母親 - みる会図書館


検索対象: 現代日本の文学 30 獅子文六集
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1. 現代日本の文学 30 獅子文六集

そうけん 先生は、どうやら、酒好きのようだった。それなのに、 せんか、わいどんが双肩にかかっちょツ」 しまいの方は、土地訛りが飛び出すほど、緒方先生の意月に一度は精華堂という洋菓子店へ、真人達を連れてって くれた。彼は″恩師″というものを、シミジミと、緒方先 気は、田んだった。 こんな風で、二中の歴史に残る軍人組なるものが、成立生に感じた。 もちろん した。真人も、隆夫も、小森も、万代も、勿論、それに加 五 わった。なんといっても、陸軍志望が一番多く、他の組を 隆夫も、この頃は、必死になって、勉強していた。真人 合わせて総数四十一名だった。数学、英語、物理化学は、 それぞれ、受持の教師が付いて、教師の自宅や教室で、真のように、数学は得意でなかったが、国漢文や図画は、彼 以上だった。英語の力も、真人に負けなかった。 剣な準備教育が行われ、鞭撻が厳しかった。 教える教師夢中、教わる生徒も夢中だった。自分が入その年の暑中休暇は、軍人組だけにはないようなものだ った。隆夫も、両親が心配するほど、机の前を離れなかっ 学の栄冠を獲ることが、母校の名を揚げるということを、 生徒の誰もが、胸に刻んでいた。これくらい、気合のかか あるばん すく 或晩、海風が涼しく、月が美しかった。それでも、隆夫 った試験準備は、全国でも、寡なかったにちがいない。 は、電燈の下で、細字の辞書なそを、読んでいた。 その頃から、真人は、軍人組の仲間と共に、よく、緒方 いっとき 先生の自宅を訪ねた。英語は得意であったが、疑義は遠慮「一時ア、散歩でんしゃいな」 なく、先生に質問した。先生は、難解なイデオムでも、納母親が心配して、そういった。 隆夫は、不不承、散歩に出たが、一人ではらないの 得のいくまで、ジックリと説いてくれた。 真人は、緒カ先生の自宅に出入するうちに、飾らずしで、真人を誘 0 た。真人も勉強していたようだが、快く応 て、珠の如き先生の人格に、打たれてきた。寛厚で、気品じて、二人は、天保山の浜へ、足を向けた。途中の町家で は、六月燈の名残りを点じていた。古風な切子燈籠に素人 のある、城下侍らしい家風を、尊敬せずにいられなかっ にしては巧い絵が、描いてあるのが、凉風に揺れていた。 た。老いた母堂と、奥様と、六人の子供さんがいたが、い かにもノンビリとして、静かな家庭だった。子供好きの真「よか風景なア」 人は、十三歳の先生の長男から、二つになる四男まで、残浜へ出ると、隆夫も、試験のことを忘れた。いつも見馴 れた桜島が、藍紫色にんで、沖は月光が澱み、砕ける波 らずお馴にな 0 た。 ペんたっ

