かっとう しおに、康吉は無理にお喜多を二階へ引きとらせ、骨の前さなかった。何といっても初風会の葛藤で、しばらく萎え には自分だけで、夜を明かすつもりだった。 ていた情熱が、又、冴え冴えとよみがえってくるのが自分 康吉は、とりあえず、べンでしたためた市五郎宛てにわかり、これだけの手ごたえがあれば、淋しいことなん の手紙を書き終ると、さっき副院長から渡された伊助の小 か、ちっともない筈なのに、ややもすれば、自分の能力 いっきいちゅう こくふく 冊子を拾い読みした。それは古い注文帳でもあれば、覚えに、一喜一憂している現状を、もっと力強く克服しなくっ 書でもあり、所々に、染色や、小紋柄の思いっきやら、念ては、駄目じゃよ、 オしかーー、今、一奮発足りねえんだなア のいったアイデアが書いてあるのが、なるほど、副院長のと、康吉は、小冊子を持ったまま、段々昻奮してきて、身 いう様に、参考資料になるかもしれぬものだった。康吉体に血がさすような気がした。この古風な小冊子の記事 は、段々、惹きこまれて、夢中になり出すと、眠いのも忘が、そのまま、康吉の役に立っことはもはや有り得ないに しろ、そのお蔭で、康吉の身体に、こんなに泉のように湧 れていた。 いてくるものがあったとしたら、やつばりこれは、不思議 床を敷き終ったらしく、お喜多は水注子に水を入れに下 しんでん りてきたついでに、絆天を康吉の背中へかけた。意識してな縁で結びついている伊助の念カみたいなものが、以心伝 しん 心、康吉の胸内をゆすぶったにちがいない。 か、無意識でか、お喜多の手が、いつまでも康吉の肩口に ムつぎよう その払暁から、雪は更に、勢いをまし、帝都は白一色に とまっていた。康吉はその手を取ろうとしたが、仏の前だ つつまれたが、夜もすがら、不幸な伊助の骨壺の前に坐り と気がっき、すると仏が、あの白い眉毛をおっ立て、金っ つづけた康吉は、音もなく降りつもる雪のけはいさえ、遂 ・ほ眼でこっちをジッと見ているような気さえして、ぶるつ に知らずに。 とひとつ、身うちが顫えた。 らんま やがて、うすい欄間を通して、お喜多の寝ている二 「お休みなさい。あなたもあんまり無理なすっちゃ駄目 階の高窓から、ボウッと朧ろに、乳色の光りがさしてきた のである。 そうい 0 て盆に水注子の音をさせながら一一階〈上 0 てい 悉 雪の量がましたことは、あたりの空気がいよいよ冷え切 町ってきたことで知れた。スタンドの電気が、二度程スウッ と消えかけて又、点いたが、それでも康吉は、ト / 冊子を離 はんてん
こよっこ・ お喜多は、康吉の身体をはなれると、一一、三尺すさっ て、はっきり、両手を畳について、 「与助さんなんて、あんな、ぐうたらは呼ばなくたってい いのに」 「さっきは、我儘いって、申訳ございませんでした。お帰 い、がか と、お喜多は反対したが、康吉の方では、昔の行懸りを りになったらお詫びしようと思っていたんですの。自分が 忘れるためにも、与助に一度逢って置く好機会だと思うの 病気の時は、勝手をいって、それじやアあんまり薄情だっ ・こっこ。 たと悟りましたーーゆるして下さいね , 「へんねえ、あなたったら、与助さんていうと、逢いたが そういって、頭をさげた。康吉ははじめて向き直って、 るのね。この前、京都の時だって、逢わずに帰るのが、残 「いや、私も手荒なことをして、すまなかったと思ってい る。初風会を罷めたのが、ロでいう程、まだ、腮へ徹底し念だ、残念だってーーー・少し、どうかしているわ」 ていないので、遂、感情が激し易くなっているのだが、そ「ふん。しかし、いろんな意味でね」 「いろんな意味も何もないわよ。もう今となってはねーー」 んなことじやア、まだまだ、先が思いやられる。お前に お喜多としては、それは真実に違いなかった。そこは男 も、ちょッとしたことで、八つ当りになったのを、心苦し いとおもいます。