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検索対象: 現代日本の文学 33 檀一雄 織田作之助 田中英光集
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1. 現代日本の文学 33 檀一雄 織田作之助 田中英光集

釜の飯を食っていた金八という芸者だった。出世している帰って柳吉に話すと、「お前も良え友達持ってるなア」 まんざら 2 らしいことはショール一つにも現われていた。誘われて、 とちょっぴり皮肉めいた言い方だったが、肚の中では万更 えびすばし 戎橋の丸万でスキ焼をした。その日の稼ぎをフィにしなけでもないらしかった。 しゅうせんやのぞ ればならぬことが気になったが、出世している友達の手カフェを経営することに決め、翌日早速周旋屋を覗きま かかえぬし でもの 前、それと言って断ることは気がひけたのだ。抱主がけちわって、カフェの出物を探した。なかなか探せぬと思って しおいわし んぼで、食事にも塩鰯一尾という情けなさだったから、そいたところ、いくらでも売物があり、盛業中のものもじゃ の頃お互い出世して抱主を見返してやろうと言い合ったもんじゃん売りに出ているくらいで、これではカフェ商売の のだと昔話が出ると、蝶子は今の境遇が恥かしかった。金内幕もなかなか楽ではなさそうだと二の足を踏んだが、し めかけ 八は蝶子の駈落ち後間もすく落籍されて、鉱山師の妾とな かし蝶子の自信の方が勝った。マダムの腕一つで女給の顔 す ったが、ついこの間本妻が死んで、後釜に据えられ、いま触れが少々悪くても結構流行らして行けると意気込んだ。 は鉱山の売り買いにロ出しして、「言うちゃ何やけど : : : 」売りに出ている店を一軒一軒廻ってみて、結局下寺町電停 これ以上の出世も望まぬほどの暮しをしている。につけて前の店が二ッ井戸から道頓堀、千日前へかけての盛り場に このみ も、想い出すのは、「やつばり、蝶子はん、あんたのこと遠くない割に値段も手頃で店の構えも小ちんまりして趣味 ゃー抱主を見返えすと誓った昔の夢を実現するには、是非に適っているとて、それに決めた。造作付八百円で手を打 かんとだき 蝶子にも出世してもらわねばならぬと金八は言った。千円ったが、飛田の関東煮屋のような腐った店と違うから安い でも二千円でも、あんたの要るだけの金は無利子の期限な方であった。念のため金八に見てもらうと、「ここならわ しで貸すから、何か商売する気はないかと、事情を訊くなても一ペん遊んでみたい」と文句はなかった。そして、代 、早速言ってくれた。地獄で仏とはこのことや、蝶子は替りゆえ、思い切って店の内外を改装し、ネオンもつけ 泪が出て改めて、金八が身につけてるものを片ッ端から褒て、派手に開店しなはれ、金はいくらでも出すと、随分乗 めた。「何商売がよろしおまっしやろか」言葉使いも丁寧気になってくれた。 かよき だった。「そうやなア」丸万を出ると、歌舞伎の横で八卦名前は相変らずの「蝶柳」の上にサロンをつけて「サロ はうた 見に見てもらった。水商売がよろしいと言われた。「あんン蝶柳」とし、蓄音器は新内、端唄など粋向きなのを掛 たが水商売でわては鉱山商売や、水と山とで、なんそこんけ、女給はすべて日本髪か地味なハイカラの娘ばかりで、 どどいっ ちち な都々逸ないやろか」それで話はきつばり決った。 下手に洋装した女や髪の縮れた女などは置かなかった。 ' ハ なみだ かま かけおち ひか かせ ていねい はつけ かな

