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検索対象: 現代日本の文学 28 舟橋聖一集
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1. 現代日本の文学 28 舟橋聖一集

「大丈夫。酔ったんじゃないの」 「人生観をいってるんだ」 「いいよ、女中を呼んでくれー 「ふふふふ」 こうふん 「そんなに昻奮するもんじゃないわよ」 と又、お喜多の人を小馬鹿にした笑声がおこった。康吉 ひざ よびりん お喜多は、膝でいざって、呼鈴を押した。 は一段と高く、 「笑うな」 「いいか。道義ってものはね、普通は第三者があって、は 「おや、笑っていけないの。一体、どうしろっていうのじめて成立つもののように思っている。ところが、ほんと はそうでねえ。第三者があっての道は、人間のこしらえた よ」 道だが、一一人っきりの間にあらわれてくる道は、自然道 「悉皆屋にだって、人生観もあれば、哲学もある」 とうと だ。この方が、貴いのだ。だから、おさんさんのようなや 「恐ろしく、むずかしくなって来た」 「哲学は大学生の専売特許じゃないんだ。世の中のどこにり方は、自然の道義にそむいている。私しゃああいう間違 いは、じつに、怪しからんとおもう」 だって、行きわたっているのが哲学だ」 うかが 「では、一体、どういう哲学さ」 「その点は同感よ。でも、あなたのお話を伺ってると、ま かかあ コ一人だけの世界にも、自ずから、道ってものがあるってるで私が嬶天下みたいなんだものーーー」 ことだ」 まだ、あんなことをいってやがる、と康吉は、ジロッと 「ああ、そのお家騒動説ね。それがあなたの発見した哲学にらみつけたが、そこまで云って、もう一つ奥までいえな い、づま だっていうのね」 い自分が、びたっと、行詰りになっていた。このあとは、 らよこ 「そうだ。そうだが、おまえは私ってものを、なめている猪ロでもとって、河原へ投げつけるか、でなければ、お喜 ようばうしよさ から、どうしても、そういう言葉づかいになる。私しや、 多の横っ面を張るか、理性を超えた兇暴な所作しか残って いなかったが、康吉はいつもそこで、感情を撼棄する工夫 吉口惜しい。悉皆屋なんてものになったばっかりに、みんな そうじゅう ができるのだった。商売もそのコツなら、細君操縦もその 屋から、馬鹿にされるんだとおもうと」 コツ。つまり、話のわかる時まで待てばいいのである。す 皆康吉は鼻声になっていった。 「馬鹿になんかしてないわ」 ぐ、その場で、わからせようとしても、悪あがきになるば かり。そういう時、康吉はきまってロの中で、鳴くまで待 四お喜多もさすが、真面目な顔つきになっていた。 ねんぶつ ほととぎす 「もう一本くれ」 とう時鳥と、例のお念仏をとなえるのであった。そこへ、 おの