伊助さんも死んでしまったんだし、せめと女のちがいで、女は歴史と環境にすぐ閉じこもってしま うけれど、男はそれをのりこえて、自由に飛び廻る力があ て、葬式位は私が代って出したいが、お前に異存はない・こ り、好奇心の方向にも深さにも、相違があるので、男が胸 ろうね」 だいたんムてき たかな と、やさしくいった。お喜多は、自分で自分の感情に負を高鳴らす時に、女は大胆不敵だったり、女が夢中になっ てんたん て泣き騒ぐ時に、男が全然、恬淡だったりすることは、よ け、シャクリ上げるように泣きながら、黙って首をうなず かせた。夫婦になって、康吉がお喜多に向って手を上げたくあることであった。 ちょうず のもはじめてなら、お喜多がこんなに泣いて謝ったのもは大分、夜が更けてから、お喜多は手水に立っていった しばら が、暫くして帰ってきて、 じめてだった。 ずいふん その晩は、通夜のつもりで夫婦はおそくまで、善後「随分、しつこい雪ね。まだ、しんしんと降ってるわよ。 策を相談した。葬式費は康吉が出すにしても、やはり実子高い高い空から舞いおちてくるようで、見ていると、気味 の与助が喪主の席に坐る必要があり、それには京都の市五がわるくなってくる とス いった。又、冷えて病気が出ては困るので、それを 郎を通じて、その所在をさがして貰う外はないということ わがまま あやま
たいこううつびよう が、まだそのうちは、退行期鬱病としては軽度だった「では、ここに、お骨は安置してありますから」 が、次第に衰弱と共に、病勢が悪化して、苦悶性の昻奮を「へい」 、よざ ひたん【」う こつつば 示すようになり、一定時間、居坐が落ちつかず、悲歎、号副院長の指さす棚に、白い布に包んだ骨壺がおかれてあ 、ゆう あいがん めいふく 泣をはじめるようになり、そうでなくとも、慈悲を哀願った。康吉は、心静かに死者の冥福を祈ってから、それを しんせん こぶし し、全身を震顫させ、拳をもって額上を打っというような取りおろし、一礼して、外へ出た。すると、扉をしめない 所作が目立って来たので、こうなってはもはや、立派な精中に、副院長に呼びかえされ、伊助がまだ梅村の番頭時代 神病者なので、とりあえず、与助に打電したが、この方かから、書いていたもので、入院してからもそれだけは肌身 おとさた らは、全然、音沙汰がないので、止むなく、病院で出来るを離さなかったという小冊子を、何かの参考になりはしな だけの処置をつくしたという。然し残念ながら、心臓衰弱いかといって渡された が加わってきて、絶望状態のまま、一週間を経過した。病帰りは、はたして雪がふり出して来た。右手に傘、左手 しよくしけつまう 院としては、その間、特に栄養に注意し、食思欠乏に対しには伊助の骨を捧げているので、康吉は寒いのに、汗を出 せんじよう ては、腸洗滌、胃洗滌を行い、しまいには人工栄養を行うした。伊助は康吉とちがって、上背もあり、骨太の方だっ * アヘンチンキ と共に、食塩水、葡萄糖の注入、発作時には、阿片丁幾をたので、骨壺は持ち重りがして、手にこたえた。 与えて、鎮静をはかったが、遂に一週間前の二月一一十日に 店には誰もいなかったので、ドンドン上って、奥に 至って、死の転帰をとったのだという 通り、床の間にソッと安置して、しばらく又、その前に跪 更に、与助の方へ数次にわたって通知を出したが、所在坐していた。 しようじ 地不明のため、病院で火葬に付し、そのうえで、康吉のと スッと背ろの障子が明いて、お喜多が入って来た。 吉ころへ、引取方を依頼するという始末なのだった。 あら」 「お帰んなさい。 骨壺が目に入るなり、すべてを察知したお喜多は、軽い 屋「いや、そうでございましたか。それでしたら、もっと遠 悉慮なく仰有っていただいたら、すぐにも、飛んで参りまし驚きの叫びと一緒に、康吉の傍に寄り添った。 たのに。ほんとに気の毒なことを致しました。いい え、も「亡くなったの ? 」 」む、り 四う、伊助さんは、私の大恩人じやアございますし、葬いを「うん。お気の毒だった」 「 : : : すみません」 出して上げる位の義理は、充分にございますんでーー・ヘ おっしゃ ぶどうとう 0 あんら 0