2. 現代日本の文学 33 檀一雄 織田作之助 田中英光集

蝶子は椅子に腰掛けて、じっと腕組みした。そこへ泪が落せたその顔を見ては言えなかった。 2 ちるまで、大分時間があった。秋で、病院の庭から虫の声が、そんな心配は要らなかった。種吉がかねがね駕籠か もした。 き人足に雇われていた葬儀屋で、身内のものだとて無料で すきまかぜ どのくらい時間が経ったか、隙間風が肌寒くすっかり夜葬儀万端を引き受けてくれて、かなり盛大に葬式が出来 になっていた。急に、「維康さん、お電話でっせ」胸さわた。おまけにお辰がいつの間にはいっていたのか、こっそ かんい ぎしながら電話口に出てみると、こんどは誰か分らぬ女のり郵便局の簡易養老保険に一円掛けではいっていたので五 声で、「息を引きとらはりました・せ」とのことだった。そ百円の保険料が流れ込んだのだ。上塩町に三十年住んで顔 のまま病院を出て駆けつけた。「蝶子はん、あんたのことが広かったからかなり多かった会葬者に市電の。 ( スを山菓 かわいそう 心配して蝶子は可哀想なやっちや言うて息引きとらはった子に出し、香奠返しの義理も済ませて、なお二百円ばかり んでっせ」近所の女達の赤い目がこれ見よがしだった。三残った。それで種吉は病院を訪ねて、見舞金たと百円蝶子 十歳の蝶子も母親の目から見れば子供だと種吉は男泣きしに渡した親のありがたさが身に沁みた。柳吉の父が蝶子の むね た。親不孝者と見る人々の目を背中に感じながら、白い布苦労を褒めていると妹に聞いた旨言うと、種吉は「そら良 くちびる を取って今更の死水を唇につけるなど、蝶子は勢一杯に振え按配や」と、お辰が死んで以来はじめてのニコニコした はら 舞った。「わての亭主も病気や」それを自分の肚への言訳顔を見せた。 まら にして、お通夜も早々に切り上げた。夜更けの街を歩いて柳吉はやがて退院して、湯崎温泉へ出養生した。費用は みちみち しおく 病院へ帰る途々、それでもさすがに泣きに泣けた。病室へ蝶子がヤトナで稼いで仕送りした。二階借りするのも不経 こわ はいるなり柳吉は怖い目で、「どこイ行って来たんや」蝶済だったから、蝶子は種吉の所で寝泊りした。種吉へは飯 子はたった一言、「死んだ」そして二人とも黙り込んで、代を渡すことにしたのだが、種吉は水臭いといって受取ら ざんじ 暫時は睨み合っていた。柳吉の冷やかな視線は、なぜか蝶なかった。仕送りに追われていることを知っていたのだ。 子を圧迫した。蝶子はそれに負けまいとして、持前の勝気蝶子が親の所へ戻っていると知って、近所の金持から、 な気性がのように頭をあげてきた。柳吉の妹が呉れた百妾になれと露骨に言 0 て来た。例の材木屋の主人は死んで 円の金を全部でなくとも、たとえ半分だけでも、母親の葬いたが、その息子が柳吉と同じ年の四十一になっていて、 ほとん うけたまわ 式の費用に当てようと、殆ど気がきまった。ままよ、せめそこからも話があった。蝶子は承り置くという顔をし てもの親孝行だと、それを柳吉に言い出そうとしたが、痩た。きつばり断らなかったのは近所の間柄気まずくならぬ た なみだ あんばい こうでん

