た」「六さんだ、しつかりやれー」 ( 瓢太郎は浴衣の右腕をたくしあげた ) なんど しつかりやろうにも六さんの役はそれだけだ。六さんが 母屋の隅にある納戸の方でかたかたと音がした。「もし なごりお 頭をかきながら名残惜しそうに引き下ると、こんどは二人か誰かが」と思ったが、こんな真夜中に誰もいる筈はない の兵隊さんがうどんを食いながら、お互に戦争の手柄ばなのだ。彼は右足を前に出し、いよいよ引金を引く準備をし こ 0 しをする。これで幕である。それがおもしろくてたまらな いのだ。 裏藪の方で笹ずれの音がして、人が近づいてくるような このどさくさの中で妙なことが持ちあがった。村中切っ気持だ。 ひじてつ ての夜這いの名人である床屋の肘鉄がこんどあたらしく辰 ( もしかしたら ? ) という感じがどっとぎたが、 ( 構うも 巳屋へ女中奉公にきた「おひで」をものにしてしまったののかやつつけろー ) という叫び声が心の底から聞えた。 である。肘鉄は毎晩湯殿から忍んできた。真夏のことで、 引金に指先がふれると同時だった。闇の中をひとすじの てぬぐい 彼はまつばだかに褌一つで手氓を肩からぶら下げてうら光が流れた。それから地ひびきがして、おそろしい音が彼 の藪づたいにかよってくる。一風呂浴びて、それから忍びの耳へすべりこんだ。両足がわなわなと顫えたが、しか 込もうという寸法である。 し、一瞬間、胸の中にぼっかりと大きな穴があいたよう もよう 瓢太郎は一梃のビストルを持っていた。その頃では最新な、すうっとした気持になった。そのとき、彼の耳は遠く かん 式の、環をまわすごとに弾丸が一つ一つとびだす六連発銃に人の悲鳴のようなものを聞いたような気がしたが、それ でー・・ーこれは吉良の仁吉の身内であった「どら猫の安」とよりも銃声の余韻の方が彼の耳に長く残っていた。まった いう男が人を殺して台湾へずらかるときにあずけていったく彼の耳も頭もその一発の銃声でうずまっていたのであ ものだ。 場 たぶん、周囲のさわがしさが瓢太郎の心を刺激したもの瓢太郎はまだうすい煙を吐いている銃口を下に向けたま 劇と思われる。彼は一発やってみたくって仕方がなくなつま家の中へ入ってきた。おみねが真蒼な顔をして蚊帳の中 生た。それには夜中が一ばんいい。瓢太郎はある晩、こ 0 そからとびだしたところだ 0 た。 り起きあがった。彼は中庭に向っている雨戸をあけて濡れ「瓢吉は寝とるか ? 」 こだちゃみ 縁づたいにそとへ出た。空はあかるかったが、樹立の闇は と、彼はおみねを見るとことさら落ちついた声で言っ 起きている人間は一人もいない。 ふんどし たっ こ 0
8 おおてまち しは今日、南風さんの用事で大手町まできましてな、ちょ 「待っとっておくれやす、またな、今夜でも店動をゆっく っと此処でひとやすみしたところでがすがな、ほんとにい り見てな、ーーー南風さんにも会ってもらいますで」 いところでなーーー」 「じゃあ、待っとるぜ」 「そいじゃな、ちょっとやすませてもらうか」 「すぐ来ますでな、 瓢吉は立ちあがった。たったひとり、ぼつんと東京へほ瓢吉は半助からカ・ハンをうけとった。そして、急ぎ足に うり出された彼にとって、半助の出現は大ふねに乗った心石段をの・ほってゆくと、 地 , ーー・とまではゆかないにしてもせめて「伝馬ポート」ぐ「ようー」 らいのたのみにはなるであろう。 と、階段の上から声をかけたものがある。おどろいて顔 もめん もんっきはかま をあげると、木綿の黒紋付に袴をはき、角のとがった菱形 上野は花見の客がそろそろ出さかる頃だ。坂下で市電をのあたらしい角帽をかぶ 0 た夏村大蔵が、腕をくんで おりると、半助は瓢吉の持っていたカ・ハンをひょいと肩へとそりかえっているのだ。 かけてあるきだした。 