2. 現代日本の文学 30 獅子文六集

画家を遇するに、厚かった。 ( なぜ、今まで、そこへ気がっかなかったろうー ) 卩してやりたいほどだった。こん 「隆夫・ : ・ : おいも、も、老年じゃ 0 で、市役所勤めをやめ彼は、自分の頭を、卩、 て、東京で、皆、一緒ン住もかねえ」 な、素晴らしい良縁が、二つとあるわけがなかった。真人 と、父親は、或る朝の、二人きりで対坐した時に、い つも、エダも、子供の時から知合っているし、父親も母親 てくれたのである。 も、真人と、真人の家の質素な家風を、常に推賞してるの 「はア、あいがとごあす」 だし、そして、隆夫自身は生涯の親友として、真人を敬愛 かっこう 隆夫は市来画伯のように、故郷を嫌うわけではないが、 してるのではないか。この恰好な二人を、結び合わすこと うかっ 自分の仕事の性質上、永く東京へ留りたかった。そして、 を考えなかったのは、迂濶というよりも、隆夫が真人に対 自分が一人息子であることを考えると、父母に仕えるためして、まだ、少年時代の気持が抜け切らなかったためだろ うれ に、一家が東京へ移住してくれたら、どれほど嬉しいことう かと、思った。ただ、その時機は、もっと、自分の地位が「絶対に、賛成ごあす。絶対に : : : 」 、と思った。 築かれてから後の方が、いし 隆夫は、父親が驚くような、大きな声を出した。 まっげ 「もう、五、六年もしもしたら : ・・・こ 「あん人なら、過誤はなかで : : : ただ、真人さんの内意 「そや、そうじゃ。ないも、急ぐこたア、なかどん : : : 」を、早う、わいから、訊んねッてくれんか」 と、父親は、静かに、煙草の灰を落して、 「どんから、エダは、如何おもうちょすか」 「じゃッどん、エダん方は、そげん、悠長にもしちよられ「エダか : : : 工ダは : : : 」 んでねえ。あいも、最早、二十にもなツでや」 父親は、どういうわけか、カラカラと笑い出した。 「結婚ごあすか」 四 「うん : : : わいが、戻っちよる間に、そん相談をせんなら んと思っちょツが、実は : : : おいに、心当りの婿どんが、 その話を、隆夫は、また母からも、聞かされた。母親 あッとじゃがねえ」 は、息子の海軍志望に、最初、反対したくらいだから、真 ちゅうちょ 「誰ごあすか」 人をいくら好いていても、この縁談に、躊躇の色を見せた 「谷の真人さんよ」 そうだが、 それを聴くと、隆夫は思わず、アッと、嘆声を発した。 「そいでん、エダが、真人さんこっ想込んじよっで、しょ むこ けん おめこ

3. 現代日本の文学 30 獅子文六集

ひら 思った。 やがて、わが家のある横通りが、眼の前に展けた。隆夫の とっ かす 「お父さんな、怒っておられやせんか」 眼は、涙に霞んで、遠くが視られなかった。 西駅から、電車に乗込んだ時に、隆夫は、ソッと、妹に 門の前までくると、エダが、裏口へ駆け込んで行った。 こうしど 訊いた。 隆夫は、わが家の格子戸を開けるのが、急に、恥かしくな っこ 0 「心配や、いもはんで : : : 」 = ダの声は、優しか 0 た。若い妻が、んを慰める時の家の中で、ドャドヤ、足音が聴えた。ガラス入りの格子 ような調子さえ、言葉の底にあった。 戸が、激しく、中から開けられた。 ( 変ったなア : : : ) 「まア、隆夫・ : : ・」 隆夫は、驚ぎを感じて、妹の横顔を見た。軽く捲毛にし母親の涙を含んだ声と姿が、同時に、隆夫に迫ってぎ えりあし た髪と、襟足と、白い・フラウスの肩とが、東京風な印象をた。隆夫は、罪人のように、首を垂れたまま、ロが利けな 与えたが、眼にした瞼の長睫毛と、高い鼻と、軽く結か 0 た。 うなが んだ唇には、土地の女らしいらいが、色濃く浮かんでい やがて、母親に促されて、彼は、居間へ急いだ。そこ ひざ こ 0 に、父親が、膝も崩さず、坐っていた。 きのぼ はたち 「お父さん : : : 申訳ごあはん」 ( 樹登りまでして、母親に叱られた妹が、二十になると、 「ないも、ゆわんでんよか」 こうも、変るものかなア : ・・ : ) 隆夫は、妹の変化を、年齢のせいと考えるより、外はな父親は、両手を突いた息子から、眼を外らして、涙を堪 っこ 0 えていた。 途中で、乗換えをして、一一中通りで下車すると、隆 は、町の家並みや、商店の看板の一つ一つまで、激しい臠 軍きゅう 旧を感じた。すべては、六年前と、少しも変っていなかっ 三日間が、夢のように過ぎた。 た。今にも、小倉服を着た真人や、与平や、万代なぞが、 故郷はよきかなーー故郷の山も、海も、魚も、批杷の実 かなた 彼方から、歩いてきそうな気がしてきた。 も、たか菜の漬物まで、隆夫の心と胃を、豊かにしないも しもあらた 下荒田までくると、天保浜から吹いてくる、海風の匂いのはなかった。 おお がした。桜島がヌッと、巨きく屋根の上へ、顔を出した。 父母は、わが子の過去を責めす、朋友は、海軍大臣賞の にお はうゆう こら

