市之助 - みる会図書館


検索対象: 現代日本の文学 29 石川達三集
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1. 現代日本の文学 29 石川達三集

142 画に作って利益をつかむ。それが社会機構の冷酷さであ「そんなことを言ったって君、仕様がないじゃないか。そ る。この映画会社に似ているのは峯谷の校長佐原東平であれは君一つの必然だよ、社会の合理化運動の現われだよ。 り、いま少し純真な立場で杉田明敏がある。 そうだろう、人口の都市集中というものも経済状態から来 杉田は東京美術学校の生徒で青梅中学時代に小沢市之助た必然だし、その必然が水道の拡張という次の必然を要求 と同級であった。彼は小沢のおやじが村長をしている村がするんだ。そして小河内村がその要求に応ずる条件を備え 水底になると聞き、かねてから奥多摩の紅葉の美しさを知ていた訳だ」 っているので絵具箱を肩にかけて鶴屋旅館に泊り込んだの 「だけど君、それならば村民を困らせないようにして移転 である。宿の主人の小沢孝治郎は役場の助役でその女房は させなくてはいけないだろう」と市之助は歎息に似た抗議 市平の娘であり市之助の姉であ「た。彼は宿で道を訊いてをした。 市之助を訪ね、一一三日滞在して紅葉の山々と溌谷とを描く「そうだ。それはその通りだ、杉田は強く肯定したがそれ 予定だと言 0 た。減亡の村への同情者でもなく迫害者でもは無責任な第一一一者が議論を弄ぶ態度にすぎなか 0 た。そ ないが自分の絵のことばかり考えている冷淡な傍観者であして彼は次に承を転じて市之助に向った。 もてあそ 「だが、君みたいに啄木を引っぱり出して没落の感傷を弄 彼は女ノ湯の道の上にカンヴァスを立てて弁天岩と底のんだって意味ないぜ。それよりはこの村を潰すに至った東 もたら 溪流と対岸の紅葉とを構図に入れた。郵便局は日曜日で市京の発展の必然性とかそれを齎した経済関係の検討とか、 うそ 之助は明子と一緒に彼の仕事を見に来ていた。杉田は画学そんなことの方が根本だぜ。それから行かなきや嘘だよ」 ひょうひょう のどか 青年によくある飄々と風に吹かれているような長閑な表杉田自身はそれを検討して見る考えがあるのではなかっ くわたば ( あ tJ 情をして、咥え煙草の顎を突き出して・ ( レットを捏ねまわた。そして市之助は杉田の議論が分らなくはなかったが、 しながら、市之助が話す村の現状をうわの空で聞いてい 賛成したくない気持であった。それは彼の感傷にひたるこ た。彼は例によって啄木を引用し、 ( 石をもて追はるる如との平和を破壊しようとする考え方であった。 ふるさと く故里を出でし悲しみ消ゆるとぎなし ) というのはこの村明子は草に腰を下してカンヴァスに描かれて行く色彩を の人達のことだといい、村民の困窮を自分の感傷の材料に見ていた。そしてこの青年に新しい興味を感するのであっ 、さし議 4 ノ、り′、 して結局は彼自身もまた傍観者の享楽をしているのであっ た。市之助の田舎びた変化の乏しい性格とは違って、杉田 た。すると杉田は投けやりな口調で率直な答え方をした。 は健康でどこか横暴でしかも飄々と捕えどころのない楽し ごと

