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検索対象: 現代日本の文学 33 檀一雄 織田作之助 田中英光集
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1. 現代日本の文学 33 檀一雄 織田作之助 田中英光集

ると、ひょっくりあなたと小さい中村嬢に逢いました。 しばらく海をみてから、もう練習かなと、デッキを瞰 くちびる おろ 中村さんは、小さい唇をとがらせ、「うち、詰まらんわ下すと、皆はまだ麻雀でもしているのでしよう。甲板にい ア。もう男のひとと、遊んではいけない言うて、監督さんるのはデッキ・チェアに寄りかかったあなたと、船客でロ から説教されたわ。おんなじ船に乗ってて、口利いてもい スアンゼルス行きの第二世のお嬢さんだけ。二人で、なに あいづち かん、なんて、阿呆らしいわ」・ほくも合槌うって、「すこか仲良さそうに話している。こちらは、迦みたいに、炊 し、変ですね」と言えば、あなたも「ほんとうに詰らんわ笑んで、瞰下していると、あなたは、直ぐ、気づき、上を ますます ア」中村嬢は、益々雄弁に、「ほんとに嫌らし。山田さんむいて、につこりした。隣りのお嬢さんも、おなじく見あ ぎようさんおしろい や高橋さんみたいに、仰山、白粉や狐をべたべたに塗るひげる、・ほくは、視線のやりばに困るから、船尾のほうを、 といるからやわ」と、なおも小さな唇をつきだします。・ほ 眺めるふりをしている。とまもなく、第二世のお嬢さん ただ くは只、中村さんに喋らしておいて、心のなかでは、詰まは、眼をつむり、寝てしまっている様子です。 らない、詰まらない、と言い続けていました。 思いきって、・ほくが合図に、右手を高くあげると、あな ひょうきん やがて、あなたは、剽軽に、「こんなにしていて、見つたも右手をあげて振る。ほんとうに、片眼をおもいっき けられたら、大変やわ。これ上げましよ」と、、ほくの掌り、つぶってウインクをしてみる。あなたの顔は、笑いだ あんすみ の に、よく熟れた杏の実をひとっ載せると、一一人で船室のほす。・ほくも、だらしなくにこにこします。 うへ駆けてゆきました。・ほくも、杏の実を握りしめ、くる 一瞬、船は停り、時も停止し、ただ、この上もなく、じ と あお くると鉄梯子をあがって、頂辺のポート・デッキに出まし いんと碧い空と、碧い海、暖かい碧一色の空間にぼくは溶 け込んだ気がしたが、それも束の間、・ほくは誰かにみられ 果太平洋は、日本晴の上天気。雲も波もなく、ただ一面にるのと、こうした幸福の持続が、あんまり恐しく、身体を ひるがえ かす てすりもた スポオッと、青いまま霞んでいます。・ほくは、手摺に凭れか翻し、・ ( ック台のほうへ、逃げて行き、こっとん、こ っとん、徴笑のうちに、一一三回ひいてから、また手摺まで かって、杏を食べはじめました。甘酸つばい実を、よく こた めては、食べているうち、ふっと瞼の裏が、熱くなりまし走って行ってはあなたに手をあげ、あなたも手をあげ応え オ かわ た。食いおわった杏の種子を、陽にかがやく海に、撼ろうると、また、にこにこと笑い交して : ハック台まで逃げてゆ としてから、思い直し、ポケットのなかに、しまいこみまく。そうしているときは愉しく、その想い出も愉しかった。 翌晩でしたか、ひどい時化の最中、すき焼会がありまし てつばしご しゃべ てつべん まぶた みおろ つか み