3. 現代日本の文学 33 檀一雄 織田作之助 田中英光集

った。狂暴に空へ向って叫び上げたい衝動にかられたかと多いごたごたした町であった。 思うと、いきなり心に穴があいたようなしょん・ほりした気しかし不思議に変化の少い、古手拭のように無気力な町 持になったりする。まるで自分でも不思議な、情けない気であった。角の果物屋は何代も果物屋をしていた。看板の しっと 持たった。彼は未だ嫉妬という言葉を知らなかった。知っ字は既に読めぬ位古びていた。酒屋は何十年もそこを動か だいがわ へんせん なかった。風呂屋も代替りをしなかった。比較的変遷の多 ていれば、もっと情けなくなったところだった。時にはう はす んざりした紀代子との夜歩きも、いまは他の男が「独占」 い筈の薬屋も動かなかった。よ・ほよぼ爺さんが未だに何十 しているのかと思うと、しみじみとなっかしくなるのだっ年か前の薬剤師の免状を店に飾っているのだった。八百屋 た。その顔も知らないのがせめてもだった。もし、行きずの向いに八百屋があって、どちらも移転をしなかった。 もん りにでも見たとすれば、豹一のことだから、一生記憶を去文菓子屋の息子はもう孫が出来て、店にべたりと坐った一 そうば 文菓子を売る動作も名人芸のような落着きがあった。相場 らずに悩まされたところだ。 豹一は自分が紀代子をたいして好いていなかったことを師も夜逃げをしなかった。 わすか 想い出して、僅に心を慰めた。しかし、今は紀代子の体臭 公設市場が出来ても、そんな町のありさまは変らなかっ ふしん などが妙に想い出されて来るのだった。 た。普請の行われることがめったになかった。大工はその 町では商売にならなかった。小学校が増築される時には、 だから人々は珍らしそうに毎日普請場へ顔を見せた。立ち 谷町九丁目から玉表門筋へかけて、三・九の日「榎の退きを命・せられた三軒のうち、一家は息子を新聞配達に出 夜店」の出る一帯の町と、玉表門筋から上汐町六丁目へし、年金で暮している隠居だ 0 たが、自分の家のまわりに かけて、一 ・六の日「駒ケ池の夜店」が出る一帯の町には板塀を釘づけられても動かなかった。小さな出入口をつけ 歳路地裏の数がざっと七、八十あった。生玉筋から上汐町て貰ってそこから出入した。立のき料請求のためばかりで はなかったのである。 十通りへ」の字に抜けられる八十軒長屋の路地があり、ま 一一た、なか七軒はさんでの字に通ずる五十軒長屋の路地が全く普請は少か 0 た。路地の長屋では半分崩れかか 0 た あり、入口と出口が六つあるややこしい百軒長屋もあっ家が多かった。また壁に穴があいて、通り掛った人が家の のぞ た。一一階建には四つの家族が同居していた。つまり路地裏中を覗きこめるような家もあった。しかし、大工や左官の すしゃ に住む家族の方が表通りに住む家族よりも多く、貧乏人の姿も見うけられなかった。最近では寿司屋が近頃十銭寿司 えの むすこ ムるてぬぐい

4. 現代日本の文学 33 檀一雄 織田作之助 田中英光集

221 勘定で忙しいんだよ。用件を早く言ってくれ給え」 豹一の点を零点にした。他の二人は一学期の点をそのまま 「はあ、その点数のことなんですが」 つけた。すると三人とも二学期を平均して落第点になっ 「点数のことは致し方ないよ、どうにもならないよ」 た。豹一を零にしたのは、もし及落会議で問題になったら 「なりませんか ? そうですか」豹一は思わず立ち上りそ助け舟を出してやるつもりでいたからである。 うになった。人に頭を下げるのがいやなのである。が、さ 教授はくつくっとこみ上げて来るのを我慢しながら、 すがに、これは思い止った。実は、朝から赤井、野崎らと「赤井と野崎の点をあげてくれというわけだね ? 」 手わけして悪い点を取りそうな教授を訪問しているのであ「はあ」 にら る。赤井は日頃教授に睨まれているし、野崎はひどく成「君はどうなんだ ? 」 績が悪そうだし、三人のなかでは比較的成績のましだと思「僕は : : : 」大丈夫だというその顔が教授にたまらなく ひざ われる豹一が教授訪問の役に当ったのである。その役をおかしかった。たまりかねて、下を向き、膝の上の成績を まね 果さぬうちはやはり帰れなかった。 仔細に見る真似をして、 「実は赤井と野崎のことなんですが、先生の独逸語の成績「ところが、君の方の点がわるい」わざと渋い声で言う がひどく悪いらしいのですーーー。一一学期はわりに良く出来と、 たんですが、一学期の点が悪いんです。他の科目は注意点「えッ ? 」案の定驚いた顔をした。 ま 0 が を免れましたが、先生の点だけが、 独逸語で落第しそ「赤井は三十八点、野崎は三十七点、君は三十六点だ。君 うなんです。なんとか及第点にしてやっていただけないでがいちばん悪い」 しようか」 そう言ってやると、すごすごと帰って行ったそのこと てみやげ 考えていた言葉をやっとの想いで言って、教授の顔をを、教授は想い出したのである。手土産に三人の名前が 歳見上ると、教授は薄気味わるく笑っていた。二学期の成はいっているのもおかしかった。教授は三人の仲の良さ 十績が良かったという豹一の言葉がおかしかったのである。 にちょっと微笑ましいものを感じた。及第させるならば、 一「三日前答案を採点していた時、教授は三人の答案が三人とも及第させてやりたい、 一人だけ欠けると可哀相だ 一字一句違わないことを発見して、あきれてしまった。赤という気持だった。豹一が自分の点で落第しそうだったら 井と野崎が豹一の答案を写したに違いないと思った。三人助け舟を出して他の二人と一緒に及第させてやるか、それ の中では豹一がややましに出来るのだった。教授は先ずとも三人を落第させてやるか、どちらかだと思っていた。 ほほえ じよう がまん かわいそう

