警職法 - みる会図書館


検索対象: 現代日本の文学 28 舟橋聖一集
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1. 現代日本の文学 28 舟橋聖一集

るが、そうは行かなかった。例の六月の岸改造で、河野が見通していたのである。 幹事長を望んだのも、安保が至難中の至難と見たからであ警職法は、河野も通したかった。その頃の河野は自信過 っこ。 多だったから、いくら警察に強権を与えてもかまわない。 らんよう 岸政権が安保でつまずかないためには、自分が一歩退いそれを濫用する奴があったら、内閣はいつでも警視総監を ひめん て、幹事長でもやるほかはないと考えたからである。 罷免出来るつもりでいた。つまり政府が良識的な責任を取 あかぎむねのり 岸内閣の官房長官の赤城宗徳が、内閣改造について、福るから、警職法改正案を通しても大丈夫だと云っていた 田幹事長の後任さえきまれば、すぐ手をつける。今のとこが、実際には、文化人の″静かなるデモ″などを頂点にし ろ、外相・蔵相以外は全部入れ替えるつもりという談話発て、全面的な警職法粉砕闘争に、完敗してしまった。この 表をやったのは、六月一日で、このときは、後任幹事長黒星は、河野にも大きなショックだったので、安保に対し は、河野が買って出る空気が濃厚だった。 ては、甘い楽観は禁物だった。 参院選挙で自民は絶対多数を獲得して、安定勢力を確保然し、世論の大勢は、警職法改正案審議未了で味をしめ こうてつ したから、赤城長官のいう通り、幹事長更迭にはじまる内ているから、安保阻止には、もっと大がかりで、デモの動 閣改造に着手したのだが、何事にあれ、野心家に目されが員数も、何倍かに増員されるだろう。党内からも、批判が ないゅうがいかん ちな河野の幹事長希望を、佐藤や岸派の一部が、恐ろしく出るだろうし、恐らく自民党の執行部は、内憂外患に苦し 警戒しはじめた。河野とすれば、副総理格の自分が、外相められるだろう。河野はそれを思うと、ウカウ力していら でも蔵相でもやりこなせる自信はあるのに、何も身をおとれない気がした。 してまで、幹事長をつとめることはないが、然し安保調印河野は岸への友情がある。鳩山が死んだとぎ、岸が総裁 になったのは、河野が口をきって推したからである。自分 という難関を前にして、並び大名ですましているわけには すもう みずか へた いかない。自ら手を汚して、自民党の大番頭をつとめ、安がついている限り、岸に下手な相撲はとらせたくないし、 おおご 保を通す。然し、藤山のように、アメリカに対して仰せ御また岸のほうも、河野の意志に逆らうような政策は、絶対 もっと 尤もでは通さない。条約の期間も短くする。その他日本側にとらないという自信が、河野にはあった。自分が幹事長 に有利な申入れをやって、民情民意を緩和してから、通になることは、名を取ることではなくて、実をとることで ほうふ かじ す。河野には、そういう抱負もあったが、とにかくこのまある。自民党再出発の舵を取る者は自分以外には考えられ まゆけば、安保は警職法の二の舞になることを、チャンと ない。それではじめて、自民党は安定航路を進むことが出 よ かんわ

