らようらんだいだい き起こしてやった。先頭を行く提灯の橙色の火の淡さが「竹内さん」と恭子がストックを雪に突き立てて立ち止 何か不気味で、それを持っている男の姿がはっきりしない り、彼の方に背をむけた。 だけに、雪の荒野をともし火ばかりが動いて行くようで、 「私のリュックのね、右の小さいポケットを探して。 怪談めいて恐ろしかった。 ええ。そこに小さい細長い箱があるから出してよ」 ほとん しばらく歩いてゆくうちに粉雪は一層はげしくなり、殆竹内はポケットを手探りして小箱をとり出した。アスビ ムよ、 ど吹雪であった。 / 彼等はみな一様に体の右側をまっしろに リンであった。 塗りつぶされた。胸や首は汗をかいていたが、雪に打たれ「それ、飲むといいわ」とふり向きもせずに言って彼女は る頬は冷えて痛かった。しらじらと雪のうえに朝のあかる兄のあとをすたすたと追った。 こずえ みが見えはじめたのは大方平地をぬけて崖の下についた頃竹内は杉のむら立ちの梢から降りしきる粉雪のなかに立 であった。淡い紫色に足もとが明るんで来て、野山を吹きって一粒の錠剤を雪と一緒に噛み砕いて飲んだ。おういお すぎる雪の縞が空に見えはじめた。 と根本の呼ぶ声が頭のうえから聞えていた。竹内 「恭ちゃん、リュックを背負ってあげようか」と小谷野ははふと奇妙な疑いを感じた。彼の乏しい財政からこのスキ うしろから遠慮ぶかく言ったが、恭子は白い息を吐いて喘イ旅行の費用を無理につくり出し、学校で使った二三の参 ぎながら前かがみになってスキイを引きずって行った。あ考書をそのために売り払ったりしたのは、もしかしたら白 たりが明るくなると恭子が太いズボンの腰を振りふり歩く井恭子と一緒に旅をすることの魅力にひかれていたのでは きやしやすね 姿が小谷野の眼に新鮮に見えてきた。彼女の華奢な脛につなかったろうか。 がんじよう あえ づく頑丈なスキイ靴は、それが彼女の性格の一部分である彼は喘ぎあえぎ皆のあとを追って急いだ。ともすればあ かのように四角張って見られた。 と辷りしそうなスキイを踏みしめ、股をひらいた姿勢にな / 川の橋をわたり、道は林のなかの屈曲した急な登りに って急な斜面をの・ほった。恭子がアスビリンをくれたのは なった。ひと休みしながら竹内は雪を握りかためて頬を冷単純な親切であろうか、それとももっと深い感情があった やした。寝不足をするときっと歯が痛むのだと言った。 のだろうか。彼女はな・せ汽車の中でそれを出してはくれな ヒュッテはこの急坂をの・ほり切ってから七八町の斜面の いで、ここまで来てから誰にも内密にくれたのだろうか。 上であった。さあ、もうひと息だと根本が先頭になって歩彼女に竹内の求愛をうけ容れる用意があるのだとこれを解 きだし、恭子はすこし遅れた。竹内は最後であった。 釈してもいいものかどうか。林をぬけるとたちまち粉雪が あえ
る。 立ち退いてどこへ行くのか、それがまだきまっていなか * ねこぐるま 南部落の倉崎利八が山から猫車に丸太を積んで降りて来った。 たとき途中で小沢村長に会ったので、頬かぶりをとりなが役場では東京市当局に伝手を求めたり人を派遣したりし ら車を止めて、 て然るべき場所を物色していたが思わしいものが見つから らようふ 「なんと村長さん、立ち退きだ立ち退きだと言うて大分長ないのであった。青梅町の南の西多摩郡調布村や南多摩の だいばさっ 引くようですが、秋蚕の用意をしても大丈夫でしようかな 川沿いの部落や埼玉県の山地や山梨県北都留郡の大菩薩に いず あ。