2. 現代日本の文学 33 檀一雄 織田作之助 田中英光集

「お名前は」とか、「なにをやっておられるんですか」とくるくる廻り歩き、あなたの姿を追って、一目遠くからで 四か、訊きました。そしたら、あなたは、「うち、いややわーも見れば、満足だったのです。 かげ か てすりもた たもと と急に、袂で、顔をかくし、笑い声をたてて、・ハタ・ハタ駆その晩、甲板の船室の蔭で、あなたが手摺に凭れかか けて行ってしまった。お友達のなかでいちばん背の高いあって、海を見ているところを、みつけました。腕をくんで なたが、子供のように跳ねてゆくところを、・ほくは、拍子背中をまるめている、あなたの緑色のセーターのうえに、 さっさっ くせ 抜けしたように、。ほかんと眺めていたのです。その癖、心お下げにした黒髪が、颯々と、風になびき、折柄の月光 なれなれ もらろん うしお のなかには、潮のように、温かいなにかが、ふッふッと沸に、ひかっていました。勿論・ほくには、馴々しく、傍によ ただ って、声をかける大胆さなどありません。只、あなたの横 き、荒れ狂ってくるのでした。 たた しばやま 船室に帰ってから、・ほくは大急ぎで、選手名簿を引き出こ 冫いた、柴山の肩を叩き、「なにを見てる」と尋ねました。 ところ し、女子選手の処を、探してみました。すると、あなたのそれは、あなたに言った積りでした。柴山は、「海だよー ふなばた 顔ではありますが、全然、さっきの魅力を失った、ただのと答えてくれました。・ほくも船板から、見下ろした。真し くだ うすた なか 田舎女学生の、薄汚なく取り澄ました、肖像が発見されまオ冫。 ここよ、すこし風の強いため、舷側に砕ける浪が、まるで シャポン あわ ふっとう した。そこに ( 熊本秋子、二十歳、県出身、 Z 体専に在石鹸のように泡だち、沸騰して、飛んでいました。 メートル 次の晩、・ほくが、二等船室から喫煙室のほうに、階段を 学中種目ハイ・ジャンプ記録一米五十七 ) と出ているの はつらっ を、何度も読みかえしました。なかでも、高知県出身とあ昇って行くと、上り口の右側の部屋から、剌としたビア ほくも高知県・・ーー・といっても、 る偶然さが、嬉しかった。・ ノの音が、流れてきます。″春が来た、春が来た、野にも のぞ 本籍があるだけで、行ったことはなかったのですが、それ来た″と弾いているようなので、そっとその部屋を覗く あ でも、この次、お逢いしたときの、話のきっかけが出来たと、あなたが、ビアノの前にちんまりと腰をかけ、その傍 と、・ほくは、嬉しかった。 に、内田さんが立っていました。 二人は、覗いているぼくに気づくと、顔を見合わせ、 花やかに、笑いだしました。その花やいだ笑いに、つりこ 翌朝から、・ほくは、あなたを、先輩達に言わせれば、ままれるように、ぼくは、その部屋が男子禁制のレディス・ てつべん ルームであるのも忘れ、ふらふらと入り込んでしまいまし るで犬の様につけまわし出しました。船の頂辺のポート・ けげん た。あなた達は、怪訝な顔をして、・ほくを見ています。・ほ デッキから、船底の O デッキまで、・ほくは閑さえあると、 なみ