178 いて、それからグダッと、火鉢の前へ、膝をついた。 「何をいうんだ。私がこうして、店をはり、鶴むら染なん 「おお、痛い。何も、そんな乱暴しないったって。 ていわれるようになったのも、みんな伊助さんのお蔭じゃ いじやアーーーないの」 ないか。どんなことがあったかは知らないが、場合によっ 心もち、蒼ざめた顔をあげ、両手で打たれた耳の下をお ちやア、お前の反対を押しても、私や伊助さんを背負いこ さえながら、お喜多は目をうるませた。康吉はまだ、立っ むよ」 「そりやア、ここはあなたのお店だから、何をなすってたまま、 も、あなたの勝手だけれど、その代り、あたし、看病させ「黙れ。っぺこ・ヘいうと、又、やるぞ」 どな こし まっぴら と、呶鳴り、更にぶるぶる腕をふるわせて、拳を握りし られるのは真平よ」 たすき めた。それを聞き、おくらが、襷がけのまま飛んできて、 「何をいってる。人間はお互い様だ。この前だって、お前 二人の間に入りながら、 の反対がなけりやア私や自分でチャンと看病する気でい 「まあ、どうなすったんですよ、旦那。そんな手荒なこと た」 「あら、あんなこと云って、此の前やめたのは、あなただをーーー」 それで康吉は、ますます兇暴になりそうな心の動顯 って同罪よ」 を、強いて逸らして、往来へ飛び出していった。 「どうして ? 「だって、そりや私が反対したけれど、それをいいことに 章 あなただってドンドン提案を引っこめたんですよ」 諸ロ病院副院長の話によると、伊助はその後、定期性の 「今になってそんなことをいったってはじまらない」 ラノイア けいび ずいぶん 感情失常の傾向と、讎執病的な妄想の複合する軽微の精神 「あなたって人も随分、勝手よ」 障害をつづけてきたが、最近に至って、退行期に発する病 お喜多も負けずこ、 冫しいかえした。康吉はどうしたのか、 たこうしようてき くもんせいゅううっしよう それが無性に腿にこたえ、急に激情がこみ上げてくると、的苦悶性憂鬱症を発して、それまでの多幸症的傾向を一変 物もいわずに、お喜多の耳の下から頬へかけて、ビシャッするに至ったというのである。社会及び身辺に対する憎悪 ぎいしよう と平手打をくわした。 と同時に、自己の罪障妄想がおこり、発作中は、康吉の名 せつかん 「いにし を呼びつづけ、その昔、康吉を折檻した罪障によって、 お喜多は一瞬、くらくらとしたらしく、二、三歩よろめ今、地獄に落ちるのだというような妄想に苦しめられ出し あお どうてん
ている。漆や金糸を巧みにつかって、新しい調子を出すの初風会をやめたので、康吉は又、店に坐っていることが がうまいという定評だが、ほんとの技巧は、あれじやアな多かったが、その姿は何となく淋しそうで、たとえ、時流 。どうしたら自分の真実が、世の中の人の胸にったわっ に媚びなくとも、もう一旗あげさせたい気が、折々お喜多 ていくかということで、散々悩んだあげ句に、作り出しての胸を掠めた。然し、康吉の方では、そんな派手な身振り いくのが、お前、ほんとの技巧だよ。自分というものが何は、もう、うんざりで、それより、いつ、商人という境涯を打 おもね もなくって、ただ、世の中に阿っていくのに必要なのは、切ろうかと、ひとり静かに思いを凝らしている最中だった。 技巧というより、遊泳術だ。福平のべた漆なんざ、私は技或る日 やつばり、その日もいっふり出すかもしれ 巧という言葉ではあてはまらないとおもう」 ないような雪もよいの日だったが、一通の速達がとどい た。丁度、康吉は店頭に出ていたので、すぐ受取って読む 「福平の悪口になるからもうよすが、つまり、ああいう芸と、諸ロ病院の名で、飛田伊助のことにつき、至急面談し と′ こうげんれいしよく 当ってものは、仕事の中でも、巧言令色なんだよ。