それまでに立ち退くんではつまりませんが : : : 」と言近いあたりなどが候補地にあげられ調査されたが、何れも よ ったところが村長は親切に、 あまり好い条件を備えてはいなかった。すると坂部の勝太 わかあゆ 「うむ、秋蚕ぐらいは大丈夫だが来年の春蚕となると大方郎おやじは若鮎を焼く七輪を上からばたばたと煽ぎながら つぶや はす 駄目だろうな。何しろこの春時分にはかたがつく筈のが延女房に向って呟くのであった。 びているんでなあ。みんなもお困りだろう」と答えた。 「大体が役場のやり方は無理じゃ。日本中どこの隅々まで 利八は会う人ごとに来年の春蚕は飼えんそ、その前に立も他人の所有地でねえところはねえ。三千人が纏った土地 ち退きだと知らせて歩いた。 を買って行ったら、そこに居った三千人が他所へ行かにや いよいよ立ち退く時期が来たのだと村の人達はみんな思ならん道理じゃ。そりゃあ出来ねえ相談で、結局はみんな せ った。それならば屋根の修繕もしない方がいい、桑畑の施ばらばらになることじやろう」 むだ 肥も無駄だ、山の木はなるべく早く売ってしまおうと誰で女房はため息をつきながら答えるのであった。 らっきようつ もが考えた。女房達は梅干や薤を漬けても持っては行か「何にしても川の近処へは行かんことじゃ ひか れまいと思って控えることにした。そして村役場では下流考えて見れば彼等村民の気持の中には立ち退き先を決定 村の氷川や御嶽の方に通ずる街道の上の崖崩れも危険さえなしたくない共通の感情が測然としかも根強く働いていたの のければ修理しないでおくことにした。石段の壊れたのもそである。例えて見れば彼等は岩に生えた昆布のようなもの のままに、橋の欄干が腐って傾いたのも棄てておかれた。 日 であった。その葉は波に揉まれて揺れ漂うているけれども たちま ごうじよう すると村は忽ちにして荒れはじめた。見る見るうちに滅その根は強情に底の巌を担んで離れようともしないのであ もっ 亡の村の姿を現わして来た。いよいよ立ち退く時が来たのる。抗し難い力を以ていよいよこの根が巌から引き放され てしまうまでは、どこに住みかえようかと考える気にはな ご あご の ほお いわっか すみすみ まとま あお
新鮮なホルモンを供給して、五体に活気をあたえ、心に緊 持もあった。 いまとなっては、お須磨さんが恋しいのではない、遊蕩張をもたらすことになりはしまいかと、そういう悲しい願 の面白さに耽溺しているのでもない、追いつめられた立場いをこめて自由ガ丘に通うのであると、先生自身は思 0 て いた。そういう弁明も、実は弁明であって、お須磨さんに に居りながら、大学教授と言われた昔の誇りが忘れられな くて、そのために却って身のふり方がきまらないのだ。私会いたい気持も決して嘘いつわりではない。要するに小泉 立大学が沢山できたから、行こうと思えばどこへでも行けさんは自分の胸のなかで、自分に嘘をついたり弁解した ると、鴨井君には大きな口を利いて置いたが、どこの大学り、自分を瞞したりおだてたり甘やかしたりしながら、千 も先生は氾濫している。しかも新しい大学は碌な月給を払千に砕くる思いを抱いて、自由ガ丘への夜の坂道を降 0 て わないので、貧乏教授は二つ三つの大学をかけ持ちで、狭行くのであった。 この前に行った時にはあんな始末で、はからずもお須磨 い職場を一層せまくしている有様だ。そのせち辛い教授仲 あゆっいずい に、いまから手蔓をもとめたり阿諛追随の愛想笑いをつさんの私室につれこまれる仕儀となったが、手をとり合っ くったりしながら割り込んで行くというのも、はなはだ心て恋を語ろういとまもなく、客や電話に追いたてられて匆 匆に退散しなければならなかった。