十 173 どを持ってした。 : 、 - ホマードでびったりつけた頭髪を一一三本て、落第したことがあった。それで、お君は、 おうせ 指の先で揉みながら、 あはれ逢瀬の首尾あらば、それを二人が最期日と、 かくご たましい 「実はお宅の何を小生の : : : 」妻にいただきたいと申し出名残りの文のいいかはし、毎夜毎夜の死覚悟、魂抜けて * かみじ でた。金助がお君に、お前は、と訊くと、お君は恐らく物とぼとぼうかうか身をこがす : : : 。と、「紙治」のサワリ へたくそ 心ついてから口癖であるらしく、 などをうたった。下手糞でもあったので、軽部は何か言い あて あてどな 「私でつか。私は如何でもよろしおま」表情一つ動かさ掛けたが、しかし満足することにした。 きれい ある日、軽部の留守中、日本橋の家で聞いて来たんです ず、強いて言うならば、綺麗な眼の玉をくるりくるり廻し ていた。 がと、若い男が顔を出した。 「まあ、田中の新ちゃんやないの、どないしてたの ? 」 あくる日、金助が軽部を訪れて、 むすこ もと近所に住んでいた古着屋の息子の田中新太郎で、朝 「ひとり娘のことでっさかい。養子ちゅうことにして貰い れんたい 鮮の聯隊に入営していたが、除隊になって昨日帰って来た ましたら : : : 」 ところだという。何はともあれと、上るなり、 都合が良いとは言わせず、軽部は、 「それは困ります」と、まるで金助は叱られに行ったみた「嫁はんになったそうやな。なんで自分に黙って嫁入りし 、つもん 、・こっこ 0 し / 十ー たんや」と、田中新太郎は詰問した。かって唇を三回盗ま やがて、軽部は小宮町に小さな家を借りてお君を迎えたれたことがあり、体のことがなかったのは単に機会だった が、この若い嫁に「大体に於て満足している」と、同僚たと今更口惜しがっている彼の肚の中などわからぬお君は、 ちに言いふらした。お君は白い綺麗なからだをしていた。そんな詰問は腑に落ちかねた。が、さすがに日焼けした顔 もよお なお、働き者で、夜が明けるともうばたばたと働いて いに泛んでいるしょん・ほりした表情を見ては、哀れを催し てんらどんぶり た。天婦羅丼をとったりして、もてなしたが、彼はこん こわ ここは地獄の三丁目、行きは良い良い帰りは怖い なものが食えるかと、お君の変心を怒りながら、帰ってし ひぞくせい と朝つばらから唄うたが、間もなく軽部にその卑俗性を理まった。その事をタ飯のときに軽部に話した。軽部は新聞 ひぎ ひろ 由に禁止された。 を膝の上に拡げたままふんふんと聴いていたが、話が唇の ことに触れると、いきなり、新聞がばさりと音を立て、続い 「浄瑠璃みたいな文学的要素がちょっともあれへん」と言 はしちやわん いきかせた。かって彼は国漢文中等教員検定試験を受けて、箸、茶碗、そしてお君の頬がびしやりと鳴った。お君 しか もら ふみ はお
ど、厭だった。 をやってしまいました。 またある日、ぼくが、練習が済み、水を貰おうと、食堂 こうした風に、段々、へんな噂がたつのに加えて、人の へ降りて行くと、入口でばったり、あなたと同じジャムパ好い村川が、無意識にふりまいた、デマゴーグも、また相 ーの中村さんに、逢いました。と、十六歳のこの女学生当の反響があったと思われます。 のぞ は、突然、ぼくの顔を覗きこむように、「うちの写真、貰未だ、ませた中学生に過ぎなかった彼としては、自分 ってくれやはる」といいます。 が、いかに女の子と親しくしているかを、大いに、みせび 驚いて、まじまじしているのに、「ここで待っててね」らかしたかったのでしよう。