お母さま - みる会図書館


検索対象: 現代日本の文学 31 太宰治集
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1. 現代日本の文学 31 太宰治集

「細田さまのところなんかじゃないわ。」 「昔の事を言ってもいい ? 」 「そう ? そんなら、どこ ? 」 「どうそ。」 と私は小声で言った。 「お母さま、私ね、こないだ考えた事だけれども、人間が 「あなたが、山木さまのお家から出て、西片町のお家へ帰他の動物と、まるつきり違っている点は、何だろう、言葉 って来た時、お母さまは何もあなたをとがめるような事はも智慧も、思考も、社会の秩序も、それそれ程度の差はあっ 言わなかったつもりだけど、でも、たった一ことだけ、ても、他の動物だって皆持っているでしよう ? 信仰も持 っているかも知れないわ。人間は、万物の霊長だなんて威 ( お母さまはあなたに裏切られました ) って言ったわね。 お・ほえている ? そしたら、あなたは泣き出しちゃって、張っているけど、ちっとも他の動物と本質的なちがいが無 : ・私も裏切ったなんてひどい言葉を使ってわるかったといみたいでしよう ? ところがね、お母さま、たった一つ あったの。おわかりにならないでしよう。他の生き物には 思ったけど、 けれども、私はあの時、お母さまにそう言われて、何だ絶対に無くて、人間にだけあるもの。それはね、ひめご と、というものよ 0 い力が ? 」 か有難くて、うれし泣きに泣いたのだ。 お母さまは、ほんのりお顔を赤くなさって、美しくお笑 「お母さまがね、あの時、裏切られたって言ったのは、あ なたが山木さまのお家を出て来た事じゃなかったの。山木いになり、 「ああ、そのかず子のひめごとが、よい実を結んでくれた さまから、かず子は実は、細田と恋仲だったのです、と言 われた時なの。そう言われた時には、本当に、私は顔色がらいいけどねえ。お母さまは、毎朝、お父さまにかず子を 変る思いでした。だって、細田さまには、あのずっと前か幸福にして下さるようにお祈りしているのですよ。」 私の胸にふうっと、お父上と那須野をドライヴして、そ ら、奥さまもお子さまもあって、どんなにこちらがお慕い うして途中で降りて、その時の秋の野のけしきが浮んで来 したって、どうにもならぬ事だし、 おみなえし 陽 「恋仲だなんて、ひどい事を。山木さまのほうで、ただそた。萩、なでしこ、りんどう、女郎花などの秋の草花が咲 いていた。野葡萄の実は、まだ青かった。 斜う邪推なさっていただけなのよ。」 「そうかしら。あなたは、まさか、あの細田さまを、まだ それから、お父上と琵琶湖でモーターポートに乗り、私 5 思いつづけているのじゃないでしようね。行くところっ が水に飛び込み、藻に棲む小魚が私の脚にあたり、湖の底 て、どこ ? 」 に、私の脚の影がくつきりと写っていて、そうしてうごい

2. 現代日本の文学 31 太宰治集

て行けるの ? 」 それで、私、あなたに、相談いたします。 と言いました。 私は、いま、お母さまや弟に、はっきり宣言したいので 「半歳か、一年くらい。」 す。私が前から、或るお方に恋をしていて、私は将来、そ と私は答えました。そうして、右手で半分ばかり顔をかのお方の愛人として暮すつもりだという事を、はっきり言 くして、 ってしまいたいのです。そのお方は、あなたもたしかご存 「眠いの。眠くて、仕方がないの。」 じの筈です。そのお方のお名前のイニシャルは、・ O でご と一一 = ロいました 0 ざいます。私は前から、何か苦しい事が起ると、その・ 「疲れているのよ。眠くなる神経衰弱でしよう。」 O のところに飛んで行きたくて、こがれ死にをするような 「そうでしようね。」 思いをして来たのです。 涙が出そうで、ふと私の胸の中に、リアリズムという言・ O には、あなたと同じ様に、奥さまもお子さまもご 葉と、ロマンチシズムという言葉が浮んで来ました。私ざいます。また、私より、もっと綺庵で若い、女のお友達 に、リアリズムは、ありません。こんな具合いで、生きてもあるようです。けれども私は、・ o のところへ行くよ さむけ 行けるのかしら、と思ったら、全身に寒気を感じました。 り他に、私の生きる途が無い気持なのです。・ o の奥さ お母さまは、半分御病人のようで、寝たり起きたりですまとは、私はまだ逢った事がありませんけれども、とても し、弟は、ご存じのように心の大病人で、こちらにいる時優しくてよいお方のようでございます。私は、その奥さま は、焼酎を飲みに、この近所の宿屋と料理屋とをかねた家の事を考えると、自分をおそろしい女だと思います。けれ へ御精勤で、三日にいちどは、私たちの衣類を売ったお金ども、私のいまの生活は、それ以上におそろしいもののよ を持って東京方面へ御出張です。でも、くるしいのは、こうな気がして、・ 0 にたよる事を止せないのです。の んな事ではありません。私はただ、私自身の生命が、こんごとく素直に、蛇のごとく慧く、私は、私の恋をしとげた いと思います。でも、きっと、お母さまも、弟も、また世 な日常生活の中で、芭蕉の葉が散らないで腐って行くよう に、立ちつくしたままおのずから腐って行くのをありあり間の人たちも、誰ひとり私に賛成して下さらないでしょ と予感せられるのが、おそろしいのです。とても、たまらう。あなたは、いかがです。私は結局、ひとりで考えて、 ないのです。だから私は、「女大学」にそむいても、いまひとりで行動するより他は無いのだ、と思うと、涙が出て の生活からのがれ出たいのです。 来ます。生れて初めての、ことなのですから。この、むず すなお