3. 現代日本の文学 33 檀一雄 織田作之助 田中英光集

十 173 どを持ってした。 : 、 - ホマードでびったりつけた頭髪を一一三本て、落第したことがあった。それで、お君は、 おうせ 指の先で揉みながら、 あはれ逢瀬の首尾あらば、それを二人が最期日と、 かくご たましい 「実はお宅の何を小生の : : : 」妻にいただきたいと申し出名残りの文のいいかはし、毎夜毎夜の死覚悟、魂抜けて * かみじ でた。金助がお君に、お前は、と訊くと、お君は恐らく物とぼとぼうかうか身をこがす : : : 。と、「紙治」のサワリ へたくそ 心ついてから口癖であるらしく、 などをうたった。下手糞でもあったので、軽部は何か言い あて あてどな 「私でつか。私は如何でもよろしおま」表情一つ動かさ掛けたが、しかし満足することにした。 きれい ある日、軽部の留守中、日本橋の家で聞いて来たんです ず、強いて言うならば、綺麗な眼の玉をくるりくるり廻し ていた。 がと、若い男が顔を出した。 「まあ、田中の新ちゃんやないの、どないしてたの ? 」 あくる日、金助が軽部を訪れて、 むすこ もと近所に住んでいた古着屋の息子の田中新太郎で、朝 「ひとり娘のことでっさかい。養子ちゅうことにして貰い れんたい 鮮の聯隊に入営していたが、除隊になって昨日帰って来た ましたら : : : 」 ところだという。何はともあれと、上るなり、 都合が良いとは言わせず、軽部は、 「それは困ります」と、まるで金助は叱られに行ったみた「嫁はんになったそうやな。なんで自分に黙って嫁入りし 、つもん 、・こっこ 0 し / 十ー たんや」と、田中新太郎は詰問した。かって唇を三回盗ま やがて、軽部は小宮町に小さな家を借りてお君を迎えたれたことがあり、体のことがなかったのは単に機会だった が、この若い嫁に「大体に於て満足している」と、同僚たと今更口惜しがっている彼の肚の中などわからぬお君は、 ちに言いふらした。お君は白い綺麗なからだをしていた。そんな詰問は腑に落ちかねた。が、さすがに日焼けした顔 もよお なお、働き者で、夜が明けるともうばたばたと働いて いに泛んでいるしょん・ほりした表情を見ては、哀れを催し てんらどんぶり た。天婦羅丼をとったりして、もてなしたが、彼はこん こわ ここは地獄の三丁目、行きは良い良い帰りは怖い なものが食えるかと、お君の変心を怒りながら、帰ってし ひぞくせい と朝つばらから唄うたが、間もなく軽部にその卑俗性を理まった。その事をタ飯のときに軽部に話した。軽部は新聞 ひぎ ひろ 由に禁止された。 を膝の上に拡げたままふんふんと聴いていたが、話が唇の ことに触れると、いきなり、新聞がばさりと音を立て、続い 「浄瑠璃みたいな文学的要素がちょっともあれへん」と言 はしちやわん いきかせた。かって彼は国漢文中等教員検定試験を受けて、箸、茶碗、そしてお君の頬がびしやりと鳴った。お君 しか もら ふみ はお

4. 現代日本の文学 33 檀一雄 織田作之助 田中英光集

す しかし、その月光の園の一刻は、長かったようで、直ぐ を締め、髪を左右に編んでお下げにしていました。化粧を 四していない、小麦色の肌が、・ほくにしっとりとした、落着終ってしまいました。それは、あなたの友達の内田さん きを与えてくれます。顔つき合わせては、恥ずかしく、とが、船室の蔭から、ひょっこり姿を、現わしたからです。 いうより、何にもかにもが、しろがね色に光り輝く、この内田さんも、あなたの様子にニコニコ笑って来るし、・ほく ふんいき しゃべ ほくにとっては月の光りも、 雰囲気のなかでは、喋るよりも黙って、あなたと、海をみ達も、笑って迎えましたが、・ いろあ ているほうが、愉しかった。 一時に、色褪せた気持でした。 ずいぶん 随分、長い間、沈黙が続いた後で、ぼつんとぼくが、 たず うなす 「熊本さんも、高知ですか」と訊ねました。あなたは頷い そろ てから、「坂本さんは、高知の、どこでしたの」と言いまそれから、三人揃って、芝居を見に行きました。なにを ろくろく す。「いや、高知は両親の生まれた所ですけれど、まだ知やっていたか、もう忘れています。多分、碌々、見ていな りません。ずっと東京です」、「そう。高知は良い国よ。水かったのでしよう。・ほくは別れて、後ろの席から、あなた きれい が綺麗だし、人が親切で」、「ええ、聴いています。母がよの、お下げ髪と、内田さんの赤いペレー帽が、時々、動く のを見ていたことだけ憶えています。 く、話してくれます。ほら、よさこい節ってあるんでしょ こ ま いたずら それからの日々が、いかに幸福であったことか。未だ、 う」、「ええ、こんなんですわ」とあなたは、悪戯っ児のよ ひとみ うに、くるくる動く黒眼勝ちの、睫の長い瞳を、輝かせ、誰にも気づかれず、ぼくはあなたへの愛情を育てて行け たもとひるが てびようし えくぼ こ。・まくはその頃あなたと顔を合わせるだけで、もう満ち 靨をよせて頬笑むと、袂を翻えし、かるく手拍子を打っナ かけあし て「土佐は良いとこ、南を受けて、薩摩颪がそよそよと』足りた気持になってしまうのでした。朝の楽しい駆足、 デッキを廻りながら、あなた達が一層下のデッキで、デ と小声で歌いながら、ゆっくり、踊りだしました。 ところ ンマーク体操をしているのが、みえる処までくると、・ほく ・ほくがおかしがって、吹出すと、あなたも声を立てて、 はりまや かんざし 笑いながら、『土佐の高知の、播磨屋橋で、坊さん、簪、はすぐあなたを見付けます。 かつばっ すそ なかでも、長身なあなたが、若い鹿のように、嫋やか 買うをみた』と裾をひるがえし、活に、踊りだしまし た。文句の面白さもあって ) 踊るひと、観るひと共に、大な、ひき緊った肉体を、リズミカルにゆさぶっているの 笑い、天地も、ために笑った、と言いたいのですが、これが、次の一廻り中、眼にちらついています。今度、デッ なび びやっこうじようど そうごん キの上を駆ける頃になると、あなたは、海風に髪を靡かせ は白光浄土とも呼びたいくらい、荘厳な月夜でした。 ほほえ たの はだ まっげ さつまおろし しか たお