2. 現代日本の文学 28 舟橋聖一集

英子はそう云って、目玉焼をとったあとへ少し余分に・ハ 「田舎で開業している親父がね、昔、特高にやられたの。 四ターをひいてやった。 学生時代に、新劇に関係していてね。イワノフの『装甲列 「すまないわね : : : 」 車』を上演する予定で、彼はプロンプターをやっていたん 布原は、生キャベツを、フライ。 ( ンからはみ出すほど一だけれど、舞台稽古の日にごっそり持ってかれて、二年半 ばい入れて、ガスレンジの上へかざした。 も留められたンだわ」 やがて二人は、テープルに向き合った。 「ひどいこと」 ごうもん 「警職法のデモへ行かないの : : : 片森さん」 「今とちがって、身の毛もよだつような拷問されて、結局 「だって : : : でも、政治の闘争には、自分はまだ巻きこま転向したンだけれど : : : その警察と同じ警察でしようが れたいと思わないの」 「そりやア学生だから、学生の本分を守らなくっちやア 「でも、戦後は特高は廃止されたし、今では民主警察でし ね。大事なのは学問でしよう。でも、学生として、一番先よ」 に考えるものは何か、って云うと、スポーツもあればさ、 「ところが、警視庁の応接間には、歴代警視総監の肖像画 文学もあればさ、恋愛もあればさ、デカダンもあるわけでがズラリと並んでいるンですってーー」 しよう。恋愛よりセックスより、政治を先に考える学生だ「へえ」 かわじとしよし ってあるわけじゃない」 「明治七年の大警視川路利良以来よ。今の小倉謙は、第六 「恋愛なんて考えない」 十四代目で、こんど創立八十五周年のお祭りをするって云 「片森さんのは、古典文学ね。三条西実隆でしよ」 うンだもの、民主警察もへチマもないわよ。若し、警視庁 「冷やかしてるの」 が本当に、民主化されたのなら、そんな天皇制時代のポー 「とんでもない。尊敬してるのよ。私には生憎、三条西が トレートなんて、焼き捨てるべきじやアないの。ついで ないから、退屈まぎれに、警職法と出かけるのよ」 に、警察をア・ヘコペにして、察警とでもすればいいのよ」 「すてきだわ」 「察警庁 ? 」 ごろ 「ホホホ。こんどは片森さんに冷やかされたけれど : : : 警「少し語呂がわるいけれど、そのうちに耳馴れるじゃな 察には、怨みがあるのよ」 。察警総監はどお」 「へえ」 あいにく おやじ

3. 現代日本の文学 28 舟橋聖一集

英子は腹をよじって笑った。 た、と云う 「警視庁創立八十五周年なんて、とんでもないじゃない。 「といって、別に私は、岸首相の長寿延命を期待している 警視庁民主化十何年記念であるべきよ。そういうところが、わけじやアないのよ。誤解しないでね」 彼らが、依然として、天皇の警察であったことから、一歩「わかってるわ」 もぬけ出してはいない点だと思うの。それを更に改正し「つまり彼らが、国民大衆の反対を押切ってまで、警察官 ねら て、民衆の弾圧に立ち向おうっていうのが、改正案の狙いの権力の増大をはかろうという料簡が、ナンセンスだって じじようじまく だし、その背後には、昔特高部長だったような警察官のことよ。要するに、自繩自ってことを、知らなすぎると 古手が代議士になっていたりして、強引にこの法案を通そ思うンだ」 そういう布原の論法は、たしかにその頃の警職法改正反 うとしているンでしよう。怪しからんわ」 対運動の公式論にはないものがあり、それが、英子の心を 「ただね、旧内務官僚が、警職法改正に熱心なのは当然ととらえたことは事実である。 しても、今の閣僚には、散々特高や憲兵に手を焼いた人が「たしかに、傾聴すべき意見だわ」 デモにゆかない英子も、警職法改正反対のビラなどは克 多いのに、どうして、警察官に大幅な権力を持たせたいの わ・、第ノよ ~ い 明に読んでいたので、この布原の見方には、よそからの受 か、諒解に苦しむわ」 とも、布原は云った。そして、自分の憲兵に、苦しめら売りでないものが感じられたのである。 れた近衛文麿の話をした。古来の名将英雄や支配者たち「これから、時々、あなたの話を聴きにいくわ : : : よくっ は、敵に殺されるよりも、味方の警察官に、弑せられるこて」 と、英子は箸を箸箱に入れながら云った。 とが多いという例を、いくつか取出して話してくれた。国 「でも私は、あなたに干渉はしませんよ。だから、デモに イ王や宰相や将軍たちは、自分の権力を保持しようとして、 レその配下の警察力を拡大し、思いきった実権を与えること行きたくなければ、行くことはないわ : : : 今日は・ハターを ひし ネで、彼此の勢力が逆転し、突然足許からのクーデターが成借りたけれど : : : あれは私の好みではないの」 ようきひ で、あい 功する。楊貴妃を溺愛した唐の玄宗なども、安禄山という「ほんと ? 」 はんぎやく もうじん はしよく 部下の警備隊長の叛逆にあって、巴蜀の地に蒙塵し、その英子と布原は、それ以来、急速に仲よくなっていったの 途中、馬嵬の駅で、遂に愛人の首を縊らねばならなかつである。 ばかい