2. 現代日本の文学 28 舟橋聖一集

がけをすれば、何ンとか飯を食う手段を授かると云われたはじまらぬのである。 ものだが、現代では、三年が十年、雑巾がけしても、どうそれで、木宮たま緒は、刑法と憲法の試験に落第する にもならない。それよりも、もっと直接の方法で、飯を食と、絶望して、大学へ行くのをやめてしまった。然し、二 って行かなければならない。雑巾がけをすれば、やがて認年近い学生生活をしたので、学生気分は十分に味わうこと められるだろうと云う甘い見通しはつかなくなり、従って、が出来たから、中退後も学生を装うことは何ンでもない。 雑巾がけは、どこまでも雑巾がけにすぎないと云うことに学生であるほうが都合のいいときは、学生らしく振舞い 学生であっては不都合な場所では、普通に振舞う。変貌自 なった。雑巾がけをしたら、雑巾がけだけの報酬を得て、 それですべてを清算してしまう。雑巾がけをしたと云って、在にやってのける。そういうスリルを、且っ楽しんでもい る。そして、アル・ハイトのお蔭で、貯金が三万円にもなっ いつまでもそれを根にもっていても、何ンにもならない。 すなわ 即ち、雑巾がけは、今ではもう、出世のツルにはならなた。 。出世のツルだと思って、雑巾がけをしていると、最後片川っゅ子が、沢渡道夫にむかって、 はず へ来て、アテが外れるのが、普通である。 「木宮さんは、あんな好奇心の強い女の子ってあるでしょ 木宮たま緒なども、そう思っているから、まじめに学校うか。好奇心だけで生きているみたいだわー さすが と云ったそうだが、流石に片川は、学生間にも知れず へ行って、教授連の講義を神妙に聴いている気にはなれな くわ いのである。すべての努力が、むなしいもので、教室の聴に、カンニングをする位だから、黙っていて、人を詳しく 講も、雑巾がけのようなものだからである。昔は、教授の観察しているに相違ない。大体、女子学生は、男の学生を お覚えが目出たいということで、何ンとか保証附だった。子供扱いするものである。同い年の男性に対しては、三つ 今は、教授連その人達が、みな大したことはない。男の学四つは年上のような観念になる。木宮たま緒は、男の学生 意生にしても、教授に見こまれることが、幸福とのみは云えに対して、 オしいや、却って不幸になる場合もありうる。仮りに教「あの子ーー」 授に見こまれて、助教授なり講師になったところで、一生とか、 善 白墨臭い明け暮れを送るだけで、人生の幸福を体得できる「って子はーーー」 とか呼ぶ。また、映画を見に行く時など、 率はうすい。況して、女子学生には、そういう道すらひら ししゆく 4 けてはいないのだから、老学者に私淑してみても、一向に「男の子、連れてってやろうかしらし かえ へんばう

3. 現代日本の文学 28 舟橋聖一集

何でもないことだ。しかし、また、別の面から見ると、君「僕はいらん、博士号なんか」と彼は答えた。 は大へんな堕落をしたことになる。そして、またとんでも「でも、これから一人で飯をくっていかなくてはなるまい」 ひれつかん ない卑劣漢のように、批判されても、なかなか、言い訳が「しかし、飯をくうだけなら、何をしてでもやっていけ 立ちにくいものだ。その意味では君は、実につまらぬことる。鰻かぎをしたっていい」 をした。それも、ただ、率直に私に打明けられなかったと「そうか」 ひきよう いう、一点からだ。しかるにみんなは、君を、最大の卑怯「それに、僕の培養基は、僕がここをやめようと、博士に ものこうかっ ! うとくしゃ 者、狡猾なる詐欺師、私および学問への計漬者というふう なろうとならなかろうと、ちゃんと、世に行われ、珍重さ りくっ しい立てている。私は、そういう理窟はきらいだが、 れて、人類のために、役立っておるんだから」 たた 君はそういう理窟に叩きつけられるような弱味を持ちすぎ「それもそうだ」 ている。要するに君は、不運なのだ。実はみんなして、私「僕一個の、薄い才能と、乏しい頭脳とで、社会的にやる の顔に泥をぬっているくせに、君だけが、泥を塗ったことだけのことは、ずっと、やっているわけだ。丹沢培養基は に、裁判されている。 どうしたらいいと思うか、君不減のご用に立っている」 と、東介は覚悟をきめてしまった。しかし、お篠のほう と、博士は、きわめてやさしく、もののわかったいい方の覚悟は、なかなかきまらずに、それからも、始終、東介 をした。しかし、問題はそのときすでに決していたのだ。をじらしたり、迷わしたりした。お篠が、ぐっと、柔順に 「先生のご恩は、一生忘れません。どうか、先生のお心なったのは、それから、七八年たって、ようやく、全部、 で、この、下らない丹沢東介とお篠さんをゆるしてくださ東介のものになってからのことである。楯矢博士も、亡く たど い。私は、すぐ、辞表を提出いたします」 なり、東介の往年の学敵も、いろいろな消長のあとを辿る 痩と、東介は泣きながらいった。 うちに、どうやら、世間をひろく見わたせるようになった むろん、研究所の仲間のうちでも、同情者はいた。秋山ころ、東介はお篠を妻にしたのである。気の勝ったお篠 夏博士もその一人であった。彼は、私行は私行、学問は学問も、それで、ガックリ気が折れて、それからというもの だから、せめて、丹沢培養基に関する論文を出して、学位は、まるで、人がかわったように、」 前にも書いた、己れを もら むよくてんたん だけは貰っておけとすすめたが、もうそのときから世間的無にした無慾恬淡の女にかえって、夫のために身も心も捧 みようり な名利に対しては、順応する気がなくなってしまっていた。げつくそうとする女の一徹な気持が、このごろになって、 どろ