それだけ、・ほくより、無邪気 こりす すばや といいざま、小栗鼠のような素早さで、とんで行き、・ほく だったとも、言えますが、・ほくにしてみれば、彼が、あな まけもの が椅子に腰かける間もなく、ちいさい中村さんは、息をきた達、女子選手をいかにも、中性の僊物らしく批評し、 やつら り、ちんまりした鼻の頭に汗を掻き、駆け戻って来ると、 「熊本や、内田の奴等がなア」と二言目には、あなた達が、 てのひら こうふんろう ぼくの掌に、写真を渡し、また駆けて行ってしまいまし村川に交際を求めるような口吻を弄し、やたらに、写真を しんしようばうだい 撮らしたり、ぼく達四人の交友を、針小棒大に言い触らす しやくさわ あとでみた、写真には、、 ート形のなかに、お澄ましなのをきいては、癪に触るやら、心配やら、はらはらしてお いなか ちせつ 田舎女学校の三年生がいて、おまけに稚拙なサインがしてりました。 あるのが、いかにも可愛く、ほほ笑んでしまった。 しかし、これは、人間の本能的な弱さからだと、・ほくに う 0 ほ 当時、すこし自惚れて、考え違いしていましたが、これは許せる気になるのでしたが、同時に、誰でもが持ってい こんじよう おかや 。いっても、クルーの先輩連が、・ほくに 実は多分、同室のあなた達が、ぼくや村川の写真を、中村さる岡焼き根性とよ、 ばりぎんまう 果んにみせたので、少女らしい競争心を出し、まず、ぼくに浴びせる罵詈讒謗には、嫉妬以上の悪意があって、当時、 ス写真をくれたのでしよう。 ・ほくはこれを、気が変になるまで、憎んだのです。 しばら 氿その後、暫くしてから、「坂本さん、ポートの写真、うその頃、整調でもあり主将もしている、クルーでいちば ち、欲しいわ」と女学生服をきた彼女から、兄貴にでもねん年長者の森さんは、・ほくをみると、すぐこんな皮肉をい ダイハン だるようにして、せがまれました。「いやだ」というと、 うのでした。「大坂は、熊本と、もう何回接吻をした」と しり 「熊本さんにはあげた癖に」ーーと、ロをとがらせ、イー か「お尻にさわったか」とか、或いは、もっと悪どいこと ちょうしよう をされたので、驚いた・ほくは、・ハック台を引いている写真を嬉しそうにいって、嘲笑するのでした。 こ 0 いや かわい うわさ ある
、ようおう アメリカ 紅潮してゆくに従って、筋肉の線に、膨らみもでて来て美始まった饗応の演芸が、いかにも亜米利加三界まで流れて なにわよし しく、ぼく達でさえ些か色情的に悩ましさを覚えたほどできたという感じの浪花節で、虎を生した語り手が苦しそ ばかばか す。しかし何時までもみているのは、莫迦莫迦しくなつうに見えるまで面を歪めて水戸黄門様の声を絞りだすの びそ て、・ほくと柴山はその場をはずし、なんとなくそこらを散に、御祖母様は顔を顰め、「妾はどうしても、浪花節は煩 歩してから歩いて帰りました。 いはかりで嫌いですよ」といわれる。お嬢さんとの会話で おひれ 遅くタ方になってから戻ってきた上原が、その大学生の気が浮立っていた・ほくは、また尾鰭について出しやばり、 着ていたレザーコートを貰ったりしているので、・ほくは人浪花節を下品だとけなしてから、子供の頃より好きだった わか 間の愛欲の複雑さがちらっと判った気がしました。 歌舞伎を熱心に賞めると、しとやかに坐っていた奥さん た が、さも感にえたと言わぬばかりに、「そのお若さでお 帰朝する前日でしたが、ロ 1 タリー倶楽部での、鐘ばか芝居がお好きとはお珍しい。御感心ですこと」とお世辞を うちょうてん り鳴らしてはその度に立ったり坐ったりする学者ばかりの言ってくれるので、・ほくは一層、有頂天になるのでした。 くわ しかつめらしい招待会から帰ってくると、在留邦人の歓送お嬢さんは z 女子大の国文科を出たとかで、芝居の話も詳 会が、夕方から都ホテルであるとのことで、出迎えの自動しく、知ったか振りをした・ほくが南北、五瓶、正三、治助 じようずあいづち 車も来ていて、直ぐとんで行ったのでした。 