あのときお須磨さんに 淋しいことであり、億劫なはなしである。 億劫だ億劫だと思「ていると、いつまで経 0 ても腰があ力を罩めて握られた左の小指が、いまもあの夜の感動を覚 がらない。緊褌一番、手につばきして立ちあがろうと思うえていて、かすかに慄える。いまから彼女に会えばどうな るのか、これからさき一一人の関係がどのような筋道を辿っ ・、、なまけ癖のついたからだは油の切れた機械のように、 容易なことでは動きはじめないのだ。人生すでに五十にちてゆくのか、何もわからない。解らないことが、一層きび しようそう かく、体力、気力、意志力というものが、必要なときに必しい不安となり焦躁の思いとなる。つらつら考えるに、こ れが自分の生涯に於ける最後の恋であろう。男と生れて、 要な緊張と活動とをやってくれないのである。 せめてこの怠惰な日常生活の習慣に、或る小さな破壊を女を恋い慕うこともこれが最後であるとすれば、在らざら あたえたならば、それが一つのきっかけとなって、新しくん此の世の外の思い出に、身を尽しても一夜の耽溺を味わ って見たい気もする。それから後の人生は、ただひたすら 奮起する力が湧いて来るかも知れない。何もお須磨さんと 深い契りを結んで、色恋沙汰に陶酔しようというのではなに老いの坂道を駆け降るばかりだ。女房子供には申訳ない ごぞうろつ上 さび 。色恋沙汰のまねごとが、錆のつきはじめた五臓六腑にが、男の情熱の最後の燃焼を、許してくれたっていいじゃ おっくう
。暢気といえば暢気だが、いくらか鈍感なのかも知れな は大丈夫ーと夫人は歯牙にもかけない。先生は面目を失っ こ 0 。以前からそういう傾向はあったが、四十を過ぎてます 「馬鹿 ! 共産党とパチンコを一緒にするやつがあるか」ますのんびりして来た。生理的更年期をむかえたと見え ふと 「同じことよ。あの子はちょっとそんな事を言って見るだて、この半年ほどのあいだに急に肥り出した。シ = ミ 1 ズ の上にスカアトをはいただけの姿で、むき出しになった肩 けなの」と、母親の自信はいささかもゆるがない。 わきばら 「お前は何も聞かないうちから、大丈夫だ大丈夫だって言の肉が丸くもり上っている。胸も脇腹もたっぷりとふくら んで、却って色気のあるからだっきになった。いよいよ、 ってるが、順平は就職する気がないんだぞ」 いろいろな意味で、男性をして絶望的ならしめる年齢であ 「大丈夫ですよ。口がきまらないうちはそんな強がりを言 ってるんですわ。就職がきまれば、ちゃんと勤めに行きまる。 小泉さんは女房のふくらんだ肩から眼を反らして、 「そうじゃないんだ。おやじは・フルジョアだから、わざと「そんな暢気なことを言っとると、俺は知らんそーと言っ ひとまね すね 失業して親の脛をかじって、親の経済力を奪うのが共産党た。「流行だろうと人真似だろうと、世間は同情なんかし ないよ。東大の生徒みたいに、そのうち巡査とやり合っ の戦術だと言っている。ひどいやつだ」 いて、留置場へやられたり我をさせられたりするんだ」 恒子夫人は声をあげて笑った。笑いながら顔の汗をふ 「大夫よ。折を見て私からよく話をして置きますわ」 て、 「そんな事を言って居られるあいだは仕合せですわ。それ「お前の言うことなんか、聞くもんか」 も今年一ばいで、来春からはいやでも応でもお勤めに行か「そうでしようか」 かわいそう なきゃならないのよ。可哀相みたい」と言った。 「あたりまえだ」 たんす ロはしゃべっていても、手は絶えず簟笥のなかをかきま「困りましたわね」と夫人はようやく着物から手をはなし めしあわせ わして、包んだ紙の隙き間からお召の袷をのぞいて見たた。