3. 現代日本の文学 31 太宰治集

と言いかけて、自分があんまりみじめで、涙がわいて出とおっしやって、そのまま、警防団長の大内さんやその 3 て、それつきりうつむいて黙った。警察に連れて行かれ他の方たちと一緒にお帰りになる。 二宮巡査だけ、お残りになって、そうして私のすぐ前ま て、罪人になるのかも知れない、とそのとき思った。はだ しで、お寝巻のままの、取り乱した自分の姿が急にはずかで歩み寄って来られて、呼吸だけのような低い声で、 しくなり、つくづく、落ちぶれたと思った。 「それではね、今夜の事は、べつに、とどけない事にしま すから。」 「わかりました。お母さんは ? 」 とおっしやっこ。 と藤田さんは、 いたわるような口調で、しずかにおっし やる。 二宮巡査がお帰りになったら、下の農家の中井さんが、 「お座敷にやすませておりますの。ひどくおどろいていら「二宮さんは、どう言われました ? 」 して、 と、実に心配そうな、緊張のお声でたずねる。 「とどけないって、おっしゃいました。」 「しかし、まあ、」 と私が答えると、垣根のほうにまだ近所のお方がいらし とお若い二宮巡査も、 て、その私の返事を聞きとった様子で、そうか、よかっ 「家に火がっかなくて、よかった。」 となぐさめるようにおっしやる。 た、よかった、と言いながら、そろそろ引き上げて行かれ すると、そこへ下の農家の中井さんが、服装を改めて出た。 中井さんも、おやすみなさい、を言ってお帰りになり、 直して来られて、 「なにね、薪がちょっと燃えただけなんです。ポヤ、とまあとには私ひとり、・ほんやり焼けた薪の山の傍に立ち、涙 ぐんで空を見上げたら、もうそれは夜明けちかい空の気配 でも行きません。」 と息をはずませて言い、私のおろかな過失をかばって下であった。 さる。 風呂場で、手と足と顔を洗い、お母さまに逢うのが何だ 「そうですか。よくわかりました。」 かおっかなくって、お風呂場の三畳間で髪を直したりして と村長の藤田さんは二度も三度もうなずいて、それからぐずぐずして、それからお勝手に行き、夜のまったく明け はなれるまで、お勝手の食器の用も無い整理などしてい 二宮巡査と何か小声で相談をなさっていらしたが、 「では、帰りますから、どうそ、お母さんによろしく。」 こ 0