何もか たいから、御来駕をたまわりたいという文面だった。 も、調子を合わせるという一点につきるんだから、実に信「こりやア、もしかすると、伊助さんに何かあったんじゃ じられないじゃないか。一体、お前、べた漆なんて、どこアねえかな。それとも逃げ出しでもしなすったか . が美しいんだい。美しいと思わせる所は、全然、ありやア と、康吉はその手紙をお喜多にわたして、すぐ、支度に しないじゃないか」 かかった。雪が降ると困るので、背広に外套を着込み、ゴ 「ほんとね」 ム長を履いた。いざ出かけようとすると、お喜多が背ろに 「そうだろう。お前だって、そう思うだろう。少し、目の立ったままで、 ある者は、金を貰っても、美しいとはいえねえよ。あんな「あなた。又、いっかのように、伊助さんをお店へつれて おっしゃ 吉もんで、世間の調子を取った気でいるんじやア、福平も先くるなんて、仰有らないでよ」 と、念を押した。 屋が見えてる・ーー」 りくっ 皆 が、お喜多にすれば、理窟はどっちに歩があるにしろ、 「さア。わからねえよ。時と場合じやア、その位の侠気は 悉 康吉がまだ闘志を捨ててないことだけはわかり、それさえ出さざアなるまい」 行あればと、女房らしい希望をつなぎとめた。 「へんね、あなたも。伊助さんのこととなると、侠気なん て、柄にないことをいい出すのね」 その年は雪が多かった。 おとこぎ
176 こ。うげ・んれいしよく めんじゅうムく 事をしておいたが、もともと、巧言令色というか、面従腹 しばら 五章 背というか、油断のできない処があるから、もう暫く形勢 「私やア、何も馬越福平なんぞに、負けて引きさがるんじを見ないうちは、まともに話は受けにくいとおもって やア絶対にない。けれど、前から承知してるように、初風る」 しよじばん 会は私のものじやアないんだし、ただ一時、私に、諸事万「そうよ。あなたったら又、人が好すぎるんだから、福平 たん 端をまかしてやらせたにすぎないんだから、それが私にまさんなんて世間師のいうことは、よっぽど、気をつけて聞 かせきれなくなった以上、私の方から、辞表を出すのが、 かないと駄目よ」 当然だろう。初風会を罷めたからって、鶴むら染が減びる「世間師はよかったね。阿蘇さんがいっか云った言葉が思 わけのものではない。又、若し、それで減びるようなもの い当る。これで案外、時流に媚びることに一生かかって夢 だったら、減びても仕方のない、ぐうたらべえだったって中の人もある。当人は、結構、それを情熱だと思っている しまっ ことになる。出るも引くも、潮時だ。一番、きれいに進退から余計、始末に困るってね。私やそれを、そらで覚えて するつもりだよ」 いるんだが、福平がまことにそれた。自分では、あつば もっ と、帰ってきて、康吉はお喜多にいった。 れ、美術家を以て任じているらしいんだが、あの人の見て 「それで、馬越さんは、どういう方針で、あとを引受ける いるものは、時の要求だけだ。どうしたら、人に喜ばれる んでしよう」 か、そればっかりだ。そのためには、どんな芸当でもして さすがに女だけに、お喜多は気の小さい処に、こだわっ見せる」 てきいた。 「その代り、技巧はなかなか、大したものね」 「ふん。福平には福平のやり方があるさ。べったり漆や総「おっと待ってくれ。人はすぐ技巧というがね、ほんとう 絞りの好きな人だから、初風会の空気もガラッと変る。での技巧は、自分のなかのホンモノを打出すために必要なの ぬけめ も、あれで抜目なく、頭の働く方だから、鳥羽や三勝は、 が技巧さ。ニセモノをごまかすのに必要なのが、技巧だと 打っちゃっても、阿蘇さんの丸帯は、離さないだろう。箔思っちやア、大間違いというものだ」 というものを考えるから。鶴むら染だって、もうちゃん「さア又、むずかしくなったわね」 「何アにむずかしくもなんともない。技巧という言葉を、 と、渡りをつけた気で、今迄の何もあるんだから、是非 代表作の出品だけはつづけてくれといって来た。私も生返よく噛みしめればすぐわかるこった。福平は技巧にすぐれ