4. 現代日本の文学 28 舟橋聖一集

194 義を肥やすために働いた。が、革命は一度もなかった。そ ーー・警職法改正は、政府の全面的な敗北に終った。 「その代り、みすみす、殺人犯をとりにがしたり、泥棒のれどころか、いつも無残に敗北した。あんなに元気だった だま 奴が、コロリと転向した。僕はもう一度、騙されてみよう 検挙にもこと欠くようになるぞ」 と、さる高官が口惜しまぎれの放言をしたが、国民はそと云う気にはならないのだ」 、、ようかっ んな脅喝には乗らなかった。一人や二人の泥棒を恐怖する「おどろいたわ」 わるだく がぺい より、もっと恐ろしい政府の悪企みが、画餠に帰したから「そうだろう。今どき、こういう学生もいるってことを、 忘れないでねー であった。 しか 然し、警視庁の八十五周年記念とやらの行事は華々しく「それで、三条西を読んでるの」 「何、これだって、本気じゃないンだ」 行われた。 「では何に本気なの」 その間にも、英子はせっせと、杉下教授の研究室へ通い つづけた。三度に一度は巻村がノートを取っていた。或る「ところが、僕は、すべてに本気なんだぜ。 : : : 僕の知識 階級論によると、プロレタリアートが、真に政治的に高ま 日、彼が云った。 るまでは、常にインテリゲンチャが先行する、なんて劣等 「杉下先生も、デモに行かれたそうだ」 感は持っていない。また、政治革命の主体は、あくまで労 英子はギョッとした。 働者階級にあるけれど、その同盟軍として、強力な前衛組 「警職法のデモ ? ー 織を確立指導するのが、革命的インテリゲンチャの任務だ 「そうだって : : : 」 と云って、ニヒリスト なんて、卑屈な御託宣も信じない。 「巻村さんは ? 」 「僕か。僕はいかない。あれは、青年の熱病だ。今年か来でもないンだ。僕は資本家の独占に憎悪を炎やすけれど、 、とうじゅっ だからと云って、労働者の味方だと、割切っては自分を考 年には、革命があると信じている宗教家の祈禧術だ」 えられないのだ。そこが革命的学生指導者と、ちょっと違 「まア、そんなにきらいなの」 うンでね。杉下教授のデモ参加は、シン・ハサイザーとして 「僕の義理の兄貴なんだが、昭和五年に東大を出たのが ね、やつばり、革命は来年あると信じていたそうだ。それだろう」 からざっと三十年。毎年毎年、学生は革命を信じこまされ巻村はそう云うと、また向う側の書架の裏に、顔を隠し ては、やがて卒業して、安サラリーマンになって、資本主た。

5. 現代日本の文学 28 舟橋聖一集

をトロッキズムに求めてはいたが、 トロッキストの国際的 組織である第四インターへの加盟を拒否し、自らをトロッ 昭和三十一一一年十月十日、全学連約一一百名による国会デモキストではないと主張していた。これに対して共産国の中 によって、その幕を切っておとした警職法反対闘争は、国の少数派である「革命的共産主義者同盟」は巴里にある第 民会議が提唱した十一月五日の、 四インターに加盟し、その日本支部として発展させようと 「警職法改正粉砕全国統一運動。 いう構想に立って、組織活動をやっていた。この多数派 かれつ に積極的に参加した。十月一一十八日には、二九、二八〇と少数派は、全学連のヘゲモニーをめぐって、次第に苛烈 名、十一月五日には、一一九、八〇〇名の学生動員に成功しな派閥闘争を演じだしていた。が、自ら名告る名告らぬに た。が、その後の十一一月十日に、日本共産党から、「反党しても、彼ら指導部の思想が、 トロッキズムに基盤をお ひょうほう 的破壊行動」として除名された香山健一らを中心に、「代き、反代々木的新左翼を標榜する点では、全く新しい世界 々木派の共産官僚打倒」の旗じるしの下に、新左翼として観を展開したものであった。 の「共産主義者同盟」が結成された。 これは、一般的な学生ーーーたとえば英子のような無色派 その規約の第一条には、 はもとより、麻雀やロカビリーに熱中するデカダン派にと もとづ つうれつ 「同盟の目的は、階級対立に基付く古い・フルジア社ってさえ、痛烈なシ日ックであった。 会の止揚と私的所有のない共産主義社会を建設するに 年が変ると、寮では部屋替えがあった。これは、部屋の ある。その実現のために、同盟は日本に於ける・フルジ 構造に多少の甲乙があるので、それに対する公平な順番が ョアジーの打倒とプロレタリアートによる政治権力の 割当てられる必要があるからであった。 奪取を当面の任務とする」 片森英子 イ と云い、更に、この目的のために、同盟はプロレタリア布原タマ ギ ル ートによる全世界の革命的変革の外に活路はないことを確と、名札が並んだのは、このときからであった。英子は かん ネ認し、・フルジョアジーに対する明確な敵対的意識の喚起を云った。 んでいる公認の共産党と、はっきり自らを区別し、それ「おタマと仲よくなった最初の機縁は、フライ・ ( ンだか % との非妥協的な闘争を行い、新しい革命的階級政党の結成ら、フライ。 ( ンだけは共通にしましようね : : : ほかの物 を目指す、と規定した。然し当時はまだ、その思想的基盤よ、 , いくら友達でも共通はイヤよ。たとえば辞書なんか」