4. 現代日本の文学 30 獅子文六集

こ 0 妹と、談笑していた。 「天保山で、遊・ほや」 「真人君、おはんな、中学出たら、なんが志望ごあすか」 真人が黙っているので、父親が話しかけた。 折よく、隆夫が提議した。 ちそう 「はア、まだ、なんも、決めちおりもはん」 「ご馳走さんごあした」 、家の内情まで話す気はしなか 0 た。 真人は、痺れのきれた足で、立上った。 うちあん あん 「家ン兄さんな、海軍ッ : : : 」 「兄さん、あたや、連れちかんの ? 」 こざか 工ダが小慧しく、ロを挿んだ。 工ダが、二人の蹤を追った。 「海軍もよかどん、一人息子ごあんで、あたや、官吏か実「女子の来ッとこじゃなかー」 業家が、良はごあんすめか : : : 」 麗らかな春の陽を浴びて、隆夫は、大人振ったロをきい その頃は、まだ、そんなことをいう母親が、多かった。 「おはんが、なんち言やッてん、おいは、海軍にきめも したど」 ふく うえそのまち 隆夫は、頬を膨らせて、母親に食ってかかった。真人は上ノ園町にある二中の校舎は、新築したばかりで、近代 驚いた。母親に、そんな態度をとるなんて、彼の家では、 風様式の堂々たる三階建てだった。鹿児島というところ 夢にも見られぬことだったから は、学校や役所の建築に、妙に、金をかけるのである。 「まア、よかが : : : 。隆夫も、海軍に入りたかや、体を丈真人も、隆夫も、一年二ノ組に編入されて、同じ教室だ かんじよう くす 夫にするこッちゃ。そげん、細か国家の干城は、何処もおった。窓から、楠を植え廻らせた広い運動場が見えた。級 らんど」 友は、小学校とちがって″カライモ″ つまり、郡部か 父親が、声を立てて笑った。それで、一座が、また和やらきてるものも、多かった。 軍かになった。 彼等は、東京の中学生と同じように、よく騒ぎ、よく遊 食後に、イチゴを食べた。食後の果物などというものんだ。ただ、教師や上級生に対する態度がちがっていた。 海 も、真人にとって、珍しいことだった。立派な座敷、油絵長幼の序のやかましい土地だから、自然、目上を尊敬する だんらん の額、都会風な団欒、女中の給仕ーーす・ヘては、真人の家のである。それと、時局に対して、案外、鋭敏なところが づら にないものばかりだった。彼は、なんとなく、居辛かつあった。東京の中学生は、時局の刺激があまり強過ぎるの はさ どけ なご うち こ 0 おなご うら しび あと おとなぶ