「どうしましよう おぢや り、小千谷の夏物をひろげて見たりしている。忙しそう ふん ! と小泉さんは鼻で笑った。どうしましようと言 で、楽しそうだ。一体この女房は、物事を本気になって心 いながらどうする気もないらしい。結婚生活も一一十何年に 配することができない性分らしい。普通ならば、息子が赤なると女も落ちつき払ったものだ。共産党とは種類はちが 化したといえば大問題だが、彼女は一向におどろきもしな うが、彼女は彼女なりに一種の球根を栽培して来たもので めんばく のんき かえ
ても知事は知ったことではないと言うのか。横山は自分の たことの快感と安らぎとがあって、疲労の底に、暗い気持 やわら は / なかった。 失言に気がっき、急に笑顔になって次には柔かく出た。 自分は決して諸君の事を忘れてはいない 、目下交渉は順そうして夜が来た。村は森閑として疲れきった休息に眠 調に進んでいるから最近に於て解決する自信ももってい る。諸君に永い間困窮を忍ばせた事は責任上丘であ 0 龍三は利八に肩を貸して彼の家まで送りとどけに行 0 た、自分を信じて今少し待ってほしい。帰村したら他の諸た。暗いラン。フの下の炉では粗朶がくすぶり、安江は背を ま、製第ノ つくろ 君にも左様伝えてくれ給え。 : そういう猫のように柔か丸くして繕い物をしていた。彼と利八とは今日まではあま り口を利いた事のない他人であったが、陳情事件に一一人と い態度を見せた。 村長や原島昌国から今日の事態に至った事情を述べ善処も負傷した事が彼等を知人関係にしたのであった。利八の を懇願して面会は三十分で終った。龍三たちが府庁にかけ繃帯をまき直すと二人は炉に足をなげだして黙って煙草を ひじまくら ちょうど 契った。安江が父に話を聞くと利八は肱枕になって痩せた つけたのは恰度そのときであった。 顔に喜びの色を浮べながら、負傷した時のことや山越えの おれ 次第を語った。俺は土木局長にこう言ってやったとか知事 くちょう にこう言ってやったとか、土産ばなしのように楽しい口調 暮れゆく小河内の部落、崖の上の道を陳情の村民たちは 昨夜からの興奮に次ぐ虚脱に似た疲れによろめきながら一一一であった。龍三は眼を閉じて頭を垂れていた。 三五々、ばらばらになって戻って行った。村長はまた荷馬「お疲れでしよう、少し横になったらいかがです」安江が 車に乗せてもらい龍三の頭からは血がにじみ、足の傷が痛遠慮ぶかく言った。 びつこひ 「いや、帰ります」 みだした利八は龍三の肩につかまって跛を曳いていた。小 村学校の庭に集った者は三十人にも足らなかった。行けなか彼はそう言って絶望的に立ち上った。 たきび のった村人が二十人ばかり待っていて、焚火が暗くくすぶつ翌朝村についた新聞にはみな陳情の記事が大きく書き立 かろ ていた。二三の者が辛うじて陳情の経過を報告した。 てられてあった。それを見ると村民はうまいことをやった 日 行かなかった者は、それを聞いてどうも大した効果もなような、いくらかでも効果があったような気持になるので 礙かったらしいと思うのであったが、行った方の者は、兎もあった。そして興奮のあとの沈静してゆく気持で年を送り 2 かく 角も陳情をやりとげたことの満足があり、不平を爆発させ正月を迎えた。村長は相変らぬ陳情の日々であった。 がけ ほうたい しんかん そだ