6. 現代日本の文学 28 舟橋聖一集

を、そんなにまで悪く云わなければならぬのかと思うと、求める連びといたしたい」 かな それも政治のせいかと、哀しくなったのである。 と結んだ。この報告は、政府としては安保改定に関する 布原は、まだ云い足りない風だったが、英子はカーテン正式発表の最初のもので、その日の午前に開かれた閣議及 をしめてしまった。同時にスイッチをひねると、涙がこみび自民党七役会議で了承されたものである。 上げてきた。なかなか、止らない。ネグリジェのネックラ ところが、同し頃、ワシントンでは、外遊中の河野一郎 はす インを濡らし、更にプラジェアーの外してある小高い白い 1 ソンズ国 は、あくまで、十年の期限は長すぎるとし、 膨らみをくすぐった。 務次官補との会談で、 「安保条約の期限内改定論を検討すべきではないか」 と、強硬な申入れをやっている。そうかと思えば、安保 いわゆる 国会請願デモは、明日に迫っていた。所謂危機感は、東改定に批判的な文化各界の結集による「安保批判の会」が ただよ すみずみ 和大学校庭の隅々にまで漂うようだった。 発足し、 それに賭ける学生の情熱は、衆院本会議における藤山外「この改定に伴い、政治は必然的に、軍国主義的な方向へ 相の「安保改定経過報告」によっても、油をそそがれてい導かれ、警職法の改悪、秘密保護法の制定などにより、言 あや た。外相は確信ある態度で、一昨年の岸・アイク会談以論表現の自由、集会結社の自由などが危うくされ、平和憲 いきさっ 降、現在までの交渉経緯に就いて報告した。この交渉に於法は実質的に破られる危険が充分ある」 ける日本側の基本的立場を要約すれば、新安保は国連のワ という声明文を発表して、反響を生んでいた。 ク内に於ける安全保障措置として、厳重に防衛的な性格の然し、そんなことには馬耳東風の政府は藤山報告後、着 ものとすること。次に、日本の負うべき義務は、あくまで着その準備に入り、調印は来年早々、ワシントンで行われ 憲法の範囲内にとどめること、及び日米対等の基礎に立る予定で、首席全権は岸首相と内定されたと公言した。 * さごろも その日英子は、大学図書館で、「狭衣物語」を読んでか ち、条約の運営に於ける日本の自主性を確立することの三 点を強調し、そのためには、十年という安全保障上の安定ら、そろそろタぐれる頃、南校舎のほうへ、階段を下りて 期間を持っことが最重要であると力説した。その上、 行くと、 「政府としては、交渉の妥結と共に、すみやかに新条約及「このノート、 あなたのでしよう」 び新協定に調印し、次期通常国会に於いて、これが承認を と、呼びとめた男の学生があった。