などという昔の作者達の比較論をするのに、上手な合槌を もんぶ′ どくだんじよう 男はタキシード、 女は紋服かイヴニング・ドレスといっ打ってくれ、・ほくは今夜は正に独壇場だなと得意な気がし ごうしゃ うれ た豪奢な宴会で、カリフォルニア一流の邦人名士の御接待て、たまらなく嬉しかったのです。 あき 実でした。・ほくの坐った卓子は、沢村、松山、虎さんと・ほく沢村さん始め皆は、いつになくお喋りな・ほくを呆れてみ 果の四人で、接待して下さる邦人のほうは、立派な御主人夫つめ、 ( 大壥が、 = 0 とさも軽蔑したような表情をする 「妻と上品なお祖母様、それに一一十一になる美しいお嬢さんのでしたが、その夜は、明らかに教養でみんなを圧倒した めの御一家でした。 態なのも嬉しく、なおも図にのって、お嬢さんに媚びるよ うに、「吉右衛門や菊五郎はどうも歌舞伎のオーンドック 話をしているうちに偶然、そのお嬢さんが・ほくの育った 鎌倉の稲村ヶ崎につい昨年まで、おられたことが解り、二 スに忠実だとはおもえません。まア羽左衛門あたりの生世 きぎ あた うわ 人の間に、七里ケ浜や極楽寺辺りの景色や土地の人の導さ話の風格ぐらいがーー・・」など愚にもっかぬ気障つ。ほいこと うきうきたの などがはずみ、ぼくは浮々と愉しかったのです。その内にを言っていると、突然、大広間の奥からけたたましいジャ たび クライ わか ベル かぶ、 こ うるさ
「お名前は」とか、「なにをやっておられるんですか」とくるくる廻り歩き、あなたの姿を追って、一目遠くからで 四か、訊きました。そしたら、あなたは、「うち、いややわーも見れば、満足だったのです。 かげ か てすりもた たもと と急に、袂で、顔をかくし、笑い声をたてて、・ハタ・ハタ駆その晩、甲板の船室の蔭で、あなたが手摺に凭れかか けて行ってしまった。お友達のなかでいちばん背の高いあって、海を見ているところを、みつけました。腕をくんで なたが、子供のように跳ねてゆくところを、・ほくは、拍子背中をまるめている、あなたの緑色のセーターのうえに、 さっさっ くせ 抜けしたように、。ほかんと眺めていたのです。その癖、心お下げにした黒髪が、颯々と、風になびき、折柄の月光 なれなれ もらろん うしお のなかには、潮のように、温かいなにかが、ふッふッと沸に、ひかっていました。勿論・ほくには、馴々しく、傍によ ただ って、声をかける大胆さなどありません。只、あなたの横 き、荒れ狂ってくるのでした。 たた しばやま 船室に帰ってから、・ほくは大急ぎで、選手名簿を引き出こ 冫いた、柴山の肩を叩き、「なにを見てる」と尋ねました。 ところ し、女子選手の処を、探してみました。すると、あなたのそれは、あなたに言った積りでした。柴山は、「海だよー ふなばた 顔ではありますが、全然、さっきの魅力を失った、ただのと答えてくれました。・ほくも船板から、見下ろした。真し くだ うすた なか 田舎女学生の、薄汚なく取り澄ました、肖像が発見されまオ冫。 ここよ、すこし風の強いため、舷側に砕ける浪が、まるで シャポン あわ ふっとう した。そこに ( 熊本秋子、二十歳、県出身、 Z 体専に在石鹸のように泡だち、沸騰して、飛んでいました。 メートル 次の晩、・ほくが、二等船室から喫煙室のほうに、階段を 学中種目ハイ・ジャンプ記録一米五十七 ) と出ているの はつらっ を、何度も読みかえしました。なかでも、高知県出身とあ昇って行くと、上り口の右側の部屋から、剌としたビア ほくも高知県・・ーー・といっても、 る偶然さが、嬉しかった。・ ノの音が、流れてきます。