気持になってしまった女房も玄治もが憎かった。 う。そして氷川の町に新しく建ったあいまい屋めいた家 そして今朝、龍三は山羊の首に繩をつけて玄治の家へ引 は、夜ごとにさざめく男たちの声がして、あやしげな女た つばって行った。見るも無残な家であった。壁のまわりにちの数もふえた。彼女等が風呂の帰りに腰をふり下駄を鳴 むつ、 は穴だらけの襁褓がよじれて下っている。畳は表が殪んどらして渡って行く橋の下を、小河内から伐り出す材木が揉 わらたば なくなって、藁束のようになっている。子供が日当りの壁まれもまれて流れつづいた。日が暮れると測量技手たちは ゆかた ぎわで乾してある大根の葉をかじっていた。女房は跣足で宿の浴衣がけにふところ手をして、三味線の鳴る家まで下 かまど うずくま りて行く。はたして氷川は栄えはじめたのである。 竈の前に踞り、判の茎を煮ていた。 「おかみさん」彼は土間の入口に立ってにこやかに言っ 不思議なことには鶴ノ温泉部落のはずれ、女ノ湯の近処 た。「うちの山羊だがなあ、良い乳が出るんだけど、うちに・ハラックめいた新しい家が二軒急造された。これにも ひょうたん には飲み手が居ないんだよ。こいっ暫くあずけて置くから瓢簟形の窓などがついて女名前の門札がかけられた。軒に あんどん な、赤ちゃんに飲ましてやってくれんか。毎日草さえ食わラン・フを入れる行燈が下って、一つは小料理、他の一つは せりやいいんだ」 西洋御料理と書かれてあった。夜になると蓄音器が流行歌 「まあまあそれは有難いけど : ・ 女房はそしらぬ顔をしを暗い谷にまでひびかせ、どこをどう流れて来たのか崩れ てあっかましく出て来た。「でもそんな事をして貰ってえたからだっきをした年齢の分らない女たちが一一三人声をそ おしろい えかなあ、折角あんたが飼ってるものを : : : 」 ろえて歌うのであった。そして日中は彼女たちは白粉やけ ーなうた 龍三は山羊の繩を庭の梨の木に結びつけてどんどん帰っの黒いはれ・ほったい顔をして赤い腰まきを見せて、鼻唄ま て行った。何喰わぬ顔をした玄治の女房があわれでロが利じりに洗濯や掃除をしていた。小河内ではかって見られな けない気持であった。帰って行く彼を嘲るようにつながれい風景であった。 村た山羊が啼いた。めえええ、めえええ : ・ 若い娘たちは大方女工に行ってしまってそのういういし の い質朴な姿を見ることも少くなってしまった村では、こん 蔭 六月に入ると水根沢から下流氷川までの間には何人となな女たちもやはり人目を惹いた。愛情の目標を失った若者 日 く測量技手たちが三脚の器械を据えて図を引いている姿が たちにとっては、近づきやすいだけに惹かれる気持もあっ 見られた。向うの山に赤い旗が立つ、崖つぶちに目じるして自棄的な酒をあおる者も一人や二人ではなかった。夕方 の杭が打ちこまれる、人夫が測量の邪魔になる木を伐り払山から薪を積んで猫車を押して下りて来ると、この女たち せつかく なわ しばら あざけ
窓の外で、冬の短い日は暮れはじめた。二人の息子は学人間の在り得る限界を知り、人間生活のなかの断層をさぐ 校から帰ってきたらしい。頭の上の空を、ジェット機が雷 り、明日の社会の在るべき姿を予告するものでなくてはな とうふ のような音をたてて飛んで行った。豆腐屋がいそがしそうるまい。すなわち歴史学者はこの一点において、今日の政 らつば みやくはく に喇叭を吹いて通る。生きた社会が、生きている脈搏を打治につながらなくてはならない。 ちながら、夜にむかってすべりこんで行く。 この考え方は学者の態度としては、実利的に傾きすぎる 何百年以前に、どのような事実が存在したか、どのよう かも知れない。しかしまた一面から考えれば、現代の政治 な事件がどのようにして起ったか。 : それが問題ではな は今日の目前の事象に曳きずり廻されていて、国民の心の 。