5. 現代日本の文学 33 檀一雄 織田作之助 田中英光集

・ : その時、軽部は大きな鼻の穴からせわしく煙草のけ お君が上本町九丁目の軽部の下宿先へ写本を届けに行く すそ と、二十八の軽部はぎよろりとした眼をみはった。裾からむりを吹き出しながら、 のぞ 二寸も足が覗いている短い着物をお君は着て、だから軽部「この事は誰にも言うたらあかんぜ。分ったやろ。また来 だめおし るんやぜ」と駄目押した。けれども、それきりお君は来な は思わず眼をそらした。 おうのう かった。軽部は懊悩した。このことはきっと出世のさまた 「女は出世のさまたげ」 じろん にお 熱っぽいお君の臭いにむせながら、日頃の持論にしがみげになるだろうと思った。でに、良心の方もちくちく痛 んだ。あの娘は妊娠しよるやろか、せんやろかと終日思い ついた。しかし、三度目にお君が来たとき、 おそ 「本に間違いないか、今ちょっと調べて見るよってな。そ悩み、金助が訪ねて来ないだろうかと怖れた。己惚れの強 ざぶとん こで待っとりや」と坐蒲団をすすめて置いて、写本をひらい彼は、「教育者の醜聞」そんな見出の新聞記事まで予想 きわ し、ここに至って、苦悩は極まった。いろいろ思い案じた ぬすみみ あげく あと見送りて政岡が : 、ちらちらお君を盗見して挙句、今の内にお君と結婚すれば、たとえ妊娠しているに なまつば いたが、次第に声もふるえて来て、生唾をぐっと呑み込しても構わないわけだと気がっき、ほッとした。何故この あざけ ことにもっと早く気がっかなかったか、間抜けめと自ら嘲 み、 った。けれども、結婚は少くとも校長級の家の娘とする予 ながす涙の水こぼし : ・ ふぜい いきなり霜焼けした赤い手をんだ。声も立てぬのが、定だった。写本師風情の娘との結婚など夢想だにしなかっ なぐさ わず たのではないか。僅かに、お君の美貌が彼を慰めた。 軽部は不気味だった。その時のことを、あとでお君が、 「なんや斯う、眼工の前がばッと明うなったり、真ッ黒け某日、軽部の同僚と称して、薄地某が宗右衛門町の友恵 あっけ もなかてみやげ になったりして、あんたの顔こって牛みたいに大けな顔に堂の最中を手土産に出しぬけに金助を訪れ、呆気にとられ よもやま おも 見えた」と言って、軽部にいやな想いをさせたことがあている金助を相手に四方山の話を喋り散らして帰って行 まゆげ る。軽部は小柄な割に顔の造作が大きく、太い眉毛の下にき、金助にはさつばり要領の得ぬことだった。ただ、薄地 ぶあっくちびる ぎよろりと眼が突き出し、分厚い唇の上に鼻がのし掛って某の友人の軽部村彦という男が品行方正で、大変評判の良 おほろげ ぶんらくにんぎよう 血統の正しい男であるということだけが朧気にわかっ いて、まるで文楽人形の赤面みたいだが、彼はそれを雄大 うぬば な顔だと己惚れていた。けれども、顔のことに触れられるた。 はず 三日経っと、当の軽部がやって来た。季節外れの扇子な と、さすがに何がなし良い気持はしなかった。 き、 しゃべ せんす