5. 現代日本の文学 33 檀一雄 織田作之助 田中英光集

った。その光の流れはこちらへも向うの横丁へも流れて行自分の身なりの貧弱さを気にしながら、おすおずとあとに かけひ かず、筧を流れる水がそのまま氷結してしまったようだっ随いて行きかけた矢先だったのである。紀代子の舌に噛み た。それが豹一の心に眩しかった。 ついてやりたいぐらいのいまいましさだったが、それが実 くわ その光の中に、詳しく一一一一〕えば、小間物屋の飾窓の前に立行出来そうもなかったので、一層口惜しかった。豹一はこ のぞ くっ って、飾窓を覗いていた女が、ふと振り向いて、豹一の顔そこそと反対の方へ引きかえして行った。靴の底がすり切 とたん を見た途端、 れて、ペタベタと情けない音を立てた。 とっさ 「あツ」思わず同時に、声が出た。か、どうかは咄嗟のこ しかし紀代子も実は恥しい想いをしていたのである。豹 とであとから考えてみても記憶はなかったが、豹一はいき一の顔が暗がりからぬっと出て来た時、紀代子はに立っ なり突っ立ったまま、暫く動けなかった。紀代子だった。 ている亭主のニキビだらけの顔を実に醜いと思った。さす 薄暗いところから出て来た豹一には、紀代子が明るい光の がに豹一は未だ少女のような顔をしていたのである。しょ かれん そまっ なかにいるせいか、思い掛けず美しく見えた。それが豹一ん・ほりしていたので、一層可憐だった。洋服がお粗末だった まぬが の頭に、 ので、にやけて見えることも免れていた。紀代子はなんとな ( 俺はいま失業者だ ) と不意に想い出させた。そのため、 く豹一の手前恥しくなった。亭主の顔のことばかりでなか ろうば、 豹一は一層狼狽してしまった。貸席のある横丁からのこのった。彼女は丁度 ( ンド・ ( ッグをねだって、「世帯が荒い。 こ出て来たということも、咄嗟のうちに頭にあった。 もったいない」と亭主にはねつけられていたところだっ 紀代子は直ぐ視線を外らし、飾窓の前を離れて歩き出した。亭主は官庁に勤めていたが、未だハンド・ハッグが簡単 た。それで、彼女に連れがあることがはじめて分った。彼に買えるほどの月給は貰っていなかった。それが紀代子に 女は実に簡単に素知らぬ顔をつくっていた。 は豹一の手前ひそかに恥しかった。しかも、そのハンド・ハ と、こそこそと逃げる 歳 ( 亭主だな ) 豹一は途端に察した。どんな顔をしているツグはたった四円八十銭ではないか きわ 十か、見てやろうかと、覗いてみたが、極めて平凡な顔だつように立去ったが、それでは余り芸が無さ過ぎると思っ 二たので、印象がはっきりしなか 0 た。つまり紀代子の亭主た。ふと振り向いた。その途端にペロリと舌を出した。女 は世間にざらにある若い亭主の顔をしていたのである。 学生のような無邪気な仕草をちょっと借りてみたのは咄嗟 ちえ 三間行くと、紀代子はいきなり振り向いて、べロリ の智慧だった。それでなんとなく世帯臭い恥しさが隠せる と赤い舌を出した。豹一の自尊心は簡単に傷ついた。丁度と思ったのである。それに、ちょっとした媚態になるで 239 しょたい