2. 現代日本の文学 29 石川達三集

こはんにら さがあった。都会人の明るい才気走った多角的な性格があ後に坐って小半日を暮した。それが市之助を不安にさせ焦 あか しわ った。彼女は杉田の垢のついた上着や皺だらけのズボンの立たせた。杉田が東京へ帰ってから後、明子は家に閉じこ ムうばう もって永いあいだ彼に会おうとしなかった。そして或る日 後姿を見つめながら、彼の風羊や性格の上に東京を感じ、 あこが そして東京への憧れに心を燃やしていた。そこに錯覚があ市之助は局へ集められた郵便物の中に明子から杉田に宛て った。錯覚でなければ恋愛への動機があった。東京への憧た手紙を見つけた。 ちゅうちょ れが杉田への憧れに変貌しつつあったのだ。彼女は移り気彼の入営までにはあと一ヶ月あまりしかない。躊躇して わがまま で執着の少い我儘な娘であった。杉田と近づきになったとはいられない場合であった。彼は決心して父に希望を打ち き市之助への不満をはっきりと悟った。彼女はまるで市之あけて見た。小沢市平は腕を組んでこの一人息子をじっと みつらんうつ 助に邪魔をされているような気がして、心を焦立たせなが瞶め沈鬱な口調でこう言うのであった。 ら杉田ともっと親しくなろうと望んだ。 「兵に行ったら平時でさえも一身を君国に捧げる決心はあ はず 「ね、わたしを描いて下さらない ? 」 る筈じゃ。お前は満洲へ行くことになるだろうというのに なま 杉田は後向きのままで生返事をした。「いすそんな女々しいことでどうする。出来るだけを少くす ないしゅうげん れそのうちー ることを望んでこそるべぎだのに、内祝言だの何だのと めで 「そのうちって何時 ? 係累をふやすことを考えるという法はありません。芽出た 「今度は駄目だ。この次にでも来たとき」 く除隊できたらその時に改めて考えて見よう」 「この次って ? 」 除隊する日まで明子を信ずることが出来ない市之助の不 ちょうど 「雪が降ったら来ようと思ってるんです」 安は父には理解されなかった。父は恰度この日、東京府か しもん 「そう。 : : : 私も絵を習ってみたいな。女の画家っていまらの諮問を受けとって一一三の村会議員と遅くまで協議して あんき 村す ? 」 帰ったばかりであった。彼は一村の安危と自分の責任の苦 の 「大勢いますよ。みんなまずいや、と杉田は事もなげに言しさに市之助の感情を察してやる余裕を失っていたのであ 蔭 日 明子は東京へ出て絵を習っている女の生活を空想して見東京府からの諮問というのは市が水根沢の一切の調査を 、こう た。憧れがまた新しく心をそそった。 終ったのでその計画に対する村の意嚮を訊きたいというの その翌日は市之助は勤めに行ったが明子は一人で杉田のであった。以前に東京市、府の諮問に答えてあるので村意 いらだ すわ