6. 現代日本の文学 33 檀一雄 織田作之助 田中英光集

ど、厭だった。 をやってしまいました。 またある日、ぼくが、練習が済み、水を貰おうと、食堂 こうした風に、段々、へんな噂がたつのに加えて、人の へ降りて行くと、入口でばったり、あなたと同じジャムパ好い村川が、無意識にふりまいた、デマゴーグも、また相 ーの中村さんに、逢いました。と、十六歳のこの女学生当の反響があったと思われます。 のぞ は、突然、ぼくの顔を覗きこむように、「うちの写真、貰未だ、ませた中学生に過ぎなかった彼としては、自分 ってくれやはる」といいます。 が、いかに女の子と親しくしているかを、大いに、みせび 驚いて、まじまじしているのに、「ここで待っててね」らかしたかったのでしよう。それだけ、・ほくより、無邪気 こりす すばや といいざま、小栗鼠のような素早さで、とんで行き、・ほく だったとも、言えますが、・ほくにしてみれば、彼が、あな まけもの が椅子に腰かける間もなく、ちいさい中村さんは、息をきた達、女子選手をいかにも、中性の僊物らしく批評し、 やつら り、ちんまりした鼻の頭に汗を掻き、駆け戻って来ると、 「熊本や、内田の奴等がなア」と二言目には、あなた達が、 てのひら こうふんろう ぼくの掌に、写真を渡し、また駆けて行ってしまいまし村川に交際を求めるような口吻を弄し、やたらに、写真を しんしようばうだい 撮らしたり、ぼく達四人の交友を、針小棒大に言い触らす しやくさわ あとでみた、写真には、、 ート形のなかに、お澄ましなのをきいては、癪に触るやら、心配やら、はらはらしてお いなか ちせつ 田舎女学校の三年生がいて、おまけに稚拙なサインがしてりました。 あるのが、いかにも可愛く、ほほ笑んでしまった。 しかし、これは、人間の本能的な弱さからだと、・ほくに う 0 ほ 当時、すこし自惚れて、考え違いしていましたが、これは許せる気になるのでしたが、同時に、誰でもが持ってい こんじよう おかや 。いっても、クルーの先輩連が、・ほくに 実は多分、同室のあなた達が、ぼくや村川の写真を、中村さる岡焼き根性とよ、 ばりぎんまう 果んにみせたので、少女らしい競争心を出し、まず、ぼくに浴びせる罵詈讒謗には、嫉妬以上の悪意があって、当時、 ス写真をくれたのでしよう。 ・ほくはこれを、気が変になるまで、憎んだのです。 しばら 氿その後、暫くしてから、「坂本さん、ポートの写真、うその頃、整調でもあり主将もしている、クルーでいちば ち、欲しいわ」と女学生服をきた彼女から、兄貴にでもねん年長者の森さんは、・ほくをみると、すぐこんな皮肉をい ダイハン だるようにして、せがまれました。「いやだ」というと、 うのでした。「大坂は、熊本と、もう何回接吻をした」と しり 「熊本さんにはあげた癖に」ーーと、ロをとがらせ、イー か「お尻にさわったか」とか、或いは、もっと悪どいこと ちょうしよう をされたので、驚いた・ほくは、・ハック台を引いている写真を嬉しそうにいって、嘲笑するのでした。 こ 0 いや かわい うわさ ある