″春が来た、春が来た、野にも のぞ 本籍があるだけで、行ったことはなかったのですが、それ来た″と弾いているようなので、そっとその部屋を覗く あ でも、この次、お逢いしたときの、話のきっかけが出来たと、あなたが、ビアノの前にちんまりと腰をかけ、その傍 と、・ほくは、嬉しかった。 に、内田さんが立っていました。 二人は、覗いているぼくに気づくと、顔を見合わせ、 花やかに、笑いだしました。その花やいだ笑いに、つりこ 翌朝から、・ほくは、あなたを、先輩達に言わせれば、ままれるように、ぼくは、その部屋が男子禁制のレディス・ てつべん ルームであるのも忘れ、ふらふらと入り込んでしまいまし るで犬の様につけまわし出しました。船の頂辺のポート・ けげん た。あなた達は、怪訝な顔をして、・ほくを見ています。・ほ デッキから、船底の O デッキまで、・ほくは閑さえあると、 なみ
に言って下さい。なアに、学生服で、あちらに行ったっ に、揉まれ揉まれているうち、ふと、・ほくは狂的な笑いの ほっさ さしつか て、差支えないでしよう、と言い置いてくれた由。兄は、発作を、我慢している自分に気づきました。 、ただ もちろん その頃、すでに、共産党のシン・ハサイザーだったらしいの勿論、こんなに盛大に見送って頂くことに感謝はしてい 、ゆう ですから、ぼくや母の杞憂は、てんで茶化していたようでたのです。ことに、京浜間に多い工場という工場の、窓か はれー ある したが、さすがに、一人の弟の晴衣とて心配してくれたとら、柵から、或いは屋根にまで登って、日の丸の旗を振っ みえます。母といい、兄といい肉親の愛情のまえでは、ひてくれていた職工さんや女工さんの、目白押しの純真な姿 とことも言えません。 を、汽車の窓からみたときには、思わず涙がでそうになり 服は仮縫いなしに、ユニフォームと同色同型のものを、 ました。 しゆっぱん しかし、例の狂的な笑いの発作が、船に乗って、多勢の 出帆の時刻までに、間に合わしてくれることになりました が、やはり出来てきたのは少し違うので、・ほくはこのた見送り人達に、身動きもならないほど囲まれると、また、 め、旅行中、背広に関しては、いつも顔を赤らめねばなり我慢できぬほど猛烈に、起こってきて、・ほくは教わったば ませんでした。 かりの船室にもぐりこみ、思う存分、笑ってから、再びデ ッキに出たのです。 昔、教えて頂いた中学、学院の諸先生、友人、後輩連も どら 出発の朝、ぼくは向島の古本屋で、啄木歌集『哀しき玩来ていてくれました。銅鑼が鳴ってから一件の背広を届け さる 具」を買い、その扉紙に、『はろばろと海を渡りて、亜米に、兄が、母の表現を借りると、スルスルと猿のように、 あた 人波をかきわけ登ってきてくれました。これは帰朝してか 実利加へ、ゆく朝。墨田の辺りにて求む』と書きました。 おさななじみ こうれい 果それから、合宿で、恒例のテキにカツを食い、一杯の冷ら、聞いたことですが、故郷鎌倉での幼馴染の少年少女も うれ せいと ス酒に征途をことほいだ後、晴れの・フレザーコートも嬉し来ていてくれたそうです。なかでも、波止場の人混みのな かで、押し潰されそうになりながら、手巾をふっている老 ンく、ほてるような気持で、旅立ったのです。 めがしら たど あとは、御承知のようなコースで、大洋丸まで辿りつき母の姿をみたときは目頭が熱くなりました。周囲に、家の オ ました。文字通りの熱狂的な歓送のなか、名も知られぬぼ下宿人の親切な人が、一一人来ていてくれたので安心しなが 9 くなどにまで、サインを頼みにくるお嬢さん、チョコレー ら、・ほくは、兄が買ってくれたテー。フを抛りましたが、な トや花束などをくれる女学生達。旗と、人と、体臭と、汗かなか母にとどきません。 つぶ ハンカチ