「うつはつ、はつ、はつ、はつ、はつ」 「これから花がようなりますぞ、ーー・東京は、あんた桜の ( 彼は中学時代からの、癖のついてしまった妙な高調子で 都じゃ」 笑いだした ) 「やつばりおれのかん ( 勘 ) があたった 彼は、しかし、二三歩あるいてから何か思いだしたようそー」 に立ちどまった。「わたしはちょっと常設館まで行ってき「手紙を見たか ? 」 ますからなあ、あんた、この段々をの・ほって、とつつきに「さっき着いたばかりじゃ、すぐ東京駅へ行ったがおらん かったでな、 ある西郷さんの銅像の前で、待っとっておくれやすな」 これがそのときのかん ( 勘 ) じゃーー・・野 「常設館はどこかね ? 」 郎きっと西郷の銅像んとこへ行ってけつかると思ってな」 「このなーー」 「うん」 おとな と、半助は電車のうごいてゆく方向をゆびさしながら、 瓢吉は見ちがえるほど大人になりぎっている大蔵の顔を くるまざか なが 「このさきの車坂のな、ちょっと右にまがったとこにある、 眺めながら、しかし、昔ながらの子供らしい友情の中です 立派な建物ですがな」 つかり落ちついた気もちになった。 「おれもそこまで行ってもいいが ? 」 「会えてよかったな」 こ こ てんま ひしがた
終らせたいということは一般的な心情の一つのようだ。十 物おいそ 数年前だかに童貞処女のまま愛の一生を終らせようと大磯 のどこかで心中した学生と娘があったが、世人の同情は大 きわ きかったし、私自身も、数年前に私と極めて親しかった の一人が二十一の年に自殺したとき、美しいうちに死んで くれて良かったような気がした。一見楚な娘であった あぶ まっさかさま が、壊れそうな危なさがあり真逆様に地獄へ堕ちる不安を 感じさせるところがあって、その一生を正視するに椹えな いような気がしていたからであった。 この戦争中、文士は未亡人の恋愛を書くことを禁じられ * しこみたて 半年のうちに世相は変った。醜の御楯といでたっ我は。 ていた。戦争未亡人を挑発堕落させてはいけないという軍 こんたん 大君のヘにこそ死なめかへりみはせじ。若者達は花と散っ人政治家の魂胆で彼女達に使徒の余生を送らせようと欲し たが、同じ彼等が生き残って闇屋となる。ももとせの命ねていたのであろう。軍人達の悪徳に対する理解力は敏感で がはじいつの日か御楯とゆかん君とちぎりて。けなげな心あって、彼等は女心の変り易さを知らなかったわけではな 情で男を送った女達も半年の月日のうちに夫君の罍にぬく、知りすぎていたので、こういう禁止事項を案出に及ん かずくことも事務的になるばかりであろうし、やがて新ただまでであった。 な面影を胸に宿すのも遠い日のことではない。人間が変っ いったいが日本の武人は古来婦女子の心情を知らないと たのではない。人間は元来そういうものであり、変 0 たの言われているが、は皮相の見解で、彼等の案出した武士 論は世相の上皮だけのことだ。 道という武骨千万な法則は人間の弱点に対する防壁がその 落昔、四十七士の助命を排して処刑を断行した理由の一つ最大の意味であった。 せつかく あだうち 堕は、彼等が生きながらえて生き恥をさらし折角の名を汚す武士は仇討のために草の根を分け乞食となっても足跡を ふくしゅう 者が現れてはいけないという老婆心であったそうな。現代追いまくらねばならないというのであるが、真に復讐の情 きゅうてき の法律にこんな人情は存在しない。けれども人の心情には熱をもって仇敵の足跡を追いつめた忠臣孝子があったので 多分にこの傾向が残っており、美しいものを美しいままであろうか。彼等の知っていたのは仇討の法則と法則に規定 堕落論 やみや ちょうはつだらく