4. 現代日本の文学 28 舟橋聖一集

「木沼なんか、その点は全然無知なんだ。翻訳文学しか知ている。それを何も一々、はいはい云って、云うことを諾 らない文学青年みたいなもので、自分達の攻撃目標のことくことがあるだろうか。たまには、今夜はいやだ、とか、 をまるで知らないで、ただ、革命だけを強調してみても、全部ぬがない、とか、少しはわがままを云ってもいいンじ カラ廻りじやアないか。一度河野の話でも聞いてみりやい ゃないか。安保にしても、十年は長すぎるンじゃないか。 いンだ」 時々、契約期限が切れて、条件をよくする機会をとってお いてもいいンじゃないかーーそういう考え方があると思う 「河野はアメリカに対しては、どう考えているんだろう」 「吉田・池田の線が、親米・反ソでストレートなのに対しンだ。もっとも、これは河野に直接聞いたわけじゃない。 そうごう て、河野一郎は農相時代ソ連へ漁業交渉に行ったりして、親父なんかの話を綜合して、オレが推理した表現だがな」 すご ねん tJ フルシチョフとも懇ろに話したし、プルガーニンやモロト 「君の話は凄いところへ飛躍するンで、面くらう」 「ところがさ、藤山なんかは、自分のほうから、旦那の首 フとも、一緒に飯を食っている。ああいう男だから、フル シチョフとは気が合うに違いない。と云って河野を容共と っ玉へ、齧りついてゆくところがある。脱げといわれる前 見るのは当ってない。河野は、世界に戦争はなくなったか に、全部ぬいで行く。いくら属国でも植民地でも、何もそ ら、戦争以外の方法で、おくれを取らないようにしなけれんなにまで、デレデレしてみせることはあるまい。もう少 てれんてくだ ばならない。その研究が全然出来ていないと云っている。 しは、手練手管で、旦那をじらすほうが、金もとりいいン 世界警察ということも、かなり本気で考えているらしい じゃないか。つまり、売りこみすぎるというンだ。十年を だから、アメリカに対して、日本が属国であるのは致し方五年にしたからって、何もそのとき、旦那の首をすげかえ びたい もないとして、身ぐるみ脱いで、媚態を呈するのは、、 しゃて、アイクからフルシチョフに転向するというわけじやア だというところじやアないのか」 、、。オレま ないが、たまにはそう云って、おどかすのもし イ身ぐるみ脱ぐ媚態というのが、巻村にはすぐ、のみこめそう思うがね。あんまり売りこめば、鼻につくだろうし、 ギ よ、つこ 0 ル十 / 、刀ネ′ 甘くも見られる : : : 日本人は権力の前に弱すぎる。これで しようふ だんな ネ 。譬えばさ、アメリカは娼婦日本の旦那さ。可愛は、将来どんな無理を押しつけられるか、わからんのだ」 工 もろい がってくれるのよ、 をしいが、その代り基地を貸せの、型師井に云わせると、藤山外相はあまりに、事態を甘く見 ていけっ 3 機をおけのって、注文が多いだろう。金持の旦那が芸者をているので、おそくもこの夏には、安保新条約の締結並び はんろう 裸にして、こっち向けの、あっち向けのと翻弄するのに似に調印が出来るものと信じ、幾度も外相談話を発表してい たと ほんやく かじ