それらの歴史が、どのようなかたちで今日の社会に影なかに脈を曳いている歴史の重さを見忘れているようにも 響し、どのように明日の社会をつくり出して行くか。過去思われる。歴史学者の研究は、ここに一つの他山の石を提 の歴史の根が、現代の生活のなかにどのような力をもって供することができるかも知れない。・ 生きているか。知らなければならないのはその事である。 こういう見地に立って日本の歴史を考え直して行ったな ある それを考えることによって、今日の社会の性格を知り、 らば、或いは今日の学生たちに対しても、彼等の胸にひび 明日の社会を築く方針が立つ。どのような伝統を保持し、 くような講義ができるのではなかろうか、と先生は思っ どのような弊風を捨てて行くか、その取捨選択の基準がき た。歴史とは、一つの素材である。今日と明日との生活を まる。歴史を過去のものとせずに、現代と未来との関連に築いて行くための、建築資材の一つである。古い歴史は、 おいてこれを考えなくてはならない。たとえば、過去にお古い石材として建物の礎石に用い、新しい歴史は一個の ける皇室の歴史が何千何百年つづいていたかという事は問どして、雨を防ぐために屋根の上にのせればいいのだ。 題ではない。過去の皇室がどのようなものであったかを学 かいムく 命ぶことによって、将来はこれをどうすれ・ま、 をしいかという見先生はそこまで考えて、ようやく多少の自信を恢復する 革解をみちびき出すことが必要なのだ。 ことがでぎた。大学へ帰ろう ! たとい先生の講義が不完 ざんがい 青地質学は、幾百万年の過去の残骸を調査しながら、来る全な不徹底なものであろうとも、先徒たちは歴史を一つの べき地殻の変化を考え、地下の鉱脈をさぐり、そのように生きたものとして、興味をもって聞いてくれるであろう。 5 して今日と明日との文化に貢献する。歴史を研究することそれから、あの老総長がいみじくも言っていたように、生 もまた、過去の事実の残骸をさぐりながら、それによって徒は小泉さんの講義に反撥を感じ、先生を否定し去って、 へいふう はんばっ
むかって足音をとどろかせながら殺到して行った。警官隊 彼は真赤になり汗をかいていた。 すく 警察署長の考えではなるべく氷川の町〈入らせずに、琴は網で魚を掬うようにそれを受止めた。 しか 浦橋で全部を喰い止めたいというつもりであった。然し捕警官隊は次第に押されてしりそき、三つの部隊は一つに えられた者は二十人ぐらいに過ぎなかった。長い行列はあかたまり道に栓をしたかたちのままで弁天橋までしりぞい とからあとからと息を切らしては橋に駈けつけた。それをて行った。ここではじめて彼等は最後の頑強な抵抗の態度 をとった。 捕えていると前につかまえていた男が逃げだすのだ。こ ら ! 待て、と後から呼ばれると背を丸めてげらげらと笑橋のたもとは道幅四メートルに過ぎない。一方は山で、 もろ かんばく いながら走っていた。警官隊は案外に脆かった。我をさ一方は灌木の生えた高さ十メートルの崖である。そこへ押 ぶじよく せる事のないように、村民を侮辱することのないようにとしよせた人数は二百から二百五十となり三百となり四百と なった。最初に龍三が警官と揉みあいながら右側の崖に辷 いう署長の訓辞が彼等の力を殺いだのだ。 自信がないのであった。なぐる事も出来ず繩をかけるこり落ちた。半分ばかり落ちたところの岩で一一人とも引 0 か とも許されない場合、それは警官にとって手足を縛って泳かった。それからばらばらと四五人も途中へ辷った。倉崎 つか ぐようにもどかしいものに過ぎなかった。