7. 現代日本の文学 33 檀一雄 織田作之助 田中英光集

れました。 見つからず、また不眠の夜を送りました。 せつれつ ぼくは懸命になればなる程、拙劣なのを知りながら「実翌日、海は晴れていた。ぼくは、あなたを探して船の上 はあなたが昨夜、熊本さんについて見たことを、あなたのから下まで地せめぐった。逢ってなにか一言いわなけれ おさ 胸だけに蔵っておいて貰いたいのです」と言いかければ、 ば、納まらない気持だったのです。その日も、むなしく海 さえぎ 彼は不愉快そうにかん高く、・ほくを遮り「なにも俺はそんが暮れました。・ほくはスモーキング・ルームの一隅に坐 しやペ うすよ 0 なことを喋り歩いたりはしないよ。言ってみたって何の得り、ひとり薄汚れた感傷を噛んでいました。 にもならないし、第一、俺は熊本みたいな女に少しも興味その頃の流行歌の一節に、 ( 花は咲くのになぜ私だけ、 さだ がないもの」と、そこでちょっと口を切ってから、また落二度と春みぬ定めやら ) というのがありました。・ほくはそ しわが 着いた嗄れ声にかえり「しかし、実際女の選手つてだらしこのところが、奇妙に好きで、誰もいないのを幸い、何遍 カえり がね工な」と村川を顧みれば、村川も即座に、「じっせえ、も何遍もかけ直しては、面をたれて、歌をきいていまし あいづち 女流選手つて言うのは、なっちゃいないね」と合槌を打ちた。 おうま ます。・ほくは無責任な批評をするな、と腹がたちました逢魔ケ時という海の夕暮でした。・ほくは電燈もつけず、 ほのぐら が、金沢は続いて無造作に、「しかし誰かに言い触らすよ仄暗い部屋のなかで、ばかばかしくもほろほろと泣いてみ うなことはしないよ。それは約東します」という。その言 たい、そんな気持で、なんども、その甘い歌声をきいてい おとな がくぜん い方に、・ほくはふっと、彼の大人を感じると、なにか信用ました。その時ひょいと顔をあげると愕然としました。あ のぞ して好い気になり、安心すると同時に、一遍に気恥ずかしなたの仄白い顔が、窓から覗いているのです。あんなに捜 くなってきて、急いで彼の部屋を辞しました。 してもみつからなかったのに、一体どこにかくれていたん 無茶苦茶に駆けあるきたいような衝動にかられて、階段です、とも言いたく、お元気でなによりですと、喜んでも をかけ上がって行くと、森さん、松山さん、沢村さん達があげたかった。 マージャン いずれ麻雀でも果てたあとか、たくましく笑い合って降り が、驚きのほうが強く、まじまじ目を見開いている・ほく て来かかり、血走ったぼくの様子をみると、顔見合わせの顔にあなたは「・ほんち、今晩は」と笑いかけ、寂しさに て、更にどっと笑いたてました。 甘えようとしている・ほくの表情が判ると、ふッと身体を乗 なおさらく てつきり、あなたの一件で笑われたと、・ほくは尚更、ロりだし「そんなとこで、なにしてんの。ホホ : : : 」と少し 惜しがって、あなたを捜しまわりましたが、その晩は遂にヒステリカルに笑い、顔見合わせると急に笑い止んで、や しま