5. 現代日本の文学 28 舟橋聖一集

の風潮は段々そうなる。何も、おくらの肩をもつわけじゃ 「いや、いや。今日はあなたに傍にいて貰いたいの。昨夜 アないが、こんどの病気たって、恩返しのつもりで、あれの罰金」 としては、まあムキになって看病したんだ」 「罰金は驚いたね。私もたまには、看病してやりたいが、 「看病してくれるのは有りがたいんだけれど、何だかんだそうもしちやアいられないんだ」 って、うるさいんでね」 「じやア、又、どっかへお出掛け」 と、少しお喜多も調子をおろしながら、 「ちょっくら、阿蘇さんとこへ顔を出して、大亀の返事を 「でも、云ってたわよ。男は楽に家を明けられると思うして来ざアならねえ」 と、何をするか知れたもんじやアないから、ちゃんと、あ「又、お泊り」 んだつ「何アに、夕方ーーーおそくも宵のうちには、帰ってくる」 の立っ時でも、ギュウギュウいわせとく方がいい 「あたしも早くよくなりたい。そうして、美味しいものを 「ふん。ひどいことをいいやアがる」 食べたい。お風呂にも入りたい。いくら、香水線香を焚い 「でも、それは真理よ。家を明けるのが癖になったらおしても、病人の部屋って、寝臭いでしよう。、 しやアね。どう まいね。何でもしようと思えば出来るもの」 していつまでも、こう、はっきりしないのかしら」 だま しんほう や 「おくらもきっと、亭主に騙された方だろう」 「もう、一息の辛抱だ。でも、食べてないわりに痩せない 「そうなんですって。ふふふふ。一一十年も全然知らなかつね からだ たのに、死んでみたらちゃんと、二号さんだか何だかが、 「顔はもともと、小さい方だから。でも、驅は大変よ」 囲ってあったっていうの、男なんて、ほんとに、わかった「そうか」 「骨と皮ーー」 もんじやアござんせんーーー」 こわいろ 吉と、お喜多は、おくらの声色をつかっていった。 「そうでもないだろう」 だ、よう 屋「そんなところは、大いに妥協して、共同戦線をはってる蒲団の上に、白い手だけが出ているが、それもお喜多の 皆 くせに」 いう様に、痩せ細ってはいなかった。髪はおくらが始終、 悉 ながわずら す 「はははは」 梳いてやるので、長病いの病人のように、・ハサ・ハサではな 「さア、機嫌を直して、おくらと仲直りをおし。何ってつく、顔も時々は、白い粉をはたいているので、不断のよう な血色はなくとも、そんな病人病人した顔付ではなかっ ても、看病して貰わなくっちゃ、不自由だもの」

6. 現代日本の文学 28 舟橋聖一集

たというのはむろん真赤な嘘だった。 「そうよ をいかないよ。やる以上はね : : : 」 木宮たま緒は、恐れ入っている沢渡にむかって云った。 「でも、あたしも、坊やに大金をこしらえて上げる義理は「あたし、坊やのしたことを憎んだりはしてないの。それ ないものね」 より、あたし自身、やつばり月並な善意の持主でしかなか 「そうか。しし 、よ。頼まないよーー・」 ったことを発見して、絶望するの。でも、あなたのおかげ と、沢渡は、しょげた顔をして立上がり、階段のほうへで貯金帳をはたいたから、こんどこそ、三十円しか持って 歩いた。が、また戻ってきて、 ないわ。三十円から再出発するの。あたし、劇場の照明部 「僕の一生をあげてもか。 僕は前から、そう云いたか に入れて貰うかもしれないわ」 くちひげ ったンだ。阿母の葬式さえ出せば、あとは自由なンだ。少沢渡は、光線のエで青く見えるロ髭をはやし、急に年 ただ しばかりある山林を売って、東京で一緒に暮そう」 取って見えたが、只、 と云った。 「すみませんすみません」 木宮たま緒は、不覚にも涙がわいた。三万円の預金をお の一点ばりであった。むろん、照明部へはいれるかどう ろして、渡してやろうと云う気がした。それで黙って、手かは、未定のことだ 0 たが、ほんとうは、あの照明係りの を出して承諾の意思を示した握手をした。 橘と結婚しようかと、思わぬでもないのだった。 であいがしら 四谷署を出てくると、出合頭に、ばったり会ったのが、 片川っゅ子だった。 しか 然し、木宮から三万円を取った沢渡は、故郷へ帰っては「まア : : : 片川さん」 いなかった。彼は最近、就職した或る保険会社の金を十万と、木宮たま緒は目をむいて立止った。ところが片川っ 意円ほど使いこみ、それがばれそうになったので、木宮からゆ子のほうは、鼻と鼻がぶつかるほどなのに、全く知らん 金を借り、急場しのぎをつけようとしたのだった。使いこ顔をして行きすぎ、署のドアの中へ、はいった。木宮は、 しようム 善みの十万は、新宿一一丁目の豊錦楼の娼婦につぎこんだもの又してもしてやられたと、頭から血が引いて、思わず一足 である。 よろッとしたが、然し、たしかに片川っゅ子だったのか、 一月ほどして、沢渡が検挙されたとき、木宮たま緒も参それとも人違いではなかったかと、もういちど、署の玄関 考人として、四谷署に呼び出された。母親が脳出血で斃れをふりかえった。 た紹