ばかりでなく、自分の周囲の誰れ彼れとなく、みんな自分てくると、それこそ、べったり漆というような悪趣味な加 を小馬鹿にしているのは、この生れつきの、安つぼい風采工品が、すでに一部の勢力を支配しはじめ、どちらかとい にあるにちがいない。 こうなると、なまじい人に逢ったり うと、古典味のある鶴むら染を、次第におしのけようとす せず、ただ、自分の作品だけを世の中へ押し出して、それる気構えを見せてきたのであった。 からだ をよく見て貰う方がいし 。自分の驅を、そこへ出すと、却康吉の心情は決してそれに負けたのではない。そういう じゃ って作品に翳をさすことになる。ーー康吉はそんな風に気傾向を、邪とし、悪とし、敵として、染織界の粛正を念と ぎゅうじ の小さい苦労をすることさえたまにはあったのである。 しながらも、初風会を牛耳っている根本的な勢力は、どこ 別れしなに、康吉は云った。 までいっても資本であって、それは、芸術的良心にしろ、 「津田さん、実は私も、この次ぐらいで、初風会からも、伝統の意思にしろ、日本的性格にしろ、何が立ち向って きんじようとうら 手をひくつもりなんですよ」 も、デンとして、めったに動くことのない金城湯池 ( ? ) びつくり すると、津田は又吃驚したように目を大きくして、 であったから、さすがの康吉も、歯が立たず、当然の帰結 「へえーー・。でも、鶴むら染の社会的存在は、この会に負うとして、彼自身が身をひくほかはなかっただけのことであ もんがいかん 所が多いんじゃないですか。門外漢にはわからないが、康る。それでも一度だけは、漆糸入を、全面的に否定し、重 吉さん、世の中は何事も、自重するに如くはない。頑張っ役とどこまでも張合って、康吉の主観を押し通したのは、 て下さい。僕も康吉さんに負けないで、頑張りますーーせちょっと痛快な思い出であったが、それも二度、三度と重 めて、課長にならんことには、大きな顔はできませんよ」 なってきては、康吉に勝目はなかった。 とう 康吉は、それに対して、何ともいい様がなく、ただ黙っ ( 鶴むら染も、少し薹が立ってきたので、康吉もあせって たいとう て、挨拶するのにとどめたが、それでも、古いことを知っ いるーーそれで、新しい流行の擡頭に神経質になり、殊に 吉ている人に対する友情は、別れてからも温かく、彼の身う漆糸入を強敵視して、故意に妨害しようとするのだ ) 屋ちを流れるのがわかった。 そんな悪口を放送する某重役に対して、康吉は遂に、勘 皆 果して、翌年の春の会を終ってすぐ、康吉は辞表を忍しきれなくなったのである。然し、重役側では、康吉の 悉 つうよう 出した。直接の動機は、まだ市場に圧倒的には出て来てい退陣には一向に痛痒はなく、大亀の子分で、馬越福平とい なかったが、お召や紋生地に、金糸入、銀糸入の流行が起う、金糸や漆で、売出した御召専門の人気者を、すでに康 ぬいとり うるしいと り、更に、けばけばしい縫取や、漆糸の変り織が歓迎され吉の後釜に、用意してある位だった。 さら・ はた
174 しゆくせい なり、社会の各方面に粛正が行われたことは明らかで、国も、明快な観察も影をひそめて、ありふれた新聞常識の受 民一般も大正から昭和〈かけての、思いき 0 た埓と矼売り程度なので、康吉は失望した。然し、あとで考える から、立直ろうとする努力と反省の色は漸くあらわれて来と、津田さんだ「て、明治時代の学士様とはちがい、猫も たが、無論、反省どころではない連中も沢山いて、服飾品杓子も大学〈行く今日この頃、赤門を出ても、就職するの の奢侈贅沢に、いよいよ拍車をかけ、道義の念の麻痺状態が漸うや「とのことだとすれば、ごく平凡な会社員タイ・フ は、特に上層生活者に多く見うけられた。