6. 現代日本の文学 33 檀一雄 織田作之助 田中英光集

( 俺らしい失敗だ ) と、もう自分にも腹を立てて、どすんけだと、豹一は思った。ひどく物腰の鄭重な男に見送られ まっか と音を立てて腰掛けた。醜いまでに真赤になっていることて、廊下を歩きながら、豹一はあの長髪の男はたぶん昼食 が意識された。それが情けなくて、むっとした顔を上げの時間の済むまでもう一時間待たされるだろうと思った。 た。その顔を見た途端に一人の試験官は「不採用」とメモ 一週間経っと、不採用の通知が来た。その会社で発売し に印をつけた。 ている薬の見本袋が封筒の中にはいっていた。なるほど家 「なぜ和服を着て来たんですか ? 」豹一の着流し姿を咎め族主義だなと思いながら、豹一はそれをごみ箱へ捨ててし つまさきぶ て、一人が訊いた。椅子へ足の爪先を打っ突けたときの痛まい、また履歴書を書いた。翌日の新聞に、その会社の広 みが消えていなかったので、豹一は顔をしかめながら、 告文案募集の広告が出ていた。 「洋服が無かったからです」と答え、 ( 着流しはおもしろ くなかったかな ? ) と思った。 「高等学校の制服はあるでしようね」 豹一が就職を焦っているのを見て、お君は、 「はあ、しかし、もう学生じゃありませんから 「なにもお前が働かんでもええ」と言ったが、そう言われ 「なぜ退学したのですか ? 」 ると豹一は一層焦った。毎朝新聞がはいる音で眼が覚め 「つまらなかったからです」 た。寝床のなかへ持ってはいって眼を皿のようにして、就 「赤じゃなかったんですか ? 」 職案内欄を見た。適当と思われる募集が出ていると、もう 「いや、落第したんです」 そわそわして寝つかれなかった。就職とはこんなに困難な りつぜん 「理由は ? 」 ものかと、なにか慄然とする想いだった。 「怠けたからです , もはや試験官の誰もが豹一の不採用を ある日、「調査係募集。学歴年齢ヲ問ワズ。活動的人物 ぎいまっ 疑わなかった。広告文の出来が良くても、中学校から三高ヲ求ム。某財直営会社。本日午前十時中央公会堂一一階別 へはいった秀才でも、小さな会社ならいざしらず、うちの室ニテ面会ス」という広告を見て、中之島の中央公会堂へ ような大会社ではこういう男は困るのだ。しかし試験官よ出掛けたところ、調査係とは体の良い口調で、実は生命保 りも前に、もう豹一は不採用を覚悟していた。 険の勧誘員のことだった。しかし、ここでも年齢が若すぎ 「御苦労でした。結果は追って通知しますから」 るという理由で断られた。 ちょうど 丁度正午のサイレンが鳴っていた。三時間待たされたわ「せめてもう一つ位年が行っていたらな。来年もう一ペん とが なかのしま ていらよう