7. 現代日本の文学 28 舟橋聖一集

草花の栽培など、やろうとすれば、仕事はいくらでもあり ます。どうそ、寮生活をたのしく意義あらしめるために、 「どうだった ? 」 新入生のみなさんの御協力を期待いたしまして、私の挨拶「サア : : : おタマが感心してるほどは、どうかな」 を終りたいと思います」 「決してアジらないけれど、ちゃんと聴衆の心の奥へ届い しゃ これだけ喋べるのに、布原タマは汗一つかかず、終ってちゃうのよ」 からも、水一ばい、呑もうとはしなかった。英子のほうが「おタマだって、なかなか、アジってたじゃない」 こうムん 亢奮して、体中が熱っぽくなった程だ。新入生の中には、 「冷やかさないで : : : 時にね、英子。こんど木沼さんに逢 たた 卓を叩いて、 うときに、一緒に行って見ないことーー」 「異議なし」 「どういう意味 ? と云う者もあった。 「こんど私が寮委員長になった挨拶をしに行かなければな 英子が先に、号室へ戻ってきていると、まもなく、タらないンだけれど、相手が大物だしさ、一人より一一人のほ マが引上げてきた。 う力いいもの」 「今日の挨拶は、上出来だったわ」 「行ってもいいわ」 と、英子は待ちかねていて、賞めた。 と英子は答えた。前から木沼のことは、布原に聞いてい 「もっと政治的なことを云おうと思ったンだけれど、ダメ たので、唐牛や清水よりは、気楽に逢えそうだった。とに ぎゅうじ だった。うまく、アジれないわ。そこへいくと、木沼さん かく、全学連主流派を牛耳っているような連中には、遠く なんて、実にうまいわ。ペタベタしないで、サラッとし から、望遠鏡で眺めるように、見るしかないのだが、布原 て、ズリなの。ちゃんと、わかるようにもっていく、 そタマが、役員になったのを契機にして、彼らの顔を、望遠 の運びのよさッたら : : : 聞いてると、ゾクゾクしてくる鏡なしで見るのもいいと思ったのである。 「只ね。少し心配なのは、木沼さんが英子を見て、どう思 「そんなにすてき ? 」 うかさ」 * かろうじ 「唐牛さん、 小路さんなんかも、うまいけれど、木沼さ「え ? 」 んの度胸のよさったら : : : 垢ぬけしたもンよ。聞いたこと 英子は何ンの意味か、わからなかった。 ある ? 」 「リ 1 べするかもしれない」