4. 現代日本の文学 31 太宰治集

すよ、とおっしやったじゃないの。かず子がいないと、死ます。きようこれから、すぐに出て行きます。私には、行 くところがあるの。」 んでしまうとおっしやったじゃないの。だから、それだか 私は立った。 ら、かず子は、どこへも行かずに、お母さまのお傍にい て、こうして地下足袋をはいて、お母さまにおいしいお野「かず子 ! 」 菜をあげたいと、そればかり考えているのに、直治が帰っ お母さまはきびしく言い、そうしてかって私に見せた事 て来るとお聞きになったら、急に私を邪魔にして、宮様のの無かったほど、威厳に満ちたお顔つきで、すっとお立ち 女中に行けなんて、あんまりだわ、あんまりだわ。」 になり、私と向いあって、そうして私よりも少しお背が高 いくらいに見えた。 自分でも、ひどい事を口走ると思いながら、言葉が別の 私は、ごめんなさい、とすぐに言いたいと思ったが、そ 生き物のように、どうしてもとまらないのだ。 「貧乏になって、お金が無くなったら、私たちの着物を売れがロにどうしても出ないで、かえって別の言葉が出てし ったらいいじゃないの。このお家も、売ってしまったら、 「だましたのよ。お母さまは、私をおだましになったの しいじゃないの。私には、何だって出来るわよ。この村の 役場の女事務員にだって何にだってなれるわよ。役場で使よ。直治が来るまで、私を利用していらっしやったのよ。 って下さらなかったら、ヨイトマケにだってなれるわよ。私は、お母さまの女中さん。用がすんだから、こんどは宮 貧乏なんて、なんでもない。お母さまさえ、私を可愛がっ様のところに行けって。」 て下さったら、私は一生お母さまのお傍にいようとばかりわっと声が出て、私は立ったまま、思いぎり泣いた。 考えていたのに、お母さまは、私よりも直治のほうが可愛「お前は、馬鹿だねえ。」 と低くおっしやったお母さまのお声は、怒りに震えてい いのね。出て行くわ。私は出て行く。どうせ私は、直治と は昔から性格が合わないのだから、三人一緒に暮していた 陽 ら、お互いに不幸よ。私はこれまで永いことお母さまと一一私は顔を挙げ、 。これ「そうよ、馬鹿よ。馬鹿だから、だまされるのよ。馬鹿だ 斜人きりで暮したのだから、もう思い残すことは無い から、邪魔にされるのよ。いないほうがいいのでしよう ? から直治がお母さまとお二人で水いらずで暮して、そうし 貧乏って、どんな事 ? お金って、なんの事 ? 私には、 て直治がたんとたんと親孝行をするといい。私はもう、 やになった。これまでの生活が、いやになった。出て行きわからないわ。愛情を、お母さまの愛情を、それだけを私

5. 現代日本の文学 31 太宰治集

お母さまは、淋しそうにお笑いになった。それから、し お母さまは私の手もとをじっと見つめて、 「あなたの靴下をあむんでしよう ? それなら、もう、八ばらくして、 「泣きたくても、もう・涙が出なくなったのよ。」 っふやさなければ、はくとぎ窮屈よ。」 とおっしやっこ 0 とおっしやっこ。 私は子供の頃、いくら教えて頂いても、どうもうまく編私は、お母さまはいま幸福なのではないかしら、とふと めなかったが、その時のようにまごっき、そうして、恥ず思った。幸福感というものは、悲哀の川の底に沈んで、幽 かしく、なっかしく、ああもう、こうしてお母さまに教えかに光っている砂金のようなものではなかろうか。悲しみ ていただく事も、これでおしまいと思うと、つい涙で編目の限りを通り過ぎて、不思議な薄明りの気持、あれが幸福感 というものならば、陛下も、お母さまも、それから私も、 が見えなくなった。 お母さまは、こうして寝ていらっしやると、ちっともおたしかに今、幸福なのである。静かな、秋の午前。日ざし 苦しそうでなかった。お食事は、もう、けさから全然とおの柔らかな、秋の庭。私は、編物をやめて、胸の高さに光 らず、ガーゼにお茶をひたして時々お口をしめしてあげるっている海を眺め、 だけなのだが、しかし意識は、はっきりしていて、時々私「お母さま。私いままで、ずいぶん世間知らずたったの におだやかに話しかける。 と言い、それから、もっと言いたい事があったけれど 「新聞に陛下のお写真が出ていたようだけど、もういちど も、お座敷の隅で静脈注射の仕度などしている看護婦さん 見せて。」 私は新聞のその箇所をお母さまのお顔の上にかざしてあに聞かれるのが恥ずかしくて、言うのをやめた。 「いままでって、 げた。 とお母さまは、薄くお笑いになって聞きとがめて、 「おけにな 0 た。」 「それでは、 いまは世間を知っているの ? 」 、え、これは写真がわるいのよ。こないだのお写真な んか、とてもお若くて、はしゃいでいらしたわ。かえって私は、な・せだか顏が真赤になった。 こんな時代を、お喜びになっていらっしやるんでしよう。」「世間は、わからない。」 とお母さまはお顔を向うむきにして、ひとりごとのよう 「なぜ ? 」 に小さい声でおっしやる。 「だって、陛下もこんど解放されたんですもの。」