5. 現代日本の文学 30 獅子文六集

れた。兄弟中で一番温順な四ノ吉は、麑商の二年に通ってい って、後から駆寄って、抗議した。言葉っきが、ひどく か、よう いたが、学校をやめて、店の稼業を手伝うことになった。真剣だったので、太郎は返事ができなかった。 真人と、よく顔の似た彼は、なんの不平もなく、制服を脱また、彼は、学校へ行くと、暇があれば、鉄棒にプラ下 りんご ぎ捨てて、精米機の側に立った。 った。林檎のような顔を、いよいよ真ッ赤にして、重い尻 女手の方は、余るほどあった。婚期を過ぎようとする長を宙に浮かそうと、藻掻いた。 女から、十六のキタまで、それぞれ役に立っこ。 ナこうし「海老が跳ッごっあらい」 て、谷の家の新しい体制が、始まった。 友達から、いくら、笑われても、彼は、器械体操をやめ やがて、子供達は、父親のいない空虚を忘れた。なぜと なかった。器械体操が好きになったのではなく、自分に不 いって、いっか家の中に、新しい柱ができあがったからだ得手があるのが、嫌だったからだ。 った。ワカが柱だった。男優りでもなければ、才鼡けてい 心の奥底で、真人は、負け嫌いになった。 うしな るでもない母親だったが、子供達のおのずからな信頓が彼人に負けておられんーーー・父親を喪ってから、そういうこ 女に繋がった。世間の信用も、それに準じた。 とを、いっか、彼は考えるようになった。子供心にも、身 を粉にして働いてる母親の姿が、映っていた。学業を途中 九 でやめて、なんの不平もいわず、店の仕事をしてる四ノ吉 真人が十二歳の春を迎える頃には、谷の家の中も、スッ兄の行いに、動かされていた。みんな、なにかと、闘って あなど ふせ カリ落着いてきた。誰も、父親がいないことに慣れてき いるのだ。みんな、誰かの侮りを、禦いでいるのだ。 た。ということは、誰もが、父親のいた頃の彼等でなくな ( おいも、人にア負けちおられんど ) ってぎたことでもあった。 彼も亦、小さい胸の中で、決意した。土地の風で、どの 真人の小さい胸のなかにも、やはり、そうした変化が起子供も、一応は負け嫌いだったが、真人ほど、シンの強い 軍ぎていた。 = コ = 0 と、糸切歯を出して笑う癖は、同じだのは、少なか 0 た。その癖、減多に友達と喧嘩をしなか 0 ひそ ったが、笑顔のうちに、案外な、強いゴムの弾性を潛めた。喧嘩をしないのは、機会がないからだった。彼の負け ほはえ て、人を驚かせた。 嫌いは、柔らかい徴笑みに包まれてるので、乱暴者も、知 ないごて 「兄さア、何故、おいより早よ行きやっと」 らずに通り過ぎるのである。しかし、薩摩名物の″大将防 或朝、彼は、兄の太郎が、一足先きに学校へ出掛けたとぎ。や " 降参いわせ。の遊戯ーーというよりも、模擬喧嘩 つな まさ けいしよう また たたか

6. 現代日本の文学 30 獅子文六集

例によって、玄関に入らずに、隆夫の部屋の前まで行く と、愬えられた時には、慰める言葉もなかった。 と、彼は声を絞った。 実際、隆夫の胸のうちを考えれば、隆夫が、どれはどと 「隆夫ッ : : : 」 り乱したところで、無理とはいえなかった。小学校以来、 すぐ聞えるべき返事がなかった。再び呼んだ時に、櫺子あれほど夢に描いた″海軍″ではないか。しかも、去年失 すが 窓から、エダの顔が現われた。 敗して、兵科の夢を捨てても、なお、一縷の望みに縋ろう あん 「兄さんな、誰とても会もはんど : : : 」 とした彼ではなかったか。その最後の綱が、断ち切られた のだから、彼が、どんな狂態を演じようとも、不審はない かこく 五 のだ。どうして運命は、隆夫にのみ、苛酷であるのか。海 兵学校の休暇は、短いのが名物で、真人は、間もなく、 軍に志したのは、彼の方が先きだったではないか。銀行員 はす 帰校準備にかからねばならなかった。 になる筈たった自分が、海軍生徒となり、あれほど″海軍″ あこが しかし、その短い休暇の間にも彼は、なにやら、驅の摘に憧れた隆夫が、こんな絶望に突き落されるなんて むし が緩んだような気持で、寧ろ、早く、江田島へ帰りたかっ ( なんちゅ、運の悪りい奴じやろかいー ) た。それに、母親も案じたよりも丈夫であり、四ノ吉兄の真人は独り居る時、隆夫のことを考えて、手の甲で、涙 努力で、店もエ合よく行っていた。長兄は東京に、次兄のを拭った。 たがお 真一郎も、台湾の高雄へ在職して、家の基礎が、いよいよ いよいよ、明日帰校となった日に、東郷墓地と南洲神社 かきよう 固まってくる様子だった。真人にとって、家郷になんの心へお謐りした帰りに、彼は、市役所の人事課長室に、隆夫 残りもなかった。 の父親を訪ねた。隆夫が彼に会わぬ以上、せめて父親に会 ただ、彼の心に重たい荷となったのは、親友隆夫のことって置きたかった。 ・こっこ 0 「やア : : : お陰さアで、ちったア、落着ッきた風ごあす」 うれ その後、彼は、数回、牟田口の家を訪ねたが、いつも、 その言葉を聞いて、真人は、どれほど嬉しかったか知れ 隆夫に会えなかった。涙を溜めた母親が、 なかった。隆夫は、破れた心と体を養うために、霧島温泉 海 きっげ 「も、狂人のごっないもッせえ、家のもんとも口をききもあたりへ行きたいと、父親に申し出たそうだった。 たもいもん はんと。食物も、食もあんじなア : ・ : 。ほんに、酷でごあ「一時の打撃ごあんで、一か月も静養したや、旧ンごっな しとオ」 いもそ」 ゆる し からだたが れんじ うった ひと

