っちよるんじやけん、よか御身分じゃ。おいが一一十前後に、富岡にある地所を自分の名で買ってくれたんですよ。 ん時、シンガポールからイギリス船の火夫になって香港、私はうちの兄は大嫌いだから、畑一反買い戻してやる気は かまそば 厦門、上海と鑵ん傍で一日中石炭焚いちょった時のこと思 ないんですけど、おていさんのものになるんなら、それは う

6. 現代日本の文学 25 円地文子 佐多稲子集

いろもうだじん が、一網打尽に捕えられたが、その網をくぐってシンガポ「こうして何年たっても、逢いたい逢いたい言うてくるん 1 ルまで亡命して来た一人を、ゆきは楊甫程の手を借りも、おいが暖かい心持っちよる男じゃっと、あ婢らの身体 て、インドへ逃がしてやったことがあった。その時には勝が知っちよるんじゃ」 沼は出先きの官憲から秘密に依頼されて、内情を調べたこ とその度に勝沼は感激して、彼一流の愛国的教訓を交え とがあったが、領事館への報告書には彼は不思議にもゆきた手紙を筆まめに書き送っていた。しかし、それらの女に たやす を売国奴として、プラックリストに載せるようなことを密対するのとは全く違う、容易く近よれない怖ろしさを交え 告しなかった。自分の抱いている愛国主義から言えば、ゆた愛情がゆきに対しては明らかに動いている。そうしてそ きは当然風上にも置けない売国奴で、場合によれば楊の留れをある時、一人で我慢していられないで、勝沼はおてい 守の間にでも、生命を断つような方法を講じる方が、日本にうち明けたことがあった。 のためであるとさえ思うことがあるのに、事実はそういう おていはそれをきくと声を上げて、腹の痛くなるほど笑 注意人物としてゆきを故国に知らせることさえしようとしった。 ないのである。 「何でおかしがるんじゃ。おいじゃって、女子に惚れるこ 「奇妙なことたい : ・ ・ : あぎゃん毒蛇のごたる女郎においは ともあって、何が悪か : : : 」 惚れちよるんじやろか」 と勝沼は怒った声でいったが、おていはまだ笑いやまな と勝沼は時々、甘酸つばい苦笑を、そろそろ白髪の交っ くらひげ て来たロ髭のあたりに溜めて考えこむことがある。それは 「だって、勝沼さん、あんたはガリガリの愛国主義者で、 ぜげん 女衒のような世渡りをして、千人に近い女と肉体で交って天皇陛下一点張りでしよう。それが選りに選って、社会主 来た勝沼にとって、まことに奇異な合点しかねる心の状態義で、女郎屋を廃止しなければならないと、いつも主張し 肌であった。勝沼は自分と身体で関係したあと、売春婦に売ているおゆきさんに惚れるなんて、敵同士の色恋みたいで のった女に対しても、男としての愛情を持っていると信じておかしいんですもの」 、た。そういう女たちで、遠くニ = ーギニアやマリアナ諸と言った。 南 どどいっ りくっ 島あたりからさえ、都々逸ともお筆先きともっかない怪し「そら、理窟はそぎゃなものじゃ。ばってん人間の心ちゅ りくっ い歌い文句の恋文が今でも勝沼のところへ届けられて来るうもんは理窟だけで動くもんでなか。よか例があんたじゃ のは事実であった。 って、ドイツとかオ 1 ストリ 1 とかに居って、南洋な来る たび ためし