6. 現代日本の文学 31 太宰治集

も、いい気になって甘えて育って来たのだ。けれども、お お母さまは、おや ? と思ったくらいに老けた弱々しい 母さまには、もうお金が無くなってしまった。みんな私た お声で、 「かず子がいるから、かず子がいてくれるから、私は伊豆ちのために、私と直治のために、みじんも惜しまずにお使 いになってしまったのだ。そうしてもう、この永年住みな へ行くのですよ。かず子がいてくれるから。」 れたお家から出て行って、伊豆の小さい山荘で私とたった と意外な事をおっしやった。 二人きりで、わびしい生活をはじめなければならなくなっ 私は、どきんとして、 た。もしお母さまが意地悪でケチケチして、私たちを叱っ 「かず子がいなかったら ? 」 て、そうして、こっそりご自分だけのお金をふやす事をエ と思わずたずねた。 夫なさるようなお方であったら、どんなに世の中が変って お母さまは、急にお泣きになって、 「死んだほうがよいのです。お父さまの亡くなったこの家も、こんな、死にたくなるようなお気持におなりになる事 はなかったろうに、ああ、お金が無くなるという事は、な で、お母さまも、死んでしまいたいのよ。」 と、とぎれとぎれにおっしやって、いよいよはげしくおんというおそろしい、みじめな、救いの無い地獄だろう、 と生れてはじめて気がついた思いで、胸が一ばいになり、 泣きになった。 お母さまは、今まで私に向って一度だってこんな弱音をあまり苦しくて泣きたくても泣けず、人生の厳粛とは、こ おっしやった事が無かったし、また、こんなに烈しくお泣んな時の感じを言うのであろうか、身動き一つ出来ない気 きになっているところを私に見せた事も無かった。お父上持で、仰向に寝たまま、私は石のように凝っとしていた。 がお亡くなりになった時も、また私がお嫁に行く時も、そ翌る日、お母さまは、やはりお顔色が悪く、なお何やら して赤ちゃんをおなかにいれてお母さまの許へ帰って来たぐずぐずして、少しでも永くこのお家にいらっしやりたい 時も、そして、赤ちゃんが病院で死んで生れた時も、それ様子であったが、和田の叔父さまが見えられて、もう荷物 から私が病気になって寝込んでしまった時も、また、直治はほとんど発送してしまったし、きよう伊豆に出発、とお が悪い事をした時も、お母さまは、決してこんなお弱い態言いつけになったので、お母さまは、しぶしぶコートを着 度をお見せになりはしなかった。お父上がお亡くなりになて、おわかれの挨拶を申し上げるお君や、出入のひとたち えしやく って十年間、お母さまは、お父上の在世中と少しも変らなに無言でお会釈なさって、叔父さまと私と三人、西片町の のんきな、優しいお母さまだった。そうして、私たちお家を出た。

7. 現代日本の文学 31 太宰治集

「かず子は、まだ、駄目なのね。朝御飯が一番おいしくなず、あ、と言ってしまったのだが、お母さまの場合は、ど るようにならなければ。」 うなのだろう。まさかお母さまに、私のような恥ずかしい とおっしやっこ 0 過去があるわけは無し、いや、それとも、何か。 「お母さまは ? おいしいの ? 」 「お母さまも、さっき、何かお思い出しになったのでしょ 「そりやもう。私はもう病人じゃないもの。」 う ? どんな事 ? 」 「忘れたわ。」 「かず子だって、病人じゃないわ。」 「だめ、だめ。」 「私の事 ? 」 お母さまは、淋しそうに笑って首を振った。 私は五年前に、肺病という事になって、寝込んだ事があ「直治の事 ? 」 ったけれども、あれは、わがまま病だったという事を私は「そう、」 知っている。けれども、お母さまのこないだの御病気は、 と、言いかけて、首をかしげ、 あれこそ本当に心配な、哀しい御病気だった。だのに、お「かも知れないわ。」 とおっしやっこ 0 母さまは、私の事ばかり心配していらっしやる。 「あ。」 弟の直治は大学の中途で召集され、南方の島へ行ったの だが、消息が絶えてしまって、終戦になっても行先が不明 と私が言った。 で、お母さまは、もう直治には逢えないと覚悟している、 「なに ? 」 とおっしやっているけれども、私は、そんな、「覚悟」な とこんどは、お母さまのほうでたずねる。 顔を見合せ、何か、すっかりわかり合ったものを感じんかした事は一度もない、きっと逢えるとばかり思ってい て、うふふと私が笑うと、お母さまも、につこりお笑いにる。 よっこ 0 「あきらめてしまったつもりなんだけど、おいしいスウブ 何か、たまらない恥すかしい思いに襲われた時に、あのをいただいて、直治を思って、たまらなくなった。もっ 奇妙な、あ、という幽かな叫び声が出るものなのだ。私のと、直治に、よくしてやればよかった。」 胸に、いま出し抜けにふうっと、六年前の私の離婚の時の直治は高等学校にはいった頃から、いやに文学にこっ 事が色あざやかに思い浮んで来て、たまらなくなり、思わて、ほとんど不良少年みたいな生活をはじめて、どれだけ