7. 現代日本の文学 30 獅子文六集

女のハルも、ようやく縁づき、商売も、いくらか繁昌してた。 母親ーーこんないいものが、世の中にあるだろうか。真 きたとはいえ、真人が、高校から大学への長い学生生活 たか を、保証するまでには、家の経済が容しそうもなかった。人は、この頃になって、いよいよ母親への愛慕を、昻めて きた。子供と家のこと以外は、何一つ考えようとしない母 ( 中学出たや、銀行員でんなツか : : : ) なが うる 親の心が、わか 0 てきた。母親が、いつも、秤褸のような 寂しく潤む眼で、彼は、沖の小島の青い影を眺めた。 着物をきながら、太郎や真人には、トザッ・ハリした風をさ なぞ せる謎か、解けてきた。恐らく、父が生きていたら、こう し むく 秋の学期になると、苦心の甲羅干しが、酬われて、真人まで、母親の心が身に沁むこともなかったであろう は、菊池少佐から褒められた。その代り、友達からは、揶「お母はんの飯ア、おいが盛る : : : 」 あるあさ 或朝、一家が円くなって、食事してる時に、真人は、そ 揄された。 ういって飯櫃を引寄せた。 「見、。リンゴが黒うなったで、全体、焼き林檎じゃ」 その頃、契茶店が市中にでき始めて、焼き林檎などと「男ン子が、そげんこっ、せんでもよか」 たしな 母親は、軽く、窘めた。実際、マツェでも、カョでも、 いうものを、食べさせたのである。 キタでも、女の給仕人の数は多いのである。 真人は、激情を抑えられぬように、赤面して、 真人は、含み笑いをして動じなかった。動じないのも、 心いで、彼は焼き林檎なるものを知らないのである。彼は「そいなら、一杯だけ : : : 」 ちやわん こば 外で、一切、買食いということをしない少年だった。恐らそういわれると、母親も拒み兼ねて、茶椀を出すと、真 く、いつも、蟇ロの中が云しか 0 たのでもあろうが、母親人は、愛情の容積を示すように、大盛りに盛り上げた。 「ホッホッホ、こや、魂肖っこ が、そういう行いを、好まなかったからでもある。 そうそ ) 母親は、茶椀をもてあましながらも、嬉しそうだった。 軍新学期匇々に、真人は、副級長に選ばれた。唱歌の点は その頃から、真人は弁当の菜に文句なぞいわなくなっ 悪くても数学と英語の成績が、圧倒的だったので、そうい つけもの 海 う結果になったのである。 た。国分大根の漬物だけでも、不平をいわぬのみか、洗っ たようにキレイに、飯粒を余さなかった。それは、後始末 「そや、よかった : ・・ : 」 はぶこころづか 7 母親は喜んで、春駒という駄菓子を、祝いに買ってくれをする姉達の、手を省く心遣いらしかった。また、時とし はるごま つ つ べーキング・アップル ひや めしびつ まる おさ たんが うれ