7. 現代日本の文学 25 円地文子 佐多稲子集

う : : : その代り儲けは山分けだ : : : 君は日本人だから、英を見せた。 ほとん 国の軍人や官吏に付合いは殆どないようだが、この際おて ここで撼み合いでも始められては大変である。 みつぎもの いを貢物にして、あっちの行政官とっき合うようにことを勝沼は両方をおしとめて、 「まんず、虎も静まれ ! ーサーもポケットのジャック 運ぶ気はないかね。僕は一人、民政長官の秘書を知ってい おだ るので、もしこの話に君が乗ってくれれば、ここ一週間ばナイフなんど握りしめんと穏やかに話して下しゃい」 かりの寄港中におていを連れて行って、彼に引き合せて来と言った。 まんざら る : : : どうだね。将来を考えれば満更楽しみのない話でも「青龍には前かたにもえろう御世話になっとるし、これか ないじゃないか」 らもならにゃならん関係じゃ。勝沼な、日本娘どもを南洋 くらひげ しゃべ でかせ ・ハ 1 ンズはしきりに赤い口髭をひつばりながら喋っていに運んで、出稼ぎさすること、少しも悪かことと思うとら いしずえ る。勝沼は ' ハーンズの話の内容に興味を持たないではない ん、むしろ日本国発展の礎じゃと思っちよるが、日本の が、おていをそういう風に使うのには、特に・ ( 1 ンズのよ政府なそれを禁じちよるけんどぎゃんにもならん : : : 心な うなすれつからしの船員など仲に入れないでもやり方はあらずも国禁な犯しちよる : : : しかし勝沼も男じゃ。ミスタ やくじよう ると見通しがついた。しかし勝沼が答えるよりさきに、虎 ・エグモンドに市田が約定きめた女子な、エグモンドが 松がいきり立って、 香港にいのうなったというか、一週間も経たんに女郎に売 おおかみ めかけ 「阿呆たれ、おていをおはんのごと狼が手に渡せるかい。 り飛ばした、いや妾に出した言われては、もっし、万が おいも手え組んで、あの上玉をあんのジョ 1 ジいう青一一才一、エグモンドな、どぎゃんな手つづきして、使いばよこ が自由にさせとったな他でもなか、あん娘がジ日ージのロした時、何ちゅうて申しわけするとか : : : 勝沼は女子の取 くつわ に轡かけるちゅう大役持っとったためじゃ。今になってお 引にも国際間の信用は重んじるつもりじゃ。ミスター 肌はんがうまか口に乗って、おていな何処そへ連れ行かれて 1 ンズ、あんたにはおいからあらためて、おていの身の代 、ん のたまるかい」 金三百円支払い申そ : : : そいで、美しか手ば引いて下しゃ といく度も腕まくりしながらロ泡を飛ばして言った。 南 「私はイチダに話してはいない。お前は黙っていろ ! 」 勝沼の言いぶんには条理が立っている。殊に三百円とい かた ・ ( 1 ンズも気のあらい船乗り気質に酒の気も手つだつう大金を支払うという話には・ ( ーンズも勝沼の大腹中に感 て、ポケットに片手を入れ腕立てなら負けてはいない気勢心した様子だが、虎松はそこまで下から出ないでもと、勝 どこ にぎ