ると、ひょっくりあなたと小さい中村嬢に逢いました。 しばらく海をみてから、もう練習かなと、デッキを瞰 くちびる おろ 中村さんは、小さい唇をとがらせ、「うち、詰まらんわ下すと、皆はまだ麻雀でもしているのでしよう。甲板にい ア。もう男のひとと、遊んではいけない言うて、監督さんるのはデッキ・チェアに寄りかかったあなたと、船客でロ から説教されたわ。おんなじ船に乗ってて、口利いてもい スアンゼルス行きの第二世のお嬢さんだけ。二人で、なに あいづち かん、なんて、阿呆らしいわ」・ほくも合槌うって、「すこか仲良さそうに話している。こちらは、迦みたいに、炊 し、変ですね」と言えば、あなたも「ほんとうに詰らんわ笑んで、瞰下していると、あなたは、直ぐ、気づき、上を ますます ア」中村嬢は、益々雄弁に、「ほんとに嫌らし。山田さんむいて、につこりした。隣りのお嬢さんも、おなじく見あ ぎようさんおしろい や高橋さんみたいに、仰山、白粉や狐をべたべたに塗るひげる、・ほくは、視線のやりばに困るから、船尾のほうを、 といるからやわ」と、なおも小さな唇をつきだします。・ほ 眺めるふりをしている。とまもなく、第二世のお嬢さん ただ くは只、中村さんに喋らしておいて、心のなかでは、詰まは、眼をつむり、寝てしまっている様子です。 らない、詰まらない、と言い続けていました。 思いきって、・ほくが合図に、右手を高くあげると、あな ひょうきん やがて、あなたは、剽軽に、「こんなにしていて、見つたも右手をあげて振る。ほんとうに、片眼をおもいっき けられたら、大変やわ。これ上げましよ」と、、ほくの掌り、つぶってウインクをしてみる。あなたの顔は、笑いだ あんすみ の に、よく熟れた杏の実をひとっ載せると、一一人で船室のほす。・ほくも、だらしなくにこにこします。 うへ駆けてゆきました。・ほくも、杏の実を握りしめ、くる 一瞬、船は停り、時も停止し、ただ、この上もなく、じ と あお くると鉄梯子をあがって、頂辺のポート・デッキに出まし いんと碧い空と、碧い海、暖かい碧一色の空間にぼくは溶 け込んだ気がしたが、それも束の間、・ほくは誰かにみられ 果太平洋は、日本晴の上天気。雲も波もなく、ただ一面にるのと、こうした幸福の持続が、あんまり恐しく、身体を ひるがえ かす てすりもた スポオッと、青いまま霞んでいます。・ほくは、手摺に凭れか翻し、・ ( ック台のほうへ、逃げて行き、こっとん、こ っとん、徴笑のうちに、一一三回ひいてから、また手摺まで かって、杏を食べはじめました。甘酸つばい実を、よく こた めては、食べているうち、ふっと瞼の裏が、熱くなりまし走って行ってはあなたに手をあげ、あなたも手をあげ応え オ かわ た。食いおわった杏の種子を、陽にかがやく海に、撼ろうると、また、にこにこと笑い交して : ハック台まで逃げてゆ としてから、思い直し、ポケットのなかに、しまいこみまく。そうしているときは愉しく、その想い出も愉しかった。 翌晩でしたか、ひどい時化の最中、すき焼会がありまし てつばしご しゃべ てつべん まぶた みおろ つか み
ら、向島の待合に行って、芸者と遊んだ末、無理心中でも丸一日、眠ったものです。それ程、心身共に、疲れ果てて しようかという虫の良い了見も起こしかけていたのですいたのでしよう。処が、やがて、「やア、坊主、ねてるな」 ・ : ハッと冷水をかけられた気が致しました。 という兄の親しい笑い声と、同時に、夜着をひつばがれま おそ かっこう はたら こんなに夜遅く、学生がへんな恰好でうろついていたかした。二十歳にもなっているぼくを、坊主なそ呼ぶのは、 らでしよう。