8. 現代日本の文学 30 獅子文六集

55 海軍 めじり れて、三間 それと、一階に物置風の小室があるが、子よく笑う子供だった。色の白いことと、眼が細く、眦の 供の勉強部屋としか用途がなかった。夜になればその部屋下ってるところは、確かに母親譲りだった。唇が朱く、ポ 部屋へ、十三人の家族が充満するカ / 。 ・、、、 / よ、ヒッソリとしットリと、優しく閉じてるのは、父親に似ていた。誰が見 よじろうがはま て、昼の鳶の声が、与次郎ケ浜から聴えるだけだった。 ても、表情を崩さずにいられないほど、可愛い赤坊だっ まさと あいきよう ふと、隣りに臥てる真人が、高い声を揚げた。お産に慣た。そして、知らぬ人をみても、ニッコリ笑う愛嬌は、時 れた母親は、それが便意でなくて、飢を訴えることを、すとして彼を女の子と間違えさせた。 ぐ聴きわけた。 「はら、なんち、愛か赤子じゃんそかい。やがつ、よか とし よめじよ 彼女は、胸を展げて、乳房を含ませた。齢に似合わぬ、嫁女イないやんそ」 ミツが、真人を負って、往来で遊んでると、そんなこと 瑞々しい乳房だった。だが、それよりも驚くべきことは、 乳房をもち添える彼女の手だった。節くれだった、古い野を話しかける、お内儀さんもあった。 てのひら ごうしゃ はちまんしゃ 球グロー・フのような、大きな指と掌だった。二十四歳で 三歳の祝いの時には、母親が抱いて、郷社の八幡社へ参 まさひこ もっと 嫁にきて、今日まで二十年間、あらゆる働きを働き続けた詣した。尤も、ワカは、その年に、十二番目の真彦を生ん 女の手だった。 で、いよいよ身辺が忙しかったが、七五三の参詣だけは、 あらた 欠かされなかった。彼女は、服に身を更めて、古い、根 元が六稜になってる石鳥居を潜った。丁寧に手を洗い、ロ きねんこ すす 真人は、健かに育った。 を漱ぎ拝殿の前で、長い祈念を凝らした。べつに、なにを 手のかからない子供が多かったうちにも、これほど、手お願いするわけでもなかった。ただ、一心に拝むのであ おとな のかからない子供はなかった。四ノ吉が、ずいぶん、温和しる。男の子の場合は、いつも、そうして長く拝むのであ げり る。 い子供だったが、よく下痢をして心配をかけた。真人は、 ふと ゆいしょ むしけ クリクリ肥ってるわけでもないのに、不思議と虫気もな荒田八幡宮は、由緒のある社で、現在の社殿は、島津十 く、腹も壊さなか 0 た。乳がほしくなると、猛然と泣く五代の貴久の造営にな 0 てるが、祀は遙かに古いらし い。九月二十三日の祭礼には、浜りの行事があって、鹿 が、満腹すれば、すぐにスャスヤと眠った。眼が覚めれ ば、ひとりで手を動かして、遊んでいた。そして三月経た児島の名物となっていたが、今はれた。ただ、宝殿の下 まむしょ ないで、笑い始めた。 の白砂を、蝮蛇除けとする風習は、今なお続いている。 みすみす とび すこや ひろ うえ た あか

9. 現代日本の文学 30 獅子文六集

こ 0 父親も、エダも、海軍大臣賞のことは、知らないとみえ ( 今なら、こうは描かん : ・・ : ) て、展覧会が終る頃になっても、何の便りもなかった。帰 がくぶち 彼は失望の溜息を洩らしたが、額縁が見覚えのある市来省の決心がついたので、隆夫は、そのことと、受賞のこと 画伯の愛用品なのを知ると、また新しい感謝にたされずとを、父親の許へ報じることにした。 にいられなかった。 展覧会の最懿日に、原宿の海国議会本部で、授賞式があ った。隆夫の外にも、受賞者があったが、その賞品目録 は、モーニングを着た審査員の手から、渡された。 ェイヨヲシュクス」マサト だが、隆夫のそれは、参謀章をつけた、大臣代理の先任 ごさんかい その電報を受け取った時に、隆夫は、喜びと一緒に、驚き副官から、渡された。式後に、午餐会があったが、その軍 かえり も大きかった。よもや、真人が、あの小さな新聞記事を、人ーー・大佐は、隆夫を顧みて、 読んでいようとは思わなかったのである。 「よく、軍艦を研究していますね。海軍にいたことでもあ 発信局を見ると、であ 0 た。すると、真人の乗組艦るのですか」 は、目下、母港へ入ってるのであろうか。 しいえ : : : 」 ( 行きたいなア、呉、。そして、そのに、帰省するか : ・ : ・ ) 隆夫はくな 0 て、答えた。真遡 " 海軍。を怨んだ末 序にといっては、両親に申訳がないが、隆夫は、世に認が、海軍画家になったとも、打ち明けられなかった。 められたことで、帰省の資格ができると、却って、その気授賞式から、真直ぐにアパート へ帰って、紙包みを明け が薄らいできた。市来画伯に勧められた時には、帰省の好てみると、賞状の外に、賞金一千円が入っていた。 機会だと思ったが、展覧会で自分の画を観たら、欠点だら ( こんなに貰って、 いいのかなア ) むく けで、いよいよ勉強の必要を感じると、一人前の画家振っ隆夫は、最初の制作に対する酬いが、あまり大きいの て、帰省する気持なぞ、どこかへケシ飛んでしまった。 を、気味悪く思った。しかし、その金で、両親や妹にも、 みやげ ととの ところが、真人の電報を見たら、急に、呉へ行きたくな立派な土産が買い調えられるのと、帰省旅行費を差し引い うれ った。真人の顏も見たいし、呉にいる軍艦も見たかった。 ても、今後の研究費として、大半が残るのを嬉しく思った。 そして、呉まで行ったら、鹿児島へ帰ることも、当然のよ翌日、彼が作品を受け取りに、百貨店へ出掛ける時に、写 うな気持になった。 真屋を連れて行くことを、忘れなかった。作品の写真を、