8. 現代日本の文学 25 円地文子 佐多稲子集

めかけ 「あんたの目的が、日本娘ば女郎にするこって、人の妾にあった。しかし三千円という思いきった高値の申出でに たらま ただ さするのを好まんわけはよっく解ったる : : : 唯こんのとこは、彼の愛国倫理は忽ち破れるもろさを持っていることも だんな ろはその楊ちゅう旦那な、私が取り立て切れんと弱って居争えない事実であった。勝沼が返事をする前に、とめがま った支那人の貸金を肩替りしてくれたりしとって、義理なず驚嘆に似た声を上げた。 ある・ま、。 をしここんところは、すげないこと言わんと私が顔「まあ三千円 ! 何て素晴らしい値段やろ。小母はん : あてはか しろきん ば立てっと下しゃい。そんかわりな身の代金の方は、女郎こんないいお話、旦那が何といわはっても私が計ってきっ に売る三倍な出すたい。よか女子があったら三千円出すとお世話しますさかい、どうぞ、他の人たちには話さんと おくれやすや」 「おお、何で話しまっすか。私や勝沼しゃん一本でこん話 コ一一千円 ! 」 とさすが勝沼もぎよっとした顔をした。女郎屋へ売る場まとめる腹でここまで出て来よったんじゃ。そげんに、お 合には、女の器量や年によっていくらかの開きはあるけれはんらの方でも、飛切りのよか玉、世話しつくれよらんと ども大体六百円から七八百円が相場で、その大部分を女の話にならん」 「ええ、ええ : ・・ : ようございますとも・ : ・ : 今夜のことにや 借金として、買い主に返す仕組みになっている。つまり、 旅券なしに海外へ密航した女たちは、海を渡って来る為に行きまへんが、明日の朝、皆、風呂に入れて、磨いてやっ 法外な高い税金を・フローカーに支払うわけで、勝沼の今住てからお眼にかけますわ。十五六人の中にはいつでも一人 んでいる立派な四階建ての石造家屋もこれらの日本娘を商や二人、大阪か東京で芸子に出しても評判になるやろう思 品とした取引きの代償として得られたわけである。言いかう器量の娘がありますよって : えれば勝沼は無智な、貧しい娘達を売り飛ばして、金を儲とめが急に言葉までていねいになって、一生懸命に話し あごひげそ からだこわ け、女達の中には売春の間に身体を毀して死んで行く悲惨ているのを、勝沼は頤鬚の剃りあとを撫でながら、苦笑し たど な運命を辿るものも多いのに、彼女たちは外国人に身体をてきいていたが、最後に、 売った罪を祖国に対して生涯詫びつづけねばならぬと教え「勝沼しゃんも承知とな : : : 」 とおッャ婆さんが念を押すようにいうと、うなずいて、 ている。この勝沼哲学から言えば、売られて行く日本娘が 「こやつがこぎゃん夢中になってはどうもなりまっせんた 売春婦にならず、一人の外国人の主人に仕えるような奉公 ・ : 大方、こん間から欲しがっとる翡翠のよか色の指輪 をすることは祖国を忘れがちになる点で感心出来ないのでい : わか ひすい

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て行きたいとおていは思っていた。 なくなったら、日本の役所か商社に頼んで見たらどうだろ しようふ 勝沼の事業は勝沼の死後、妻も子も正式にきまっていな う。娼婦をやめろと言う以上、それに替る仕事を斡旋する かった為、あちこちから出て来た女達や、古くからいる乾のは国として当然です。しかし実際にはなかなかうまく行 こと 分などの財産争いで結局めちやめちゃになってしまった。 かない : ・ : 殊にシンガポ 1 ルのような出さきでは、役人は ようさん 料理店やホテルなどの他にもゴム山や、奥地の養蚕など外国との関係ばかり気にして、自分の国民のことは思いの にも、勝沼は手をひろげていたが、数ヶ月の後、日本から外冷淡なものだ。よろしい。私が英国の民政官に話して見 彼の息子だと名のる青年が遺産の分配を受ける目的で訪ねよう。日本の商社あたりで骨を折ればそういう場所ぐらい ムくそう はず て来た時には、相続人や債権者が輻輳して裁判所でも収拾ないことはない筈です」 がっかず、困っている中にその青年自身悪性のマラリヤにそれは確かに有力な援助であるに違いなかった。エグモ さっそく 罹って死んでしまった。 ンドは、早速、懇意な民政官を訪ねて、妻の望みを叶える 一説には勝沼の財産を横領した新興ポスの手先きがそのことを依頼した。 あんあんり 青年を暗々裡に殺したとも言われるが、外地のことではあ「それは立派なことだが : : : ジョージ」 ち力しー いのち かんば り、治外法権のような生命知らずの無頼漢がはびこってい と懇意なその役人はウエストミンスターの芳しい強い香 る支那街やマレー街などには、英国の警察は踏み入って調りを、金口の煙の煙から吐き出しながら言った。 また べようとしないのであった。 「実際にはその女達の八九割まで、又、元の・ヘッド専門の 職業に帰って行くだろうと私は思うよ」 たいてい わか 「そう、私も大抵行く先きは解っているような気がする こんな風にもろくつぶされてしまった勝沼の事業の中、 ・ : しかし、私は私の妻の情熱と死んだ友達への約束を尊 せめて自然消減になった青楼の女たちだけでも、戸山ゆき 重してやりたいので : : : あなたも知っている通り、妻は私 に勝沼が約したことを実行させたいとおていは思った。 おていはそのことについてエグモンドに相談してみた。 を待って十年以上も一人でこのシンガポールに暮らして来 た志操の堅い女だからねー 「うん、あなたがゆきさんと勝沼さんとに約東したことな ら、それをやり遂げないのはよくない。希望のあるものは「君のいうことは解るよ。兎も角、日本側へはジョージ・ 引取って手に職をつけるように指導したらいいでしよう。 エグモンド氏夫妻の好意的な申出でということにして、こ 勝沼が死んで、部屋を提供すると言ったことが、実行出来の話をすすめて見よう」 かか うち ほか ( んい とかく あっせん かな