巡査は、・ほくの傍にきて、じっとみつめてかおかしいのですが、早くから、父を失い、いちばん末っ子 ねこかわい ら、なんだという顔になり、「ああ君はのひとじゃよ オいであった・ほくは、家族中で、いつでも猫っ可愛がりに愛さ ところ ていこ か」といし 、大学の艇庫ばかり並んでいる処ですから、ポれていて、身体こそ、六尺、十九貫もありましたが、ベビ ひごろぎようじよう ま ート選手の日頃の行状を知っていて、「いいね工。君等 ・フェイスの、未だ、ほんとに子供でした。 あお は。また飲みすぎですか」と笑いかけます。ぼくの蒼ざめ ・ほくの蒲団をまくった兄は、母から事情をきいたとみ こごと た顔を、酒の故とでも思ったのでしよう。照れ臭くなったえ、叱言一つ、いわず、「馬鹿、それ位のことで、くよく ぼくは、折から来かかった円タクを呼びとめ、また、渋谷よする奴があるかい。さア、一緒に、洋服を作りに行って へと命じました。 やるから、起きろ、起きろ」とせかしたてるのです。・ほく 家に着いた・ほくは、なにもいわず、ただ「ねかしてく は途端に、「ほんと」と飛び起きました。兄は会社関係か ら、日本毛織の販売所に、親しいひとがいて、特に、二日 れ」と頼んだそうですが、あまり顔色と眼付が変なのに、 しか おおあわ 心配した母は、すぐ、叱りもせずに、床をしいてくれましで間に合うように頼んでやる、というので、・ほくは大慌て したく に、支度を始めました。 た。翌朝、眼の覚めたときは、もう十時過ぎでしたろう。 しようじ あかあか わか 枕もとの障子一面に、赫々と陽がさしています。「ああ、 あとになって、判ったのですが、この朝、老いた母は、 とたん人すま だしゅ 気持よい」と手足をのばした途端、襖ごしに、舵手の清さ六時頃に起きて、合宿まで行ってくれ、また合宿では、清 す んと、母の声がします。ぼくの胸は、直ぐ、一杯に塞がりさんがひとり、明方に帰って来ていて、母から話をきく ました。 と、一緒に、家まで様子を見にきてくれたとのことでし た。清さんは、・ほくを落着くまで、静かにほって置いたほ もう寝たふりをして置こうと、夜着をかぶり、聴きたく もない話なので、耳を塞いでいると、そのうち、また眠っうが好いだろう。背広のことは、コーチャーや監督に、よ てしまったようです。あの頃は、よく眠りました。練習休く話をしておきます。災難だから、仕方がない。明朝、出 みの日なそ、家に帰って、食べるだけ食べると、あとは、発のときは、・フレザーコートをきて、颯爽と出て来るよう ふさ とたん ふとん さっそう
・ : その時、軽部は大きな鼻の穴からせわしく煙草のけ お君が上本町九丁目の軽部の下宿先へ写本を届けに行く すそ と、二十八の軽部はぎよろりとした眼をみはった。裾からむりを吹き出しながら、 のぞ 二寸も足が覗いている短い着物をお君は着て、だから軽部「この事は誰にも言うたらあかんぜ。分ったやろ。また来 だめおし るんやぜ」と駄目押した。けれども、それきりお君は来な は思わず眼をそらした。 おうのう かった。軽部は懊悩した。このことはきっと出世のさまた 「女は出世のさまたげ」 じろん にお 熱っぽいお君の臭いにむせながら、日頃の持論にしがみげになるだろうと思った。でに、良心の方もちくちく痛 んだ。あの娘は妊娠しよるやろか、せんやろかと終日思い ついた。しかし、三度目にお君が来たとき、 おそ 「本に間違いないか、今ちょっと調べて見るよってな。そ悩み、金助が訪ねて来ないだろうかと怖れた。己惚れの強 ざぶとん こで待っとりや」と坐蒲団をすすめて置いて、写本をひらい彼は、「教育者の醜聞」そんな見出の新聞記事まで予想 きわ し、ここに至って、苦悩は極まった。いろいろ思い案じた ぬすみみ あげく あと見送りて政岡が : 、ちらちらお君を盗見して挙句、今の内にお君と結婚すれば、たとえ妊娠しているに なまつば いたが、次第に声もふるえて来て、生唾をぐっと呑み込しても構わないわけだと気がっき、ほッとした。