3. 現代日本の文学 29 石川達三集

しる のばりかっ みたけ キ塗りの横木には海抜 530 メートルの標高が記されてあっ他の十六人はまた幟を担いで帰ることになっていた。御嶽 た。その見上げるような高さが堰堤の頂上の位置であり、 駅行きの乗合・ハスに乗り込んだ市之助たちに向って、窓の その下の 527 と記されたところまで水が湛えられるのだと外から彼等は最後の盛大な万歳をえた。ちらちらと降り びようぶ いう話であった。そこは屏風のように傾いた山が両岸からはじめた粉雪の中を・ ( スは溪流に沿うて走って行った。見 えんてい しろうとめ 谷に迫った狭い場所で、堰堤を造るには素人目にも適当な送りの人数が少くなったためであろうか、市之助は窓から らようど ところと思われた。恰度その山の迫った出鼻で道は直角に谷を見下しながら初めて涙を流した。 左折し、下は十丈を超えるほどの切り立った絶壁になって むすこ いた。その絶壁の上の路傍に白木の立札が谷に傾いて立て 一人息子を兵隊に出してやった後には老夫婦と一人の雇 られていた。 い女とだけがひっそりとして残されていた。市平はまるで 東京市小河内貯水池堰堤建設地・水根峡 若い妻のように心を痛めて寄り添うて来る老妻の姿から、 こう麗々しく書き立てられてあることが一行にはなにか滲み出てくるような孤独の影を感した。彼はペンキ塗りの せっちゅう 腹立たしい気がした。 和洋折衷の書斎に腕組みをして坐ったまま、老年の執拗い ちょうど くず ここで市之助は恰度絵具箱をかついで歩いて来た杉田明愚痴に崩れようとする自分をじっと支えつづけていた。そ おどろ 敏に会った。杉田は非常に愕いた顔をして、 うして幾日かが経って行くに従って彼の心境は或る悲痛な 「おう ! 今日行くのか」と叫んた。そして市之助の真白結論に落ちついて行くようであった。それはっきつめて見 はかま な羽織の紐とさやさやと襞の鳴る袴を見下してにやにやとれば彼が係累の東縛を失って孤独になった事であり、その 笑った。 故に生命への執着が弱められて、思いきって何をやっても 「まあ元気で行って来いよ。からだに気をつけてなあー かまわないような捨身になれる気持のひろやかな明るさで 杉田は雪の山峡を描くために行くのであったが、明子にあった。それが彼の到達した大乗的心境であった。思えば 会うことも重要な予定の一つであった。市之助にはそれが貯水池問題が起って以来彼は事件のもつれてくるにつれて 分らなくはなかった。けれども自分はいまお召しにあすか心境は老齢に澄んで来たようでもあった。そしてそれに反 って出て行く帝国軍人である。それは啄木の感傷に甘えて比例して村民の立場は救い難い昏迷に落ちて行きつつあっ いた彼の感情では整理され得ない悲痛な気持であった。 氷川部落に着くと兵衛まで付き添うて行く四人を残して去年の暮あたりから村には眼立って大勢の他国者が入り れいれい たた ゆえ た こんめい あ やと

4. 現代日本の文学 29 石川達三集

たび 送りの人々が三十人くらいも集って焚火をしていた。祝入 のばり いちまっ そうしてこの一年は無為に待ちくたびれたままで暮れて営の幟が十本ばかりも立てられて、河内部落には一抹の不 行った。不平と貧窮と疑惑との荒れ果てた年であった。大安な緊張が流れていた。 こうやく 野課長の堅い口約が守られるものであるならば、これは最市之助が父と母とに送られて盛装して玄関を出ると、そ たのも 後の年末であり最後の正月であるに違いない。ささやかなれを迎えて人々は万歳を叫んだ。彼はいつになく頼母しい らんばっ 門松と濁り酒とに祝う心も淋しい正月であった。濫伐され男に見えた。 らつば ている山々に雪が積り溪谷には氷が流れた。 在郷軍人の一人が喇叭を吹いて先頭に立っと、幟を担い 元日、河内部落の小学校の校庭からは子供達のうたう君だ男達がその後に続いた。部落の人々は小川橋を渡った女 いんりつ あいきっ が代の合唱が雪晴れの青空に美しい韻律をふるわせて行っノ湯の岸まで来てまた万歳をえて別れの挨拶をした。そ た。千代に八千代に、さざれ石の : 。ひらけ行くこの聖こからは二十人の一団になって川岸を下って行った。原の おうか 代を謳歌する子供たちの合唱であった。 部落では彼の姉が家の前に立っていた。そして通り過ぎる 後姿を見送ってから台所に入って泣いた。 一行はそれから二里半の道を氷川まで川沿いに下って行 市之助の入営には大勢の見送り人が出た。前夜は鶴屋支った。先頭の喇叭手は雑談のあいま合間に勇ましい喇叭を 店の二階で五十人ばかりの送別会が開かれ、村の男達は酒吹いた。その音を聞いていると市之助は全身が冷たくなる べっえん を浴びるほど飲んで騒いだ。まるで村を立ち退く前の別宴ような気がして胸が慄えてならなかった。通り過ぎる部落 のようになにか底冷い感触をもった騒ぎ方であった。彼を部落では知らない人達が子供を混えて万歳を唱えるのであ っこ 0 激励する人々の言葉には自分にかかわりもない無責任な語 村調があって、市之助はひとりさむざむとした孤独に追い込熱海まで来ると右手の溪谷の水は一度せき止められて、 うず の まれる気がするのであった。そしてこの旅館の女房であるそこに玉川電力会社の水の取入口があり、水は深く渦を巻 市之助の姉は忙しく台所で立ち働きながら、酒の燗を見に 日 いていた。貯水池が出来上れば東京市は当然この取入口を ひばち うずくま すそ えんてい 火鉢の傍に踞るたびごとに仕事着の裾で涙を拭いてい 堰堤の場所に移転させ、それに補償費を支払わねばならな はず い筈であった。その下流の水根沢まで来ると、両岸の山に 出発の朝はまだ日の当って来ない霜柱の立っ門の前に見赤い目印しの旗がひらひらしていて、そこに建てた白ペン かん ふる かっ