8. 現代日本の文学 31 太宰治集

と私が小声で申し上げたら、お母さまは、溜息をついてたのだが、戦争が終って世の中が変り、和田の叔父さまが、 もう駄目だ、家を売るより他は無い、女中にも皆ひまを出 くたりと椅子に坐り込んでおしまいになって、 「そうでしよう ? 卵を捜しているのですよ。可哀そうして、親子二人で、どこか田舎の小綺麗な家を買い、気ま 、とお母さまにお言い渡しになった まに暮したほうがいし 様子で、お母さまは、お金の事は子供よりも、もっと何も と沈んだ声でおっしやった。 わからないお方だし、和田の叔父さまからそう言われて、 私は仕方なく、ふふと笑った。 夕日がお母さまのお顔に当って、お母さまのお眼が青いそれではどうかよろしく、とお願いしてしまったようであ くらいに光って見えて、その幽かに怒りを帯びたようなおる。 十一月の末に叔父さまから速達が来て、駿可鉄道の沿線 顔は、飛びつきたいほどに美しかった。そうして、私は、 とこに河田子爵の別荘が売り物に出ている、家は高台で見晴し ああ、お母さまのお顔は、さっきのあの悲しい蛇に、・ か似ていらっしやる、と思った。そうして私の胸の中に住がよく、畑も百坪ばかりある、あのあたりは梅の名所で、 む蝮みたいにごろごろして醜い蛇が、この悲しみが深くて冬暖かく夏涼しく、住めばきっと、お気に召すところと思 う、先方と直接お逢いになってお話をする必要もあると思 美しい美しい母蛇を、いっか、食い殺してしまうのではな われるから、明日、とにかく銀座の私の事務所までおいで かろうかと、な・せだか、なぜだか、そんな気がした。 を乞う、という文面で、 私はお母さまの軟らかなきやしゃなお肩に手を置いて、 「お母さま、おいでなさる ? 」 理由のわからない身悶えをした。 と私がたずねると、 「だって、お願いしていたのだもの。」 と、とてもたまらなく淋しそうに笑っておっしやった。 私たちが、東京の西片町のお家を捨て、伊豆のこの、ち よっと支那ふうの山荘に引越して来たのは、日本が無条件翌る日、もとの運転手の松山さんにお伴をたのんで、お 降伏をしたとしの、十二月のはじめであった。お父上がお母さまは、お昼すこし過ぎにおでかけになり、夜の八時 亡くなりになってから、私たちの家の経済は、お母さまの頃、松山さんに送られてお帰りになった。 「きめましたよ。」 弟で、そうしていまではお母さまのたった一人の肉親でい かず子のお部屋へはいって来て、かず子の机に手をつい らっしやる和田の叔父さまが、全部お世話して下さってい