「よう寝とりますがな」 は腿のあたりまで長い靴下を穿いたように、真黒によごれ おみねが不安におびえた眼で瓢太郎を見ると、彼はにやているところをみると、泥田の中をひた走りに走りぬけて にや笑いながらビストルを棚の上に置いた。 来たものらしい。 「起して来いー」 一発の銃声のかげに、かくの如き犠牲者がいたというこ と瓢太郎が言った。そして、とりみだしたおみねのうしとを瓢太郎は知る筈がなかった。 ( それにしても月夜でな ひばも あぐら ろ姿を眺めながら瓢太郎は火鉢の前へどっかりと胡座をか かっただけが、肘鉄にとってはせめてもの幸いであったと てつびん いて、湯の沸ぎっている鉄瓶をおろした。 言わねばなるまい ひじてつ その晩ーー肘鉄は、一杯ひっかけたあとですっかりいい ピストルの弾丸はまだ七発残っていた。瓢太郎は大握毎 てぬぐい 気持になっていた。まつばだかで手拭を肩にかけて藪蚊を晩同じ時刻に一発ずつぶつばなしたのだ。彼の顔がこのと はらいながら竹藪を忍んでくると、まったく鼻唄でもうたきほど、いきいきと冴えかえってくることはなかった。彼 いたいような気持ではないか。闇の中を手さぐりであるい は自分を唆しかける情熱がまだ脳の底にくすぶっているこ かんのう とを感じた。腹がけ一つで父のうしろに立たせられた瓢吉 て ( 前の夜の記憶が彼の官能を一ペんに攻めたてた ) ふんどし なんど あわ 彼は何時ものように褌をはずして、そいつを納戸の前にあは、前につき出した父の手が引金に触れようとすると、慌 ものほしざお じよう る物干竿の上にかけた。それから中の錠がはずしてある風てて耳をおさえたが、しかし、一瞬間銃口からふき出した こだち 呂場の戸をあけようとしたときだ。 火が樹立の闇をすべって消えてゆくときには全身がわき立 ひびき いまさら ものすごい響がしたと思うと、彼の眼の前が一ペんにあつような快感をお・ほえた。そして、父のすがたが、今更の かるくなった。声をたてるひまもなかった。彼の頭に湧きようにたのもしく彼の眼に映じて来たのである。 そうねん しかし、親子が夜中にこんな途方もないあそびにふける かえっていたあらゆる想念が消え失せて、肘鉄は全身が石 のように冷たくなった。次の瞬間、彼は夢中で闇の中を走ことは長くゆるされなかったのは当然のことであろう。 りだした。 ( 瓢太郎が竹藪の方で妙な叫び声をきいたのは辰巳屋は気が狂いだしたといううわさが町中にひろがっ そのときだった ) たのである。・ヒストルの音がしずかな平原の夜気をすべっ し第ノー ( ・ 肘鉄はまったく自分がやられたと思ったのだ。それで、 てひびきわたると近所の人たちはおびえ立った。到頭七日 きらつね 彼がやっと気がついたときは全身かすり傷だらけになって目の晩、「吉良常」が代表者になって、・ヒストルをうつこ ちんじゅやしろ 鎮守の社の前まで来ていた。両足が泥にまみれ、殊に左足とだけはやめてもらいたいと嘆にやってきた。 なが たな やぶか くっしたは まっくろ
316 たが、現れる人像の一つ一つがきまったように同じ服装ののだ。一言物を言うだけで全ての思いが足りるような、ひ 女ばかりで、丁度ちゃんちゃんこのような厚い感じの仕事ろ、そうして熄みがたい願いであった。 てつこうきやはん 着にもんべをはき、手甲・脚絆をつけているが背には粗朶愈々歩行のあらゆる根気が根こそぎ失われてしまいそう なたかまたぐ まっくらみち らしいものを負うて、鉈や鎌の類いの物を手にさげているな時分になって、折りよくひょいと、もはや真暗な径の上 あたか ようであった。恰も野生の動物のような軽やかな身のこなへ一つの人像が降りてきたのを認めると、蒲原氏は全く自 しで、見た目には手とも腰とも肩ともっかぬ一点に於て軽然の風声のように言葉をかけた。 くちご , 軽と全身の調子をとりながら、スイスイと歩きすぎて行く「あの : : : 」併し激しく言いかけてからロ籠ったが、それ たそがれ しゅうち のであった。恐らく山へ働きにでる女達の丁度この黄昏どは全く羞耻の念によるものではなく、ひとえに全身の痺れ きが一定の帰宅の時刻に相違なく、行く先々へ時々ひょ、 しるような疲労のせいにほかならなかった。 