8. 現代日本の文学 33 檀一雄 織田作之助 田中英光集

けんじゅう そのとき祖母の眼の中には明らかに荒々しい追憶がよみが拳銃を放っていた。祖母はぎまったようにふるえる手で多 むく えって、「そうそう和久さんや、あの椋の木の根に狐がこ田の帯を締めなおすのだった。寒い風が多田の膚いちめん ひきしま すそ んな顔をしてたっとったことがある、ひいおじい様が弓でを吹きとおし、多田は引緊る気持の中で、裾をひく祖母の ままはだ 射殺ろしなされた。矢がささった儘、膚が光って血も出な手によろめいた。 たた んだ。こわかった。こわかった。ばあが祟りがあるいうて かわら 」祖母は不意とおそろしい実感でロをつぐんでしま竹藪のはすれには一本の巨大な藤があって瀬多川の磧に ひかげも まだら 多田はその顔の美しさにはっきり祖母の若さを知ったおおいかぶさっていた。水は陽蔭の洩る斑の中をか・ほそく たびなたまめ ことがある。指さされた椋の大木を仰いで、黝んだ幹のき流れている。風が吹き上り吹き下ろす度に鉈豆のような実 あるひ たか めの不気味さにみいっているうち、根元に立っている猫に が揺れつづけた。或日藤の頂きに鷹がきていた。其日も川 ぎよっとした。 下ろしが吹きとおして、うすぐもりの空を見上げると鷹は * おきあげ 祖母はまたよく南縁で押絵を作っていた。心書で弁天のキリリとたっている。多田はそれを台所の押戸から眺めて ねら づくりほそ 眉をひいているうち突然何かが祖母をいらだたせるらし いた。いつのまにか峻が来て猟銃で覗っている。黒装の細 おきあげ く、折角出来上りの押絵をくしやくしやにもみ捨てること身の銃身でそれは多田の眼に異様に冴えた。祖母は長火鉢 があって、多田は祖母の泣ほくろを見上げながらいいようの側で黙っている。はげしい発砲の音に多田は眼をつむつ のないおそろしさを味うのだった。陽当りの良い日には折た。見開くと相変らず鷹は立っている。多田の気がゆるん つりざお、、 折は峻も南縁にでて古びた釣竿ではやを釣るのである。蚊だと同時に鷹の身ごなしが崩れた。藤枝を洩れて磧の上に で、それは多田の眼をかすめるように素速く瀬多川の早どうと落ちた。それからはげしく小砂利の間を狂いまわっ 白瀬に投げおろされた。みるまに水面からは細い魚がおどり た。それは多田の凝固した視神経の上に、針で傷をきざむ 告 の出る。多田はそれを大変おっくうに眺めるのであった。そほどなまなましい空間の移動であった。三人ともじっと見 魂れだけにつりあがった白いはやの感動は鮮明である。多田つめていた。その緊張の中で鷹は片羽をひらいたとみるま に、ほとりと倒れてしまった。多田はそのときこの吐息は しのこういう眼は無意識のうちに、静粛な規律をもって育く 祖母にも峻にも気づかれてはいけないそと思った。黙った まれた。 ほとん 9 頬の染んだときは峻の興奮した日である。そんな日は峻まま峻は殆どうごかない表情で部屋に帰っていった。祖母 わた は廻廊をあらあらしく亘ってきて、縁から竹藪をめがけては峻を見送ると同時に気がゆるんだようで、ちらと河原を あじわ せいしゆく すばや くろす はぐ そのひ

9. 現代日本の文学 33 檀一雄 織田作之助 田中英光集

そな 母が十八になるやならずで、生活、趣味、気分のガラリとれででしよう。私の家も随分油揚をお供えしている積りだ うって変った他人の家の中に放り出されたことは確実だ。けど、絶えてこの頃残っていたためしが無い ) 」 ありさま ざっとこんな有様であった。噂は尾に鰭をつけて拡大 「私、とてもやってゆけませんでした。久留米の家と柳川 し、深刻になってゆき、とうとうこの実直な他国者は逃け のお家とあんまり気風が違いすぎましたものね : : : 」 ごじっ はたん と後日母は結婚の破綻の弁明をしているが、にそんな出してしま 0 たのである。 母を包囲した柳川の祖父の家が、多少これと類似した圧 ものかも知れぬ。 たやす うわさ はいたせい 柳川と云うところは、排他性の強いところである。噂の迫を母に与えたであろうことは容易く想像出来る。 うわさちやか でんばりよく しかし結婚した父母は、間もなく柳川の家を出て、山梨 伝播力のはげしいところである。噂は茶化され、デフォル はす ようかいみ や、東京に、水入らずの新家庭を持った筈だ。 メされ、都会では想像も及ばない程の妖怪味を帯びる。 例えば私はこんなことを知っている。近所に引越してき かせ たその日稼ぎの実直な夫婦者があった。 うさんくさ 人々は胡散臭そうな眼つきで、この夫婦者をジロジロと若し父の証言を信じるならば、母は父との結婚の前年 か、前々年、つまり十六歳か十七歳の時に、久留米のとあ ながし見ていたが、そのうち、 なり 「よんべタン。あのナンのオカツツアンが、お荷さんのる医師の家に嫁いでいる。ただし、この時は一週間ぐらい あげどうふ 揚豆腐・ ( 、曳いて ( ッテきょんなはった・ ( ノ ( 昨夜のことで逃げて帰ってきたそうだ。 だ。あの人のお嫁さんが、お稲荷さんの油揚を盗みとって「一雄、女房を貰うなら何としても処女を貰え。一度男を 知った女は、すぐにぐらっきやすいからな」 ゆきましてね ) 」 これは、私の父が口癖のように私に語ってきかせた親父 「ほんなこっカン ? ( 本当ですか ) 」 ふんまん 「ええ、スラゴッばなーん云おの。そりばくさん、煮つけ流の体験の言葉である。一敗、地にまみれた時の父の忿懣 もせんな引き裂えて、 = ャンニャンしよってやったパノの気持はよくわかる。それを生理的な条件に転化しようと うそ ( ええ、嘘をどうして云いましよう。その油揚を、味つけ考えた動機もよくわかる。 ただしかし、私は生憎と全く反対の意見を持っている。 もしないで、引き裂いて食べていましたよ ) 」 「そっでがじやろ。オリゲも大概にや揚豆腐ば上げよるつ男女と云うものは、そもそも絶えずぐらついていなければ もり・ハッ、チーンこの頃上がっとったこつの無かモン ( そいけないものだ。 たと とっ あいにく くるめ