7. 現代日本の文学 28 舟橋聖一集

260 とはどうなってもいいから、とにかく、安保だけは絶対に通九千名だっていうもの : : : 」 もノ子・ろ・ 「こんどは、千五百名どころではないでしようが、相手だ すのだという妄想に取り憑かれてしまったのである しか って、九千名どころじゃないンじゃないの。国家権力は憎 これは政治家としては、苦しまぎれである。然し、それだ けにまた、安保阻止を悲願する者にとっては、危機感が増むべきものではあっても、それを甘く判断することは、ま ちがいよ。こんなことを云うと、おタマはいやな顔をする 大した。 すもう けれど、それを承知で云えばさ、大人と子供の相撲みたい 当事者でない英子は、 「結局、安保改定は、通ってしまう : と見ざるを得ない。いくら、デモをかけても、請願をく「でも、武器のない者の闘争は、どうしたってそうなるわ りかえしても、警職法のときのようこよ 冫をいかない。国内法よ。ただ、私たちには、論理がある。今の日本の国家に を、一口理がないじゃないの : : : 何ンにも」 なら、岸さんも譲歩するが、相手にアメリカがいる限り、 そのアメリカに、戦犯の罪をゆるして貰った岸さんが、途布原はそれを強調する。日本の保守政府は、気分的な保 ただ はす 守派であって、保守主義という思想すらないと云う。只、 中で投げ出す筈がない。 アメリカに依存して、辛うじて成立している国家であるか 然し、布原タマは、 ら、国家主義的な論理も信念も、ありはしない。 「絶対に、阻止できる」 「国のために」 と信じて疑わなかった。 ・一六だって、随分猛烈だったそうだけれど、結局飛「国家のために」 という掛声も、内容はゼロである。昔のそれ、戦前のそ 行機は立っていったンですものね。空港のコーヒー・シ ップへ侵入して、翌日の仕こみの食料を御破算にしちゃっれとは全然ちがう。天皇がシンポルになったように、国家 こしよう また たり、食堂の胡椒をとって、警官へぶつつけたり、あばれも亦、空虚な構成にすぎない。本質的には、せい・せい日本 放題、あばれたけれど、全権団一行は、十六日午前八時に人の団体にすぎない。その団体の統治のために、多数党の は、定刻通りに離陸しちゃったんじゃない。 こんども、そ政府が、イニシアティヴをとっているにすぎない。実際問 ういうことになりそうだとおもう」 題として、すでに挙国一致ということは、考えられなくな ・一六は不参加だったから、わからないけれど、学生ってしまっている。只、古い頭の日本人だけが、昔風の国 参加が千五百名では少ないわ。あの日の警察官の動員は、家意識を残存させていて、難かしい問題にぶつかると、例 おとな

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はもう、そんなことは云っていられない。何分、相手はア メンツ メリカだし、これが通らないとなれば、面子が立たないか 学年があらたまり、またも濃い青葉のシーズンになつら、是が非でも通す。通したら、すぐ辞めてもいし 。自分 こうれい た。東和大学女子寮では、恒例の部屋替があったが、今年は必ずしも、政権に恋々たる者ではない。正直な話、一度 とびら いんじゅ も布原と片森の名札は同じ扉に並べられることになった。 でも、内閣首班の印綬を帯びれば、男子一生の望みを果し しか 布原はやっと一人で歩けるようになった。然し、早く走たようなものだから、さっさと辞めてゆくことに、何ンの ったり、跳躍したりは、まだ出来ない。いたいたしいほ未練もない。然し、それにしても、安保を通さぬことに ど、ゆっくり歩いて、学校へ行き、また金助町へ廻った は、辞められない。はるばるアメリカへ行って、自分が調 り、集会場へ出ていったりするようになった。 印してきたのであるから、これが通らぬことで辞めるので 然し、デモには、まだいけない。現に一 ・一六の羽田空は、寝ざめが悪くてたまらない。 港デモでは、女子学生が一一人逮捕されてい、二十二日間 「いかなる反対と闘っても、これだけは通す。通ったら、 も、警視庁の婦人房へ留置されたというから、今までのよその翌日、辞めてもいし 。あとは誰かがやってくれるだろ うに、女子学生だからと云って、フリーパスとま う。そのとき、この条約が、どんな風に、実際上の効用を 。状況次第で、検挙もされれば、拘置にもなる可能性が発揮しようと、それはもうあとの祭りであって、自分の知 あるとすると、布原のような不完全な条件で、デモに参加ったことではない。自分に課せられた任務は、安保を通す することは、危険だった。 ことだけだ」 それにもかかわらず、政府の方針はどしどし進められ、 岸は、そういう云い方を露骨にやり出した。 安保強行採決の日は近づきつつあった。岸は、 警職法のとき、 イ「たとえ、岸政権を投げ出すことになっても、安保だけ「これを通した場合、若しそのあとで、この改正法案を悪 おちい ギ は、自分の内閣で通すつもりだ」 用し、職権濫用に陥った時は、さっさと、政府が警視総監 ル ひめん ネ をしい。だから、みなさんの心配するようなこ と云い出した。今まで、岸はそういう風な云い方はしなを罷免すれま、 とはない」 かった。自分の内閣で通した法案には、行政長官として、 と云いきった時の岸とは、全く違う。安保強行議決前の 責任をもち、まちがった法の適用を食め、国民生活に悪い 影響を残すまいとする政治家の覚悟を述べていた。こんど岸首相は、日頃の余裕を失って、あせりにあせり出し、あ