何故この あざけ ことにもっと早く気がっかなかったか、間抜けめと自ら嘲 み、 った。けれども、結婚は少くとも校長級の家の娘とする予 ながす涙の水こぼし : ・ ふぜい いきなり霜焼けした赤い手をんだ。声も立てぬのが、定だった。写本師風情の娘との結婚など夢想だにしなかっ なぐさ わず たのではないか。僅かに、お君の美貌が彼を慰めた。 軽部は不気味だった。その時のことを、あとでお君が、 「なんや斯う、眼工の前がばッと明うなったり、真ッ黒け某日、軽部の同僚と称して、薄地某が宗右衛門町の友恵 あっけ もなかてみやげ になったりして、あんたの顔こって牛みたいに大けな顔に堂の最中を手土産に出しぬけに金助を訪れ、呆気にとられ よもやま おも 見えた」と言って、軽部にいやな想いをさせたことがあている金助を相手に四方山の話を喋り散らして帰って行 まゆげ る。軽部は小柄な割に顔の造作が大きく、太い眉毛の下にき、金助にはさつばり要領の得ぬことだった。ただ、薄地 ぶあっくちびる ぎよろりと眼が突き出し、分厚い唇の上に鼻がのし掛って某の友人の軽部村彦という男が品行方正で、大変評判の良 おほろげ ぶんらくにんぎよう 血統の正しい男であるということだけが朧気にわかっ いて、まるで文楽人形の赤面みたいだが、彼はそれを雄大 うぬば な顔だと己惚れていた。けれども、顔のことに触れられるた。 はず 三日経っと、当の軽部がやって来た。季節外れの扇子な と、さすがに何がなし良い気持はしなかった。 き、 しゃべ せんす
かんだか のなかで女のひとと凄かったんですってねェ」、「ああ」と リカルに癇高く笑い続けていました。 まっか ばあ 笑いが止まるとあなたは直ぐ、真紅な顔になって、部屋・ほくは素直です。「こんなお婆ちゃんじゃ、嫌い」と z 子 おしろい に帰ってしまいましたが、そのとき・ほくがあなたを撲りつは・ほくの頸にぶら下がったまま、・ほくの膝に坐り、白粉と にら けたい腹立たしさで、一隅から笑いもせずに睨みつけてい紅の顔を、・ほくの胸におしつけます。 たのを御存知ですか。 実をいうと・ほくは肉体の快感もあって、こういう酩酊の しかた ・ほくはあなたへの愛情に、肉体を考えたことがないと前為方も好いなあ、と思いかけていましたが、便所に立った はりだ ずいぶん にも書きました。帰朝してから随分色んな歓迎会も催して虎さんが帰って来て、「オイ表に出てみろよ。大変な貼出 ・、、ツ、ツハ」と豪傑笑いをするので、清 頂き、酔ったあとで友達同士、女遊びをする機会も多かっしが出ているせ さんと一緒に出てみますと、入口に立てかけた大看板に たのですが、・ほくはどんな場合でも、芸者なり商売女に、 ばっこんあぎ ただいま ひと ( 只今オリムピックポート選手一同御来店中 ) と墨痕鮮や 「ぼくにはだいじな女がいるから、悪いけれど気にしない で」とまともな顔で断わって、指一本、彼女達に触れたこかに書いてあります。 しばらく唖然と突っ立っていた・ほくは、折から身体を押 とはありませんでした。 しらじら そろ しばら 帰って暫くして、銀座のシャ・ノワールにクルーが揃っして行く銀座の人混みに揉まれ、段々、酔いが覚めて白々 かっ て行ったことがあります。初めに書いた、嘗て・ほくの童貞しい気持になるのでした。もうそのまま、帰りたくもなり とやらに興味を持った z 子という女給もいれば、松山さんましたが、皆で来ているのでそれもならず、再び店内に入 あお も沢村さんの女達もいるカフェでした。・ほく達が入って行ると、もはや、ほろ苦くなった酒を呷るのも止めてしまっ あいさっ た。