と と山の陰から現れてくるが、軽やかで、踏む足に殆んど音 「あの、温泉へ行く道はこれでしようか ? 」と蒲原氏はた のない故か、時々それがだしぬけで、ふと浮びでた人像にずねた。 もちろん 夢みる思いがするのであった。行くほどもなく段々畑のと勿論今来た道を通って行けば自然温泉へ行くわけである ころどころに 0 た木立が見えはじめ、このあたり特有のが、そうとは知らない山の女は贋迷い子の中老人に憫れみ まなざ ていねい 窓の小さい荒壁の農家が現れてきたが、屋内にほのぐらい の眼差しをそそぎ、丁寧に道順を教え、迷うほどの難所も はかげ 灯影の気配はあるものの、窓に人影がうつるでもなく物音ないから、この方向にまっすぐ歩きさえするならば、あん がたつでもなく、中なる生活を想像する一つの手掛りもつじよう温泉へ着きます・せのと、つけ加えて言うのであっ かめなかった。せめて女の軽々とした足どりが家の中までた。 すがた うなす うれ 這入るところを突ぎとめたいと思ったのだが、女の像に出蒲原氏は頷いたが、熄みがたい胸の愁いはなお満ち足ら 会うといっても稀れなことで、家もまばらなことであり、ぬものがあってか、言葉は自然になおも流れて、「あの、 そういうことにはぶつからなかった。 みちのりはどれほどでしようか ? 」とたずねると、 蒲原氏は全く疲れきっていた。歩くどころか立っている「一里ですぜの」 のも非常に苦痛で、何かに凭れ、何かに掛けたい願望がし女ははっきりそう答え、蒲原氏がお礼の意味でガックリ うす きりに疼くのであったが、それにもまして、仕事帰りの山頷くのを見ると、なおも何やら労わりたげな様子であった が、ふりむいて軽々と歩きだした。 の女に一言物を言いたかった。どんな言葉でもかまわない いでたち そだ うなす しか すべ しび
たえ 苦しみました。 する、それは彼は彼らしく一つの妙なる魔術として納得さ いままで 今迄には都からの旅人を何人殺したか知れません。都かせられたのでした。 らの旅人は金持で所持品も豪華ですから、都は彼のよい 男は山の木を切りだして女の命じるものを作ります。何 で、せつかく所持品を奪ってみても中身がつまらなかった物が、そして何用につくられるのか、彼自身それを作りつ いなかもの ののし こしょ第ノ りするとチェッこの田舎者め、とか土百姓めとか罵ったもつあるうちは知ることが出来ないのでした。それは胡床と ひじかけ ので、つまり彼は都に就てはそれだけが知識の全部で、豪肱掛でした。胡床はつまり椅子です。お天気の日、女はこ ひなた 華な所持品をもつ人達のいるところであり、彼はそれをまれを外へ出させて、日向に、又、木陰に、腰かけて目をつ きあげるという考え以外に余念はありませんでした。都のぶります。部屋の中では肱掛にもたれて物思いにふけるよ 空がどっちの方角だということすらも、考えてみる必要がうな、そしてそれは、それを見る男の目にはすべてが異様 なかったのです。 な、なまめかしく、なやましい姿に外ならぬのでした。 かんざし みすか 女は櫛だの笄だの簪だの紅だのを大事にしました。彼が術は現実に行われており、彼自らがその魔術の助手であり どろ 泥の手や山の獣の血にぬれた手でかすかに着物にふれただ ながら、その行われる魔術の結果に常にいぶかりそして嘆 けでも女は彼をりました。まるで着物が女のいのちであ賞するのでした。 ごと るように、そしてそれをまもることが自分のっとめである ビッコの女は朝毎に女の長い黒髪をくしけずります。そ まわ しみす ように、身の廻りを清潔にさせ、家の手入れを命じます。のために用いる水を、男は谷川の特に遠い清水からくみと こそでそびも その着物は一枚の小袖と細紐だけでは事足らず、何枚かのり、そして特別そのように注意を払う自分の労苦をなっか 下着物といくつかの紐と、そしてその紐は妙な形にむすばれしみました。自分自身が魔術の一つの力になりたいという 不必要に垂れ流されて、色々の飾り物をつけたすことによことが男の願いになっていました。