実際のところ、 とうとろ・ の外に出るわけにもいかないだろうし、帝人事件の背後を 中以下の生活をしている者は、滔々たる自由主義の名に於つく、思想問題を爼上して、痛快な世界観を一席弁じてく て、最も甚だしく、自由を奪われていたので、暖飽食れという注文は、出す方が無理なのかもしれなか 0 た。 は、これを見ながらにして、一部のものの独占にゆだねた しよせい それよりも、津田さんは、鶴むら染が、天下に高名をあ のである。たとえば、庶政一新をとなえて登場した斎藤内げたことの方が、寧ろ大きな驚きであり、康吉の成功を、 閣が、それどころか、、自ら有力閣僚の刷新を必要とする珍自分のことのように喜んでいる正直な好人物にすぎないの 現象を呈しつつ、冠した帝人事件のようなものを、国民で、話はすぐ、そこ〈舞い戻 0 て、 はまざまざと見せられて、政界財界の上層が、全く、グズ 「いや、全く驚いた。名だたる鶴むら染が、康吉さんの製 グズに腐敗しているのを知 0 ても、さてそれをどうするこ作ということは、知らなか 0 た。こうい 0 ちゃ何だが、水 ともできない有耶無耶な妖雲にさえぎられ、実際問題とし戸時代の康吉さんを思うと、こんなすばらしい腕前のある ては、国民に何の発言権もあたえられているのではなかつ人とは、思わなか 0 たんでねえ」 た。ただ、それは、新聞紙という舞台を通して、遠く演じ康吉はそんな風にいわれると、ほめられているのか、冷 られている大官紳士の訌を主題とした劇映画を観る感じやかされているのか、わからなか 0 た。阿蘇さんも、お喜 以上には出ず、同情してみても、憤慨してみてもはじまら多にいわせれば、どこか、小金でも貸している御隠居然た ないのであった。 るものがあるというのだが、康吉だって、背は低いし、こ びん するうち、何回かの初風会の会場へ、ひょっこり、 の頃、目立って、生え際がうすく、そのくせ、鬢には、若 津田さんがあらわれたので、康吉は丁度いい相手だと、帝白髪が出たりして一向風条が上らないのは、自分でもよく 人事件や大本教の話を持ちかけたが、すでに津田さんは、知 0 てるから、恐らく津田さんだって、そういう見てくれ 俸給生活が身についたのか、学生の時のような、鋭い批判だけで、自分を軽蔑しているのだろうし、それは津田さん
と、お喜多は笑いながら、この頃しきりに心にかかって春と秋の初風会が、幾回となくめぐってくるうちに、時の ゅうたん いることを、ひょいとうまく云ってのけた。 流れも、いよいよ急湍にかかってきた。五・一五は、陸軍 「大丈夫だよ。身のまわりを、いつも見ながら、考えてる側も海軍側も判決の言渡しが終り、最後に、民間側も結審 んだ。何しろ、お前、店の者をみんな、食べさせていく責となり、その大部分は一審服罪ときまったが、然し、こうし 任は、私にあるんだからーー」 た激越な空気が、このままで終結したとは見えなかった。 「そうよ。阿蘇さんみたいに、お金持のお家にうまれて、 まだ、あとからあとから、それを受け継いで立つ人達の動 芸術一本槍でいけた方とは、別ですものね」 きは、誰の目にも観測されたが、その行動の当否は、一般 「そこは、又、阿蘇さんの強味でもありやア弱味でもある国民には、徹底しきれない憾みがあったようである。こと しか んでね。然し、それはそれとして、商人というものは、世にに、神兵隊事件のようなものは、予審終結と同時に、はじ も悲しいものだと、思われてならねえよ。私はこの頃、商人めての内乱罪に問われ、大審院の特別裁判に付されること の考え方に、実に腹が立つ。腹が立っと同時に、こんな腹になったが、公判は、百何回というおびただしい回数に上 の立っことを、毎日やらずには飯のくえない商人というもり、その間、国体明徴問題や裁判長忌避事件があって、波 らんちょうじよう のが、つくづく、哀れだとおもうようになった。そこへい瀾重畳を極めた。 