5. 現代日本の文学 29 石川達三集

の心が自分に帰って来ることであった。彼女は都会のめま「わたし東京へ出たいのよ」と明子に言われたとき、市之 ぐるしい環境の中に、鳩を放つように自分の心を放ってみ助はまたしても女の愛情に対する疑いが起って来るのであ たかった。そこでは自分を忘れていることが出来る、酔うった。 ていることが出来る。自分の心が自分に帰って来たときに「東京へ出てどうするんです」 それをしみじみと抱きしめることの出来ない平凡な性格を「働くのよ。あなたは一月にはいなくなるでしよう。そし つま もちながら、しかも近代的な繊細な感受性を養われた明子たら詰らないもの」 明子が東京へ出たがっているのは今に始まったことでは のような女にとっては、自分の心を開放して無性格にまで ほくとっ 融けこみその環境に酔うて無抵抗に漂わされて行くことが なかったが、市之助は村の人々を愛し朴訥な村の生活を愛 かえ むしろ自然な要求であり、そうした日常生活に却って心のして、それが啄木の精神であると信じていた。明子が東京 安定が得られるのであった。 に憧れる心は自分を離れた心であることは疑う余地もな 。けれども彼には女を引き止める強い主張がある訳でも 「お父さん。わたし働いて見てはいけない ? 毎日毎日退 なかった。 屈でいやなの。することが無いんだもの」 「あなたが除隊する頃には村にはもう誰もいないのよ。そ 働くということは当然家をはなれて東京へ出るというこ しらが あごひげ くちびる とであった。神官は白毛まじりの顎鬚の中で警戒的に唇うしたらどうするの ? みんなと一緒にどこかの山の中へ を引きしめ、眼に見えて日々に美しくなって来た明子の、移る ? おおいやだ」 おそ たた その美しさが極まって崩れようとしているような畏れを感彼女は木の枝を折ってばさばさと草の茂みを叩いて杣道 じた。果物は熟すると取扱いがむずかしくなる。それで父を下りながら、村に残る古い民謡を唄うのであった。 は妻に向って、あれも嫁にやらなけりやいかんが : : : と縁 お江戸が開けて山栄ゅ杉丸太 村談の心当りを探す気になるのであった。 樅栗角の値のよさやれそれ そまみち の あれ見よ雲が江戸へ飛ぶ 明子は父に絶望すると市之助と一緒に山の杣道を歩きま わが身も江戸へ江戸へとやれそれ わることが多かった。市之助は一冊の啄木をふところに入 日 - れて、啄木に似た反逆に胸をふくらませながら、その反逆それは徳川時代に村人が江戸の繁華にあこがれて歌った も他人に見せる場合には感傷に変えてしまう性質の青年で歌であった。その繁華がやがてこの村を亡・ほすことになっ あった。 て来ようとは夢想もできないことであったのだ。 わ