そして彼自身くしけず 開 満って一つの姿が完成されて行くのでした。男は目を見はりられた黒髪にわが手を加えてみたいものだと思います。 森ました。そして嘆声をもらしました。彼は納得させられたやよ、そんな手は、と女は男を払いのけて叱ります。男は のです。かくして一つの美が成りたち、その美に彼が満た子供のように手をひっこめて、てれながら、黒髪にツヤが 桜 うたぐ されている。それは疑る余地がない、個としては意味をも立ち、結ばれ、そして顔があらわれ、一つの美が描かれ生 たない不完全かっ不可解な断片が集まることによって一つまれてくることを見果てぬ夢に思うのでした。 の物を完成する、その物を分解すれば無意味なる断片に帰「こんなものがなア」
「此処にいたってはじめて天のあたうるところだ、どんなして此処まであるいてぎたのである。 あぶく銭にしてもやつばり三人でペろりと飲んでしまったすっかり寝しずまっている上に、軒灯のついている家が すくな のぞ んでは、こいつは寝醒めがわるいそ」 尠いので、一つ一つ標札を覗くのにも骨が折れる。それ みようじ 「なるほどね」 に、彼の苗字が何というのか瓢吉も知らないのだ。 横井は深くうなずいてから、 横井安太は軒ごとにマッチをすってみては、 これじゃないか、島川半吉」 「そうなると、大義名分が成り立つわけだ、僕は謹んで死「あっ、 とんきよう とびしよく 刑を辞退するよ」 と、頓狂な叫びをあげた。「上に鳶職と書いてある・せ」 若ゃいだ歓声がどっと起った。楽しい夜である。 「ちがうよ、・ーー半助だよ半助にまちがいはないよ」 「そうか、弱ったね、まさか標札に『呑み込みの半助』と 中の墓地うらの、 断崖にそった暗い道を、肩をそは書いてあるまい」 びやかしてあるいているのは瓢吉と、吹岡、横井の三人で「ひとっ呼んでみるか」 ある。 「おーい 、半助 ! 」 もう十二時をすぎているであろう、ーー雨あがりの空に と瓢吉が、断崖に片足をかけて叫んだ。 「半助ー」 めずらしく冴えた月夜だった。 横井安太の声である。 「たしかこのへんだと思うんだが」 「呑み込みの半助 ! 」 「番地はわからんのか ? 」 「呑み込み、 いるか」 「わからん」 と、瓢吉が言った。 「半助出て来い ! 」 「くたびれたそ、一つ大声でどなってみるかな」 「半公ー」 三人とも、言葉だけはハッキリしているが、一軒一軒と「いるなら出て来い ! 」 行きあたりばったりに呑みつづけてきた酒で、ほとんど身三人はかわるがわる、 だんだん、ふつきらばうな 体の自由を失いかけていた。ときどき、よろけかかってしい声になってきた。 どこ は、またお互同士にもたれあって何処をどうあるいてきた ーーー・そのとき、「呑み込みの半助」は、二畳と四畳半の ひやざけ という記憶さえもなく、「呑み込みの半助」のうちをさが二タ間きりの自分の家で、冷酒を一杯ひっかけて、敷きっ だんい つつし だんがい
静かな幸福で一ばいだ。 百万遍がすんで、がやがやさわいでいる人の声が楽しそう 奥の間では瓢太郎が、彼の読んだ小説本の中から自分のに聞えてぎたからである ) うそ あががまち 気に入った勇ましいところだけを彼一流の解釈に嘘八百を老人たちは一人一人上り框に着物をぬいで土間にある風 まじえて瓢吉に聞かせている。彼の話す物語の本体は実を呂へ入っているところだ。そのとき、瓢吉の眼に「おりん」 言えば二つしかなかったが、しかし、彼は何時の間にか自が老人たちのうしろにしょん・ほり坐っているのが見えた。 分をその主人公にしてしまっているので、毎晩同じ話で筋瓢吉はどきっとした。生き生きしたおりんの顔と華美な着 は二つがごちやごちゃになり、ときに応じて変っていた。物の色彩が一座の空気と不調和であるだけにはっきりうき 一つは空を飛んでゆく男の話でその男が人の知らない国をあがって見えたのである。 