くと、阿蘇さんなんて、仕合せな方だ。好きな道を一生、 であるから、そういう事件に直接間接に関係のある人達 じゅう 立て通して独歩したんだ。私みたいに、右を見たり左を見には、動機なり事由なりがよくわかっても、康吉のような たりしやアしねえや。阿蘇さんに、今年の『ゅめ日和』を市井に住む者には、それが一方では、罪せられながら、一 天下の絶品とほめられて、嬉し泪をこ・ほしても、やつば 方では、庇われているというような微妙な処分の方法が、 しやくぜん り、私は悉皆屋康吉だ。泣いても笑っても、悉皆屋は悉皆釈然とのみこめないところがあった。そういう事件の判決 吉屋だよ」 文を読んでも、泣いていいのか、笑っていいのか頭をひね しぐれ 屋夜が更け、ときどき、時雨が窓をうった。康吉は、久しってもすぐにはわからないようなことが多かった。そこへ 階ぶりに昻奮して、もっとしやべっていたくてならなかった いくと、左翼や人民戦線の弾圧は、はっきり一本、筋が通 のである。 っているので、康吉達にも納得がゆき、又、大本教やひと のみちの教祖達の検挙などは、若い時から、宗教ぎらいの康 むし わがい 四章 吉には、寧ろ大いに吾意を得た思いだった。が、大なり小 かば
172 と思っているんだから、余計、始末にわるい」 ずにおいてくださってる。というより、火の玉のようにな 「ありがとう存じます。その御言葉を、今日の晴れとしって燃えろって仰有ったのは、お前、ありや何だと思う。 て、一生、忘却っかまつりません」 鶴むら染が商品から、美術品になるには、まだまだ、間が あるんだ。私のように、小僧から手代、手代から番頭、そ と、康吉は手をついた。 くうや お喜多も出て来て、何度も茶を淹れかえたり、空也のもうしてやっと、自分の店を出した、いわば、生えぬきの悉 あきんど なかを菓子鉢に盛って出したりしたので、その晩おそくま皆屋という商人が、そこから、阿蘇さんのような美術工芸 で、夫婦の間で阿蘇さんのことが話題になった。 家に成長するなんてことは、決してお前、一朝一タにいく お喜多は、阿蘇金助さんともいえば、もっと堂々たる風こっちやアねえ。それこそ、大変な努力が必要だ。義太夫 ばう 羊のお爺さんかと思ったのに、案外、小金でも貸しているの太夫が、咽喉を破って血を吐くのと、同じくらいの精進 ぜん がなくっちやアならねえ。いや、それ以上かもしれねえと 御隠居さま然たる人だったという批評だった。 りんぜん 「ところがお前、あれで仕事場にいる時は、実に凜然たるおもう」 「じやア、あなたは商売をやめる気 ? 」 ものなんだぜ。威厳があって、まさに、あたりを払ってい ムしん お喜多は驚いたように聞いた。 るのさ。普請はあんまり立派でない、借家普請なんだが 「まだ、やめるとは、はっきりしないが、やめたいという 「とにかく、あなたも、阿蘇さんにあれだけほめられたの希望は、前から持っているさ」 おりがみつ だから、折紙付きね。あたしも嬉しくって、茶の間でお茶「へえー。はじめて聞いたわー うぬほ 「でも、それは自惚れすぎたことかもしれないからね。悉 を淹れながら、泪がでて、たまらなかったわ」 。しつまでいっても、悉皆屋の方がほんとうかもし 「いや、まだ、まだ。ここで慢心したらおしまいだ。こり皆屋よ、、 はなむ 第一、まだ、私はれないという気も、しきりにするし」 やア、鹿島立ちの餞けだと思えばいい。 「迷ってしまうわね」 商人だから駄目だよ」 「やつばり、自分にほんものの力がついてこなければ、い 「だって、そりやア仕方がないじやアありませんか」 つつし くら、あせっても駄目たから、身の程は慎んで、やってく 「いや、仕方がないことはない。染織美術とは云い条、鶴 むら染はまだ、商品価値に支配されているうちは、本当のつもりだ」 値打にはなっていねえ。そこは、阿蘇さんも、知っていわ「ほんとに、いやよ。一途にの・ほせ上ったりしないでよ」 ふう おっしゃ