6. 現代日本の文学 29 石川達三集

物んみたけ 普門寺が不景気になったと同様に金御嶽神社もまるで収て帰らずという啄木の歌が添えてあった。 ばんしやく むすこ 入がなくなっていた。神主は晩酌も飲めなくなって一日中同じ日に市平の家にも息子の手紙が来て出発を知らせて づま 不機嫌であった。そうした行き詰って来た生活に厭気がさあった。満洲国はこの三月一日から帝制が実施されたが辺 チャムス したものであろうか、それとも東京の杉田明敏から何かの境はまだ安定してはいないで、三月十九日には佳木期付近 さしず * ひぞく 指図があったものであろうか、四月の初めに明子は置手紙の匪賊との戦いで北川大尉以下一一十一名の戦死が報ぜられ をしていなくなってしまった。第五番目の立ち退き民であていた。 る。 市平はその手紙を老妻に手渡すと、納屋からしよいこを 出て行ったあとの置手紙には、私は私で立派に身を立て背負ってまた山へ出かけて行った。それもただ単に村民に ます、どうぞ御心配下さいますな、東京に落ちついたらお勤勉の範を垂れるというばかりではなく、今では彼自身の しば かんじゃく ゅうもん 手紙をさし上げます、というようなことが書いてあった。憂悶をまぎらす為の閑寂な遊びの一つでもあった。柴を切 神主はこの手紙を持って駐在巡査の村上義一郎を訪ねて行り柴を束ねる悠々とした時間ばかりが近頃の生活にただ一 らようど あぐら った。村上は恰度誕生を迎えたばかりの子供を胡坐の中につの楽しみにさえもなっていた。山は緑が深くなって、時 ほおじろ うぐいすな おり鶯が啼き頬白が啼いた。部落部落の生活が荒れすさ 入れて遊ばせながら若い女房と一一人でタ飯を食っていた。 あわ ゅうゆう んで来るにつれて、この三年来市平は次第に鋭く迫って来 彼は慌てた口調に似ず悠々として坐ったまま、 ちょっと 「一寸待って下さい、飯を食ってしまいますから」と言っる孤独に苦しんでいた。殊に作太郎に死なれて後は心を開 た。そして口一杯に飯を含んだままで、心当りはないですいて語る友人も無かった。山に入って行く折おりに、彼は かと一一 = ロった。 孤独と戦い孤独に馴れしたしもうとっとめていた。それは その翌日神主の家に明子に宛てた手紙が届いた。入営しまた市之助を失った場合の不幸に備える心でもあった。 村た小沢市之助からであった。父は憤然として封を切るとは 川野の焼けたあとにも家を建てなければならない、已む の らりと写真が落ちた。兵舎を背景にした市之助の写真であを得ない事情であった。借金はますますふえて来る、そこ 蔭 へ再び関西信託がやって来た。 日 手紙にはあと四五日のうちに満洲へ出発することになっ ここにも二十人ばかりの名義になった共有地があってそ た、もうお目にかかることもあるまいと書いて、最後にれに杉が二万くらいも植えてあった。佐原東平はここでも くさ だいく は、意地悪の大工の子などもかなしかり戦に既でしが生き名義人の中の一人であった。そして彼はまた売りたくない いやけ な こと