そうして琴浦橋利八がさかさまに落ちて灌木の枝をんで止った。誰が誰 を落したのかもわからない混雑のなかで叫びあい押しあっ の第二線は突破されてしまった。 こ。そして警官隊は遂に全群の流れを堰き止めてしまっ けれども氷川の町並みに入る最後の関門である笹平橋とナ 弁天橋との間に待機していた警官隊は第一線第一一線が突破た。要害の地を占めて小人数が有利な立場であったのだ。 むしろばたあお ようやく少し静まったところで、警部補が進み出て、こ され、竹の棒をふり上げた男を先頭に蓆旗を煽り立てなが ら密集隊が明け方の谷の霧を突いて走って来るのを見るれ以上騒がないようにと頼み、町を騒がせないように、氷 と互いにはげましあいながら三段川神社の内に入って相談をしようと提議した。提議は相 しようだく に分れて道を遮って立った。ここには六十人近い人数が居手の承諾を求めないで実行に移された。全群は橋を渡った た。第一隊一一十人は笹平橋を越えて向うのたもと、第二陣ところにある神社の杉木立の中に蓆旗を捲いて、そろぞろ 一一十人は橋の中央、最後の二十人は橋の手前のたもとに並と入って行った。みんなの・ほせて汗だらけになり、弁当は 列して強固な守りをかためた。ここは決して渡らせないよっぷれゲートルは解けて地に曳いていた。崖を落ちて負傷 ばうぎよせん うにという署長の命令であった。先頭部隊はこの防禦線にした者はここで応急の手当をした。警部補が部下にむかっ さえぎ なわ せん
はず いを盛大にやってくれと彼が書いたのは、恭子に贈る別れ心境には恭子は関与していないと考えてもいい筈である。 の言葉ではなかろうか。白井は急に先日の恭子へ来た高杉しかし今更ながら先日の彼の手紙に対してもう少し誠意 ひか の手紙を思いだした。あの控え目な意志表示は実は高杉とをつくしておけばよかったと、後味の悪い気がしてなら しては大変な決心をもって書かれたものであったかも知れなかった。日が暮れてから彼女は高杉の家へ通夜に行っ ない。あるいは弱りはてた彼の生命の最後の望みが恭子へた。 の愛情にかけられていたとも考えられた。もしもこの推量通夜は、高杉のグルー・フの連中が大部分であった。彼等 ろうそく ひつぎ が誤っていなければ、三原山で兄が助けた高杉の命を今度は蝋燭のゆらぐ柩の横に押しならんで、突然のこの変化に ばうぜん は妹がっきおとしてしまったのだ。 呆然となっていた。 医者は毒物の完全な中毒を認め、手の施しようのないこ夜更けてから高杉の兄が妻に命じて酒を持ってこさせ、 とを告げて帰って行った。それから間もなく高杉の兄が車一人一人に注いでやってから静かに口をきった。 彼まおちついて春光亭のおばさんや学友た「弟は碌に遣書らしい詳しいものも書きのこしていないの で駈けつけた。 / を ちに礼をのべてから、遺骸をのせる自動車を呼んでもらうで、僕にはどうも原因が理解できないんですがねえ。君た ことにした。車がくると彼のからだは学生服のままで車にちは永年の親友だから、或いはお察しがついているかも知 移され、兄と竹内とがっき添って行った。 れないと思ってねえ。何か心当りはありませんか」 恭子は末席で顔を伏せた。 へ電話をかけて恭子をよび出した。 白井はア。ハ 1 ト 「やはり肉体的に絶望したんじゃないでしようか . と根本 「おい、高杉が死んだぞ」 おどろ 妹が愕きに息をのむ声が兄の耳にはっきりと聞きとれが言って、三原山の一件を話した。 「どうもそれよりほかに原因は無さそうに思われますね」 たちま りつぜん と兄も肯定した。 