7. 現代日本の文学 33 檀一雄 織田作之助 田中英光集

てか知らずにか義母に変になついたり取り入ったりしてい上げて来る不快が一気に爆発して、僕は妻の琴を廊下から た。そのうちに義母に奨められたからだと云って街に出か岩に叩きつけた。 けて行ってはフチ無しの眼鏡を買って来た。それを義母の妻と義母がとび出して来た。妻は子供のようにわめき義 きず 母はおまえとんだことを・ - ーーと妻の肩をさすっていた。疵 前で似合うかなどと懸けて見せたりしていた。 ちょうどそこ 僕も一二度眼鏡をかけたらどうだと云ったことがあったの入った琴を三郎がかかえ上げると、丁度其処へ出て来た ・こら′ル」ら・ が、何時も減入るような顔をするばかりで到遂買わず、僕父は、馬鹿叩きわって焼いて終えというのだった。三郎は ふるえていた。僕は生活にも愛情にもにせものとほんもの も僕でフジが眼鏡を懸けた時の義母のかげロのきたなさが 想像され、懸けぬなら懸けぬで強いてすすめまいと思っとを判っきり分ける刃をぎりぎり刺し込もうと思った。妻 ゆるし た。僕の許を得ずに義母の言葉から出たのを義母は馬鹿にはそれ以後眼鏡を懸けたりはずしたりしていたが、一度僕 きがね 喜んでいるのだ。僕はそんな気兼を持っ妻を憐み、同時にが義母が本当はその眼鏡の陰口をたたいているのだとほの そういう卑屈な精神で夫婦生活を通して行かねばならぬ助めかして以来決して懸けなかった。フジは相変らず薄暗い のぞ 部屋の中で人の愛情と顔を、覗き分けて行こうとするよう からぬ思いの中で苦りきった。 さび フジも段々とずるくなって行った。初めは僕の部屋で琴な淋しい顔をしては、毎日を送っていた。僕は自分の欝憤 等をひいたりした。それが義母の部屋で嫌な反感をかうこを妻の身体に烈しくはらして行った。 じよう ただ とを知っていた僕は、只ねころんで聞いていた。案の定そ おもや っと三郎が来て、母が母屋で、自分で飯も食えぬ癖に琴な厳寒がゆるみ始めると、フジは何か嬉々とした様子で義 ある たびたび ど朝からひかせとる云っているからと告げに来た。 母の部屋にも度々出入りし、或朝到遂私にも赤ちゃんが生 僕はそれを妻に黙っていた。すると父が廊下をみしみしれるのだと云った。僕は黙って障子を開け放っととして 渡って来て、琴弾く間があったら草を取れとどなりに来山河が白く、寒い感慨めいたものが湧くのであった。フジ わき た。僕もカッとなり側にいた妻を間抜け奴がと、。ヒシと打は僕の脇に寄って来てマプしそうに外を覗くとヒョイと手 しん つのだった。妻は泣いて母屋に走って行った。森とした部を出して雪をすくうのだった。僕もその雪を食べて見たい 屋の中に僕はごろりと横になり、そっときき耳を立ててい ような不思議な愛情を感じたりした。 た。妻は義母の前で僕と父の手ひどさを告げ告げ泣きじやしフジのお腹の中に僕の子供が成長してゆけばゆく くっているようだった。義母がそれをなだめている。こみ程、次第に僕には得体の知れぬ恐怖が生れて来た。僕の生 まぬ たた えたい ゃいば うつん