8. 現代日本の文学 28 舟橋聖一集

212 ばうぎよ 抵抗はやめないぞと思った。攻勢もゆるまないが、防禦もわ」 それに負けない。木沼がしめつければ、はね返し、ところ「何ンて云われてもしようがない。云いたいだけ云ってく きらわず、噛みついたり、ひっ掻いたりした。とうとう、れ。気が晴れるまで・・・ーー」 木沼のほうが、攻撃をやめた。英子は撥ね起き、まくれた「木沼さん。今みたいなことをして、一体何が面白いの スカートを直してから、 「乱暴よ」 と云った。木沼は頭をかかえ、今夜の縮尻に、ひどい自「よしんばよ、あなたが私を暴力的に征服したとして、何 けんお ンの価値があるの、今のような行動に : : : 」 己嫌悪を感じた。 「自己批判すれば、松本へゆく途中、急にここへ寄る気に 「参った ! 」 なったときから、悪い考えがあったのだろう。僕は片森さ 「何が参ったのよ」 んを愛していて、物に憑かれたような気持で、湖水まで来 「理性を失ったのは、不覚だ」 てしまった。然し、それを直接云う勇気がなくて、ポート 「不覚も不覚も : : : 何ごとよ」 ホートへ乗 へ乗ることになった。島へ行こうという気は、 : 「何ンと云われても、弁解なしだ」 ひ、よう るときからあったかもしれない。 : ホートの中で、櫂を上げ 「卑怯よ。島なんかへ連れてきて」 るたんびに、衝動がこみ上げてきた。・ヘゼがしたくて、膝 「それは決して、計画的ではなかった」 よくせ、 がガタガタしてくるのだ。それを強いて抑制しようとし 「でも、ポートにのりたいと云ったのはあなたよ」 しか 「然し、島へ上るまでは、乱暴しようなんて、夢にも考えて、タ・ハコを呑んだり、ロ笛を鳴らしたり、と・ほけられる なかった。二人で月を見るだけで、最高と思っていた。そだけは、と・ほけるつもりだったのだ」 木沼はそう云って、苦しそうに頭を三度ばかり、ガンガ れなのに : ノ卩 . 、こ。 「きらいー」 「仕方がない。僕は失格だ。もう二度と、片森さんの前へ英子は黙っていた。月が少し、翳ってきた。 は出ない。出られない。実に僕はなっていない。卑劣漢だ弁財天の祠のほうで、ガサガサ、音がしたと思ったら、 背の高い外国人と日本の女が、坂道を下りてきた。今の騒 「その通りよ。云ってることと、することがアベコペだぎをこの人達に見られたかと思うと、英子は恥に、全身が しくじり たた

9. 現代日本の文学 28 舟橋聖一集

れは、満を持している警視庁に対して、茅学長が、 と、守谷委員が云った。その守谷と秋岡は、駒場の友達 「学内踏みこみは、十日まで待 0 てくれ。説得が水の泡にに連絡に行くというので、英子は彼女らの代りに、布原の なるから」 はいっている診療所へ、十通近い通信の伝達をたのまれ と申入れていたせいもある。 ほうたい 九日夕刻、教養学部学生部から、清水に対する退去命令 布原は大分回復していた。頭部裂傷の繃帯も小さく が出た。それは、「寮に宿泊或いは仮泊するときは、学校なり、顔色にも、血の気がさしていた。一緒に入院した英 たて 当局の許可を必要とする」という内規を楯にとり、これに文二年の学生は、昨日退院したとやらで、隣りのペッドは 違反している清水を学外に退去させろという勧告である。空いていた。 清水にとっても、中央委員にとっても、致命的な勧告だつ「木沼さんが、はじめて見舞に来てくれたわ : : : 今日」 た。英子はそれを寮委員の秋岡から、聞かされた。 と、布原はニコニコして云った。 「もうダメね : ・・ : これで」 「まア、おそいのねー と、英子は云った。 「でも忙しいもの : : : 個人的な問題は、あと廻しよ」 「清水書記長も、さすがに神経質になってるらしいわ。総それなら、女子寮へやってきたのは何ンだろうと英子は かんしやく 代会でも、癇癪を起したり、ヤジに対して怒ったりしたそ思った。 うよ」 「木沼さんたらさ、もう懲り懲りしたンじやアないかって 「一般学生からいうと、非合法ってものは、どんな理由が あっても、異物なのね。異物が体内から、押出されるよう「何ンて答えたの」 に、経済学部の学生が、駒場寮から出されるのは、自然科「とんでもないわって : : : 懲りるどころか、ますます闘志 学的じやアないの」 も旺盛だし、敵を憎む気持も、募るばかりよ」 「まア冷静ね : : : わたしたちは、身体中の血が炎え立って「木沼さんは喜んたでしよう」 るのに」 「大いにやって下さいって云ったけれど、彼何ンとなく憂 うつ と、秋岡に云われた。 鬱そうだったわ。たしかにあの人は、この夏の前とあとで 「それよりね、神宮外苑には、警視庁の機動車が並んで、 は、人が変ったみたいだわ」 すわ出動の用意をしているって云うわ」 布原は目を細めて、英子の表情にさす微妙な動揺を読も こ 0 おうせい ゅう