恭子は慄然として、高杉の幽魂が忽ち彼女の背におおい しかし学生たちのあいだでは、説明できない他の原因も かぶさってくるような恐怖におののいた。それと同時に自 分はたしかに高杉の死を予知していたと思った。彼女は高考えられた。それは生きている彼等自身にもふと生命を脅 ばくぜん 杉の死を自分のせいだとは思いたくなかった。それにしてやかされるある漠然としたものの存在であった。正体はは はあまりにも経緯が単純すぎて信じられない。三原山へ行っきりしないがこの社会全体の空気がなにか彼等には有毒 ったときから彼は死を前にしていたが、あのときの彼のなもののようにも思われた。あるいは卒業期に当面する一
とも ! と答えた、その言葉は今もなお老村長のしつこい気はないかとかいっているそうだが、満洲三界まで先祖の 記憶の中に余韻を残しているのであるが、近頃でははるば骨を持って行くわけにも行くまい。尊い先祖は日本の土に ると東京まで訪ねて行っても今日は会議があるから明日来埋めておきたいものである。それが何としても解決のつか てくれとか、今は忙しいから午後に来たまえとかいうしらない悩みであった。殊に老人達は墓のことを気にかけて追 ようや とんじ じらしい口ぶりで、漸く会って見ても遁辞ばかりを探してい立てられる運命をかこつのであった。 こんにやくいも いるような一一人である。思い合わせて見れば結局彼等一一人蒟蒻芋組合長の河村代作の老母おいとに至ってはそうし に手柄を立てさせたばかりで村長は無駄な感激を以て大乗た心配がんどヒステリー の傾向にまで進んでいた。女ノ 的立場をとったように考えられなくもない。それが彼には湯の弁天岩の上にある弁天様はどうするのかというのだ。 ムもんじ 不安でもあり淋しくもあった。 河内部落のはずれにある金御嶽神社や普門寺はどうするの そうした悩みは村長ばかりではなくて、村民にはまた村かというのだ。彼女に取っては藪かげに捨石のように傾い やくよけじぞう 民として処置に困ることが多かった。 て立っている厄除地蔵でも畑の隅に文字も見えないほど古 ばとうかんのん 役場の書記である小林三造は子を連れた鰥夫の淋しみをびて捨てられてある馬頭観音でも、そうした石一つ動かす 蒼白い頬に浮べて助役の小沢孝治郎に向ってこう言うのでにも神主のりを捧げないでは出来ないことだと信じられ いっこう あった。 ていた。若い者は一向そんな心配もしてはいないらしい : そう 「去年亡くなった私のつれあいですがね、あれは土葬にし一体自分の骨はどこへ埋めてくれるというのか。 てあるんですが、立ち退きとなったらどうすればいいんでした歎きの果てにおいとの言う愚痴はきまっていた。 しような。火葬にしなおすんでしようか 「あああ ! せめて水の浸さないうちに死にたいもんじ それは小林ばかりの心配ではなくて村全体の問題であっ 村た。親子代々の墓を捨てて行くわけに行かない、といって このような種々雑多な心配のうちに村中をひっくるめて こつつば の重い石塔を幾つも持 0 て行く訳にも行くまい。骨壺だけでこの年の夏も過ぎて行こうとしていた。事情は次第に切迫 でかせ も十も十二もあるのだ。これが出稼ぎというのならば寺にし内務省からは水根沢の工事認可がここ数日のうちに下り 日 うわさ 骨を預けて行くことも出来るが、寺そのものが水底になるるであろうと噂されはじめた。しかもまだ立ち退き先はき のだから持って行かねばならない。北海道へ行けば土地がまらないのであった。 たくむしよう とずら あるとか満洲移民がいいとか、拓務省ではプラジルへ行くずっと上流の留浦では一部落三十八戸だけ纏まって山 やもめ きんみたけ ゃぶ すみ さんがい まと