7. 現代日本の文学 29 石川達三集

しよう し、拝殿からはがらがらと鰐ロの鳴る音や笙の音が絶えずていていくら待っても出て来なかった。彼は不満な感情に 聞えていた。そしてこの一群の賑わいをとりかこむ山の茂充ち女への疑いに苦しみながら帰って行かねばならなかっ こすえ みは真黒く静まり返って、赤松の高い梢は暗い空に消えてた。入営する前に正式に話をつけておきたいと思いながら 父にその話を切り出すほどの勇気もない男であった。 みこし す 神主の娘の明子は顏立ちの美しい十九の娘であった。こ 翌日の正午近く部落の青年たちは社殿の前に据えた御輿 ようらく こんじ、 かっ の年の春青梅の女学校を卒業してからは華やかな彼女の服を担ぎ上げた。晴れた秋の陽に金色の屋根や瓔珞はきらき たび 装は村の青年や娘達の眼を惹いていた。祭りの夜、明子はらと輝いて八方につけた鈴が揺り上ける度に音をそろえて まゆ たすきはらま、しろたび 濃い都会風な化粧をして赤く口紅を塗り眉を引いて社務所鳴った。青年達は揃いの襷鉢巻に白足袋の足袋はだしで、 まゆ おしろい の仕事を手伝っていた。 鼻筋に白粉の線を曳き太い眉を描いていた。石段の下の街 彼女の愛人は村長の息子の市之助であった。彼は青梅の道には神主の乗る馬が手綱を控えられていて、神主は本殿 、ぐっは 中学を卒えてから河内の郵便局につとめている文学青年での前から木靴を穿いての庭に下りた。社務所の玄関に明 啄木の感情にれきって生きていた。彼の繊細な感情と女子が派手な洋装をして笑いながら立って居り、そのために おくびよう に対する臆病な態度とに明子は物足りない悲しみや怒りを青年たちは一層勢い立って社殿の前で一一度三度輪を描きな あじわ 幾度か味って来たが、しかし女学校を卒業した彼女の誇り がら揉み合った。それからこの一団は急傾斜の細い石段の 高い気持は村の他の青年達を愛人に擬することを許さなか上にさしかかった。 った。市之助は春の徴兵検査に合格して来年の正月は入営「気をつけろ ! 」 いらだ する予定であった。そのこともまた彼女の感情を焦立たせ「気をつけろ ! る一つの原因であった。 そういう警戒の声の中に先頭の二人は最初の一段を下り た。御輿の屋根はからからと瓔珞のふれあう音をたてなが 村この夜市之助は拝殿の裏手で明子に会う約東になってい ぞうき のた。けれども彼がその場所に行って見ると赤松や雑木の茂ら傾いた。傾きはじめると先頭の二人の肩には思いがけな そまみち みで落ちあっては裏山に登る細い杣道を上って行く村の青 い非常な重みがかかって来た。 日 年や娘達が何組となくいるのであった。すると彼は焦立つ「下りて来た、下りて来た ! て他の場所を選ばなければならないと考えた。しかし社務子供達の狂喜した叫び声が石段の両側から騒がしく聞え 所の前へ戻って見ると明子はまだ忙しそうに仕事を手伝っ た。御輿は五段ばかり注意ぶかく降りた。そのときであっ わにぐち

8. 現代日本の文学 29 石川達三集

議員達は口々に不平をならべ立てたが今となっては賛成す上に投じて彼を埋め、その土に四角な木標を建てた。享年 Ⅷるよりほかに取るべき道のないことは皆知 0 ていた。村会六十九。彼は最も村を愛し村に執着した村民であ 0 た。死 しもん ただ がえん は諮問に対して即決可決し直ちに府に向って異議なしといの直前まで立ち退きを肯じなかった村民であった。けれど う答申を発した。十二月十三日のことであった。 も一同の立ち退きに先立って死んだ彼は最初の立ち退き者 であったかも知れない。 年の暮も近づいて部落に初雪がちらついた寒い日、小沢谷から吹き上げる風が寺の庭を吹きまくって、会葬者は だっ、ゆう 一・久ノ 4 にい 作太郎は死んだ。脱日した肱の関節はまだ絣帯を巻いたまさむざむと立ちすくんでいた。本堂の屋根では枯草が乱れ まであった。鶴屋支店の小沢孝治郎や村長など三四人の村髪のように吹き靡かされていた。 まくらもと 「お寺もさびれましたなあ」 人が枕許に坐って彼の最期を看取った。彼はかすかになっ もっ つぶや た視覚を以て市平の姿を認めると独りごとのように呟くの作太郎を谷から助け上げた坂部龍三は佐原校長に向って そう言った。校長は桑畑の一件でまだ腹を立てていたので であった。 ろくうく 「わしはあんたに反対して今まで意地を張って来たが、わ碌々返事もしなかった。龍三は苦笑して彼の傍を離れた。 のばり ひるがえ しの方が悪かったなあ。反対して見たところでどうにもなすると村長の家の前に祝入営の色づいた幟が五六本翻っ まぢか はおりはかま らんことじゃ。一日も早くみんな無事に立ち退くことじゃているのが眼近に見下された。彼は小沢市之助の羽織袴を なあー 着た姿を見つけて、自分の軍隊生活を思い出しながら近寄 ゆいごん それから眼を閉じてきれぎれな息をつきながら遺言をしって行った。 こ 0 「もう入営も近づきましたなあー 「みんなは墓を持って行くそうなが、わしの墓は動かして「ええ、もうすぐですー とわ・はだ くれるな。わしは、いつまでもこの土地を動きとうない・ 市之助は寒そうに鳥肌立った頬を上げて答えた。 水の底になっても、かまうことはない : 「満洲はきまっているんですかー 翌日、彼の遺骸は普門寺の墓地に土葬された。寺男の撞「大抵行くらしいです。そしたら、僕もここへ : : : 今日の いんいん きならす山門の鐘は殷々として山と谷とをめぐり、全村のようにして埋められるんです」 じちょう 主だった人々はみな会葬した。墓地に深い穴を掘って白木彼は自嘲に似た蒼白い笑い方をした。すると龍三も同じ ひつぎ の柩を釣り下すと、会葬者は各々一くれの凍てた土をそのような皮肉な笑いを洩らすのであった。 ひじ の たいてい なび あおじろ ほお