10. 現代日本の文学 33 檀一雄 織田作之助 田中英光集

ひ、くら 多田の家の庭は没落しかけた家産と引較べて不相応なほとにしよう。そうして多田の幼年期を最後の美しい夢でと ていていそび ど広々としていた。暗緑のこだかい木立が亭亭と聳え、毛じようではないか。 こかげ 氈を敷きつめたようななめらかな苔一面の木蔭を抜けると はなぞの ・ ( ッと目覚めるばかりの花苑がつづいている。花苑は経営木立の葉一面さらさら雨が鳴らしたことを多田ははっき さかのば すべて他人の手に移っていた。それだけに荒れた庭の一角りと思いだす。峻と瀬多川を溯上った前日であったか。前 に此処だけ手入が行届いて四時美しい花花が咲き乱れてい 引日であったか。 まっさき ひあし こ。。ほーらは真先にこの花の中におどりこむと、陽足が花多田はあれほども澄んだ秋の日についぞめぐりあわせた 一杯にむれて、いつのまにか乳色の皮膚が花花の中にとけことがない。多田とぼーらは水に入るのをためらった。そ せいれつ ひざ こんでゆくようであった。多田はくらんでくる眼をおさえうしてまた清冽な水の冷たさが膝から腰をしみのぼってゆ て異国の少女の身体の不可思議にうっとり見とれてしまう く心地よさに今度は歯の根をふるわせた。多田は帯に魚籠 ムりよ のである。こうしてぼーらは多田を毎日のように誘いに来を吊り。ほーらの手をひいては峻の後を追った。俘虜の家族 しか きづか た。多田はぼーらの姿を見ると、祖母や峻が叱る気遣いのの邸宅は多田の家から一丁程瀬多川を上ったところにあっ ないことを知りながら、いつも無断で二人の眼をかくれるて、緑の屋根の下からぼーらの母が ( ンケチを振った。 ように駆けだすのであった。 がほてって多田は黙ったままびちゃびちや川をわたってい った。 惜むように多田は静かな日日を追想する。追憶は寂しさ此処から瀬多川は急に森の中に入り、粘土の窰や水の淀 ふち すきとお にし のうり をたたえきった透明な球面となって多田の脳裡をくるりくんだ淵があった。透徹った底を虹のように美麗な魚がおよ 白るりと廻転する。何時やってきたか、何時どうして消え去いでいる。すると峻は不意と水の中におどりこんで、魚が ったかーー初めと終りの限界は不分明で、そのなかを走っはしったと思う瞬間に手網をあげる。水滴を含んだ光る網 かご 魂てゆくぼーらの姿だけが夢のようにいきいきと多田の胸にの目に魚がキラキラはねるのだった。ぽーらが籠にうっそ せいしゆく ほとん しよみがえる。不思議な幻だ。そうしてその静粛な毎日が殆うとするたび多田はそれを奪い取ってしつかりと手で押 え、その感触の美しさにほっと吐息をついた。 ど確然とした足並をとってあのおそろしい一日に歩みよっ よどんだ淵がっきると、急に白い水のたぎる滝があっ 1 た。多田はふるえてくる自分の息に不気味な生涯の予感を すいりよく 感じるのである。さあ、私達も多田と一緒に眼をつむるこた。翠緑をはらんだ樹樹は川一杯に覆いかぶさり水にひた せん おお