ひごう 一巡して村へかえってくると、悪いやつにだまされて非業「さあ、おりんちゃん、ーーー早うお貰いなよ」 かごや の最期をとげる。すると、もう一つはその男に一人の子供ぼうっと顔を火照らした籠屋のおばあさんが湯からあが があって、その子供がまた、悪ものにたばかられて何十年ってきた。おりんは黙って立ちあがると、平気で上り框に か牢屋へほうりこまれる。伜は牢屋の中で奇妙な老人にあ着物をぬいだ。それは不思議な瞬間だった。いランプの って、その老人から宝の埋められている遠い島を貰うこと光の中で、帯の色彩がだらだらと虚空にゆれている。瓢吉 になる。もうしめたものだ。そいつは剣道の達人だから、 は何故おりんが着物なんかぬぐのだろうと思った。 じゅばん 牢屋をぬけだすとたちまち大金持になって、悪ものをみん しかし、おりんはひょいと腰をかがめると着物と襦袢と な殺してしまい、村を買い占めて、土地の大親分になるとをひとかさねにして、すっ・ほりとぬいでしまった。そし * わそうべえ がんくつおう いうのである。 ( この話の出所が「和荘兵衛」と「巌窟王」て、白い肩がすうっと土間の中へ消えていった。 であることを知ったのは瓢吉が中学へ入ってからであるが瓢吉はまるで呼吸が詰るようだ。身ぶるいがして仕方が 場 ない。彼はそのまま父の居間の方へかえってきたが、「お おやじ 劇聞いているうちに瓢吉は早く親父が誰かに殺されてしまやすみなさい」ー・ーというときにも、声が途中でとぎれて 生 - え・はいし しまった。 、と思ったほどである。彼は鉄砲も持っていたし、 人 サーベルも持っていたし、だから今や恐るるものは何一つ しようしゅうれい としてないではないか。瓢吉は胸がわくわくするような気 その頃、日露戦争がまっさかりだった。召集令が 持で、プリキ製の空気銃をもって台所へ出てきた。 ( もうまいにちのように下って、村びとは出征兵士をおくること ころ かび
ぞうおしん された名誉だけで、元来日本人は最も憎悪心の少い又永続が、然し又、日本を貫く巨大な生物、歴史のぬきさしなら しない国民であり、昨日の敵は今日の友という楽天性が実ぬ意志であったに相違ない。日本人は歴史の前ではただ運 際の偽らぬ心情であろう。昨日の敵と妥協否ル相照らす命に従順な子供であ 0 たにすぎない。政治家によし独創は さはんじ きゅうてき ゆえ のは日常茶飯事であり、仇敵なるが故に一そう肝胆相照らなくとも、政治は歴史の姿に於て独創をもち、意慾をも たちま ごと し、忽ち二君に仕えたがるし、昨日の敵にも仕えたがる。生ち、やむべからざる歩調をもって大海の波の如くに歩いて きて捕虜の恥を受けるべからず、というが、こういう規定が行く。何人が武士道を案出したか。も亦歴史の独創、又 きゅうかく ないと日本人を戦闘にかりたてるのは不可能なので、我々は嗅覚であったであろう。歴史は常に人間を嗅ぎだしてい は規約に従順であるが、我々の偽らぬ心情は規約と逆なもる。そして武士道は人性や本能に対する禁止条項である為 のである。日本戦史は武士道の戦史よりも権謀術数の戦史に非人間的反人性的なものであるが、その人性や本能に対 どうさっ であり、歴史の証明にまつよりも自我の本心を見つめるこする洞察の結果である点に於ては全く人間的なものであ とによって歴史のカラクリを知り得るであろう。今日の軍る。 人政治家が未亡人の恋愛に就いて執筆を禁じたく、、が私は天皇制に就ても、極めて日本的な ( 従 0 て或いは独 おさ 武人は武士道によ「ての又部下達の弱点を抑える必要創的な ) 政治的作品を見るのである。天皇制は天皇によ 0 があった。 て生みだされたものではない。天皇は時に自ら陰謀を起し 小林秀雄は政治家のタイ・フを、独創をもたずただ管理したこともあるけれども、概して何もしておらず、その陰謀 支配する人種と称しているが、必ずしもそうではないようは常に成功のためしがなく、島流しとなったり、山奥へ逃 だ。