9. 現代日本の文学 29 石川達三集

あるい 失うまいとする出家の修心の努力であったろうか、或は無 「ふむ。 : : : 暇がほしいんじやろ」 意識の中に現われて来た修心の成果であったろうか。松の 「へい、どうもこう不景気に : : : 」 「ああ分ってる分ってる。暇はあげるよ。お前も気の毒だ葉にも下土にも桜の花びらがまっしろくなるほど散ってい ・。で、氷川へ帰るか ? 」た。 ったな、わしも気の毒じゃ。はは : あご 「へい、やつばり帰って百姓でもやって見ましようかと存竹蔵は風呂敷包みを背負って顎の下で結び、山門をくぐ ると石段の花を踏んで下りて行った。そして原のあたりの じまして」 「そりゃあええだろ。いや、白状すればな、お前も知ってる知り人たちに別れの挨拶をしながら郷里の氷川へ帰ってし えんざん だろうがわしは塩山にも一つ寺がある、あっちへ帰るよ」まった。昨年の暮に死んだ小沢作太郎が第一の立ち退き民 であるならば兵隊に行った小沢市之助は第二、焼死したお 「へい、お帰りになりますかー ・ : そうか、そうときまついとが第三、そして竹蔵は第四の立ち退き民であるとも言 「うむ、まあそのうちにだが。・ えよう。 たら早いがよかろ、支度して帰んなさいー それから後、愚溪ひとりの寺は一層さびれて、庭に人の 「へい、有難うござんすー じらよう 足音を聞くことも少くなった。彼は自分で山門の二階に上 愚溪は自嘲的なまたは虚無的なにこやかさを失わないで り苦笑をまじえて時の鐘をつかねばならなかった。 居間に入り、竹蔵に給金を渡してやった。それから一時間 ばうず とたたない中に寺男は別れの挨拶をして出て行った。あと「坊主というものはな、人には木のはしのように思わるる つれづれぐさ には愚溪がひとり、小僧もこの二年ばかり塩山の寺へやつよと徒然草にも書いてある。それじゃそれじゃ」 すわ てしまったので、所在なく縁に坐った彼だけが何の思うこ河村代作の母の四十九日の法事のとき彼はそんなことを ごんぎようおこた くわ きせる 言って笑った。朝夕の勤行も怠り勝ちで、墓地は荒れるが ともなく春風に吹かれながら煙管を咥えていた。 それから庭下駄を引っかけて下りるとくねくねとした五ままに任せられた。 葉松の下枝があまり下り過ぎて来たのでその下に竹の杖を「親兄弟でさえもお識りに来ないような仏に向 0 て、他人 立ててやった。この寺も水底になりこの松も当然そうなるの俺が拝んだところで始まるまい」 のは分っていた。彼自身の生活もいま一つの変遷に直面し誰にでもそう言っては声をあげて笑った。聞きようによ っては先祖の村、先祖の村と二ロ目にはいきり立っ村人た ている。それを承知の上で松の枝に杖を立てたのである。 こうしん 一所不住の淡々として遍歴する生活のあいだにも、恒心をちへの痛烈な皮肉のように受けとれる笑いであった。 あいさっ