9. 現代日本の文学 31 太宰治集

てそのまま崩れるようにお坐りになり、そう一言おっしゃ庭先で燃やしたりしていそがしい思いをしていたが、お母 っこ 0 さまは、少しも整理のお手伝いも、お指図もなさらず、毎 日お部屋で、なんとなく、ぐずぐずしていらっしやるので 「きめたって、何を ? 」 ある。 「全部。」 「だって、」 「どうなさったの ? 伊豆へ行きたくなくなったの ? 」 と私はおどろき、 と思い切って、少しきつくお訊ねしても、 「いいえ。」 「どんなお家だか、見もしないうちに、 とぼんやりしたお顔でお答えになるだけであった。 お母さまは机の上に牘挙を立て、額に軽くお手を当て、 小さい溜息をおっきになり、 十日ばかりして、整理が出来上った。私は、夕方お君と わら 「和田の叔父さまが、いい所だとおっしやるのだもの。私二人で、紙くずや藁を庭先で燃やしていると、お母さま は、このまま、眼をつぶってそのお家へ移って行っても、 も、お部屋から出ていらして、縁側にお立ちになって黙っ いような気がする。」 て私たちの焚火を見ていらした。灰色みたいな寒い西風が とおっしやってお顔を挙げて、かすかにお笑いになっ吹いて、煙が低く地を這っていて、私は、ふとお母さまの た。そのお顔は、少しやつれて、美しかった。 顔を見上げ、お母さまのお顔色が、いままで見たこともな 「そうね。」 かったくらいに悪いのにびつくりして、 と私も、お母さまの和田の叔父さまに対する信頼心の美「お母さま ! お顔色がお悪いわ。」 あいづち しさに負けて、合槌を打ち、 と叫ぶと、お母さまは薄くお笑いになり、 「なんでもないの。」 「それでは、かず子も眼をつぶるわ。」 とおっしやって、そっとまたお部屋におはいりになっ 二人で声を立てて笑ったけれども、笑ったあとが、すご 陽 た。 く淋しくなった。 斜それから毎日、お家へ人夫が来て、引越しの荷ごしらえその夜、お蒲団はもう荷造りをすましてしまったので、 がはじまった。和田の叔父さまも、やって来られて、売りお君は二階の洋間のソフアに、お母さまと私は、お母さま 払うものは売り払うようにそれそれ手配して下さった。私のお部屋に、お隣りからお借りした一組のお蒲団をしい は女中のお君と一一人で、衣類の整理をしたり、がらくたをて、二人一緒にやすんだ。

10. 現代日本の文学 31 太宰治集

いないから、注射だけでも、もう四、五日は大丈夫だろう とおっしやっこ 0 お母さまは、ご安心なさったように、眼を軽くつぶっという事で、その日いったん皆さんが自動車で東京へ引き 上げたのである。 て、手をお蒲団の中へそっとおいれになった。 おえっ 皆さんをお送りして、お座敷へ行くと、お母さまが、私 私も泣き、直治もうつむいて嗚咽した。 そこへ、三宅さまの老先生が、長岡からいらして、取りにだけ笑う親しげな笑いかたをなさって、 「忙しかったでしよう。」 敢えず注射した。お母さまも、叔父さまに逢えて、もう、 と、また、囁くような小さいお声でおっしやった。その 心残りが無いとお思いになったか、 お顔は、活き活きとして、むしろ輝いているように見え 「先生、早く、楽にして下さいな。」 た。叔父さまにお逢い出来てうれしかったのだろう、と私 とおっしやっこ。 老先生と叔父さまは、顔を見合せて、黙って、そうしては思った。 「しいえ。」 お二人の眼に涙がきらと光った。 私は立って食堂へ行き、叔父さまのお好きなキツネうど私もすこし浮き浮きした気分になって、につこり笑っ んをこしらえて、先生と直治と叔母さまと四人分、支那間 そうして、これが、お母さまとの最後のお話であった。 へ持って行き、それから叔父さまのお土産の丸ノ内ホテル それから、三時間ばかりして、お母さまは亡くなったの のサンドウィッチを、お母さまにお見せして、お母さまの たそがれ だ。秋のしずかな黄昏、看護婦さんに脈をとられて、直治 枕元に置くと、 と私と、たった二人の肉親に見守られて、日本で最後の貴 「忙し第でしよう。」 婦人だった美しいお母さまが。 とお母さまは、小声でおっしやった。 お死顔は、殆んど、変らなかった。お父上の時は、さっ 支那間で皆さんがしばらく雑談をして、叔父さま叔母さ まは、どうしても今夜、東京へ帰らなければならぬ用事がと、お顔の色が変ったけれども、お母さまのお顔の色は、 あるとかで、私に見舞いのお金包を手渡し、三宅さまも看ちっとも変らずに、呼吸だけが絶えた。その呼吸の絶えた 護婦さんと一緒にお帰りになる事になり、付添いの看護婦のも、いっと、は 0 きりわからぬ位であった。お顔のむく さんに、いろいろ手当の仕方を言いつけ、とにかくまだ意みも、前日あたりからとれていて、頬が蠍のようにすべす 識はしつかりしているし、心臓のほうもそんなにまいってべして、薄い唇が幽かにゆがんで微笑みを含んでいるよう こ 0