政治家の大多数は常にそうであるけれども、少数の天げたり、そして結局常に政治的理由によってその存立を認 んよう 才は管理や支配の方法に独創をもち、それが凡庸な政治家められてきた。社会的に忘れた時にすら政治的に担ぎださ の規範となって個々の時代、個々の政治を貫く一つの歴史れてくるのであって、その存立の政治的理由はいわば政治 どうさっ の形で巨大な生き者の意志を示している。政治の場合に旅家達の嗅覚によるもので、彼等は日本人の性癖を洞察し、 て、歴史は個をつなぎ合せたものでなく、個を没入せしめその性癖の中に天皇制を発見していた。それは天皇家に限 しやか た別個の巨大な生物となって誕生し、歴史の姿に於て政治るものではない。代り得るものならば、孔子家でも釈迦家 も亦巨大な独創を行っているのである。この戦争をやったでもレーニン家でも構わなかった。ただ代り得なかっただ 者は誰であるか、東条であり軍部であるか。そうでもあるけである。 きのう かっ ため
風がないのにゴウゴウ風が鳴っているような気がしまし山賊は始めは男を殺す気はなかったので、身ぐるみ脱が た。そのくせ風がちっともなく、一つも物音がありませせて、いつもするようにとっとと失せろととばしてやる あしおと ん。自分の姿と跫音ばかりで、それがひっそり冷めたいそっもりでしたが、女が美しすぎたので、ふと、男を斬りす して動かない風の中につつまれていました。花びらがぼそてていました。彼自身に思いがけない出来事であったばか ・ほそ散るように魂が散っていのちがだんだん衰えて行くよりでなく、女にとっても思いがけない出来事だったしるし うに思われます。それで目をつぶって何か叫んで逃げたくに、山賊がふりむくと女は腰をぬかして彼の顔を・ほんやり なりますが、目をつぶると桜の木にぶつかるので目をつぶ見つめました。今日からお前はの女房だと言うと、女は るわけにも行きませんから、一そう気違いになるのでしうなずきました。手をとって女を引き起すと、女は歩けな いからオプっておくれと言います。山賊は承知承知と女を けれども山賊は落付いた男で、後悔ということを知らな軽々と背負って歩きましたが、険しい登り坂へきて、ここ い男ですから、これはおかしいと考えたのです。ひとつ、 はいから降りて歩いて貰おうと言っても、女はしがみつ いやいや 来年、考えてやろう。そう思いました。今年は考える気が いて厭々、厭ョ、と言って降りません。 しなかったのです。そして、来年、花がさいたら、そのと「お前のような山男が苦しがるほどの坂道をどうして私が きじっくり考えようと思いました。毎年そう考えて、もう歩けるものか、考えてごらんよ」 十何年もたち、今年も亦、来年になったら考えてやろうと「そうか、そうか、よしよし」と男は疲れて苦しくても好 きげん 思って、又、年が暮れてしまいましを 機嫌でした。「でも、一度だけ降りておくれ。私は強いの 下そう考えているうちに、始めは一人だった女房がもう七だから、苦しくて、一休みしたいというわけじゃないぜ。 ていしゅ 開人にもなり、八人目の女房を又街道から女の亭主の着物と眼の玉が頭の後側にあるというわけのものじゃないから、 満一緒にさらってきました。女の亭主は殺してきました。 さっきからお前さんをオプっていてもなんとなくもどかし 森山賊は女の亭主を殺す時から、どうも変だと思っていまくて仕方がないのよ。一度だけ下へ降りてかわいい顔を拝 桜した。いつもと勝手が違うのです。どこということは分らましてもらいたいものだ」 ぬけれども、変てこで、けれども彼の心は物にこだわるこ「厭よ、厭よ」と、又、女はやけに首っ玉にしがみつきま 四とに慣れませんので、そのときも格別深く心にとめませんした。「私はこんな淋しいところに一つときもジッとして でした。 いられないョ。お前のうちのあるところまで一つときも休 こ 0 また さび