10. 現代日本の文学 30 獅子文六集

210 妹が真人に、何の関心も持たないとしたら、少女の頃に、 五 あんな不思議な敵意を、示すこともないわけだった。つま こうわ・ ・こうじよう 一週間目に、隆夫は、再び行李を整えて、帰京することり、あの敵意は、強情な好意だったのだ。強情は、自分達 こよっこ 0 兄妹の共通の性格なのであろうーーー すずガン・ル 「二、三年もしたや、一家揃っせえ、東京イ移っで隆夫は、十鈴の士官次室を訪れた父と妹を想像した。 かっ その時、真人は曽て隆夫にそうしたとおり、紅茶と菓子を ぎわ たの さっそう 別れ際に、父親のいった言葉は、愉しい期待が充ちてい水兵に命じたそうだが、その態度が、大いに颯爽としてい たと、父が語っていた。 停車場へ送りにきた母と妹の顔にも、別離の悲しい色 ( 実際、士官次室の空気は、 しいからなア ) は、漂わなかった。ことに、エダの表情は、何気なさを装工ダの強情の角が、ポキリと折れるだけの、強い感情の あらし すく いながら、期待の明るさに輝いていた。ただ、非常にロ寡嵐が、吹き募ったのも、当然のように思われた。 にしき なになった彼女は、汽車が動き出した時に、やっと、 その時、真人は、錦の袋に包んだ一刀を、父とエダに見 みんな 「皆せえ、よろしゅ仰有ったもし」 せたそうだ。それは、谷家に昔から伝わった刀だそうだ あから と、顔を紅めながら、いっただけだった。 が、鹿児島に入港して、生家に寄った時に、母親から貰い まんめん その時は、なんとも思わなかったが、汽車が熊本を過ぎ受けたので、やがてそれを軍刀に仕立てる喜びを、満面に あや る頃になって、彼は、妹の言葉の訝しさに気付いた。 " 皆表わして、語ったそうだ。 様へよろしく″というのは、誰のことなのか。未知の市来 ( 画になるな ) 画伯夫妻のことではあるまい。すると、真人のことになる隆夫は、その光景を想像して、そう思った。そして、画 、よ、よ当然 が、単数を複数の形でいい表わした苦心を考えて、可笑しになる若い士官に、妹が心を奪われたのが、しし くも、可愛らしくも思った。 に思った。 ( 豹が、猫になってしまった・ : ( 工ダの奴、眼が高いよ ) あんなにも、女というものは、変るものかと、隆夫は微隆夫は、妹が他の男でなく、真人を選んだことを、心か 笑した。 ら祝福した。また、やがては、真人の義兄として、永久に しかし、事実は、母親の観察どおりかも知れなかった。縁が結ばれるだろう自分をも、祝福した。 こ 0 ひょう ただよ ねこ つの