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杉下教授の研究室は、大学院の三階にあった。英子はそだったンだが、そこから応召した : : : 」 こへよく通った。人気があると見えて、学生が多かった。 「そのお話、こんど教室でして : : : みんな待望してます 女子学生もいたが、男の子のほうが、優勢だった。英子はの」 減多に質問もしなかった。 「よせよ。笑い者になるだけだろう」 或る日、先生は英子の机の前へきて、 「まア、そんなことはありませんわ」 「たしか片森英子さんと云ったね」 と、英子はムキになって云った。然しそのときの巻村 まった は、そういう話には、全く、鵜の毛ほどの反応も示さなか っこ 0 「この間の、『東山時代に於けるディレッタンチズム覚書』 さねたか というノートは面白かった。丁度同じ時代で、三条西実隆 の研究をやっている巻村君を紹介しよう」 そう云って、裏側の書棚で、「古事類苑」をひっくり返その年の秋。警職法改正反対闘争があったが、英子はデ していた巻村純一一を呼んだ。 モに行かなかった。その頃、寮の食堂で、英子がフライ・ ( 「片森さんは教室でも見てるンだが : : : 宗祗の学統に興味ンに・ハターをひいて、目玉焼をつくっていると、布原タマ があるンですか」 が、そばへ来て、 と、彼は云った。 「片森さん。フライ・ハン、あいたら貸して」 かねよし と云った。彼女は男の子のズボンを、スラックス代りに 「一条兼良の「花鳥余情』が、キッカケなンですけれど これから、実隆公記を読んでみようと思っているンでいて、平気な顔をしていた。 とうそーーー」 すよ」 イ「オヤオヤ。それじやア巻村君のお株を奪うことになる「 ( ターを拭いちやわないでね」 「何を、いためるの」 * ばたんげ ネ と、杉下教授がまぜっかえした。しばらく宗祇や牡丹花布原はテー・フルへ、キャベツの刻んだのを取りにいっ しようはく こ 0 肖柏の話などをしてから、英子は訊いた。 「キャベッよ」 「先生は、投獄されたことがあるンですか」 「あるよ。そうして、留置場へ赤紙が来て、あれは戸塚署「・ハター、足りないでしよ」

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のである。一年生の頃は、そんな評判は皆無だったのに、 「・フッ」 いっ頃からだろうか。丁度、警職法反対デモの成功で、学 と英子は噴き出して、 内が一段落つき、杉下教授などが、そのデモに参加したこ 「ナンセンスじゃない」 ようや 「そうでもない」 とから、文化人や学者の全学連支持が漸く話題にの・ほった 「革命的指導者は、そんなことで、すぐリーべなんてしな頃、片森英子が当大学随一の美人だという評判が飛んだこ いでしよう」 とがある。それから、何ンとなく、そんな評価が流れてい いくら革命家でも : : : それに、片て、或る日黒板に、 「でも、恋愛は自由よ。 べっぴん ミス東和、片森英子 森英子が別嬪だってことは、この頃有名だもの」 と落書がしてあったのを、布原タマが見てきて、英子に 「何云ってるのよ」 「そりやアあなたは知らないかもしれないけれど : : : もっ話したことはあったが。 ばら評判よ」 「とんでもない」 「杉下教授だって、片森さんにの・ほせているって云うし」 夏。 そほう すその 「怒るわよ」 英子は湖水のある裾野の町に、帰省した。その町の素封 「ほんとなの。まったくこの二、三年、東和大学の女子学家だった昔にくらべると、今は二まわりほど、縮小されて 生には、これという美人がいなかったンだもの」 いた。兄が父の名を継いで、主として製材工場を経営して ひろ 「美人とか別嬪とか云うヴォキャ・フラリイは、最高にプ いたが、そのほかにも、手を拡げていた。 チ・・フル的じやアないの。そういう価値判断は、おタマら観光客でさえ、この湖を見ると、生き返ったようになる イしくない のだから、英子は裾野を走る小さい電車を下りて、ゆるい こうばい ギ と、英子は頬をふくらませたが。 勾配の坂道を歩いてくると、突然、人家の屋根の向うに、 いっとはなしに、寮生の中にも、英子を見て、溜青い湖水の表面が見える瞬間、もはや歩いてはいられな 。といって、立ち止ってもいられない。そして無言でも め息をついたり、わざと聞えよがしに、 いられないような強い感動にさしぬかれるのが常である。 「片森さんって、すてきね」 兄夫婦や弟が、珍しがって東京のことを訊くものの、テ と云ったりする者のあることは、当人も気がついていた ほお