10. 現代日本の文学 28 舟橋聖一集

彼は一息に喋べってから、英子の手を口のはたへもってな犠牲が科せられる。いつでも損をするのは、学生なん 行って、吸った。少し、唾液が手の甲へ残った。湖水のだ。歯には歯ってことがあるだろう。歯に唇では、唇は破 夜、木沼の唾でよごされた自分の顔を、冷たい水へ頭ごとれてしまう。狡猾そのものの資本家に対して、純情そのも 浸けて洗ったことを思い出した。 のの学生が向っていくんだから、敵いっこなし。もう少し 「わかりました。自分でもデモこよ ををいかないと決心したけは、学生も相手を見て、闘っていかなくっちやア : : : 」 れど、巻村さんのように鋭くは考えていなかったから、ず「では巻村さんも、安保改定には反対なのね : : : あなたの 話をちょっと聞くと、主流派ばっかり攻撃するから、岸政 るずるに引っぱられていったかもしれないわ。今日のお話 は、身に沁みましたよ。つまりそれが、巻村さんの愛なの権擁護派かと思うわ」 と、英子はまぜっ返した。 ね」 しか 「いや、そればかりではないさ、・ほくだって : : : 然し、今「岸政権擁護派なんてあるのか」 の英子さんに対しては、それが一番大事なことだ。そう思「そりやアないこともないわ。自家用車でくる坊ちゃん派 ったから、強調したンだ。早く云えば、キミを木沼に奪らにはね : : : 」 「あいつらだって、新安保は反対だって云ってるそうだ」 れたくないンだ。それで一ばいなんだ」 英子はよっぽど、湖水の夜の出来事を、物語ってしまお「自民党代議士の息子たちも ? 「そこまでは知らないよ」 うかと思った。それを木沼がおタマに喋べっているらしい し、どう喋べったかもわからなかったからーー。然し、英そろそろタぐれてきたので、英子は叢から立ち上っ かろ た。耳をすますと、秋の虫が鳴いている。巻村は何もしな 子は辛うじて抑えた。そして話題を転じた。 かった。 「巻村さんは、安保をどう思うの」 イ「あれは、むろん憲法違反さ。新憲法下で、ああいう軍事二人は並んで歩きながら、小公園の出口にむかった。 すご ル同盟を結ぼうとしている岸や藤山は、殺人犯や汚職と同じ「六全協以来、代々木と全学連の対立はもの凄いンだが、 ネ ように、逮捕状が出されていいンだ。然し総理大臣を告発そうかと云って、全然、見はなしているわけじゃない。安 しても、多くはナンセンスに終る。それではと、全国的な保反対にしたって、日本共産党は当面の最重要な闘争目標 1 デモをやっても、彼らはデモなんか怖るるに足らずと豪語である以上は、それを題目にして、共闘組織を全国的に網 するだろう・ : : ・逆に学生がパクられる。個人的には大へんの目のように張りめぐらしたいのだから、民族解放戦線の おき しゃ だえ、 おそ こうかっ くさむら