10. 現代日本の文学 29 石川達三集

ひざ さんざん いた。村長は老妻と一一人で膝に手を置き頭を垂れて聞いて つけておいて、散々な文句をならペ立てた。 「村長さん、あんたは土地がうんと有るだから立ちのく時いた。市之助が死んでからのこの一年、市平にとっては陳 たいれい うめぐあい には五万も十万もの金を掴んで巧え工合だろうが俺達はど情に明け陳情に暮れようとする年であった。頽齢七十一一歳 ろうく むち うなるんだねえ。一年だ一年だと引きのばしてもう五年目の老驅に鞭うって、普門寺の庭で会葬者に誓ったように、 になるじゃねえか。俺達を干転しにする気かい。こんな事解決の為にのみ生きて来た日々であった。それが何の成績 つの こり なら初めから古里村みたいに反対してしまった方がよかつをも示し得ないで村民の不平ばかりが募って来る。分って もら た、あんたは三千人の村民を死ぬ思いをさせてまでも東京貰えないのが口惜しくもあるし努力のむなしいのが悲しく もあった。 市の味方になって、貯水池の恩人づらをしたいのかね、 え ? あんたはそんなにも東京市の為に尽さにゃならん義このうえ何をやったらいいだろう。陳情は最大限をつく している、その他に村長として何をするのが一番いいの 理があるのかい。 東京が大事なら小河内も大事だ。百姓がいなくて日本がか、彼はそれに迷った。 村民は無尽がなくなって以来すっかり金融の方法を失っ 立ち行くか ! 百姓さまさまと奉ってくれてもいいんだ。 たんば お役人の気が知れねえ。東京府知事は何という人だか知らて土地を売ったり担保に入れたりしたが、それでも足りな いっこう ごじん くなると役場へ泣きついて来るのであった。 ねえが俺達にゃあ一向有難くねえ御仁だ。もしもこの村が こんなに困ってる事を天子さまがお聞きになったら、天子「百円でいいから貸してもらえませんかなあ、立ち退きの さまはお泣きになるかも知れねえ。俺達だって日本の臣民金ですっかり払いますが : : : 」 だ、なあ。俺達のどこが悪くてこんなひどい目にあうんそういう細かい要求が積りつもって二万円にも達してい にんとく こ。しかし税金の滞納が重なって役場の金庫には何もな だ。仁徳天皇さまは民のカマドは賑わいにけりとおよろこナ 村び遊ばされたそうだが、うちのカマドには煙が立たねえ。 の こういう時に立ち到って原島昌国は強硬な意見を提出し 蜘蛛が巣を張ってらあ。小河内六百軒のカマドの火は消え ているんだ。村長、あんたは内務省だ東京府たといっていてきた。かくなる上は早く解決するばかりが能ではない、 日一 ないで、な・せ思いきって岡田首相に談判して見ないんだ。 出来るだけ好い条件で立ちのかなくては移転先でどうにも ならないのだ、と。そして彼が主唱して丹波山、小菅両村 総理大臣なら少しは話が分るだろうじゃねえか」 利八はひとりでわめき続け、安江はそのうしろで泣いての代表者をも招いて対策委員会を開いた。 たてまっ つく おれ