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こうしょ ) の高級社員の間に、日本人の公娼を黙認して置くのは世界二にもなっているのだものとおていは思った。 の一等国たる日本の不名誉であるという声が叫ばれ出して「そう言えば勝沼さん、女郎屋の閉鎖も今度こそ本ものに いることが伝って来た。その声には昔女郎屋を経営して得なりそうですわね」 た財産で、ゴム山や椰子林を買って、今では一人前の事業「うん、そうのごたる」 家顔している出稼ぎ上りの紳士達も交っていた。 と勝沼は不服そうに言った。 々近く公娼廃止大演説会が開かれるという大正七年の「今にな 0 て役人や商社の連中、それにこの商売で一財産 おなご かた、 三月のある夜、勝沼貫太郎はおていの店をたずねて来た。 つくった奴らまでからゆきの女子どもば眼の敵にし居っ こくじよく いまさら ゼげん おていは窓際に扇風機を置いて、エグモンドに送るジャて、国辱じゃとぬかし居る : : : 今更おい一人を女衒のごと ひざ ンパーの毛糸編みにせっせと膝の上の編棒を動かしてい 悪く言えば、どぎゃんなりおると思っちよる : : : 」 た。 「勝沼さん、怒るのはおよしなさい。あなたの愛する国家 つめえり 勝沼は部屋へ入ると白麻の詰衿のボタンをさっさと取っのそれが方針なら仕方がないじゃありませんか。私はそう て、シャッ一枚になりながら、おていの手の編棒を見て、 いうことになる日が来たら、せめてゆきさんに預けられた ニャリと笑った。 お金で、勝沼さんの関係の女の人だけでも後の身の立つよ 「精の出るこっちゃのう。南洋じゃ冬でも毛糸のごたるもうにして上げたいと思いますよ」 の見ただけで、肌が汗を噴き出しよるが : : : 」 「さば、おいもそんこと、考えちょったところじゃ。金の 「イギリスは寒いんですって : : : 主人の今いるところは、 額にもよるこっちゃが、おいは証文巻いたあとの女子ども なおさら 北によっているというから猶更でしよう。私の編んだ毛糸な、内地に帰したところで使いものにならんのが多かろ思 を間に着ていると、スコッチの上物より、暖かいってこの う」 肌間の手紙に書いてありましたよ」 勝沼のいうことにも一理あるとおていは思った。おてい の「いい年して、のろけるもんじゃなかたい。この上暑うな自身も・ ( ンコックで五年も売春生活をしている中に知った りよったら、おいは生命がたまらん」 ことだが、若い時からこの生活に堕ちて、それによってし 南 じようだん ハンカチ そんな冗談を言いながら、半巾で汗を拭っている勝沼のか金を得る方法を知らない女達のあるものは、恐らく売春 頭も、前髪の毛が大分薄くなって、顔の寸が延びたように禁止と言われても他に生きて行く道はないに違いない。公 見える。この人ももう五十を過ぎた轡だ。自分がもう三十娼がなくなる替りには私娼が多くなる結果になるであろ でかせ