8. 現代日本の文学 33 檀一雄 織田作之助 田中英光集

/ み 左八丈島の團伊玖磨別邸 にて左より一雄團伊玖磨 草野心平 ( 昭和四十一年 ) , ん クて ろ すの盟 る〃ロ ゅ自 9 しる とあ 他も 自で おきのはた 左福岡県沖端における白秋詩碑除幕式 にて後列左より父三郎一雄佐藤春 ひのあしへい 夫夫妻火野葦平 ( 昭和一一十九年 ) あんたん いる〉とし、この作品の暗澹たる〈内容とはやや裏腹 たんび なカラフルな文体〉の由来を、スパル系の耽美主義的 ~ 早楽思想の幼少年期における影響においている。 、んとう むろんこの暗い幼少年期の体験と、古い家系の淫蕩 な血とスパル系の耽美主義とのアマルガムは、他の諸 作品にも共通して見られる陸格であって、そのもっと も著な例は「美しき魂の告白」にあらわれている 主人公多田の背景の異常な家族関係が、穉廃的な、血 くさ の腐っていくような妖しい美意識に支えられて展開し みごと ているのが見事で、夢想が、ここでは実に効果的に、 鮮かに扱われている。〈夢。迫真とは何と夢に似てい ることか〉とい、つ一言葉かこの作品のなかにはあるが 〈迫真〉を、写実主義ーリアリズムで表現しないとこ ろに、檀一雄の浪漫派的本質があるのであろう。 また「退屈な危県」「衰運」には、右の要素の他に、 太宰らとの交友が深く影を落していることも否定出来 あや ない。作中人物たちの心理の動き、会話の綾にそれが 色濃く滲み出ている。主人公たちの奇屋で狂おしい想 ど - ろ 念の在り処を、その頃の檀の実生活の底に求めるのは、 きわめて容易なことであると思われる。それが証拠に、 ある夜「衰運」の主人公は橋の上から「俺は大方、死 を踏びこしすぎて、こんなにも冴え谺えと生きかえっ 5 たにち力いないのた」とっふやいたりするのだ。 あっか あや すいうん ささ

9. 現代日本の文学 33 檀一雄 織田作之助 田中英光集

130 が、体はいうことをきかなかった。絶えず前のめりに足が咲いている。その上をテルが驤け、鵜飼は波のなかに石を おらぎわ 進む。息がつまる。助けてくれ、と呼びたかった。・ : カ勿飛ばす。落際の陽が辺りを染め、おばは鵜飼の姿にいつも 論声は出なかった。坂の上から誰か来る。白い着物だ。い 優しく笑みかけた。が、言葉は忘れたように口をつぐん や月光が当って白く光るのだ。可笑しい。今は昼なのに、 あるよ らようど 何故あの着物ばかり月の光が当るんだろう。おや、鵜飼さ或夜邸に吉良が来た。丁度榊山は留守だったし、おばは ひきこ・ 6 んじゃないかしら。 早く引籠った儘出なかった。吉良と鵜飼は言葉少なに応接 「鵜飼さん」 室で対坐した。 するとその鵜飼はよってきて、 「ねえ鵜飼君」と吉良は煙草を捨てて口を切った。 「どうしたの ? 」 「君、美那の写真を見せようか ? ー 「とても苦しいの。助けてよ」 「ああーと鵜飼は眼を輝かせて、寄ってくる。吉良はしば こくう 鵜飼は大きくうなずいた。それから丁度坂を匐っていたらく虚空のなかを見つめていたが、ポケットから一枚の写 へびしつば 蛇の尻尾をヒョイと掴んでひきよせた。その鱗を逆しごき真を取出すと、 にずるりとしごく。鵜飼の掌に白い鱗がきらきら光った。 「これだ」 「さあお嚥み」 鵜飼の顔は蒼ざめた。写真は寄宿舎らしくガランとくら ゅどの 鵜飼は美那を抱きよせると、その鱗を美那の喉に抛りこい湯殿の中で、あちらを向いた全裸の美那の立姿だった。 んだ。鱗は喉のなかに針のように逆立った。息がつまる「誰に撮らせたんだ ! 」 「千歳だよ」 「あーっ、あーっ」 「美那は知ってたのか ? 」 美那はいちめん血を吐いたまま、もう息が絶えていた。 「もちろん、知らないさ」 ビンと鵜飼は吉良の頬をなぐりつけた。 「出ろ ! 海に出ろ。海に」 しようすい 美那の死後、おばはいたましいほど憔悴した。それで鵜吉良は鵜飼の後ろからゆっくりとついて出た。頬は蒼ざ やしき あしもと なぎさ 飼と榊山はおばの邸に寝泊りした。鵜飼はおばを連れ、タめていたが、足許は狂わなかった。渚に出た。鵜飼は吉良 みぎわ べにはよく海に出た。汀には飛抜けるほど美しい浜昼顔がに組付くと、どうと砂の中に横倒れた。鵜飼は馬乗りにな ろん うろこ のど もち あお あた ほお