間もなく、マスターが出て来て、「お写真をとらせて くと、マスターが挨拶に来るは、女給が総出で取り巻くは 下さい」という。酔っ払った連中は、二つ返事で銘々美女 大変なものでした。 ぼくはその頃むやみに酒を飲むようになっていましたかを相擁し、威勢よくシャンパン・グラスを左手に捧げ立っ ところ あお た処を、ポッカーンとマグネシュームが弾けて一同、写真 ら、一人でがぶがぶと煽り、手近に坐っていた京人形みた いな女給をちょっと好きになって、「君の名前は」とか訊を撮られてしまいました。 くび いているうち、いきなり背後から生温い腕がべたっと頸所詮、だらしのない・ほくが、そんなにも女色が嫌いだっ じゅくし のまわりに巻きっきました。振り返ると熟柿みたいな臭いたというのは偏えに、あなたからの手紙の御返事を待って をぶんぶんさせた z 子です。「聞いたわよ、坂本さん、船いたからです。 しよせん あぜん ひと すご ひざ
はい」と素直に立上がると、自分の部屋の前まで来ましたと、びんたを喰わせ、松山さんを顧みてはニャニヤ笑い、 ちょうど が、恰度同室の沢村さん、松山さんとそこで一緒になりま「こら、大坂、これでもか。これでもか」といくつも撲っ た。 うれ ダイハン 、げん 「大坂、いい機嫌だな」とか、ひやかされてぼくは嬉しそ うに、「え工、えェ」と首を振っていましたが、松山さん が部屋に入ったあと、沢村さんがぼくの首を抱き、覗きこそうして、横浜に着きました。 ささや あさもや むようにして、「ぼんち、熊本さんは」と囁くのが、てつ朝靄を、微風が吹いて、さざら波のたった海面、くすん てんません きり、あなたの醜聞の一件を指しているのだと思うと、・ほだ緑色の島々、玩具のような白帆、伝馬船、久し振りにみ かもめ くには、これまでのこの人達の悪意がいっぺんに想い出さる故国日本の姿は綺麗たった。とびかう燈台のあたりを まんかんしよく れ、気のついたときには、もう沢村さんの身体を壁に押し抜けて、船が岸壁に向かおうとすると、すでに、満艦飾を にら つけ、ぎりぎり憎悪に歪んだ眼で、彼の瞳を睨みつけてい ほどこした歓迎船が、数隻出迎えに来てくれていました。 ました。 阜頭を埋めた黒山の群衆のなかから、日の丸の旗がちら 瞬間、ア、しまった、と思った時にはすでに遅く、そのちら見えるのに、負けてきた、という感慨が、今更のよう すき 隙に立ち直った沢村さんが、「貴様やる気だな」と叫びざに口惜しく、済まないなアと込みあげて来ました。 す もはやどやどやと上がりこんで来た連中で、甲板は一杯 ま、・ほくを突きとばすと、直ぐのしかかって来て、・ほくの くびし になり身動きもできません。新聞記者さんが一人、一一人、 頸を絞めつけました。 そのとき松山さんが部屋から出て来て、この有様をみる・ほくのような者にまでインターヴューに来てくれるのでし なり、「おい、沢村よせよ、大坂はだいぶ酔っているぜ」た。 しかし色んな事で上気してしまっている・ほくには、話と と止めてくれましたが、沢村さんは一度手をはなしたかと めつき っても別に出来ませんでした。が、その翌日の地方版を おもうと、今度はなんともいえぬ意地悪い眼付で、まじまい じぼくを見詰めているうち、不意に、平手で、カ一杯、ぼみると勇ましく片手を挙げたぼくの写真の下に、 ( 坂本君 くの横っ面を張った。・ほくはことさら撲られるのも感じなは語る ) として次の様な記事が出ていました。 いほど酔っている風に装い、唇を開けてフラフラして見せ ( オ 1 ルの折れるまで、腕の折れるまでもと思い全力を挙 みぎほお ているのに、沢村さんは、続けて、ばくの右頬から左頬へげて戦って参りましたが武運拙なく敗れて故郷の皆様に御 おそ のぞ くや きれい あ