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218 っていたのを想い出した拍子に、赤井の痩せた、線の細いことをしてられへんと欠伸をして、立ち上った。芝生の露 しり が紺ヘルのズボンを透して、べたっと尻にへばりつき、気 顔が泛んだ。早く金を持って行ってやらぬと、赤井のこと たた やから、余計勘定が嵩むようなことになるやろと、丁度鳴持がわるかった。尻をべたべた敲きながら、御所を出る り出したべエート ーヴェンの第五交響楽を深刻な顔で聴いと、足は自然に学校の方へ向いた。丸太町の電車通りに添 くまの た。なにか気持が落ち着かなかったが、しかしそこを出てうて熊野神社まで来ると、大学の時計台が見えた。近衛町 すで も金策の当はないと思うと、半分やけみたいな気持で、交まで来ると、もう時計の文字がはっきり見え、既に午後一 響楽が全部済んでしまうまで、じっと坐っていた。出る時過ぎだった。直き戻って来てやると赤井に言って来たの さいふ と、もう財布の中には一銭もなかった。長崎屋の前を通るだが、もう三時間も経っていた。身を切られるような気が きんりんどおり と、にわかにはいってカステラを食べたくなった。番茶をした。近衛通から吉田銀座へ折れて錦林通へ出る細いごた なじみ もら すす 貰って、日当りの良い窓側で啜りながら、四条通を・ほんやごたした小路へはいって行った。そこに馴染の質屋があっ りながめていたら、良いやろなと思った。そのために要るた。古着屋のような構えで、入口の陳列窓にいっか入質て 十二銭の金が無いことが、嘘みたいに悲しく、腹立たしか流した靴が陳列されていた。野崎はん、今日は何入質はる のぞ った。再び京極を抜け、寺町通の古本屋を軒並みに覗いてんどす ? 言われて考えてみたが、なかった。が、結局咄 廻った。「京屋ーという古本屋で、赤井が欲しがっていた嗟に脱いだ毛糸のシャッと、帽子と万年筆と銀のメタルと おんどり コクトウの「雄難とアルルカン」を見つけ、記えて置こで二円五十銭貸してくれた。思い掛けず金がはいったので うと、値段など訊いた。いまここに十五円の金があれば、すっかり嬉しくなり、近衛通から電車で四条河原町まで行 その本を赤井のところへ持って行ってやり、そして、一緒き、長崎屋の二階へ上って、カステラを食べた。なお、紅 ぎおん に「ヴィクター」へ行ってその本を見ながら、赤井の音楽茶を飲んだ、祇園石段下で電車を乗りかえる時に買ったチ しばふ ねころ ーの箱が空になるまで、。ほかんとして坐っていた。午 論が聴かれるのやがと思った。御所の芝生へごろりと寝転エリ 力いっかうとう後二時半になった。京極で活動を見た。出ると、午後五時 んで改めて金をつくる方法を思案した。・ : たそがれ とと居眠りをした。わいはいま寝てる。昨夜の寝不足がた だった。もうあたりは黄昏の色だった。赤井は首長くして たって、えらい疲れて歯軋りして寝てる、そんなことを夢待ってるやろな、怒っとれへんやろかと、ふとそのことを カお前ももう二十歳 うつつに意識しながら、一時間ばかり眼をつむったり、人思い出すと、泣き出したくなった。・、、、 あしおと のんき の跫音で眼を覚したりしていたが、いきなりこんな呑気なやないかと、固くいましめて、涙たけは流さなかった。そ くっ うれ とお いれ とっ